カチューシャの唄
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
作曲:中山晋平、唄:松井須磨子
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《蛇足》 劇団「文芸協会」を主宰していた早稲田大学教授・島村抱月は、劇団のスター女優・松井須磨子と恋愛関係に入りました。抱月は結婚していたため、人倫にもとる行為として世の非難を浴び、早大教授の座から追われ、須磨子も文芸協会から追放されました。
抱月は須磨子を中心とする劇団「芸術座」を立ち上げ、その第3回公演で上演したのがトルストイ原作の『復活』でした。初演は大正3年(1914)3月26日。上の写真はその1場面。
この劇で抱月は、主演の松井須磨子に劇中で歌を歌わせるという本邦初の試みを実行しました。それがこの歌です。1番を自分が作詞し、2番以降を早大時代の教え子で詩人の相馬御風(早大校歌『都の西北』の作詞者)に託しました。
作曲は抱月のもとで書生をしていた中山晋平。中山晋平にとっては、これが作曲家としてのデビュー曲となりました。
この試みが大当たりで、不入りを重ねていた芸術座は大入り満員となり、『カチューシャの唄』は全国津々浦々で歌われるようになりました。この歌から我が国の歌謡曲の歴史が始まったといわれます。
この成功に続いて、抱月はツルゲーネフの『その前夜』、トルストイの『生ける屍』を劇化して上演しました。『その前夜』では『ゴンドラの唄』、『生ける屍』では『さすらいの唄』が歌われ、いずれも大人気を博しました。
『復活』はトルストイが友人の法律家A.F.コーニから聞いた実話が元になっているといわれます。粗筋は次のとおり。
貴族ネフリュードフは青年時代、伯母の小間使カチューシャ・マースロワを誘惑して捨てます。そのため、彼女は娼婦にまで身を落とし、やがて法廷の手続ミスのためにシベリアへ流刑となります。
皮肉にも、彼女の裁判に陪審員として立ち会うことになったネフリュードフは、深い罪の意識から彼女を救うために努力し、自らもシベリアに赴きます。
実話では、カチューシャは流刑地で病死してしまうのですが、トルストイはそれをネフリュードフと結婚するというハッピーエンディングに変えました。
ところが、貴族が娼婦と結婚するという結末がツァーリ(ロシア皇帝)の政府から危険思想とにらまれたため、やむをえず、カチューシャは他の流刑者と結婚するという筋書きに変えました。これが、今も読まれている『復活』のエンディングです。
(二木紘三)
コメント
2年ほど前、二木先生の「MIDI歌声喫茶」に初めてアクセスし、曲のカテゴリーを見てためらわずに「戦前歌謡曲」をクリックしました。そしてその中の曲名一覧をたどって心の中で小躍りしながら真っ先に聴いたのが、この「カチューシャの唄」でした。
私はいわゆる団塊の世代ですから、20代はフォークソング全盛、その後のニューミュージックの流れもだいたい分かっているつもりです。しかし、体内に「古い日本のDNA」を色濃く受け継いでいるのか、それとももう二度と戻ることのない古き良き時代へのノスタルジアなのか、年と共に古い時代の曲に惹かれるようになりました。
「カチューシャの唄」。掛け値なしに良い歌です。二木先生の演奏も素晴らしいです。
帝政ロシア末期の悲劇のヒロインが、この曲によって、遠く離れたわが国で、大正ロマン的意味合いをおびながら劇的に「復活」したということでしょうか。
当時の唱歌など皆そうですが、おそらく作詞、作曲された方々の精神性が高かったのでしょう。日頃の世事、雑事でとかく曇り、汚れがちな心が、聴くたびに浄化されます。
日本歌謡史のさきがけとなった歌に、最初にコメントできる光栄を感じつつ。
投稿: 大場 光太郎 | 2008年1月 5日 (土) 19時07分
島村抱月という人は、スケールの
大きな人物だったんですねぇ。
こういう教師とその活動を許容した
早稲田という学校の持つ気風は、どこから
きているのでしょうか。
大隈重信翁でしょうか?
興味が尽きません。
投稿: 春平太 | 2008年1月23日 (水) 10時06分
これくらいでおこう---と頭では考えながら、もう一曲もう一曲と進んでしまっています。
この曲はいつから聞き覚えていたのでしょう。
ロシア映画「復活」のパンフレットは古い机の中に残っているのです。日本で上映されたのは何時だったのでしょう。三宮の映画館--阪急会館だったのでしょう。阪急の駅を囲むようにビルがあり、その何階かが劇場で、電車が来るたび電車音・振動がわかるのです。それでも、神戸っ子にとっては一に阪急会館だったですね。その会館も、あの阪神大震災で破壊され、我々の世代にとっては、三宮から魂が抜け落ちたといっても言い過ぎではないでしょう。
このカチューシャの唄を聴き・歌うと、ロシア映画「復活」のカチューシャを演じた少しふっくらした影のある女優さん((ロシアの女優さんの名前は、全くというほど覚えておりません。戦争と平和の主役の方も透けるような眼をもちきれいな方でしたね。))イタリア(生まれはユーゴスラビア)で活躍していた、ラウラ・アントネッティーに少しにているように思うのですが。その方の顔を強く思い出す一方、松井須磨子の一生に思いが向かうのです。
芸術家としての絶頂期に、師と仰ぎ、また愛の対象の島村抱月の突然の死に会い殉死のごとく死を選んだその心が--シンクロしてくるのです。ほんとうに遣る瀬無き、遺憾ともし難い気持ちにさせられます。こういう閉塞の時代があってこそ、そのエネルギーの爆発を見、現代が形作られたわけです。でも節操のない自由の国となつてしまったようです。金 金 欲 欲の時代、言ったもの勝ちの時代、大場様、 矢嶋様がいろんなコメントでいわれているように、ほんとうに欲を捨て足るを知り、静かにやさしく生きたいものですね。
悪い例は、はいて捨てるほどあるのですから。
投稿: 能勢の赤ひげ | 2008年3月20日 (木) 23時02分
作曲家の中山晋平は、最後のフレーズの「神に願いをかけましょか」のところが、どうもうまく作れないで悩んでいました。ある日、突然「ララ」を入れることが閃き、島村抱月に相談して入れることにしました。これによってこの歌は生き、大ヒットしました。
以上は、真偽は分かりませんが、長野で明治生まれの私の親が、生前私に話してくれたエピソードです。
投稿: 吟二 | 2008年11月23日 (日) 19時01分
こんばんわ。
この歌の、オリジナル(ラッパ吹き込みSP盤、大正4年、オリエント・レコードから発売)が収録されているCDがあります。松井須磨子が無伴奏で吹き込みしています。
コロンビア「恋し懐かしはやり唄」COCJ-33885-6 です。このCDには、今は亡き「森繁久弥」が吹き込んだ曲がいくつか収録されています。また、明治・大正時代に吹き込まれたSP盤どころか、蝋管(レコードが平円盤なる前)レコードの音まで聴けます。
是非、お勧めしたい音源です。
投稿: こうちゃん | 2009年11月26日 (木) 20時42分
こんばんわ。いつも名曲ありがとうございます。松井須磨子が若き頃、京都府南丹美山の近接地 京都市右京区京北町黒田で教師をしていたとの噂を耳にしましたが、事実は確認していませんが、お知りでしたら教えてください。
投稿: 命の炎 野々村仁清こと美好 | 2010年1月23日 (土) 01時48分
本当にいつも佳い曲を聴かさせて頂いて有り難うございます。私の記憶違いで、松井須磨子と深尾須磨子と混同していました。深尾須磨子は京都府南丹市美山町の近接地 京都市右京区京北小塩町に在住されたことがありました。詳しくはhttp://blog.goo.ne.jp/mfujino_1945/e/56770f0fdeae5f74c8652264f66002e0を参照されたい。2人の須磨子は素晴らしいですね。
投稿: 野々村美好 | 2011年3月16日 (水) 14時10分
「カチューシャの唄」は、私がまだ子供だった頃、母が家事をしながら口遊んでいたのを聴いて、憶えたように記憶します。
♪カチューシャかわいや わかれのつらさ…♪と、軽くスッと口遊さめる、明るく美しいメロディに心惹かれます。
大分古い歌(T3)ですが、今も色褪せることなく、同じように古い歌「ゴンドラの唄」(吉井勇 作詞、中山晋平 作曲 T4)、「恋はやさしい野辺の花よ」(小林愛雄 訳詞、スッペ 作曲 T4)などとともに、ソロで、コーラスで、ときどき聴いております。
最近私の音源(HDDジュークボックス)に、倍賞千恵子さん、藍川由美さんによる「カチューシャの唄」が加わりました。
因みに、普通歌われている「カチューシャの唄」は、歌詞は5番までですが、藍川由美さんの「カチューシ ャの唄」では、確か、歌詞が10番まであり、演奏時間も7分強となっています。歌詞6番から歌詞10番はどんな歌詞なのだろうか、全体像を見たいものと、NET検索を試みましたが、まだ、見つけられずにいます。興味は尽きません。
投稿: yasushi | 2021年6月13日 (日) 14時19分