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2007年2月26日 (月)

赤い川の谷

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


アメリカ民謡、日本語詞:不詳

      Red River Valley

1. From this valley they say you are going
   We will miss your bright eyes and sweet smile
   For they say you are taking the sunshine
   That has brightened our path for a while
 (Chorus:)
   Come and sit by my side if you love me
   Do not hasten to bid me adieu
   But remember the Red River Valley
   And the cowboy who loved you so true

2. Won't you think of the valley you're leaving
   Oh how lonely, how sad it will be !
   Oh think of the fond heart you're breaking
   And the grief you are causing to me
 (Chorus:)

3. As you go to your home by the ocean
   May you never forget those sweet hours
   That we spent in the Red River Valley
   And the love we exchanged mid the flowers
 (Chorus:)

1 今谷間を去りゆく さびし君の笑顔
  思い出はめぐりて 悲しき別れを

2 望みし君の言葉 ただ一つの言葉
  今は望みむなしく 君と別れゆく

3 君よ去りゆく前に しばし共に語らん
  この谷間を忘るな カウボーイの愛も

《蛇足》 代表的なカウボーイソングの1つ。mp3は英詞に合わせてあります。

 レッドリバーは、テキサス州に源を発し、アーカンソー州・ルイジアナ州を通ってミシシッピ川に合流する約2000キロの大河です。テキサスの牧畜は、この流れとリオグランデとの間の広大な土地に発達しました。

 原曲は南部で歌われていた"In the Bright Mohawk Valley"(輝くモホークの谷間で)で、のちにカウボーイたちによって、"Bright Sherman Valley"が生み出されました(長田暁二編『世界抒情歌全集2』ドレミ楽譜出版社)。モホークはネイティブ・アメリカンの部族名です。
 そのほか、"Bright Laurel Valley"、"Cowboy Love Song"、"Bright Little Valley"などさまざまなヴァリアントがあります。

 なお、アメリカのノースダコタ州とミネソタ州の州境を流れて、カナダのマニトバ州に入り、ウィニペグ湖に注ぐ同名の川があり、こちらがこの歌の起源だとする説もあるようです。

 この詞がいいですね。私は安曇野の生まれ・育ちですが、安曇野の「野」は、地形的に見て、英語のvalleyに相当すると思います。valley育ちの私としては、アメリカの田舎の兄(あん)ちゃんが味わったハートブレイクが、しみじみ心に沁みます。

 学生時代、私はエスペラントでも歌っていましたので、その詞も挙げておきましょう。
 上の英詞では、谷間から去っていくのは女性ですが、エスペラント訳は、原詞のシチュエーションと同じで、男が去っていき、インディアンの女性が取り残される設定になっています。

 エスペラントでは、ĉはチ、ĝはヂュ、jはイ、ŝはシュと読みますが、あとはローマ字と同じように読みます。ただし、ブラウザーまたはブラウザーのバージョンによっては、これらの文字は正しく表示されません。

La Valo de Ruĝa Rivero
        (エスペラント訳:磯部晶策)

1. Tiujn vortojn neniam vi diros,
   Kiujn longe atendis mi jam;
   Kaj ĉar aŭdis mi, ke vi foriros,
   Mia koro rompiĝis en am'.
 (Koruso:)
   Kelkan tempon do volu restadi !
   Ne rapidu nun lasi min for !
   Sed memoru pri Red River Valley,
   Ke knabino vin amis el kor'.

2. Kiam iros vi hejmen trans maro,
   Rememoru, ke ĝojon de hom'
   Longe havis vi ja en la valo,
   Kaj amvivon en eta la dom'.
 (Koruso:)

3. Se ĉi-tien reveni vi povus
   Iam al l'okcidenta herbej',
   Se blankulan edzinon vi havus,
   Sciu, ke mi koramis vin plej.
 (Koruso:)

 このメロディーは、ジョン・フォード監督の名画『怒りの葡萄』(1940年、原作はスタインベック小説)の挿入曲として用いられました。

(二木紘三)

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コメント

二木様
おはようございます♪

時折、歌声喫茶の方もお邪魔していましたが
こんな楽しいブログも作っちゃったんですね^^
早速拝見!!
この曲は小学校時代の想い出があります^^
先生はピアノの苦手な方でした^^で
いきなりご指名が・・。
1年間音楽は助手してました^^

このサイトをリンクさせていただきたく思います^^
事後報告でごめんなさい!!

投稿: ゆめこ | 2006年7月19日 (水) 05時42分

映画『怒りの葡萄』を何かの映写会で見たのはもう37年前。この主題歌は国道66号線を西に向へ、惨憺たる旅をするジョード一家がつかの間に得た持ち寄りのダンスパーティの背景音楽として使われていました。オクラホマの農地を襲った砂嵐は連続33日間続いたとか・・。。もし昭和15年に自国の恥部とも言える社会底流を描いた同様な日本映画が制作されたとしたら、内務省検閲課がそのまま通しただろうか?大いに疑問です。色々なシーンもその都度思い起こされ、私には忘れられない名画です。

投稿: 乙女座男 | 2007年10月 3日 (水) 23時10分

時々見させていただいています。
この曲は、なぜか大好きで、時々口笛を吹いていました。

 最近朝のひと時を庭で過ごすようになって、ふとこの歌のメロディーが思い出されて、自分の気持ちを歌にして見ました。
どなたか口ずさんでくれると、うれしいですね。
(参考までに:小生は信州の深い森の中に住んでいます。)
 
メロディーは原曲どおり。
歌の題::夏の森

朝に 光きたれば
窓辺に ブナ映えて
小鳥は鳴く梢に
夢乗せて雲いずこ

ラララ~ラララ~ラララ~
  ラララ~ラララ~ラララ~
   ラララ~ラララ~ララララ~
    夢乗せて雲いずこ

暑き森の木陰に
小鳥の歌聴けば
心なごむ木漏れ日
ほたるぶくろゆれる

ラララ~ラララ~ラララ~
  ラララ~ラララ~ラララ~
   ラララ~ラララ~ララララ~
      ホタルブクロゆれる

窓辺に咲くペチュニア
光に抱かれて
犬も猫も見上げる
青き空のかなた
 
ラララ~ラララ~ラララ~
  ラララ~ラララ~ラララ~
   ラララ~ラララ~ララララ~
     青き空のかなた
   ラララ~ラララ~ララララ~
     青き空のかなた

投稿: KATSU | 2010年7月27日 (火) 18時26分

KATSU様
KATSU様のつくられた詩で歌ってみました。メロディに合わせて歌うことができました。
神様の造られた自然や生き物たちの喜びを共に歌うのはとても好きです。長野の自然に囲まれて幸せですね。
ところで、ほたるぶくろって何でしょうか。

投稿: 上原 | 2010年9月 1日 (水) 22時41分

http://www.hana300.com/hotaru.html

蛍袋の写真です。この花の中に掴まえた蛍を入れたので蛍袋という名前が付いたそうです。山野草です。

投稿: ハコベの花 | 2010年9月 2日 (木) 23時54分

ハコベの花様
ホタルブクロの写真ありがとうございました。
この花の中に蛍をいれたのですね。何かとても
いい感じですね。蛍袋の花も白と薄紫色が何か
控えめで優雅で頭を垂れた姿がいいですね。
この花を見かけたら、きっとすぐに分かると思います。
忘れられない花になるでしょう。
ありがとうございました。

投稿: 上原 | 2010年9月 6日 (月) 21時41分

一番だけですが、初めて覚えた英語の歌でした
でも、訳詞は、有る事自体を知りませんでしたが
チョット???です、別世界の構築に感じます
「愛の賛歌」でも思ったのですが、意訳しすぎるのもどうなんでしょうか、岩谷時子さん自身の作詞は好きなんですけど。

投稿: mesato | 2014年3月 9日 (日) 10時26分

『怒りの葡萄』もう一度観たい映画です。日の当たらない生活を強いられる人々の苦悩が見事に描かれていました。あの映画に流れていた音楽には全く気が付いておりませんでしたが、ヘンリーフォンダが素晴らしい俳優だと思った最初の映画でした。落ち着いて映画を観る時間が無くなってしまったのは本当に残念です。

投稿: ハコベの花 | 2014年3月10日 (月) 22時27分

mesato様

>訳詞は、有る事自体を知りませんでした

昔、NHKみんなのうたで、弘田三枝子が歌うこの曲を聴いたことがあります。ネットで調べてみると、弘田三枝子が1963年の4-5月のNHK「みんなのうた」で、小林幹治訳詞、小林昭宏編曲で「赤い河の谷間」を歌っています。残念ながら、このネットのページには訳詞は載っていませんでしたので、ご紹介できませんが。。。

投稿: KeiichiKoda | 2014年3月12日 (水) 10時46分

KeiichiKoda 様

御教授有り難うございます。
ただ、ご紹介の時期は小六なもので「みんなの歌」は卒業していました。

投稿: mesato | 2014年3月12日 (水) 21時42分

2014/3/12のコメントへの追記です。1963年4-5月のNHK「みんなのうた」で、弘田三枝子が歌っていた小林幹治による「赤い河の谷間」の訳詞は次の通りです。


サボテンの花さいてる
砂と岩の西部(せいぶ)
夜空(よぞら)に星がひかり
おおかみなく西部

赤い河の谷間よ
きりたつ岩山よ
昼なお暗い森よ
通る人もたえて

牛の声はみどりの
草はらのかなたへ
高く低く流れる
赤い河の谷間

投稿: KeiichiKoda | 2014年3月13日 (木) 20時15分

日頃は、大変にお世話になっております。
毎晩、どれほど、いやされていることでしょう!
この歌も、若い頃からの愛唱歌です。
所で、タテつくようで、申し訳ありませんが……。
題名のことですが、「赤い川の谷」ではなく一般的には、「赤い川の谷間」ではないかと存じますが、如何でしょうか?直訳では、確かに「赤い川の谷」なのですが。
mp3に合わせてあります……。と、ありますが、私にはmp3の意味が分かりませんので、見当違いのことを申し上げているのかも知れませんが。  千葉市 井尻 賤子

投稿: 井尻 賤子 | 2014年3月28日 (金) 01時45分

井尻賤子様
「タテつくようで、申し訳ありませんが」などと下手に出られては恐縮するほかありません。
さて、谷か谷間かですが、これはむずかしいですね。確かに谷間としている日本語詞(訳詞)が多いですが、たとえば歌声喫茶全盛時代に最もよく歌われた穂高五郎の日本語詞では「紅い河の谷」となっていますし、比較的新しい早川義郎の日本語詞では「レッドリバーの谷」となっています。私が上に挙げた訳詞者不詳の歌詞のタイトルは「……谷」になっていたので、それに従ったまでです。
外国曲の日本語詞は、曲によっては数十ものヴァージョンがあり、タイトルも歌詞もさまざまです。数の多さを基準にして判断してよいかどうかは疑問です。
付記:mp3はサウンドの圧縮形式ですので、本件には関わりありません。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2014年3月28日 (金) 10時44分

 この曲は私には映画『怒りの葡萄』の主題歌という印象が強いです。映画の中では、荒廃したオクラホマを捨ててカリフォルニアへ移住した一家が描かれていますが、彼らを待っていたのは大規模な果物の農場での奴隷のような労働でした。この作品は大恐慌時代のアメリカの農場の労働者の実態を描いていますが、私は20年程前にフロリダを旅行した時に、同じような風景を目にしました。やはり果物の農場でしたが、働いていたのはヒスパニックと呼ばれるメキシコからの移民で、トラックの荷台に大勢乗せられて移動をしていました。奴隷解放で人種差別はなくなったはずのアメリカ合衆国で、“陰”の部分を垣間見た気がしました。貧富の差の大きいアメリカの様な国から帰って来ると、我が国は何と平等な社会だろうと思います。

投稿: Yoshi | 2014年3月28日 (金) 20時12分

このブログを見つけて嬉しく思います。中国から発信しています、日本語の歌が好きで、しかし歌詞をなかなかなくて困っています、もしよければ”赤い河の谷間(小林幹治作詞)日本語歌詞”送って頂ければ嬉しいです、よろしくお願いします。私のブログ:http://weibo.com/312906333

投稿: ヨウ | 2014年8月24日 (日) 21時37分

ヨウ様

この曲「赤い河の谷間」の小林幹治による訳詞は私の、2014年3月13日の投稿にある通りですが、それをコピペ(copy & paste)していただければよろしいのではないでしょうか?

投稿: KeiichiKoda | 2014年8月25日 (月) 13時05分

二木先生

私は「赤い河の谷間」(Red River Valley)は、ずっとアメリカ民謡だと信じてきました。でもYouTube で Jo Stafford の 'Red River Valley' を聴いていて、もしかしたらカナダ起源の歌(歌詞だけ?}かも?と思うようになりました。

それはkirinphoebe1 という方のコメントに、この歌はカナダのマニトバ州の女性によって書かれたとあります。この方のご主人がカナダのNWの反乱の戦いに参加したそうです。
この歌の Red River とは、マニトバ州を流れる川で、米国南北ダコタ州の東側州境を北に流れ、ウィニペグ湖に注ぐ川を指しているそうです。

確かにRed River には、カナダのマニトバ州を流れるものと、米国テキサス州とオクラホマ州の州境を流れるものがあり、私自身も混乱しています。

その他の人達のコメントを読んでみると、テキサスとオクラホマの州境を流れる Red River には谷間が見られないとか、1896年の sheet music には、 筆者としてJames J. Kerrington が記されている。しかしこの歌は1870年代まで遡れ、その歌詞も異なっているなど、カナダ起源を示唆するコメントも書かれています。

二木先生はこのカナダ起源説についてどう思われますか?

投稿: お尋ねします | 2015年5月14日 (木) 20時26分

お尋ねします様
(1)「カナダ起源の歌(歌詞だけ?)かも?と…」
 可能性としてはあると思います。Red River Valleyの異本の1つに、In the Bright Mohawk Valleyがありますが、ホモーク族の居住地はアメリカ・カナダ国境の両側だからです。原住地はもう少し南で、白人入植者たちに北に追われただけかもしれませんが。
(2)「テキサスとオクラホマの州境を流れる Red River には谷間が見られないとか…」
 これは逆でしょう。地形図を見ると、ノースダコタ州の東半分とミネソタ州の西端、カナダ・マニトバ州の南側はほとんど真っ平らです。マニトバ州の最高峰は標高832メートルのボールディ山。流路の5分の4ほどは蛇行の連続で、これは平坦地を流れる自然河川の特徴です。したがって、valleyはほとんど見られず、歌のタイトルにvalleyがつくのは不自然だと思います。
 また、3州とも主要産業は農業で、牧畜業はわずかです。
 いっぽう、南のレッド川はその流域の過半がvalleyまたは山地です。
 我々日本人はvalleyと聞くと、V字型の狭くて険しい峡谷や渓谷を思い浮かべますが、「両側を山地に挟まれた細長い盆地」(Webster英語辞典参照)と考えたほうがいいようです。
 実際の地名ではありませんが、シリコン・バレーの呼び名で世界に知られるパロアルトからサンノゼあたりを何度か往復したことがありますが、両側に山地は見えるものの、遥か彼方で、これは谷というより、ほとんど平野じゃないかと思ったほどです。
(3)「この歌は1870年代まで遡れ、その歌詞も異なっているなど、カナダ起源を示唆するコメントが…」
 このコメントは英語版のWikipediaに基づいていると思いますが、文献(アイオワ大学のライブラリー)があるからといって、それが起源ということにはなりません。古い民謡のメロディに新しい歌詞をつけて印刷するというのは、民謡の歴史ではありふれた事象です。

 Red River Valleyは、アメリカ民謡のなかでも、私が最も好きな曲なのに、恥ずかしながらカナダ起源説があることを知りませんでした。大変貴重な問題提起をしてくださったと感謝しております。本文にカナダ起源説があることを付記しておきました。
 しかし、何十年も前から、テキサスの牧場地帯をイメージして歌ってきた曲なので、「南のレッド川」という気持ちが変えられません。(二木紘三)

 

投稿: 管理人 | 2015年5月15日 (金) 02時01分

二木先生

さっそくのお返事ありがとうございます。
私は'Red River Valley' のメロディーも歌詞もアメリカ起源説に分があるような気がするのですが、カナダのマニトバ州の Red River 起源説を支持する人達が20人もおり、コメントを遡ってみていくとカナダ起源説を主張する人達が個別に書き込みをしているのをみて、北の Red River 流域に住んでいる人達の間でカナダ起源説がある程度の割合で支持されているのかな?と思い先生にお伺がいした次第です。

また Ronnie というオクラホマ州出身の方が、テキサスとオクラホマの州境を流れる南の Red River には谷間は見られないので、この歌の歌詞の意味にがってんがいかなかったというコメントをみて、オクラホマの人が言うのならきっとそうなのだろうと思ってしまいました。

真相はよく分かりませんが、どの国に住んでいてもお国自慢になる事柄は、やっぱり地元に分を持たせたいと思うのが人情と解釈するのがいいのかな、と思いました。

二木先生、私の質問に対して色々と文献を調べて、両者の主張もある程度認めて、先生が妥当を思われる考えを述べていただきありがとうございました。

私もこれで気持ちがすっきりしました。重ねて御礼申しあげます。

投稿: お尋ねします | 2015年5月15日 (金) 15時06分

「赤い川の谷」は、どこか懐かしさを感じさせる、明るく美しいメロディで、心を包み込みます。出だしの部分など、「谷間のともしび」に一脈通じる曲想で、「希望のささやき」などと並んで、好きなアメリカ歌曲です。
  思い返せば、'60年代半ば、結婚して数年の頃、初めて小さなステレオ装置を購入して、嬉しくて、次いで、外国のポピュラー・ソングのレコード全集(10枚もの)を買い求めました。その中の1曲に「レッド・リバー・ロック」(ジョニーとハリケーンズ '60) がありました。「赤い川の谷」をロックにアレンジしたものですが、ヴォーカルなしの、軽快で楽しい演奏は、心にずっと留まっています。

投稿: yasushi | 2018年3月 1日 (木) 15時30分

コロナウィルス騒ぎで、この老人ハウスに閉じ込められ、とてもじゃないけど時間を持て余すことになり、時に外出許可を得て、本や DVD をたくさん入手することになります。

昨日久しぶりに、かの西部劇名画「赤い河」を見ました。
この映画、これで三度目ですが、いつ見ても実に面白く思います。 名監督ハワド・ホクスの最高の名画と言っていいのでしょうか。

このサイトに、「赤い河」ということに関連して、テキサスの川だとか、マニトバの方の川だとか、議論があったことを思い出して、こちらへやってまいりました。
しかしまあ、この歌の歌詞、管理人さんのご説明を見ましたが、この歌曲と、映画「赤い河」とは全然関係がないことがわかりました。 この曲は、映画「怒りの葡萄」の主題歌だったとのこと、その映画は見ましたが、残念ながらこの曲の事は全然記憶にありません。

それにしても、この曲いいメロディーですね。 こんなやさしいラヴソング、猛々しいテキサスの赤い河ではなく、より穏やかな北方の赤い河で生まれた民謡ではないかと、すこぶる個人的な感覚ですが、思ってしまいます。 まあ、どちらでもいいのですが。

曲はともかく、映画「赤い河」はまさに西部劇の、一、二を争う名画だと私は思っています。 「駅馬車」以来、ぱっとしないジョン・ウェインを主役に引っ張り出し、そのまま一流俳優にのし上げてしまった手腕、感服せずにはいられません。 小説は面白くなければならないとは、サマセット・モームの言葉ですが、西部劇は面白くなければならない、といえば、この「赤い河」はずばり、ただただ西部劇として最高に面白く思います。

そもそも、ジョン・ウェインとの名コンビをうたわれているジョン・フォードですが、ジョン・ウェインを使った映画はあまり大したものになっていないとは、私の評価です。 それにひきかえ、ハワド・ホクスの、ジョン・ウェインを使った映画は、この「赤い河」をはじめ、「リオ・ブラボー」、「リオ・ロボ」、「エル・ドラド」等々、傑作ぞろいです。 ハワド・ホクスこそ、ジョン・ウェインを使いこなした名監督といえるのではないかとは、私の個人的評価なのです。

ジョン・フォードの名誉のために申しますと、彼の「静かなる男」、「我が谷は緑なりき」等々、名画は数多くあります。 一流監督であることには異存はありません。

この曲とは全然関係のない映画の話しになってしまいました。すみません。

<蛇足>
近頃、あちらの世界では、人種差別反対などの運動が盛んに行われているようです。 「風と共に去りぬ」でさえ槍玉にあげられているとか。 もうヒステリー状況ですね。 いまのうちに嘗ての西部劇の名画、じゃんじゃん見ておかなければ。 

投稿: 田主丸 | 2020年6月27日 (土) 14時35分

承前、
へ理屈の巻。

先日先のコメントを記して以来、なにやらすっきりしない疑問に陥ってしまいました。

当該西部劇「赤い河」の川、もう一方のこの曲の川(テキサスの方だかマニトバのほうだか)、これいずれも「赤い川」と呼んでいいんだろうか。 ともに、最初にやってきた白人が、川の水色に応じて「Red River」と名付けたのでしょうが、一旦そうと決められたのなら、それは固有名詞なのだから、ともに日本語では「レッド川」と言うべきなんじゃないんだろうか。 

映画「赤い河」の場合、さあタイトルをどうしようかと考えて、「Red River」に応じて「赤い河」にしました。 しかしこれは、あくまでも映画のタイトルであって、件の川の日本語名ではないのですね。 したがって、日本語字幕の中で 「この赤い河を南に渡って・・」とあるのは誤りではないかと思うのです。 「赤い河(川)」という川は存在しないのです。 件の川を指し示すのなら、あくまでも「レッド川」と言わなければならないはずです。
(しかし、この題名は営業的には成功しましたですね。今では、赤い河と言われれば、この映画に事、そしてあのテキサスの川の実名かのごとく頭にうかんできます。)

さて、この曲の題名の場合はどうでしょうか。 「Red River Valley」を 「赤い川の谷」というのはどうもすっきりしません。 かといって 「レッド川渓谷」というのでは民謡の題名らしくないし。
ついつい思い悩んでしましました。

へ理屈の巻、終り。お粗末様でした。

投稿: 田主丸 | 2020年7月 1日 (水) 21時12分

ここのところ、YouTubeで、原語(英語)で歌う「Red River Valley」をよく聴いています。
いろいろな歌い手さんが、この歌を歌っているようですが、お気に入りは、Michael Martin Murphey、 Marty Robbins、Eddy Arnoldという歌い手さんの歌声です。

何度も聴いているうち、(Chorus)の前半部分が、何故か心に訴えてきます。
♪Come and sit by my side if you love me
 Do not hasten to bid me adieu ♪
和訳すれば、散文的ながら、”君よ、私を愛しているなら、こちらへ来て、横に座っておくれ。急いで別れを告げなくても、いいじゃないか”というところでしょうか。

ついでながら、例えば、歌詞(英語)1番を眺めていますと、(Chorus)部分も含めて、1行おきに、同じ発音で終わっているように見えます。
このようなスタイルの押韻(韻を踏む)もあるのですね。私にとって、初めて出合いのような気がします。

投稿: yasushi | 2020年7月 5日 (日) 15時01分

起源について諸説あるようですが、歌詞はともかく、曲はアイスランドの民謡ではないでしょうか。
五十年位前のことですが、アイスランド民謡として聴いた記憶があります。もっとゆっくりしたテンポでしたが。
その後、小学校か中学校の教科書にアメリカ民謡として掲載されており、友人たちにアイスランド民謡だと思うと主張したのですが、一笑に付されてしまいました。
しかし、先日、当時の同級生と話した時に、
そう言えば、先日(といっても数ヶ月前だそうですが)テレビで流れたアイスランドの民謡が「赤い河の谷間」そっくりで、昔の事を思い出したそうです。テレビ朝日系の世界の街道を行く」のアイスランド編の時のようですが、確認できていません。
一応ご参考までに。

投稿: 還暦爺 | 2021年3月19日 (金) 16時44分

久しぶりに、原語(英語)で歌う『赤い谷の川(Red River Valley)』を聴きました。
そうしましたら、これに触発されて、もっと米英の歌曲を聴きたくなり、いろいろな歌い手さんが原語で歌う、『希望のささやき(Whispering Hope)』、『谷間のともしび(When It’s Lamp Lighting Time in the Valley)』、『春の日の花と輝く(Believe Me,If All Those Endearing Young Charms)』、『神ともにいまして(God Be With You Till We Meet Again)』を聴くに及び、ほんのちょっぴりながら、異文化に触れた気分になりました。

『赤い谷の川』を学校で習った記憶はありませんが。二木先生が挙げられた日本語歌詞
    ♪今谷間を去りゆく さびし君の笑顔
      ………………
      ………………
     この谷間を忘るな カウボーイの愛も♪
は、どこかで聴いたことがあるようで、懐かしさを感じます。原語歌詞に沿った、良い日本語訳詞だと思います。
   
なお、細かいことながら、原語歌詞の(Chorus)の2行目は、
   ♪Do not hasten to bid me adieu ♪
とあり、”adieu”というフランス語(”さようなら”の意)が使われています。
英語の歌詞なのに、なぜ、”goodbye”(”さようなら”の意)が使われていないのだろうかとの素朴な疑問が頭をもたげます。
まあ、欧米文化圏では、私の理解・想像を超える、いろいろな相互の繋がりがあり、それによるものだろうか、と自答している次第です。

投稿: yasushi | 2021年10月27日 (水) 13時43分

なんとなく口ずさんでしまう綺麗な曲ですね。フォークダンスで踊った記憶もあります。ところで昭和43年3版の三省堂の英和辞典には、adieuが載っています。英語になっているんですね。永遠の別れを表現するのに同じ意味でもgoodbyeではちょっとダサい、音数の関係もあってこれに落ち着いたのではないでしょうか。

投稿: しょうちゃん | 2021年10月27日 (水) 18時17分

しょうちゃん様からのお便り(’21-10-27)を興味深く拝読しました。
”なんとなく口ずさんでしまう綺麗な曲ですね”との由、同感です。

さて、”adieu”が英和辞典の載っていて、英語になっているとの、しょうちゃん様のご指摘に接し、はっとしました。
実は、手許の電子辞書の英和辞典に、adieu:【フランス】<間投詞>さらば、さようなら、とあったのを見て、先入観も加わり、英和辞典に載っているものの、”adieu”=フランス語と、早とちりしてしまったと反省しております。

これを契機に、”adieu”について、少し調べてみました。
『アポロ仏和辞典』(角川書店 1991年 初版発行)によれば、
adieu:<名詞>別れ[の言葉]。<間投詞>さようなら、さらば、などとあります。
また、『ヴィスタ英和辞典』(三省堂 1998年 第1刷発行)によれば、
adieu:<間投詞>さようなら、<名詞>別れのことば、別れ、とあります。
そして、<参考>として、”もともとはフランス語で、長い別れ、あるいは永遠の別れに用られることばだが、英語では普通の別れにも用いられる。”とあります。
以上のことから、”adieu”は、もともとフランス語であったが、今では英語にもなっている、と分かります。
なお、『OXFORD Advanced Learner’s DICTIONARY』(OXFORD  UNIVERSITY PRESS 1996)によれば、
adieuの項に、”bid somebody adieu”という使われ方が載っています。つまり、英語では、”ある人(誰かさん)に別れを告げる”と表現するのに、このような慣用句があるとのことです。
以上を総合すると、『赤い川の谷』の原詩(英語)のなかに、♪Do not hasten to bid me adieu ♪とあるのが、すっと腑に落ちる気がします。

蛇足ながら、このたびの調査で、フランス語”adieu”と英語”goodbye”には、ある共通性があると気づきました。
前掲の辞典によると、adieuの語源=à(~に)+dieu(神)で、「(私はあなたを)神に(ゆだねる)」という意味、そして、 goodbyeの語源=God be with ye(神があなたといっしょにいますように)が短縮されたもの、とあります。
つまり、言葉違えど、どちらも、”神とともに”という共通性がある別れの言葉、と理解します。
欧米の文化の共通性を垣間見る感じと捉えますが、如何でしょう。

しょうちゃん様のご指摘により、大いに勉強になりました。有難うございました。
長々とした記述になりました。ご容赦ください。

投稿: yasushi | 2021年10月29日 (金) 10時40分

前に投稿しましたように、『赤い谷の川(Red River Valley)』は、ここのところ、原語(英語)で聴いております。

これまで、なぜか、日本語訳詞による歌声を、耳にした記憶がありません。
とはいえ、♪今谷間を去り行く さびし君の笑顔…♪と口遊んでみると、いい詩だなあと感じるのも事実です。

折しも、ひょんなことから、この歌の日本語訳詞が載っている本に巡り合いました。楽譜に日本語訳詞がひらがなで書かれていることから、二木先生が挙げられました日本語詞を参考にしつつ、漢字交じりの訳詞への再現を試みました。
『Red River Valley:赤い谷間(レッド・リバー・ロック)』(Western Air of America 明石六朗 訳詞)
  1 今谷間を去りゆく さびし君の笑顔
    思い出はめぐりて 悲しき別れよ
  2 愛(いと)し君の言葉を ひとこと告げたまえ
    今は望みむなしく 君と別れゆく
  3 君よ去りゆく前に しばし共に語らん
    この谷間を忘るな カウボーイの愛も
  ※ 『Guitar Hit 50』(国際音楽出版社 1960) pp.10-11 参照
歌詞2番の1行目以外は、二木先生が挙げられました日本語詞と殆ど同じです。
多くの人に愛され、歌い継がれる途中で少し歌詞が変わって行くことは、ままあることのようで、これもその範疇のものと思われます。
因みに、原語(英語)の場合にも、このようなケースが見受けられます。
例えば、この歌の出だしを、ある歌い手さんは、
  From this valley they say you are going
と歌い、別の歌い手さんは、
  From this valley they say you are leavin’
と歌っています。

なお、 『Guitar Hit 50』の本に巡り合った経緯につきましては、『谷間に三つの鐘が鳴る』への拙投稿(’22-1-31)に付記しております。

投稿: yasushi | 2022年2月 2日 (水) 14時22分

昭和38~39年の、鹿児島の高校の同窓会の二次会の光景です。まだ18~19歳でした。Mが、ジュークボックスでこの曲をかけ、最初は一人で、それからそばにいた女子の手を取って引き入れ、踊りだしました。かなり激しく相手を動かす、ジルバではなかったかと思いますが、呼吸のあったダンスでした。大学生の彼らと、まだ浪人中の私は世界が違います。でも、互いにつらく長い受験時代を経た末に、ようやく一足先に青春を花開かせた姿は、美しさしか感じません。Mは早逝し、それがかれを見た最後のシーンだったこともあるでしょうか。

投稿: Bianca | 2022年2月 3日 (木) 17時17分

この古謡に「So Long To The Red River Valley」(さようなら赤い川の谷間)というタイトルのアンサー・ソングがあります。米国の国宝級のカウボーイ・コーラス・グループであった”サンズ・オブ・ザ・パイオニアーズ”(開拓者の子孫達)のメンバーに関係するグレン・スペンサーなる人が1940年前後に作詞・作曲したものです。
 同グループによるRCA録音が手元にありますが、ややテンポを速めた、”レッド・リヴァー・ヴァリー”を彷彿させる雰囲気のある佳曲に仕上がっております。私はこのジャンルの音楽が好きなので、それなりに音源を持っているつもりですが、同録音以外のヴァージョンを聞いたことはありませんので、貴重な音源と言えるかも知れません…。

投稿: ジーン | 2023年11月22日 (水) 21時22分

 もう一つ思い出したことがありました。歌の主人公がカウボーイですから、歌の入る録音等は男性歌手等はごく自然ということなります。では女性歌手が歌う時はどうなるのか? 手元にマクガイア・シスターズのレコードがあり、次のように歌っておりました。(ワーディングが違ってましたらお許しを…一番のみご紹介します)

  Please come back to the Red River Valley
Please come back to my heart that is true
I'll be here in the Red River Valley
I'll be waiting my darling for you

投稿: ジーン | 2023年11月25日 (土) 10時51分

 「レッド・リバー・バリー」の関連で連想させるものの一つは、凶作や機械化で移住労働者のみじめな生活を描いたスタインベックの小説が、ジョン・フォード監督によって映画化され、アカデミー受賞作となった「怒りの葡萄」です。西部劇の神様と称せられた名匠フォード監督の社会派作品で、随所にアレンジされた「レッド・リバー・バリー」がバック・ミュージックとして挿入されておりました。主役のトム・ジョード役を演じたヘンリー・フォンダも忘れ難いです。動のジョン・ウェイン、静のヘンリー・フォンダ…、懐かしい洋画の思い出であります。

投稿: ジーン | 2024年1月22日 (月) 20時02分

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