ソルヴェイグの歌
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
日本語詞:堀内敬三
冬は逝(ゆ)きて春過ぎて 春過ぎて 生きてなお君世に在(ま)さば 君世に在さば (原詩) Kanske vil der gå både Vinter og Vår, Gud styrke dig, hvor du i Verden går, |
《蛇足》 ノルウェーを代表する作曲家グリーク(Edvard Hagerup Grieg…写真)の組曲『ペール・ギュント』のうちの1曲(op.55-4)。
もとは、同国の文豪イプセンが1867年に書いた全5幕の詩劇で、1876年2月24日に首都クリスチャニア(現オスロ)の劇場で初演されました。その劇中音楽を担当したのがグリークで、のちに作曲者自身によって組曲として再構成・発表されました。
身勝手でほら吹きの放蕩児ペール・ギュントは、世界を放浪したはてに、老いさらばえ、無一文になって帰郷します。盲目になりながらも彼を待っていた若き日の恋人ソルヴェイグは、彼を許して迎え入れ、ペール・ギュントは安らかな永遠の眠りにつく――という物語です。
『ソルヴェイグの歌』は、ペール・ギュントの帰りを待ちわびるソルヴェイグが独唱するもの。「ああ……」の旋律は、ノルウェーの古い羊飼いの歌から採ったものだといわれます。
『ペール・ギュント』は、官能性の高い『アニトラの踊り』『アラビアの踊り』を除けば、清澄なメロディが基調になっていますが、そのなかでもとりわけこの曲は、北欧の澄んで冷涼な空気を感じさせるようなメロディで、日本でも愛好者の多い曲です。
(二木紘三)
コメント
グリーク作曲のソルヴエイグの歌は、清純な乙女心を表現した素晴らしい歌ですね。「女心の歌」や「カタログの歌」と真反対です^^。
投稿: 三瓶 | 2007年7月18日 (水) 00時15分
ペールギュントは大好きな曲です。とりわけソルウェーグのうたは、いいですね。高校の音楽の時間に、各人前に出て教師のピアノ伴奏で歌わされましたので、翻訳歌詞もよく覚えています。ちょうど20年前、北欧5カ国(デンマーク、アイスランド、ノルウエー、スウェーデン、フィンランド)を回りました。その時、ベルゲンのグリークの生家を訪ね、グリーク銅像(グリークは病弱で、確か身長は150センチぐらいしかない)の頭を撫でてきました。フィンランドではシベリウスの肉声入りのフィンランディアのLPを手に入れてきました。いいですね。
投稿: 山田計一 | 2007年7月18日 (水) 12時00分
女の歌とは言えど、暗くて苦しかった、不良少年時代の歌。真夜中に川べりを彷徨していたとき、橋の上に出て夜空に向けて熱唱したことがある。眼下では真冬の月が流れに砕けて、いつまでも同じところに躍っていた。
その直後である、偶然行き遇った別の不良少年と、ナイフでわたりあったのは。あの少年は、いまどうしているだろうか。シャワーを浴びながら太ももに残る傷跡に自分の手が触れたり、女に傷跡のわけを訊かれたりするとき、わけもなく持て余して濫費した、自分でも得体の知れぬエネルギーのことを想い出す。ソルヴェイグはあんなに意志強く、ひとつの恋に生き続けたのに。
投稿: ロストジェネレーション | 2008年6月18日 (水) 12時13分
大貫妙子さんの歌唱で、「みんなのうた」に登場したことがあります。
その際の歌詞は、
湖の入江にたてば波がつぶやく
“ここにはもう少女のころの君はいない”と
風に舞って水に落ちた白い帽子
ぬれた服をしぼってくれたやさしい夏
会いたいのはあなたよりも
そばかす気にしていた日のわたし
少年は鳥になれず大人になって
わたしは水鏡の中 わたしをさがす
誰にもただ一度だけの夏があるの
それは恋と気づかないで 恋した夏
というものでした。
なんとも物悲しく切ない詩と曲調だったのを記憶しています。
投稿: takama | 2009年9月 5日 (土) 02時21分
『G線上のアリア』『アヴェ・マリア』『タイースの瞑想曲』などにも通じる、深い西洋的哀調と気高さを感じます。
ペール・ギュントをひたすら待ちわびるソルヴェイグの姿は、ギリシャ神話の英雄オデュッセウスの妻のペネロペイアを彷彿とさせます。古代ギリシャ史上名高い「トロイア戦争」(BC13世紀?)に遠征したイタケーの王オデュッセウスは、10余年にも及びこう着状態が続いていた同戦争を、「トロイの木馬」の知略で一晩にしてギリシャ(アカイア)勢に勝利をもたらしました。
しかしこれがトロイア(イーリオス)勢に加担した美の女神アフロディーテや海神ポセイドンの恨みを買い、オデュッセウスは運命の風に翻弄され続け、さまざまの神話的な国を放浪することになったのでした。
その間長い歳月が経過し、終いには美貌の妻ペネロペイアのもとに40人もの求婚者が押し寄せました。しかしギリシャ神話中最も貞淑な妻だったペネロペイアは、それを巧みに断り続け、ひたすら夫オデュッセウスの帰りを待ち、20年後遂に念願の再開を果たしたのです。
私の独断ですが、詩劇『ペール・ギュント』の作者イプセンは、このエピソードを主な下敷きとして同詩劇を書き上げたのではないでしょうか?ソルヴェイグは、結局夫のもとを去っていくイブセンの代表作『人形の家』のノラとは対極的な女性像です。
投稿: Lemuria | 2009年9月10日 (木) 23時58分
takama様もコメントされていますが、わたしもこの歌がNHK「みんなのうた」で放映されていたことを思い出しました。takama様のコメントには題名がなかったので、YouTubeで検索しましたら、当時のサイトがありました。懐かしくなって、聴き入りました。題名は『みずうみ』(作詞 山川啓介 歌 大貫妙子)です。
詞はtakama様の書かれているように、少女期を脱した女性が過去の自分を具体的に回想する内容ですが、『ソルヴェイグの歌』の永遠の愛を歌ったものとは異なりながら、曲想にマッチしているように思います。また、大貫さんの歌唱法が、彼女の普段の歌い方とことなり、抑え勝ちに素直に歌っているところがアッピールしたのではないでしょうか。バックの湖の風景も歌に溶け込んでいるように思います。聴いていると、本当にこの歌が『みずうみ』の底から湧き上ってくるように感じられるのは、わたしだけでしょうか。
投稿: ひろし | 2009年9月28日 (月) 15時44分
以前から好きなので、カウンターテナー歌手の「ソルベイグの歌」を時々CDで聴いています。中性的な清純な歌声で原語です。
ソルベイグは、どうしようもない息子をいつまでも信じて待つ「母」のようです。
それに対してペール・ギュントは、ソルベイグと言う恋人がいながら簡単に他の女性に心を移し、すぐに飽きて捨てる。そして放蕩の限りを尽くした果てにソルベイグという「母」のもとに帰り永遠の眠りに付く…。男の人にとって、こんな都合の良い話があるでしょうか…。だから筋はあまり深く考えず、歌そのものを聴いています。
「ああ……」と母音のみで歌われるヴォカリーズの部分も好きです。ご解説によると、古くからある羊飼いの歌から採られたとか…。
ひろしさんが書いていらっしゃる大西妙子さんのも聴いてみましたが、ヴォカリーズの部分の旋律が変えられ、そこに歌詞が付けられているんですね。そのせいかだいぶ印象が変わってしまうのですが、「みずうみ」もなかなか素敵でした。
投稿: 眠り草 | 2010年9月26日 (日) 11時06分
先ほど「大貫妙子さん」のことを、大西妙子さんと書いてしまいました。失礼いたしました。
「ソルヴェイグ」を、ついソルベイグと書いてしまうのは癖のようなもので、他意はありません。
投稿: 眠り草 | 2010年9月26日 (日) 12時19分
高校1年の時の音楽の授業で、教師が「ローハイド」と「ソルヴェイグの歌」のレコードを流した後、生徒にどちらが好きか挙手させました。
私は迷わず、「ソルヴェイグの歌」に挙手しましたが、他の男子生徒は全員「ローハイド」でした。
その後一人ずつ前に出て、挙手した曲の楽譜を渡され、教師のピアノ伴奏で歌わさせられました。
男子生徒にとって「ローハイド」は地声で行けるのですが、「ソルヴェイグの歌」は無理な話です。
結局、「♪ア~アアアアアア~」のところで、悲惨な雄叫び状態になりました、嗚呼嗚呼~。
それ以来、この歌は人前では決して口ずさみません。
そして、私の名誉の為に付け加えるならば、「ローハイド」を歌った生徒も大多数は英語の歌詞が滅茶苦茶でした。
その他、この教師は生徒に作曲の宿題を出して、歌わせたりしていました。
盗作紛いのメロディや、上手く歌えた生徒にもう一度歌わせたら全く別の曲になってしまったり、字余りの曲になったり・・・と、
今考えると音楽の授業と言うより、レクリェーションのようでした。
半世紀ほど昔のノンビリした時代でした。
投稿: コーデリア | 2010年9月30日 (木) 00時05分
「わが母の教えたまいし歌」とともに、この歌を聴くと涙が出ます。心が洗われる名曲です。
日本の歌曲では「初恋」が同じ心情の歌でしょうか。
投稿: 三瓶 | 2010年10月 1日 (金) 19時20分
時々ですが、一人で声を出して思い切り歌いたいときは、このページを開いて、思いつくまま歌わせて頂きます。でも思うように声が続かず、歌うことはやめてしまい、知らず知らず二木先生の解説を夢中になって読んでいる自分に笑ってしまいます。いつも有難うございます。
ぎっしり知識が詰まっていてすべて記憶できなくても、好きな曲の解説だけは、しっかり頭に入っているようです。
最後の欄に出てきた曲ですが、驚きました。すらすらと歌詞が出てきて、嬉しかったです。おもえば多感な十代の後半に、習ったことは記憶してるのですね。
高校の音楽の先生は、東京の音楽学校を出られたお綺麗な
先生でした。授業が終わるとごく自然に「魔王」を流暢に弾いて下さいました。その後は私たちは厚かましく、あれこれリクエストしても、嫌な顔もせず言葉数は少なかった先生ですが、暖かい心で接して下さいました。
今もそれらの曲に出会うとき、自然にあのピアノの周りに集まった短い時間を思い出して、感傷に浸って「ためいき」をつくときは、過ぎた年数は忘れています。
確か高校の音楽の時間、東京の音大を出られた若い綺麗な先生でした。
投稿: mitsuko | 2015年3月13日 (金) 09時25分
およそ半世紀前、高校の音楽の教科書に載っていました。“名曲である”との解説がつけられていました。そのころはわかりませんでしたが、今は“全くその通り!”と思っています。さらには、堀内敬三の名訳は(原詩は解りませんが)この曲と一体化して見事だと思います。(特に二番の歌詞は胸に迫ります)究極のラブソングではないでしょうか。
Youtubeではいろんな歌手がこの曲を歌っているのを見る(聴く)ことができますが、歌手それぞれで全く違う歌に聞こえます。それだけこの歌はむつかしいのでしょうね。そのような中で、イプセンとおなじノルウェイのソプラノ歌手マリタ・ソルバーグがベルリンフィルをバックに野外音楽堂で歌うこの曲は一番好きで、絶唱だと思い毎日聞いています。
投稿: ばってん | 2016年12月25日 (日) 15時04分