(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
作詞Fermand Bonifay&Mario Bua、作曲:Sidney Bechet、
日本語詞:音羽たかし、唄:ザ・ピーナッツ
プティット・フルール 可愛い花 その花のように いつも愛らしい プティット・フルール おまえのその 花びらのような 赤い唇 黒い瞳が 男ごころを なぜかまよわせる プティット・フルール 天使のように 可愛いこの世の花よ 小鳩のような その胸に いつか恋も芽生えて プティット・フルール その名のように 可愛いこの世の花よ
小鳩のような その胸に いつか恋も芽生えて プティット・フルール その名のように 可愛いこの世の花よ プティット・フルール プティット・フルール プティット・フルール
Petite Fleur
J'ai caché Mieux que partout ailleurs Au grand jardin de mon coeur Une petite fleur Cette fleur Plus jolie qu'un bouquet Elle garde en secret Tous mes rêves d'enfant L'amour de mes parents Et tous ces clairs matins Fait d'heureux souvenirs lointains
Quand la vie Par moments me trahi Tu restes mon bonheur Petite fleur
Sur mes vingt ans Je m'arrête un moment Pour respirer Le parfum que j'ai tant aimé
Dans mon coeur Tu fleuriras toujours Au grand jardin d'amour Petite fleur
Quand la vie Par moments me trahi Tu restes mon bonheur Petite fleur
Sur mes vingt ans Je m'arrête un moment Pour respirer Le parfum que j'ai tant aimé
Dans mon coeur Tu fleuriras toujours Au grand jardin d'amour Petite fleur |
《蛇足》 シドニー・ベシェは1897年5月14日、アメリカ・ニューオルリーンズ生まれ。
若いときから楽器演奏に高い才能を発揮し、どんな楽器でもたちまちマスターしたと伝えられています。
コルネット奏者として出発したのち、クラリネットをメインの楽器とし、中年になってからは、おもにソプラノサックスで演奏しました。ジャズ史上最高のソプラノサクソニストとして記憶されています。
また、作曲にも才能を発揮し、数多くのジャズやポップスの名曲を遺しています。
一か所にじっとしていられないたちだったようで、20歳でニューオルリーンズを出たあと、シカゴ、ニューヨークやヨーロッパ各地を転々とし、1950年からはフランスを中心に活動するようになりました。
1951年にフランスのアンティーブで若いエリザベス・ズィーグラーと結婚、その翌年、若妻の誕生日を記念して作ったのがこの曲です。
1952年にインストゥルメンタル曲としてコード化され、さらに1959年に別のアレンジによるレコードが発売されると、まずヨーロッパで大評判になり、続いてアメリカでも大ヒットしました。
歌詞は1959年にフェルマン・ボニフェ(Fermand Bonifay)とマリオ・ビュア(Mario Bua)によって作られました。
ベシェは1959年、奇しくも誕生日と同じ日にパリで亡くなりました。享年63歳。
日本では、昭和34年(1959)伊藤エミ・ユミの双子姉妹が日活映画『可愛い花』の主題歌として歌いました。
映画は、エミとユミが紆余曲折の末、「ザ・ピーナッツ」という芸名で歌手としてデビューするまでの物語。この映画が2人のデビュー作で、続けて松竹、東宝、大映の作品に出演しました。
(二木紘三)
コメント
二木さま
メールは2どめです。
ネット上ではいろんな音楽サイトがありますが 好み、生まれ育った時代背景、その他からこのサイトが一番です。
毎日一人で絵を描いていますが BGMにピッタリです。
メロディにあわせ幼きころや 東京での辛い時期や楽しかったことが走馬灯のように思いだされます。
ただ聞き流すだけでなく二木さんの コメントを読んで 曲のもつ背景をそうぞうしながら聞くので余計心に響きます。
余談ですが 昨年7月3回目ですが信州を旅しました。
北国街道や中仙道の宿場町 別所温泉 白馬
や安曇野風景 ほんとに何度行ってもよさを
痛感します。
今年もよろしくお願いします。
お礼まで
斉藤
投稿: 斉藤義雄 | 2007年1月12日 (金) 15時42分
おはようございます。
ザ・ピ-ナツメドレ-はお洒落で雰囲気があって。。。良いですねぇ。
蛇足で作曲家の方の事が書いてあり。。。。楽しく読ませて頂きました。
やむにやまれぬ性格のために。。。。!人生が花開いたり流転を繰り返す事も人間は厭わないものなんですねぇ?
投稿: sunday | 2008年5月 5日 (月) 07時02分
高校3年生の時の事です。
満員の列車に揺られて、北九州から東京、そして横浜へ、ある会社の就職試験に出てきて、やっと泊まる宿を探し、落ち着いたところで、ブラ~と散歩に出かけました。駅前の楽器店へ赴き、当時大流行していたザ・ピ-ナッツの「可愛い花」のレコ-ド(ド-ナッツ盤)をかけてもらいました。裏面は「南京豆売り」・・・・
当時は新品のレコ-ドでも惜しげもなくかけてくれましたので、何度となくリクエストをして、結局買って帰ることにしました。
それを切欠に、ピ-ナッツのレコ-ドの新曲の発売を待ちわびて買うようになり、かなり買い込みました。
現在ではCDで時折聴いております。懐かしい青春の1ペ-ジを飾った曲です。
投稿: Hikoさん | 2008年7月30日 (水) 17時58分
イージー・リスニングのクラリネット奏者として、アッカー・ビルクと人気を二分しているピート・ファウンテンのCD『CRARINET MOOD』がネットで届きました。
その1番は「Petite Fleur(小さな花)」で、昔S.ベシェやピーナッツ・ハッコーのクラに酔い、そして“ザ・ヒットパレード”等の音楽番組では、ザ・ピーナッツの明るく華やかなオープニングでのこの歌が目と耳に焼きついております。
ザ・ピーナッツの『BEST・ALBUM』には、1:「The Peanuts Vendor(南京豆売り)」、2:「Petite Fleur」で、21の山上路夫作詞・沢田研二作曲「東京の女(ひと)」は全く聴いたことがなく、しかし22の「大阪の女(ひと)」は4番は忘れましたが1・2・3番を覚えているのは大阪に住んでいるからでしょうか?
それにしてもお二人はそこそこのお歳で貫禄のある“東京のおばちゃん”になられているのでしょうね・・・。
投稿: 尾谷光紀 | 2011年7月31日 (日) 22時33分
「東京の女」 は記憶にないのでYouTubeで聴いて来ました。
「大阪の女」は歌詞付きでありましたよ。
三浦洸一さんの歌にも「東京の人」「大阪の人」がありますね。
2曲ともYouTubeで聴けます。
投稿: なち | 2011年8月 1日 (月) 04時48分
今日三回「可愛い花」を聴き、あらためて仁木先生の蛇足にある若妻の誕生日の記念に作ったS.ベシェの思いと、自分のその昔のその時の段差に愕然と、しかし気を取り直して彼より長く生きていて“勝た!”と・・・。
今年も7/2に老人ホーム3ヵ所での『七夕コンサート』へ18名で歌いに行きましたが、ザ・ピーナッのオリジナルの事前のリクエスト曲は、岩谷時子作詞・宮川泰作曲の「恋のバカンス」だけでした。クリスマスでは「心の窓にともし灯を(横井弘・中田喜直)」のリクエストが何時もあります。
なちさん!三浦洸一さんの「東京の人」はカラオケで時々歌いますが、「大阪の人」は殆ど知りません。
逆にT・Pの「東京の女」は全く知らないのは・・・歌好きの自分のささやかなミステリー・・・。
<歌>は楽しく嬉しいもんですね!
投稿: 尾谷光紀 | 2011年8月 1日 (月) 23時27分
「可愛い花」がヒットしたころ、この歌はベートーヴェンの「エリーゼのために」を下敷きに作曲されたという話をきいて、ずっと信じていました。でも≪蛇足≫には触れられていませんので、単なるお話だったんですね。
投稿: 林 一成 | 2011年8月 2日 (火) 09時43分
林さまへ
〔可愛い花〕と〔情熱の花〕はどちらも近い年代にザ・ピーナッツが歌ってヒットしました。
題名に〔花〕がついているので紛らわしいのですが〔エリーゼのために〕が下敷きになったのは〔情熱の花〕のほうですね^^
当時私も花?の19歳。ダンスレッスン場で足慣らしに最初にかかる曲はきまって〔可愛い花〕でした。とても懐かしい思い出の曲です。
投稿: おキヨ | 2011年8月 2日 (火) 12時01分
おキヨさま
そうでしたねぇ。 おキヨさま のご指摘で思い出しました。たしか「ラーラ ララララ ラー」ではじまる歌でしたねぇ。ほんとに懐かしい・・・。でもこれでスッキリしました。ありがとうございました。
投稿: 林 一成 | 2011年8月 2日 (火) 17時25分
11/5:恒例のよみうり文化ホールに於いて大阪エイジクラブ主催の『北村英治Jazz Concert』へ行きました。
二人の英治のひとりの谷口英治氏が初めて「可愛い花」をあちこちにフェークも入れてのソロで、S.ベシェやP.ハッコーやP.ファウンティンとはやや異なりJazzスタイルをもチラつかせて酔わせてくれました。
北村氏の穏やかな薀蓄に加え二木先生の蛇足を思い出して、このジャンルのこの曲の品格と言えば少しオーバーかもしれませんが発見し、自分にとってはクラリネットの名曲であると思い至りました。
この曲の他のプレヤーのCDが有れば教えて下さい。
投稿: 尾谷光紀 | 2011年11月 9日 (水) 22時24分
せつないメロディーですね。
ダンスパーティーで、この曲がかかっていた記憶があります。キューバン=ルンバで華麗に踊るカップルもいましたが、私は初心者向けのボックス=ルンバ。この歌のように、花のように可愛い女子大生とダンスパーティーで知り合ったこともありましたが、すぐに振られました。
投稿: Yoshi | 2015年5月 6日 (水) 18時32分
60年代のポップス 全盛時代 新宿ACBの懐かしい記事がありました。
若かりし頃のザ・ピーナッツ を偲んで、可愛い花を聞いてください。
http://peanutsfan.net/ACB5870.html
投稿: あこがれ | 2019年9月29日 (日) 22時50分
ザ・ピーナッツは二人そっくりで、歌も踊りも上手で、クレージーキャッツとのコントも楽しかったです。国民から愛された、昭和の歴史に咲いた二つの可愛い花でした。
投稿: kazu | 2022年11月25日 (金) 09時27分
“プティット・フルール″で始まるこの曲は清らかなザピーナツならではの曲でした。哀愁のこもったいい曲だと思います。双子ならではの、彼女らのハーモニーを凌駕するデュエット歌手は今日に至るまでいませんね。
投稿: 吟二 | 2022年11月25日 (金) 19時18分
「可愛い花」ザ・ピーナッツのデビユー曲でもあるこの曲はラジオで聴いていた記憶があります。でも当時6歳のころの私の記憶の中にとても強く残っている曲は、次にヒットしていた「情熱の花」で、私はこの曲が好きで当時幼いながらもよく口遊んでいた憶えがあります!
実は、私がザ・ピーナッツの顔や容姿を初めて知ったのは、小学一年生の時で、昭和36年当時学校行事の一環でもあった学童映画鑑賞で東宝映画『モスラ』を鑑賞した時でした。その映画でザ・ピーナッツの姿を初めて眼にした時の第一印象は、双子とは云え二人はあまりにも似ていて、どちらがどちらなのかわからずビックリしたことを憶えています。
私は成人になってからもザ・ピーナッツの歌唱力抜群のその歌声が堪らなく好きで、一時は彼女たちの一連のヒット曲を好んで聴いていた時期もありました。その中でも特に「ウナ・セラ・ディ東京」この曲が大好きで、私は今でも時々YouTube視聴するほどです。
そう云えば今想い出すのは、ザ・ピーナッツが双子姉妹ということもあってか、昭和35年当時には演歌双子姉妹のこまどり姉妹との関連記事が、何かにつけ月間雑誌の平凡や明星によく載っていたという記憶があります。
「可愛い花」この曲を初めて聴いた6歳のころには、この曲の良さの何たるかはまったく理解不能でしたが、68歳になった今では、ここで二木先生の名演奏をじっくり聴きながら、この曲の魅力を心から堪能している自分がいることに気づかされます。
投稿: 芳勝 | 2022年11月25日 (金) 23時35分