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2007年7月23日 (月)

新妻鏡

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:佐藤惣之助、作曲:古賀政男、
唄:霧島 昇・二葉あき子

1 僕がこころの良人(おっと)なら
  君はこころの花の妻
  遠くさびしく離れても
  泣くな 相模(さがみ)のかもめどり

2 たとえこの眼は見えずとも
  きよいあなたの面影は
  きっと見えます 見えました
  愛のこころの青空に

3 強くなろうよ 強くなれ
  母となる身は幼児(おさなご)
  愛の揺籠(ゆりかご) 花の籠
  なんで嵐にあてらりょう

4 むかし乙女の初島田
  泣いて踊るも生計(くらし)なら
  清い二人の人生を
  熱い泪(なみだ)でうたおうよ

《蛇足》 日米開戦の前年、昭和15年(1940)に東宝映画『新妻鏡』の主題歌として作られ、映画ともども大ヒットしました。

 映画は小島政二郎の小説に基づいたもので、前編と後編に分かれています。渡辺邦男監督で、山田五十鈴、岡譲二、小高たかし、藤間房子などが出演しました。粗筋は次のとおり。

 富豪の娘・七里文代は、両親亡きあとも、ばあやのお多喜と何一つ不自由なく、大邸宅で暮らしていた。隣家の醍醐博は、以前から密かに文代に思いを寄せており、その幼い弟・邦夫も、文代になついていた。

 文代は、邦夫少年にクリスマスプレゼントして空気銃を与えるが、その誤射により失明してしまう。弟を連れて詫びに病室を訪れた博を、お多喜は冷たく追い返すが、彼は毎日花を贈り続けた。

 文代は、花の送り主を見合いの相手・金田だと信じていた。しかし、実際は文代の失明を理由に、結婚話は破談になっていた。お多喜は、そのことを文代に告げることができず、金田の贈り物だと偽っていたのである。

 ある日、七里家の元使用人・大木が訪れ、その嘘を暴いてしまう。文代はショックを受けるが、その後もなにくれとなく親切にする大木の求婚を受け入れ、彼と結婚する。しかし、大木の狙いは七里家の財産であった。

 財産を使い果たしたあげく、実印をもって姿を消した大木は、七里家の邸宅を売り払ってしまう。すでに大木の子を身ごもっていた文代は、お多喜ともども路頭に迷う羽目に陥った。
 責任を感じたお多喜はガス自殺を企てたが、駆けつけた博に助けられた。仔細を聞いた博は、文代たちを自分の家に引き取り、仕事で南洋に発った。

 しかし、彼の会社は倒産し、博もなかなか帰国できない。生まれた子どもを抱えて生活が苦しくなった文代は、たまたま出会った昔の踊りの師匠の薦めで、歌手として寄席に立つ決心を固めた。

 その歌を聴いたレコード会社の社員の薦めで、文代はレコードを吹き込むことになった。それが大ヒットし、思いもよらぬ大金を手にする。
 尾羽うち枯らした大木がそれを聞きつけて姿を現し、自分の子どもを誘拐し、百万円の身代金を文代に要求。文代は、とりあえず用意した10万円をもって出かける。それを受け取って立去ろうとした大木は、ちょうど帰国した博に取り押えられた。

 やがて再手術を受けた文代の眼には、子どもと博の顔がはっきり映っていた。

 ……といったふうで、要するに「薄倖な美女がたどる数奇な運命と美しい愛の物語」ですね。
 上の写真は昭和12年
(1937)に撮影された山田五十鈴。山田五十鈴は名優であるとともに、"恋多き女性"としても有名でした。

 この映画には、もう1つ主題歌があります。サトウハチロー作詞、古賀政男作曲の『目ン無い千鳥』で、これも『新妻鏡』に劣らない大ヒットとなりました。
 ただ、今だったら「目ン無い千鳥」というタイトル・歌詞は使えないでしょうね。

 なお、この小説は、昭和31年(1956)に、志村敏夫監督によって再映画化されています。出演は池内淳子・高島忠夫・沼田曜一などでした。

(二木紘三)

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コメント

新妻鏡粗筋の面白いのにのめり込み感激し突然に二木氏の、といったふうで要するにで我にかえる。

投稿: 古越丈夫 | 2007年7月31日 (火) 16時59分

お便りははじめてですが、いつも聞かせていただいています。ご選曲、楽譜のご解釈、どれを取りましても深いお心が伝わってきます。《蛇足》も、楽しく読ませていただいています。簡潔で、しかも要を得た文章で、行間から聞こえてくるリリカルなものに癒されています。ありがとうございます。一つご質問があります。この「新妻鏡」の歌手はご指摘のように確かに霧島昇・松原操のコンビがふさわしいように思いますが、この曲を収めたSP原盤ではデュエットの相手は二葉あき子になっているはずです。この原盤SP以外に霧島昇・松原操で収録したレコードがあったのでしょうか。寡聞にして、知識がありません。情報の正確さということではかなりお骨折りのことと承知しており、確かな根拠に基づいてのことと拝察しています。どういうレコードがあったのか、お聞かせいただければ幸甚です。

投稿: きたがわたけし | 2008年1月10日 (木) 11時15分

きたがわたけし様
ご指摘ありがとうございました。使った楽譜に松原操とありましたので、再確認することなく使ってしまいました。JASRACのデータベースでは確かに二葉あき子となっていました。早速訂正いたしました。

投稿: 管理人 | 2008年1月10日 (木) 12時12分

古賀政男氏が、生前あるテレビ番組で、この曲について語っていたことが印象に残っています。佐藤惣之助氏から歌詞をはじめて見せられたとき、古賀氏は感動で打ち震えたと言って「僕が心の夫なら 君は心の・・・」とつぶやいたあと、感極まってしばし絶句。そして口をついて出たのが、次の言葉でした。
  「私はね、歌謡曲というものはね、『詩』がお姉さんで、『曲』は妹だと思います。」
後日、この発言に対し、某作曲家が「古賀さんはああ言われたけれども、私は詩と曲とは『双子の姉妹』だと思います。」と異を唱えていました。歌謡曲にとって詩と曲とは、お互いに、言わば、車の両輪という関係ですから、論理的には某氏の説のほうが正しいように思われます。しかし、古賀氏の言う「姉」と「妹」とは、ひとつのの作品が誕生するまでに至る順序を指しているのであって、「上下」や「優劣」とはまた別の話だと思います。時には愚姉賢妹という例だってありますから。
 「詩はお姉さん」という言葉が「作曲家」、しかも古賀政男という大家から発せられたところに、却って氏の誠実で謙虚な人柄が偲ばれるように思います。

投稿: くまさん | 2008年7月26日 (土) 15時40分

二木 紘三様へ
初めてこのページからお便りさせていただいています
懐かしい素晴らしい曲ばかり聴かせていただいています
もし、この中の好きな曲を自分のパソコンに保存出来ないものでしょうか? 
もし、出来るとしたらどのような方法で取り込んだら良いのか?を
教えて下さい。どうぞ、宜しくお願い申し上げます

投稿: 美ちゃん | 2008年10月20日 (月) 22時53分


二木先生、ありがとうございました。
折角、教えて頂きましたが私の技術が至らないもので
ダウンロードできませんでした。聴くことだけは
出来ますので、それで良いかな?とも思っています。

ご親切本当に感謝申し上げます
また、別便でお礼メールを送信致しましたが
届いていないかもしてませんネ?
晩秋に向かって二木先生もどうぞ、お身体には
呉々もご自愛下さいませ ありがとうございました 

投稿: 美ちゃん | 2008年10月28日 (火) 20時42分

とてもいい曲だと思います。いつまでも残しておきたいですね。現代ではいろんな人が作詞、作曲されていますがこのように心に残る曲がないのが残念でなりません。  
このようなきれいで心に残る曲を後世に
これからも数少ない名曲を大切にみんなで歌い継がれるようにしたいですね。

投稿: 岐阜の砂時計 | 2009年3月 7日 (土) 21時24分

二木様。
埼玉からのメールです。いつも懐かしい曲を有難うございます。この曲は「新妻鏡」よりもテンポが早く軽快な感じがして好きなんですね。さて質問ですが、「新妻鏡」「目ン無い千鳥」「月よりの使者」といった歌は、1~4番まであるのですが、再レコードかされる時は3番までになってしまいます。
これは何故なんでしょうか?。
歌というものは短いとはいえ、1つの物語だと思っています。オリジナルのまま、4番まであったほうが、聞く人間に情感が伝わっていいように
思いますが、二木先生はいかが思われますか?。

投稿: 埼玉のモグラ | 2011年4月26日 (火) 20時40分

埼玉のモグラ様
レコード、CD、DVDへの収録容量や放送時間、印刷物の場合はスペースの関係で、あまりできのよくない聯が省略され、それが定着してしまったということではないでしょうか。
でも、省略された歌詞が意外ときれいだったりすることがよくありますね。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2011年4月27日 (水) 18時47分

二木先生
お答え有難うございました。
先生のお話しの通り、中には「入っていればもっとよくなるのに」と思わせる歌詞があるんですよね。残念ですが ・・・・。
これからも懐かしい曲の数々を聞かせて下さいますようにお願い申し上げます。

投稿: 埼玉のモグラ | 2011年4月27日 (水) 19時39分

二木先生
4月以来のメールです。
「島のわかれ(別れ?)船」島倉千代子がお手元にありましたら、是非歌詞とともにup loadをお願いしたく思います。
ある場所にはupされているんですが、どうにも聞き取れない箇所がありまして。
この歌はあまり売れなかったんでしょうか?
居酒屋のカラオケにもありませんし、いい歌だと
思うのはワタシだけでしょうか?

投稿: 埼玉のモグラ | 2011年12月20日 (火) 22時22分

「新妻鏡」この歌を私が初めて聴いたのは、昭和40年の紅白歌合戦で、島倉千代子さんが歌った時でした!
20代の頃、某テレビ番組で、この曲を弾いていたアントンニオ古賀の独特なギターテクニックに魅せられ、そして感動し、私も本格的に、ギターが巧くなりたいという思いに駆られました。
そして、アントニオ古賀監修楽譜を取り揃えて、一時は古賀メロディを徹底的に猛練習し、影を慕いて・湯の町エレジー・悲しい酒などをマスターし終えた頃、大きな楽器店に行き、心新たに少し高価なギターを新調した事などが想い出されます。
私が20代の頃に出会った、かけがえのない恩師のご自宅には、私のギターが1本置いてあり、今でも数年に一度は、泊りがけで恩師のご自宅へ伺って、その方とお酒を酌み交しますが、そこで必ず弾くのが、恩師の好きな「青春日記」と「新妻鏡」です。
その方は、今70代になられますが、アコウディオン歴が長く、とても巧い方で、酒が進んでお互いほろ酔い気分になると、私のギターと音を合わせて必ず二人の演奏が始まります。
そして最後には、奥様からリクエストされる「人生の並木路」を弾くのですが、最近はご夫婦ともに、いつも涙ぐまれながら聴かれています。
「新妻鏡」この歌は古賀メロディの中でも、特に私の好きな一曲です。

投稿: 芳勝 | 2018年3月18日 (日) 12時52分

芳勝さま
 コメントを楽しく拝読しました。素敵な交流ですね。芳勝さまのお人柄が彷彿してきます。心和むお話ありがとうございます。これからも楽しみにしております。

投稿: konoha | 2018年3月18日 (日) 13時10分

「目ン無い千鳥」は挿入歌と思っていました。
主題歌となっているのと挿入歌となっているのがあるのですね。

投稿: なち | 2019年8月15日 (木) 10時29分

なち様
『目ン無い千鳥』は私が使った楽譜と『日本流行歌史』(社会思想社)に主題歌とあったので、それに従いました。
正直、私には主題歌と挿入歌の違いがよくわかりません。ヒット曲に沿って映画が作られた場合や、映画に合わせて曲が作られた場合は主題歌ということになるのでしょうが、『遥かなるアラモ』のように、映画の内容と全然関係ない主題歌なんてのもざらにありますしね。

投稿: 管理人 | 2019年8月15日 (木) 16時08分

テレビドラマでは、主題歌が前後で挿入歌がドラマの中と思っていました。

江原真二郎、山本陽子出演のテレビドラマ「新妻鏡」の時に、
「新妻鏡」がアントニオ古賀? 合わないなぁー
「目ン無い千鳥」を聴いて、特徴のある唄い方と声。
大川栄策・・絶対男の名前、どんな人? どんな顏? 
歌が流れだすとドキドキしていました。。

何年か前に当地に来られたので聴きに行きました。
「デビュー曲は「目ン無い千鳥」ですが、古賀先生が「新妻鏡」を、
と言って下さったのにスタッフに反対されて・・」と話されてました。

投稿: なち | 2019年8月15日 (木) 19時37分

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