囚人の歌
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
ロシア民謡、フランス語詞:モーリス・ドリュオン
日本語詞:人形劇団プーク
1 船漕ぐ明け暮れ 鎖につながれ 2 町や酒場に 幸せはない 3 人を殺した わけじゃない 4 仕事にでかける 朝の門口(かどぐち)に 5 瞳で誓う マドレーヌを |
《蛇足》 原曲はロシアの古い民謡です。そのメロディを音楽家のレオ・ポル(Léo Poll)が採譜・編曲し、作家で政治家のモーリス・ドリュオン(Maurice Druon 1918-2009)がフランス語の詞をつけました。作家でジャーナリストのジョセフ・ケッセル(Joseph Kessel 1898-1979)も、作詞に関わったようです。
発表は1947年。
レオ・ポルは筆名で、本名はレイブ・ポルナレフ(Leïb Polnarev 1899-1988)。ロシア革命に伴うユダヤ人迫害を逃れてフランスに亡命しました。有名な歌手のミシェル・ポルナレフは息子。
ジョセフ・ケッセルもユダヤ人で、旧ソ連からフランスに移住し、帰化しました。
1951年にジェルメーヌ・サブロンが創唱しましたが、とくに評判にはなりませんでした。その数か月後に発売されたイヴ・モンタンのレコードが大ヒット、翌年ディスク大賞を受賞しました。この歌が世界に広まったのは、イヴ・モンタンの歌唱によるところが大です。
日本では、昭和20年代以降、歌声喫茶・うたごえ運動では必ず歌われた定番曲でした。
政治犯を歌った歌といわれています。ロシア語の原詞がわからないので、なんとも言えませんが、フランス語の詞とその訳詞には、政治との関係は、はっきりとは表れていません。
享楽的な生活を送っていた若者が罪を犯して漕役刑囚(ガレリアン galérien)になり、母親の戒めを聞かなかったことを後悔している、という歌です。上の日本語詞は、フランス語詞をほぼ忠実に再現しています。
むかし、酒を飲んでバカ騒ぎをしているときなどに、この歌の「……涙で語った母の言葉を……」とか、「楽しみばかり求むるではない」といったフレーズが浮かんできて、チクリと痛みを感じたものでした。
実際、横道にそれがちな年頃には、母親の言葉ほどブレーキになるものはありません。
ただ、帝政ロシア時代の漕役刑囚には、一般の犯罪者だけでなく、政治犯もかなりいたようですから、もしかしたら、母親の言葉には「政治に関わるな」という戒めも含まれているのかもしれません。
ガレー船は古代に出現したものですが、地中海やバルト海では地形が複雑で風向きが不安定なため、19世紀初頭まで使用されていました。
フランス語の原詞は次のとおりです。
Le Galérien
1. Je m'souviens, ma mèr' m'aimait
Et je suis aux galères
Je m'souviens ma mèr' disait
Mais je n'ai pas cru ma mère
2. Ne traîn' pas dans les ruisseaux
T'bats pas comme un sauvage
T'amuses pas comm' les oiseaux
Ell' me disait d'être sage
3. J'ai pas tué, j'ai pas volé
J'voulais courir la chance
J'ai pas tué, j'ai pas volé
J'voulais qu'chaqu' jour soit dimanche
4. Je m'souviens ma mèr' pleurait
Dès qu'je passais la porte
Je m'souviens comme ell'pleurait
Ell' voulait pas que je sorte
5. Toujours, toujours ell' disait
T'en vas pas chez les filles
Fais donc pas toujours c'qui t'plait
Dans les prisons y a des grilles
6. J'ai pas tué, j'ai pas volé
Mais j'ai cru Madeleine
J'ai pas tué, j'ai pas volé
J'voulais pas lui fair'de peine
7. Je m'souviens que ma mèr' disait
Suis pas les bohémiennes
Je m'souviens comme ell' disait
On ramasse les gens qui traînent
8. Un jour les soldats du roi
T'emmen'ront aux galères
Tu t'en iras trois par trois
Comme ils ont emmn'nés ton père
9. Tu auras la têt' rasée
On te mettra des chaînes
T'en auras les reins brisés
Et moi j'en mourrai de peine
10. Toujours toujours tu rameras
Quand tu seras aux galères
Toujours toujours tu rameras
Tu penseras peut-être a ta mère
11. J'ai pas tué, j'ai pas volé
Mais j'ai pas cru ma mère
Et je m'souviens qu'ell' m'aimait
Pendant qu'je rame aux galères
(二木紘三)
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コメント
都立の高等学校1年の時、芸術分野(音楽・絵画・書道など)の中から音楽を専攻した私は歌唱実技の際に、教科書に無くても楽譜を持ち込めばそれでも良いと言われ
どこで入手したのか「囚人の歌」の譜面を持ち込み、福井先生のピアノ伴奏で歌いました。他の学科成績は思わしくありませんでしたが偶然音楽だけは評価「5」でした。その後3年間の教科書は保存してありましたがこの曲の譜面は散逸してしまいました。
最近二木紘三のうた物語の存在を知るところとなり、囚人の歌を53年ぶりに歌うことができました。大変懐かしく、嬉しく思いました。誠に有難うお座居ます。
投稿: 藤井 進 | 2008年8月25日 (月) 14時46分
1969年版の中学校副教材用歌集に掲載されていました。
もうボロボロで目次も奥付も散逸し、
出版社名すらもう分からない代物ですが、
「ル・ガレリアン」(囚人の歌)と題した、飯塚広氏の訳詞です。
教材として習った記憶はありませんが、曲および曲名は
はっきりと覚えていました。
同歌集はそのほか、ロシア民謡「ジグリー」「バイカル湖のほとり」
スペイン民謡「ファニタ」、シチリア民謡「頭蓋骨の歌」など、
歌声喫茶のレパートリーの影響が多分に感じられ、
音楽教育における、当時の理想主義的な志の片鱗が偲ばれます。
飯塚訳の第一、三節は、内容がご掲載の劇団プーク訳のものと
かなり共通性があり、どちらも原語(ロシア語?)にかなり
忠実な訳ではないかと思われますが、次の二節は、
ぬすみもしない ひともころさない
ただあくせくと はたらくばかり
わかいいのちが じゆうにこがれ
すばらしいひを ねがっただけさ
となっていて、これを見るかぎり、政治犯の権力への
悲痛な告発と呪いが強く感じられるのですが。
同じ原文を基にしても、やはり訳者によってかなり違う色彩、
ニュアンスが出るものなのでしょう。
投稿: 若輩 | 2008年8月25日 (月) 19時25分
この歌を聴いていると思いだす情景があります。昭和34年鈍行の電車に乗っている時、手錠をかけられ二人の警官に腰縄を持たれた青年を見ました。連結器の上にいたと思います。藤沢の駅あたりで列車が止まった時、ホームにいた青年二人が「お前何をしたんだ」と声を掛けたら「おお、ちょっとな」と笑いながら返事を返していました。あっけらかんとした青年たちにびっくりしました。初めて囚人?を見てこの歌の囚人とは全く違う雰囲気に私も笑ってしまいました。忘れられない思い出です。
投稿: ハコベの花 | 2014年8月15日 (金) 00時05分
今日も公民館の「歌声ひろば」で、この歌をリクエストしてみんなで歌いました。この歌を知っている人は、約40人中半分くらいでした。
その時のアコーデオンの先生と、また違う歌声サークルのギターの伴奏の先生は同じですが、彼らと二木先生の演奏と違うメロディの箇所があります。それは、例えば1番の歌詞なら、「母のおもかげ」と、最後の「今ぞ思う」の次の演奏です。前の二人の演奏者は、その箇所(次へつなぐメロディ?と言いますか)は、下がるのですが、二木先生の演奏は、上がるのです。私は譜面を持っていないのでわかりませんが、どちらが正しいのでしょうか。それとも、どちらも正しいのでしょうか。分かったら教えて下さい。
投稿: 吟二 | 2017年12月 5日 (火) 21時08分
吟二様
すみません、音符を打ち間違えていました。修正しました。
(二木紘三)
投稿: 管理人 | 2017年12月 6日 (水) 00時32分
78歳の私と50年連れ添った妻とふたりで夕食後、突然、「ただ毎日が素晴らしい」という歌詞を思い出してネットに書き込みましたら、この歌にたどり着きました。若い頃に歌声喫茶で歌ったものです。フランスの歌と思っていましたが、ロシアでした。途端に歌いたくなくなりました。戦争はやめて欲しいです。
投稿: 田中廣 | 2023年5月19日 (金) 21時21分
ロシア語教室の先生もフランスの歌だと言っていましたが Youtube に ロシア語で歌っているものがありました。
Помню, помню, помню я, как меня мать любила. И не раз и не два, она мне говорила.
私は覚えている。母がどんなに私を愛していたか。1度となく2度となく母は私に言っていた…
これが原曲かそれともフランス語から訳したものかわかりませんが。
投稿: sk | 2023年9月 1日 (金) 13時13分
♪ ジュムスヴィアン マ メール メメ
エ ジュスイゾ ガレール
~ ~ ~
先週ここに導かれてきて、なんとも懐かしい歌に再会、まことに嬉しく思いました。 それ以来、この歌がのべつ口に出てくるのです。 さもあらん、これを覚えた頃もうしょっちゅう歌っていたのだから。
昭和30年台、最後の入試も済んでからたちまちいろいろな音楽、リズムが耳に押し寄せてきたのでした。 シャンソンもそのうちの一つでした。 ただラテン音楽に比べて、シャンソンを聴くチャンスは比較的少なかったように記憶します。 高英男の「雪の降る街を」のあと、イヴェット・ジローの「花まつり」などが良かったし、新人の中原美紗緒の「河は呼んでる」などが楽しかったですね。 ほかに銀巴里の丸山明宏が有名だったけれど、彼は変なので近づかなかった。
と、そこへ現れたのがイヴ・モンタンの「ル・ガレリアン」。 これには驚嘆しました。 なんとも素晴らしかった。 私は音楽の理論を知らないから、何がどう良いのか説明できないけれど、この歌の歌詞とメロディーの良さもさりながら、イヴ・モンタンの歌声、歌い方の巧さが深く私の心に沁みこんだのでした。 いえ何度も繰り返すけれど、ほんとに素晴らしい歌、歌手ですね。
同じイヴ・モンタンの「枯葉」もいい。
そのころ学校でフランス語を習い始めていたので、この歌と「枯葉」の歌詞を、辞書を引き引き覚えこんだのでした。 何度も何度も繰り返して歌いながら。 この二つの歌詞、いまだに忘れていません。
イヴ・モンタンは映画俳優としても一流なのですね。 私が見たのは「恐怖の報酬」だけだけれど、この映画は凄かった。 イヴ・モンタンが凄かった。
人生の裡に、ある素晴らしい歌、歌手を知り得ることは、一つの幸せを経験することになるのではないかと思われます。
投稿: 田主丸 | 2023年9月 8日 (金) 11時34分
この歌は中学校の時、音楽の授業で教わったような気がする。特に好きな歌というのでもないんですが、定年後の今の生活は、ほとんど外出もしないし、仕事もなく、朝と夕方の散歩だけがきまりごとですから、まあ囚人の生活と通じるものがあります。
歌詞の1番
思いはいつか 母のおもかげ
日ごと夜ごとに 涙で語った
母の言葉を 今ぞ思う
のところが心にに響きます。私の母は涙で語ったことは一度もないですが、静かに言った言葉が、母が亡くなった今になって、むしろ妙に思い返されます。
9月8日の田主丸さまの投稿に「恐怖の報酬」とあり、ああ懐かしい映画だなあと思い、早速YOU TUBEで探して40年ぶりに見ました.ベネズエラの貧しい街の話ですね。仕事がないのであぶれた男たちがたくさんいて、仕事や金をいつもさがしています。近くの石油の油田が火事になり、石油会社は爆風で火を消すためにニトログリセリンをトラック2台で運ばせようとする。500キロの危険な旅だが成功すれば一人2000ドルがもらえるわけです。4人の男が資格審査に合格する。
そのうち1台は道路の路面の衝動で爆破、残った一台の1人も足の骨を折り、油田に着いたところで息絶える。残った一人が相棒の分も合わせて4000ドルを受け取り浮かれ気分でこれからの彼女との結婚やその後の生活を夢見ながらトラックをゆっくり蛇行しながら運転する。しかし・・・・・・
フランス映画はハッピーエンドで終わらないといいますが、この映画はハッピーエンドで終わってほしかったと思いました。
投稿: 越村 南 | 2023年9月12日 (火) 13時44分