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2007年7月26日 (木)

山のけむり

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:大倉芳郎、作曲:八洲秀章、唄:伊藤久男

1 山の煙のほのぼのと
  たゆとう森よ あの道よ
  幾年(いくとせ)消えて流れゆく
  想い出の ああ 夢のひとすじ
  遠くしずかにゆれている

2 谷の真清水(ましみず)汲み合(お)うて
  ほほえみ交し摘んだ花
  山鳩の声聴きながら
  行きずりの ああ 君とともに
  下りた峠のはろけさよ

3 山の煙のたそがれに
  別れた人のうしろ影
  あとふりかえり 手を振れば
  うすれゆく ああ 淡い夕日が
  染めた茜のなつかしく

《蛇足》 昭和27年(1952)にNHKのラジオ歌謡として発表され、長い間愛唱されてきました。八洲秀章の傑作の1つで、私はとくにこの前奏が好きです。

 昭和34年(1959)、高校2年の夏、いっしょに美ヶ原に登った松本蟻ヶ崎高校文芸部のみなさんは、どうしていらっしゃるでしょうか。松本蟻ヶ崎高校は、今は共学になっていますが、それ以前のある時期までは、中信地区では「憧れの女子高」でした。

 頂上の王が頭(おうがとう)を下りてから、彼女たちはバスで松本市街に戻り、ぼくらは徒歩で浅間温泉へと下ったのでしたが……。

YouTube=https://youtu.be/QeYaw5_6TeM

(二木紘三)

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コメント

「山のけむり」についてでなくすみません。楽しみにしていた『MID歌声喫茶』を装いを新たにして下さり、ありがとうございます。
そこでお願いです。
近くに住む5歳の孫が来る度に小生のPCを開き、「ももの歌!」と童謡を一緒に歌わせられます。
その中で彼女がいちばん好きな曲は『思い出のアルバム』です。ところが、こんどの『二木‥』では収録されていません。
ぜひ復活して下さい。お願いします。

投稿: 片柳 達 | 2007年7月26日 (木) 20時47分

「山のけむり」が掲載されて、とても嬉しく思っているひとりです。青春時代の多くを山登り
に費やしていた72歳の男性です。
この後は「踊子」の美しい歌詞とメロデイーが再び聞けることを念じて居ります。

投稿: 長谷部 博史 | 2007年7月28日 (土) 16時58分

教えて頂ければ幸いです。曲名と歌詩を。
 歌い出しは 【山懐のだんだん畑、麦踏みながら、見た雲は、あれは浮き雲、流れ雲、ひと畝踏んで振り向けば、雲はちぎれて、山ばかり】 間違えなければ一番の歌詩だと記憶してます。お分かりでしたら、(うた物語)に加えていただけませんか。
  新海 光  ℡046-865-7985
山のけむり  と同時代の曲と思います。

投稿: 新海 光 | 2007年7月30日 (月) 16時06分

新海さんがお尋ねの曲名と歌詞を以下記します。

曲名:麦踏ながら 関根利根雄 作詞
            玉利 明  作曲
  (昭和27年 NHKラジオ歌謡)

歌詞 
1.山ふところの だんだん畑
  麦踏ながら 見た雲は
  あれは浮雲 流れ雲
  一畝踏んで ふりむけば
  風にちぎれて 空ばかり

2.山ふところの だんだん畑
  麦踏ながら 見た人は
  あれは商人 旅すがた
  一畝踏んで ふりむけば
  もみじがくれの うしろ影

3.山ふところの だんだん畑
  麦踏ながら 見た鳥は
  あれはかりがね 親子づれ
  一畝踏んで ふりむけば
  峯は夕映え ひとつ星
  
 
 出典:思い出のラジオ歌謡選曲集
    工藤雄一 編 (全音音楽出版社)

             以上 
 

投稿: 野田 勝年 | 2007年8月 8日 (水) 18時16分

野田様
(麦踏ながら)歌詩お教え頂き誠にありがとうございました。永年に亘り、知りたいと思っていた曲、胸のつかえが取れました。今後もよろしくご指導下さい。 取り急ぎコメントさせていただきました。 新海拝

投稿: 新海 光 | 2007年8月 8日 (水) 18時51分

あざみの歌と山の煙は私の愛聴歌の双璧なのです。昭和27年のすべてがこの中にあるのです。二木さんの青春の一端にふれて楽しい思いをいたしました。私の高校時代を思い出して読ませていただきました。クレパス画のような二木さんの高校時代の追憶に共感します。

投稿: 菅原 主 | 2007年9月 8日 (土) 12時29分

菅原 主さんは、この“山のけむり”と“あざみの歌”に特に思い入れが強いとのことですが、それは伊藤久男がお好きだということかも知れないと勝手に想像しています。
実は私はそうなのです。
あの頃の男性歌手、藤山一郎、近江敏郎、灰田勝彦、岡本敦郎、津村謙などそれぞれに個性があってよかったですが、男らしくそれでいて繊細な伊藤久男がやっぱり好きです。ラジオ歌謡では“たそがれの夢”も好きです。

投稿: 周坊 | 2008年4月 5日 (土) 12時03分

周防様 いろいろな歌にコメントを寄せられているのを拝読しております。実は私は八洲秀章のファンなのです。また二木演奏のファンといってもいいと思います。いろいろな思い出の交錯するこのサイトは有意義です。どこかでまた周防さんのコメントを読ませていただけるでしょう。

投稿: 菅原 主 | 2008年5月 1日 (木) 10時08分

二木先生 松本蟻ヶ崎高校は憧れの高校でした。フォークダンスと聞けば真っ先に飛んで行きました。先生の選ばれる歌には品格があります。

投稿: | 2008年5月20日 (火) 12時43分

長谷部様

   踊子は「あ」行に載っているのと違うのでしょうか。

投稿: M.U | 2008年8月27日 (水) 08時05分

ラジオ歌謡はある時期、歌謡曲の一大ジャンルで、特に昭和20年代はその黄金期だったのではないでしょうか。
花の街、さくら貝の歌、夏の思い出、山小舎の灯、あざみの歌、夕月の歌、白い花の咲く頃、さざんかの歌などなど、今でも歌い続けられている名曲が、数え上げればキリがありません。
中でも「山の煙り」はベスト3に入りませんか?
二木さんの蛇足にもあるように、この歌から思い出される旅情、哀傷、別離などは誰にでも思い当たることがあるのではないでしょうか。
高校生のときですが、文化祭で「のど自慢」を開き、私を含めた3人でピアノ伴奏をつとめることになりました。
「山の煙り」は私が担当するうちの一曲で、数日練習に没頭した思い出があります。

投稿: 風花爺さん | 2008年8月28日 (木) 15時24分

 ♪山のけむり・・この曲も現代日本が忘れ去った曲想の一つか…と思われます。名曲です。

投稿: 水本爽涼 | 2008年10月11日 (土) 15時21分

 私の世代では、あまり歌われなくなっていた歌でした。もっともこの歌に限らず、『別れの一本杉』や『リンゴ村から』などの望郷の歌が流行ったのは、昭和30年代半ば頃までで…。
 それでも子供の頃、どこからかこの歌が流れてきて自然に覚えていました。郷里の山々をほのぼのと思い出しながら聴いております。

投稿: 大場光太郎 | 2008年10月12日 (日) 19時50分

2月1日は県人会です。秋田、福岡、熊本、長崎、福島、宮城、北海道等と競っていますが、我が信州は生誕
か信州をこよなく愛する人が入会条件です。先生の青春
蟻ヶ崎の卒業生も居られます。

投稿: 海道 | 2009年2月 1日 (日) 06時08分

「山のけむり」の歌碑が立つ瀟洒な公園の傍で工房を営んでいます。公園からは優雅な姿の浅間山が眺望でき、この場所は、当市の眺望百選の一つとなっていいます。信州に心地よい季節が訪れると、バスを仕立てて訪れるグループの歌声が歌碑の前からながれてきます。かかる情景に出会うまでは、「山のけむり」の煙は、秋の田んぼで燃される藁焼きの煙と思っていました。今では、煙は、浅間山の三筋の煙に間違いないと信じています。作詞者・大倉芳郎の若き日のロマンを「別れた人のうしろ影・・・」と重ね合わせて感慨に浸っています。

投稿: 山口 功 | 2010年2月18日 (木) 19時42分

ゆったりとしたメロディに心が癒されますね。歌詞も大好きです。山口さんは良いところにお住みなのですね。羨ましいです。私の住んでいる静岡県と長野県は隣接して居りますのに、交通の便が悪く鉄道では直通で行くことが出来ません。高校生の頃から上高地へ行きたいと思って、計画は何回もたてたのに、五十数年経ってもまだ行けません。遠くに見える高い山を眺めながら感傷に浸っているのみです。せめてきれいな声でこの歌を歌ってくれる男性がいたら最高に幸せなのですが、その機会もなく残念でしかたありません。生きて居る間に静岡県の山を超えられるといいのですが・・・

投稿: ハコベの花 | 2010年2月19日 (金) 23時48分

郷里に高い山や高原といったものがなかったせいか、山を歌った曲に憧れました。殊に信州の山々です。その中でも、ラジオ歌謡の類いです。青い峰、緑の木々、清かな風、口ずさめば心が洗われる想いがします。この「山のけむり」もゆったりと時間が流れていてとても素敵だと思います。
確かに別離という切なさがありますが、それを癒す周りの風景が充分すぎるほどあるので、唄っていて幸せになるような気がします。若原一郎の歌に「山陰の道」「丘にのぼりて」という、詞、曲共に同じコンビの二曲がありますが、どちらも想う人への切なさが何ともいえないものがあります。 伊藤久男さんのように雄々しくそして品のいい歌声ではありませんが、いつか・ハコベの花・さんに唄ってあげられることを祈念して、今日カラオケで練習して来たいと思います。

投稿: かせい | 2010年2月20日 (土) 13時10分

此の歌の写真は何方様からの提供によるものでありましょうか。 見事な杉木立の写真を拝見させて戴いているうちに、上高地を思い出しました。 有り難うございました。
皆様も御承知の様に槍や穂高にアタックするベースは、何と言っても上高地が基点になることですが、昭和27年・初めて上高地を経由して穂高の下に展開している涸沢で合宿したことを思い出しました。 別な歌には『思い出す様じゃ惚れよが薄い 思い出さずに忘れずに』と言う粋な文句が有りますが、冒頭の写真は・将に槍・穂高を思い出させる写真であります。 提供して戴きました方には御礼を言わせて戴きます

投稿: 渡邉秋夫 | 2010年8月 5日 (木) 05時28分

過日、「山のけむりの歌碑が立つ瀟洒な公園の傍で工房を営んでいます。公園からは優雅な姿の浅間山が眺望でき、・・・」と投稿した者です。つい先月のこと、初老の紳士が、「山のけむり」の歌碑がこの辺りにあると聞いてきましたが・・・と問いかけられました。「すぐ上の公園ですよ」と教えますと歌碑の縦横の寸法を測ったり、歌碑をカメラに収めたりしておられました。それから何日か経ったある日、見知らぬ人からの一枚の葉書が届きました。愛知県弥富市で音楽研究所を営んでおれれること、昭和33年から全国の音楽歌碑を訪ねておられること、今までに2040基ほど見ておられること、などが文面から伝わってきました。この猛暑の夏、かかる偉人にめぐり合えたことに自己満足しました。二木先生の「うた物語」へのアクセス数も、いよいよ累計で20,000,000(二千万)件に達しようとしていまね。予測では8月27-28日と読んでいます。そのそのときは、「山のけむり」と「三日月娘」にアクセスして二木先生に祝意を表したいと満を持しています。

投稿: 山口 功 | 2010年8月25日 (水) 14時07分

二木先生、「二木紘三のうた物語」の累積数20,000,000アクセス到達おめでとうございます。到達日時は2010年8月31日12時58分47秒ごろでした。この直後に「山のけむり」にアクセスしてお祝いさせていただきました。10年余にわたってのご奉仕に感謝いたします。

投稿: 山口 功 | 2010年8月31日 (火) 13時02分

夕方六時過ぎでしたか、「ラジオ歌謡」の番組が始まり、アナウンサーによる歌詞のディクテーションがゆっくりと繰り返されると、兄姉たちは鉛筆でそれを書き取っていました。僕は内地の風景を知りませんが、歌詞の「煙」は浅間山の噴煙であると思っておりました。二十年前から東欧に移住し、近いカルパチア山地に旅行にでかけました。頂上はポロニーナという美しい響きの名の高地草原となっており、小柄の蒙古馬―ウクライナにはモンゴル族の自治国カルムイクがあります―で縦走することもできます。ブナの樹林帯にまで降ると、人煙の臭いがしてきます。これは鋼鉄製の移動式炭焼窯の発する煙だと知りました。この歌の煙も火山の噴煙ではなく、炭焼きの煙だったのではないでしょうか。三十年以上も前のことになりますか、ロシア女性(後の妻)とレニングラードの1DKアパートで同棲しておりました。テレビでゲオルグ・オッツというエストニア人歌手を偲ぶ番組があり、「ヤーリュブリューチェビャー,ジーズニ」(人生よ、我は汝を愛す)という歌が映画ととも流れ出したのを覚えております。この有名なシーンは、戦車内部で顔面をひどく損傷し、自らの容貌を失った息子が、車内で戦死した友人の名を騙り、自らの母に「自らの偽の戦死」を報告にゆく、という恐ろしくも悲しい筋書きのものでした。二木先生の好きな、駅の雑踏と別れの場面を延々とパンする場面があいましたよ。『山の煙』もこの曲も、また二人の歌い手の容貌姿勢に於いても、実によく似ておりました。ただ歌手オッツは脳腫瘍を患い、両眼摘出という悲運に遭遇しております。海軍特別年少兵機銃手であった兄がいるのですが、やはり戦闘で顔面を焼かれております。レニングラードの勤務先で、帝国海軍のある巡洋艦の戦闘詳報を翻訳する仕事を依頼されたのですが、兄の悲しみが思い出され泣いてしまいました。タイピスト(同棲相手)も泣いていました。同じような悲劇を体験したロシア人上司は以来小生をモイ・タワーリシチと呼ぶようになりました。先生は遙かの昔より「我が同志」ですね。

投稿: イサコフスキー | 2011年2月25日 (金) 08時13分

天才ジョブズのI phoneを手に入れてPCに同調させて聞かせてもらっています。PCより音質がいいのか、演奏の細部が見事です。
NHKの「坂の上の雲」に刺激されて原作を読み返しています。聯合艦隊関連で阿川弘之「山本五十六」も併読しています。この曲で昭和23年の長岡を思い出しています。五十六の生誕地と言うことで爆撃された(と言われていた)長岡は瓦礫の山でした。白衣に戦闘帽の傷病兵がアーコデオンを弾いて街角に立っていました。
小六の男子との会話「やまもと ごそろく」昭和が、ますます遠くなります。

投稿: 菅原 主 | 2011年12月25日 (日) 12時15分

 ラジオ歌謡の曲名を教えてください。
 出だし「花を浮かべた掘割の 柳川の水うるむころ燃ゆる思 いを小袖にひめて

投稿: 篠塚伸満 | 2012年1月30日 (月) 12時06分

二木様他にない美しいメロディ楽しく聴かせてもらっています。有難うございます。私は山の煙、山小屋の灯、山蔭の道の3曲好きで小同窓会のカラオケでよく歌います。さて、今は古稀前になりましたが山小屋の煙は定年直前屋久島の縄文杉をめざして6時間のトレキングした思い出があります。10月に朝6時まだ暗い中登山口を出発です。6時間の間に雨になったり晴れたり天候が目まぐるしく変わりました。山の煙は情景が似ていました。煙は山の木々や山裾野から出るもやか霞で煙の様に見えました。別の登山の女性仲間と偶然会い喉が渇いて谷の真清水を汲みあいとか、登るグループ降るグループとか後振り返り手を振ったこと等この歌にぴったりでした。思い出のある1曲です。

投稿: 屋久 洋毅 | 2012年9月16日 (日) 16時08分

 皆様のコメントに目を通したつもりですが、あるいは見落としもあるかもわかりません。この歌は日曜日NHK「素人のど自慢」大会で出演者がよく歌っておられたと思います。他にも「山小屋の灯」なども聞いた様な気がします。親しまれたことと歌いやすい(歌はそれこそ素人です)のではないでしょうか。

投稿: 今でも青春 | 2014年12月28日 (日) 22時04分

心洗われる思いとはこの歌の為にあるのではないでしょうか。それほどに八洲秀章の世界に私淑している「りんご」です。「さくら貝の歌」で二木先生の蛇足を読み益々その思いを強く致しました。「あざみの歌」「さくら貝の歌」とともに「山のけむり」は我が心の歌となっています。
美しい歌詞とともに胸に深く迫ります。
ある時は友と、ある時は亡夫と、その時々に登った山々を懐かしく思い起こしています。蔵王連山、月山、鳥海山などなど。いつか登ろうと思いながら果たせなかった朝日連峰。残雪から青嶺へと移りつつある山容を朝な夕な眺めては感慨にふけるのです。

投稿: りんご | 2015年7月25日 (土) 07時48分

メロディーと歌詞がマッチして、さらに歌詞がたまらなく
想いをかきたてるようで、大好きです。
昨今の言葉を大事にしない風潮に非常な違和感を持ちます。
もっと日本語を大事にして、その語感を大事にするようになって欲しいと思います。

投稿: てっちん | 2015年10月28日 (水) 21時19分

川口でハーモニカ「歌う会」で伴奏をしてもう8年です。
7月に又「山のけむり」を演奏します。40代から日本百名山を踏破しようとしたが、半ばで心臓疾患で諦めましたが、伊藤久男のこの歌が大好きです。
皆で、応援して下さい。
あらちゃんより。

投稿: あらちゃん | 2016年5月31日 (火) 16時19分

この歌を聞くと、純な高校生の頃に戻ります。八洲秀章ならではの綺麗なメロディと、大倉芳郎のプラトニックな詩のせいでしょうか。
 ところで、この歌の「けむり」の正体はなんでしょうか。この歌は、わたしが高校生の頃、ラジオから流れて来たのですが、その時は「炭焼きの煙」と解釈していました。当時の一般家庭には、調理用器具としてコンロ(七輪)があり、その燃料として木炭が欠かせなかったからです。わたしの家の近くに、炭焼きを生業とする人がいたこともあって、とくに疑問に思ったこともありませんでした。
 後年、「けむり」が「山の煙」すなわち「噴火の煙」と知って、なるほどと納得したのですが、今、よくよくこの詩を読むと、またまた疑問が湧いてきました。歌の題名が「山のけむり」で、詩の中では「山の煙」なのです。作詞家が敢えて別表記にしたのは、どうしてでしょうか。
 そこで、またまた、わたしの独断的推測になるのですが、この「けむり」の正体は「煙」と「烟」(けむり)の両方を含んでいるのではないか、という疑問です。「煙」は火山(具体的には浅間山)の文字通りの「煙」、「烟」は「煙のように霞んだ様子」を示します。これをキーポイントに、この詩を読み返すと、ふとした時に甦った、遠い懐かしい山行の一コマが、あたかも霞みの中にある情景のように思い出されるということではないでしょうか。
 もちろん、わたしの愚見に反対の方も多いでしょう。遠慮なくコメントをください。

投稿: ひろし | 2016年6月 1日 (水) 16時39分

山のけむりについて
山のけむりは浅間山の噴煙だとする説があるようですが、これは疑問です。歌詞には「山のけむりの……たゆとう森よ」とあります。すなわち、けむりがたゆたっているのは森の中なのです。
浅間山の山体には木がほとんどなく、森があるのはずっと離れたところです。そんなに遠くの森の中まで浅間山の噴煙が届くということは、大噴火直前で警報が出されるような状況でしょう。
信州の人たちがこの名歌は浅間山を舞台としたものだと思いたい気持ちはわかりますが、この煙はキャンプの焚き火か炭焼きの煙とみるのが妥当ではないでしょうか。

投稿: 山科勝夫 | 2016年6月 1日 (水) 18時48分

ささやかな地異は そのかたみに
灰を降らした この村に ひとしきり


いかな日にみねに灰の煙の立ち初めたか
火の山の物語と…

立原道造の「はじめてのものに」は浅間山の噴煙を歌っているようですが、「やまのけむり」では炭焼のけむりが山中に上がってゆったり流れているのが浮かんできます。あのころは故郷の山では子供ら(自分達のことですが)が遊んでいましたね。

投稿: 樹美 | 2016年6月 2日 (木) 16時05分

炭焼きの煙とのご説明、十分納得できました。が、ひろし様の、両方の面がありそうとのお考えも良いように思えます。「幾年消えて流れゆく」のですから、現実を越えた世界に属しているようにも見えます。彼女と歩いた森や峠の遠景に、別れの時の夕空に、たゆたっていた浅間山の煙(火山は信仰の対象にもなりますし山男を神聖な気持ちにさせるかと思います)が、思い出の世界を流れていると見ても良いような気がします。

投稿: 加藤 | 2016年6月 4日 (土) 21時42分

私はこの歌を聴いた時からずっと炭焼きの煙だと思っていました。ところが大井川上流に行った友人から「高い山の中腹にもやもやした雲がかかっていて山の煙だと思った」と便りがありました。この間は天竜川の中流あたりに用事があって出かけたら山々の中腹にやっぱり一面もやもやした真っ白な雲が掛かっていました。夫が「山の煙だ」と言いました。「あれは雲だ」と言いたかったのですが、喧嘩になると思って黙っていました。新緑の山と白いモヤは美しくて喧嘩は似合いません。もう一度見に行きたいと思っています。人にはそれぞれの煙があるのですね。

投稿: ハコベの花 | 2016年6月 5日 (日) 11時29分

若い頃に単独で山に登っていた者には、自分勝手に脳内再生される、この詩に重なる宝物のような淡い思い出があるのではないでしょうか。
人生下り坂に至って、より心に沁みるものがあり、今でも低山に入って周りに人がいないときにはこの歌を繰り返し馬鹿みたいに歌っています。
山にはいろいろな煙があると思いますが、私はこの詩の情景や心情に重なる煙は、森林を横切るようにように水平方向にゆっくり流れるやや湿った薄雲又は霧であって、立ち上る煙や見上げる煙ではないと思っています。

投稿: 慎兵衛 | 2016年6月10日 (金) 02時28分

二木先生
初めてコメントを書かせていただきます。
「山のけむり」どうしてこんなにも切なく懐かしく胸に響いてくるのでしょう? 
4~5年前から、ずっとこのサイトを開いては二木先生の解説を背景に素晴らしい演奏に合わせて、大好きな叙情歌を口ずさみながら、みなさんの素晴らしいコメントに感心したり感動したり、 私のいいたいこと全部いわれちゃったな~と、思わずコメントを書きそびれたりし4~5年経ちました。
万博の年に大阪に転勤してから、仕事の合間をぬっては年に3回は大好きな信州へのドライブ旅行に出かけ、友人の経営する八ヶ岳の麓のペンションを起点にあちこち周りましたが、千曲川沿いの小さな公園でこの山のけむりの歌碑を見つけ、浅間山を望みながらこの大好きな歌をしみじみと口ずさみ、感慨に耽ったものでした。
そのあと、私達夫婦は小諸の藤村ゆかりの中棚荘に一泊して懐古園をのんびりと散策して帰路に着きましたが、もう10年以上も前のことです。
あざみの歌が、大好きなことは言うまでもありませんが
、今は京都散策にうつつをぬかしています。
これからは、勇気を出して感じたままのコメントを書かせて頂こうと思っていますので、二木先生 よろしくお願いいたします。
あっ、私は尾谷さんやハコベの花さんと多分同期生だとおもいます。               


投稿: あこがれ | 2016年10月28日 (金) 02時42分

あこがれ さん
 って凄い勘をされていますね。
多分ハコベの花さんが数ヶ月お姉さんではと・・・
 地域のコンサートや??記念や老人ホームへの訪問演奏を年に7~8回事前にリクエストも募りボランティア活動をしていますが、この『山のけむり』も多く時には涙を流される方もあり、過ぎ去ったあの頃も思い浮かべ歳を重ねる度毎にいっそう美しい歌だと心に響いてきます。
S.saxとT.saxの「バンド」や「日本の歌百選を歌おう会」でも『山のけむり』がナイ!と何時も誰かが文句を言っています。
 あまりストレスを感じない方ですが、忙しい時や疲れた時皆さんのそれなりの青春満杯のコメントと二木先生の「蛇足」と添付絵写真に感動感銘しています。

投稿: 尾谷光紀 | 2016年10月29日 (土) 11時14分

月見草のところに尾谷様に頂いた白い月見草が昨夜1輪咲いたと書きかけたのですが、用事が出来てパソコンから離れた後、あこがれ様の投稿読みました。本当に感の良いあこがれ様にびっくりしました。私は登山はしませんが遠くに見える赤石山脈の雨上がりに青く連なって見える景色が大好きです。この歌を作られた人の感性はいかばかりかと思います。緑の山がなぜ青く見えるのかわかりませんが本当に美しい青ですね。昔,富士山という綽名の先生がいました。意味がお分かりになりますか。遠くから見れば見られるけれど、近くから見ると汚いのだそうです。先輩の女学生が付けたのだそうです。今日あたり山の近くに行けば白い雲の煙が山の中腹に掛かっているでしょうね。朝からこの演奏をを聴いて山の煙を想像しています。

投稿: ハコベの花 | 2016年10月29日 (土) 12時01分

「山のけむり」の「煙」については皆さんそれぞれに感想をお持ちのようで、いちいちなるほどと感じ入っております。「山」については「浅間山」という意見が多いようです。
先日、さる朗読の会で堀辰雄の「初秋の浅間」という短編(随筆?)を知りました。
それによると初秋のころの浅間山の山頂にはいつも白い雲が流れているのだそうです。
インターネット図書館の「青空文庫」に登載されています。

投稿: 周坊 | 2017年3月 9日 (木) 16時08分

 ♪山のけむり・・この曲も現代日本が忘れ去った曲想の一つか…と思われます。名曲です。[URL変更による再掲です]

投稿: 水本爽涼 | 2017年7月21日 (金) 22時28分

二木さんが、ごいっしょに美ヶ原に登った松本蟻ヶ崎高校文芸部のみなさんのうち何方かがここに投稿なさったらいいのになあと時々思っています。

彼女たちはバスで松本市街に戻り、ぼくらは徒歩で浅間温泉へと下ったのでしたが……
この一節がもの悲しいです。

投稿: 古崎 孝 | 2017年9月 3日 (日) 00時51分

先日、もう一月前になるころだったでしょうか。家族から「この歌知ってますか。知ってたら歌って」と言われました。「ああ」と言ったものの歌には自信がなく少々ごまかして歌いました。昔聞いた覚えがあったからです。家族は自治会の夏祭りにコーラスで歌う中の一つだったようです。それから懸命に練習をして無事終ったようです。この歌は随分古いようですが、よく日曜日の「素人のど自慢」で歌われていました。いい歌です。、

投稿: 今でも青春 | 2017年9月 3日 (日) 19時50分

いつの間にやら しのび寄ってきた秋の気配を感じながら、しみじみと「山のけむり」を聞いています。

澄み切った秋空に、ところどころ浮かぶ いわし雲・・そしてゆったりと流れるようにたなびく浅間のけむり、いやが上にも過ぎ去った遠い日々への郷愁を誘われ、なんだか切ないような気持ちになります。

3~4日前、八ヶ岳山麓に住む友人から、大きなダンボール箱いっぱいに高原野菜を送ってきました。みずみずしく いかにも新鮮な感じのレタス・色鮮やかな赤や黄色のパプリカ・それにあのブランドコーン(甘カン娘)や、キュウリ・とまと等々・・・とても我が家だけでは捌ききれないほどの量、さっそく両隣りさんにもお配りして秋を共有しました。
ここのところ、六甲山荘も宿泊研修会や交流会等で週の内3~4日間のペースで宿泊業務ですので、くたくたに疲れていますが、二木先生の名演奏に 心身共に癒されています。ありがとうございます。

投稿: あこがれ | 2017年9月 3日 (日) 22時37分

長野県岡谷市に関係する五味比左志氏によれば、作詞者の大倉芳郎は「この山は特定の山を意識して書いたのではなく、映画の印象からこの詞を書いたという。作曲者の八洲秀章は横須賀線の車中でこの曲を書いたという。」

投稿: 海道 | 2017年9月 6日 (水) 12時52分

昨夜、夫が歌っている歌があまりにねちっこい演歌ばかりなので「私は山のけむりが好きな人と結婚したかった」と叫びました。心から山のけむりが好きな人と・・・と思っています。今更夫を変えようがないのですが、この歌が忘れ去られていくのが惜しいですね。静かな抒情がいつの日か日本から無くなってしまうのでしょうか。高校の音楽の教科書にでも入れて貰えたら嬉しいのですが、夢でしょうか.昨夜から何回もこの歌を聴いています。気持ちが安らかになります。

投稿: ハコベの花 | 2017年9月 7日 (木) 14時07分

私の地元、小諸には山のけむりの歌碑が建っており、浅間山に煙りの立つ晴れた日は夢のような絶景が見られます。北海道を旅行した時に八洲秀章の研究家から「山のけむりは羊蹄山にかかった雲を煙に見立てた歌である」、と言う説明を聞きました。それ以来、小諸市が観光用に建てた碑とばかり信じてきました。ところが、平成29年9月月29日ラジオ深夜便の3時台に、郷愁の歌としてこの曲がかかったのです。その解説で桜井洋子アナウンサーが「横須賀線の中で大倉芳章が浅間山をモデルに書いた詩に八洲秀章が作曲をした」と述べていたのです。録音は聴きたい人のために消さずに保存してあります。小諸市 

投稿: 星野直人 | 2017年10月 2日 (月) 12時07分

補足。もう一度聴いたところ大倉芳章が作詞したのは5行だそうです。

投稿: 星野直人 | 2017年10月 2日 (月) 13時07分

「山のけむり」も昔ラジオのNHK「素人のど自慢」で聞いたようです。当時「よく何回も歌われるな」と思いました。人気があったのだと思います。
 さて、この「けむり」ですがいろいろ考えられていますが、私にはどうも噴火とは思われないのです。理由はとくにありません。なんとなく山がけむっているように見えたのではないかと思います。さきほど前の方のコメントを見て思いました。

投稿: 今でも青春 | 2017年10月 2日 (月) 19時37分

私もこの「山のけむり」は大好きな歌の一つで、メロデイーにも歌詞にもとても癒やされます。光栄にも二木先生と同様、特に前奏が心地がいいですね。(二番)に現れる素敵な女性を過去のこれに似た自分の失恋体験に重ね合わせ、この曲を何十年経っても飽きることなく歌っています。しかし、切ないこの歌は解釈を変えれば幸せな希望ある起承転結にもなると思い、以下書いてみました。
登山中に出会った男女が恋に落ち、仲良く一緒に下山して来たものの、そのまま相手の連絡先を聞かないでサヨウナラしてしまいました。この相手の連絡先を聞かなかったのが悲劇の始まりであることは明かですが、彼女は自分からアタックするのは端無いので、きっと彼から聞いてくるのを待っていたのだと思います。彼のこの勇気のなさが二人を離ればなれにしてしまった訳です。
そこで、相手の連絡先が分からなくても再会するにはどうしたら良いかです。これは皆さんも経験されたことだと思いますが、
迷子になった時はその見失った場所を動かないでじっと待っていたら割と早く会えることが多いのです。その点子供は駄目ですね、不安になって(連れの、例えば母親を)捜し回るので益々離れてしまいパニックになり泣き叫び、警察のお世話になってしまいます。
ですから、別れた場所は分かっているのですから、まず、費用は掛かっても同月同日同時刻にそこに行ってみることだと思います。
これは私の妄想ですが、賢明な彼女は直ぐそのことに気がつき、翌年から離別地であるその山麓行きを実行していましたが彼の姿はなく逢えずにいます。
駄目なのは彼です、ただ彼女を思慕し、うじうじしているだけで長い月日を浪費していました。ところがある日、NHKラジオ番組で「君の名は」を聞いていて『“これだ”約束が無くても別れたあの場所へ行ってみることだ』とハッと気がついたのです。        
 これで二人が出会えるのはもう時間の問題ですね・・彼女もそこに来ているはずです。めでたし々です。
歌詞(一番)は、ひょっとすると彼が彼女に逢いに、あの別れた山の麓までやって来た場面かも知れません。それを確信に変えるのは三番の歌詞のエンデイングで ♪あとふりかえり手を振れば うすれゆく ああ 淡い夕日 が染めた茜のなつかしく♪です。いま手を振って別れたばかりなのに《懐かしく》は不自然で「あの時もこうだったなあ」と今の彼の置かれた状況が、別れたときの情景と全く同じであることを思い浮かべているからです。
 以上ですがちょっと二人を会わすのは無理がありますかねー最初に感じた《白煙(山のけむり)は悲しからずや 空の青 山の碧にも 染まず漂う》の方が、つまり慕い続けている方が余韻があって良いかも知れませんね。
長文失礼しました。   迷える古羊

投稿: 迷える古羊 | 2018年3月 7日 (水) 13時36分

 高校生の時、ラジオで聞いて以来、とても気に入っており、今もCDで聞いたり、自分で歌ったりしています。特に「下りた峠のはろけさよ」の部分は聞くたびに山へのあこがれをかきたてられます。
 伊藤久男が歌ってまもなくNHKのど自慢で歌う人が多いため、「山のけむりのほのぼのと」で鐘がひとつ鳴り、「はいお次」のケースが多かったと記憶しています。
 伊藤久男の山のけむりは堂々として立派ですが、あとで出た倍賞千恵子と鮫島由美子の歌もそれぞれ味わいがあって良いと思います。

投稿: 山路渓風 | 2018年3月30日 (金) 15時14分

ずっと昔、学校の行事で北温泉から那須岳に登ったことがあります。総勢100人ぐらいの賑やかな登山です。
途中の辛さも頂上での見晴らしも今ではもう朧です。
けれど・・
下山の途中ふざけすぎて集団から外れて岩に寄りかかり一休みをしていると
「みんなから外れて大丈夫?」と声をかけてきた人がいました。20歳前後の女子大生と思える4,5人組で
「ほら、お水」と中の一人が水筒のキャップを手渡してくれたのです。
色白の、鼻の頭が少し陽に焼け、麦わらのうちの陰になった大きな瞳が真っ直ぐに僕を見つめて、急に胸が苦しくなったことを覚えています。
ありがとうの一言も言えず、僕はただ黙って相手の人の顔を見つめたままでした。
山麓まで本来の集団の後ろで彼女たちとも少し距離を置きながらの下山。
彼女は僕達よりひとつ前のバスのステップで、帽子のひさしを少し上げ僕に手を振ると反動をつけて車内に消えて行きました。
日は傾いても日差しは強く陽炎の逃げる道をバスは小さくなって行く。
僕が乗ってないのに・・・
ほんの僅かな時間の小さな出来事に過ぎないのに、途方もなく理不尽なことのように思えて薄茶の硫黄の煙さえ腹ただしく無性に悲しい思いをしたものです。

夏の真ん中。当時僕は中学校1年生だった。

ついこの間テレビで男性コーラスFORESTの「山のけむり」が流れていました。
淡々とした歌声に、思いもかけず蘇った遠い記憶が
少し切なくおろおろと自分の気持ちを持て余した、春の終わり。

投稿: 日月 修 | 2018年4月19日 (木) 17時18分

久しぶりの投稿です。
以前に比べて、最近 普遍性に欠けた私信めいたコメントのやりとりに うんざりしていたところ 山のけむり で、日月 修さんの爽やかな文体に ほっとしました。
ひろしさんのコメントも、いいなあ~。

投稿: Ivanhoe | 2018年9月 8日 (土) 18時26分

Ivanhoe様
 コメントにややわかりにくい箇所「私信めいたコメント」がありました。しかし、私も同じような感じがしていました。爽やかな文体という箇所に多少しっくりしませんが。「山のけむり」はこの上もなくすばらしいと思います。

投稿: 今でも青春 | 2018年9月 9日 (日) 19時55分

二木先生のこの曲の表題にある写真と類似した「山のけむり」の光景と偶然にも出会いました。
今朝がたより「年末ジャンボ宝くじ」を求めに県の北西に位置する近年、県内では「当たりくじ」が続出しているとの噂のあるある販売店に向け車を飛ばしました。
市街地より山あいに入りかけ、左右前方と山林に囲まれたのどかな田園風景を眺めていたところ、カーラジオから伊藤久男が唄う「山のけむり」の美声が聞こえてきました。
タイミングよく、これにはびっくり!
ゆっくりと車を走らせ・・・ここで「けむりでも舞い上がれば」最高と!思っていた矢先・・・前方に「白いけむり」が目に映りました・・・これまたびっくり!
農家の方が、稲刈りが済んだ田んぼで枯草などを燃やされていたのでしょうか。・・・「白いけむり」が静かに燃え上がっていた光景が今でも瞼に焼きついています。

無事「宝くじ」を買い求め我が家へたどり着きましたが、今日の日の出来事「山のけむり」との出会いに感謝をし明日への活力としたいと思っています。

投稿: 一章 | 2018年12月 2日 (日) 20時38分

今から40年前、この曲の作詞者大倉芳郎さん、ご本名鈴木さんとご一緒に、渋谷の教室でヨーガと仙道を習っていたことがあります。兄弟弟子です。
鈴木さんは当時お勤めと作詞と両方なさっておられました。
毎回終了後、教室の女主人の手料理でワインを飲みながら歓談しました。
高尾山の宿坊で合宿したこともありました。
私から先生へ2つ質問をしました。
私はそれまで日本中の山をあちこち登っていたことから、山のけむりの山は、浅間山であると伺いました。
もう一つはペンネームの由来です。
出身校の大倉高等商業の名前をとったとおっしゃっておられましたが、今は学校経営をされていた大倉喜八郎、喜七郎親子のお名前を頂かれたと思っております。
山のけむりが、遠景か思い出の森や道を「ほのぼのとたゆとい、ひとすじ遠くしずかにゆれている」のは、浅間山の噴煙と思っております。
今は亡き先生にとって、山の煙はこの歌詞の通り、一瞬の夢の世界の想い出のひとすじとなられたと思いながら、今も変わらずしずかに煙流れる浅間山を、北の方の草津の近くに作った小屋から毎月眺めております。

投稿: 仙風 | 2019年2月23日 (土) 15時38分

二木先生、大変お世話になっております。
変な話題で恐縮ですが、最近買ったCD中古品の中で、『山のけむり』に遭遇しました。
聞いてびっくり、2番が無くて、1番の次に3番を、自然に歌っています。
実は私、この歌が無性に好きで、特に2番の歌詞の内容にそっくりな体験を忘れられないでいるのですが、逆に、この2番だけが際立って具体的で生々しくて、1番が抽象的で、品格の高い感じがするのに対して、非常に親しみやすく、誰かが後で挿入したのではないか、と推測していたのです。このCDを聞いて、「我が意を得たり!」と思ったのですが、私の集めた中でも他の多くの歌には2番が入っていますし、NHKラジオ歌謡出身なら、『誰かの挿入』は考えられませんね。
こんな有名な曲を、有名な歌手が歌って、有名な会社が発売して、…何かの手違いでしょうか?
 この謎を、何方か解明して下さいませんか?

投稿: アンクル・トム | 2019年4月15日 (月) 23時53分

失礼しました、問題のCDの素性は、下記の通りです;
『昭和の流行歌 君の名は』、第14曲目、伊藤久男、コロンビア、1987年発売。最近、某オークションで中古品として購入。
全体で16曲を収録してあり、スペースが窮屈だとしても、このような措置はとらないと思うのですが…。

投稿: アンクル・トム | 2019年4月16日 (火) 00時04分

「山のけむり」この度交流掲示板に二木先生がYouTubeにアップされた「山の歌・1」の3曲目で、絶景の映像を観ながらこのメロディを心地よく聴いていて、ふと私の胸の中にくすんでいたあるものが消えて行き、いささか心の中が晴れたような気がしました!

それはこの唄の題名と歌詞の中にある、山に見える「煙」についてのことでした。
実は、私が故郷の田舎に住んでた幼い頃のことですが、私は山での大火事を経験しています。山の麓までは2キロほどありましたが、自宅から見るとその山の煙は黒く舞い上がり、そして炎はとてつもなく大きなものでした。また夜間には間近に感じるほどの恐ろしいものでした。
子供は近寄るな!の怒号が飛び交う中、部落の消防団をはじめ、地域の男衆みんなで懸命に消火にあたりましたが、その甲斐もむなしく炎はまる二日間燃え続けて三日目になりようやく鎮火するに至りました。その大きな山は見る影もなく、真っ黒な禿山になってしまいました。私はその時の恐怖が目に焼き付いています。
田畑での野焼きは知っていますが、高い山での火おこしはありえないのでは、という私の恐怖体験の懸念もあり、山の煙はもしかしたら上に舞い上がる雲の動きを煙に見立てたのではないのかと想像してしまう自分がどこかにいました。
それが、この度の「山の歌・1」の映像で、山の頂に向かいながら淡く白い雲が静かに流れていくその鮮やかな映像を観ていると、それはまるで山のけむりのようにも私には見えてきました。

この「山のけむり」もそうですが、八洲秀章のメロディを聴く度に、どうしてこんなにも琴線に触れてくるのでしょうと、あえて誰かに問いかけたくなってしまうほどのものを私は感じます。「アザミの歌」「さくら貝の歌」「毬藻の唄」など、私の生まれる前の作品ですが、しかし、そのどれもが私の心に深く沁み込んでくるメロディばかりです。八洲秀章の曲作りの才能はもう、ただ素晴らしいという表現以外にはない!というのが恐れながら私の持論です。

投稿: 芳勝 | 2020年2月15日 (土) 17時44分

「山のけむり」何回耳にしても常に郷愁を誘ういい歌です。この歌がアップされてすぐに片柳さまが投稿された(投稿: 片柳 達 | 2007年7月26日 (木) 20時47分)てから14年になろうとしています。片柳さんお元気でしょうか。わたしが投稿させてもらったのは2010年2月18日 (木) 19時42分でした。それから間もなくしてアクセスカウントが20,000,000。現在は45,000,000。一日につき約8,000のアクセスとなっています。驚異的なHP です。50,000,000に達するのは20ヶ月後の2022年と予測しています。その時までは達者に暮らしてぜひ「山のけむり」をこのHPでききたいものです。投稿者のあこがれさん(投稿: あこがれ | 2016年10月28日 (金) 02時42分)投稿文を読ませてもらいました。ご覧になられた歌碑はわたしの工房(当時はコンピュータ関係のソフト開発)のすぐそばの歌碑と察します。現在はその場所で薪窯を築き陶芸三昧で時を過ごしています。四季折々の浅間の煙をながめながらボーとしながらの毎日です。

投稿: 山口 功(亜浪沙) | 2020年2月18日 (火) 15時44分

山口 功(亜浪沙)様

四季折々の浅間のけむりを眺めながら、陶芸三昧の日々をお過ごしだなんて…羨ましい“人生の楽園”ですね。

私も信州に入れ込んでいた当時は、リタイヤしたら八ヶ岳南麓に移住して、かみさんと二人で小さな畑に高原野菜でも育てながら気儘に過ごしたいな~と、いつも夢見ていました。
千曲川(小海線)沿いに車を走らせ雄大な浅間の姿をとらえ「山のけむり」を口ずさみながら、心地よくドライブした当時のことが、懐かしく甦ります。

詞といい曲といい…過ぎ去った遠いあの日をほのぼのと想い起こさせてくれる名曲ですね。
久しぶりに、懐かしい日々を思い出させて頂き、ありがとうございました。

投稿: あこがれ | 2020年2月18日 (火) 21時42分

信州の里にも今年は足早に春の訪れです。そろそろ山桜が雑木林の一帯に点々新緑にまじって白い色どりをそえる時候となります。藤沢秀平の「山桜」の映画(BSP録画)を今年になって何回も鑑賞しました。視力がすこぶる鮮明になたのを機に「蝉しぐれ」を図書館で借りて一気に読み終えました。それと並行して以前録画した黒土三男監督・市川染五郎/木村佳乃主演の「蝉しぐれ」と同じ監督脚本の「蝉しぐれ-嵐・罠・歳月」(内野聖陽/水野真紀主演)を再生しながらこれら三者を比較鑑賞しました。市川染五郎さん扮する牧助左衛門(文四郎)が砂浜の高みに円錐の砂を盛りあげ、その頂きに分身として長く苦悩の路をともにした自らの刀剣を突き刺し、海を背にしばし合掌する最後の場面がありました。そばには刀の鞘がころがっているのが視えました。これをみて「荒城の月」の植うる剣は二木先生解説の「(5)戦死した侍の土まんじゅうに墓標代わりに刀が突き立てられている。」に当てはまると思いました。この場面は原作にはありません。映画の脚色とおもわれます。脚本家は原作以上の思いを作品に具現化されることにただただ感服しています。

投稿: 亜浪沙(山口 功) | 2021年3月29日 (月) 15時31分

私は白根山標高1000mの小屋に毎年出かけて、浅間山を眺めている者です。2年前、この曲に投稿しました。
今は下界で桜を眺めていますが、今月下旬、桜が咲き出す時期には訪れようと思っております。
亜浪沙様は視力が鮮明になられたのを機に、感激の生活を取り戻されたとのこと、おめでとうございます。
私は緑内症を目薬で現状維持するつもりでいたところ、昨秋、世の中が暗くなってきてしまいました。スーパーライザーという近赤外線を喉に当てる治療法を始めたところ、これまで回復することはないと聞かされてきた緑内症が回復してきて、世の中が明るくなりました。血管を緩めて血行がよくなったのですが、多くの病気にも効果があるとのことです。
亜浪沙様の目が鮮明になられた対応内容についても、お聞きかせ頂けたらと思います。

投稿: 仙風 | 2021年3月31日 (水) 16時13分

 数年前、久しく遠ざかっていた山に出かけました。そして驚いたのは、若い女性の単
独行者やグループが多く、その一人一人がカラフルで洗練された登山ファッションを身
に纏い、明るく賑やかに青春を謳歌していたことです。昔の山を知る者として、そこに
展開する都会的な風景は、まさに“今昔の感”でした。東京近郊の低山で、しかもケー
ブルカーで山頂近くまでいっきに登れ、パワースポットとしてネットなどでトレンド入
りしている有名観光地のこと、むべなるかなでもありますが。
 『山のけむり』には、どう解釈しても単独行としか考えられない女性(この歌がヒッ
トした時代は、グループならいざしらず単独行の女性はまず皆無だったでしょう)と出
会って真清水を汲みあい、心に純情を懸けたまま別れたことが描かれています。汚く臭
くてむさくるしい者の代名詞みたいに言われたかつての山男には、奇跡的とも思える登
山シーンではないですか。おそらく、これは山を愛する作者(大倉芳郎さんにはたくさ
んの山岳讃歌があります)の見果てぬ夢と憧れだったのでしょう。
 で、本題。「山のけむり」についてみなさんいろいろ解釈されていますが、管見では、
山の樹木などから吐き出されたもので、昔からいう「山気(さんき)」とか「嵐気(らん
き)」、つまり山中に特有の、ひえびえした空気、さわやかな気が森に漂っているもの
でと思います。実際、深い森を一人で歩いているとき、私は、姿は見えねども、なにか
「森の精」のようなものに包まれているような穏やかな気持ちになります。森林浴の精
神効用としてフィトンチッド(樹木が吐くテルペンという物質)が科学的に証明されて
いますが、それがソフトに身を包んでくれ、気を静めるのでしょう。これこそが山気の
正体なのではないか。歌詞の冒頭にある「山の煙の ほのぼのと たゆとう森」は、深く
やさしい山気に包まれて歩くことを好む山人(やまびと)ならではのフレーズと思える
のです。
 これ以下、蛇足。「たゆとう山の煙」は、信州浅間山の噴煙でも、ましてや焚火や炭
焼の煙でもありません。もし山を歩いているとき噴煙が周囲に迫ったら、あの御嶽山の
二の舞でしょう。焚火(いまでは山麓のキャンプ指定地以外では厳禁)や炭焼窯(いま
では過去の遺物として山中のそこここに残骸をさらしています)の煙だったら、目にし
みたりゴホゴホとむせたりして、せっかくのロマンチックな場面はぶちこわしでしょう。

投稿: 待宵 | 2022年12月 3日 (土) 21時52分

「出会い」というのはまさに運命的・決定的で、私がこの曲を初めて聴きその後何度となく聴かされたのは、NHKのど自慢のラジオ放送。そうして、出演した素人さんがみな「カネひとつ」だったのです。それも出だしの「………ほのぼのと~」でカーン。なんとつまらない歌か、というのが今日までこびりついている私の記憶です。不幸ですね。あはは。

投稿: 半畳亭 | 2022年12月 4日 (日) 18時15分

 地元の歌声喫茶でこの歌を朗々と
歌っておられた常連の米寿を迎えた男性が
コロナの影響か、この頃お見受け出来ません。
お若い時は会社の合唱団で、バリトン担当だった
そうです。世の中落ち着いたら又、一緒に「やまのけむり」歌いましょう。

投稿: 賀曽利 清 | 2022年12月16日 (金) 16時24分

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