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2007年7月29日 (日)

この世の花

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:西條八十、作曲:万城目正、唄:島倉千代子

1 あかく咲く花 青い花
  この世に咲く花 数々あれど
  涙にぬれて つぼみのままに
  散るは乙女の 初恋の花

2 想う人には 嫁がれず
  想わぬ人の 言うまま気まま
  悲しさこらえ 笑顔を見せて
  散るもいじらし 初恋の花

3 君のみ胸に 黒髪を
  うずめた楽し 想い出月夜
  よろこび去りて 涙は残る
  夢は返らぬ 初恋の花

《蛇足》 昭和30年(1955)3月に公開された松竹映画『この世の花』(穂積利昌監督)の主題歌で、島倉千代子のデビュー曲。

 原作は、集英社の芸能月刊誌『明星』に連載された北條誠の長編小説。最初にラジオ東京で連続ドラマ化され、大人気を博したので、松竹大船撮影所が映画化しました。

 愛する人の子を宿しながら、偽りの結婚に身を委ねなければならなかった富豪の令嬢・久美子の悲恋物語です。菊田一夫原作『君の名は』と並ぶ戦後メロドラマの傑作と言っていいでしょう。
 第1部=慕情の巻、第2部=悲恋の巻、第3部=開花の巻、第4部=おもいでの花、第5部=浪花の雨、第6部=月の白樺、第7部=別れの夜道、第8部=さすらいの浜辺、第9部=愛の裁き、第10部=熱砂の抱擁――と計10編制作されました。

 好きな女性がほかの男性と結婚した場合、彼女は何らかの事情で「想う人」の私をあきらめ、やむをえず「想わぬ人」と結婚したのだと思いたいものですが、実際には結婚した相手が「想う人」だったというのが、この世のおおかたの真実です。あなたの奥様もそうでしょう、たぶん。……いや、きっと。

(二木紘三)

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コメント

やっぱりいいですねー、この頃の歌。特に万城目正さんの歌のリズミカルなところが大好きです。私は、この歌が世に出た頃はまだ小学生でしたが、母親がえらく感動していたのを覚えています。まだ戦前の歌手が健在で、美空ひばりが全盛期を迎えようかと言う時代でしたが、ラジオから流れてくる島倉千代子の、あのか細く透明感のある声が、子供心にもなんとも新鮮に感じましたね。
 ところで二木先生の「蛇足」にはいつも感動と尊敬の念を抱いておりますが、この歌に関する限り、最後の部分の「あなたの奥様もそうでしょう、たぶん。……いや、きっと。」というところがちょっと懐疑的にならざるを得ませんね~。

投稿: 佐野 | 2008年3月19日 (水) 19時54分

ちょうど高校3年生の頃、学校の帰りに滋賀県の長浜市で見た映画です島倉千代子さんが透明な声で歌うのに恋心を抱きました。初々しかったですね。私の妹と同級生でしたから随分と身近に感じていました。長浜の町は、今は昔の面影はなく都会と変わらない店舗が並んでいますがこの唄が流行った頃は今のような不安な時代ではなく川にも滔々と水が流れ、琵琶湖にもたくさんの魚が住んでいました。素朴な町でした。固いボーロ、丁稚羊羹、さざれ石、そんなお菓子の甘みと一緒にあの目をキラキラと輝かせていた島倉さんを思い出します。島倉さんも苦労に苦労を重ね最近では声に昔の透明さがなくなり、年をとる過酷さは特にk歌の方には厳しいですね。「赤く咲く花青い花、花は色々あるけれど、」西条八十という方もすごい方ですね、一日にいくつ歌の詩作したのでしょうね。そしてすべてが素晴らしい。どの歌にも人としての深い情愛を感じますね。

投稿: 早崎日出太 | 2010年1月14日 (木) 16時32分

やっぱり日本語がはっきりしているこんな歌がいい。当時泣き節と揶揄されていたが、人生もカウントダウンに入った私たちにとっては鎮魂歌に近い存在かも

投稿: relokun | 2012年10月 7日 (日) 22時07分

 さる8日、島倉千代子さんがなくなりました。熱心なファンではなく、ゆるやかなファンくらいですが、ひとつの時代の終わりを感じ、さびしく思いました。

 「この世の花」が流行った時、私は小学校生でした。家にテレビはなく、ラジオで聞いた記憶があります。歌詞の意味もよくわからず、歌の題「この世の花」におどろおどろしいものを感じました。対比表現として、「あの世の花」というのもあるのかな?あるとすれば、それは蓮の花以外何があるのか?とあらぬことを考えたりしました。

 歌詞に「想う人には嫁がれず」とありますが、はたしてそれが、なげくようなことでしょうか、と思ったりします。
「想う人」といっしょになって、その人のイメージがどんどん変わっていくのを見るのも、そこそこつらいですよ。「女房(亭主)にしたのがおおまちがい」(植木等の歌にありました)というケースもあるでしょう。
 きれいな花は、その場でながめておしまいにするのがいいんですね。家に持って帰ったら、しおれて枯れていく花の姿をみなくてはいけません。きれいな花であればあるほど、摘んではいけません。
 とはいうものの、それができれば、人生の達人です。60過ぎてから、それがわかっても意味がない話なんですが・・。
 
 「蛇足」のご意見、なるほどです、実際に結婚した人を「想う人」だったと考えることですね。「山のあなたの空遠く」ではなく、「幸せは足元にありですね」。なにか禅僧のお言葉のようでもあります。ですが、古女房に対し、場合によっては結婚生活50年以上の方もいます、そういう考えをもちつづけるのも少々無理があると思います。
いや、まてよ、幸せを得ようと思ったら、少々無理な考え方を保持しなくてはいけないのでしょうね。 

投稿: 越村 南 | 2013年11月 9日 (土) 14時12分

初恋はプラトニックで終わることが多いようです。その後
この歌のように他の人と結婚してからの境遇の苦い体験と
対比して、心の中で増幅し美化されて、初恋の想い出は
生きてゆくための心の糧ともなるのでしょう。
私には残念ながらこの歌ほどの初恋の想い出はなく、
二木先生の仰有る「・・結婚した相手が『想う人』だった
・・。」というところでしょうか・・

投稿: 花賞でる蝶 | 2014年9月27日 (土) 14時24分

この歌は『越後獅子の唄』で戦後ヒットを飛ばした西條八十・万城目正コンビのヒット曲ということになるわけですが、昭和60年頃某民放で、この歌を映画化した『この世の花』(昭和30年公開松竹映画)のTV放映版を観たことがあります。後年東宝の森繁久弥社長シリーズなどで妖艶なクラブママ役などを当たり役(はまり役)とした淡路恵子女史の可憐な乙女像が印象に残る作品でした。この歌を唄った島倉千代子女史が後年(昭和59年頃)週刊誌で豊満なセミヌードを披露したのは衝撃的でした。
同じく後年(後年ばかりで申し訳ないですが)東映時代劇で、“大悪”(映画序盤ですぐに斬られる“小悪”や映画中盤で斬られる“中悪”に対して、映画終盤まで生き残る大物悪役俳優の俗称)やらせたら月形龍之介や山形勲あたりと並ぶ貫禄の柳永二郎が、『この世の花』で淡路恵子女史の父親役で出演していたものです。

投稿: 焼酎百代 | 2015年11月13日 (金) 16時04分

明けましておめでとうございます。
皆さんのコメントを楽しく拝読させていただいております! ありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします。
この曲「この世の花」は、私の高校時代に「島倉千代子」さんのデビュー曲として大ヒットしていた頃を思い出します。
当時の月刊雑誌掲載や映画化されたことも、後年になってから知りました。
でも、今更ですが、「千代ちゃん」の熱唱とともに、作曲・作詞の素晴らしさに感銘を受けます。
また、二木様の演奏にも心が吸い込まれるような思いがいたします。

投稿: 一章 | 2016年1月 1日 (金) 21時42分

今日初めてこの歌を開けて聴きました。二木様のお説に純情をみつけましたが、女性の心はもっと複雑かもしれません。初恋の人は容姿端麗、頭脳明晰、完璧に近い人です。この人の欠点を見たくないためにあえて、結婚を避けるかもしれません。一緒にいると息苦しいからです。ところが離れていると切なくて恋しくて夫が情けなく見えて仕方がない。結婚というものは難しいものですね。奥様が時々ため息をついて涙ぐんでいたら、初恋の人を思っているのかもしれません。♪君泣くや母となりても♪ですね。憧れは幻なのに半世紀経っても払拭できないのです。先日私は憧れの君に年賀状を書きました。もう先が短いと思っての事です。意外と心は冷静です。

投稿: ハコベの花 | 2016年1月 1日 (金) 23時41分

小学生の頃、正月になるとよく父が「おばさんの家に行こう」、と言って松江のおばさんの家に遊びに連れて行ってくれました。私は、”○○ちゃんに会える”、と思って胸をときめかせたものです。おばさんは父の姉で、”○○ちゃん”、とは従姉妹の女の子です。私より一つ年上で、私より背も高く綺麗な女の子でした。しかしいざ彼女に会うと話しかけることができず、いつも、会えた、という半端な満足感が残っただけでした。

大学卒業後は彼女に会う機会もありませんでした。40数年ぶりですが、このたび、彼女に初めて年賀はがきを書きました。彼女からは「懐かしい」、との返事を頂きました。
嬉しいです。本当に嬉しいです。

島倉千代子さんの歌は大好きです。特に、「逢いたいなァあの人に」の歌が好きです。以下の節で当時の○○ちゃんの姿が思い浮かびます。

 ♪ 風が泣いてる 夕風夜風 
  姉(あね)さんかむりに 花ぴらホロリ
  ホロホロリ
  逢いたいなァ あの人に ♪

投稿: yoko | 2016年1月 6日 (水) 22時17分

島倉千代子さんのデビュー曲「この世の花」が映画の主題曲だったとは、つい最近知ったばかりです。小生がまだ小っちゃかった頃、姉がいつもこの歌を歌っていたのをよく覚えています。島倉千代子さんの数あるヒット曲、名曲の中でも特に「この世の花」が小生は一番好きです。

実は、最近ユーチューブで偶然、映画「この世の花」を観ました。この映画を観て非常に驚きました!!ヒロイン役は何とあの淡路恵子さんだったんです。淡路恵子さんと云えばちょっと妖艶で姉御肌の、小生の記憶では脇役的な役柄が多かった女優さんで、それほど印象に残る方ではなかったのです。ところが「この世の花」では、あの「君の名は」の岸恵子さんも及ばない程、強烈に淡路恵子さんが心に残ってしまいました。純情で、可憐で、どこか憂いを含んでいて、あの淡路恵子さんのイメージと全く違ってました(淡路恵子さん22~23歳頃の作品だと思います)

田中絹代さんや岸恵子さんなどはヒット作のイメージを引き継いで女優をやっておられましたが、淡路恵子さんはどしたんだろう!・・・なんて思ってしまいました。

また映画の挿入歌、島倉千代子さんのこの世の花のB面「おもいでの花」も初めて聴きました。哀愁と可憐さを含んだ、島倉千代子さんにぴったりの、大変良い歌で、ヒットしなかったのが不思議です。

投稿: 60年代大好き人 | 2016年1月26日 (火) 18時12分

私はもの心着いた頃からお千代さんのファンです!
この世の花の詩とは違い、思う人と一緒になりたくて駆け落ちをしました。いろいろ有りましたが、今はどうにか幸せに暮らしております。1994年島倉千代子40周年記念に発売された441曲を収録したCDを購入できた喜びと、はやる気持ちを抑え未だ16才の声で歌うお千代さんのこの世の花を聴いた時の感激は忘れません。また2013年11月8日は東京にいる次男の結婚式に出席をしたのですが、終えて愛知県に帰るために乗った新幹線車内のテロップで島倉千代子さんの訃報を知りました。息子の結婚記念日がお千代さんの命日になりました。何か不思議な感じがします!

投稿: 芳勝 | 2017年10月22日 (日) 02時47分

私も小学生の時から島倉千代子さんのファンで来ました。
大ファンとまではいきませんでしたが、当時は美空ひばりさんの人気がすごく、でも私は歌い方の旨さとかよりも、島倉さんの女性的な声と歌いまわしというか、つまり真に女性的な優しさや可憐なものに、小学生ながら惹かれていたように記憶しています。

やがて地方都市新潟で学生として青春期を過ごした頃も、好みの子はやはりこのタイプでしたよ。相手は成人したばかりの子が多かったですが、皆様もご存知のように、女の子というのは、そのくらいの若さで、島倉さんみたいなのが結局は、男の希望なんでしょうね。初めて付き合った子も、数年後に結婚した家内も、同じくこの線でした。
人の好みは千差万別といいますが、やはり いいものはいい、というのが世の実態なんでしょうかね・・。

投稿: 福田 健治 | 2018年2月12日 (月) 16時08分

皆様に 念のため追伸

さりながら、そこへプラスアルファを。つまり、きちんと自立できる強い心・困難に挫けず冷静に対処でき、ある時は夫の力強い味方となって支えてくれるような、勇気ある人

でもこれって余りにも、理想要件が高いですね。男同士でも滅多に得られない程のことを一人の女性に求めるのは・・

投稿: 福田 健治 | 2018年2月12日 (月) 16時29分

2012年ご投稿の relokun 様へ
いつぞやのコメントではカウントダウンとかありましたが、お元気でご活躍でしょうか。

仰る通り、島倉千代子さんの「この世の花」、もう理屈抜きでGOOD ですね! それはなるほどプロ歌手の姿とはいえ、この世にあるべき女性としての理想を具現化したかの如く、我々男からすれば女とは斯くあるべし、また言い換えれば男の気を惹きたければ島倉さんのように見せかけるだけでなく、常にこれを念頭に置き行動すべし、ですよね。されば恋は結ばれ世は幸福な男女で溢れ、「鎮魂歌」なんて無用の長物になってる筈なんですけどね。・・

投稿: 福田 健治 | 2018年2月21日 (水) 00時52分

Youtubeは大変有難いもので、島倉さんのこの名曲も懐かしく拝聴することができます。しかし気を付けなければいけないのはコメント欄で、ある人は、船村徹氏も数々の名曲を作った等といい加減な投稿を載せていました。困ったものでこういう文言はそのまま残ってしまうのです。有名な「東京だよ・・・」からの安易な連想で無責任にコメントしたのかも知れません。島倉さんはレッスンで「万城目正先生から厳しい指導を受けた」と語っているのですから。

投稿: Kawachiya Enjiro | 2019年1月24日 (木) 04時19分

「この世の花」島倉千代子はある雑誌の対談で、この唄は私の運命を決めたと語っています!

この松竹映画の主題歌はもともと初代コロンビアローズが吹き込む予定だったはずが、彼女のスケジュールの都合で映画の封切に間に合わず、その大役が自分に回ってきたそうで、しかもその話を聞いたのは後年のデビュー三十周年記念番組の収録中のスタジオだったそうです。それを聞いたとたん、気が遠くなりそうだったと話しています。
また初レッスンを作曲家万城目正から受けた時、歌のへタな子だね!と叱られたと、そのころの想い出を語っています。

いずれにしてもこの唄は高音部に独特の哀愁の声を持つ島倉千代子のその声なくしては、ここまでの大ヒットにはならなかったのではないでしょうか!
昭和30年16才で吹き込んだ「この世の花」20代で吹き込んだ「哀愁のからまつ林」30代で吹き込んだ「涙の谷間に太陽を」40代で吹き込んだ「鳳仙花」そして昭和62年52才で吹き込んだ「人生いろいろ」など、昭和時代に数えきれないほどの曲を、アルバムをとおして私に聴かせてくれたお千代さんのその唄声はどれも絶品でした。


投稿: 芳勝 | 2019年1月24日 (木) 16時10分

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