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2007年7月29日 (日)

高原列車は行く

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:丘灯至夫、作曲:古関裕而、唄:岡本敦郎

1 汽車の窓から ハンケチ振れば
  牧場の乙女が 花束投げる
  明るい青空 白樺林
  山越え谷越え はるばると
  ララ…… 高原列車は
  ララ…… 行くよ

2 緑の谷間に 山百合ゆれて
  歌声響くよ 観光バスよ
  君らの泊まりも 温泉(いでゆ)の宿か
  山越え谷越え はるばると
  ララ…… 高原列車は
  ララ…… 行くよ

3 峠を越えれば 夢見るような
  五色の湖 飛び交う小鳥
  汽笛も二人の 幸せ歌う
  山越え谷越え はるばると
  ララ…… 高原列車は
  ララ…… 行くよ

《蛇足》 昭和29年(1954)のヒット曲。
 この歌詞の舞台について、作詞者の丘灯至夫は、平成19年
(2007)に行われた福島ペンクラブ30周年記念講演会で、次のように語っています。

 福島県田村郡小野町で生まれた丘灯至夫は、子ども時代から虚弱だったので、よく湯治に行かされました。そのときに乗ったのが、同県耶麻郡猪苗代町の川桁駅と沼尻駅をつないでいた通称・沼尻軽便鉄道(昭和44年〈1969〉に廃線)でした。よく利用したのが沿線の横向温泉で、とくにお気に入りだったのが滝川屋旅館だったそうです。その頃の思い出が、『高原列車は行く』として結実したわけです。
 そうすると、2番の「温泉
(いでゆ)」は横向温泉、3番の「五色の湖」は五色沼ということになりましょうか。

 いっぽう、作曲の古関裕而がイメージしたのは、アルプスだったそうです。本家のアルプスか、日本の南・北・中央アルプスのいずれだったかはわかりません。
 丘灯至夫が古関のメロディーを初めて聴いたとき、そのあまりの軽快さに「腰を抜かすほどびっくりした」そうです。実際、屈託ゼロの青春の歓びや楽しさをこれほどストレートに表現した曲はあまりありません。 

 ところで、私が子どものころ、村外れの河原にワラ小屋を建てて、一人で住んでいる女乞食がいました。彼女は中年過ぎでしたが、村人たちは「河原の乙女」と呼んでいました。
 このころ、ラジオからこの歌が流れてきて「牧場の乙女が……」までくると、頭では違うとわかっていても、いつも河原の乙女が浮かんできて困りました。今でも、この歌を聴くと、まず浮かぶのが河原の乙女
が花束を投げるシーンで、はつらつとした牧場の乙女はありません。

(二木紘三)

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コメント

この歌は中学校の教科書で覚えました。歌謡曲だったんですね。
。特に昭和20年代が好きです。気持ちのいいメロディーが多く飽きません。これからもよろしくお願いします。

投稿: masako | 2007年10月28日 (日) 19時31分

このサイトの選曲、音源、解説、コメントみんな良い。
はまってしまうと底なし沼だ。You Tubeにはない魅力
が一杯ありますね。

投稿: 海道 | 2009年5月 3日 (日) 13時27分

この曲は岡本敦郎が伸びのある美声で昔よく歌っていました。詩:丘灯至夫 曲:古関裕而 歌:岡本敦郎のトリオでこの他「憧れの郵便馬車」「自転車旅行」「緑の馬車」「登山電車で」等、乗り物の曲を10曲位発表しています。

ここに記載されている歌詞の中のララララ・・・はラン、ラン、ララーン、ララ、ラン、ラン、ラン、ラン、ラーン、ランではないでしょうか?最後のラララララも全てランです。古関裕而全集にはそう記載されていますし、岡本敦郎もそのように歌っております。

投稿: 歌好 | 2009年9月15日 (火) 17時20分

歌好様
 おっしゃるとおりです。私も岡本敦郎がそのように歌っていたのを思い出しました。

 ただ、ラララとかランラン、ルルル、ダバダバといったスキャットの部分は、歌集では省略して書かれるのが一般的なようです。
 この歌についても、『日本歌謡集』(時雨音羽編、社会思想社)、『新版日本流行歌史(中)』(古茂田信男・島田芳文他編、社会思想社)、『全音歌謡曲大全集(2)』浅野純編、全音楽譜出版社)では、いずれも「ララ……」と省略して表記されています。それに倣って、当ブログでも上記のように変えました。

 この歌に限らず、『四季の歌』『白いギター』『結婚するって本当ですか』など、外国曲では『雪が降る』『悲しき天使』なども、スキャット部分は省略した表記になっています。
 これは、その部分は歌手または歌い手がそれぞれの感覚で表現してくれ、と作詞家が考えていることを示しています。
 『悲しき天使』の原曲『Those were the Days』のスキャット部分は、歌集では「La la la……」としか書かれていませんが、メアリー・ホプキンは「Lai lai la lai la la」とか「La la la lai la la」とか歌うたびに変えています。

 『高原列車……』ですが、「ララ……」の部分は「ランランララーン……」と歌ったほうがよいと岡本敦郎が自身が考えたか、作曲者か編曲者、あるいはレコードプロデューサーがそう歌うように指示したかのどちらかだろうと推測されます。確かに、そう歌ったほうがこの歌の弾むような楽しさが伝わってきますね。
(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2009年9月15日 (火) 23時20分

曲もさることながら今日は〔蛇足〕に反応させていただきました。〔牧場の乙女〕で〔河原の乙女〕を連想されたとは!思わずクスクス笑いました。

あの時代は日本の何処の町、村にも〔乞食〕さんが普通に横行していて誰も警戒することもなく小さい施しをしていました。
私の町にも〔合羽〕というあだ名の、顔つきが聖徳太子に似た乞食さんがいて、夏冬同じ合羽を着て仕事のように町を歩いていたのを思い出しました。
この人はある病院に飼われているという噂を聞いて嫌な感じをおぼえたものです。

爽やかな歌から乞食の話題になってしまい申し訳ありません。

投稿: おキヨ | 2009年9月16日 (水) 12時19分

織井茂子の黒百合の歌の中でも「あああ」が「ははは」
あるいは「かかか」と歌っているように聞こえるのですが一流の正統派歌手なら許されたのでしょうか。

投稿: 海道 | 2009年9月24日 (木) 18時06分

実にハッピーな、不朽の名作ですね!
「牧場の乙女」「五色の湖」「幸せはこぶ汽笛」.....と日本人の原風景がちりばめられており、旅行の楽しさがただただ横溢している感じです。なんといってもこの素朴さが良い!
それはそうと、「五色の湖で至福の時」、「汽笛はふたりの幸せ歌う」というフレーズは小生自身当初は小馬鹿にしてみており「少女趣味丸出し」「単純すぎて幼稚っぽい」と考えていた時期もありました。ただよく考えると、小生自身がはまっている、「愛車ヴィッツ1300Uで時速140-150まで続く二次曲線的加速とエンジンの鼓動に快楽の媚薬を覚え、吸い込まれていく感じ」というのももう一台の所有車=2009年式レクサスIS350のリミッターを解除し、シャシダイ上で時速280-300km/hを記録したいという目論みも全て、「湖の美しさに我を忘れる」少女心理の男の子バージョンと言われれば反論できないのも確かです。そしてネット上のドイツからのお宝?映像として、オペル社の2800cc大型セダン「オペル・インシグニア」で当地サーキットにて時速256km/h平均を記録し、♪シュコーン!フォーン♪~という音と共に閃光のように駆け抜けていく場面に恍惚の境地という自分がいるわけです。
この通り、人間は男子・女子共に根は少年・少女であるということを思い知らせてくれる「高原列車は行く」の歌詞とメロディだと思います。それにしても岡本敦夫さんは今も活動されているというのは心強いですね。やはり日本人の心の故郷を朴訥に歌い上げると心の波長も落ち着き、快感ホルモンが体内一杯に溢れるのではないでしょうか。

投稿: 真鍋清 | 2010年3月 2日 (火) 22時35分

この歌のモデルに成った鉄道は、福島県の川桁駅から出ていた沼尻鉄道(後の磐梯急行電鉄→磐梯急行電鉄不動産→現在の紀州鉄道)だと言われています。

この鉄道は軽便鉄道だったので、この曲を聴きつつ、小さな列車が磐梯の美しい自然の中を走る光景を、思い浮かべています…。

ちなみに前記の通り、この鉄道は沼尻鉄道から磐梯急行電鉄と名を変え、軽便鉄道から観光鉄道へと脱皮をしようとしていたのですが、赤字続きで苦しい経営だったため、その夢も儚く廃止に成ってしまいました…。

投稿: 銀座線01系 | 2012年1月13日 (金) 22時13分

丘灯至夫氏も古関裕而氏も、共に福島出身ですので「高原列車…」のモチーフは裏磐梯、五色沼辺りなのでしょうが、私にとってはこの歌の舞台は、八ヶ岳の麓を走る「「小海線」です。清里、野辺山には「アン・ノン族」がまだチラホラで、白樺の林の中を縫うように走って行く高原列車の乗り心地はとても素晴しいものでした。2両編成のディーゼルでした。昭和47年頃の「日帰りスケッチ」。翌年、美濃戸口→硫黄岳→横岳→赤岳登山に挑戦。赤岳泊りを変更して真行寺尾根を下山。八ヶ岳は麓が広大です。迷子になってしまいました。夏とは言え、よく遭難しなかったなぁ、単独行はもうやめよう、と反省しきりでした。 永遠の愛唱歌ですね。

投稿: かせい | 2012年6月16日 (土) 00時53分

  汽車の窓からハンケチ振れば
  牧場の乙女が花束投げる
の歌詞ですが、どうしても解しかねますので、どなたか、教えてください。

走る汽車からハンケチを振る人に、牧場の乙女は、窓から花束を投げ入れたのでしょうか。
そのためには、あらかじめ、線路沿いか、駅に待ちかまえていなければ無理ですね。
なにかキャンペーンガールみたいで、興ざめします。それに疾走する汽車に物を投げ入れるのは危険です。
あるいは投げキッスのように、花束を投げたフリをしたのでしょうか。それなら歌詞も、花束を振る、くらいでよいのではないでしょうか。

これは知人の長年の疑問でしたが、聞いた私も、いくら考えても釈然としないので、投稿しました。

投稿: 屋形船 | 2013年4月29日 (月) 20時55分

屋形船様
失礼ながら笑ってしまいました。走る列車の窓から花束を投げ入れるなんて乙女の力では無理ですね。乙女は手を振る人に牧場で摘んだ花を投げただけなのです。ゆっくり走る列車の窓から持っているハンカチを振った人に返礼の意味で花束を投げたのです。牧歌的な雰囲気が伝わりませんか。昔は汽車の窓から見える人に手を振る子供は珍しくありませんでした。昭和26年ごろ「緑の果てに手を振る天使」という映画がありました。母と観た最後の映画でした。毎日汽車に手を振っていた女の子の話でした。覚えておられる方いらっしゃいませんか。汽車もゆっくり走っていましたが、人間も優しかったですね。

投稿: ハコベの花 | 2013年4月29日 (月) 23時25分

ハコベの花様
コメントを読ませていただき、私も身をよじらせて笑ってしまいました、自分のうかつさにです。
まちがいの原因1、花束を、今風のラッピングされてリボンのついた花束と思ったのです。その花束を(あらかじめ準備して)持っているなんて、おかしいじゃないかと思ったのです。また花をつむ習慣など忘れていました。
原因2、汽車で手を振る人と野外の人との心のつながり、ちょっとした遊び心など想像の他でした。投げキッスに応じるような対応で、こちらもかえすわけですね。

おっしゃるように、牧歌的な雰囲気がわからなかったのが誤解の出発であり、帰結であります。気持ちは、とほほ、ですが、疑問は解けて、今夜はゆっくり眠れそうです。的確なお答え、ありがとうございました。


投稿: 屋形船 | 2013年4月30日 (火) 00時12分

私は、この歌の舞台は小海線であるとずっと思い込んでおりました。今でも小海線に乗ると、ごく自然に口ずさんでしまいます。

投稿: 川口雄二 | 2014年5月21日 (水) 23時59分

 屋形船さん。おもしろい発想でしたね。この歌を聞いたとき思い出したことがあります。小学校5,6年のころ流行ったのでしょうか。同じ県内の温泉宿に行ったとき、そこの若いお兄さんが「この歌はおかしいね。」と僕に話したことを思い出したのです。何となく聞いていたので詳しいことは忘れましたが、貴殿のおっしゃっておられたことのようでした。たしか板前さんだったような気がします。その方がおられたら、氷解するところでした。

投稿: 今でも青春 | 2014年8月21日 (木) 17時52分

かつて蒸気機関車で運転していた当時の小海線では、猛烈な上り勾配のため、15km/hくらいしか速度が出なかったようです。客車には冷房もないため夏は窓が開け放ってあったので、あるいは乙女が花束を投げ入れることも可能だったかも知れません。

投稿: 川口雄二 | 2014年8月21日 (木) 20時25分

 やあ、どうも、お恥ずかしい。
聞くは一時の恥とかいいますが、コメントとして残っていますから、そうはいきません・・(笑)
<乙女が、摘んだ花を空中に放り投げる情景>が、どうしても思い浮かばなかったのです。
乙女チックというか、ロマンチックな情景が・・。
 よくよく考えたら、その時代の空気が読めなかったという気もします。
この歌が世に出た時、私は5歳でした。
ずっと後になって、口ずさんでみても、無理があったように思います。
 歌は世につれ、世は歌につれといいますが、歌が流行ったその時代の人にしかわからない情操というか、心というか、そういうものはあるとおもいます。

投稿: 屋形船 | 2014年8月21日 (木) 22時02分

皆さんは乙女って何歳ぐらいの人を想像していますか。私はおそらく小学校の高学年ぐらいの少女ではないかと思います。野原で花摘みをしているのですからまだ幼いと思います。花も野花ですから、花屋で売っているような花ではなくクローバーや紫カタバミやタンポポなどの地味なものではないでしょうか。15キロで走っている汽車の窓まで届きません。空に散らばってしまいます。そういう風情を今では見ることがなくなりましたね。昔は列車の窓から見える人に子供たちは手を振っていましたよ。素朴で楽しい汽車の旅をしてみたくなりました。

投稿: ハコベの花 | 2014年8月21日 (木) 23時25分

ハコベの花様、先日、交差点で信号待ちをしていましたら、隣で5才くらいの女の子が小さな声で歌っていました。そして歌に合わせて、両手を前に出したり、広げたり、振りつけもしていました。何を歌ってるんだろうと耳を澄ませましたら、いま評判の”アナと雪の女王”でした。「上手ね~」と声をかけましたら、口を尖らして「英語も歌えるのよ」と嬉しそうに応えてくれました。女の子はお母さんと一緒なのでこんな得体の知れない爺さんがそれ以上会話するのもはばかられ、交差点を渡り、離れて歩いていましたら、背中の後ろから追いかけて、もう一度、「英語も歌えるのよ」の声が・・。この年頃の女の子はくったくなく可愛らしいですね。そこで、この歌(高原列車は行く)の乙女は、5才~7才くらいではないかと思いました。アルプスの少女ハイジのようなイメージが浮かびます。きっと摘んだ花を投げキッスのように空に投げ放つのではないでしょうか。8才から10才ですと私にはアルプスの少女のクララとかピーターパンのウエンディ等がイメージされます。この年齢ではもう少しおしとやかになって幼いながらもちょっぴりお母さんとか女性らしい恋人の雰囲気を醸し出す女の子です。列車から手を振る見知らぬ人に花束を投げるようなくったくのなさはもう無いのでは、と思いました。11才から13才になりますと、もう思春期です。花束を渡したくなるような相手もより狭まって、この歌の乙女には相応しくないかもしれない、と思いました。

投稿: yoko | 2014年8月24日 (日) 22時05分

景色を想像するととても楽しい歌になりますね。少女は年齢区分で言うと4歳から16歳だそうです。人それぞれの感覚がありますから自分の好きな可憐な少女でよいのでしょうね。ただ牧場に咲いている花がよくわかりません。ご存知の方、お教え下されば嬉しいのですが・・・

投稿: ハコベの花 | 2014年8月25日 (月) 15時12分

ハコベの花様
私も屋形船さんの様な疑問をずっと思って居ました。ハコベの花様のお答えで良く解りました、有難うございました。
[月がとっても青いから] の投稿で
[ 教養とは言葉の裏に多くの意味があることを知っていることなのですね]と書かれているのを見てなんと知性に溢れるている方だろうと感服の至りです。

投稿: 君恋し | 2014年11月28日 (金) 14時21分

君恋し様 私は教養がないのでよく恥を搔きます。このプログで皆様からの色々な知識を吸収して恥を搔かないように楽しみながら努力しようと思っています。高校3年の時、国語の先生が黒板に「似非」と書き「読める人」と訊ねました。読めませんでした。それが頭にこびりついていて離れません。失言も多く、消え入りたいこともあります。恥を搔いていることすらわからないこともあります。幾つになっても覚える事は楽しいことです。お互いに頑張って教養人に近づいていきましょう。この歌の様な爽やかな心の大人になりたいですね。

投稿: ハコベの花 | 2014年11月28日 (金) 20時23分

ハコベの花様

早速の謙虚なお返事頂き 恐縮至極でございます。二木紘三のうた物語へ投稿されておられる方々は、皆さん物知りで文章もうまく私など足下にも及びません。自己紹介をさせて下さい、来年傘寿を迎える女性です。
毎週水曜日 近のデーサービスに通っています。来月のクリスマスに[高原列車は行く]をみんなで踊ります。本当のメインはカラオケです。みんなで合唱です。曲目は青い山脈・・・雪山賛歌・・・南国土佐を後にして・・・星影ノワルツ等10曲ぐらいです。伴奏は私が大正琴で、応援にハーモニカの方が半分位吹いてくれます。こんな年寄りの話を聞いて下さってありがとうございました。もしよろしければ、又お付き合いください。

投稿: 君恋し | 2014年11月28日 (金) 23時23分

高原列車は行く

何回聞いても乗りの良い曲ですね、今日は水曜日なので張り切りてデイ

サービスに行きました。リーダーのMさん振り付けがむずかしいので、

簡単のに替えて教えてくれました。めいめいハンカチを手に持ち最初

左右に振り次両手を右斜め前に出し次左斜め前前次にまっすぐ前に出しす

この繰り返しとの説明だったのですが、どんな風だったのかは、私は 下を

向いて演奏していたのでわかりません。まだみんなの踊りを見る余裕が、

ありません。でも皆さん満足していたようです。そのあと作業療法士さん

Yさんに( 二木鉱三のうた物語)のブログを見るように勧めました。Yさんは

まだ30代始めなので昔のうたには、興味ないかもしれませんが、、良い曲

ばかりで、きっとファンになるとおもいます。つくずく パソコン習っとい

て良かったと思う此の頃です。二木鉱三さん有り難う。

投稿: 君恋し | 2014年12月 3日 (水) 23時37分

曲への投稿は初めてですが、先日河原の乙女のお話を自身の歌謡ライブでお披露目をしてよろしいかという問い合わせを致したものです。歌謡ライブは和気あいあいのうちに終了し、乙女のお話もこのサイトのご紹介もさせて頂きました。トークがよかったと言われ先生のおかげ様、とお礼の投稿です。有難うございました。この時代の歌謡曲が好きです。歌詞に品があり各歌い手さんの歌声も素晴らしいと思います。私はギターソロを弾きながら歌い、また歌って頂く活動をしています。このサイトを楽しませて頂いております。今後ともよろしくお願いします。有難うございました。

投稿: キムコ | 2016年7月25日 (月) 21時48分

「明るい青空 白樺林……」。              この高原の爽やかさが、列車の若者にハンケチを振らせ、牧場の乙女に花束を放らせるのでしょうね。 私の頭の中では、「牧場の乙女」は15・16歳で髪はお下げ、デニムのサロペット、牧場で働く地元の少女です。
色んな空想の世界へ誘い込んでくれる歌は素晴しいですね。
 私は港のある町で育ちましたが、用もないのによく定期船の出港を見に行きました。船が岸壁から50m程離れるとデッキにいる見知らぬ人に手を振りました。そうすると、必ず手を振り返してくれました。 そういう優しい時代が確かにありましたね。 現在はジェットフォイルでビューッと出港してしまいます。

投稿: かせい | 2016年7月26日 (火) 00時44分

この歌が、かつて会津磐梯山の麓を走っていた、沼尻軽便鉄道が舞台であることを知っていたら、一度は乗って見たかったな、と今でも残念に思っています。
 わたしは大学が仙台でしたから、帰省の折に、よく磐越西線を利用していました。この軽便鉄道の起点である川桁駅に列車が停まると、ちょっと離れたホームに、可愛い「沼尻行」の車両が見えました。この歌では「汽車の窓からハンケチ振れば」のフレーズが出てきますから、まだSLの時代だったのでしょうか。2番には「歌声響くよ観光バスよ」とありますから、そろそろ「観光バス」が軽便鉄道にとって代わる頃なのかもしれません。表面的には、明るい牧歌的雰囲気のただよう、そしてちょっぴりロマンの香りもする愛唱歌ですが、この舞台(沼尻軽便鉄道)の内実は、歌のような牧歌的な雰囲気ではなかったのです。
 この路線は、大正初期に、沼尻鉱山の硫黄採掘のために敷設されたのですが、戦後、安価な硫黄が出回ると太刀打ちできません。鉱山は閉鎖され、経営の主力財源は観光客の収入に移ります。しかし、それも観光バスや乗用車に押されて苦しくなります。そういう危機的状況の最中、この会社の株を買い占め、裏磐梯に「東洋一の大レジャーセンター」を建設するという大風呂敷を広げて、会社経営に乗り出した実業家がいました。会社名も「磐梯急行電鉄」と改称されましたが、社外の人からは「急行列車も電車もない”急行電鉄”」と皮肉られました。「大風呂敷」を広げた会社は、資金繰りの目途もたたないまま、倒産しました(昭和43年)。しかし、従業員や沿線住民にはまったく知らされませんでしたから、地元では「計画倒産」と言われています。スキャンダルとしてマスコミを賑わしたのは、この頃です。昭和44年3月、半世紀以上にわたって日本の経済を支え、地元民や観光客の足として愛された「沼尻軽便鉄道」は、その生命を終えました。
 わたしが、初めて廃線の事実を知ったのは、昭和46年に沼尻スキー場に行く機会があった時でした。歌の余韻に浸っていたファンのみなさんの気分を害してしまったようです。お許しください。

投稿: ひろし | 2016年7月26日 (火) 16時22分

私は、てっきりこの高原は八ヶ岳山麓を走る小海線だとばっかり思い込んでいましたので、会津磐梯山麓の沼尻軽便鉄道だとは知りませんでした。
でも、かせい様や川口雄二様も、この歌の背景が八ヶ岳山麓をのんびりと走る小海線の高原列車そのものと感じられておられるように、私の中でも同じです。
甲斐大泉~清里~野辺山~辺りは、まさにぴったりの風景で、20年くらい前までは年に2~3回は信州通いをしてましたが(のべ20回位)この高原列車に乗ったのは3年前の同窓会を友人のペンションでやった時が初めてで、列車の旅も素敵だな~と改めて感じました。
但し、海道様のコメント(高原の旅愁:2009.2:23日)にあるように、“よく他人に信州はいいところですね、といわれます。冬の信州を知らないから。”
私も殆ど車でしたから、冬はさすがに知りません。

投稿: あこがれ | 2017年3月 9日 (木) 17時14分

25~6年前の話です。
箱根湯河原で一泊して、翌朝から芦ノ湖スカイライン~箱根スカイライン~御殿場~山中湖~河口湖~都留JC~中央道~甲斐大泉の友人のペンションへと向かう途中のことでした。
芦ノ湖スカイライン料金所を入ってすぐ、いきなり目の前の雄大な富士山に圧倒されます。平地から見る富士山の何倍もの迫力と悠揚として迫らない姿は、改めてその偉大さを再確認できたような気持ちでした。
そして、眼下に芦ノ湖、すぐ左前方に芦ノ湖カントリー
1番テイーから、真っ正面の富士山目掛けてのドライバーショット! 一度は体験したいコースです。
空は抜けるような青空、絶好のドライブ日和! ルンルン気分で車を走らせ、やがて箱根スカイライン間近の少し広い車寄せスペースに駐車して、しばらく富士山と眼下の芦ノ湖をゆったり走る海賊船を眺めたりと のんびりしていました。
ふと、12~3m先にスマートなフオードステーションワゴン(らしい)車が、1台駐車しており、その先にテレビでよく見る顔と小学生位の男の子が仲良く肩を組んで楽しそうに話してました。
私も思わず近づいて行き、
"こんにちは!いい眺めですね~!"と、声を掛け、"あの~ タイガースで、ギターを弾かれてますよね~"と、親しみをこめて話し掛けました。
すると、急に怪訝な顔つきをされ、子供を急かすように車に乗せて 慌ただしそうに走って行きました。
私は、なにか悪かったのかな~? 芸能人って、あんなに見ず知らずの人間から声を掛けられると、不機嫌になるものなのかな~?と、やや消化不良のような変な気持ちで車に戻り、ま~いいか!と、快適に車を走らせながら・・・
"君を見つけた~この渚に~ 一人たたずみ 思い出す~♪
” と、気持ちよく口ずさんでいました。
あれ? この歌って さっきの彼が歌ってたよな~?
これって 思い出の渚だよな~? 
え~? ということは、ワイルドワンズ?
彼って・・・ あの加山雄三と仲の良い 加瀬邦彦?!

運転しながら、気持ちよく歌っていたかと思うと、急に一人でぶつぶつ言い始め、あげくの果てには 一人で大笑いし始めた私を見つめて、"どうかしたの?"と、訝しがる女房殿も、事情を知って 大笑い! "そりゃ~おこるわよ! タイガースだなんて!"と、呆れていました。

それにしても、加瀬邦彦にしても 私にしても 若かったな~あの頃は・・・。

投稿: あこがれ | 2018年2月27日 (火) 09時02分

あこがれ様
笑えました。
思い出を共有できましたね。

粗忽者の私は同様の失敗ありますよ。

投稿: りんご | 2018年2月27日 (火) 13時34分

リリシズム溢れる清澄な美声、正統派の歌唱。戦後の抒情歌謡の代表的な存在だった岡本敦夫の名は知らなくても、「白い花の咲く頃」の歌手と言えば、誰もが納得できるだろう。ラジオを通じて全国に流れたその歌声は、荒廃しきった敗戦後の日本人の心をどれほど慰め、励ましたことか。
『高原列車は行く』も、当時の代表的な一曲だった。
この曲と、その2年前に作られた『あこがれの郵便馬車』は丘灯至夫・古関裕而・岡本敦夫のトリオによる乗り物シリーズとしてコロンビアの目玉商品となり、その後『あこがれの航海』『自転車旅行』『登山電車で』『東京のバスガール』、『人工衛星空を飛ぶ』まで作ってしまったが、最後は『霊柩車は行くよ』まで作ってしまいました。

因みに、丘灯至夫(本名:西山安吉1917~2009)は、元々新聞記者で「新聞記者は押しと顔」が持論で、ペンネームは、その(オシトカオ)を逆さまにした由ですが、「作詞とは、夢をつむぎ、夢を作るもの。果たせないものを形にして、人々の心を癒す仕事です。」と、いう言葉を残しています。《唱歌・童謡ものがたり》より

投稿: あこがれ | 2018年6月19日 (火) 15時16分

「丘 灯至夫」は変わった名前だと思っていましたが、そういういきさつがあったのですか。ありがとうございます。確か「高校三年生」で名前は知りましたが、その由来ははじめて知りました。「押しと顔」がその原点だったとは聞いてみると由来は面白いものがあります。
 私はもう40年以上前にある公募美術展に出された方が、ある団体の名前を逆さまにして作品名にされたことを思い出しました。

投稿: 今でも青春 | 2018年6月19日 (火) 17時39分

あこがれ様

 先日の大坂周辺の地震のお見舞い申し上げます。破損や飛散したものなどの修繕、かたづけなどでご多忙だろうとお察し致しております。
 この度は「丘 灯至夫」のペンネームの由来や残している言葉のご紹介 誠に有難うございました。
 私は数年前から詩吟を習っています。私の所属流派は「漢詩だけでなく新体詩」を吟じています。その新体詩の中に丘 灯至夫の「日本を愛す」があるのを知りました。詩吟の先生から丘 灯至夫はペンネームだと聞いていましたが、「丘 灯至夫」が元々新聞記者でその持論については知りませんでした。 あこがれ様の適切な解説で納得できました。有難うございます。
「日本の美しい自然」が「美しき天然」で話題になりましたので 日本吟道学院 吟道範典 第6巻を記載します。
     日本を愛す   丘 灯至夫

一 春は緑に桜 爛漫 秋は紅葉山河を色どる

  仰げば霊峰冨士 厳として揺るがず

  よきかな日本 若き日本 我等常に国を愛す

二 東海の小島なれども幾度の試練を越えて

  歴史は燦たり永遠にくだけず

  日の丸の旗をかざして 我等常に逞しく生きる

三 この国に生まれ育ちて 誇り高く歌う喜び

  力合わせて 未来を築かん

  よきかな日本 若き日本我等常にこの国を愛す
    

投稿: けん | 2018年6月20日 (水) 21時44分

けん 様

やっと落ち着きました。この先、平穏であるよう祈るばかりです。

けん様の流派では、新体詩も吟じられる由、文語体の七五調、五七調となると、この掲載曲一覧の中にある「小諸なる古城のほとり」、「孝女白菊の歌」等も詩吟として吟じられるのでしょうね。

私の妹(小田原市在住)も、流派は知りませんが長いこと詩吟をやっていますが、時々 大会に出るので、着物を貸して~と、家内に泣きついてきますので、何枚かプレゼントしたら舞台写真を送ってきました。写真ではうまいか、下手かは分かりませんものね~。

終戦の年の9月、武蔵野音大を出た岡本敦郎は 純粋なクラシックの出身でしたが、伊藤久男に憧れて歌謡曲の道に進んだそうです。「高原列車は行く」「チャペルの鐘」と、リリカルで夢のある歌を、けん様の鍛えた喉で歌われたら、素晴らしいだろうな~と、想像しています。

投稿: あこがれ | 2018年6月20日 (水) 22時50分

 あこがれ様が書いておられた丘灯至夫のペンネームの由来の件、確か以前
海道様が触れてたことがあったなぁ・・と思い、記憶を辿って探してみました。 見つけました!『高校三年生』のページでした。 あこがれ様の今回の投稿で新たに知ることができた方も居られるでしょうね。情報の繰り返しはやはり大切ですね。 いつもコンパクトなコメント投稿をされる海道様、
最近ご無音ですが、お元気でしょうか。

 それにしても、『高原列車は行く』『修学旅行』など、汽車の車窓からの描写が上手いのは、丘灯至夫は子供の頃よく沼尻軽便鉄道に乗っていたからなのでしょうね。
 1955年の日活映画作品に『警察日記』というのがあります。
森繁久彌、三国連太郎、宍戸錠等多数の名優が出演していますが、映画に沼尻軽便鉄道が出てくるそうです。 私は名画座でこの映画を観ましたが、そこらへんはスルーしてしまったようです。 二木てるみのあまりの可愛さに気を取られてしまったのでしょう。
 軽便鉄道が出てくる映画には、高峰秀子主演の戦後初カラー作品、松竹『カルメン故郷に帰る』があります。 こちらは草軽軽便鉄道です。
 現在の高原列車と言ったらやはり小海線ということになるでしょうね。 私は、八ヶ岳を背景に2両の客車を牽引して走る蒸気機関車の勇姿をもう一度見たいなぁと思っているのですが…。JRさん、そういう企画
立ち上がりませんか…。

投稿: かせい | 2018年6月21日 (木) 22時22分

少し前、発達障害の施設に通っている次男(46歳)がカラオケの時間にマイクを持った途端「高原列車」を歌い始めたので皆、びっくりしたそうです。施設の職員は誰もこの歌を知らなかったと言っていました。次男は小さい時からレコードが大好きで毎日、私の岡本敦郎のレコードかけて聴いていたのです。自転車旅行が1番好きなようです。「命短し恋せよ乙女」も歌ったようで、若い女の先生のお気に入りになったようです。この時代の歌は歌詞が明瞭で日本語が正しく歌われていて良いですね。先日は「夏はきぬ」を歌ったそうです。最近はユーチューブで伴奏するそうです。ああ!!小海線乗ってみたくなりました。きれいでしょうね。自由が欲しいです。私に自由を!!

投稿: ハコベの花 | 2018年6月22日 (金) 10時51分

ハコベの花様
この時期、高原列車に乗ったら気持ちが晴れ晴れするでしょうね。
幼い時から聞き馴染んだお母さんの好きな歌が
次男さんの胸に沁みこんでいたのでしょうね。
「ゴンドラの歌」も「夏は来ぬ」も歌われたとは豊かな情操が備わってますね。
国会議員には情操を疑われる方が少なくありませんね。
私が魔法を使えるなら「ハコベの花様」に魔女の宅急便で「自由」をプレゼントできるのですが?

投稿: りんご | 2018年6月22日 (金) 11時32分

はこべの花 様

いい話ですね~! 私のとこの孫も、ちゃんと言葉が与えられるようにと、毎日祈っていますが、はこべの花様のお陰で希望を与えられました。ありがとうございます。

カミさんの実家は、浜松市寺島町で新幹線の駅から中田島方面に歩いて、徒歩10分のところですが、カミさんの妹の体調が悪く入退院をくり返し、一人娘も別世帯(未婚30才)で、実家は見る影も無いほど荒れ放題になり、殆ど帰郷の機会も無くなりつつあります。

時々、カミさんが はこべの花様は お元気かしら?などと背中越しにちゃちゃを入れてきますので、ぎょっとすることもありますが、うた物語の同好の士は、カミさんにとっても特別な親近感を覚えるようですよ。

私は、いつもヘッドホーンを通して、外界と絶縁しながら曲を聞いていますので、不器用に身体を揺すりながら、COPD気味のかすれ声が、どうやらかみさんの目障り耳障りになっていたことに気がつかないことが多いようです。

昨日、カミさんの診察で、丹波篠山のO病院(能勢の赤ひげ様の最も信頼される医療機関)に行き、術後の経過順調に気を良くして、帰路「ささやまの森公園」に寄り、のんびりと散策してきました。森や林と湖と小高い山に囲まれた里山には、あじさい、葵は無論 白や黄色、ピンクの名前も知らない可憐な草花やそれに「あざみの花」もたくさん咲いていましたよ。杣の小屋やクラフト工房、手作りの木工品やツリーハウスなどもあって楽しい癒される里山散策でした。

またまた歌と直接関係のない話になりましたが、まさに高原の気分を味わえ、♪♪らんらんらんら~ らららららら らんらん~♪♪と、イメージしながら、口遊みたくなるような気分でした。

久しぶりに、思い切って外に飛び出してみると、全てが新鮮に見えることもありますね。


投稿: あこがれ | 2018年6月22日 (金) 11時56分

かせい様
ご心配下さり深謝いたします。薬は沢山頂戴しておりますが元気です。皆さんのコメントのやり取りが見事で、入り込むタイミングを失っておりました。

投稿: 海道 | 2018年6月22日 (金) 13時28分

旅好きな友人が小海線の途中に白樺林があって、忘れられない美しさだったと教えてくれました。牧場も白樺林も憧れです。夢があるのは幸せだと思っています。次男を連れて行けば重い物も持ってくれるし、何かと便利だと思っています。歩けるうちに行ってみたいと思います。

あこがれ様 奥様、お元気になられて何よりでした。寺島町は駅南、私は浜松駅の北、歩いて10分の馬込町で育ちました。今は区画整理で実家は新町の東海道沿いにあります。戦後しばらくは焼け跡でしたので駅前で縄跳びなどをして遊んでいました。寺島には中学からの同級生が何人かいました。一人は日本舞踊の名取です。奥様ご存知かもしれませんね。人間は皆どこかで繋がっているように思えてきました。高瀬先生の事もあります。
お孫さんは大丈夫ですよ。叱らないで育ててやれば、素直な良い大人になれます。口で上手く伝えられないだけで頭の中ではちゃんと理解しています。言い返せられないのでパニックを起こすこともあるかも知れませんが、大人になるとそれも無くなります。大きい、小さい、多い、少ないが分かれば損はしません。呑気に育ててやればいいのです。次男は今、我が家の神様です。邪心が全くないのです。施設に通いながら、絵を描いたり音楽を聴いて楽しんでいます。

投稿: ハコベの花 | 2018年6月22日 (金) 21時41分

先の投稿ですと、次男が1日遊んでいるように思えますが、実際は施設で車の小さい部品の組み立てをやっています。手先は器用なので半日は普通に働いています。(仕事の量が少ないので半日なのです)話題が歌とずれてしまってすみません。この明るい歌が大好きな息子なのでお許しください。それから会話もある程度できますし、字も書けます。小学校でかなり進歩しました。人は幾つになっても必ず成長します。あまり心配されずにお孫さんを見守ってあげて下さい。

投稿: ハコベの花 | 2018年6月24日 (日) 20時48分

はこべの花 様

ありがとうございます。
長男夫婦にとって、何年かしてやっと恵まれた たった一人の男の子だけに、私達も不憫で 気を遣っていましたが、
希望を与えられました。彼らにも、この話を聞かせて安心させてやります。
歌と離れた私信になり、皆様 申し訳ありません。

投稿: あこがれ | 2018年6月24日 (日) 21時05分

この歌は私たちハーモニカを吹く者にとってはスタンダードナンバーで、ソロでも合奏でも、毎年どこかで吹いています。特に高齢者の集まる場所では、吹き始めると大合唱になって3番の歌詞からの連想ですが、「汽笛も二人の幸せ歌う」とあって、温泉宿に二人で向かうのは、この当時では新婚の二人のワクワクした希望溢れる旅行であったと思います。中年の浮気旅行もあり得ますが、こんな明るい歌にはふさわしくありません。もともとはヨーロッパの習慣である新婚旅行、上流社会では戦前から新婚旅行もあったでしょうが、一般人が新婚旅行に行くようになったのはちょうどこの歌の流行したころからで、行先も国内の温泉地、今のように外国へ行くことはありませんでした。関西では白浜温泉、一寸はりこめば別府温泉だったような気がします。新婚若夫婦の夢と希望を応援するような明るい歌です。

投稿: solong | 2020年10月 5日 (月) 18時16分

「高原列車は行く」は私も妻も大好きな曲です。

妻は中学校の夏の林間学校の時に、この歌をバスの中で大合唱した楽しい思い出が残っているそうです。その時の行き先は小海線の野辺山だったとか。白樺林の広がる沿線の風景は、この歌と共に強烈にインプットされたのでしょう。

昨年のNHKの朝ドラ「エール」で、久々にこの歌に出会い、さらに、このサイトで懐かしのメロディーを再体験することでき、感激しました。ありがとうございました。

ところで、管理人さんのコメントに松本の河原乞食の話があり、その事について、おキヨさんが「合羽さん」という聖徳太子のような乞食のことを紹介されていました。このコメントを読んだ私は数十年前の記憶を思い出してしまいました。私の住んでいた東北南部地方のH市に、やはり「合羽さん」という乞食が住んでいました。しかも彼は毎日、山の中の寝ぐらから街中へ出かけて行くときに、我が家の外便所を使用していくのです。用を足した後は、すぐ近くのポンプ式の井戸で手を洗う習慣でした。私の母は「あの合羽さんはなかなか偉い」といつも褒めていました。

おキヨさんの合羽さんと、この合羽さんは、おそらく同一人物と思われます。なんとも奇遇な縁で、昔の思い出が甦りました。合羽さんは小高い丘の中腹の穴ぐらを棲み家にしており、他人に危害をかけることもなく、飄然と独居していました。時々、我々悪ガキどもが、その穴ぐらを覗きに行ったりしましたが、ワラの寝床のようなものや、焚き火の跡を見つけたりしました。今で言うとホームレスですが、ちゃんと住み家を所有?していたので、生活は案外、安定していたのかもしれません。H市の保健所が何度か施設に移るように説得したようですが、応じなかったとか聞いています。

私が長じて、宮沢賢治の「虔十公園林」を読んだ時、どうしても、この合羽さんを思い出すのでした。
また、賢治の有名な、あの詩(メモ?)

 雨ニモマケズ
 風二モマケズ

 ****(中略)***

 デクノボートヨバレ
 ホメラレモセズ
 クニモサレズ
 ソウイウモノニ
 ワタシハナリタイ

を読んだ時も、あの合羽さんの姿がイメージとして浮かんで、詩の理解にバイアスがかかり、なかなか苦労させられました。

これは管理人さんが、「高原列車は行く」の中の花束を投げる乙女と河原乞食のイメージが重なってしまうのと同じ現象かと、苦笑しております。

思わず長くなってしまいましたが、新型コロナが一日も早く終息し、平和な日々が戻ることを強く願いながら、終わりにいたします。


投稿: マライカ | 2021年1月 4日 (月) 16時59分

 また余計な事を書き込みに来ました。この数日、まったく原因がわからないのですが、この歌が口をついて出て止まりません。朝ドラも全く見ていませんし、懐メロもこのところ全く聞いていないのに、です。
 しかし、「屈託ゼロ」は、それ以外言いようのない評語ですね。百パーセントピュアに明るいと、もう何も言えなくなります。
 が、あえて瑕瑾を論えば二番の「歌声響くよ観光バスよ」の「よ」の重複が気になります。もちろん歌詞は曲に掣肘されますから、たいていの歌の二番以下は「付け足し」になるのは仕方ないとは言えますが。
 で、また例の母音に注意すると、今やだれもが知っている、明るく伸びやかな「a」音が、まず一番の歌詞で集中して使われています。二番では単調さを避けるため「i」音が目立つようになり、三番では「o」が中心になります。したがって「飛び交う小鳥」は、とうぜん「とびこうことり」と歌われます。作詞家と言うのはこういう音の響きが天性のように、おそらくほとんど意識しないで浮かんで来るのでしょう。
 「河原の乙女」のような経験は、子供のころにはよくあることのようです。ラジオドラマでアナウンサーが『ユキノジョウヘンゲ』と読み上げるのを怖がり、楽しみにしていたはずの親にスィッチを切らせてしまったことを覚えています。
 なお、丘灯至夫、古関裕而コンビに「緑の雨」という曲があり、これも「湖」「(新婚旅行)」「クルマと乗客」「乙女」「花」「白」「山」「宿」「小鳥」「列車≒電車」というキー・ワードが共通しています。

投稿: 半畳亭 | 2022年10月 7日 (金) 10時53分

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