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2007年3月15日 (木)

雨降りお月さん

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:野口雨情、作曲:中山晋平、唄:佐藤千夜子

1 雨降りお月さん 雲のかげ
  お嫁にゆくときゃ 誰とゆく
  一人でからかさ さして行く
  からかさないときゃ 誰とゆく
  シャラシャラ シャンシャン
  鈴つけた
  お馬にゆられて ぬれてゆく

2 急がにゃお馬よ 夜が明けよう
  手綱(たづな)の下から
  ちょいと見たりゃ
  お袖でお顔を かくしてる
  お袖は濡れても 干しゃ乾く
  雨降りお月さん 雲のかげ
  お馬にゆられて ぬれてゆく

3 雨降りお月さん 雲のかげ
  お嫁にゆくときゃ 誰とゆく
  一人でからかさ さして行く
  からかさないときゃ 誰とゆく
  シャラシャラ シャンシャン
  鈴つけた
  お馬にゆられて ぬれてゆく

《蛇足》 この歌は、1番と2番とでメロディが異なっています。そうなったのは、最初、1番と2番がそれぞれ独立した曲として作られたことによります。

 1番は大正14年(1925)、児童雑誌『コドモノクニ』のお正月臨時増刊号に、楽譜つきで発表されました。上の絵はその号に掲載された岡本帰一の装画。
 
詞のタイトルは、初め、『雨降りお月』でしたが、中山晋平のたっての希望で「さん」をつけたという話が伝わっています。
 中山晋平が「さん」づけにこだわった理由は不明ですが、おそらく、『雨降りお月』のままだと、音として中途半端ですわりが悪いと感じためでしょう。

 この歌は、子どもはもちろん、親たちにも評判がよく、「傑作だ」「すばらしい」といった賛辞が続々と寄せられたといいます。
 そこで、同じテーマで続編が作られることになりました。それが2番で、同年の3月号に『雲の蔭』というタイトルで掲載されました。

 それでは、どうしてこの2つが合体したのでしょうか。
 昭和に入ると、日本のレコード市場は急速に拡大し、日本コロムビア、日本ポリドール、日本ビクター、キングレコードという大手4社が次々と設立されました。

 そうした情勢のなかで、『雨降りお月さん』もレコード化されることになったのですが、1番だけでは短すぎて商品化しにくい、どうしても2番か3番まで必要だとわかりました。
 そこで、中山晋平が、『雨降りお月さん』と『雲の蔭』は、テーマも曲想も同じだから、いっしょにしたらどうかと提案したそうです。3番として『雨降りお月さん』を繰り返すことになりました。
 こうして、今日に伝えられている『雨降りお月さん』が成立したわけです。

 『コドモノクニ』は、大正デモクラシーまっただ中の大正11年(1922)1月に創刊されました。
 大正デモクラシーとは、この時代に現れた政治・社会・文化にわたる民主主義的・自由主義的な諸傾向を指します。
 『コドモノクニ』も、そうした思潮の影響を受けており、子どもの個性や自我の尊重を基本的な編集方針としていました。 

 編集顧問の倉橋惣三、童謡顧問の北原白秋・野口雨情、音楽顧問の中山晋平、編集主任の和田古江、絵画主任の岡本帰一などが、そうした編集方針を支え、やがて『コドモノクニ』は、日本を代表する子ども向けの絵雑誌として育っていきます。

 岡本帰一、武井武雄、清水良雄、川上四郎、初山滋、本田庄太郎、竹久夢二、細木原青起など、多くの才能ある画家たちが、子どもたちのために健筆をふるいましたが、昭和19年(1944)3月、戦争激化に伴う物資不足などから、ついに終刊となりました。

(二木紘三)

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コメント

《蛇足》とはご謙遜。 いやいや目から鱗。興味深く拝読させていただいています。
 お願いがあるのですが。
 多くの人々に親しまれてきた童謡や唱歌の《蛇足》を知りたくて厚かましいお願いをいたします。あかとんぼ。ふるさと。などなど
 古希を過ぎたせいか、いやに童謡が懐かしく、遠き日々が、つい昨日のようによみがえってきます。
 己の無知さを嘆きつつも、知る楽しさも、また、楽しからずや。の日々です。
 鹿児島

投稿: 有馬 巌 | 2007年5月18日 (金) 23時58分

 その後気になって、この歌の歌詞についていろいろ調べてみました。その結果さまざまに解釈が分かれていることが解りました。私の感想としては、『雨降りお月さん』はやはり「雨降り」で良いのでは?と思います。しかし、そうと断定するのは保留しておきます。
 いずれに致しましても、さまざまに解釈が分かれるということは、野口雨情の歌詞が重層的な意味・内容を含んでいるからなのかもしれません。そしてこの重層性こそが、優れた詩の条件の一つかとも思われます。
 この歌は聴くたびに心に響いてくる日本的原風景の一曲です。それでどうしてもコメント致したく、再度試みさせていただきました。二木先生。周坊様。どうぞご了承ください。

投稿: 大場光太郎 | 2008年12月 3日 (水) 19時14分

はじめまして。
「雨降りお月さん」の曲を探していて、こちらにたどりつきました。
随分前の記事のようですので、これをご覧になっているのかわかりませんが、私のブログとリンクを張らせていただいたご報告と、事後承諾になりますが、一応お許しをいただきたく、コメントに書きこみました。
この曲は、私の思い出の歌として、ブログに紹介したかったもので・・・なにとぞ、よろしくご快諾下さいますようお願いします。
なにしろ、ブログ初心者なもので、トラバックとかの方法もわかりませんでしたf(^^;
失礼がありましたら、お許しくださいm(__)m

投稿: ぶら小路 | 2009年7月 1日 (水) 22時16分

ぶら小路 様
リンクはお気兼ねなく、どの曲にでもどうぞ。
トラックバックは受け付けておりません。
(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2009年7月 1日 (水) 22時48分

埼玉県入間市 玉利 孝敏
オカリナ コカリナ リコーダー など笛歴30年
こうしたよい歌を、もっと子供たちに教えたいものです。約 300曲 暗譜して、あの三宅島災害から、今回の東日本大震災まで、79回野外チャリティーなど行い、日赤に送り続けました。余裕があれば、震災地などに慰問にいきたいところですが・・・

投稿: 玉利 孝敏 | 2012年7月20日 (金) 16時07分

この歌を聴くと60年以上前、わが家の近くの農家にお嫁入してこられた〇〇さんを思い出します。私が小学生の頃昭和20年代後半でした。
NHK朝ドラのひよっこの実家のように少し登坂の藁屋根の家がお婿さんの家でした。居間の隣に牛小屋がありました。村の人が小さな砂利道の両側に並びその真ん中を着物姿の花嫁さんはしずしずと歩かれました。雨あがりの道をお母さんに手をとられながらそろそろ歩かれる姿を思い出します。子供の私からみて大変綺麗な花嫁さんでした。

道路の横の田んぼは水が一杯張られ鯉が養われていました。田んぼのタニシは嫁入りの料理に出されたようです。

埼玉の玉利さんのようにオカリナ コカリナ リコーダーでこの曲を演奏できませんが、最近覚えた草笛で演奏したいと練習しています。演奏する時 綺麗なお嫁さんを思い出します。

投稿: けん | 2017年8月29日 (火) 22時03分

ああ、良い歌ですね~。夢の世界へ誘い込まれていくようです。

私が小学生の頃だったでしょうか、ある日祖母があたふたと部屋をかたずけ始めました。私には「部屋から出てくるな!」と命じました。何かと思ったら我が家の客間でお見合いがなされるのだそうでした。
祖母がお茶を運んでいる気配を感じましたがお見会いのお二人を見ることはできませんでした。それから数か月経ったころだと思います。家の外がざわついていて、通りから「お嫁さんだ!」という声が聞こえてきました。私は見に行こうと思ったのですが「行くな!」と引き止められました。

私の家の前の小川の向こうに物置として使われ長く閉まっていた小さな家がありました。その家が新婚御夫婦の住居となりました。窓が開け放たれ洗濯物が干されているのを見て街がパッと明るくなったのを感じました。お嫁さんは可愛らしい笑顔の美人でした。我が家でお見合いされた女性も、我が家の前の通りを歩かれたお嫁さんもみな同一人物だったのだろうと思うのですが確証はありません。瓦屋根の民家が立ち並ぶ中を縫って続く小さな通りをしずしずと歩かれたであろうお嫁さん、見たかったなぁ、残念です。美しかっただろうなぁ。

私の目に浮かぶ彼女の姿はいつももんぺ姿です。でも美しくて愛らしい。彼女から一度だけですが声をかけてもらったことがあります。大学二年の夏休み、田舎の家に帰っていた時、頼まれて小学一年生と三年生の男の子の勉強を見ていたことがあります。そのことが彼女にも伝わっていたようで、道で出会ったとき、「家(うち)の子の勉強も見てもらえませんかねえ」と話かけられました。
あれからもう40年近くにもなります。彼女、お元気だろうか。

投稿: yoko | 2017年12月 1日 (金) 12時09分

いいお話ですね~^^
yokoさんのお上手な描写で情景が浮かんできます。

私も小学校時代は平家が逃込んだという山間部で育ちました。もんぺ姿の女性、おさげ髪の中高の女子学生を記憶しています。
4年生になった頃でしょうか。近所にお嫁さんが来られるということで道の両脇に並び見に行きました。着物姿、白い足袋を履かれ、下駄ばきでしゃなりしゃなりと歩かれる美しい花嫁さんに感嘆しました。
60年以上前でしょうか。当時の藁屋根の家はトタン張りに変わっていました・・。小川、家までの坂道、その周辺の水田、段々畑 ほとんど変わっていません。
 この歌を聴くとyokoさんのように当時の綺麗なお嫁さんを思い出します。

投稿: けん | 2017年12月 1日 (金) 15時58分

けん様
私も故郷に対する思いは強くうた物語のいたるところに駄文を投稿させていただきました。お見苦しいコメントもあったかと恥じております。

前コメントで”あれからもう40年”と記しましたのは誤りで50年でした。

私が小学校の時近所に嫁がれたお嫁さんはいつももんぺ姿で綺麗な可愛らしいかたでしたが、もう80才を超えてらっしゃるのですね。田舎に帰ってご挨拶したいなぁと思います。田舎には小学校のクラスメイトも数人いますし、定年退職してリターンし町内会の会長をしている者もいます。

実のところ私は田舎へほとんど帰っていません。お墓参りもしていません。子供がしゃべらないことや少し変わった言動をすること、子供の学校や勤めに関して村人から好奇な目を向けられるのが嫌で避けたかったのです。

子供の様態は30才前後からグングンとよくなっているように感じています。しゃべれるようになると、優しくてまじめな子であることがわかりました。今はこのことが本当に嬉しいです。
お金を蓄えて家族で温泉旅行をしたり私の故郷を訪ねてみたい、というのがこれからの楽しみです。

それにしても良い曲ですね~。うっとりと聞きほれてしまいます。

投稿: yoko | 2017年12月 2日 (土) 22時07分

yoko様

有難うございます。
優しくてまじめなお子様のご様態がグングン良くなられているご様子の内容を拝読し嬉しいです。
 私は故郷を離れ60年以上ですがそんなに帰っていません。親子4人が雨漏りを避けながら住んでいた家は数十年前に取り壊され、当時飲用にしていた近くの小川の水も農薬等で汚れています。現在は水道が引かれています。
 子供達の遊び場の小さな無人の神社は木に覆われ、その地域で一番広い小学校校庭は廃校になり今は一部が資材置き場になっています。木登りの上手い同級生が登って先生から叱られていたイチョウの木は残っています。秋には沢山、実をつけるそうです。日露戦争戦勝を記念した大きな記念碑も残っています。当時 近くに住んでいた親戚はほとんど街に引越しました。
 20数年前、墓参のため砂利道を歩いていると段々畑の上の方で草取りをしていた年配女性から声がかかりました。「こんにちは。がまだされますね。」〝有難うございます。どけ 行きなはっと?”「あっ おばさん。墓参りに。私 けんです。」”な~んな けんちゃん 太(ふと)なったねえ。たまがったたい。」そのおばさん80歳を超えていました。私は50歳位でしたが突然の「大きくなったね」の言葉に郷愁を感じました。
そのおばさんも花嫁衣裳をつてけお嫁にこられたかどうかはしりません。私は周りに迷惑をかけず一人で行動できるうちに故郷にまた帰ってみようと思っています。

投稿: けん | 2017年12月 3日 (日) 09時56分

けん様

故郷に帰られた時の様子、のどかな田舎の風景を思い浮かべながら読んでいました。けん様の故郷は熊本ですか?段々畑でのおばさんとの会話を読んでいてそう感じました。私の故郷はお隣の宮崎です。懐かしい方言が心地よかったです。
熊本は都会と田舎が程よく調和した私の大好きな県です。ぜひまた、故郷に足をお運びください。

雨降りお月さんは野口雨情の作品だったのですね。
しゃんぼだま、七つの子など美しい詩の中に何か寂しいような悲しいようなものを感じてしまうのですが・・・・・
でも、そこに惹かれてしまいます。
今でこそテレビやCDで様々な音楽が流れていますが私が子供のころは、ラジオが唯一の音楽に触れる機会で、耳に残った名曲を何度も口ずさみ、今なお心に残っていることが嬉しく思います。

投稿: MIKO | 2017年12月 3日 (日) 18時40分

今までこの歌を色々聞いた中で この演奏が一番好きです。

2番のメロデイーが又なんとも心地よく響いて 思わず調子に乗って歌っていたら、妻に”もっと上手に歌って!“と言われましたが ”無理です!“と答えました。

それにしても心が洗われるような いい歌ですね~。

投稿: あこがれ | 2017年12月 3日 (日) 21時06分

あこがれ さま
あこがれさまのおっしゃるとおり私も二木先生のこの演奏が大好きです。ゆったりとしたテンポの中にも歯切れのよいリズムに聞き惚れるばかり・・・まるで「雨降りお月」に誘われるように!
特にこの曲には懐かしい想い出があります。
私が47歳ころ、ある日の新聞で「ハーモニカ教室」の記事が目に留まり、1年半ほど週1回の練習に励みました。
入門当初にこの曲「雨降りお月」が課題曲となり、世界第5位のプロの先生の指導で、何とかクリアすることに・・・
1番と2番のメロデイーの違うところがこの曲の特徴でもありこの曲が好きになったのもそのことかも知れません。
それにしても、二木オーケストラの心を揺さぶる演奏には感服するばかりです!ありがとうございます!

投稿: 一章 | 2017年12月 4日 (月) 21時54分

MIKO 様

温かいコメント有難うございます。
熊本のお隣の宮崎県がMIKOさまの故郷ですか?
 宮崎県は 南国情緒豊かで天孫降臨の地とも言われ 美しく住みやすい県ですね。
食べ物も美味しく、焼酎も美味しい、何よりも宮崎の人達の心が温和で温かく、優しく、どなたにも親切にされる印象を持っています。
 私は宮崎県で2年半単身赴任をしました。10数年後 宮崎に旅行しバス停でバスを待っていると 宮崎で知り合った方と目が合いました。
「お帰りなさい。いつ 帰ってきゃはったと?」と言われ感激しました。

 また「なんとかなるさ」と楽観的で「よだき」な所もありますね。しかし火が付いたら郷土愛も強く、みんなと力を合わせて頑張られるので、高校野球、サッカーなど応援しています。

 40年ほど前、宮崎での結婚式は瞼に焼き付いています。綺麗な花嫁さんの手を持ち、父親が番傘をさして入場。父親は 反対側で待っている花婿さんに花嫁さんを引き渡す。ひえつき節の音楽が静かに流れ 式場は涙・涙・涙でした。「雨降りお月さん」の歌を思い出します。

投稿: けん | 2017年12月 5日 (火) 20時30分

この歌を何回か聞いているうちに考えたことは、お嫁に行くのは誰かということです。お月さんは雲の上なので該当しません。雨に濡れて行くのは雲の下の人ですから。結局雨に濡れながらでも行けるのはお狐さんではないでしょうか。この歌は狐の嫁入りをうたったのではないかと思います。2018.1.30.かわの

投稿: かわの ただかつ | 2018年1月30日 (火) 22時09分

お嫁に行くのはお月さんだろうと思えます。北原白秋の「お月さまいくつ」という随筆に、わらべ歌「お月さまいくつ。十三七つ。まだ年や若いな。あの子を産んで、この子を産んで、.....」の各地でのバリエーションが「お月さんぽつち。あなたはいくつ。十三七つ。そりやまだ若いに。紅鉄漿つけて、お嫁入りなされ。(伊勢)」「お月さま。お年はいくつ。十三七つ。お若いことや。お馬に乗つて、ジヤンコジヤンコとおいで。(尾張)」と紹介してあります。(「青空文庫」で読めます。もしかしたら雨情は白秋の随筆に刺激を得たのかもしれません。)雨情のこの歌には、他家に嫁ぐ女性への思いやり、嫁入りの時に雨の中をはるばるやってきたという、雨情自身の妻への思いやりが、あふれていると思えます。ですが、歌そのものとしては詩人の豊かな感性と童心で、月を女性に見立てたのだと思えます。

投稿: kazu | 2018年1月31日 (水) 23時31分

自分の考えを述べるのに精一杯でしたが、ただかつ様の 狐の嫁入り 素敵です。雨に濡れて行くのは雲の下、という現実的論理的なお話から突然狐の嫁入りに行くのは、まさに詩心です。

投稿: kazu | 2018年2月 1日 (木) 01時14分

「雨降りお月さん」成人になってからだんだんと魅力を感じてきた大好きな作品ですが、しかし雨情が書いたこの素晴らしい詩の中に、私は何故かどこか謎めいたものさえ感じていました!

それは、実際には誰がお嫁に行くのだろうということでした。私はそれが少しでも知りたくなり、いろいろと調べましたが、結局は最後まで事実には行き当たりませんでした。もちろんこの曲を聴く人たちに空想を抱かせることこそがこの作品の魅力の一つでもあるのかも知れません。
しかし諸説あるそんな中に、私があくまでもこうであって欲しいと思えるような解説がありました。

>その昔野口雨情夫人の婚礼の日はあいにくの雨だったそうです。
>多くの作詞家として、活躍していた雨情は、この曲を作るまでに二人の娘を亡くしています。長女みどりを生後8日で亡くしている。「シャボン玉きえた とばずにきえた 生まれてすぐにこわれてきえた」この推察話は有名で私も知っていました。

>雨情は次女恒子も「雨降りお月さん」を発表する直前に2才という若さで亡くしている。
>「雨降りお月さん」は人生を謳歌することもなく、亡くなってしまった、次女恒子への、せめてもの手向けに、父雨情が恒子が成人して、輿入れをする姿を想像して歌ったのではないか、とも推察されています。
>既に死んでしまった我が子に対し、親として連れ添ってあげることもできず、一人でお嫁に行くことが不憫でならないため、娘が寂しくならないように、せめて馬に鈴をつけ「シャラシャラ シャンシャン 鈴つけたお馬にゆられて濡れてゆく」のではないでしょうか。

年を経た今「雨降りお月さん」の詩を見るにつけ、私は諸説ある中でも、特に上記の解説に説得力を感じてしまいました。
この唄は、哀愁さえ感じさせるような中山晋平のメロディが、雨情の詩とともに心に沁み込んでくる素晴らしい作品だと思います。

投稿: 芳勝 | 2019年8月16日 (金) 01時22分

芳勝様の解説にジーンときました。その通り、哀しみが誘われる曲ですね。お世話になった懐かしい女性の方々が花嫁さんになって、シャラシャラ シャンシャン鈴つけたお馬にゆられて、お月様の中に消えて行かれたかのように思い浮かびました。

投稿: yoko | 2019年9月22日 (日) 23時36分

 またまた独りよがりな話です。
 皆様のコメントを楽しく拝読いたしました。「月の沙漠」といい、この「雨降りお月さん」といい考えれば考えるほど想像が膨らんできます。昔ながらのわらべ歌、童謡の中に不思議な文言があったりしますね。意味など解しないで、ただ歌っていていい歌だなと口ずさんでいても、ハタと歌詞の不思議さにゆき当たると、にわかに???となってしまいます。

 今回は2番の「急がにゃお馬よ 夜が明けよう」です。
昔の映画の中で、婚礼が宵の口から始まるものがありました。つまり花嫁が嫁ぎ先の家に到着するのが宵の口です。でも2番の「急がにゃお馬よ 夜が明けよう」です。まず嫁ぎ先は何処でしょう。

 雨降りお月さんが花嫁さん(ネットで検索)だったら、カラカサは雨の前ぶりの朧な月の周りにできるぼんやりとした光の輪です。そうすると急がないと夜が明けてしまいますね。(お馬はカットします。ご容赦を)

 地域によっては違うかもしれませんが、「狐の嫁入り」は天気雨と言っていました。
晴れて日差しがあるのに、雨がさらさらと光に輝きながら降ってくる雨を言っていました。黒澤明監督の『夢』という映画を見ました。その中で少年が森の中を行く狐の花嫁行列を見ます。伝説を映像化して幻想的で、私は「夢」の中で一番好きな場面でした。話が横道に逸れてしまいました。

 花嫁さんの歌はなぜか物哀しいものが多いような気がします。花嫁姿は美しく、生活感が全くありません。親元に居た年数よりも数十倍もの生活が嫁ぎ先で待っています。やっはり何処かしんみりした歌になってしまうのでしょうか。

 

投稿: konoha | 2019年9月23日 (月) 10時59分

雨降りおつきさん 童謡の田端典子さん 今どうしているかしら、童謡歌手の中で歌のうまさ一番 中学生の頃よく名古屋にきて、3回位聞きに行きました、 今でも聞きたいです

投稿: 福永くみ子 | 2020年6月13日 (土) 16時28分

まだ幼稚園の頃の小さかった頃、近所のおばさんが僕をしげしげと見つめて「あんたは女の子に生まれたら良かったのにねぇ」と言いました。僕は黙って聞き流していましたが、内心は、バカにするな!僕は男だ、と憤慨していました。

小学校6年生の時だったと思います。先生が”自分が男に生まれて良かったと思うか、女に生まれて良かったと思うか、その理由も併せて答えよ”というアンケート調査をされました。

僕はもちろん男に生まれて良かったと答えたのですがその理由が書けません。おそらく、クラスの男の子たちは、野球ができるから、とか相撲ができるから、と書くであろうことは、分かっていました。しかしポーツ嫌いの僕にそれは書けません。なにしろ駆けっこだって女の子よりは遅いんだから。

苦肉の策で、”立ちションができるから”と答えました。
当時は、道であろうが、畑であろうが、小川であろうが、電信柱であろうが、オシッコしたくなると所構わずしてました。今気が付いてみると最近は都会でも田舎でもそのようなこどをする子供はもはやいないようですね。

驚いたのは女の子の回答です。僕はおそらく女の子の半分くらいは男に生まれたかった、と答えるだろうと思っていたのです。ところがなんと女の子の全員が女に生まれて良かったと答えたのです。”え~!、そーな馬鹿な”と思いましたね。今から思うと学校での男の子のバカな振る舞いや家でのお父さんとお母さんの力関係を観察して、やはり女が良い、と思ったのかもしれませんね。しかしそのアンケートの回答にはやはり”お母さんになれるから”や”お嫁さんになれるから”が多かったように思い出します。

文金高島田のお嫁入り、いいですね。厳かで、厳粛で、喜びともの悲しさがあって・・・どのお嫁入にも人生の物語がありますね。

僕はマクドに良く行くのですが、マクドには若い女性が多いです。子供連れのお母さん、高校生、大学生など、それからマクドの店員のお嬢さん、皆幸せになって欲しいなぁと思いながら毎日マクドに入り浸っています。

投稿: yoko | 2020年10月27日 (火) 22時18分

昨夜スーパームーンの大きな月を見ました。今は月はクレーターばかりの殺風景な世界だと誰も考えますが、近年までは、「お月さん」と慕わしい人のように呼ばれ、天空の不思議なものだったと思います。四十億年の昔は月はもっと地球に近く、生命の誕生にも生命現象にも影響を与えたかもしれず、女性の周期と月の周期がほぼ同じであることも(一説に過ぎませんが)その影響かもしれないですし、北原白秋の文章「お月さまいくつ」を読むと、昔はこの歌のように月を女性だと見ることが多かったかと思われます。今でも宇宙は神秘に満ちていますから、宇宙への入り口のように天空にかかる月は、今も決して神秘を失わず、この歌のようなさまざまな思いを誘うものであると、スーパームーンを見て思いました。

投稿: kazu | 2022年7月15日 (金) 08時53分

先日熱海の梅園に行って参りました。白梅・紅梅・蝋梅などの品種が次々と咲くのを楽しめる有名な庭園です。この庭園の中に中山晋平の邸宅が移築されていて、観覧することが出来ます。
この邸宅の2階の部屋では、『雨降りお月さん』を子供たちが合唱するビデオが流されていました。しかし、歌詞を聴いているうちに、何故お嫁に行く時に、独りで傘(からかさ)さして行くのか、気になりました。
調べると、作詞の野口雨情が二人の娘を幼くして亡くしていること、そして、雨情が『しゃぼん玉』で、亡くした娘を詠っているのではないかとされていることを知りました。そして、『雨降りお月さん』では、生きていれば嫁に行ったであろう娘を思って歌詞を書いたのではないかと言われていることを知りました(https://entame-lab.com/amehuri-otsukisan/)
それならば、祝いの旅立ちには寂し過ぎる、夜の独りの嫁入りの姿も納得が行きます。
『波浮の港』、『赤い靴』などもそうですが、雨情の歌詞には実は想像の世界で書かれたのではないかと思われる歌詞があります。『雨降りお月さん』などはその典型でしょう。

投稿: Yoshi | 2023年2月12日 (日) 20時32分

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