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2007年3月31日 (土)

ロンドンデリーの歌

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


アイルランド民謡 日本語詞1:近藤玲二

1 北国の港の町は リンゴの花咲く町
  したわしの君が面影 胸に抱きさまよいぬ
  くれないに燃ゆる愛を 葉かげに秘めて咲ける
  けがれなき花こそ君の かおりゆかしき姿

2 さぎり降る港の町は リンゴの花咲く町
  いつの日も匂いやさしく 夢はぬれてただよいぬ
  たそがれにほほすりよせて リンゴはなにを語る
  誓いせしあの夜の君の かおりゆかしき姿

            Irish Love Song
                                             原詞1:Katharine Tynan

1. Would God I were the tender apple blossom
  That floats and falls from off the twisted bough
  To lie and faint within your silken bosom
  Within your silken bosom as that does now.
  Or would I were a little burnish'd apple
  For you to pluck me, gliding by so cold
  While sun and shade you robe of lawn will dapple
  Your robe of lawn, and you hair's spun gold.

2. Yea, would to God I were among the roses
  That lean to kiss you as you float between
  While on the lowest branch a bud uncloses
  A bud uncloses, to touch you, queen.
  Nay, since you will not love, would I were growing
  A happy daisy, in the garden path
  That so your silver foot might press me going
  Might press me going even unto death.

《蛇足》 ロンドンデリーは、イギリス・北アイルランド第二の都市で、単にデリー(Derry)とも呼ばれます。フォイル川河口に位置する美しい港町です。

 10世紀ころから、アイルランドの守護聖人の名を採ってデリー・コルムキルと呼ばれていましたが、イギリスによる占領後、ジェームズ1世がロンドン商人の組合にこの地への植民を許した(1613年)ことから、ロンドンデリーと呼ばれるようになりました。
 アイルランド人は、デリーにロンドンをつけて呼ばれることに、民族的感情をいたく傷つけられるようです。長年イギリスに抑圧されてきた歴史を見れば、当然といえます。

 アイルランド文化・アイルランド語研究家の森博史さんから、この曲の解題について詳細なご教示をいただきました。

 それによると、この歌の原曲とされているのは、1796年にE・バンティングが編んだ曲集に載っている『Aislean an Oigfear(アッシュリン・アン・オール)(英訳タイトルはThe Young Man's Dream)だそうです。
 1990年代に入ってから、これを遡る説が出てきました。ローリー・ダール・オカハン(1570~1657年)が作曲した曲名不詳の哀歌が原曲だというのです。
 ただ、この説にははっきりした証拠がなく、まだ認められるに至っていません。

 『Aislean an Oigfear』は、その後曲名が忘れられ、単に「ロンドンデリー地方で歌われている曲」、または「ロンドンデリー地方で採集された曲」を意味する『ロンドンデリー・エア』として伝えられてきました。
 それがこの曲の固有名として定着したのは、19世紀後半になってからのようです。

 また、この歌にさまざまな歌詞が当てはめられるようになったのは、アイルランドの詩人A・P・グレーヴズが同郷の作曲家C・V・スタンフォードと組んで編纂した曲集『Songs of Old Ireland』を1882年に公刊してからだとされています。
 これまで100以上のさまざまな歌詞がつけられています。上に示したキャサリン・タイナンの『Irish Love Song』は、そうした歌詞のなかでもとくによく知られているものです。

 近藤玲二の歌詞は、この詩をベースにしたものと思われます。人によって好みは違うでしょうが、私には、原詩より近藤玲二の日本語詞のほうが心に響いてきます。
 原詩は文字どおりラブソングで、恋する女性にひたすら自分の胸の内を伝えようとする内容ですが、近藤玲二の歌詞にはストーリー性があり、その分、より想像が刺激されます。

 とくに第2聯の最後の行。りんごの木の下で愛を誓う若い女性のシルエットが浮かび上がってくるようではありませんか。
 現実には「誓い」は全うされない、あるいは全うできないことのほうが多いようですが。
 数百年後のアメリカのポピュラーソング『砂に書いたラブレター』にも、「You made a vow that you would ever be true, But somehow that vow meant nothing to you.」とあります。

 ほかに有名な歌詞としては、旅立ったわが子に対する母親の思いを歌ったものがあります。津川主一が日本語詞をつけています(下記)。わが国では、こちらのほうがよく歌われるようです。

日本語詞2:津川主一

1 わが子よ いとしの汝(なれ)
  父君の形見とし
  こころして愛(いつく)しみつ
  きょうまで育て上げぬ
  古き家を巣立ちして
  今はた汝は何処(いずこ)
  よわき母の影さえも
  雄々しき汝には見えず

2 はてしもなきかの路の
  あなたに汝はゆきぬ
  むなしき我が家見れば
  亡き父君おもわる
  足もとの草むらより
  立つはさえずる雲雀(ひばり)
  ああ われも強く立ちて
  我が家の栄誉(ほまれ)を守らん

原詞2 作詞者不詳

1. My son I reared as might the brooding partridge
  Rear up an eaglet fall'n from storm-struck nest;
  My son, ah no ! one captained for high conflict,
  My chieftain husband's heir and his bequest !
  No, mother's part in him did my heart treasure,
  And he would go, and I could stand alone;
  Ah, so I thought, but now my heart-strings measure
  The love, the loss my son, my little son thou'rt gone !

2. I see the grey road winding, winding from me,
  And thou upon them exiled, and away;
  I turn unto the empty house that's by me
  Ah, dark this day as on Wolfe Tone's death's day !
  But no, no, no ! Up from the sod beside me,
  Up, up, with glorious singing speeds the lark;
  'Tis Wolfe Tone's spirit, his, reconcile me,
  And in a swordflash, gone the loneliness the dark !

 1913年に『ダニー・ボーイ』が発表されてからは、これが世界中で親しまれるようになりました。

(二木紘三)

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コメント

四年ほど前から、時間ができたときには「MIDI歌声喫茶」のほうにお邪魔しています。年を重ねて顔にシミも出てきましたが、心にもシミが増えました。私の立場で仕事をしていると、どうしても辛い決定をしなければならないこともあります。心のシミはそれが原因で増えてきたものだと思っています。
でもあなたのサイトにいると、心にシミのなかった純な年頃の記憶が戻ってきて、ほんとうにすがすがしい気持ちになれます。このサイトがいつまでも続くように願っています。

投稿: T・K生 | 2006年9月27日 (水) 02時18分

終戦後NHKの夜の放送終了音楽にオルマンディ指揮で流されていました。
当時旧制中学の5年生でしたが、その曲に魅せられて毎夜聴いてておりました。
その後、可愛いお嬢さんと知り合い愛を誓った時、この曲を捧げました。
結婚して50年以上経ちますが、未だに夫婦の愛の歌として、歌ってています。
まだ現役ですが、引退後はすぐロンドンデリーに旅して、現地の海岸で合唱するのが夢です。

投稿: 鹿野源太郎 | 2007年8月27日 (月) 09時59分

約50年前、私は現在の米海兵隊岩国基地内の銀行に勤めていました。基地内の教会の聖歌隊に入っていましたが、あるとき、ロスの音大・声楽科を中退して海兵隊員になっていた、ジョセフ・ア・クインという歌手が、やはり海兵隊員のピアニストの伴奏でこの歌を歌いました。最初の2小節を聴いただけで、体に100万ボルトの電気が流れたショックを受けました。世界には電気うなぎのようなすごい歌手が居ることを思い知らされました。

投稿: 三瓶 | 2007年8月27日 (月) 18時58分

ジョセフ・ア・クイン氏が岩国市内でリサイタルを開きました。彼はハワイ原住民と中国のハーフでした。プログラムは日本歌曲、世界民謡、アメリカ民謡(アロハオエを含む)、オペラのバリトンのアリア等でした。
彼の歌う日本歌曲は私がそれまで聞いていた日本人歌手よりも、心に響く点では数段上でした。

投稿: 三瓶 | 2007年8月27日 (月) 19時07分

フリッツ・クライスラーも吹き込んでいますね。(1929年、ビクター赤盤)
彼はほかに「故郷の人々」も赤盤に入れていますが、
アンコール・ピースとしても好んで民謡を取り上げたようです。

主情的ですすり泣くようなルパートは、
ケルト的な情感とは肌合いを異にし、
今聴けば古めかしいようですが、これもまた佳きものです。

投稿: 金右衛門 | 2008年6月23日 (月) 07時37分

昭和10年生まれの73才男性。’2月で74才)
二木様の曲は自分が初めてパソコンを買った10年前、そしてインターネットを初めて経験したとき知りました。自慢するのも可笑しいのですが何しろ人間が古いので知っている曲も専ら懐メロ専門でコレばかりは他人に退けをとらないと自負しています。何しろメディアが発達していない時代ですのでラジオからの知識で(歌の明星)、又当時の映画、歌の雑誌の”平凡”等からの引用です。
楽器(ウクレレ)を少々嗜みますので、戦前、戦後からの曲が多いです。今回流れの旅路、連絡船の歌等DL出来ました。又男の夜曲(鶴田)赤い椿の咲く町などであります。今後益々のご発展をお祈り致します。有難うございました。

投稿: 高森宗光 | 2009年1月16日 (金) 17時37分

津川主一 さんの歌詞でこの歌を歌うと亡き母を思い出します。
母は父が36歳で下半身不随の倒れた後、家族の生活を支えながら、父の介護もする苦労の毎日でした。私は高校卒業後就職のため家を離れ、時にはつらい事せつない事が有りましたが、そんな時父の介護を一手に負い、私を送り出してくれた母を思い出すと、頑張ることができました、その時口づさんのがこの歌でした。

投稿: 山口 政春 | 2009年8月25日 (火) 23時06分

先日ユー・レイズ・ミー・アップという曲を聴いた時、その旋律にどこか懐かしさを感じ、記憶の遥か彼方にあった歌詞を思い出しました。「。。。港の町は リンゴの花咲く町 。。。さまよいぬ 。。。こそ君の かおりゆかしき姿」たったこれだけしか覚えておらず、また、何故この歌詞を知ったのかも思い出せませんが、こちらのサイトを拝見出来て、心に沁みる良い歌詞を知ることが出来ました。
有難うございました。

投稿: TOMIZAWA | 2011年3月 7日 (月) 23時19分

「ロンドンデリーの歌」は十代の頃から好きでしたが、近藤怜二の日本語詞は、二木先生のサイトを拝見するようになって初めて知りました。
リンゴの花はどんな香りなのでしょう…。作詞者に申し訳なく思いながら、この詞を読むたび、リンゴの実の良い香りが部屋に満ちるような気がするのです。
叶うことなら、リンゴの花の季節に北国の海辺の町を歩いてみたい…。
二木先生、この清らかな美しい詞を載せてくださって有難うございます。

投稿: nobara | 2012年5月22日 (火) 23時07分

他人から好きな歌ありますか、と聞かれたら、やっぱり、この歌を一番にあげると思います。でも、この歌詞「わが子よ・・」では一度も歌ったことはなく、私がこの歌を知ったのは、聖歌の345番「楽しき学びの園より」からです。本当に素敵な歌だなあと感動しました。でも、この歌は歌詞の内容が卒業式のときのものなので、みんなで歌うことはありません。最近見つけた新しい歌詞は、福音讃美歌の334番「愛する者は主のもとに」です。今は、この歌詞でロンドンデリーエアのメロディで、心から歌うことができます。本当に心から歌える素敵な歌です。

投稿: 上原 | 2014年2月14日 (金) 21時25分

1番の  どこに は 何処  ではないでしょうか?
コーラスグループで練習中ですが、50年前にタイムスリップしたようです。
ジェリー藤尾さんやサミーデイビスJr、が歌ったのを聞いた時の感動を思い出されます。

投稿: こまつ | 2015年6月16日 (火) 22時08分

こまつ様
「ロンドンデリー」ではなく、「ダニー・ボーイ」の……
      ↓
うっかりしました。ご指摘いただいたのは「ロンドンデリー」の津川主一の訳詞でしたね。元のコメントは削除し、その後半部分はこちらに転記しました。すみませんでした。

いちおう直しましたが、歌詞の表記については、はっきりした原則はないようです。同じ歌詞が歌集によって漢字だったり、平仮名だったりします。送り仮名もさまざまです。ですから、私は、言葉が違っていなければ、表記にはあまりこだわらないにしています。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2015年6月17日 (水) 23時15分

二木先生 こまつさんが述べられているのは、「どこに」の平仮名表記、漢字表記云々ではなく、「何処(いずこ) ということだと思います。

投稿: かせい | 2015年6月18日 (木) 01時08分

こまつ様・かせい様
どうもたびたびボケてしまって、お恥ずかしいことです。そろそろ頭の限界かもしれません。
3つの歌集で津川主一訳をチェックしたところ、いずれも「何処orいずこ)でした。「何処(いずこ)と修正しました。
(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2015年6月18日 (木) 03時37分

大好きな外国曲です。何といっても、メロディが美しいです。昭和28年春、普通高校に進学した私は、選択科目として”音楽”を選びました。男女共学ゆえ、混声合唱曲ばかりでしたが、その中にこの曲も入っており、♪あこがれは常夏の国 花は色とりどりに…♪の歌い出しでした(歌名などは失念)。メロディと歌詞がぴったり合っていて、とても心地よく歌えるのでした。
 当時は、外国曲に、それまでになかった新しい歌詞をつけた歌がいろいろあったように思います。例えば、「アンニー・ローリー」での投稿の中にあった「妹に」(深尾須磨子訳詩、♪赤い紅い丸い林檎…♪)も、その部類で、私も習った記憶があります。
 時代は移り、平成10年代後半、サラリーマン生活をリタイア後に、地元のコーラス同好会に入会し、色々なジャンルの歌の練習に取り組みました。2、3年経つと、私のコーラスの原点である、高校音楽の当時を振り返りたい気持ちが膨らんできて、教科書探しをはじめました。残念ながら、実家に保管していた音楽教科書は引っ越しの際に失われていました。近くの図書館、古本屋にも当たりましたが、見つからず、インターネットで手がかり探していたところ、近隣自治体の教育関係機関の図書室で教科書を保管していることが分かりました。早速当地に出向き、閲覧を願い出て探したところ、当時の高校音楽の教科書が見つかりました。大分色褪せていましたが、中身を開くと、正しく当時習った教科書でした。感激!必要部分のコピーを手に、満ち足りた気持ちで帰途についたことは言うまでもありません。
 帰宅して、中身をじっくり眺めたところ、「常夏の国(Londonderry Air)」(アイルランド古謡、水田詩仙作詞)がありました。約50年ぶりの再会でした。水田詩仙作詞の歌は、他にも、「母と子」(原曲:ウイーン古謡)、「春の歌」(メンデルスゾーン作曲)、「聴け聴け雲雀」(シューベルト作曲)が載っていました。優れた詩人だったのですね。いずれも好きな歌で、今でも時々口遊みます。
  このように、私にとって、「ロンドンデリーの歌」は「常夏の国」として心に刻まれているのです。

投稿: yasushi | 2016年1月24日 (日) 15時37分

二木先生の蛇足を拝読して初めて
近藤玲二氏の訳詞を知りました。
とても素敵な胸に染みる歌詞ですね。
島崎藤村の「初恋」を彷彿とさせます。
「林檎畑の木の下におのずからなる細道」が思い浮かびます。
今、当地の「サンフジ」が赤く色着き、黄色の密が入り
早い初雪に収穫を急いでいます。
りんごに深く詩情を誘われます。
メロディーも美しく
二木先生の演奏に酔いながら今宵も更けていきます。

投稿: りんご | 2017年11月19日 (日) 22時33分

二木先生素敵な音楽の演奏、リンゴさんのコメント有難うございます。

本日も寒い一日でした。
他県の老人介護施設に入居中の98歳の母のことを思い出しました。 
母の近くに住む妹から「母は車いすの生活で立ち上がることが難しくなってきている。会いにいっても眠っていることがおおくなった・・」と連絡が入りました。

二木先生の解説の
「旅立ったわが子に対する母親の思いを歌ったものがあります。津川主一が日本語詞をつけています。」
 を読み 少し感傷的になりました。有難うございます。

投稿: けん | 2017年11月21日 (火) 20時03分

クリスチャンではないが教会でよく演奏される曲です。
讃美歌の慈しみ深き、アメージンググレースと共に心に沁みる名曲です。
この曲のチエロ演奏には涙が込み上げました。
昨年の教会でのピアノ発表会の時でした。
チェリストであるピアノの先生のご主人が、急逝した発表予定者に捧げたのが「ロンドンデリーの歌」でした人生の儚さに胸が痛み涙が止まりませんでした。
急逝されたのは未だ30歳を出たばかりの独身青年でした。
ピアノの伴奏でクラリネットを演奏する予定でした。
僅か数日前に急逝の知らせが届いたそうです。突然死でした。穏やかなクリスチャンの先生もどれ程の深い悲しみに襲われたことか。最終的な音合わせも終えた直後の事でした。そのような経緯も脳裏を過りどの場合よりも深く吹かうチェロ演奏が胸に沁みたのでした。
。ご冥福をお祈りいたします。


投稿: りんご | 2018年8月 3日 (金) 05時33分

すみません
誤りを訂正

そのような経緯も脳裏を過りどの場合よりも深く吹かうチェロ演奏が胸に沁みたのでした。
。ご冥福をお祈りいたします。

深く吹かう  を深く深くに訂正。


ご冥福をお祈りいたします。を下記に訂正。

この度の災害で犠牲者となられた西日本の方々のご冥福をお祈りいたします。


投稿: りんご | 2018年8月 3日 (金) 05時39分

おはようございます。

大好きな曲の一つです。
いつ聴いても、目が緩んでしまいます。

私の知っているのは、津川主一の「詞」です。
高校生の時は単にメロディの美しさに涙したものですが、親になり、子を想う母親の切ない心境は、時代は違っても変わらないものと^^

素敵な曲を聴いて、今日も一日心豊かに過ごせそうです🎵

皆さまのコメントも、励みになります。

投稿: 香音 | 2018年8月 3日 (金) 07時57分

訳詞  野上彰

さえずる雲雀の声に
ふたたび春はめぐる月日を重ねてあつく
胸にあふれる涙よいとしく育みしわが子
ひととき帰りこよせめては幻となりて
なつかしの母の夢に

りんごの花びらは春の
盛りを白く開くその花摘みしわが子の
幼き面影いずこよよ黄泉路をつかさどる神よ
ひととき返し給えいくとせ嘆き深まる
悲しき母の胸に

「その花摘みしわが子」
我が家の窓から林檎畑が見えます。庭同然です。
りんご畑の四季は私の四季です。
情景がよく伝わります。

野上彰を検索してこの訳詞と巡り合えました。
逆縁の悲しみが切々と伝わります。

投稿: りんご | 2019年2月21日 (木) 14時01分

大好きな曲です。
ピアノの伴奏が良いですね~。
鍵盤を叩きつけるようにして高音部に進んで行くところに
特に高揚感を感じます。
いつも街に出ると歩きながら下手な口笛を吹きながらメロディを楽しんでいます。

投稿: yoko | 2019年2月21日 (木) 22時23分

「ロンドンデリーの歌」は、メロディが殊更美しく、大好きな外国曲です。

私は、遠い昔、高校2年のとき、この歌を習いました。
「常夏の国(Londonderry Air)」(アイルランド古謡、水田詩仙 作詞)という題名で、歌詞1番(勿論、日本語)は今も憶えており、ときどき口遊みます。〔拙投稿 (‘16-1-24)をご参照〕

さて、原詩についてですが、”うた物語”における、この歌のタイトルが「ロンドンデリーの歌」とあるものの、二木先生が挙げられた英語の原詩2編には、どこにも、Londonderryという言葉は、見当たりません。
なぜだろう?との思いに駆られて、手許の歌の本を調べて見ましたら、Londonderryという言葉が登場する英語の詩に巡り合いました。新たな発見で、興味深く、挙げさせて頂いた次第です。

Londonderry Air

As I went forth to Londonderry Town one day,
The valleys lying round the pathway long,
I saw a Collen wand’ring thro’ the heather there,
With eyes like sunshine, on her lip a song.
I smiled at her and then she sweethy smiled to me;
I walked beside her yet she did not frown.
Oh! this was years and years ago when I was young
Along the hills that led to Londonderry Town.

Today I pass to Londonderry Town once more,
The world is dark, now falls dreary rain,
I saw no Collen coming down the heather's way,
I am alone just my sighs and pain,
But in a dream she seems to call from long ago
And in a cream her lauying eyes look down.
I’d give the world to wander here again with her,
Along the hills that led to Londonderry Town.

※ 「青春の歌曲集」 (吉田秀和・入野義郎 編  河出書房 S29-12-25 pp.104-107)から。
   なお、楽譜の上部には、”ロンドンデリーの歌”、”アイルランド民謡”とあります。
   また、”Collen”とは、”colleen(アイルランド言葉での少女、娘)”のこと?

投稿: yasushi | 2021年2月 2日 (火) 14時34分

 この曲がアイルランド民謡であることは存じておりました。しかし、1997年の英国ウェストミンスター寺院でのダイアナ妃の葬儀では、少年合唱隊がこの曲を歌い、改めて北アイルランドは英国の一部だと実感した記憶があります。
 私はアイルランドへは行ったことがありませんが、司馬遼太郎の『愛欄土紀行』などを読むと、土地が痩せており、気候も不順で、農業に向いていない国土が多いことが綴られています。そのためか、アイルランドの主な農産物は歴史的にじゃがいもです。19世紀にそのじゃがいもが疫病によって不作になったことから大飢饉が置き、種芋も食べ尽くされて多くの餓死者を出したことは良く知られています。この時以来アメリカのへの移民が増え、JFケネディー大統領の祖先もその時期にアメリカに移住した様です。
 話は違いますが、海藻を伝統的に食べるのは、日本と韓国以外ではアイルランドだけです。彼らが海藻を食べる様になったのは、恐らく食料不足がきっかけになったのではないかと私は思っています。
 恐らく食料(特に蛋白質)の不足から、他の地域では食べない食材を食する県が日本にもあります。長野県です。長野県では伝統的に蜂の子を食べます。また私の知識の範囲ですが、馬肉を伝統的に食するのは長野県と熊本県だけです。鯉の養殖もそうですが、海から遠い地域であるため、蛋白質の摂取に苦労した地域であったであろうと推察します。
 アイルランドの話題から随分離れてしまいました。すみません。

投稿: Yoshi | 2022年8月13日 (土) 21時24分

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