« 毬藻の歌 | トップページ | 三日月娘 »

2007年7月28日 (土)

マロニエの木蔭

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:坂口 淳、作曲:細川潤一、唄:松島詩子

1 空はくれて丘の涯(はて)
  輝くは星の瞳よ
  なつかしのマロニエの木蔭に
  風は想い出の夢をゆすりて
  今日も返らぬ歌を歌うよ

2 彼方遠く君は去りて
  わが胸に残る瞳よ
  想い出のマロニエの木蔭に
  一人たたずめば尽きぬ想いに
  今日もあふるる熱き涙よ

3 空はくれて丘の涯に
  またたくは星の瞳よ
  なつかしのマロニエの木蔭に
  あわれ若き日の夢の面影
  今日もはかなく偲(しの)ぶ心よ

《蛇足》 昭和12年(1937)リリース。

 萩原朔太郎の詩「ふらんすへ行きたしと思へども ふらんすはあまりに遠し……」(『旅上』)に見られるように、戦前の日本のインテリの間には、フランス、とくにパリへの強い憧れがありました。この歌は、そのシャンソンぽい雰囲気が受けて、戦前のインテリたちにとくに好まれたようです。

 松島詩子は、ほかにも『喫茶店の片隅で』などシャンソン風の歌をいくつか歌っています。

(二木紘三)

« 毬藻の歌 | トップページ | 三日月娘 »

コメント

いつも嬉しく 拝聴しております 有難う御座います 
第2節の第2連は 残る痛みよ ではなかったでしょうか 
知ったかぶりで ごめんなさい

投稿: まだ夢見る男 | 2008年1月23日 (水) 19時49分

まだ夢見る男様
以前も同様のご指摘がありましたが、2番の2行目については、「残る瞳よ」と「残る傷みよ」の2パターンがあるようです。
時雨音羽編『日本歌謡集』(社会思想社)や『全音歌謡曲大全集1』(全音楽譜出版社)では「残る瞳よ」になっていますが、「残る傷みよ」としている歌集もいくつかあるようです。私としては「残る瞳よ」のほうが好きなので、どちらがオリジナルか判明するまでは、このままにしておきます。

投稿: 管理人 | 2008年1月24日 (木) 10時46分

1997年3月発行の松島詩子大全集の歌詞集によると
1937年3月発売のレコードは 残る瞳よ でした 
戦後1946年5月発売のレコードは 残る痛みよ だったそうです

投稿: まだ夢見る男 | 2008年1月25日 (金) 18時58分

まだ夢見る男様
大変貴重な情報ありがとうございました。

投稿: 管理人 | 2008年1月25日 (金) 22時27分

この歌はダンスがついていて、歌とのコラボレーションが上手く行くようです。着眼点がいい歌だと思います。

投稿: M.U | 2008年6月 2日 (月) 21時00分

マロニエの(何の事)、木陰(なんて読むの)こう言う時代
になってしまいましたが、どうしても残って欲しい名曲です。

投稿: 海道 | 2008年9月30日 (火) 14時13分

 「マロニエ(何の事)」と言う時代を嘆かれるコメントに眼が留まり、一筆啓上する次第です。
 私の知るマロニエの並木をご紹介します。若い人に人気のある街だそうですが、東京の新宿から京王線で二十数分、聖蹟桜ヶ丘駅前の川崎街道に沿って約一キロ、道路両側にマロニエの街路樹が連なっています。然し、此処で若者達が松島詩子の歌の雰囲気を感じ取るかどうかは、私に知る限りでは有りません。

投稿: 槃特の呟き | 2008年10月 1日 (水) 00時01分

近年、「雨のタンゴ」(小野由紀子 唄」が当たって演歌ファンの間で大ヒットしましたが、彼女が「マロニエの木陰」を、もし新曲のよう宣伝してリリースしたら、また大ヒットするのではないでしょうか。

松島詩子さんには失礼なコメントですが、私はクラシックに裏打ちされた松島さんのほうが、演歌調になりがちな小野さんより、タンゴを歌うには良いと思います。

でも、「雨のタンゴ」が流行るなら、「マロニエの木陰」も小野さんからリリースすればきっと売れると思います。

投稿: 吟二 | 2009年8月12日 (水) 21時52分

雨のタンゴは良い歌ですね。小野由紀子は「他人船」を
歌った歌手だったと記憶しています。期待を込めてリリースを望みます。

投稿: 海道 | 2009年8月13日 (木) 07時43分

先日、私がボランティアで主催します歌の会で上田へ遠足をしました。
上田市の郊外に「国際音楽村」があります。
大きな緑の木にピンクの花が咲き、とてもきれいでした。
職員の方に聞きましたら、
「マロニエです」と教えていただきました。
みんなロマンティックな気分でした。

投稿: タンタン | 2011年6月 6日 (月) 19時15分

山口県柳井市に「松島詩子記念館」があります。明治時代に出来た地方銀行の本店がこの記念館。彼女の舞台衣装など相当な数の遺品が展示されています。彼女は若い時地元の女学校で音楽の先生をしていましたが、歌手への夢捨てがたく上京・・・・。
レトロな建物で彼女の格調高い歌声を聴くのも素晴らしく、しばしの休憩にもってこいです。白壁の町並みもきれいですが是非ここへもお立ち寄りを! 蛇足ながら入館無料です。

投稿: argon | 2011年8月31日 (水) 23時51分

 マロニエの花、ほんとに知らないですよね。先般近くのバラ公園にいきました。4~5Mの木にピンクの花がついていてとてもきれいだったので、市の公園課にメールで問い合わせをしたところ、「マロニエの花」という返信がありました。丁寧な文面で恐縮しましたが、ありがたく自分の知識かのように会う人に紹介しています。
 気がついたら市の他の公園にもありました。街路樹や公園に適しているのかもわかりません。木陰がいい具合に広がっています。

投稿: 今でも青春 | 2014年6月 8日 (日) 21時32分

今でも青春様
 ご覧になられたのは「アカ花西洋トチノ木」だろうと推察します。梅雨間近に総体が神楽鈴の様な穂状花を沢山咲かせます。実も生らせますが、普通の橡の実のように食用にするか否かは存じません。

投稿: 槃特の呟き | 2014年6月 8日 (日) 23時27分

槃特の呟きさん仰るアカバナトチノキを、今でも青春さんはご覧になったんでしょうね。サポニン含みの樹種ですから、昔は剥いた(欧州種)果実を洗濯器に入れたそうです。流水に長時間さらし、毒抜きすると、日本特産種のように食べられる…、いかがでしょうネ。

小ぶり樹で閉鎖花の赤い色をわずかに見せる北米種と、トチノキと同じ大木で豪華な花付き”馬+栗”(英語でホース・チェストナット)名のバルカン出自の欧州樹木の交わりによる結果がアカバナ。両親の積極面を反映して人気ある街路公園樹。

マロニエは茶色果実を意味するフランス(塾)語と思います。凱旋門から続くシャンジリーゼー大通り両側を飾り、そのパリイメージが「マロニエの木蔭」に反映しているように感じられます。”セイヨウトチノキ”の木蔭、ウマグリの木蔭、、そんなタイトルならば戦前のインテリたちを魅了しなかったのではないでしょうか。

投稿: minatoya | 2014年6月10日 (火) 06時25分

マロニエの木蔭、タイトル自体が既にいいですね。クサカンムリの”蔭”の字も好ましい。第二次大戦前夜にこんな素晴らしい曲が、と吃驚です。和製タンゴの名曲でしょうね。

黄昏迫るころ、昔に逢瀬を重ねた思い出のマロニエの樹の下でその別離を独り振り返る。切なさがこみ上げてくる。そして、星が瞬きはじめた空には、彼のひとのうるんだ瞳がこちらを見ているような。まさに”別時容易見時難”そのもの。私の場合は男ですから、彼女の瞳ということになりますが、反対に男性の瞳もありなのでしょうか?

三番目の”あわれ”を”ああ 吾れ”のように唄うひともいますが、感嘆の”あわれ”でしょうね。別れたカップルの片方になりきって、ビブラートを効かせてしみじみ唄います。

投稿: ザジ | 2017年7月15日 (土) 01時37分

初めましてプログ主さま。私もザジさまのおっしゃる通り、戦前にこれほど垢ぬけたメロディーとアレンジの曲が作られていたことに感嘆しています。細川潤一という作曲家で知っていた唄は古城くらい、何となく演歌風の人かと思っていて、知ったとき正直びっくりしました。情感たっぷりの松島詩子さんの歌唱とカデンツァ風のピアノの絡みが最高です。母がタンゴ好きなので、昔、この唄をラジオから録音し、耳コピしてピアノで弾いて聴かせたことを今更ながら思い出しました。

投稿: 晋一 | 2017年9月 2日 (土) 23時58分

マロニエの花の季節は、とっくに過ぎ去ってしまいましたが、無性にこの歌が聞きたくなって、ここにたどり着きました。
心地よいタンゴのリズムと松島詩子の冴えた歌声を思い出しながら、ザジ様がコメントされた晩唐詩人 李商隠の恋歌「別時容易見時難 東風無力百花残」の情景に想いを馳せています。

今はもう秋・・季節の移ろいと共にマロニエの花は、とうの昔に散り落ちてしまいましたが、盛りを過ぎて形骸をとどめるだけのマロニエの並木道をひとり歩きながら「マロニエの木蔭」を口ずさむ・・・恋の終末にふさわしい風景を、そっと楽しんでいます。

投稿: あこがれ | 2018年9月25日 (火) 10時18分

秋の雨に少し寂しさを誘われて,若い日の貴方の美しい面影を思い出していました。あこがれ様の投稿に胸が痛くなりました。
何にも言わないで見つめ合っただけで別れてしまった人の瞳、もう会えることはないでしょう。貴方は青年のままじっと美しい瞳で私を見守ってくれているなんて勝手な想像をして満足しています。いつかお会いできると思っていましたが、私の兄が亡くなってしまったのですから、もう無理な事ですね。
 あわれ若き日の夢の面影 今日も儚く偲ぶ心よ
17歳の私、21歳のあなた、仄かに赤い街灯に揺れる影、初恋の痛みは今も心に広がってきます。
秋の雨に濡れている花のように・・・

投稿: ハコベの花 | 2018年9月25日 (火) 13時29分

戦後、パタパタと建てられた街並みがすっかりなくなり、ビルが増え歩いている人も少なく、私たちが楽しんだ喫茶店が全く見られなくなってしまいました。思い出の喫茶店は何処へ行ってしまったのでしょうか。人間の姿が見えない街並みはこの歌の様なロマンをかき消してしまっています。喫茶店で音楽を楽しんだ友人、思いを寄せた彼、私の我儘をいつも聞いてくれた従兄、皆、もう会えない所に行ってしまいました。小さな喫茶店のコーヒーの香り、ナットキングコールの「キサス キサス」目を瞑れば若い日の皆が、集まってくるような気がします。私は二十歳、帰り来ることのない夢の思い出、この歌を聴いていると波のように蘇がえり寄せて来るのです。

投稿: ハコベの花 | 2020年8月27日 (木) 22時26分

私はこのサイトで今まで知らなかった数々の名曲を知りました
「マロニエの木蔭」もそのひとつです
なんという素敵な歌詞でしょうか♥歌詞を味わっています
過ぎた日の恋を偲びながらもの思いにふけるひとの姿が
目に浮かぶような美しい詩とメロディだと思います

五年ほど前に東京銀座の柳通りのホテルモントレで一泊した時
近くの銀座二丁目と三丁目の間が「マロニエ通り」だそうで
ちょうど五月でマロニエ並木の花が咲いていました
アカバナ西洋トチノキだったのですが
憧れのマロニエの花を見るために銀座に宿泊したのでした

マロニエと言えば私は清岡卓行の
長編小説「マロニエの花が言った」を思い浮かべます 
まずこのタイトルに強く惹かれたのですが
この小説のプロローグのマロニエの花の描写はとても印象的でした
シャンゼリゼ通りのホテルのバルコンから見た白いマロニエの花が
目に浮かぶような描写で、ひと目見てみたいと思わされました

それにしてもずっと聴いていたいと思わせる歌だと思います

投稿: 夢見る薔薇 | 2021年4月30日 (金) 19時59分

夢見る薔薇様のお便り(’21-4-30)を、興味深く拝読しました。
”憧れのマロニエの花を見るために銀座に宿泊したのでした ”には、殊更、関心を呼び起こされました。

と言うのも、私が好きな、松島詩子さんが歌う、もう一つのマロニエの歌、
  「マロニエの並木道」(矢野亮 作詞、中野忠晴 作曲 S28) 
には、
  ♪たそがれの 鐘の音が
    流れゆく 銀座裏
    逢いましょう 逢いましょう
    マロニエの 並木道…♪ 
と、銀座にあるマロニエのことが謳われていて、前々から、銀座には、マロニエの並木道があったのだろうか、と疑問に思っていたのです。

そもそも、銀座と言えば、
  「東京ラプソディ」(門田ゆたか 作詞、古賀政男 作曲、藤山一郎 唄 S11)
にある、♪花咲き 花散る宵も 銀座の柳の下で…♪や、
  「夢淡き東京」(サトウハチロー 作詞、古関祐而 作曲、藤山一郎 唄 S22)
にある、♪柳青める日 つばめが銀座に飛ぶ日…♪などから、
銀座にあるのは柳の並木だろうという先入観がありました。
このようなわけで、銀座にマロニエの並木道があったとしても、歌の世界だけだったのだろうかという思いもあったのです。

翻って、改めて、「マロニエの木蔭」の歌詞に目を通しますと、出だしで♪空は暮れて丘の涯(はて)に…♪と、”丘”が出てきますが、銀座から眺められるところに、このような”丘”はあったろうか(山はあるとしても)、と疑問符が付きます。後に作られた「マロニエの並木道」はおいといて、「マロニエの木蔭」の舞台は西洋の、どこかの都市と受け留めれば、この疑問は解消するだろうと、思ったりしていました。

まあ、銀座には、これらの歌が出来る前から、マロニエの並木道があったのか、これらの歌が出来た後に、マロニエの並木道が作られるようになったのか、気になるところではあります。
まとまりのない話しになり、恐縮です。

投稿: yasushi | 2021年5月 1日 (土) 13時47分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 毬藻の歌 | トップページ | 三日月娘 »