« アカシアの雨がやむとき | トップページ | 月の沙漠 »

2007年7月19日 (木)

旅の夜風

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:西條八十、作曲:万城目 正、
唄:霧島 昇&ミス・コロムビア

(男)
  花も嵐も 踏み越えて
  行くが男の 生きる途(みち)
  泣いてくれるな ほろほろ鳥よ
  月の比叡(ひえい)を 独(ひと)り行く

(女)
  優しかの君 ただ独り
  発(た)たせまつりし 旅の空
  可愛い子供は 女の生命(いのち)
  なぜに淋しい 子守唄

(男)
  加茂の河原に 秋長(た)けて
  肌に夜風が 沁みわたる
  男柳が なに泣くものか
  風に揺れるは 影ばかり

(男女)
  愛の山河(やまかわ) 雲幾重(くもいくえ)
  心ごころを 隔てても
  待てば来る来る 愛染かつら
  やがて芽をふく 春が来る

《蛇足》 昭和13年(1938)に公開された松竹映画『愛染かつら』の主題歌。

 この映画は爆発的な人気を集め、主題歌の『旅の夜風』も、120万枚という驚異的なレコード売り上げを記録しました。当時日本にあったプレーヤー(蓄音機といいましたが)の台数を考えると、今日の2000万枚ほどのメガヒットにも相当するでしょう。

 ミス・コロムビアはのちに松原操と芸名を変えました。霧島昇と何曲もデュエットしています。戦後、霧島昇と結婚して芸能界から引退しました。

 『愛染かつら』は、川口松太郎が雑誌『婦人倶楽部』に連載した小説を映画化したもので、美貌の看護婦・高石かつ枝と若い医師・津村浩三の恋を描いたメロドラマの傑作です。

 かつ枝は17歳のとき結婚して1子をもうけましたが、夫と死別、津村病院で働くようになります。彼女はまもなく病院の令息・浩三と恋に落ち、2人は津村家の菩提寺に立つ愛染かつらの木の下で永遠の愛を誓います。
 その後幾多の誤解とすれ違いの末、日蓄レコードの歌手としてデビューすることになったかつ枝は、浩三と再会し、結ばれることになります。

 映画は野村浩将監督で、高石かつ枝を田中絹代、津村浩三を上原謙が演じました。前編・後編・続編・完結編と4作制作され、戦後リメイクされました。

 映画と主題歌の大ヒットを解くカギの1つが、「愛染かつら」という名前でしょう。
 長野県別所温泉の奥に北向観音という古刹があり、その境内に、愛染明王堂と並んでカツラの巨木が立っています
(写真)。川口松太郎は、別所温泉に逗留していたとき、この木を見て「愛染かつら」という言葉を思いつき、恋物語の想を得たとされています。
 それ以前にこういう呼び方があったかどうかはわかりません。このカツラは、古くから縁結びの霊木として知られていたようですが、映画と主題歌のヒットによって、そのイメージが定着したようです。

 ウィキペディアによると(原資料は『歌でつづる20世紀 あの歌が流れていた頃』〈長田暁二著、ヤマハミュージックメディア刊〉)、3番2行目は、原詞では「肌に夜風が沁みるとも」だったそうです。ところが、吹き込み時に霧島昇がまちがえて「……沁みわたる」と歌ってしまい、それが大ヒットしたため、まちがった歌詞のまま定着してしまいました。

 戦後、藤原良・高石かつ枝がカバーした際、原詞どおりに歌ったところ、「歌詞が違う」という抗議がコロムビアに殺到したため、同社はやむを得ず霧島版と同じ歌詞で再発売したそうです。

 歌詞の意味を考えると、「……沁みるとも」とすべきですが、数十年にわたって「……沁みわたる」と歌われてきたので、当ページではそのままにしておきます。

(二木紘三)

« アカシアの雨がやむとき | トップページ | 月の沙漠 »

コメント

遠い、古の懐かしい曲です。
この曲を聴いていますと、秋、北向観音で見た公孫樹の黄葉と、桂の見事な紅葉が、昨日のように浮かんで消えてゆきます。

投稿: 柾木 忍 | 2007年9月16日 (日) 01時45分

この情緒ある名曲は、あの世ではもう聞けなのでしょうか?

投稿: 松尾 和彦 | 2007年9月17日 (月) 01時36分

私はいま72歳です。
幼いころ姉たちは愛染かつらの映画のとりこになり、田舎からバスで
岐阜、柳ガ瀬の映画館に通い 愛染かつらのこの曲のとりこになり
いつも口ずさんでいたのが思い出されます。
男の私もこの曲に感化されたおかげで今、70代ですがこの曲を聴くと
幼いころがよみがえって目頭が熱くなります。
いまもヘッドホーンでこの曲を聞きながら遠い昔を懐かしんでいます。

投稿: 岐阜の砂時計 | 2007年9月29日 (土) 17時37分

私は、ここ何年か、アコーディオンを携えて奈良県内のいくつかの高齢者のための施設を訪問しています。お年寄りたちと一緒に、懐かしい時代の歌を一緒に歌うためです。かっての「歌声喫茶」のお年寄り版というところです。その出前ですね。
明治から戦前、戦後(昭和30年代までですね)の歌謡曲や唱歌、ラジオ歌謡など、軍歌を除いていろんな歌を一緒に歌ってきた中で、気がついたことがあります。喜んで歌ってくれる歌は多いのですが、歌いながら(あるいは聞きながら)涙を流す歌は実はそれほど多くはないのです。
その数少ない歌が、この「旅の夜風」です(あと、二木さんの選曲には残念ながら入っていないのですが、「蘇州夜曲」も泣かれる方が多い歌です)。
この歌を聞いて涙を流されるお年寄りの生い立ちは千差万別ですから、特別の思い出があるというだけでないように思います。この歌のメロディーに涙を誘う不思議な魅力があるのかもしれませんね。

投稿: 阿弥陀堂 | 2008年2月 9日 (土) 10時11分

 64歳になったばかりの男性フアンです、私は若い高石かつえが謳った時の岡田マリコですか、津村浩三には吉田輝夫この映画が印象に残っております。
 この映画ではストーリーとメロディー及び歌詞がぴったり合っており永久に残る日本映画の傑作だと感じております。

投稿: トクラテス | 2008年5月 3日 (土) 13時06分

初めてコメントします。
私も粗末なブログで「旅の夜風」のことを書き、それがきっかけになり、こちらのHPに辿りつきました。
私も懐メロ、叙情歌、唱歌、フォークソング、歌曲、アリアなどジャンルを超えて好きなことは人後に落ちないつもりでしたが、上には上があるものですね。
世の中の広さを改めて思い知らされました。
これからじっくり楽しませていただきます。

それからお探し曲などをお尋ねさせていただくことなども可能なのでしょうか?
初手から厚かましいことを申し上げてしまいました。

投稿: 風花爺さん | 2008年7月 9日 (水) 17時06分

うた物語ありがとうございます。胸にジンと来る曲を聴きながら感謝しています。
蛇足でない!説明が本当によくできていましてそのころを思い出すことができます。

「愛染かつら」は昭和13年京都西陣千本の松竹系統昭和館で7歳のとき母のお供で見ました。今でもそのシーンを覚えているといったら嘘になるでしょうか。

それは、田中絹代扮する高石かつえが、東京駅から京都に行く上原謙を見送りに東京駅のホームを駆けてゆく、列車はすでに発車のベルが鳴り出てゆきます。時間に遅れたのは、かつえの子供が風邪にかかり発熱、看病しなければならない一方、居間の柱時計がどんどんと針が進んでゆくシーンです。
楽しませていただきありがとうございます

投稿: MA | 2008年9月 2日 (火) 23時48分

演歌と言えば、典型的な伴奏は「チャーン、チャーン、チャ、チャッ、チャッ、チャッ、チャ」と思いますが、それはこの曲から始まったんでしょうか。そんなことを感じさせる大ヒット曲でしたね。

投稿: 吟二 | 2009年7月28日 (火) 22時32分

一部に曲が再生されません。

投稿: 圓山文夫 | 2009年11月 6日 (金) 20時45分

圓山文夫 様
回線の混んでいる時間帯には音が出るまでかなり時間のかかる場合があります。すぐに音が出ない場合は、リフレッシュ(再読み込み)してみて下さい。
午前中など、すいている時間帯にアクセスしても音が出ない場合は、当方のリンクミスの可能性がありますので、その曲名をお知らせください。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2009年11月 6日 (金) 22時33分

圓山文夫 様

その後の調子はいかがですか.全曲点検したところ,当方も「グットナイト ベイビー」「いつかある日」「雨(La piggia)」「ワン レイニー ナイト イン トウキョウ」の4曲が無音です.立ち上がりに10-15秒ほどかかる曲が4,5曲ありましたが,他は4-8秒で音が出ています.管理人様から同様のメールをいただきました.管理人様の点検では異常がないとのことでした.

投稿: kumy | 2009年11月 9日 (月) 08時38分

お便りいただきありがとうございました。

リカバリーしましたらすべて回復できました。
こちらの設定ミスかと思いました。

解決、万歳

投稿: 圓山文夫 | 2009年11月 9日 (月) 17時33分

圓山文夫 様

別の機種で試したところ,先の曲は全て聴けました.元の機種では相変わらず聞けないので当方もリカバリーしてみます.

ありがとうございました.

投稿: kumy | 2009年11月10日 (火) 07時59分

 40年以上前に、この歌の歌詞について作詞者の西条八十さんが書いていたものを読んだことがあります。

 その当時作ったいくつかの作詞について手ひどい批評をされたことがあったそうで、悩んでいた折にこの歌の作詞を依頼されたそうです。原作の小説を読んだがいい考えが浮かばず約束の期限が迫ってくる。

 散々迷った末に、ええいままよとばかり、

  花も嵐も踏み越えて
  行くが男の生きる途(みち)
  泣いてくれるな ほろほろ鳥よ
  月の比叡(ひえい)を独(ひと)り行く

とでっち上げたそうです。この詞は一読しただけではああなるほど、と思えますが、よく読んでみれば何を言っているのだかさっぱりわかりません。とくに 

 泣いてくれるな ほろほろ鳥よ 月の比叡(ひえい) を独り行く

などという部分は意味不明です。

 名作しかもそういうことがあるのですね。それでもベストセラーの小説と、大ヒットした映画の主題歌という援軍が会ったという幸運も重なって、特大ヒットを飛ばしたのですからたいしたものです。


投稿: 高橋 | 2009年11月28日 (土) 11時28分

産まれる前の歌ですが、ロングセラーだったせいか歌えてしまいます。この一連で高石かつ枝と言う歌手がいましたが清楚な歌い方で今風の歌手より好感が持てました。

投稿: 海道 | 2009年11月28日 (土) 19時47分

はじめてメール致します。
蛇足でない!説明(二番煎じなのが悔しいです)が本当によくできていて感心しています。
『愛染かつら』は今は亡き両親がテレビの前で正座して見ていました。
ある時何かの放送で、『旅の夜風』が歌われたとき大正生まれの父がテレビに向かって「違う!」と叫んでびっくりした記憶があり、それが何なのかずっと謎だったのですが、最近、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』旅の夜風
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%85%E3%81%AE%E5%A4%9C%E9%A2%A8
を読んで謎が解けました。
3番の歌詞が歌われているものと異なっていたからだったようです。

そこで、興味が湧き、色々と調べた結果、
CD『昭和の大ヒット大全集(上)』Columbia Music Entertainment の中にある『旅の夜風』の歌詞が一番信頼できるのではないか、また歌詞と実際の歌が違う理由も合わせて記述されてはどうかと思い一筆差し上げた次第です。

『旅の夜風』
花も嵐も 踏み越えて
行くが男の 生きる道
泣いてくれるな ほろほろ鳥よ
月の比叡を 独り行く

優しかの君 ただ独り
発たせまつりし 旅の空
可愛子供は 女の生命
なぜに淋しい 子守唄

加茂の河原に 秋長けて
肌に夜風が 沁みるとも
男柳が なに泣くものか
風に揺れるは 影ばかり

愛の山河 雲幾重
心ごころを 隔てても
待てば来る来る 愛染かつら
やがて芽をふく 春が来る

投稿: 浜井 | 2010年2月23日 (火) 14時47分

浜井様
お知らせありがとうございました。
この歌を覚えて以来、3番3行目の「男柳がなに泣くものか」が孤立した感じのヴァースになっているのに違和感を感じていましたが、そんな歌詞はよくあるので、そういうものかと思っていました。
しかし、2行目が「……とも」という逆接の接続助詞で終わっていると、意味がすんなり3行目につながります。おかげでモヤモヤが晴れました。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2010年2月23日 (火) 21時30分

母は、若い頃、田中絹代に似ていると言われていたそうですが、戦争をはさんで、境遇も全く変わり、ドラマにしても見飽きぬ人生を歩いてきました。生まれた時から病弱だったのが、93才もの長寿をいただき、今、最期を迎えようとしています。仕事を持ち、遠方のため、なかなかすぐに帰って看ることができず、気だけ揉んでいますが、久しぶりにこのページを開いたところ、旅の夜風があり(今までもあったのかもしれませんが・・・)最期に、この歌を聞かせてやりたいと思います。このページに感謝します。

投稿: f_fukuda | 2011年4月30日 (土) 15時22分

50年近く前の話です。高校1年か2年の終業式で「花も嵐も踏み越えて」の歌詞を例に、春休みの過ごし方を淡々と諭された校長の訓辞が思い出されます。人間は嵐のような逆境の時は歯を食いしばって頑張れるが、春の穏やかな日々はのんべんだらりと無為に過ごしがちである。春を花に例え、この時期を制してこそという意味だったのだと思います。校長先生の訓辞というのは一般にあまり頭に残らないように思うのですが、なぜかこの話はこの歌にそんな意味があったのかという驚きもあり、今でも色あせず残っていて順境の時の怠け心を戒めてくれます。
この歌の出だしの歌詞もメロディーも知っていましたが、全体の歌詞は知りませんでした。全部を目にしてやはり出だしの部分が秀逸と思いました。

投稿: 池田博子 | 2011年8月24日 (水) 15時54分

今日は!
ネット社会になり、動画のYOU TUBEで「旅の夜風 mpg」で検索すると、コロンビア・カラオケの画像に有名な映画「愛染かつら」がダイジェスト的に楽しめます。
典型的な、すれ違いのメロドラマ。典型的な二枚目の上原謙さん、若い!(笑)田中絹代さんも可憐でホントに可愛いですね。

しかし、今見ても魅力的な甘い映像の後に、日中戦争、第二次大戦と日本は暗黒時代に入ってしまうと思うとちょっと辛いですね...

それはともかく、謙さんや絹代さん以上に新鮮なのが、謙さんの僚友、佐分利 信さんですね!
若くて痩せてる佐分利さん、メチャクチャかっこいい。佐分利さん超カッコ良すぎ!(笑)

投稿: タッチー(佐分利 信) | 2011年10月19日 (水) 17時15分

 久保さんが、『月の沙漠』の「の」について、文法的な疑問を出されました。似たようなのがあったと思い、この歌にたどり着きました。
 「月の比叡を...」
こういう表現は結構あるのではないでしょうか。
 かの志賀直哉は、日本語は不完全で不便であるから、フランス語を国語にした方がよい、と唱えました。あるいは、英語を国語にすべきだ、という人達もいたようです。
 ある仏文学者は、日本語は非文法的だといっています。言い換えれば、ヨーロッパ由来の文法で、日本語をひと括りにすることは難しいということでしょう。この「の」が文法としてどうなのかは解りませんが、複雑多様な表現形態をもつ日本語を誇るべき文化として味わいたいと思います。
 歌であれば、眠り草さんの仰るように「雰囲気」を理屈抜きに愛」して。

投稿: MAEDA | 2012年9月 8日 (土) 01時37分

MAEDAさん
 「月の比叡を」も「月の沙漠」の「の」と同じ用法ですね。「月の沙漠」のやりとりを店じまいしたのでこちらにご意見をくださったのでしょうか。ありがとうございます。私も日本語のあいまいさ、不完全性はよく耳にしましたが、おっしやる通り、そういうあいまいな日本語にプラスの評価をして多様性、豊かさとして楽しめばよい、に同感いたします。今回の「の」に関するご意見拝聴といいますか、やりとりですが「より歌を楽しみたいがゆえに言葉の意味をより正確に知りたい」という思いと「歌なんだからあまり理屈はもちこまないで楽しんだらいい」という思いの間を行ったり来たりした感じですね。あのやりとりの途中で、国語研究の専門家が登場してこれが正しい答えですと説明されてもちょっと困ったでしょうね。素人がああでもない、こうでもないといろいろ智慧をしぼるところがこのサイトの良いところだと思いますから。さて日本には言葉に限らず「以心伝心」あるいは「陰翳礼賛」といって、あいまいでぼんやりしたものも良しとする文化があり、それはそれで大事にしたい思いはあります。が(私の悪い癖で一言多いんですが)外国に向かってものを言う時、日本語の弱さを感じることがありますね。「遺憾に思う」「違和感を感じる」など外国人が聞いたら何がいいたいのと思うでしょうね。どう翻訳しているのでしょうね。官僚が書いた文章でしょうが、政治家がそういうあいまいな、内向きの言葉を平気で外国に対しても使ってしまうことは日本人の非論理的、情緒的なところとして、外交上の大変な弱点になるでしょうね。


投稿: 久保 稔 | 2012年9月 9日 (日) 00時19分

久保さん、もう少しだけ言わせて下さい。私は日本語が好きで、ここに集まる語感の厳しい、感性の鋭い方々が好きなんです。言葉の組立がしっかりしていない歌詞は、メロディーが美しくても私は歌う気になれません。歌だから、よくわからなくても楽しめば良いというつもりは全くありません。それは文法的にどうのこうのと言う以前に、感覚が捉えることだと思います。感覚が受け入れない歌もあります。
「月の沙漠」への、久保さんの最後のコメントを読んで素晴らしいと思いましたし、分かって頂けたものとうれしく思いましたが……。 

私は美しい一部の文語詩も好きですが、省略も飛躍もある詩などの日本語と、具体的な正確さが必要とされる論文や政治や外交上の言葉とは違って当然だと思います。目的や場面に応じて表現を変えたら良いのではないでしょうか…。


投稿: 眠り草 | 2012年9月 9日 (日) 02時24分

「月の沙漠」の「の」でご意見をいただいたすべての皆さんへ       「旅の夜風」のコーナーを使って意見を書くのも気がひけますがコメントの続きということでご容赦をお願いします。私の「月の沙漠」の「の」の意味の理解の今の到達点をまとめます。この「の」は名詞などにつく格助詞でまちがいないでしょう。国語辞典『大辞泉』を調べますと14種類の用法がでています。その中に比喩を現わす「の」がでてきます。「花の都」「露の命」が具体例です。(意味は00のようなです)「月の沙漠」の「の」もこれでしょう。ほかに適するものが見当たらないし、消去法で考えても妥当でしょう。整理しますと「の」は比喩を現わす格助詞である。(もしもこの前提が間違っていたら私の意見は読む価値一切なしですね)そこで「花の都」「露の命」などは人口に膾炙されている、すなわち定着したので違和感を感じない。しかし「月の沙漠」、「月の比叡」は作詞者が新しく切り開いた表現ですからまだしっくりこない。月明かりの明るい沙漠、月光の照らす比叡山ぐらいのニュアンスでどうでしょうか。少し定着の進んだ語としては「花の顔(かんばせ)」(花のように美しい顔)などもありますが、「花の都」(花のように華やかな都)「露の命」(露のようにはかない命)ほどには定着はしていないと思いますがいかがでしょうか。つまり耳慣れるかどうかも言葉の安定度の大きな要素です。私は一番初めの意見に「朧月と月のような沙漠が並んでいるのは少し変な感じ」と考えましたが、朧月と月光にぼんやりと
照らされている明るい沙漠と考えれば何もおかしくはないと気づきました。
次に「歌を楽しむには理屈をあまりもちこまないほうがいい」というのは、昔から、すぐに品詞を分解して考えずにはおられない自分への自嘲めいた気持ちの表明です。なぜなら耳慣れてはじめて定着する言葉にいくら理屈で迫っても限界があるということです。

 最後に日本人の外交上のかけひきなどに関する話ですが、デベートの訓練を積み、外国の習慣について熟知すれば外交術は上達するだろうという意見があります。しかし私は日本語というあいまいにして婉曲な、対決をさけるようなことばで、日常、言語活動をしている我々には難しいという悲観論です。日本語およびその言語習慣はディベートにすら向いてないと思います。(論証抜きで申し訳ございませんが、スペースもなくこのサイトの趣旨から外れるような感じですから、これにて終わります)


投稿: 久保 稔 | 2012年9月 9日 (日) 12時34分

久保 稔さんのご意見はよくわかりました。私の考えは、「月の沙漠」の方に投稿しますので、もしよろしければ読んで下さい。議論の経験もほとんどなく、昔の女なので居酒屋に出入りすることもなく、全く無知で浅はかなものですが、お手柔らかにお願いします。

投稿: 眠り草 | 2012年9月 9日 (日) 19時01分

 この歌の一番について、「なにを言っているのか分からない」というコメントがありますが、詩文への反応、理解は様々です。
 詩文の理解、で言えば、「の」論は盛り上がりました。私は、久保さんの一連のコメントが、特徴的論法で述べられている、それが面白く、印象に残りました。

 *文量等について、管理人氏の注意書きがあるので、
  コメントが長文にならないよう心がけているのです  が、思うところを、簡潔に、かつ誤解をまねかない
  ように記述するのは難しい。

投稿: MAEDA | 2012年9月10日 (月) 16時00分

3番の「男柳・・」とはどうゆう意味なのか教えてください。主人公の名前なんですか・
誰かわかりませんか?

投稿: 田中 勇 | 2013年10月30日 (水) 18時18分

田中 勇様
柳は雌雄異株なので、男柳は雄の柳を指しているのでしょう。しかし、植物の柳が泣くのを我慢していると言っているわけではありません。主人公の津村浩三が自分を雄の柳、すなわち男柳に見立てて、高石かつ枝とのとの恋は難航しているけれども、男だから泣きはしない、といっているのです。こんなところでいかがでしょうか。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2013年11月 1日 (金) 01時32分

大変遅くなってましたが、丁寧なご説明を二木さん自らお答えいただき感謝申し上げます。改めてありがとうございました。
男柳とは自分を柳に置き換えて強調したんですね。
よくわかりました。
また何かありましたら質問させて頂きたいと思いますのでよろしくおねがいいたします。

投稿: 田中勇 | 2014年11月 4日 (火) 21時43分

 今年、還暦を迎え定年退職を致しました。
先月、善光寺前立ち本尊参拝の帰途に別所温泉に投宿しました。 その折に北向観音に参拝し境内にある愛染かつらの木を記念撮影しました。
 これが旅の夜風に唄われた愛染かつらの大木かと感心したのです。
余談ですが長野県に行ったのが昭和58年以来32年ぶりでした。
別所温泉駅に設置してある丸窓電車は、昭和61年まで運行して
いたとのことですが、風情がある車両でした。
別所温泉は、とても良い温泉街で川口松太郎が長く逗留したのも頷けた次第です。


投稿: 新井 定雄 | 2015年6月15日 (月) 22時02分

「人生は歌から歌への旅かもしれない。そして、歌は人生から人生への架け橋。」

この歌もまた 聞く人の心を揺すぶり、遠い昔に過ぎ去ったセピア色の青春を想起させてくれる名曲ですね。
前奏も含めて、流れるようなメロデイーと歌詞も又素晴らしく、“花も嵐も踏み越えて~ ゆくが男の生きる道~”
なんて、惚れ惚れするような男の生き様ですね。殊に、3番の歌詞“加茂の河原に秋長けて 肌に夜風の沁みるとも男柳がなに泣くものか 風に揺れるは影ばかり”を、芥川隆行調の語り口(ナレーション)で喋ると、歌う人の気持もぐっと盛り上がること請け合いです。

10年前、取引先の長野営業所長の車で、長野から菅平~上田市へ、上田城~別所温泉と案内して貰い「愛染かつら」を見て長野駅からの帰路、突然の船酔い状態・背中から胸にかけての疼痛…やっとの思いで大阪駅に着き、翌朝主治医の診察で国立循環器病院(吹田市)へ緊急入院。不安定性狭心症で緊急カテーテル施術(ステント3ヶ所設置)で危うく一命をとりとめましたが、それもこれも忘れられない思い出です。

ところで京都好きの私から、3番の歌詞について素朴な疑問があります。
“加茂の河原に~”の加茂についてですが…。
加茂川は、下鴨神社の南の糺の森を挟んで南下してくる高野川と合流して、そこから南は鴨川となります。
ここでいう「カモの河原」とは、糺の森より南の三条~四条辺りの河原をイメージして作詞されたように思いますが、ならば、「鴨の河原」が正しいのでは…?と、ついつい つまらぬ詮索をしてみました。
京都の持つイメージからすれば、加茂の河原のほうが見栄えが良い様な感じはしますが…。

投稿: あこがれ | 2017年3月16日 (木) 17時12分

 あこがれさま こんばんは

 白河院 河原町三条を歩いていました

 帰って パソコンに向かうと 鴨 加茂 のお話が語られています   行きと帰りで 加茂川 と 鴨川を越えたことになります  偶然の一致で 楽しく見させていただきました  よく記憶に残りそうです

 ところで よくは調べてないので 確信はないのですがーー   兵庫県川西市に 加茂という地域があり その中心に位置して 鴨神社があります  延喜式に記載されている由緒ある社です  御祭神は上賀茂神社と同じく 「別雷命(わけいかづちのみこと)」をお祀りしています

 というところから 加茂 賀茂 鴨 は 同義語かと考えたこともありました

 京都での 名称 使い分けは あこがれ様のおっしゃる通りだと思います 何故かはわかりません

 上賀茂神社(別名 賀茂別雷神社)

 下鴨神社(別名 賀茂御祖神社)

 混乱してしまいそうですね

 古代の 名前の変遷
  
  蘇我 - 曾我
  秦  - 羽田
    などと同じように 興味深いです

 旅の夜風 で唄われている 京にできることならタイムスリップしてみたいと思います  でも 東大文字を臨みながら 人の少ない 銀閣寺道 白沙邨荘などを散策すると ふと時代を忘れることができますね

 また 京都のこと 聞かせてください

   有り難うございました

投稿: 能勢の赤ひげ | 2017年3月16日 (木) 22時34分

私は最初の出だしの「花も嵐も踏み超えて」から理解しにくいと思っています。踏み越える花とは何だろうと思うのです。花を求めて踏み越えるのならわかるのですが、不思議な歌詞です。まあ、何となくわかったような気持ちで聴いてはいますが、1番の歌詞も理解しがたい難しい歌だと思います。
何年か前までは流れるような名調子で歌を紹介する司会者がいましたね。歌より私は司会者の紹介のほうが好きでした。歌われる歌も変わってしまい、詩心がある司会者も居なくなってしまったのでしょうか。残念ですね。

投稿: ハコベの花 | 2017年3月16日 (木) 22時53分

能勢の赤ひげ 様

ここのところ暫くご投稿がなく、お忙しいのかな~と、思っていましたが、久し振りの〈おたより〉に接し、何だか懐かしく感じました。最近、記憶力も思考力もめっきり衰え、家内との会話も“あの~あれ、ほらあれだよ…”が、多くなり認知の始まりか?と、不安になることがあります。そこで少しでもボケ防止になるかと、今年は京都検定2級にチャレンジしようと閑に任せて少しづつ勉強をしていますが、3年前の3級検定で勉強したことも大分忘れていて、それらを思い出しながらですので時間もかかります。
まあ どっちみちボケ予防対策ですから、楽しみながら12月までボチボチとやります。最近は家内も私も定期健診やらなんやらで病院通いと、家内の踊り(日舞)のお稽古で狭い我が家にお弟子さんがこられますので、家事、買い物の手伝いとかで、京都散策も御無沙汰状態です。
今日は木曜日ですので、赤ひげ様は午後から白河院(法勝寺跡)散策にお出掛けされたのですね。白河院庭園は7代目小川治兵衛の作庭と記憶してますが、そこから少し歩いたところにある無鄰菴(山縣有朋別邸跡)も東山を借景として疎水を引き込んだ池泉式庭園が素敵ですね。私はどちらかというと、重森三玲よりは小川治兵衛の庭園の方が好きです。
今月の京都散策は、27日に浜松から家内の高校時代の親友の京都案内ですが、5年程前にご主人を亡くされ子供さんもなくお1人の方ですが、とびきりの美人の方ですので今から楽しみにしてます!?。

はこべの花 様

いつもエスプリのきいた素敵なコメント 楽しみに拝見させて頂いています。
“花も嵐も 踏み越えて~”とは、私もあまりよくは分かりませんが、「花に嵐のたとえもあるぞ。さよならだけが人生だ」という例えから、「さよならだけの味気ない人生だけど、それを乗り越えて行くのが男の生き様なのだ…」とでも解釈するのかな~と、思っていますが、それにしても身勝手な男のエゴが垣間見られる感じですね。

投稿: あこがれ | 2017年3月17日 (金) 01時28分

 あこがれさま
  気にとめていただいて恐縮です

 コメントできるときは

 気分の高揚しているとき あるいはとても落ち着いていて時間のあるとき  全く逆で どうしょうもなく塞いでいるとき 怒りまわっているとき などのようです

 岡崎近くは 昨年晩春 中学三年のクラス会で 白河院と無鄰菴を廻って以来 よく足が向くようになりました
 そのメンバーの一人が脳血管障害で ほとんど意識のない状態での入院を余儀なくされています 健康ということ いろいろと考えさせられます  また 人の役に立つということが どういうことか 難しいですね
 まず 自分が健康でないと 良い気 強い気 を伝えることができないですからーーー

 あこがれさま 奥様の友人とはいえ とびきりの美人の方を案内できるのは さぞかし うきうきと心躍ることでしょうね  いつまでも そういう感情は持ち続けたいものです
 
 二木先生のうた物語 京都紀行といきましょうか

 ア行からでも 女の園 女ひとり
 カ行  祇園小唄  京都の恋  京都慕情 などなど
  案内するところ いくらでもありそうです

  少し 字が軽くなりすぎたかもしれません
     ご容赦ください

投稿: 能勢の赤ひげ | 2017年3月17日 (金) 21時09分

私は紙芝居実演ボランティアを16年間やっています。主に公園や放課後児童クラブなどで幼児や子供向けです。しかし近年急激に高齢者施設が増えて、そこからの依頼が増えてきました。紙芝居の作品も子供向けだけではなくて、近年は高齢者用紙芝居も作られるようになりました。例えば「金色夜叉」「瞼の母」「愛染かつら」などがあります。そんな関係で、「愛染かつら」の映画化を調べてみたらたくさん作られていて驚きました。時系列で記すと、①1938(昭13)「愛染かつら」田中絹代・上原謙 ②1948(昭23)「新愛染かつら」水戸光子・竜崎一郎 ③1954(昭29)「愛染かつら」京マチ子・鶴田浩二 ④「愛染かつら」(正・続)岡田茉莉子・吉田輝雄、と④の2回を含めて計5回も映画化されています。同じ物語がこんなにたくさん作られたのはほかにないんじゃないでしょうか(もちろん、寅さんシリーズのようにシリーズ物は結構ありますが)。空前絶後の人気作品と言っても過言ではないと思います。

私はこの紙芝居をした後、高齢者の皆さんと「旅の夜風」を一緒に歌いますが、歌詞を見なくても、歌詞の一番はたくさんの方が覚えていて歌ってくれます。

投稿: 吟二 | 2017年3月17日 (金) 22時17分

吟二様は紙芝居活動の大先輩ですね。
私も、学校や子育て支援センターでの活動に加えて
昨年から高齢者向け活動を始めました。
「旅の夜風」「金色夜叉」「青の洞門」「稲むらの火」などは軽度要介護の方向けに演じております。
感動は年代を超えるとの確信を持っているので
新見南吉、宮沢賢治、イソップ、アンデルセン童話もよく演じております。
吟二様同様に「旅の夜風」「金色夜叉」は必ずみんなで歌います。皆さん、歌はよく覚えておられて生き生きとしてくるのがわかります。
雪に閉ざされた日々は 夜になって
「今日も一言も発声しなかった」と落ち込むことが少なくありません。これではいけないと紙芝居や絵本の音読練習を心がけております。
結局はこのボランティアで一番救われているのは私自身です。介護現場のご苦労を見聞きしているので
向上、改善を心から願う一人でもあります。

投稿: りんご | 2017年3月18日 (土) 07時59分

りんご様

りんご様が紙芝居活動をされているとは知りませんでした。同好の士と会えてうれしいです。あと、高齢者用だと「父の顔 母の顔」とか「峠の老い桜」も私は好きです。それから「いなむらの火」は、私も大型紙芝居でいくつかの高齢者施設でやりましたが、評判が良かったです。私は埼玉県のさいたま市に住んでいますが、大型紙芝居の舞台が市の図書館には無いので、わざわざ県の熊谷図書館から最寄りの図書館に送ってもらい、引き取りに行かなければならないのがちょっと大変です。

読み聞かせとか朗読も良いですが、紙芝居は絵があるからよりインパクトがありますよね。お互いに頑張りましょう。ご活躍をお祈りします。

投稿: 吟二 | 2017年3月18日 (土) 23時00分

吟二様 りんご様

お二人の紙芝居実演活動コメントじっくりと拝読させていただきました。
お二人とも情熱溢れる活動に感動をいたしました。
吟二様には、16年間のボランティア活動をなされており
・・・
りんご様には、これまでの活動に加え昨年から高齢者向けの活動にも広げられたとの由・・・
お二人のすごいエネルギーには感心するばかりで頭が下がります。
私もお二人の活動内容とは異なりますが、5年ほど前まで、10年ほど趣味を生かして、福祉施設等でのボランティア活動や県内の各自治体の高齢者学級への出前講座の活動を経験いたしました。
活動内容では、三部構成で、一部「南京玉すだれ」・二部「蓄音機」でSP盤による流行歌の演奏・三部「ハーモニカ伴奏で会場の皆さんと一緒に童謡、流行歌を歌う」・・時間的には、40分から60分程度で、長い時で高齢者学級での出前講座などでは90分ほどの時もありました。
また、会場での参集者では、50人程度から町民会館などでは、150人から200人近くなる時もありました。
これまでの活動の中で印象に残っているのは、何といっても流行歌での昭和期の大ヒット曲、この「旅の夜風」を解説を交えて「蓄音機」で演奏した時や、ハーモニカ伴奏で皆さんと一緒に歌った時などでは、懐かしさと想い出などで会場の雰囲気が一変し、皆さんの目の輝きが一段と強く感じたものでした。
そんなある日、県内の某公立病院の「ホスピス」にボランティア活動に行った時でした。
(これまで、この「ホスピス」には、通算20回ほど訪問しました。)
この「ホスピス」では、サポート役のボランティアの皆さんのお世話で、週1回、午後2時間程度「憩いの集い」の場が設けられ、入所の方及び家族の方々が集まられ、お茶・コーヒー・ケーキなどが振まわれ和やかな雰囲気の中・・・私の出番となり、日頃の活動内容を30分ほどに短縮・・・その中で、一番受けたのは、やはりこの「旅の夜風」でした。
その後、2週間ほど経ったある日、市内の某スーパーで買い物をし、レジのところで、あるご婦人から声をかけられ、「先日、某病院でハーモニカを吹かれた方ですか、母が若い頃に観た<旅の夜風>の映画を想い出し涙ぐんでいましたが、数日後、亡くなりました、ほんとにありがとうございました。」と丁寧なお礼の言葉を延べられました。
私が現在、元気で毎日を過ごしているのも、これまでの活動の中で多くの方々と出会い、そして感動と感謝の気持ちをもらったことが大きな原動力になっていると確信しています。
これからもこの気持ちを大事にしたいと思っています。
長々となり申し訳ありません。
最後になりましたが、吟二様・りんご様には、お身体には気をつけられ益々のご活躍をお祈りいたします。
                     一章

投稿: 一章 | 2017年3月19日 (日) 13時43分

一章様
励ましのお言葉身に染みて嬉しく思います。
あこがれ様もなかなか多芸ですね。
ハーモニカ 素晴らしいです。
二木先生の演奏にも癒されるが
ハーモニカは郷愁ひとしおで高齢者の琴線に響きます。
かくいう私も気が付けば高齢者です。
一昨年の夏、県のハーモニカ愛好会の大会が
プロの演奏家(ハーモニカ、口笛奏者)を招いて
長井市で開催され感動のコンサートでした。
(私は聴くだけです)
皆様、施設慰問なされ「北上夜曲、あざみの歌、湖畔の宿}
などなどに涙を流されるとのことでした。

吟二様
経験の浅い私ですがよろしくお願い致します。

「金のおの銀のおの」「ななつのほし」
日本の民話「おいもころころ」「ぼたもちを食べた仏さま」浜田広介の「泣いた赤おに」「ある島のきつね」なども幼児からシニアまで対象を広げています。
吟二様の継続にただただ感服の至りです。

投稿: りんご | 2017年3月19日 (日) 16時59分

一章さま
大変失礼いたしました。
~あこがれ様もなかなか多芸~とんだ間違いで申しわけありません。あこがれ様と混同こんがらがってしまいました。別のコメントで~あこがれ様が名司会者の真似をして宴会を盛り上げた~の記憶が混入してしまいました。
お許しください。
紙芝居「愛染かつら」声音を変えて男になったり女になったりして演じてます。そのあとの「旅の夜風」を歌う時は
皆さん元気になります。

投稿: りんご | 2017年3月19日 (日) 20時05分

りんご様

度々のコメントお手数おかけしました。
どうぞお気になさらないように!
今、子どもの頃、自宅近所の広場で、紙芝居のおじさんが自転車の後ろに絵の入った木箱を載せて見せてくれたのを懐かしく想い出しています。どんな物語だったのかよく覚えていませんが、確か「ゴールデンバット」といって主人公が悪人たちをやっつける活劇物語を見たような記憶があります。
りんご様には、事前の練習も大変だと思いますし、本番では、それぞれの役になりきって演じなければならないので、一苦労されていると思います。
ご無理なさらずに頑張ってくださいね!


投稿: 一章 | 2017年3月19日 (日) 21時07分

「旅の夜風」は、私がまだ子供の頃、母親が♪花も嵐も踏み越えて…♪と、よく歌っていましたので、歌詞の意味も分からずに、自然と憶えました。今も多くの人に愛される、戦前歌謡曲の代表格であろうと思います。
  ♪花も嵐も踏み越えて 行くが男の生きる途♪の意味について、最近思いますのは、”花”は”美しいこと・よいこと・楽しいこと”、”嵐”はその逆の”美しくないこと・よくないこと・楽しくないこと”、の比喩で、男という者は、前途に”花”があってもそこに安住することなく、また、”嵐”が待ち受けようと挫けずひるまずに、前に向かって進んで行かなければならない、ということだろうと私なりの受け取り方をしております。

投稿: yasushi | 2018年4月28日 (土) 17時21分

「愛染かつら」については、私の母が生前にある言葉を、つぶやいていたことが想い出されます!
大正生まれの母は、まだ独身の頃、上原謙と田中絹代主演の、この映画を観た事があったらしく、上原謙のファンであり、私が子供の頃も、この主題歌の「旅の夜風」は、時々口ずさんでいましたが、昭和42年当時に「君といつまでも」や「お嫁においで」などをヒットさせていた、「加山雄三」が、映画や数多くのテレビ出演をして人気を博していた頃に、あるテレビ番組で、上原謙と加山雄三の、この二人が実の親子だと知った母は、少しビックリしたようで、お父さんの「上原謙」は、あんなに綺麗な顔をした人なのに、息子の「加山雄三」は、全く似ていないのでガッカリしたなどと、真剣につぶやいていたことを、懐かしく想い出します。
そんなことに、私は子供心にも、世代のギャップを感じていた覚えがあります。

主題歌の「旅の夜風」に関しては、1962年に、この映画の主人公の名でデビューされた、高石かつ枝さんが、後年の1980年代に、当時の若い頃よりもさらに素敵になられ、ドレス姿で歌っておられるこの歌の動画を、これまでに幾度となく視聴してきました。
また1963年に映画になった彼女が歌う主題歌「林檎の花咲く町」も、子供の頃から私の大好きな歌で、今でも動画で時々視聴しています。

1938年版の田中絹代さんや、1962年版の岡田まり子さんが、スチール写真で写っている、ナースキャップをした白衣を着た姿にも、現在の女性看護士さんには見られなくなった、制服姿の何とも言えない、美しさを感じます。
また霧島昇と、ミス・コロンビアの「旅の夜風」も、どこかにレトロを感じさせるものがあり、当時の人たちが熱狂されたことが、なんとなくですが、理解できます。

投稿: 芳勝 | 2018年4月29日 (日) 14時15分

昨日、5月12(土)は、待ちに待った待望の「東京大衆歌謡楽団」の佐賀公演で100パーセント満足・・・心の中に新鮮で新たな昭和期への歌謡曲の世界の息吹が舞い込み、更に感動と共に改めて、当時の作詞・作曲された方々の偉大さが切々と胸に沁み込みました。
夕食時、当日を振り返り薩摩芋焼酎で乾杯をしたところでしたが、未だに「高島四兄弟」が奏でる昭和期の数々の名曲のステージでの彼らの演奏する姿が瞼から消えることはありませんでした。

「高島4兄弟」は、富山県出身。以前、世界の民族音楽をテーマにしたバンド活動をする中、昭和歌謡と出会い、その多彩な音楽性を内包するメロディーに魅了され、バンド解散後、昭和歌謡にのめり込む。平成21年4月、東京大衆歌謡楽団を結成。平成27年に三男・龍三郎が加入、平成29年には四男・圭四郎が加入し、四兄弟の楽団となった。
現在、全国でコンサート、街頭演奏、神社での奉納演奏を行い、若い世代にもファン層が広がりつつある。
・・・以上、当日の楽団員紹介パンフより・・・

これまで「東京大衆歌謡楽団」については、8年ほど前頃からYoutubeで再三にわたり、動画で拝見し多彩な演奏活動の展開に心を引かれ感動をいたしておりました。

当日での演奏曲目では、第1部では、オープニングに「旅の夜風」から始まり「丘は花ざかり」「人生の並木路」「誰か故郷を想わざる」「上海帰りのリルなど13曲、そして、第2部では、四男の圭四郎(バンジョー)が加わり、「リンゴの唄」「青い山脈」「お富さん」の三曲について、当日の楽団員紹介のパンフレットの中に歌詞が印刷されており、次男の雄次郎(アコーディオン)の誘導でステージと会場とが一体となり声高らかに歌声が響き、雰囲気は最高で・・・拍手喝采でした。
その後、「涙の渡り鳥」「東京の椿姫」「長崎物語」「あこがれのハワイ航路」「青春のパラダイス」など6曲が演奏されました。

ステージ上では、次男・雄次郎(アコーディオン)が司会役で、曲目の解説・・・時折、ユーモアを交え、三男・雄三郎(ウッドベース)、長男・孝太郎(歌)に話しかけるなど、
ソフトで柔らかな雰囲気が会場全体を盛り上げられたと思います。

アンコールでは、「サーカスの唄」「旅の夜風」「赤いランプの終列車」「東京ラプソディ」「東京の空」の四曲が演奏されました。

思ってみますと、当楽団員4人のメンバーですが、四男の圭四郎(平成元年生まれの29歳)・他の三人のメンバーも共に30代の若者・・・このように若い世代の方々が、ここまで戦前戦後の歌謡曲の世界にのめり込まれたのには、当楽団のファンの一人として、感激、感激にいたるところです。
今後とも、ご健在で心からご活躍をお祈りするばかりです。

投稿: 一章 | 2018年5月13日 (日) 21時52分

一章さま
とても素敵な刻を過ごされましたね。
東京大衆歌謡楽団、私も高島兄弟のファンの一人です。
特に路上ライブの画面には涙と頬笑みを誘われます。
地の利に恵まれていたなら路上ライブ追っかけをしていたやも知れません。
一方、ホールでのコンサートも機会が許せば行ってみたいものです。

「愛染かつら」は老人ホームでの紙芝居の演目のひとつです。「さあ皆さん!歌いましょう」カラオケが鳴り出すと老いた人々の目が輝きます。二木先生の演奏を聴きながらホームでの光景を思い起こしては涙が込み上げます。
能勢の赤ひげ様、越村南様のコメント同様に最近しきりと
人生の終焉に思いをめぐらす日々です。寒い北国でも昨日
初郭公の声を聴き初夏の到来を実感いたしました。
若くして他界した人々を思う時「人生の終焉を憂いる」のも贅沢な悩みと自分を戒めるほかありません。

投稿: りんご | 2018年5月14日 (月) 10時01分

りんごさま
ご無沙汰いたしております。お久し振りですね!お元気のご様子で安堵いたしております。
いつも、リンゴさまからの心温まる優しいコメントを頂戴し大変嬉しく元気の源となっております。
ありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。

先日の「東京大衆歌謡楽団」のステージと出会い、当日の「高島四兄弟」の心に迫る見事な演奏と歌に、未だにその余韻が残っており、特に、次男・雄次郎のアコーディオンの見事なテクニックには脱帽でした。(実は、私も若いころに、アコーディオンに挑戦しましたが途中で沈没しましたが。)
それに、長男・孝太郎の身体全身から突き上げるような見事な声量にもさらに脱帽、三男・龍三郎のウッドベースの見事な指裁き、四男・圭四郎のリズムカルなバンジョーの音色等々・・・での四兄弟のステージ姿が思い出されます。
また、特に演奏曲目では、「高島四兄弟」が富山出身でもあり、往年の名歌手「ビロードのような歌声」と言われた「津村 謙」も同じく富山出身であり「上海帰りのリル」「東京の椿姫」の二曲が歌われ、特に演奏と歌には意気込みと情熱が入り胸にジーンと深く浸み込みました。
それにしても、ステージと会場とが一体となるコンサート・・・
久し振りの出会いであり、感動に感動の連続で、忘れられない貴重な一日だったと思います。
さて、明日からの仕事(宅配業務)頑張るぞ!
あるお客様のお言葉で「午前中に朝日を浴び~大いに笑うこと」・・・「一つの心の安定と健康保持に」・・・未だに実行中です。

投稿: 一章 | 2018年5月14日 (月) 22時58分

一章様の投稿で東京大衆歌謡楽団の名前と動画を初めて見たんですが、青年(4兄弟)が昭和歌謡を演奏熱唱する姿は驚異です(和服姿“昔のお嬢さん”の飛び入りも面白いです)。一章様が脱帽・感動されるのも納得です。
http://www.youtube.com/watch?v=sQ92A2c0UOY

投稿: 焼酎 | 2018年5月15日 (火) 11時48分

一章さま
焼酎さま
 焼酎さま紹介のYouTubeで早速見ました。良いですね!!!驚嘆です。!!!
レトロな歌をレトロ感溢れた景色で、とってもいいです。すっかりファンになってしまいました。ご紹介ありがとうございます。是非生で聴きにいきたいです。

投稿: konoha | 2018年5月15日 (火) 12時59分

焼酎さま
konohaさま
この度の「東京大衆歌謡楽団」の佐賀公演について、私なりに当日の感想コメントを投稿いたしましたところ、りんごさまを初め、焼酎さま・konohaさまからのご共感のコメントを戴き、私自身、投稿をしてよかったなあと思うと同時に、恐縮いたしております。
ご丁重なコメント有難うございました。

今現在、私が定年退職後、17年~現役でそれなりに元気で仕事に頑張られるのも、第一に、妻の日頃からの健康管理等での支えがあったものと常づれから感謝を致しておりますが、それと同時に、6年ほど前にこのブログ「二木紘三のうた物語」と出会い、「二木オケ」の素敵なバックミュージックのもとに、多くのうた物語ファンの皆様からの心温まるコメントを拝読して元気とやる気を戴いていること。・・・とこれまた同時に、今回の「東京大衆歌謡楽団」の存在をYouTubeで知ることになり、ほぼ毎日訪問することになり、高島兄弟の情熱溢れる街頭等でのライブ活動に感動・・・感動するばかりでした。

毎日、無事に、元気で宅配ができているのも、「二木紘三のうた物語」と「東京大衆歌謡楽団」の力強い後押しがあっているものと思っています。
感謝に、感謝です。ありがとうございます。


少し、横道にそれてしまいましたが、「東京大衆歌謡楽団スケジュール」と検索してみてください。
活動予定・問い合わせ先の事務局(電話番号)が拝見できますよ。

投稿: 一章 | 2018年5月15日 (火) 22時22分

 
二木 先生
ご同好の皆様 へ

花も嵐も踏み越えて 行くが男の生きる途・・・

やがて芽をふく 春がくる

今夜は、しみじみと実感を伴って この歌を聞いています。

例年通り、かみさんと京都の桜は無理としても、近くの神社くらいならゆったり、のんびりと休憩しながら無理しない程度にかみさんと手をとりながら散歩できそうです。
軽快なリズムに乗って希望のもてる春の到来を予感して…楽しみです!

投稿: あこがれ | 2020年1月27日 (月) 21時06分

以前(2012.9.10)旅の夜風の歌詞で質問した
男柳についてですが、西條八十も男柳とはなんだ?といったとか。
本当は男やもめだとのことですが、この方が正しい感じがします。ただ曲調は落ちます。男柳の方が曲調的には高い感じはします。
先生はいかが思いでしょうか。お聞かせ頂けたら幸いと思っています。
よろしくお願いします。

投稿: 田中勇 | 2020年5月 5日 (火) 19時14分

田中 勇さま
 下記のアクセスは「男柳」について語っています。たまたま見つけました。
  https://www.youtube.com/watch?v=9ZICynshw1g

投稿: konoha | 2020年5月 6日 (水) 17時00分

久し振りでこの曲をしみじみと聴いています。
昭和の流行歌って気持ちを癒してくれ心に沁みわたります。
四年ほど前に東京大衆歌謡楽団と出会い、名曲「旅の夜風」のご縁により、ご投稿のみなさまのコメントを懐かしく読み返しています。皆様お元気でお過ごしでしょうか!
 youtubeで、2020.12.26 東京浅草 木馬亭公演のステージと出会いました。
3年ほど前の佐賀公演を思い出し懐かしく当時を想い出しています。

http://www.youtube.com/watch?v=uwL0zFsJqNs

投稿: 一章 | 2021年2月13日 (土) 20時36分

この曲は幼い頃に聴いて知っておりますが、『愛染かつら』がどういうストーリーなのか、全く存じません。歌詞を見ると比叡や加茂という地名が出てくるので京都を舞台にしているのではと思っていました。しかし、いくら男性でも、月の(夜の)比叡を歩く人はいないでしょうね。この辺りは西城八十の独創でしょうか。
西城八十が『王将』の作詞を依頼された時、かなり時間を掛けた後、「出来た。」と言って示したのは『吹けば飛ぶような将棋の駒』だけだったそうです。そこが出来てしまえば、あとは一気に歌詞が出て来ると言うことでしょう。何となく『旅の夜風』も同様に作詞したのかと想像してしまいます。
話は違いますが、サンフランシスコ講和条約を描いたTVドラマで、吉田茂首相の随行員達が、現地の宿で『旅の夜風』を合唱するシーンがあり、脚本家の演出かと思って観ていましたが、かつて自民党の宏池会には創始者である池田隼人首相のお気に入りだったこの曲を会合の終わりに合唱する慣習が連綿と続いていたそうです。池田隼人は吉田茂の右腕と言われ、講和条約締結にも随行していますので、池田が実際にこの曲を歌ったのかも知れません。(宏池会はいわゆる加藤の乱で分裂し、現在はその慣習はないそうです。)

投稿: Yoshi | 2022年6月28日 (火) 16時10分

2021年夏、私に見知らぬ方から電話がありました。「『旅の夜風』のコメント欄で吟二さんを知りました。実は私も長い間紙芝居実演とハモニカ演奏の2本立てでボランティアをしているものです」と言われました。話を伺うと、この方は退職後70歳から紙芝居を始めて現在92歳ですが、現役バリバリでして、特に高齢者用紙芝居の脚本・絵を何本も作っていらっしゃって、そのうちのいくつかは雲母出版から発売もされているとのことでした。そのお年で現役ということに一番驚きました。彼が7千回を超える実演の中で世には知られていない高齢者用紙芝居がまだまだたくさんあるとのことなので、「失礼ですが、最後の時にその作品が世に埋もれてしまうのは誠にもったいないので、良ろしかったら私たちにも使わせて頂けるように、埼玉県熊谷市の県立図書館に寄贈してください」とお願いしました。その後お手紙も頂きました。ご返事も差し上げました。世の中にはお元気な方もいらっしゃるもんですね。その後私の目標は、その方になりました。いつまでもボランティアで自他ともに明るく元気に生きられたらいいなと思います。その方も幾度となくこの「旅の夜風」を紙芝居のあとでハモニカ演奏して、皆さんに歌っていただいたのでしょうね。私もそうしようと思っています。

投稿: 吟二 | 2023年9月29日 (金) 16時02分

 亡きオヤジが霧島昇のファンで、映画「愛染かつら」シリーズの一連の主題歌、「旅の夜風」「悲しき子守歌」「愛染夜曲」「朝月夕月」「愛染草紙」などを一杯飲むと歌っておりましたので、小学校低学年から聞かされておりました。今、思い出すと、どうも本人は霧島昇に似せて歌っていたに違いありません…。
 
 随分と前に、NHKテレビが一連の「愛染かつら」シリーズの主題歌を霧島昇と倍賞千恵子コンビで放映しておりまして、ビデオ録画したものをDVDにコピーして大切に保管しております。この時の倍賞さん、茶色のドレスに真珠の首飾り、ホントに綺麗でしたねえ…。忘れ難いです。

 


投稿: ジーン | 2023年12月 1日 (金) 17時25分

この曲は私の生まれるはるか以前につくられましたが上原謙さんや田中絹代さんは知っています。
そんな前の歌なのに、私が幼少期を過ごした終戦直後の田舎でもよく歌われていました。
小学1,2年生の餓鬼が訳もわからずに「花も嵐も 踏み越えて  行くが男の 生きる途」と大きな声で歌いながら遊んでいました。
懐かしい曲です。
ブログ・ハーモニカ演奏の伴奏につかわせていただきました。ありがとうございました。

投稿: ゆるりと | 2024年9月 4日 (水) 05時49分

私は台湾人で、名前は曾敏雄(そう としお)です。昭和20年3月に生まれ、日本が台湾の統治を終えるまであと7か月という時期でしたので、私の名前には少し日本の風味が残っています。母は昭和2年3月生まれで、正式な学校教育を受けていませんでしたが、後に近所の学校で夜間に少し日本語を学びました。母は五十音は理解していると言っていましたが、漢字については非常に悩んでいました。私が日本語を学んだ後に気づいたのは、母は片仮名も少し苦手だったようです。
幼い頃、母がよく口ずさんでいた曲がありました。それが日本の曲だということは分かりました。というのも、母が知っている曲は台湾の歌か日本の歌のどちらかしかなかったからです。そして、その曲は台湾の歌ではありませんでした。私が7、8歳の頃の夏の夕方、母は庭に敷いた草むしろの上で、私や妹たちと一緒に横になりながら、その曲をまた口ずさんでいました。私はまだ曲名を知りませんでしたが、すでにそのメロディーを覚えていました。
その後、私は日本の歌にも興味を持つようになり、日本語の歌も学びました。そしてついに、母がよく口ずさんでいた曲が「旅の夜風」であることを知りました。母の影響を受けたのでしょうか、カラオケに行くたびに「旅の夜風」は私が最もよく歌う曲となりました。ちなみに、私は大正時代や昭和時代の歌が好きで、藤山一郎、霧島昇、田端義夫、東海林太郎、上原敏、伊藤久男、三峰三枝子、渡辺はま子、山口淑子、倍賞千恵子といった歌手に馴染みがあります。
母は1999年に亡くなり、墓は山谷の斜面にあります。おそらく10年ほど前のことですが、私はかつての同僚を誘い、その同僚も日本の歌に興味を持っていたので、母の墓前で母が最も愛した「旅の夜風」を大声で歌い、母の霊を慰めたいと思いました。そこで歌本を準備し、車で同僚を山谷の頂上近くまで連れて行き、車を降りて一緒に谷に下りました。しかし、谷全体が青々とした蔓草に覆われており、母の墓のおおよその位置に向かって歩いて行ったものの、正確な場所を特定することができませんでした。近くを探し回ったのですが、ついに見つけることができませんでした。そこで、翌年の清明節に近くの墓が整備された後に再度訪れることにしようと考えました。仕方なく頂上に戻り、靴下にびっしりとセンダングサの種が付いているのを見つけました。それを取り除くのに苦労しながらも、ようやく帰宅しました。

投稿: 曾敏雄 | 2024年9月 7日 (土) 13時15分

曾敏雄 様

你好

このサイトでは珍しく,臺灣の方ですか。
日本語がお上手のようで、ご理解頂けると思い、私も通常の日本語で記します。

臺灣と言うことで大変に懐かしく思いました。 私の父は漢文の教師でしたので私も昔から中国の古典書物になじんできました。 私の名前「弘毅」は、父が孔子の「論語」からとったのだそうです。
若い頃、中国大陸へは行くことが出来なかったものですから、そのかわり臺灣へは何度も訪れました。 臺灣は気候はいいし、料理は美味いし、人々は日本人に優しいし、ほんとうに好いところですね。 後年歳を取ってから臺灣の、臺南か花蓮に永住しようと思ったこともありましたが、政治的になかなか難しく、あきらめました。 歳をとったものですから、もう訪れることもできません。

扨、臺灣へ行っていたころ、臺灣の新聞では、昔どうりの漢字、康煕字典体が使われていました。 普通の生活でもそのようでした。 今、曾さんは現日本語の常用漢字体を使っておられますが、それは特に日本語を勉強するときに、新たに学んだものなんですね。
私は昔人間ですので、現日本語の常用漢字体が好きではなく、なんとか昔風の漢字を使いたいと思っています。 「台湾」を「臺灣」にしたり、「学校」を「學校」にしたり、「桜」を「櫻」にしたり、、、 曾さんの「曾」の字も日本のパソコンではなかなか出てきません。
今後、臺灣では古い本物の漢字を使い続けられ、大陸の簡体字が使われることにはならないように願っています。

ああまた臺灣を訪れ、最南端ガランビーで、海を眺めながら、おいしいバナナをたっぷり食べたい。

投稿: 田主丸 | 2024年9月 7日 (土) 21時06分

田主丸 様
懐かしくて感傷的な言葉をかけていただき、心がとても温かくなりました。お父様が漢文の教師であり、『論語』から「弘毅」という名前を選ばれたことは、お父様が文化に深い造詣を持ち、子どもに対する高い期待を示していることがうかがえます。本当に感動的で尊敬に値します。私にとって、台湾への思いを共有していただいたことも非常に心に響きました。台湾人として感謝の気持ちを持ちながら、台湾を愛してくださっていることに感謝します。
台湾では、教科書や新聞、公文書のやり取りに至るまで、繁体字が使用されています。これは中国大陸で使用されている簡体字とは異なるものです。そのため、日本語で「常用漢字」を使うことは、台湾の人々にとって特別な負担にはならないかもしれません。むしろ、筆画が少ないため、書きやすいと感じるかもしれません。日本の皆さんが楽しくそれを使えることを願っています。
日本が台湾を統治していた時代の終わり頃には、日本語がすべての台湾人の共通言語となり、異なる方言を持つ人々も日本語でコミュニケーションを取っていました。日本の統治が終了した後、政府は人々が日本語を話すことを禁止し、その結果、北京語が日本語に取って代わり、現在の共通語となりました。このことは、日本語を学びたい人々にとって大きな障害となりました。そのような環境の中で、私は非常に苦労しながら日本語を学びましたが、学習の成果はあまり高くありませんでした。書くのが遅く、言いたいことがうまく伝わらないことがよくありました。特に会話能力の点では、さらに困難を感じていました。
ほとんどの台湾人は日本が大好きで、私もその一人です。退職後、日本を11回(沖縄1回、四国1ヶ月のロングステイ1回を含む)訪問しました。日本と台湾の間に、互いに思いやりを持ち、良好な友情がこれからも続いていくことを願っています。それが途絶えることなく、永遠に続くことを願っています。

投稿: 曾敏雄 | 2024年9月 8日 (日) 15時09分

曾敏雄 様

まことに綺麗な日本語での、早速のご返事、ありがとうございました。

ほんとに見事な日本語ですね。

末永くお元気で。
さようなら。

投稿: 田主丸 | 2024年9月 8日 (日) 20時38分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« アカシアの雨がやむとき | トップページ | 月の沙漠 »