22才の別れ
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
作詞・作曲:伊勢正三、唄:かぐや姫/風
1 あなたに「さようなら」って 2 私の誕生日に22本の ひとつだけこんな私のわがまま |
《蛇足》 昭和49年(1974)にフォークグループ「かぐや姫」のメンバー・伊勢正三が作りました。
その年「かぐや姫」は解散し、翌昭和50年(1975)2月、伊勢正三は大久保一久と「風」を結成、この歌は「風」の持ち歌となりました。「風」は昭和54年(1979)2月に解散、2人はソロ活動に転じました。
22歳、別れと出会いが交錯する時期ですね。
(二木紘三)
コメント
この曲が流行った頃。。。同じような年齢だったので思い入れがあるような気がします。
投稿: sunday | 2008年4月 5日 (土) 07時34分
『なごり雪』と共に、作詞・作曲は伊勢正三。
彼は、「女心」がよく解っている人なのでしょう。この歌では、微妙に揺れ動く女性心理を、描ききって見事です。
投稿: 大場光太郎 | 2008年4月10日 (木) 23時22分
詞はなんとなく池上線に似ているようですが、女性からかつて愛した男性を見たらこうなるのでしょうか。こう言う事を
言われる男性になって見たかった。
投稿: M.U | 2008年6月13日 (金) 14時54分
好きな男がいるのに嫁いでいく女がいる。「チャペルの
鐘」と似ていますね。
「あなたはあなたのままで変わらずにいてくださいそのままで」それは無理、女のわがまま。
投稿: 海道 | 2008年12月29日 (月) 11時32分
22歳は学生から社会人になる分かれ目の時、子供と大人の境目の、特別な時だという気がします。私は22歳の人を好きになることが、むかし、よくありました。あなたはあなたのままで・・・という文句は女のわがままとのことですが、今のひとときを永遠にとは愛し合った人の共通の思いでしょう。わがままというより・・・
投稿: Bianca | 2008年12月29日 (月) 21時38分
少なくても5年間愛しあっていたのに、他人に嫁ぐと言われたら、普通の男性なら応えると思うのです。これが
年を重ねたら、良い思いでに成るものとは思われます。人によって違うのでしょうが、男性の痛手だって忘れないでと言う意味で「わがまま」と申しました。
投稿: 海道 | 2008年12月30日 (火) 21時51分
男も女も傷ついて・・・・
この歌が出たのが7年間の恋人と別れた直後で聞くのが辛かった。(今でも辛い)
未だ生活力がなかったので別れて、彼女はすぐ見合い結婚した。
30年後に「あなたは変わらずにいてくれたと思った」と言われてドキッ!思わず「それは無理、君のわがままだよ」って言葉が出た。彼女は幸せな結婚相手ではなかったので両方共つらい思い出になった・・・
投稿: 日出夫 | 2008年12月31日 (水) 07時18分
「風」が歌っていた頃の「22歳」の若者と現在の22歳の若者とは随分違うような気がします。時代の差なのでしょうか。ところで、先日、無意識に「何かいいことありそうな明日」を歌っていました。正やんが35年くらい前に作詞作曲した歌ですね。
投稿: 本田雅生 | 2009年10月 3日 (土) 16時58分
5月12日付の朝日新聞朝刊の別刷り「be」に、‘一夜で生まれた名曲 伊勢正三「22才の別れ」’が掲載されています。
関心のある方には必読です。
投稿: しばわんこ | 2012年5月20日 (日) 02時01分
この歌を主題歌にした大林宣彦監督の「22歳の別れ」という映画について、ブログで書いています。→2007-9-3
投稿: Bianca | 2012年5月21日 (月) 15時32分
決して重箱の隅をつつくような意味で質問しているわけではありませんので、「このようなことだろうと思うよ」とか、「あの当時の風潮としてはねぇ…」といったようなお話でも聞かせていただけたらと思います。
「わたしには鏡に映ったあなたの姿が見つけられずに」というところの意味がわかりません。私の目の前にあった幸せにすがりついてしまった…とすぐその後にありますから、
「あなた」は「私」の目の前にいなかったのか?離れ離れになってしまったのか、それとも一時的に疎遠になっていた?身近すぎてあなたの存在がわからなかった?。詠み方によると、彼との生活がすでに幸せではなくなっていたという風にも感じられるのですが…でも、それだと、「あなたにさよならって言えるのは今日だけ明日になってまたあなたの暖かい手に触れたら…」の意味が通じなくなってしまいます。「鏡に映ったあなたの姿がみつけられない」とはどういう心境を暗示しているものなのでしょうか?
投稿: 海道 | 2012年6月16日 (土) 03時47分
海道様
言われてみればよく分からないフレーズですね。
「鏡に映ったあなたの姿を見つけられずに」ですが、その鏡には何も映っていないのでしょうか。それとも自分が映っていて、その中に「あなた」は映っていないのでしょうか。おそらく後者ではないかと思います。
私はこのフレーズは比喩的な意味で、「鏡の中に自分と一緒にいるあなたを見つけることができない、あなたの本当の気持ちがつかめない。」ということかなとなんとなく思っていました。あたたかい手に触れることができる程近くにいるあなただけど、あなたの自分に対する本当の心が見つからない。そんな不安定な中で、目の前にあった幸せにすがりついてしまった。そういうことなのかなと。
これは私の勝手な解釈ですが、「鏡に映ったあなたの姿を見つけられずに」というフレーズが、この曲を素晴らしいものにしていることは確かだと思います。
投稿: 塞翁が馬 | 2012年6月16日 (土) 11時57分
「鏡」のこちら側では、二人はお互いに好き合えているのは事実。でも、「恋愛の先にある結婚というものについての彼の真意が彼女には見えてこない」というのが鏡の中の映像。楽しかった5年の恋愛。不安に思えて来た時に持ち上がって来た田舎からの縁談。幸せになるには充分な結婚話だ。たぶん、その話を決めて、嫁いで行く事になりそう。そこは彼の知らない町。
…長過ぎる春は彼女側に不安な気持ちを募らせてしまうものなのですね…。彼の方もまるっきり結婚の夢を描いていなかった訳ではなかったかもしれないのに…。
投稿: かせい | 2012年7月 9日 (月) 01時05分
昨夜の夢の中で22歳に戻っていたせいか、22歳が懐かしくてこの歌を聴いてみました。私はこの歌を知りませんでしたが、50年前の女性の22歳は今とは違って大変微妙な年齢だったのです。
兄妹が多く、上から順番に早く結婚させて家から出さないと跡取りが大変になります。近所の仲良しのお姉さんが25歳になった時後妻の縁談が来たと言って泣いていました。23歳が限度でしたね。好きな相手の収入が少なかったり、結婚話を出されないとお節介な人が、次々と縁談を持ってきたものです。出遅れれば何処かに欠陥があるのではないかと言われたのです。本当に待ったなしだったのです。ですから年を経て振り返ると後悔で涙が溢れる様になるのです。22歳に戻ってもう一度やり直せたらと思ってしまうのです。同級生たちも恋愛結婚した人は少ないと思います。良かったのか悪かったのか今でもわかりません。でも心の片隅にいつもあの人が棲みついている事は確かです。
投稿: ハコベの花 | 2013年8月25日 (日) 00時12分
彼女とは高校一年のとき、15歳の時、同じクラスになりました。ある日突然、僕の視野に彼女入って来たのです。綺麗だなぁ・・・と思っていました。でも、一度も話したことはありません。僕の斜め前の席にいた彼女の背中を僕はいつもじっと眺めていただけでした。そして一年後、クラスが変わって、それっきり。彼女を見かけることもなくなりました。いつしか忘れてしまった。
こんなの、”16才の別れ”なんて言えませんね。
出会いでも別れでもありませんね。
それが、半世紀たって、都内の同窓会で、彼女とばったり会ったのです。驚きました。彼女は僕にかっての教室を蘇らせたのです。僕にも高校一年という時期があったんだ・・・夢じゃないんだ!
それからというもの、同窓会が楽しみになりました。昨年も彼女が出席されることを期待して一番乗りしました。
何人かの参加者に続いて彼女が来られました。しかしその喜びもつかの間、彼女は手も口も届かない離れた席へ・・・
しょうがない、二次会に期待しよう。
二次会に私は少し遅れて到着。彼女の隣の席が空いていました。彼女は私と目が合うと、その空いた席に軽く手を置いてほほ笑まれました。
私は彼女のその仕草を「どうぞこちらへお座りください」の合図だと理解したのですが、少し離れた席に男どもが数人が集まっていて、その内の一人が首を伸ばし手を振って「おお~い、こっち来いよ」と呼んでいるのです。これじゃ、そちらへ行かざるを得ません。
結局、昨年の同窓会、彼女とは一言もじゃベれませんでした。
彼女の隣には女性が座られました。私はふと、「そうか! 彼女のあの仕草、この席もう決まってますっていう合図だったんだ。俺って間抜けだなぁ」と気が付いたのです。
今回は全く話せなかったのですが、前々回の彼女の言葉を反芻しています。
彼女;「私たち、話さなかったですね・・・」
-そう、あなたとは一言も交わしたことなかったですね。
彼女;「良いクラスでしたね・・・」
-そう、今振り返ると、あなたがいて僕にも青春があったような気がします。あれが青春だったんですね。
投稿: yoko | 2016年4月16日 (土) 00時01分
海道様
私は次の様に解釈しました。
彼は彼女の結婚の話を知った後、もう彼女の前に出ることはできなくなった。彼女の未来を妨げることはできない。打ちひしがれて彼女の後ろから寂しく彼女を見ているだけです。彼女はもう結婚と言う未来に向かって前を見ている。もし彼女のそばに鏡があったなら彼女の後ろで寂しそうに彼女を見つめている彼が映っていたでしょう。彼に気がついたはずです。だけど鏡はない。そして彼の気持ちにも気がつかなかった。
私はこれを高校一年のときの私と彼女に重ねて感じました。もし彼女のそばに鏡があったら・・・。もちろん鏡はありません。そして彼女はいまでもその時の私に気づいていません。もちろん私もそんなこと絶対に彼女に話しません。
学生の頃、「無法松の一生」の脚本を読んだことがあります。自分も一生独身かも・・・、と思っていた頃で、松五郎に魅かれました。次の科白にも魅せられました。
女嫌いの 男の胸に
秘める面影 だれが知る
男松五郎 何を泣く
男ってこうでなくちゃ、と思っていたのですが、
でも、結婚してしまうと、このセリフ言う資格ないですね。
投稿: yoko | 2016年4月18日 (月) 14時31分
塞翁が馬様、かせい様、yoko様
私のコメントにご返事下さり有難うございました。皆さん文章が上手ですね。40年前にこのアドバイスを頂いていたら私の人生も変わっていたかも。
投稿: 海道 | 2016年4月18日 (月) 17時16分
「昨日、悲別で」の主題歌だったのを覚えています。
何だか登場人物の心境が「あずさ2号」と似ている気がするのですが
投稿: 美生里 | 2016年10月 6日 (木) 13時07分
この歌にはドラマがありますね。22歳は大人への入り口なのです。歌の詞はあまり考えたことがなく、私には「なごり雪」の伊勢正三だけがクローズアップされたのだと思います。 あるとき、若者が「あっ、この歌知ってる」というようなことを言いました。たいした意味はなかったのですが、この詞を使ったことで若者との距離が縮まったような気がしました。
「yokoさま」のメッセージには引き込まれました。似たような経験をしたことがあります。私は23歳でしたが、別れですからいろいろな経験をしました。当時は手紙が主でしたから、しばらくは返事の手紙を背広のポケットに入れていました。後に残らないように焼き捨てました。
投稿: 今でも青春 | 2016年10月 7日 (金) 17時56分
いつ聞いても心に染みます。
この歌とは真逆、自分を本当に愛してくれた彼女を裏切った自責の念が、40年以上経った今でも頭から離れませんでした。ところがひょんな事からそんな彼女の姓が変わったことを知りました。『良かった。』心からそう思いました。もう何十年も前に変わったのだと思います。今幸せでいてくれたらそれでいいのです。もう一生会うことはないでしょう。でも今度生まれ変わったら必ず幸せにするから、と言い訳がましいことを思う自分は、今度は妻を裏切っていることになるのでしょうか。
投稿: 流星 | 2017年2月26日 (日) 01時11分
流星様
「22才の別れ」は長い間自分のテーマソングでした。私は置き手紙一つで彼のもとを去り結婚しました。「いつまでもあなたのこと待ってるよ」と言いながらも、学生運動に邁進する彼を信じきることができなかったのです。ただ置き手紙一つで勝手に終わらせたこと、それは私の心に刺さったトゲでした。(会って、別れ話をするべきだった。いつか謝りたい)この曲が流れるたびにその思いは強くなり、40年以上が経ちました。ふとしたことで彼が議員になったことを知り、居所がわかり、私は意を決して謝罪の手紙をしたためました。彼はまだ独身でした。今はというと茶飲み友だちみたいなお友だちです。ただ秘密の友だちかもしれません。
投稿: いちご | 2019年2月 4日 (月) 20時42分
「別れきてふと瞬けばゆくりなく冷たきものの頬をつたりて」という啄木の歌が切なくなると浮かんできたのに。昨年ぐらいから。そんな甘い感傷が湧いてこなくなってきています。「彼はもうこの世にいないだろう」と思えるからです。「会えるかも知れない」という希望が消えてしまったのです。彼のお母さんから彼が肺癌の手術をしたと聞いた時からもう10年近く経っています。生きていつか会いましょうと言って別れたのに希望が無くなってしまったのです。22歳の別れが最後になってしまいました。再会、いい言葉ですが、悲しい言葉でもありますね。
投稿: ハコベの花 | 2019年2月 4日 (月) 23時04分
いちご様
小生よりちょっと人生の先輩とお察しします。事情は人それぞれあると思いますが、長い間心に刺さったトゲを取り除けて良かったですね。ましてや今はお茶友達だなんて、お二人にとっては何て素晴らしいハッピーエンドでしょうか。
投稿: 流星 | 2019年2月 8日 (金) 01時13分
流星様
お返事ありがとうございます。つい投稿してしまったのは彼も「もう2度と会うこともないだろうと思っていた」と言ってくれたからです。「怒ってた?」と聞くと「いや僕が身勝手だった。君を大事にしていなかった。だから折に触れて私のことを思い出し、数日間は私からの手紙を開けることもできなかった」とのことでした。青春は性急で誤解だらけです。彼女ももしかしたらあなたのことを懐かしく思っているかも知れません。年月は全てを美しく変えてくれます。心残りならお会いになられても良いと思います。
投稿: いちご | 2019年2月 8日 (金) 13時09分
いちご様
アドバイスありがとうございます。
久しぶりに「22才の別れ」を聴いて遠い昔の苦い思い出が蘇りました。ただ今更というのが本音です。彼女も今は幸せに暮らしている(多分)と思いますし、仮に今会えたとしても、もう40年前の二人ではありません。今更彼女は何の感慨も持たないでしょう。いや、そのことを認識させられる侘しさに耐え難いというのが本当の気持ちなのかも知れません。ともかく彼女が今幸せなら本当にそれでいいのです。街で偶然出会って、驚きながらもお互いの現在を詮索することなく、差し障りのない会話を交わし別れる、時にはそんな空想に耽ることもありますが、現実的にはそんなことはまず起こりませんよね。40年の月日は内面だけでなく、人の外面もすっかり変えてしまいます。もし今二人が街ですれ違ったとしても、お互いただの通行人に過ぎないからです。
投稿: 流星 | 2019年2月11日 (月) 20時06分
私にとって《青春との別れ》は、私25才 彼女23才の初秋の頃のこと……
小雨の降る歩道を、お互いに別れを予感しながら、なにも言わず無言で足取りも重く歩き続けました。
まるで、青春の終着駅に降り立つ旅人のような孤独で切ない心境で‥‥。
転職の為、東京に旅立つ友人から、無理矢理サークルのリーダーを押し付けられ、その時同席した役員の中に、控えめだけど、しっかりしたものの見方のできる地味な感じの女性がいました。
三ヶ月くらいして、東京の友人からの手紙に、紹介した役員のHさんが、どうやらお前のことが気になって仕方がないらしいぞ、と書いてきました。
意あれば通ず の言葉通り、私もなぜかHさんが気になって仕方のない存在でした。
そこから先は、「チャペルの鐘」でコメントした通りですが、あの青春の忘れられない三年の月日は、私の中では、《22才の別れ》にも似た情景で、今も迫ってきます。
冬篭りが続くと、ついついセンチメンタルな気持ちに陥りやすくなり、困ります。
投稿: あこがれ | 2019年2月12日 (火) 17時29分
あこがれさん、「チャペルの鐘」のコメントも拝見しました。
いろいろあって、たいへんでしたね。
面白い人ですね。
投稿: あいら | 2019年2月12日 (火) 21時38分
あいら 様
交流掲示板にコメントします。
投稿: あこがれ | 2019年2月13日 (水) 14時33分
宵のコンサート会場から出てきた客は寄り添う夫婦の姿ももちろん多いのだが
老齢の男一人、または二人連れがことさらに目立っている。
直前まで降っていた梅雨の雨に濡れた馬車道にたむろすることもなく、それぞれひっそりと帰路についている。
「11月のコンサートは俺出てこられないぞ」関内駅に向う道すがら前を歩く二人ずれの片割れが言っている。マスクでくぐもっているが声は大きい。グレーの麻のジャケットが細身の体に似合っている。
「わかっている。俺一人で行くさ」同じ年代の小柄なほうが応えた。
「コロナでこれが今年一番のイベントになるだろうな。でも、まあ来てよかった」
しばらく無言のまま前を歩いていたが、やがて駅が見えると小柄なほうがバッグをごそごそすると
「これ、飲みすぎるなよ」ポケットウイスキーだった。
「おお。ありがと」そして
「お前と初めて会ってからもう50年だ。それなのに未だ『22歳の別れ』だよ。今日も」
「何を言うか。お前が田舎に帰ったのが22歳だぞ」「あは、そう言うかぁ」
伊勢正三のコンサートを女房の勧めで一人で聴きに行った帰り道。
驚くほど大勢いた一人で来た客は何を想いチケットを購入し、雨の中足を運んだのだろう。
昔と変わらぬ伊勢正三の踏み外しそうな高音の歌を自分の中でどう消化し確認し宥めたのだろうか。
翻って・・・わが女房。
自分の亭主がやすやすと会場に向かうことをなぜ疑いもしなかったのだろう。
投稿: 日月 明 | 2021年7月12日 (月) 16時22分
「22才の別れ」私がこの曲を初めて知ったのは、二十歳のころに購入した『かぐや姫・三階建ての詩』というタイトルのLPレコードで、その中には全12曲が収録されていました!
その前年に大ヒットした「神田川」を聴いて以来、かぐや姫というフォークグループに、俄然魅力を感じた私が、唯一購入した一枚切りのLPレコードアルバムです。その中でも「なごり雪」とこの「22才の別れ」は、聴き始めた瞬間に好きなった曲で、当時はその二曲だけを何度も立て続けに聴いていた憶えがあります。
かぐや姫が解散し、その翌年にかけてフォークデュオコンビ『風』を結成した伊勢正三がこの曲をリバイバルで歌い、さらに間もなく女性シンガーのイルカが「なごり雪」をカバーして、大好きだったその二曲は、私の予想をはるかに超えてヒットしてゆきました。私は当時のその成功現象に、この秀逸の二曲であればそれは当然の結果だと心から納得したことを憶えています。
これは私が最近知ったことですが、この『LPレコード・三階建ての詩』を制作するにあたり、後に伊勢正三の代表曲になる「なごり雪」と「22才の別れ」を初めて聴いた南こうせつは、その瞬間『負けた・・と真剣に思った・・』と某インタビューで答えています。
「22才の別れ」私はこの曲の特にイントロメロディに魅力を感じています。当時はフォークギター片手に時を忘れ夢中でこの曲を練習しました。ここでこの曲を聴く度にそのころのことを懐かしく想い出します。
投稿: 芳勝 | 2022年11月30日 (水) 18時53分