森の水車
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
1 緑の森の 彼方から (*)コトコトコットン コトコトコットン 2 雨の降る日も 風の夜も 3 もしもあなたが 怠けたり |
《蛇足》 昭和17年(1942)9月に映画女優・高峰秀子の歌でポリドール(当時は大東亜レコード)からレコードが発売されましたが、戦時にふさわしくないという理由で、発売から4日後に発禁処分を受けてしまいました。
昭和16年(1941)の初め頃までは、かろうじて洋楽や洋楽風の歌謡曲が発売できましたが、その後検閲がいっそう厳しくなり、軍歌や戦時歌謡一色になっていきます。
昭和58年(1983)1月に音楽之友社から発行された『歌をたずねて――愛唱歌のふるさと』のなかで、作曲した米山正夫は次のように語っています。
(発禁になったのは)軍歌しか認められない時代で、『森の水車』のメロディが米英調だという理由です。当時の作曲家たちはいろいろ隠れて工夫して、いわゆる「米英調」の歌を作っていたんです。この歌は実はドイツの作曲家アイレンベルクのメロディを拝借しているんです。内務省の最初の検閲では枢軸同盟を結んでいるドイツの曲ならよい、ということだったんですが――。
この歌は、戦後荒井恵子の歌唱で復活します。
荒井恵子は、昭和24年(1949)3月、NHKの「のど自慢全国コンクール優勝大会」で優勝したのを機に、NHKの専属歌手になりました。そして、同年4月から始まったバラエティ番組『陽気な喫茶店』で毎回この歌を歌ったことにより、一躍全国に広まることとなりました。
さらに、昭和26年(1951)には、荒井恵子の歌でNHKラジオ歌謡として放送されました。
こうした経緯から、『森の水車』は荒井恵子の歌というイメージが定着していたのに、NHK専属だったために、レコード吹き込みはできませんでした。
この歌がレコードとして発売されたのは、昭和26年(1951)8月で、発売元は日本コロムビアでした。これは、米山正夫が日本コロムビア専属だったためで、歌ったのは同じく同社専属の並木路子でした。
荒井恵子は翌年、NHK専属のままキングレコードと契約、セミクラシック系の歌を中心にレコードを出しましたが、あまりヒットしませんでした。
私の子どもの頃、田舎では何カ所にも水車がありました。その響きは、勤勉さを刺激するよりも、「のんびり行こうよ、マイペースでいいじゃない」といっているように私には聞こえました。
(二木紘三)
コメント
この唄は幼少のころよく耳にしました。かといって聞きたい
訳では有りませんでした。でも頭の中に残っています。
娯楽のなかった時代だったからでしょうか。
投稿: 海道 | 2008年10月 9日 (木) 17時26分
この歌がはやった頃、のど自慢は歌曲、歌謡曲、民謡と部門が別れていましたね。荒井恵子はふくよかな身体と皆を幸せにするような笑顔と明るい声をしていました。
作詞家の清水みのるは浜名湖のほとりで生まれ育ったので、この歌の歌碑が浜名湖畔の小さな公園に建っています。ふるさとの燈台、かえり船など海に関する歌があります。私の隣の区では朝、7時半に森の水車のメロディが流れます。風向きによって我が家でも聴こえる時があります。戦後の暗い世相が明るくなるような明るい歌でした。あの当時、歌手の声が今よりずっときれいでしたね。世の中が明るくなるような歌も、作って欲しいなと思っています。
投稿: ハコベの花 | 2010年12月22日 (水) 20時36分
高峰秀子のレコードはヒットする前に、戦時下にふさわしくないとして発禁処分となり回収されてしまったのです。
投稿: おにま | 2011年12月28日 (水) 15時39分
私の家には60年くらい前まで水車がありました。
水車の回転は、人のリズムと解け合います。
なつかしく聞くことができました。ゆっくりと時間が流れた時代を思い出しました。
投稿: はるちゃん | 2012年8月31日 (金) 17時03分
そうだったのですか!この歌は、「雪の降る街」、「夏の思い出」などと一緒にNHKラジオ歌謡の一つとして戦後作曲された歌だとばかり思っていました。荒井惠子はNHK専属の歌手だと勘違いしていました。
投稿: KeiichiKoda | 2012年8月31日 (金) 17時39分
25年生まれです。ラジオから流れていたのは、荒井恵子の歌声だったのか、並木路子のものだったのか。私はどちらを聴いて覚えたのでしょうか。
ラジオは有線で、「NHK」しか配信していないものでしたから…。
でも、中学の頃、必修曲ではなかったけど、音楽の教科書に載ってました。
おなじ米山正夫作曲の「山小舎の灯」や轟由起子が歌った「お使いは自転車に乗って」も記載されていました。健康的で清純な、「好いた、惚れた」がないものは、教科書OKだったのですね。楽しく歌いました。
投稿: かせい | 2012年11月21日 (水) 00時28分
KeiichiKoda様
あなたの上記コメントは、勘違いではありませんでした。荒井恵子はNHKの専属歌手で、昭和27年に、NHK専属の身分のままキングと契約してレコードを出しました。私の調査不足でした。(二木紘三)
投稿: 管理人 | 2013年11月11日 (月) 01時29分
久しぶりの書き込みですが、この曲の発禁の理由についての私の推測を書いてみたいと思います。
私は「問題は間奏に有る」と推測しています。確かに前奏はドイツ人作曲家アイレンベルクによる同名の器楽曲からもので、発禁を逃れるために日独伊三国同盟にちなんで広く親しまれたこの曲から拝借されたものと思われます。
しかし、発禁となったレコードの特に2番から3番に移る間奏は、「藁の中の七面鳥(オクラホマミキサー)」を彷彿とさせるものであり、それに続く甘美なメロディもメンデルスゾーンのピアノ曲(無言歌集第5巻,第6曲の「春の歌」を彷彿とさせる甘美なメロディが少なくとも2小節姿を見せています)が、メンデルスゾーンはハンブルグに生まれドイツで活躍したとはいえ、ユダヤの血を引く事からナチスの排斥を受けているので、この2点が問題になったと推測されます。発禁理由の情報公開が無いのであくまでも推測ですが。(発禁版はYouTubeで確認できるようです。)
それにしても同時期に教科書に採用された「わかば 作詞:松永みやお、作曲:平岡均之」と比べて見ても何という時代だったかと暗澹たる思いです。
投稿: たしろ | 2017年4月14日 (金) 12時27分
昨日夜、あるBSテレビ局のコーラス番組のなかで、混声コーラスによる「森の水車」を聴きました。歌詞を辿りながら、♪仕事を励みなさい♪というフレーズが出てきたことに気づきました。普通には、♪仕事に励みましょう♪ですから、この相違はどういうことなのだろうかと調べて見ましたら、いわば、戦中のオリジナル版歌詞と戦後のカバー版歌詞ということのようです。
オリジナル版について、最初は、歌詞1番の♪耳を澄まして お聞きなさい♪と♪仕事を励みなさい♪で、欧米の歌によくあるように、押韻を試みたのかなあと思いましたが、歌詞2番ではそのようなフレーズの関係になっていないことから、どうやら、そうでないようです。
やはり、戦時中、国民の戦意高揚を図ることを念頭に、歌詞3番にありますように、♪もしもあなたが怠けたり 遊んでいたくなったとき♪に、♪仕事を励みなさい♪と、明るく戒めている歌なのかなあと、想像を膨らませています。
この歌のように、歌詞も世につれて変わることがあるものだなあと、認識を新たにするとともに、ともあれ、この歌は、明るく楽しく歌うのが似合うなあと思う昨今です。
投稿: yasushi | 2018年4月17日 (火) 14時02分
私もその番組は昨日見ました。ただ、歌唱は高峰秀子となっていました。どういうことなのでしょう。
投稿: 谷野力 | 2018年4月17日 (火) 16時11分
昔の歌が画面に出る時は、最初に歌った人の名前がでますね。高峰秀子のこの歌は聴いたことがありませんが、やっぱり荒井恵子のふくよかな体系とにこやかな笑顔と明るい声が一番この歌に合っていると思います。もう一度見てみたいと思います。戦後の日本を身体ごと明るくしてくれた歌だと思います。
投稿: ハコベの花 | 2018年4月17日 (火) 18時11分
谷野様のコメントに関しまして、二木先生の《蛇足》欄にありますように、S17年の戦中オリジナル版は高峰秀子さんが歌い、S24年以降、戦後カバー版を新井恵子さんが歌っていると理解しています。その後、並木路子さんも歌っているようですね。
投稿: yasushi | 2018年4月17日 (火) 18時27分
水車にかかわる歌で、歌詞をうっすらとしか覚えていない曲があり、探しあぐねてこのページをのぞいてみました。荒井恵子さんはなくなっておられましたね。あの透き通る声はこの歌とともに忘れられません。戦時中に作られてすぐに発禁となった事情はいろいろ憶測ができますが、私は明るすぎるメロディーもさることながら、歌詞の中にある「ふぁみれど しどれみふぁ」が理由ではなかったかと思います。当時外国語排斥のなかで「ドレミファソラシド」より「ハニホへトイロハ」を優先する考えが蔓延したらしく、小学校では「ドレミ・・」が教えられなかったと、3歳上の知人から聞いたことがあります。ちなみに私は昭和22年入学ですから、ドレミで育っています。
ところで私の探している歌は「春のかわせの みずぐるま。まわれ まわれよ、トン コトリ」と始まる歌で、小学校の5年生頃に習ったのですが、たいていのことが出てくるこの世界で引っかかりません。覚えておられる方はいらっしゃいませんか。
投稿: solong | 2020年5月20日 (水) 22時28分
solongさん
私は昭和15年生まれですが、この歌の題名は分りませんが、うろ覚えで記憶しています。
懐かしいですね。
投稿: 栗さん | 2020年5月21日 (木) 13時10分
高峰秀子さんの歌詞が違うのは何故かと思っていたのですが、
戦争中のことが原因だったのですね。
子供の頃に水車小屋へ行って、母が使い方を教えて呉れました。
水の速さ、杵の高さ等を色々と調節することが沢山ありました。
小屋の中は夏でも涼しかったのを覚えています。
川の水がきれいで蜆を沢山拾ったものです。
学校へ行く道の坂に水車があり、ねこ柳に雪が綺麗に凍り付いて、
水車は止まっていましたが、帰りにはすっかり溶けて回っていました。
今は観光の為に作られたのを見かけますが懐かしいです。
投稿: なち | 2020年5月21日 (木) 18時43分
栗さん様 早速ご投稿ありがとうございます。本当にあったんですね。自分だけの妄想ではないかと自信がなかったのですが。後半の「トン スットン カタ スットントン」というところが面白くて、子供たちに教えてやりたいとおもうのですが、題名も、正しい歌詞も、メロディーも確実な資料が見つからず、弱っていました。元気が出ました。気長に探してみようと思います。
投稿: solong | 2020年5月22日 (金) 10時22分
お探しの曲は,北原白秋,童謡組曲「風と笛」から「とんすつ」
作曲は石渡日出夫
投稿: ねこねここねこ | 2021年4月 4日 (日) 01時54分
ねこねここねこ様
ありがとうございます。北原白秋の詩だったのですね。いただいたデータをもとに楽譜を探します。
書いてみたもののどなたからもご返事はいただけないものとあきらめていましたので、お礼遅れました。申し訳ありません。
投稿: solong | 2021年5月22日 (土) 10時16分
江戸時代の五街道の一つで中山道の【木曾路】に旅行したのがバブル前、江戸時代の面影をそのまま残す【妻籠、馬籠、奈良井の宿】で、その歴史的建造物の立ち並ぶ中に郷土料理の茶店が有りお店の前に大きな水車が有り写真撮影。蜂の子入りの珍しい五平餅を頂きました。鍵屋の辻と言う言葉が時代劇の様で何ともタイムスリップ感が素晴らしいと思いました。いつまでも思い出に残る子供達との楽しい夏休みでした。道中木曾義仲の幟も見えました。
投稿: 細川 和代 | 2023年3月 2日 (木) 13時47分