夢一夜
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
1 素肌に片袖 通しただけで 2 恋するなんて 無駄なことだと 貴方を愛した はかなさで |
《蛇足》 「四畳半フォークの帝王」と呼ばれた南こうせつとしては、かなり異色の作品。フォークと歌謡曲の境界領域にある、それもかなり歌謡曲寄りの曲。
阿木燿子の官能的な歌詞がみごとに生かされています。
以前、ある方から1番の歌詞について、次のような投稿がありました。
歌詞全体のイメージから、床に脱ぎ散らかしてあるのは着物(和服)でしょう。だとすれば、「着てゆく服が」でなく、「着てゆくものが」のほうが適切ではないか――というのです。
これは同感ですね。服は、もともと「身につけるもの」という意味で、着物を指しましたが、現代ではほとんど洋服と同義で使われています。
そのため、服だと「素肌に片袖通した」「色とりどりに」「絹の海」といったイメージにそぐわなくなります。決めかねているなかに洋服も混じっていたとしても、「着てゆくもの」なら、イメージのずれはありません。
(二木紘三)
コメント
有難うございます。一年振りにこの世に生還いたしました。先生同様に失うものを失いました。しかし、こうして先生の懐かしいサイトにアクセスできるまでになりました。PCを許可されて最初に開いたのは言うまでもなく先生のサイトです。イヤホンから流れる音楽は「華美」なものでした。もう少しこの世にいることが許されたようです。悔しいことに私より早く「木内彰志」というかけがえのない師を失いました。残るべき魂が残らぬ順不同はこの世の習いですが、今はこうして先生にお礼を申しあげることが出来る幸せを噛締めています。有難ございます。くれぐれもお体ご自愛のほどとくとお願い申し上げます。
「埋葬のあと寒木を平手打ち」
投稿: 矢谷弘幸 | 2007年12月29日 (土) 21時17分
この曲を最初耳にした時の感想はちょっとした驚き。。。でした。今まで聞いていた曲と少し違うとそういう感想が沸いて来ますよね。
阿木さんもちっとも年齢を感じさせない美人でそれも驚いた事がありました。
投稿: sunday | 2008年4月29日 (火) 06時51分
着てゆく服が。でいいじゃないですか。和服だと解っておられるなら、直のこと。
投稿: M.U | 2008年5月26日 (月) 13時23分
着てゆくものが未だ決まらない。こんなに着物があるのだから上流家庭のお嬢様ですよね。しかし恋になると、みんなこういう気持ちに成るのだから不思議なものですね。
投稿: 海道 | 2008年10月19日 (日) 21時17分
昭和歌謡図鑑によればこれも奥さんがいる人を好きになってしまった若い女の子の気持ちを歌っている不倫の歌だそうです。そう言われて詞をみれば「一夜限り」がやけに目につきます。こんな綺麗な曲まで。歌は不倫で始まり不倫で終わる。倫理に反する恋というのは、世間的によくないことなのに、これだけキレイで切ない音楽が多いっていうのも事実ですねー。不倫人は色恋歌を聞けば不倫に聞こえ、そうで無い人は普通の恋愛歌に聞こえるとも言われますが。そう言うものなのでしょうね。
投稿: 海道 | 2012年7月 9日 (月) 06時46分
矢谷弘幸さんの
>埋葬のあと寒木を平手打ち
一瞬、自分が寒木になったような気がしたほど
この句に打たれました。
投稿: M.M. | 2013年2月24日 (日) 11時42分
老若とはず女性の「さが(性)」を詠いつくした詩ですね。宇崎竜童さん、こんなに感性に満ち溢れた奥様と仕事ができて・・・うらやましい限りです。南こうせつさんは僧籍の家族をお持ちと聞きました。「声明」という仏教音楽の神髄を極めた楽曲とのコラボレーション!!聴くたびごとに情景が目にうかびます。ここに登場する女性はどのような人でしょうか。「男はつらいよ」の”寅次郎夕焼け小焼け”の宇野重吉さん扮する池内静観画伯と静かに語らう岡田嘉子さん(若き日の恋人役)が印象にのこっています。池内静観画伯の苦悶の問いかけに「こうすればよかった」という後悔と「どうしてそうしなかったのか」という後悔とが・・・といいながら立ち上がり、部屋のむこうに身をしずかに運ぶ岡田嘉子さん・・・・・。歌や映画はいいものです。
投稿: 亜浪沙 | 2017年2月 7日 (火) 14時38分
昨日この曲が気に入り、カラオケチップに入れて練習中です。しかし演歌が苦手な私には難しいです。そのため妻が外では絶対歌うなとの命令です。
私も先生と同じくシダックスの一人昼カラで食事をしていました。しかし1年前に撤退したので株主優待が使えなくて困っています。最近買った招き猫の株主優待ではシニア割引で使用できず困っています。
投稿: セレナ | 2017年6月14日 (水) 16時04分
なんのCMだったのでしょうか。
映像の小林麻美さんがあまりにぴったりで
この曲といえばまず真っ先に麻美さんの姿が
目に浮かんでくる私です。
投稿: 二村 | 2017年6月24日 (土) 02時27分
招き猫の株は1年で二倍になりました。シダックスも再開されたので株主優待が使用できるように成りました。
この歌も感情が入れられて歌える様に成りました。
阿木燿子や山口百恵が育った横須賀に住んでいます。
投稿: セレナ | 2017年10月23日 (月) 08時37分
この歌は確か資生堂のイメージソングたった記憶がします。
官能的な歌詞内容ですが、恋に陥った切ない乙女心が見事に表現された名曲と思います。
♪貴方に逢う日の~ ♫ カラオケでは最も聴かせたい部分ですネ。
投稿: 牧山雄男 | 2020年1月24日 (金) 20時15分
(文中一部敬称略)
二村様 & 牧山雄男様
『夢一夜』が使われていた資生堂のCM、私は当時小学4年生でしたが、『第20回輝く日本レコード大賞』(1978年12月31日、東京有楽町・帝国劇場から生中継、TBS・CBCテレビ・毎日放送系)の合間に流れていたのを記憶しています。
CMにおける小林麻美(小林→田邉稔子、1953~)の妖艶さには子供心にハートを撃ち抜かれたような衝撃を感じましたが、そういう理由か否かはわかりませんが石川さゆり(石川絹代、1958~)、藤あや子(高橋真奈美、1961~)、坂本冬美(1967~)、杜このみ(黒森→高安このみ、1989~)といった妖艶さのある女性演歌歌手勢がカバーしているのがわかるような気がします。
ちなみにこの第20回日本レコード大賞を受賞したのはまさに1978年の歌謡界のみならず日本中を席巻したピンク・レディー(未唯mie(根本美鶴代、1958~)・増田惠子(増田→桑木啓子、1957~))の『UFO』(作詞:阿久悠(深田公之、1937~2007)、作曲:都倉俊一(1948~))で、大賞発表直後ピンク・レディーに司会の高橋圭三(1918~2002)が、
美鶴代ちゃん、啓子ちゃん、おめでとう。
今、あなた方が夢にまで見たレコード大賞を手にした。
どうですか?感激でしょう。
この二人はご存知のようにデビュー以来、圧倒的な人気を誇り続けてまいりました。
しかし、その陰には、眠る時間も削って、そして病をおして歌い続けたということを私たちは知っております。
しかもいつでも笑みをたたえ、そして、全力投球で歌いましたこの二人、その慎ましさ、優しさというものは、まさに現代の天使だろうと思うのでございます。
今、全国のお茶の間からちびっ子たちが先頭に立ってワァーッと拍手してるの聞こえませんか?
どうですか?聞こえるようでしょう?
どうぞ、今までどおりあなた方はちびっ子たちもそして私たちの幸せを思って、今までどおり歌って、天使としての任務を尽くしてください。
おめでとうございました!
(引用:Wikipedia「高橋圭三」の項目より)
という祝福のメッセージを贈ったシーンは子供心に感動したものです。
ちなみにピンク・レディーはレコ大終了して即、辞退した大晦日恒例番組の舞台である渋谷・NHKホールではなく歌舞伎町・新宿コマ劇場に直行し同劇場から生中継の『輝け!特別生放送・ピンク・レディー汗と涙の大晦日150分!!~みんなで幸せになろうね~』(日本テレビ・中京テレビ・よみうりテレビ系)に出演、これが物議を醸すことになります。
【蛇足】
この1978年12月31日はテレビ史にとっても歴史的な出来事がありまして、それはタモリ(森田一義、1945~)・ビートたけし(北野武、1947~)・明石家さんま(杉本高文、1955~)の「お笑いBIG3」がこの日正午から二元生中継された『サンデーお笑い生中継』(1978~79、毎日放送・TBS・CBCテレビ系)で初共演を果たしたことです(但し、タモリとたけしは東京浅草・松竹演芸場(現存せず、現在はROXが建っている)から、さんまは大阪・うめだ花月劇場(こちらも現存せず)から出演のため直接共演というわけではない)。
内容はタモリ(東京方の司会)・星セント(村山袈裟夫、1948~2001)・星ルイス(藤江充夫、1948~2005)、ツービート(ビートたけし・ビートきよし(兼子二郎、1949~))の東京勢がなぞかけで、横山やすし(木村雄二、1944~1996/大阪方の司会)、桂朝丸(のちの桂ざこば/関口弘=ひろむ、1947~2024)、桂文福(田中登、1953~)、さんまの大阪勢が都々逸で、「1978年の出来事を振り返る」というものでした。
ちなみに『サンデーお笑い生中継』東西各司会のタモリと横山は先述の『ピンク・レディー汗と涙の大晦日150分!!』にも生出演しました。
投稿: Black Swan | 2025年4月21日 (月) 22時00分