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2007年7月17日 (火)

アムール河の波

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作曲:M.A.キュス、作詞:不詳
補詞:K.B.ワシレフ・S.A.ポポフ
日本語詞:合唱団白樺

見よアムールに波白く
シベリアの風たてば
木々そよぐ河の辺に 波さかまきて
あふれくる水 豊かに流る

舟人の歌ひびき
くれないの陽は昇る
よろこびの歌声は 川面をわたり
はるかな野辺に 幸をつたえる

うるわしの流れ 広きアムールの面(おも)
白銀(しろがね)なし さわぐ河波
広き海めざし 高まりゆく波
白銀なし さわぐ河波

自由の河よアムール うるわしの河よ
ふるさとの平和を守れ
岸辺に陽は落ち 森わたる風に
さざなみ 黄金をちらす

平和の守り 広きアムール河
わが船は行く しぶきをあげて
舳先(へさき)にたてば 波音たかく
開けゆく世の 幸をたたえて

見よアムールに波白く
シベリアの風たてば
木々そよぐ河の辺に 波さかまきて
あふれくる水 豊かに流る


《蛇足》
アムール河はロシアのシベリア南東部と中国東北部との国境およびその付近を流れる北東アジア第一の大河。満州語でサハリン・ウラ、モンゴル語でハラムレン、中国語で黒竜江あるいは黒河と呼ばれます。

 『アムール河の波』は、日露戦争中の1903年から1905年の間に作られました。アムール河をたたえる現地民謡をワシレフとポポフがロシア語に訳すとともに、歌詞を付け加え、それにキュスが曲をつけてこの傑作ができあがりました。
原題は"Амурские Волны"
 流麗でありながら迫力もあるワルツで、わが国でも合唱曲としてよく歌われています。

(二木紘三)

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コメント

儂、78歳になる狸爺です。
若い頃貧乏で14歳から働いて親に仕送りをしていました。
音楽が好きでも、自分で楽器を持つ事が出来ないで73歳になって初めてMy Accordionを持ちました。
それから勉強しても現在に至っても満足に楽譜は読めないです。
ACで最初に出あった曲が「アムール河の波」でした。
ACでソロの演奏の出来るやさしい楽譜が欲しいです。
*アムール河から流れてくる流氷の町Okoppeに30年住んでいました。この町どこ?。

投稿: 狸爺 | 2008年3月19日 (水) 20時53分

アムール河の波を聞くと、会社の混声合唱団で歌って居た頃
男声でテノール、バリトン、バスに別れて30人ぐらいで歌ったのです。混声よりすばらしかったことを思い出しています。

投稿: 昔の少女 | 2008年5月25日 (日) 18時36分

若い頃、朝日ソノシートのロシヤ民謡で、この合唱曲を聞きました。ドラマチックでいかにも大陸ロシアを流れる大河の滔滔とした流れが目に見えるようでした。

一人二役で高音と低音を歌い分けられるようになり、私の愛唱歌の一つになりました。いい歌ですね。選んでくれてうれしいです。

投稿: 吟二 | 2008年9月 3日 (水) 22時10分

学生時代、合唱コンクールでこの曲の指揮を振らせていただきました。
嗚呼、懐かしい。
ロシアに悠々と流れる黒龍江。
いつか、一度見に行きたいものです。
この曲をもう一度聴く機会を与えてくださったこのサイト主様に感謝です。
ありがとうございました。

投稿: 紗絢 | 2009年2月10日 (火) 00時22分

 狸爺さんへ

Okoppeとはなつかしい。興部です。この町にシベリアに

抑留されていた親戚が住んでいました。小さい町ですか

ら、知り合いだったかもしれませんね。

アムール河の波  大好きな曲です。

投稿: 鷲見 勉 | 2009年6月 1日 (月) 10時37分

秋山紀夫さん編曲による吹奏楽版がカワイ楽譜から出版されていました。小編成吹奏楽用にアレンジされたものです。短い序奏の後にイワノヴィッチの「ドナウ川のさざ波」のようなクラリネットのカデンツァが付いていました。

投稿: 匿名希望者 | 2009年7月26日 (日) 18時35分

1968年6月、大学闘争で授業がなく、新宿の「カチューシャ」に毎日入り浸っていました。この曲はよくお客さんと即席で「合唱」になって歌いました。(合唱として)そこそこの出来でしたよ。懐かしいです。

投稿: PAPA | 2010年11月22日 (月) 19時51分

僕の名はなんとなくロシア風の名前を名乗りたくてつけたもので、このサイトでイサコフスキーという有名な作曲家のおられたことを知った次第です。狸爺様の故郷の北、枝幸に近い漁村の出であります。僕もアコーディオン(ボタン式)を購入し、探り弾きでこの名曲を楽しんでおります。拙くとも家族は拍手してくれます。作曲家のお名前がキュスという珍しいものなので、ウェッブで調べてみました。悲惨な生涯でした。
 生地と生年には二説あるのですが、「ユダヤの言葉」という信頼できる資料に拠りますと、次のようなものです。
①1877年3月5日リトアニアの貧乏なユダヤ人家庭に生まれた。初等学校(旧制度で4年制)就学中に並外れた音楽才能を発揮。周囲は彼を音楽学校に入れるようにと両親に説いたが、貧乏な彼らにはそれができなかった。幸いにもオデッサ音楽学校指揮科に進学できた。しかし家族を支援することを優先したため、学業は成就しなかった。音楽人の多いオデッサに彼の心は調和した。ここで指揮者として、作曲家としての才能が開花。
②運命の転換点は東シベリア連隊の楽団長としてウラジオストックに赴任した時。行進曲だけでなく、ポルカやワルツを作曲。1903年「アムール河の漣」が世に出て、異常なほどの人気を博し、やがて”忘れ得ぬ曲”と呼ばれるようになる。噂では、キュスが恋慕したウラジオストックの著名な社会活動家ヴェラ・キリレンコに奉げられたものである。彼女は参謀本部の大佐夫人であった。③WW1では実戦部隊に入る。
④ロシア革命では赤軍に志願。モスクワそのほかで軍交響楽団の指揮を執る。ソヴィエト政権への彼の評価報告書がある:「音楽家としての資質は優れているが、政治的には残余のもの」というものだ。これは赤軍を免職になるには十分だった。
⑤オデッサに帰る。オデッサでは音楽活動を続ける。孤児のために音楽学校を開く。”大祖国戦争”(独ソ戦)では、侵攻してきたSSによるユダヤ人狩を逃れるためにある家の屋根裏部屋に潜む。しかし発見される。生きた彼の姿を見たのは、1942年の冬のことだった。銃殺を待つ数万人のユダヤ人の中にいたのが目撃されている。12月に機関銃を使っての処刑により、死亡と推定。

投稿: イサコフスキー | 2011年1月 5日 (水) 04時50分

この曲も典型的なロシア民謡ですね。イサコフスキーさんは「郵便馬車の御者だったころ」についても論評があったので、日本語の堪能なロシアの人かな?と思っていました。また狸爺さんは私と同年兵のようなので、いつかお会いして一献傾けたいものです。
今までに聴いた歌手と合唱団の感想
バス歌手・・・ エイゼン・・・声量もさることながら、声の幅の広さにびっくり。この歌手の場合、半音音程が狂ってもわからない。
ドンコサック合唱団・・・団員は30名程度だったと記憶しているが、体格の違い・年齢さがあり、やや期待はずれ。
ブルガリア男声合唱団・・・屈強な若者ぞろいの連中で、圧倒的な声量に参った。
モスクワ女声合唱団・・・最初の曲がロシア正教の宗教曲で、照明を消して全員がロウソクを灯して現れ、雰囲気も大変良かった。
私の本音はロシアへ行って、新しいロシア民謡を探して見たい・・・これが夢です。

投稿: 三瓶 | 2011年1月 5日 (水) 20時24分

三瓶様 誤解させてごめんなさい。何事にもロシア好きで、ロシアの雰囲気を楽しみたくて、著名な作曲家の名とも知らず、イサコフスキーを名乗らせていただいた次第であります。昔仙台の私設会話学校での方法でもあります。ハルピン学院出身のO先生―国立大の教員でした―は、生徒一人ひとりに架空の履歴、職業、年齢、姓名等を指定し、その人物になりきって、様々な状況下での会話を練習させるのです。ロシアでの語学研修旅行で、ロシア人の女先生の質問に、名前以外は架空のもので通しました。一方、他の日本人は、プライベートなことまで、真実を滔々と語っておりましたが。架空の人物になりきる方法は、会話への参加を非常に容易にしてくれました。僕もロシア民謡(流行歌)が好きで、衛星放送受信施設まで設け、ロシアのテレビ番組を楽しみました。ゴルバチョフが登場したころのことです。特に土曜日の「イグラーイガルモーニ」(’風琴を奏でよう’)は面白く、ロシア各地でのボタン式アコーデオンのメロディーを紹介してくれました。中でも、スタラダーニエ(’男女相聞歌’)という型式のもので、日本では「二つのギター」という民謡のヴァリエーションは、聴くものの目を閉じらせ、追憶と郷愁に導いてくれました。YOU TUBEで探しましたら、ツイガノーチカ(’ジプシーの娘’)という名前でも呼ばれていると知りました。無職になった僕も狸爺様と同じくアコーデオンを習いはじめ、飲酒のできる週末に「うた物語」を聞き、五星コニャックを啜り、自分も風琴を弾き、そうして年月の経過を楽しんでいるのです。老いるのもいいものですね。追憶と郷愁とで人生を終えるのですから。三瓶様、皆様今後とも宜しくお願い申し上げます。

投稿: イサコフスキー(変名) | 2011年1月 6日 (木) 01時09分

14歳の中学3年です。

今度の合唱コンクールで
アムール河の波を歌うことになりました。

私は、ソプラノですが
バスのところをソロで歌うことになりました。

声が通るか心配です。

この歌は
聴けば聴くほど
良い歌に聴こえてきます。

本当に良い歌ですよね。

投稿: ゆか☆彡 | 2011年10月21日 (金) 19時02分

十四歳のゆか様 僕が初めてハバロフスクを訪問したときのホテルが「アムール河」でした。食堂では楽団がよくこの曲を奏でました。郷土博物館で調査中の北大(北方文化研究室)の学生さんがロシア語で朗々と相伴、大きな拍手を浴びていました。歌い終わった彼は居合わせたロシア人客の多くから席へ招かれ、「満州の丘にたちて」、「前線の森で」などの切なく哀しい歌を彼らとともに歌ってくれました。十数年前に地方紙の文化欄に彼へのインタビュー記事が載り、極東考古学の権威となったことを知りました。
 なに、目を静かに閉じ、脳裏に間宮林蔵の眺めた広大無辺のアムール河口を描きだし、歌いましょう。あなたならきっと大丈夫。

投稿: イサコフスキー | 2011年10月22日 (土) 18時02分

14才の中2です。

私の学校で合唱コンクールがあり、
他のクラスがこの曲で1位をとりました。

曲自体はコンクールの曲を決める時から知っていたのですが、あまりインターネットで探す機会が無く、今回
探していたらこのサイトに来た次第です。

初めて聴いたときにかなり好きになってしまったため
今になってやりたかったと後悔していますが
もう遅い・・・・・

来年はやりたいです。

投稿: 美空 | 2011年10月26日 (水) 17時41分

美空様 来年のコンクールでは「スラヴ女の別れ」("Farewell of a Slavonic Girl")Прощание Славянкиを歌ってはいかがですか。遠い遠い昔どこかで聴いたことのある旋律ですよ。

投稿: イサコフスキー | 2011年10月27日 (木) 01時16分

現在、所属する合唱団でこの歌を歌っていますが、歌詞の「しろがねなし さわぐ川波」の部分の意味が理解できません。
どなたかご存知でしたらお教えください。

投稿: 洋一 | 2011年11月 4日 (金) 06時44分

洋一さま
「白銀なし さわぐ川波」は「黄金なす稲穂の波」…のような表現だと思います。
白銀の色をなして…白銀色に…そのような意味では無いでしょうか。

投稿: 眠り草 | 2011年11月 4日 (金) 07時46分

先ほどのコメントで、「河波」とすべきところ「川波」と変換してしまいました。失礼いたしました。その後、手元の古語辞典などを開いてみましたところ、接尾語としての「なす」が載っていました。漢字では「如す」で、「…のように、…のようなの意を表す」と書かれています。

投稿: 眠り草 | 2011年11月 4日 (金) 11時23分

アムール河もいいですが、欧州ではなんと言ってもドナウ河でしょう。二木先生のこのサイトにあるものと思っていましたが、何ゆえかございません。ウェッブで検索しましたら、旧ボスニア映画(?)“Otac po sluzbenomu putu”(邦題『パパは主張中』)が出てきました。夢遊病の少年が白血病の恋人のマーシャと永久の別れをする場面でした。ドナウ河の漣”が静かに流れると涙が滂沱と流れてしまいました。老人になると涙もろくなるようです。

投稿: イサコフスキー | 2011年11月20日 (日) 06時48分

はじめまして。昔合唱コンクールで歌ったこの歌をふと思い出し、ユーチューブで聴いたりしているうちに辿りつきました。
ロシアの曲は素晴らしいものばかりですね。
ひとつ気になった曲があります。
やはりユーチューブで検索していた時、
ワレリー・レガソフ回顧録 
というチェルノブイリ事故の再現ドラマのなかの
BGMだったため、音楽に無知の私には調べようがありません。
有名な曲でないのかすらも・・
アップされている4話のうちの4話目で、ダイバーが水に飛び込むシーンなのですが・・
どなたかご存じないでしょうか・・・

投稿: よこ | 2011年12月10日 (土) 23時29分

よこ様 お探しのBGMを聴いてみました。残念ながら僕にも家内(白露系ポーランド人)にも馴染みの無い曲でした。しかしこの二木先生のサイトは有名ですから、きっとどなたからの確かな情報があることでしょう。
四話を視聴しました。良い映画を紹介していただき感謝申し上げます。

投稿: イサコフスキー | 2011年12月11日 (日) 04時09分

イサコフスキー様、わざわざ聴いてくださって奥様もありがとうございました。
あのシーンで、あまりにもBGMと震える手がマッチしていてひとりパソコン前で号泣してしまいました。
あのような感じの曲でなにかおすすめがございましたら、ぜひ教えてください!

投稿: よこ | 2011年12月11日 (日) 22時00分

よこ様 似ているかどうか自信がありませんが。Sov music.comに入り、左の赤い欄のMotherlandを選びます。歌の一覧表の第1ページに出てくるものの中から、ラテン文字表記でDorogi(「道」)とあるものを選択。ファイルに二種類ありますが、バイト数の少ない方で十分でしょう。それを選択、ダウンロードが自動的に始まり、終了すると、real playerが自動的に起動します。もうひとつ。僕の好きな場面と好きな歌。youtubeに入り、Prisoner of the Caucasusとタイプ。右の欄に6/10 Prisoner of the Caucasus 1996 Eng. sub.とあるものを選択。兵卒と下士官が脱走を決意する動機となる歌 "Farewell of Slavyanka"を歌うシーン。潜水に入る兵士が手を握り、決死の任務を自覚するように、彼らもロシア兵であることを自覚する場面です。10/10はロシア軍の討伐ヘリがチェチェンの村を強襲する場面。エンディングで再び「スラブ女の別れ」が流れ、エピローグでは「満州の丘に立ちて」も流れます。

投稿: イサコフスキー | 2011年12月12日 (月) 04時14分

よこ様 前信のあとすぐにyoutubeでGeorg OtsのDorogiを見つけました。ロシア語では Дороги(ダローギ)と書きます。独ソ戦の戦場の道の場面が延々と続きます。右欄の一覧表にはЯ люблю тебя, жизнь「人生よ、われ汝を愛す」もあります。良い歌です。二木先生もたぶんご存知のものでしょう。

投稿: イサコフスキー | 2011年12月12日 (月) 05時15分

いつ聴いても懐かしさがこみ上げてきます。初めて歌ったのが20歳2回目は37歳、3回目は68歳アムール川は私の最も好きな歌です。初めてロシアに行きアムール川を見た時の感激は今も忘れません。今私は少女時代から夢見たロシアに行きロシア人と一緒に生活するために、また2000年も続いたきた鍼灸の素晴らしさを知って頂くために、鍼灸を持ってロシアに行きます。どうなるか解りません。でも人生は自分の夢の実現の為にあると思います。

投稿: とみこ | 2011年12月12日 (月) 19時16分

イサコフスキー様
ご丁寧にありがとうございます!嬉しいです。
ぜひ拝聴してみたいと思います!

書いてくださったロシア軍のところ、チェチェン(になにが起こったのか)についてを個人的に本などで調べたこともあり、非常に興味があります。

私は趣味でギリシャ語をちょっとずつ勉強していますが、
ロシア語も素敵そうです☆ 音楽のみならず、ロシア圏の文化もがんばって調べていきたいです!

投稿: よこ | 2011年12月13日 (火) 00時20分

この曲を聞く度に学生時代に京都四条河原町の歌声ホール「炎」で歌ったダークダックスの歌詞を思い出します。下宿の近所のガールフレンドと一緒にレコードも聞きまた。青春時代の良き思い出、当時の学生は、ロシア民謡が大変に流行していました、学生運動は比較的に緩やかであり、10年後の大学紛争の様な過激な行動はしていなかった。フランスデモに参加しも、ロシア民謡を合唱する様な穏やかさでした。大学を卒業した年に田端義夫の「島育ち」が流行しました。二木氏の「うた物語」を読むと青春時代に逆戻りしす。マケドニア共和国に赴任している時には、ロシア民謡の「バルカンの星の下に」を日本語で歌って喝采を受けました、スラブ人の感性は日本人に共通します。

投稿: 奥野年秀 | 2012年12月20日 (木) 01時32分

よこ様 覚えていらっしゃいますか,二年ほど前,レガソフ回想録で二名の決死隊員が放射能プールに飛び込む場面の背景音楽をお尋ねでしたね.気になって色々なロシア人に訊いておりました.カザフスタン出身の女性がУтесウチョース’絶壁’という歌ではないかと教えてくださいました.You TubeでLeonid Kharitonov & the Alexandrov Red Army Choir - "The Cliff on the Volga River"とタイプしてください.朗々と歌い上げています.

投稿: イサコフスキー | 2013年10月29日 (火) 04時21分

昭和41年、まだ若き船乗りだった頃、ソビエト時代のニコラエフスクナアムールで入院したことがありました。退院しても迎えの船が来るまでの一ヶ月、シーメンス倶楽部で仲良くなった看護婦とたった一曲のこのワルツで毎晩ダンスを踊っていました。プロのバンドは無く、ひとり一台のバイヤンでアマチュア演奏でしたが、この曲を聴いて楽しい思い出がよみがえって来ました。本当に懐かしい曲をありがとうございます。

投稿: 耕太郎 | 2018年6月15日 (金) 19時11分

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