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2007年7月25日 (水)

リラの花咲く頃

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:寺尾智沙、作曲:田村しげる、唄:岡本敦郎

1 リラの花が胸に咲く今宵
  ほのかな夢の香(か)
  ああ 思い出のあのささやき
  遠くはるかに聞こえくるよ

2 リラの花が胸に散る今宵
  やさしく手を組みし
  ああ 過ぎし日のあのメロディー
  霧の彼方に流れ行くよ

3 リラの花が胸に哭(な)く今宵
  はるばる別れ来て
  ああ なつかしのあの面影
  ひとり狭霧の小径(みち)をゆくよ

《蛇足》 昭和26年(1951)5月、NHKからラジオ歌謡として発表されるとともに、レコードも発売されてヒットしました。

 前年に発表された『白い花の咲く頃』に続いて、寺尾智沙・田村しげる・岡本敦郎のトリオによる抒情歌謡の傑作。田村しげると寺尾智沙は夫婦。

 同名のシャンソンがありますが、これはわが国では、宝塚歌劇のテーマソング『すみれの花咲く頃』として知られています。

 リラ(フランス語のlilas)は東ヨーロッパ南部原産のモクセイ科の落葉低木で、英語ではライラック(lilac)。マロニエとともに、フランスを象徴する花として、いくつもの歌に詠まれています。
 花は通常淡紫色ですが、園芸品種には白、青、濃紫、紅色など、いろいろあるようです。上品な色合いで芳香があることから、古来多くの人たちから愛され、とくに15世紀のフランスで盛んに栽培されました。

 日本には明治中期に渡来し、寒さに強いため、関東以北、とりわけ北海道に多く植えられています。

(二木紘三)

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コメント

昔「リル・・リル」と叫んでいた歌手がいましたが、何故かこの詞は古文を読んでいる様な気になります。詞と
しては綺麗です。残念ですがリラの花にお目にかかった
事がありません。

投稿: 海道 | 2009年1月11日 (日) 15時11分

リラといえばロマンチックな花の代表のように私には思えます。少女時代歌や小説にの中だけの花でしたが、2007年6月上旬、函館に一人旅の際街路樹のリラの花が満開で感激しました。函館の街によくあったやはりロマンチックな花でした。

真夜中に聴くせいでしょうか演奏がとても明確に聞こえます♪

投稿: おキヨ | 2009年1月13日 (火) 02時24分

 こんにちは、初めまして。

ロマンチックな歌ですね、リラの花は当地岡山県にも

今咲いております。高貴な香だなと思いますね~♪♪

「リラ匂ふ窓鳥影の近づきぬ」 ミコ

投稿: ミコちゃん | 2009年4月25日 (土) 11時44分

昭和43年頃、NHKラジオ音楽番組で、これをフルオーケストラが演奏していました。その中でも一番の歌詞でいえば、『遠くはるかに聞こえくるよ』の部分がきれいだったこと、いまだに忘れられません。

投稿: 乙女座男 | 2009年5月24日 (日) 14時59分

この歌は子どもの時
ラジオで毎日聞きました。
私しか
誰も知っている人はいないだろうと思っていました。

リラ ライラックは札幌の花です。
韓国でも見ました。

投稿: みやもと | 2011年10月23日 (日) 22時11分

窓から入って来る、5月のさわやかな風を身に受けながら、このメロディを聴いています。リラの花が咲く頃になると、中学生の頃に覚えたこの歌が、自然に口をついて出て来るのですが、雪国の新潟にいたわたしは、この花を見たことはありませんでした。ただ、この歌からイメージしていたのは、ほのかな香りの漂う、気品のある、清楚な感じの「カスミソウ」のような花でした。後ほど実際に見たリラ(ライラック)の花は、二木様の解説の写真に見る量感のある紫色の樹花だったので、イメージしていたものとはかなり違っていましたが、それでこの花が嫌いになったわけではありません。それはやはり、この歌を作られた田村夫妻のマジックによるものだったかもしれません。
 かつて、職場の同僚で一緒に仕事をした女性が、定年後息子さんを頼って札幌に転居したので、いつかリラの花の咲く頃に、ぜひ訪れたいと思っていましたが、季節の挨拶を数回交換しただけで亡くなってしまいました。
今、わたしが住んでいる街(横須賀市)でも、リラの花はあまり見かけません。札幌のリラの花は、多分6月頃が見ごろだろうと思いますが、近く彼女の冥福を祈りつつ訪れてみようと思っています。

投稿: ひろし | 2012年5月10日 (木) 11時16分

今年の札幌ライラック祭りは大通り公園で5月23日から27日まで、他の会場では6月2日、3日のようです。
見ごろは5月末から6月はじめでしょうか…。
明治23年にアメリカから持ち込まれた、札幌ではじめてのライラックは、今も北大植物園に残っているそうです。
私の札幌での記憶の中のライラックは、なぜか白や薄いブルー、ごく淡い青みを帯びた薄紫なのです。忘れがたい花なので、鉢植えで育てようとしたことがありますが、関東地方のベランダではあまりに暑かったのでしょうか…失敗してしまいました。

投稿: nobara | 2012年5月11日 (金) 17時08分

nobara様 札幌ライラック祭の最新情報をお知らせくださりありがとうございます。札幌には何度か訪れる機会がありましたが、時宜を得ずリラの花に会えるご縁はありませんでした。大通り公園には数百本ものリラの樹があるようですから、それらが一斉に花開く様を想像すると、わたしがかつてイメージしていたものとはかなりの隔たりがあるように思えます。しかし、亡くなった彼女は明るくおおらかな性格でしたから、華やかな彩りにつつまれた花の雰囲気をかえって喜んでいるかもしれません。多分、わたしも「ひとり狭霧の小径を」ではなく、大通りをたくさんの人と賑やかに歩くことになるのでしょう。

投稿: ひろし | 2012年5月13日 (日) 10時33分

上海が舞台の古い歌、夜霧のブルース・上海ブルース・上海の街角で、の歌詞には、やたらリラが詠われています。冷涼の乾燥地を好むらしいリラが上海に繁茂するとは、思えませんが・・・

ふと、おもったのですが、上海がえりのリルの「リル」はリラに由来するのでは。

「ひろし」様は、もしやこのサイトの「雨に咲く花」にコメントされている「ひろし」様でしょうか?
およばぬこととあきらめた同じ職場の女性は、札幌に転居された女性と同一の方なら、いいですね。

投稿: 山田天年 | 2012年5月18日 (金) 13時01分

私は佐賀県の在住者です。やや北寄りが適地のライラックを園芸好きの愚妻が丹精を重ねて、見事開花させました。蛇足様の掲載のデジ写真と同じきれいな紫色が出ました。私ともども大喜びで色合いを楽しんでいたところ、隣の旦那さんが自家に撒いた農薬の飛まつが付着し、あっという間に枯れてしまいました。女房が地団駄踏んで悔しがることか。農薬には弱い花のようです。

投稿: 乙女座男 | 2012年8月25日 (土) 22時07分

30年ほど前、TV放映でみたロミー・シュナイダーの映画を思い出しています。しかしあのシャンソン風なメロディーと無関係な日本の詩と歌でびっくりしました。

出だしに三味線のように聞こえる演奏部分があり、音楽知らずの私に面白く思われました。二木さんの粋な洒落というか、アレンジに感心いたします。j楽器のガも弾ない扱えない輩には、多彩な楽器の音に驚きつつも、楽しませていただいています。

投稿: TangoMinatot | 2012年8月26日 (日) 21時02分

Bonsoir

うっかり屋のあたしはリラとライラックは別の花かとずっと思っていました。

でも、それは同じもので呼び名が、フランス語か英語かの差だったのね。

おなじみの宝塚歌劇のテーマ曲「すみれの咲く頃」も本来はリラの花だったのね。

でも、当時関西ではリラの花になじみがなく、しかたなくスミレに替えたのかも?

リラの花の淡紫色、

いいですね、

清楚な感じが大好き。

  Au revoir

投稿: トッコ | 2012年9月11日 (火) 19時27分

    Bonsoir                                            あたしが五月与謝の海に遊ん折の駄句一句

  *ゆめうつつ リラ咲く丘の 与謝の海

 さすがに気恥ずかしく、今度は本職の、俳人今井つる女氏の名句を紹介。

  *華やかな 過去を語らず リラの花

  ロマンがあっていいですね。

  ふと、あたしにでも小説が書けそうな、そんな気分にさせる一句ですね。

  さすが、hat off!

Au revoir

投稿: トッコ | 2012年9月11日 (火) 20時55分

与謝の海の五月に リラが咲く…
黄色いキブシの房を4月に伊根の向うで見たのです。
リラはきっと住宅か公園でご覧になった?
取り合わせの妙で、この歌に相応しいようにおもいます。

トコチャンまたはトッコチャンと呼んだ俊子さんと言う昔馴染みを思い出しています。フランスにお住まいなら、与謝の海に似ている海岸がありますね。春から初夏にかけて沢山のリラが咲きます。白いリラも綺麗ですね。
 

投稿: TangoMinato | 2012年9月11日 (火) 23時14分

リラ(ライラック)は冷涼、乾燥の地を好むと言いますから、日本に持ち込まれても、寒冷の北海道以外の地では生長は無理なように思っていましたが、トッコ様やTangoMinato様のコメントを拝見すると、本州の丹後地方には、この花が植栽されているようですね。
 「与謝の海」とは宮津湾のことで、あの天ノ橋立で有名な海岸ですね?かの俳人与謝蕪村が「春の海終日(ひねもす)のたりのたり哉(かな)」と詠んだ海岸が、この「与謝の海」だと言われているのですが、風光明媚な丹後半島の旅も、リラの花が景物に添えられると、また楽しみが増えそうですね。一度訪れてみたいものです。

 以前(5月10日付)亡き後輩を偲んで、リラの花の咲くころに札幌を訪れたいとコメントしましたが、実行寸前に膝関節痛に襲われ、ドクターストップのやむなきに至りました。nobara様から折角情報をいただきながら誠に残念ですが、リラの花との対面は先に延びてしまいました。

山田天年様 
 過去の拙文に興味をもたれた由、恐縮です。この歳になりますと、若いころのほろ苦い思い出は、人生を調理するときの、一種のスパイスのようなものかもしれません。もちろん失恋を奨励するわけではありませんが。
 札幌に転居した彼女は拙文の女性とは別人です。思い出の中に生きる女性の面影は、例外なく若いときのままですね。彼女も生きていれば、既に古稀を過ぎているのに、です。

投稿: ひろし | 2012年9月15日 (土) 18時10分

ひろしさま お膝を傷めてご旅行は中止、残念でしたね。次の機会にライラックに会えますよう、ご快復をお祈りいたします。
プロテスタント系ミッションスクールの創立者スミス女史が、明治23年に米国の自宅から持って来て女学校と北大植物園に植えたものが、札幌のライラックの始まりだと言われています。この株から多<の木が分けられて市内のあちこちに植えられました。女学校に植えられたライラック(母木)は、戦時中に敵国の木ということで切られてしまったのだそうです。それで北大植物園にあるライラックが札幌(北海道)で一番古い大きな株なのです。私の実家はとうにありませんが、庭と道路の境目に一列に植えられていたライラックが懐かしくてなりません。香りのよい、白や薄いブルー系の清楚な花は、親しい友達のようでした。せめて北大植物園の一番古いライラックに会いに行きたいと願っています。

投稿: 眠り草 | 2012年9月16日 (日) 00時17分

眠り草 様
 ご親切にも慰めのおことばをいただだきありがとうございます。右膝関節痛はもうありませんが、無理をせず治療に努め、来年は是非ともリラの花にお目にかかりたいと思っています。
 札幌に植えられたリラの来歴について教えていただきありがとうございます。札幌を訪れたときには、北大植物園の原木を見なければいけませんね。
 この「うた物語」のよさは、歌ももちろん素晴らしいのですが、二木様やコメントをお寄せくださる皆様からさまざまな知識や情報が得られることでしょうか。眠り草様のコメントからも、音楽のみならず広くいろいろなことを教えていただいています。また、ソフトながら折り目正しい文章にも好感がもてます。今後も期待して読ませていただきます。
 
 

投稿: ひろし | 2012年9月16日 (日) 17時57分

ひろしさま
札幌のライラックの来歴については、札幌市が発行した本を読んだ同窓の友人が、5年ほど前に知らせてくれた長いお話を思い出して一部を書きました。私が直接読んだ本ではなくて申し訳なく思います。サラ・クララ・スミスが創立した学園には、小学校の同じクラスから、何人もの方が中学に進みました。星のマークが二つあるセーラーカラーの、可愛い後ろ姿を覚えています。

札幌にいた頃は、庭のライラックの枝を数本、花瓶に活けることがありました。寒色の組み合わせも綺麗なのですが、「りラ冷え」という言葉を思わせます。そこに、こちらの写真のような色の一枝が加わると、たちまち華やかな雰囲気に変わり幸福な気持になるのが不思議でした。

こちらのサイトには、学識のある年長の方々が多くおいでになり、二木先生の演奏やご解説とともにひろし様や皆様のコメントからも多くを学んでいます。私など、まだまだヒヨコで反省することが多く、過分なお言葉に恥じ入るばかりです。

投稿: 眠り草 | 2012年9月17日 (月) 10時37分

 人生でやり残したこと。ないといえばない、あるといえばある。北海道のリラの花を見たかったなあ。しかしライラック祭りの人ごみの中に入るのは苦手な私。リラの花散る日暮れ道をひとりで歩いてみたかった。倍賞千恵子の「リラの花散る町」のイメージで。
  想い出だけが 消えないで
  静かに残る この町はずれ    

投稿: 音乃(おとの) | 2012年11月 4日 (日) 23時27分

この時代の歌には草や木そして花が唄われています。その中に詩情や愛情が有り余っている歌詞も多いのも事実だとも思われます。都会一辺倒では無くある程度田舎の風情を残し、かと言って都会派にも受け入れられそうなメロディーラインいい歌は何時までも残る物と信じたい。

投稿: 海道 | 2012年11月 5日 (月) 10時12分

 この歌にこんなに多くの投稿があるとは驚き!
 高校時代、奈良光枝と岡本敦郎がわが町にやってきました。講堂の窓の外からこの歌を聴きました。
 当時「白い花の咲く頃」とこの歌は、先輩・藤山一郎を凌駕するほど流行りました。
 白い花に較べ「リラの花」を知る人は少ないようですネ。少年の心に沁みた素晴らしい叙情歌でした。
 リラの花がライラック(Lilac)と知ったのは大人になってからでした。あの頃を振り返れば、この歌が「遠くはるかに聞こえくるよ」。

投稿: 鈴木 英行 | 2015年4月20日 (月) 20時03分

倍賞千恵子のリラの花散る町お願い致します

投稿: 夢見る男 | 2016年8月19日 (金) 16時54分

リラという言葉の響きが大好きでした。

渡辺淳一さんの「リラの咲く頃(?)」という本を読んでいたからでしょうか。
そして昭和58年ごろ 家族共々札幌に住むことになり毎年大通公園でリラの花を見ることができました。
「リラ冷え」という言葉も知りました。
「リラ=ライラック」であることを知ったとき 少し賢くなってロマンティックな気分になりました。

札幌から東京に居を移し「リラの花咲く頃」の曲を耳にすると あの明るくおおらかな札幌の街を思い出します。
その頃高校生だった長女の娘にも「リラの花が咲く頃」、是非訪ねて欲しい街です。

投稿: けん | 2016年8月20日 (土) 10時17分

先日、テレビで「ローマの休日」を観ました。昔、新聞記者に憧れていましたが、憧れだけで終わってしまいました。ある取材で若い新聞記者と知り合いました。どうして記者になったのかと訊ねたら「ローマの休日に憧れて」と言ったので噴き出してしまいました。グレゴリーペックはハンサム過ぎました。妙に20歳年下の彼と気が合って、転勤の度に「遊びにきませんか」と便りをくれました。最後は札幌のライラック祭りでした。「旅は嫌いで」と断ってしまいました。家を留守に出来ない事情もあったのです。今、彼は新聞社の傍系の会社の社長さんになったようです。記者で生き残れる人は少ないのですね。彼からの手紙は全部取ってあります。見事な筆跡と文章で私の宝物です。一度リラの花を見てみたいと思います。生きていると楽しい出会いもありますね。もう少し頑張って生きて居たいと思います。

投稿: ハコベの花 | 2017年6月20日 (火) 23時36分

ハコベの花さん、確かに、ローマの休日のG.ペックはハンサムすぎるというか、立派な顔をしすぎていますね。今の感覚でいうとちょっとおじさん臭いです。愛棒の記者の俳優、美男子ではありませんが、僕はああいう顔の方が好きです。確か彼の息子も俳優になって、甘いマスクで売り出したはずですが。リラの花、僕も大好きです。東京でも見られます。以前住んでいた地域のそば(武蔵野市)にはリラが沿道に植わっていて、ときどき花泥棒になりました。いつまでもromanticな気持ちを持ち続けられておられるハコベの花さん、いつまでもお元気で。

投稿: 朝風呂 | 2017年6月21日 (水) 04時11分

素敵な歌詞ですね。
歌詞に酔えます。
特に3番目の歌詞に惹かれます。
切ない甘い思でを想起させます。


  リラの花が胸に哭(な)く今宵
  はるばる別れ来て
  ああ なつかしのあの面影
  ひとり狭霧の小径(みち)をゆくよ

ハコベの花様の胸の小箱には
幾つもの思い出が忍んでおり、
時折とりだしてはその時々の方を
を偲んでおられるのですね。

リラの花がその抒情性を高めているのですね。
ハコベの花様もきっと 優れた新聞記者になれましたよ。
すこし早く生まれ過ぎましたね。
素敵な記者氏との思い出
私ならすぐに飛行機で駆け付けます。

投稿: りんご | 2017年6月21日 (水) 13時27分

この歌いいですね♪

現実には歌のような恋をした経験はありません。にもかかわらず、自分が夕暮迫る小霧の中で恋人と切ない別れをしたのだという仮想のシーンを目に浮かべて唄います。こんな爺さんになっても切ない想いにかられ、不覚にも涙ぐんでしまいます。

私の住む地方は、白、桃色、紫のリラが咲きます。昔、ニワトコ(Holunder)とリラ(Flieder)とごっちゃにしていた記憶があります。『すみれの花咲く頃』の影響かもしれません。

投稿: ザジ | 2017年6月23日 (金) 12時03分

リラの花と言うと私にはこの歌のメロディが聴こえてきます。まだリラの花は見たことがありませんが想像して楽しんでいます。転勤の度に遊びに来ませんかと誘ってくれた新聞記者氏の便りが少し途絶えていました。最近新聞社を退社して新しい情報関係の仕事を立ち上げたという便りがありました。60歳寸前の彼の選択だったのでしょう。20数年の付き合いですが、ローマの休日の様にはいきませんでしたが心がちょっとロマンな色に染まります。リラの花の色でしょうか。ほのかに優しく思われるのも良いものですね。いつの日にかリラの花を見たいと思います。

投稿: ハコベの花 | 2018年4月19日 (木) 13時47分

『リラ』の花言葉を調べてみると「青春の思い出」「純血」「初恋」とあり、思わず花屋の店先から そのまま 永遠に夢見る乙女 はこべの花様 に送りたくなるようなぴったりの花ですね。

それにしても、寺尾智沙・田村しげる コンビによる曲は、なんと叙情的で心地よく胸に響いてくるのでしょう。

因みに 846曲のラジオ歌謡中 寺尾智沙・田村しげるコンビの作品は、白い花の咲く頃、リラの花咲く頃、さざんかの歌、母あればこそ、高原の旅情、など 10曲程ですが(日本ラジオ歌謡研究会による)いずれも繊細で夢見るような詩と、流れるような美しいメロデイーに魅了されます。

しばしの間、私も夢見るオノコ?で いたい心境です。

投稿: あこがれ | 2018年4月19日 (木) 18時48分

 今年もまた、わが山荘の庭にリラ(ライラック)の花が咲きました。宝塚の山中ですが、時至ればちゃんと咲いてくれてうれしいです。

 折しも新コロナウイルスが猖獗を極めており、関西地区も一向に勢いが収まりません。一時は収束したかと思われた北海道も、2回目の緊急事態宣言。今季のライラックまつりの開催があやぶまれます、残念至極です、ふうー!

投稿: 枯葉三郎 | 2020年4月18日 (土) 13時09分

昨日も今日も「リラの花」の」歌を聴いています。声が枯れていますので、聴いているだけです。ライラック祭りに誘ってくれた彼が今、どうしているか心配しながら聴いています。
何年か前にライラック祭りに手紙と電話で誘ってくれたのについに会えずじまいになってしまいました。親子ほどの年の差があっても、どこか細い糸で繋がっていたのでしょう。のっぽの彼とリラの花の下を歩いている姿が目に浮かびます。静かで仄かな恋の終わりだったのでしょうね。私のいくつかの恋の終わりがリラの花だったような気がします。彼も新しい人生を歩いていることでしょう。

投稿: ハコベの花 | 2020年4月19日 (日) 14時33分

今から四半世紀前、パリに数ケ月滞在しました。その時見た花がリラ(ライラック)とマロニエです。
 リラはエッフェル塔の下の公園で、マロニエはシャンゼリゼ通りに咲いていました。綺麗だったですね。
カスバの女という唄の中でも、「花はマロニエ シャンゼリゼ赤い風車の・・・」と歌われています。懐かしい思い出です。 
 現在暮らしている神奈川県の街でもリラは咲いています。

投稿: カナ | 2020年5月30日 (土) 17時29分

どこかからこの歌が聴こえて来ないかと、ここ数日思い続けています。青春時代はいつの間にか遠くへ去って行ってしまいました。毎日の家事雑事に疲れ果てて少し輝いていた若い日に戻ってみたくなりました。そんなことを真顔で言う私を笑った友人が先日心臓麻痺で無くなってしまいました。青春時代の恋を語る友人が少なくなって淋しさが募ってきたのでしょうね。
憧れを持つことの楽しさは言葉では言い表せません。「リラの花」いつの日にか必ず見たいと思い始めました。もう時間のない年になったようです。少し寂しくなって来たようです。

投稿: ハコベの花 | 2023年9月14日 (木) 16時34分

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