アメリカ橋
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
1 風が足もとを 通りすぎてゆく 2 君は変わらない 月日は過ぎても アメリカ橋のたもと |
《蛇足》 平成10年(1998)2月発売。歌っているのは演歌歌手の山川豊ですが、メロディも歌詞もフォークかニューミュージックに類する曲だといっていいと思います。
60年代までのフォークは、その多くがマイナーレーベルの扱いで、概して素朴な味わいが魅力でした。その人気に着目したメジャーレーベルが、70年代の半ば頃から積極的にフォークを扱うようになり、それとともに洗練された曲調の作品が多くなってきました。
そうしたフォークまたはフォーク調の曲がニューミュージックと呼ばれます。
兄弟デュオの狩人が同タイトルのフォークを歌っています。こちらも、過ぎ去った青春を感じさせる、きれいな曲です。
アメリカ橋は、東京・山手線の恵比寿駅と目黒駅の間にある跨線橋(こせんきょう)の通称で、正式名は恵比寿南橋です。
明治39年(1906年)、鉄道院(鉄道省→国鉄→JR)が、アメリカで開催された万国博覧会の展示品であった橋を買い取ってここに架設したことから、アメリカ橋と呼ばれるようになりました。
恵比寿ガーデンプレイス側に「アメリカ橋公園」という細長い公園があります。
この歌を『ルビーの指環』から数年後の出来事と考えると、1つの物語が紡ぎ出されそうです。
こんなふうに、別れたひとと偶然再会し、少し話してから淡々と別れることを夢見た人は、けっこういるかもしれませんね。たいていは、果たされることなく終わる夢ですが。
2番の「眼をそらす眼をそらすガラスのむこう」は、2人の仲が元に戻るには時間が経ちすぎたとお互いに感じていることを暗示しています。この束の間の再会は、結果として、それを確認するためだけの邂逅(めぐりあい)だったかもしれません。
『ルビーの指環』で、コートの襟を合わせて去っていく彼女を見送った私は、奇しくも別れたときと同じ季節に再会したあと、さりげなくコートの襟を立てて去ってゆくのです。
温暖化の影響なのか、ファッションの変化なのかはわかりませんが、人びとがあまりロングコートを着なくなった昨今、コートにまつわるこのイメージは、もうあまり理解されないかもしれません。
(二木紘三)
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コメント
ただいま感動しました。これからも頑張って
下さい。長生きしますように。
投稿: 堀池勇気 | 2006年12月19日 (火) 18時29分
はじめまして。ブログははじめてです。山口洋子さんのザ・ラスト・ワルツを読み、あまり好きでなかった山口さんが一気に身近になった気がしました。このアメリカ橋の歌詞は大学時代を呼び起こしてくれます。ちょうど高橋治の風の盆恋歌を読んだ時と同じ気持ちになります。若かった自分ををちょっと恨んだりして。このアメリカ橋、山川豊さんが悪いとは言わないけれど、だれか違う人がカバーしてくれないかな、と思います。できたらユーミンの声で聞いて見たいですね。
投稿: 斉藤 博 | 2007年8月 9日 (木) 22時35分
この歌は妻が毎日観ていたTVドラマの主題歌でした。その妻も3年の闘病の末、今春、永眠しました。素敵な演奏ありがとうございます。その妻に聴かせるため、ブックマークさせていただきました。
ブックマーク先は、
http://blog.goo.ne.jp/foo-0214
ご迷惑でしたら、削除しますので。
投稿: トシ1210 | 2007年8月23日 (木) 15時33分
曲もいいのですが、歌詞が切々と青春時代のあったことを思い出させます。好きになったあの人と、好きになってはいけないと思ったよく似た人と。遠く離れていたのに、あり得ない偶然からそのよく似た人に出会いました。当時から30年以上が経ったのに変わらない目と姿は、歌詞のように少し短く髪を切ったからなのでしょうか。出会って一瞬のうちに当時のことが浮かび上がってきて引き寄せられるようでした。好きになってはいけないと思い込んでいたことを伝えたかったけれど、話ができませんでしたね。幸せそうだったのが暖かい思い出として残っています。
投稿: 静御前堂 | 2008年2月10日 (日) 11時12分
この歌も良いですが、狩人のアメリカ橋もまた名曲だと思います。この歌は熟した青春。狩人はそうなる前の青春。人に
よって見方が逆転するかも知れませんが。
投稿: M.U | 2008年6月15日 (日) 14時10分
雰囲気のある良い曲ですね。
山川さんの歌が入ると山川さんを
抜きにイメ-ジを膨らますと言う事が
出来ないので
このように曲だけになってみると
良さが際立つ時がありますねぇ。。。
恋多き山口さんの恋心が歌詞になっていると
思ってもよいのでしょうか?
投稿: sunday | 2008年6月17日 (火) 06時36分
久しぶりに「アメリカ橋」を聞きました。私がアメリカ橋を渡ったのはもう40年以上も前のことです。当時、恵比寿には進駐軍の基地があり(現在は自衛隊技術研究所)、恵比寿駅周辺にはアメリカ兵がいつも闊歩していました。数日前、何年かぶりにアメリカ橋を渡ったのですが、40年前はもっともっと狭い橋だったように記憶しています。メロディを耳にする時、頭に浮かべるのは架け替えるまえの跨線橋です。
投稿: クロちゃん | 2008年7月 4日 (金) 21時42分
解説やコメントを読む前は、メロディーも詞もつまらない歌だと思っていました。
街角部屋に入るには入ったのでしょうね。でも片や髪を短くし、片やあんなに好きだったタバコを吸おうともしない。結局、手を握ることもなく別れていく。
ひょっとすると、人を愛する情熱を取り戻せるかもしれないという淡い期待をもっった意図的な邂逅であったのかもしれません。
投稿: 周坊 | 2008年7月 5日 (土) 17時46分
図書館で借りたCDに、この『アメリカ橋』が入っていました。私が最初に聞いたのは『石狩挽歌』を歌っている北原ミレイさんの歌でしたが、気に入っていろいろ調べると山川豊さんの曲と分かりました。
初めて聞いた時、短編小説を読んだ後の物語を想像する感覚で、バラード風?の歌い方の魅力にトリコとなってしまいました。以前投稿された斉藤博さん、ユーミンではありませんが是非聞いてみてください。CDは『北原ミレイ スペシャルコレクション』です。私は、高橋真梨子さんの歌で聞いてみたいと思っています。
投稿: IQ | 2008年11月17日 (月) 15時09分
IQさんありがとうございます。なるほど北原ミレイさんですか。余裕のある歌い方の人だから、きっといい解釈の歌い方をするのでしょう。図書館やレンタル店を探してみましたが、残念ながら見つかりません。ネットでも扱いをしていませんでした。若い人向けの消えゆく歌はあふれているのですが。何とか聞いてみたいと心しています。高橋真梨子、なるほどです。白鳥恵美子さんや山本純子さんも別の切り口で歌ってくれそうです。
投稿: サイトウ | 2010年3月 1日 (月) 22時52分
「先生の解説が綺麗で見事。こんな恋には無縁な初老の爺やですが、何となく心浮き浮きになります。アメリカ橋と言うタイトルと素晴らしい詞、青春を返して下さい神様。」
投稿: 海道 | 2012年10月 7日 (日) 11時46分
60歳も過ぎたある日スナックで他の人が歌って居るのを聞きはまってしまいました。ある時期あんたはこれしか知らないのかと言われた位アメリカ橋ばかり歌っていました。
メロディよし、歌詞よし、リズミカルで且つ極端な高音、低音もない非常に歌いやすい最高の曲です。末期高齢者になった今もカラオケスナックでよく歌います。帰らない青春を偲んで。
投稿: オイロッパスキー | 2012年10月18日 (木) 22時07分
再会の場所は、長い長い動く歩道を降りたあたりでしょうか、それとも石畳の坂道を登りきったアメリカ橋公園の入口あたりでしょうか。恵比寿駅を中心に線対称の位置あたりには、書道の文房四宝を商う老舗がひっそりと佇んでいると云った新旧の混在したのが恵比寿の街。無機質な鉄骨の橋のたもとでの今様の再会と別れを唄うには、少し軽快に、所どころスタッカートを織り交ぜるのが適当なように思えます。七十年ほど前の「十三夜」の調子ではいけませんね。
投稿: 槃特の呟き | 2012年11月15日 (木) 23時33分
「アメリカ橋」と「思案橋ブルース」(東京と田舎)
地方で育った私には、アメリカ橋が何のことか、二木先生の解説を読むまでさっぱりわかりませんでした。読んだ後も特に感慨もありません。東京に土地カンのない田舎者は蚊帳の外ですね。愚弄されたような気すらします。(笑)。
思うに、レコード会社の連中が東京周辺在住者、もしくは東京在住経験者をターゲットにしてレコード売り上げの採算が取れると読んだのでしょう。私の場合、「アメリカ橋」と聞いた時点で、興味がおこらず、歌詞のすべてはスルーしました。
一方「思案橋ブルース」は歌詞の終わりはいつも「ああ、長崎いぃ~思案橋ブルース」で〆ています。「この橋は長崎にありますよ、全国の皆さん」と説明しています。(こんな説明は作詞者としては悲しいでしょう) 橋の認知者の総人数とレコードの採算ペースはおおいに関係ありますから、地方側は説明に力を入れます。
平安の昔、都が京都にあった頃から深草、伏見、あるいは嵯峨野、清滝など和歌によみました。実際にいってみたら、すぐそこの至近距離。局地的なあまりに局地的な、日本の箱庭文化ぶりにうんざりしましたが、歌謡曲もまた同じことですね。一方、ご当地ソングという言い方も東京の音楽関係者の傲慢さを感じます。もし、それが通るなら、銀座、赤坂、上野、そしてアメリカ橋、ご町内ソングとよばせてもらいたい。
投稿: 紅孔雀 | 2012年11月18日 (日) 14時20分
紅孔雀さん、お名前から中村錦之助や東千代助を思い出しました。笛吹童子の主演は忘れましたが。
現在東京人のおおかたの曽々から曽祖父は地方の人です。徳川の引っ越しで明治初年落ち込み60万に満たなかったようです。それ以降、首都で増加、倍増に倍増を重ねこんにちの千三百万余になった。この水膨れは地方人ド田舎人の集積。移民寄せ集めUSに似ています。
それ故に、主催ふたつぎさんを始め、こちらの賢人諸氏が故郷を偲ばれる。東京の音楽関係者の放漫さがあるならば、それはド田舎人心情のDNA的発露…と思んですよ。
歌手の大多数は故郷を出て東京人になっています。平安期の6倍程度の人口・京都のおひと曰く;東京は綺麗な歌手がおそろいで賑やかなミヤコでよろしおすな~。
私は千駄ヶ谷や目白に住まい、恵比寿や目黒は行ったこともなく全く知りませんでした。和やかなフォーク調メロディーを聞き、チョット残念な気分が致します。
投稿: TangoMinato | 2012年11月19日 (月) 05時01分
TangoMinato様
笛吹童子は主役萩丸、菊丸それぞれ東千代之助、中村錦之助でしたね。あの頃、伏見扇太郎という役者がいました。売れなくなって廃業して、ラーメンの屋台を引いたりして、とうとう高知県で刃傷沙汰で逮捕されたりもして、今は生死不明です。(一説には1991年死去。自殺説もあり)私はあの役者が好きで、HNも彼が主役だった「風雲黒潮丸」にしようかと思ったほどです。結核に悩まされたことや幸せではなかった人生の晩年も、なんとなくビビアン リーに似ていて銀幕のスターらしいですね。
東京はおっしゃる通り田舎者の集まるところ。司馬遼太郎のいう田舎者が活躍するための桟敷を貸すところですね。しかし都であるというだけで一種のオーラが出ていますね。
例えば
東京流れ者
東京ブルース
東京だよおっ母さん (歌になりますね)。
これを地方におきかえると
埼玉流れ者 あるいは 山形流れ者
徳島ブルース あるいは 三重ブルース
米子だよおっ母さん あるいは 久留米だよおっ母さん
うまくいきませんね。しかし遷都計画が実現したとたんに東京はダサい街になるでしょうね。
投稿: 紅孔雀 | 2012年11月19日 (月) 22時10分
紅孔雀 様
11月18日付投稿拝読しました。田舎者といじけておいでのようですが、その必要はありません。わたしも都内や近郊に長年住んでいますが、「アメリカ橋」については知りませんでした。おそらく現在でも、『アメリカ橋』の歌をご存じの方以外は、東京人にも、あまり知られていないのではないでしょうか。わたしが、この橋の所在とその来歴を知ったのは、この歌の約20年前にリリースされた、狩人の、やはり『アメリカ橋』(作詞奥山侊伸 作曲信楽順三)という歌からです。その出だしは、「アメリカ橋」の所在と特徴をしっかり詠み込んでいます。
アメリカ橋って知ってますか
目黒と恵比寿の間にある
下を山手線轟轟走る
鉄でできた青い橋
そして、上記の歌(狩人がカバーする前の、湖東美歌版も入れると、かなりのヒットになっています)を下敷きにして、この歌(作詞山口洋子 作曲平尾昌晃)がつくられたように思います。
この橋が架けられた当時は、東京の名所として有名だったのでしょうが、その後は鉄製の架橋が普通になったので、その界隈以外の人には知られなくなったのでしょう。
忘れ去られた歴史的文化財が、ヒット曲によって、また日の目を見るのは悪いことではありませんが、現在の橋は当時のものではありません。正式には、恵比寿南橋というようです。
わたしは、この歌もいいと思いますが、狩人版の方が好きです。さらに言えば、湖東美歌版がもっと好きです。別れた人(多分男性でしょう)の面影を山手線の最終電車にダブらせる歌詞は、秋という季節感とともに、歌う人のこころに哀しく迫ってきます。一度YouTubeなどでご視聴ください。
投稿: ひろし | 2012年11月20日 (火) 11時46分
ひろし様
ご親切なコメントをありがとうございました。私は湖東美歌、狩人の歌った古い『アメリカ橋』を全く知らなかったので、今日じっくり聞いてみました。
その結果、古い『アメリカ橋』(狩人版)のほうが、断然良いと思いました。川にかかる橋を歌った歌は数ありますが、跨線橋を歌ったのは知りません。作詞者のオリジナリティーをそこに感じます。
山口洋子、平尾昌晃はベテランですからアメリカ橋を使って、二匹目のどじょうをうまく手に入れたという感じです。昔の恋人が再会し、クールにまた別れていくからこの無機質な跨線橋は小道具にふさわしいのでしょうが、とくにアメリカ橋である必然性も感じません。しょせんは、古い『アメリカ橋』が作りあげたイメージのパクリではないでしょうか。ひろし様も「前の歌を下敷きにしてつくられたのではないか」と類推しておられるように、私も山口洋子の『アメリカ橋』は古い『アメリカ橋』の恩恵を 十分すぎるほど受けていると思います。
東京は広いから案内人がいるといわれますが、アメリカ橋の良き案内人のひろし様を得て、田舎者の私はたいへん助かりました。重ねて感謝申しあげます。
投稿: 紅孔雀 | 2012年11月20日 (火) 22時29分
紅孔雀 様
過分なおことばをいただき、面映い感じです。少しお役に立ったようで、わたしもうれしいです。
狩人版の『アメリカ橋』を気に入っていただき、わが意を得た気分です。原曲の湖東美歌版と若干歌詞や歌唱の仕方が異なっています。歌唱力では、狩人が数段上手いと思いますが、湖東の素人っぽい歌い方に味があって、わたしはこちらの方が気に入っています。
歌詞やメロディを比較すれば、この『アメリカ橋』の方が優れているのでしょうが、先発の『アメリカ橋』はフォークの本道である素人ぽさが、逆に若い二人の、未熟な恋を印象づけているように思われます。メロディもきれいです。人それぞれ好き嫌いはありますが、わたしが先発組をおすすめする理由です。
投稿: ひろし | 2012年11月21日 (水) 13時16分
昔のアメリカ橋は鉄のトラス構造でした。色は深緑(狩人では青い橋と表現されてます)に塗られてました。(狭い片側1車線)
恵比寿方面の下り坂が石のブロック(都電の側道で使われたとの同様の)で凸凹に全面敷き詰められていました。そして当時ではめずらしくきちっと歩道とアオギリの街路樹が整備された趣きのある道となってました。(歌では石畳となってます)
そんな風景を思い浮かべるとこの歌の味わいがもっと深まります。
投稿: 井上晶子 | 2013年12月11日 (水) 05時15分
明治39年にさかのぼる命名の橋… 蛇足から教えていただき、あらためて、日露戦争の勝ち戦と関わる何かが背後にあるかも…と思ったりします。
アメリカ(USA)には、欧州の地名のなぞりが万とありますね。我が村名もテキサスの北にあり、お返しに我が村の小高い丘のうねる区域をクライン・アメリカと呼んでいます。
どれほどの来歴があるのか?不明ながらAmericaの綴りを含む場所は何十何百と欧州にあるような気がします。彼等の身内が十七世紀以来アメリカに移住、アメリカ開拓者である従兄弟姉妹や叔父叔母を忍んで故郷の欧州にアメリカ名を付けたんですね。
航海時代のAmerigo Vespucci(アメリゴ・ベスプッチ)が良く知られるように語彙アメリカの語源。イタリアの新大陸発見冒険者ですから、カポネと共にイタリアのアメリカへの貢献度は大きいと感心します。
歌の題名から、あれこれ想像できるのも、綺麗なメロディーと共にこちらサイトの楽しみ。ところでAmerigoの語源はさて?
投稿: minatoya | 2013年12月13日 (金) 09時51分
移設されて約110年経ってますので、架け替えられたのかなと思ってググって見ると、昭和45年に改築されたとのこと、でもどの程度元は残っているのかな
パナマ運河に本家「Bridge of the Americas」があるとのことですが、昭和37年竣工ですから、通称名での歴史から言えば、こっちが本家のような。
投稿: mesato | 2014年3月16日 (日) 17時35分
生まれも育ちも恵比寿です。進駐軍の基地があり、アメリカ兵相手の首にナイロン(?)のスカーフを巻いて真っ赤な口紅を塗っていた女の人が沢山いましたね。そして子供たちはアメリカ兵のジープに向かって”Give me chocolate!"と言うとアメリカ兵は胸のポケットからチョコ、ガムなどを出して投げてくれたものです。その当時はアメリカ橋とは言われていませんでしたね。。呼ばれていた名前は忘れてしまいましたが南橋とも言われていませんね。。。ご記憶の方お出でですか?
投稿: sakura | 2015年8月23日 (日) 12時03分
この歌はもちろん知っていました。確か、むかし最初に聞いた時、歌と歌手がそぐわないような気がしました。山川豊の1981年発売のデビュー曲「函館本線」が好きで、演歌歌手のイメージが強かったからです。少し舌っ足らずな声もちょっと気になりました。
でも去年、ふとこの歌はいいなと感じました。昔は演歌ばかり唄っていましたが、近年はリズム歌謡が多くなっていたせいかもしれません。それからこの歌にはまってしまい、山川豊の歌い方もいいなと思うようになりました。一年間飽きずにカラオケで歌っています。さすがに最近は回数が減りましたが。
平尾昌晃のメロディは演歌の作曲家と少し違いますね。皆どこか新鮮な抒情感があります。やはりジャズ、ロカビリー出身だからだと思います。彼の父は大手化粧品会社の社長で、彼以外の4人の兄弟はみな楽器をたしなんでおり、伯父さんは国立音大の教授で作曲家としても活躍という音楽環境に恵まれています。彼が小学校3年生の時に、家に遊びに来ていたある米軍将校からジャズのLPをもらい、それに衝撃を受け、11歳の時のど自慢に出て英語で「奥様お手をどうぞ」を唄い鐘三つを貰う。それからジャズにのめり込み。慶応高校中退してウェスタンバンドに入るなどして、その後ロカビリーの寵児になります。そんな経歴なので、彼の曲には従来の演歌にないジャズっぽいフィーリングがあるのでしょうね。
投稿: 吟二 | 2018年7月16日 (月) 09時29分
「山川豊」氏をはじめて見たのは、彼が地方回りで当地の音楽専門店の前で踏み台を出して歌っていたのが30数年前ではなかったかと思います。まだその頃はお兄さんの鳥羽一郎の方が有名でした。その後テレビで見ると「あのときの人だ」と家族で言います。「山川」氏がアメリカ橋を歌ったのはその後だったと思います。
投稿: 今でも青春 | 2018年7月16日 (月) 17時48分
この歌をうたう最高の歌い手が現れました。堀優衣さんです。You Tubeでぜひ聴いてみてください。
投稿: wrg | 2019年2月11日 (月) 08時38分
コロナが広がった米国にいまして憂鬱で歌をいろいろ聴いております。知らなかったこの「アメリカ橋」の曲を聴かせていただきました。二人で暮らした角部屋の灯りが切ないです。ひろし様お勧めのもう一つの「アメリカ橋」も聴きました。お薦めの湖東美歌さんのきれいな声の「二人で暮らすことにやっと慣れたのは気圧配置も秋 いわし雲が窓に見えてた」が切なくて胸に来ました。そちらの歌は 1976 年だそうで、そういう切ない歌がその頃他にもあったことも知りましたが、女性とはご縁のない青春だったせいもあるのか、そういう歌詞が記憶にありません。年をとって青春が「はるかはるか」になってから歌の切なさがわかるようになったように思います。
投稿: kazu | 2020年4月26日 (日) 19時35分
今日、カラオケ店で一人で約5時間歌いました。シルバー割引きでフリータイムでしたが、コロナ前と比べて200円ほど高くなっていました。納得せざるを得ません。だって、そこら中に除菌スプレーは置いてあるし、従業員は、お客さんが来る前と帰った後、部屋の机、ドアノブ、マイクを除菌します。そして、使い捨てビニール手袋は無料で置いてあるし、マイクカバーも2個200円で置いてあるし、お客さんは激減してるからできる限りのあらゆる感染防止対策をやっているのです。また客である私も、上記すべての除菌を部屋に置いてある除菌スプレーで消毒します。孫たちが来るわが家に居るより、よっぽど清潔なのです。
カラオケ店でクラスターが発生した事例は、私が知っている限りでは全国で3件だと思います。満員電車で感染したという話も聞いたことがありません。あらゆる業界で涙ぐましい努力をしています。世界各国の比較で言えば、日本は感染者数や死者数は最低ラインでさざ波が起きているくらいです。いい加減にコロナ騒ぎを終わらせないと自殺者の数がもっと上回っていくと思います。既に例年の自殺者数より、昨年からの自殺者の数がかなり多くなっているのです。
久しぶりに「アメリカ橋」を歌ったのですが、この歌は年配者にはリズムの取り方がほんとに難しいですね。しょっちゅう歌っていないとすぐ入るところを間違えてしまいます。だから、私にとっていつも歌わなくてはいけない歌になっています。
投稿: 吟二 | 2021年5月11日 (火) 21時18分
さすがクラブのママ山口洋子着眼点がいいですね。「久しぶりだねと照れて笑いあって」「煙草やめたのいつからとそれとなくきいて」これだけで元恋人との再会だと思えます。狩人のアメリカ橋の歌詞も女性言葉で書かれているので女性が主人公なのでしょうね。「二人で暮らすことにやっとなれた」のに何故「私は東京を離れる」のでしょうか。「大人に変わる橋」が何かを握っていそう。
投稿: 海道 | 2021年5月20日 (木) 17時45分
1990年代に米国ミズーリ州セントルイスで3年半程暮らしました。
あまり知られていませんが、第3回のオリンピックは1904年にセントルイスで開催され、同時に万国博覧会も開催されています。この曲の蛇足で、その万博で使われた鉄橋が恵比寿に移設されていたことを知りました。日本に帰国後、恵比寿ガーデンプレイスには何度か出掛けましたが、恵比寿スカイウォークとガーデンプレイスの入り口の間にある交差点の近くに橋があるという認識もしていませんでした。
この曲は『かえらない青春』、あるいは『はるかはるか あの頃が青春』と歌っています。アメリカ橋での邂逅が、かつての恋人との年月をおいての再会であることがわかります。サッポロビールの工場跡に恵比寿ガーデンプレイスが開業したのが1994年ですから、この曲の主人公の二人はガーデンプレイスで食事をしたのかも知れません。
若い頃の恋は二人を夢中にさせますが、やがて自分の中の理想の相手と、現実の恋人とのギャップに気付くようになります。そんな二人の状況を桑田佳祐は『涙のキッス』の中で「夜風がそっと恋の終わりを告げる」と謳っています。でも楽しかった頃の思い出は残ります。私は経験がありませんが、別れた後に再会した二人はそんな思い出を確かめ合いながら、二度とその頃の二人に戻れないことをも確かめ合うのでしょう。切ない歌ですね。
投稿: Yoshi | 2021年5月23日 (日) 09時16分
最近山川豊の「愛待ち草より」にはまっています。(詞も歌も泣かせる)
見知らぬ人から便りが届いた・・・・身寄りの少ない女性(ひと)なのか・・・
・・・・愛待ち草よりと書いてある
おんなじ人から便りが届いた・・・・名前をなのれぬ女性なのか・・・・・・
愛待ち草よりと・・・・
いつもの人から便りが届いた・・・・命のかぎりと書いてある・・・たぶん孤独
の暮らしの中で・・・・愛待ち草よりと・・・・
もっと若い時に聞きたかった。
投稿: 海道 | 2022年6月24日 (金) 09時33分
海道さんはロマンチストですね。コメントを見て動画を見ました。いい曲ですね。発売日が1987年5月1日ですから今から35年前の曲なんですね。ちっとも知りませんでした。このような良い曲が、知られずに消えてゆく例なんて山のようにありますがもったいないですね。我々のカラオケサークルは新しい曲ばかり追いますが、それより昔の名曲を発掘して歌いたいと思います。
同じ例ですが、市川由紀乃の「海峡出船」という曲がありますが、皆さんご存じでしょうか。もちろん知っていらっしゃる方も多いと思いますが、知らない方が多いです。彼女は1993年にデビューしましたが、あきらめて2002年に歌手活動休止。しかし、バイト先の女将に励まされて2006年10月「海峡出船」で再デビューして、今に至っています。この曲は今から3年前くらいに再発売したところ、ほとんどの知らない方々の間でヒット曲になりました。私もその時知りました。
すみません、もう一つ、市川由紀乃の昔の曲に「国定忠治」という曲があります。誰も知らないかもしれませんが、私は良い曲だと思い、ちょくちょく歌っています。一度ユーチューブで聞いてみてください。
投稿: 吟二 | 2022年6月24日 (金) 21時34分
吟二様私の彼女(市川由紀乃)を横取りしないで下さい。
先生が書かれているように不倫はいけないのですよ。
投稿: 海道 | 2022年6月25日 (土) 17時04分
海道さま
俺のスケに手を出すなと言いたいところですが、私はあさみちゆきという彼女がいますから、由紀乃は海道さんに譲ります。
投稿: 吟二 | 2022年6月27日 (月) 20時23分
吟二・海道さん
二木絋三のうた物語には以下の文章があります。
B.投稿についてご配慮いただきたいこと
(1)長すぎるコメントや、歌にとくに関係のない私信的なやり取りはご遠慮ください。
歌に対する思いでや感想を見る人にとっては迷惑です。
掲示板が開いてますが?
投稿: 普通人 | 2022年6月28日 (火) 06時13分
二木先生へ
そうですね。深く反省しております。
投稿: 吟二 | 2022年6月28日 (火) 07時35分
吟二様 私は謝らないで良いと思います。この程度の文章は堅くなった気持ちにチラリと人の心を和ませる笑いを与えてくれる様な気がします。私はそんな文章が好きです。
投稿: ハコベの花 | 2022年6月28日 (火) 22時59分
私も海道・吟二ご両所のやり取り、とくに市川由紀乃さんを譲るというところは笑いながら見ておりました。お二人ともよく承知してますから。私も彼女の「残侠子守歌」がとくに好きですよと参加するつもりでした。しかしルールがあるとの指摘も正しいですね。
それにしても素直な謝りの言葉とすばやくそれをやる行動力に、ああ吟二さまは人生の達人だなあと思いました。
投稿: 越村 南 | 2022年6月29日 (水) 08時29分
皆さん申し訳ございませんでした。あずさ号は松本に止まると思っていたら長野へ行ってしまいました。
ハコベの花さん深謝です。
投稿: 海道 | 2022年6月29日 (水) 19時38分
若い頃は純粋で一途だから無我夢中です。思い起こせば私もそんな恋が有った様な無かった様な。【愛と死を見つめて】や【野菊の墓】や映画を見てどれ程涙した事でしょう。もうときめくことは有りません。今思えば青春は10代ですね。私の性格も走り出したら止まらなかった様に思います。至誠では有りましたが。何かと昔の方が感動が多かった様に思います。アメリカ橋の楽譜を見つけ嬉しかったです。何度も何度も弾きました。作詞作曲名コンビですからなおさらですね。良いお正月をお迎えくださいませ。来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
投稿: kazuyo | 2023年12月30日 (土) 17時50分