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2007年8月17日 (金)

青い山脈

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:西條八十、作曲:服部良一、唄:藤山一郎・奈良光枝

1 若くあかるい歌声に
  雪崩(なだれ)は消える 花も咲く
  青い山脈 雪割桜(ゆきわりざくら)
  空のはて 今日もわれらの夢を呼ぶ

2 古い上衣(うわぎ)よ さようなら
  さみしい夢よ さようなら
  青い山脈 バラ色雲へ
  あこがれの 旅の乙女に鳥も啼く

3 雨にぬれてる焼けあとの
  名も無い花もふり仰ぐ
  青い山脈 かがやく嶺の
  なつかしさ 見れば涙がまたにじむ

4 父も夢見た 母も見た
  旅路のはての その涯の
  青い山脈 みどりの谷へ
  旅をゆく 若いわれらに鐘が鳴る

《蛇足》 敗戦後、大衆文化の世界では、軍国主義の重苦しい桎梏(しっこく)から解き放たれた喜びを謳歌する作品が次々と生まれました。歌謡曲でそうした風潮を代表したのが『りんごの歌』と『青い山脈』でした。

 『青い山脈』は、昭和24年(1949)、同名の映画の主題歌として作られましたが、映画の完成が遅れたため、藤山一郎と奈良光枝のデュエットで一足先に発売され、爆発的にヒットしました。

 このB面にあったのが『恋のアマリリス』です。あまり知られませんでしたが、この時代に青春を過ごした人びとの一部でカルト的な人気を博しました。

 映画は、石坂洋次郎の朝日新聞連載小説が原作です。
 古く封建的な考えの残る地方の女学校に赴任してきた新任の女教師が、生徒間の争いの仲裁をしたことから、町の封建勢力と対決せざるをえなくなり、彼女の新しい考え方に共鳴した教師や生徒たちの協力を得ながら古い考えに立ち向かっていく、という話です。
 女教師を原節子、高校生(旧制)を池部良、女生徒を若山セツコ、杉葉子などが演じました。

 『キネマ旬報』の「邦画ベスト100作品」の1つに選ばれたことがあります。

(二木紘三)

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コメント

9/3 NHK BS-2

 故藤山一郎のビックショウ「遥かなり我が青春の歌」で懐かしい曲が歌われました。本うた物語の中に藤山一郎の曲が何曲か入っており、時々歌っております。素晴らしいひと時を満喫しました。
有難うございました。

投稿: 斎藤 孝 | 2007年9月 3日 (月) 20時43分

この曲が好きです。明日への勇気と希望が沸いてきます。
戦後間もない昭和24年に発表された同名の映画主題歌だ
そうですね。

♪古い上衣(うわぎ)よ さようなら
  さみしい夢よ さようなら♪

・・・戦争は終わったのだ。これからは、われわれ若者の時代だ・・・
 
青春の躍動、そして、未来への希望・・・

投稿: エスペロ | 2008年5月20日 (火) 19時33分

この映画は吉永小百合でリメイクされたような気がします。
変しい、変しい・・・様。我が学校の国語力の低下です。と
言った教頭も良い味でした。

投稿: M.U | 2008年5月31日 (土) 18時58分

『歌は心の走馬灯
    人生 絵模様 歌舞台』…SHU-SHIN
 ♪青い山脈…胸弾む軽快なメロディーと、味わいのある歌詞。日本語の美しさ、歌の素晴らしさを堪能させてくれる名曲です。
 十数年前、英国に出張していたとき、
海外駐在員達の溜まり場になっていたロンドンのカラオケ・バーで居合わせた全員で合唱した思い出があります。私達は、懐メロとしてただ単に懐かしむのをやめて、
積極的に歌い広め、若い人に継承していきましょう。

投稿: パンプキン | 2008年6月14日 (土) 13時01分

『歌は心の走馬灯
    人生 絵模様 歌舞台』…SHU-SHIN
二木紘三先生の『うた物語』。サーバーの事情?でしばらく使えなかった間の寂しかったことといったら例えようもありませんでした。
今日、改めて♪青い山脈…聴いて心を癒しています。

投稿: パンプキン | 2008年7月 5日 (土) 14時24分

この曲で思い出すのは、絵仲間であった年配の女医さんと飲み会などでよく合唱した歌です。彼女は町の名士ではありましたが奢り高ぶることは一切なく誰とでも気軽に付き合う方でした。2月のある日、明日は休日ということもあってスナックで遅くまで飲み歌い、最後に〔青い山脈〕を合唱して分かれましたが、数日後彼女が倒れられたと聞いて驚きました。ご子息の介護も虚しく数日して亡くなられました。
懐かしいと共につらい曲でもあります。

投稿: オキヨ | 2008年8月27日 (水) 23時25分

詩も曲も素晴らしいですね。ただ単に輝く青春賛歌ではなく、新生日本の賛歌でもあると思います。当時中学生(もちろん新制ですよ)だったわたし達も、この歌を聞きかじってよく唄いましたが、流行歌とはいいながら叱られませんでした。この歌を聴くと、端整な歌い方の藤山一郎や美形歌手の奈良光枝を昨日のごとく思い出します。

投稿: ひろし | 2008年11月 6日 (木) 22時05分

吉永小百合・浜田光夫・高橋秀樹の若かりし「青い山脈」を時々見ていますが、新しい時代に向かって躍動感溢れる描写が底抜けに明るく元気になります。歌とドラマが見事にフィットしていると思います。ラストのサイクリングシーンは最高です。
残念なのは、最初の映画を見たくてレンタルショップで探しているのですが見つかりません。随分前にテレビで放映した時に見てはいるのですが・・・

投稿: みつる | 2008年11月11日 (火) 01時07分

高橋英樹も今では島津斉彬に成りきりましたね。小松、西郷
大久保を発掘し見事に育てた。こういう斉彬のように有能な人は何故短命なんでしょう。俺は海が好きだ。

投稿: 海道 | 2008年11月23日 (日) 14時07分

'08,6,14のパンプキンさんの言われるように、この歌は日本の代表的な流行歌として、この先も歌い継がれて行ってもらいたいものです。

この歌は、藤山一郎存命の時は「懐かしのメロディー」番組では、最後にほとんど締めくくりの歌としてプロ歌手全員が歌いましたね。私が今ボランティアで行っている特別養護老人施設でも、この歌をみんなで歌うと盛り上がります。「楽しかった」って言われます。その時、ほんとに日本の代表的な歌なんだなと思わされます。

投稿: 吟二 | 2009年1月 9日 (金) 20時58分

昨年十一月十一日投稿の「みつる」さんへ
「青い山脈」の今井正監督の映画のDVDはインターネットで探してみてください。見つかります。私はインターネットで探して購入しました。原節子、池部良、若山セツコ、杉葉子等が溌剌と活躍しています。
発売会社は、Cosmo Contents Co.Ltd
〒104-0033 東京都中央区新川2-21-10
梶谷第一ビル4階
         メールアドレス info@cosmo-c.net
日本名作映画集 13です。
ぜひ購入して、名作に酔ってください。

投稿: 肥後もっこす | 2009年2月15日 (日) 13時08分

2009年2月15日投稿の肥後もっこすさん
青い山脈のDVDの情報をありがとうございました。早速入手し、見ました。原節子の存在感はすごいです。40インチの画面ですが映画のスクリーンで見たらもっと良いのだろうと思うと残念です。

投稿: みつる | 2009年4月29日 (水) 21時32分

『歌は心の走馬灯
    人生 絵模様 歌舞台』…SHU-SHIN久しぶりに《二木紘三先生のうた物語》訪問しました。
この♪青い山脈…いつ聴いても、何度聴いてもいいですねぇ。心がこう、なんといいますかその、ホッとするのです。
2009.1.9の吟二 さんお元気ですか?またメッセージください。

投稿: パンプキン | 2009年5月 8日 (金) 23時44分

母の生まれた年の曲です。
私の母校・恵那高校が初期作品のロケ地だそうです。
細い2重線のセーラー服は今でも健在です。
映画は見たことがありませんが、よく先生達からこの映画の話を聞きました。
都会に出て何年も経つと、故郷の恵那山が見えたときの安堵感は大きいです。

投稿: スノーウィ・ハート | 2009年5月16日 (土) 16時50分

今日の朝日新聞の“うたの旅人”は青い山脈でした。
それによると原作の舞台は弘前だ横手だと、どちらかと言うと微笑ましい論争があるようです。
私は映画から、漠然と長野県をイメージしていたのですが、新聞によると映画のロケは伊豆と書いていました。
私はスノーウィ・ハートさんのコメントを拝見して、伊豆は海が出てくる場面だけでほとんどはきっと恵那だったと思います。岐阜は長野の隣ですもの。九州人の私には山国への憧れもあるのでしょう。

投稿: 周坊 | 2009年6月 6日 (土) 11時35分

吉永小百合バージョンでは神戸一郎と青山和子の歌のようですが、どう聞いても藤山ー奈良に聞こえます。耳が
弱ったか、目が弱ったか?

投稿: 海道 | 2009年6月 9日 (火) 18時40分

デイケアセンターなどにハーモニカ一本携えて慰問という大げさなことではありませんがボランティアをしています。この曲のリクエストが圧倒的に多く、お歳から考えると皆さん青春の思い出があるのでしょうね。二木さまのこのページはいつも参考にさせていただいています。ページ構築と日々のメンテナンス、大変でしょうね。ありがとうございます。

投稿: ごっとん | 2010年4月10日 (土) 11時44分

♪雨にぬれてる焼け跡の 名も無い花も振り仰ぐ♪のところにくると、一面の焼け野原が目に浮かんできます。
雑草は強いものです。焼け跡に千草やはこべが花をつけたのは何ヶ月も経たないうちだったと思います。何もかも焼け尽くされて、昭和21年に入学した小学校は青空教室、まともな授業が出来るようになったのは6年生から、基礎学力が足りないと今でも思います。それでも言論が自由になったことは何にも換えがたいものだと、この歌を聴く度に思います。私は私の自由を奪うものを一番怖れます。

投稿: ハコベの花 | 2010年4月11日 (日) 23時00分

ちょうど今頃の時期、梅雨の合間の晴れた日になると、「六月の、ある、晴れた日曜日の午前であった」という、「青い山脈」の書き出しの一節を思い出します。

「青い山脈」は、青春時代に本で読んだり、幾つかの映画を観たりして、物語や登場人物を忘れることはありません。しかし、それ以上に、この歌はいつも身近に感じられて、永い年月を経ても決して色褪せることはありません。

投稿: cosmosfish | 2010年6月20日 (日) 05時30分

作詞:西條八十、作曲:服部良一のこの歌は、一時期捨て去られても、また復活して日本の名歌として歌い継がれて行くのではないかと思います。NHKの懐かしの名曲放送では、必ずラストの曲で藤山一郎先生(そう言いたくなる様な気品が有りました)のもと、全歌手が合唱してフィナーレになりましたね。

そんな歌、歌手がこれからも出現するでしょうか。出現することを念じます。

投稿: 吟二 | 2010年6月20日 (日) 23時58分

此の歌は私の青春時代を思い出させる大事な歌の一つです
中が高時代には仲の良かった女子生徒と手を組んでフォークダンスで踊った思い出。 高校時代には先輩に無理やり引っ張り込まれた『スキー山岳部におけるシゴキ』も、楽しかった思い出となりました。平成14年8月の交通事故の後遺症から、大好きだった山登り(北アルプス槍ヶ岳や穂高連峰)にも登れなくなりましたが、此の歌だけは生涯忘れることが出来ません。

投稿: 渡邉秋夫 | 2010年8月 5日 (木) 03時57分

 数日前歌友から「青い山脈」の歌碑があるということを聞き、小雨の今日訪ねて来ました。
場所は自宅から車で50分の大阪地下鉄谷町9丁目駅の北東5~6百米、東平小学校(服部良一の母校)跡地の東平コミュニティプラザの運動場の中にありました。
 序でに東へ4~5分、細川越中守忠興の屋敷跡近くの越中井にある細川ガラシャの辞世の句「散りぬべき時知りてこそ世の中の、花も花なれ人も人なれ」の句碑を見ながら、ふと、兄夫婦が眠っている新大阪駅東に位置する崇禅寺墓地の奥まった所に“細川玉子の墓”が有ったことを思い出しました。
崇禅寺は細川家の菩提寺だったとのことですが、なぜ“玉子”となっているのか?もしかしたら夫に対しても上からの風当たりが強かったクリスチャンに決別する為極秘に自刃して、しかし家族は<家来に槍で衝かせた>と体面を図ったのが真相では?・・・と。
夜、そんなロマンとは決して言えない勝手な憶測と辞世の句を思い出しながら“不東(細川護熙氏雅号)”作の刷毛目酒盃を久しぶりにかたむけました。

投稿: 尾谷光紀 | 2011年7月 7日 (木) 22時59分

「青い山脈」作詞:西條八十、作曲:服部良一、唄:藤山一郎・奈良光枝。1 若くあかるい歌声に 雪崩は消える 花も咲く 青い山脈 雪割桜 空のはて 今日もわれらの夢を呼ぶ。この歌を聴きながら、フト、教育改革で激しく議論されている橋下大阪市長の顔が浮かんできた。是非、この歌を聞いて、歌の心をかみしめて欲しいものです!昭和の庶民史を語る会

投稿: 昭和の庶民史を語る会 | 2012年1月31日 (火) 11時19分

若いころ「青い山脈」の作者石坂洋二郎の著作は全部読み、石原裕次郎主演で映画化された作品もは何度も見ました(青い山脈には主演していません)今、息子は石坂洋二郎が教鞭をとっていた横手の高校に、同じ国語の教員として奉職しています 主宰しているうたごえの会でもリクエストナンバー1です

投稿: 桂女 | 2012年2月 4日 (土) 09時18分

久しぶりに映画「青い山脈」のDVDを見て、懐かしくなって、二木さんの「うた物語」を開いてみましたら、2009
年に投稿した私の文章が残っていました。
映画「青い山脈」のDVDを探していた「みつるさん」への連絡でした。この映画は私の高校生時代に見た映画の傑作だと思っています。
私はこの映画で、性・セックスは決して汚い物ではないと言う事を教えられました。私の青春時代の素晴らしい性教育の教材だと感謝しています。今改めて見ても決して色あせてはいませんね。今井正監督の素晴らしさを再確認しました。「映画って、やっぱりいいもんですね。」

投稿: 肥後もっこす | 2012年8月17日 (金) 00時53分

「青い山脈」の歌碑が大阪谷町9丁目の東平小学校跡地にあるとのこと、是非訪ねてみたいです。
服部良一は大阪から京都に行く列車の中で、この曲のイメージが湧いたと言っています。高槻に住んでいる私にはご当地ソングとしても大切な歌なのですが、ある本には六甲山脈を見て、とも書いています。大阪・京都間では六甲山脈は見えないのですが・・・どなたかこのあたりの事をご存じでしたらお教えください。高槻あたりから見える北摂の山々はまさに青い山脈です。
                    やーちゃん

投稿: 河原 香代子 | 2014年9月12日 (金) 00時28分

河原 香代子 様 

 「青い山脈」の歌碑は大阪地下鉄谷町線及び地下鉄千日前線の『谷町5丁目駅』から東北方面へ500mの中央区上本町西5丁目東平コミュニティプラザ広場(服部の母校東平小学校跡地)にあり、金網に沿って行けば案内板がありボタンを押すと曲が流れます。(事前にTerすれば中に入れます。東平会館:06-6762-4588)
 ここから北へ10分の所に細川邸屋敷があった越中公園の「越中井」に、細川ガラシャ辞世の句碑<散りぬべき 時知りてこそ世の中の 花も花なれ 人も人なれ> → さらに20~30分で大阪城の天守閣に登り六甲山脈や北摂山脈をご覧になったら如何でしょうか? もうすぐ爽やかな秋です。
 尚、このブログの22番目のコメントもお読み下さい。

投稿: 尾谷光紀 | 2014年9月12日 (金) 14時34分

私は「青い山脈」の映画を高校二年生の時に見ました。今から六十四年程前になります。昭和二十四年頃でしょうか。この映画で私は、性、結婚、恋愛などについて、色んな事を学びました。私の恋愛観、性愛観等はこの「青い山脈」が作ってくれた様なものでした。今井正監督は私には神様みたいな存在です。DVDを何度でも見ます。何度見ても決して飽きません。私の一番好きな映画です。戦後の娯楽に飢えていた高校生にとっては、何よりの贈り物だったのです。最近インターネットで、北朝鮮版のカラオケにこの歌があるのを発見しました。バックは歌とは無関係な北朝鮮の風景写真です。日本語と朝鮮語で歌っています。北朝鮮にもカラオケがあるのですね。津軽海峡冬景色、修学旅行、忘れな草をあなたに、北国の春などもありました。北国の春はチベット語のものもありました。恐らく海賊版でしょうね。

投稿: 城 保 | 2014年11月 3日 (月) 01時37分

『ヴギウギ』や『ブルース』の曲が多い服部良一が『マーチ』でヒットをさせるというのも珍しいことと思います。
 西条八十の詞は流石ですが、服部良一がこれだけ明るい軽やかなテンポのメロディを作ったことには感動すらおぼえます。
監督の今井正はあまり気に入らなかったそうですが……。
藤山一郎と奈良光枝の歌唱も素晴しいですね。 映画化は5度されていて、63年の西河克巳監督の日活版も有名ですね。
 原節子→芦川いづみ、竜崎一郎→二谷英明、杉葉子→吉永小百合、池部良→浜田光夫…。キャスティングもまあまあで…。
 「若い人」「何処へ」「あいつと私」など石坂洋次郎の作品はどういう訳か私はあまり好きにはなれないんです。女性の方が面白く感じられるのでしょうか。
   美しかった原節子さん、ご冥福お祈り申し上げます。

投稿: かせい | 2016年2月 1日 (月) 00時52分

戦後すぐの昭和24年に初回映画化の作品を最近ネットでじっくり見ました、吉永小百合の日活作品をかなり昔に観たような記憶ですが、今井正監督の原節子がめっちゃ活躍していてセリフがみな素晴らしい、清潔な衣装で、寺沢新子役の杉葉子を女学生にしてはとうがたっているとの意見もありましたが 私は今井監督の起用に納得します 吉永小百合にはまったく似合わない役だとよくよくわかる初代作品でした、若山セツ子が50歳で自殺し、杉葉子はロスで元気に生きているのですね 原節子さんは顔は整っているがパーツが大きくてあまり好きではありませんでしたが この作品の新人英語教師の役にセリフのすばらしさと態度のメリハリに大拍手したいです 名作の訳がよくわかりました。 今井監督の キクとイサム にごりえ ここに泉あり えんという女 など見ましたがすばらしい。

投稿: 増上寺のさくら | 2016年4月17日 (日) 21時40分

この映画だけは何度でも機会があれば見たい映画です。この映画を見るたびに【戦争に負けて良かった】と思わせてくれる映画です。原節子のような美しい女優らしい女優は今までに出なかったと思います。突然引退して忽然と世間から消えてしまった経由も、神秘的でまるで映画そのものです。主演者たちも溌剌と演じていて、自然体でした。現代の映画では【主役】が理屈っぽく喋り過ぎて、気楽に鑑賞したいと思うのは、やはり年のせいでしょうか?
最後に原節子という女優さんは、声がとても深みのある声で、今もあの声が耳に残っています。脇役の演技が光った父兄会の会議のシーンでは笑わせてくれましたね。曲についての思い出は、ハイキングやバス旅行での合唱曲はこの曲に決まってました。懐かしい曲の紹介有難うございました。

投稿: mitsuko | 2016年4月19日 (火) 03時25分

私が「青い山脈」に初めて接したのは、少年の頃に家の白黒テレビで観た舞台中継でした。たしか、2夜に分けての中継放送だったと思います。
火事の夜に和子をおんぶして歩く六助、古ぼけたトラックでリンゴを運ぶ新子と六助、雪子先生が遠くを指さしながら「遠くの山々が真っ青だわ」と言ったラストシーンなど、今でもよく憶えています。
この舞台がいつどこで上演されたのか知ったのは、40年以上経ってインターネットが普及してからでした。昭和37年(1962年)11月に明治座で上演され、雪子先生役は白川由美さんでした。

昨年9月には原節子さんが永眠され、そして今年の6月には白川由美さんも永眠されました。心に残る物語の主人公を演じた方々の逝去は、ほんとうに寂しいものです。

投稿: cosmosfish | 2016年7月24日 (日) 11時21分

 つい先日、YouTubeにて1950年(昭和25年)の新東宝製作の『石中先生行状記』という映画を見ました。
 原作は『青い山脈』の石坂洋次郎、監督は成瀬巳喜男です。
 3話構成のオムニバス映画で、舞台は岩木山が見える津軽地方。出演者は『青い山脈』にも出ていた、池部良、杉葉子、若山セツ子、それに30歳位の三船敏郎らです。
 映画の第3話で、荷馬車の馬を引く三船敏郎と荷台に腰掛けた若山セツ子が、この『青い山脈』』を一緒に唄うシーンがあります。
 三船敏郎の『青い山脈』歌唱はまことに貴重だと思います。。
 成瀬巳喜男監督も、こういうほのぼの作品を作っていたんですねぇ‥。

投稿: かせい | 2018年7月13日 (金) 19時53分

私は、歌詞2番の「古い上衣よさようなら」の古い上衣とは、旧制高校の弊衣破帽・マントのことを指しているものだと解釈しているのですが如何でしょうか、どなたかご教授願います。

投稿: 重山嵓 | 2019年1月15日 (火) 22時07分

映画と曲が敗戦から数年後に発表されたこと、および映画の内容から、上衣は、戦前の抑圧的な体制や封建的な社会を象徴したものだと考えています。

投稿: ナニモノかです | 2019年1月15日 (火) 22時55分

「古い上着」とは、古い封建的な考え方だと理解しています。
因みに大阪出身の服部良一は、国鉄の省線(今のJR環状線)から見た六甲山の山並みをイメージして作曲をしたとの逸話もあります。

投稿: 尾谷光紀 | 2019年1月17日 (木) 21時40分

この歌には
今日もわれらの「夢」を呼ぶ
さみしい「夢」よ さようなら
父も「夢」見た 母も見た
と「夢」が3回でてきます。
また
「旅」の乙女に鳥も啼く
「旅」路のはての その涯の
「旅」をゆく 若いわれらに鐘が鳴る
と「旅」も3回使われています。
夢と旅がキーワードです。
夢を追い、どこか遠くの見知らぬ世界へ行ってみたいというのは、いつの時代も変わらない青年の心持ちです。ですからこの歌は、本当に青年の心をとらえました。昭和24年生まれの私も、父や母が口ずさむのを聞き、ラジオで何度も流れるのを聞いて、しっかり覚えました。西條八十が好きになったのは、この歌と『越後獅子の唄』が、きっかけでした。

 しかし、年を取ったら、人生の夢などというのは、そうやすやすと叶うはずはないし、見知らぬ世界なんてあるはずがないとわかります。さらに、老境に入った今の私は「食うために働く、それでいいのに、なんで『夢』だの、『生きていくことの意義』だの言ってんだよ」という北野たけしの持論に近い気持ちを持ってしまいます。
 世の中のしくみをほとんど何もしらずに、時にはある種の強迫観念のもとに、夢を追う青年たちをみると、昔の自分を見るようでなつかしく、あまり無理するなよとエールを送りたくなる。
この歌は、昭和の青年には理想を追う勇気を与え、老年には郷愁を呼び起させる名曲です。

投稿: 越村 南 | 2019年1月18日 (金) 15時49分

「青い山脈」この唄は戦後の昭和歌謡を語る上で、誰もが知るこれまで史上最も大衆に愛されてきた唄ではないでしょうか!
ランランラーンランランラーンララララランランラーン♪♪♪~と流れ出すこの曲のイントロメロディを聴くだけで、私は気分がいつも晴れてきます。
蛇足>敗戦後、大衆文化の世界では、軍国主義の重苦しい桎梏から解き放たれた喜びを謳歌する作品が次々と生まれました。< まさにその中の代表曲だと思っています。
「リンゴの唄」が終戦時に於いて、心を打ち拉がれた日本中の人々に「心の癒し」を与えてくれた唄ならば、「青い山脈」はこれからを懸命に生きようとする人々に「小さな希望」を与えてくれた唄のような気がします。

昭和23年、この年東宝では経営合理化を図って、千人を超える規模の人員整理を発表、組合と対立して、進駐軍までが介入する労働争論があり、映画の撮影もそのあおりで、いつ完成するのかわからない有様、そこでコロンビアでは封切を待たず発売に踏み切ったのでした。発売してみると、明るい青春歌謡は歌謡ファンの心をつかんでヒット。主題歌の先行ヒットという根回しがきいたお陰で、7月19日と26日に、前・後編が封切られた映画も爆発的な人気を集めました。(精選磐・昭和の流行歌・野村耕三氏解説)

昭和38年、私が小学3年生の時、講堂で行われた全校朝礼の時、校長先生が壇上でのご挨拶で「戦争が終わって18年が経ちました。この日本は本当に豊かな国に変わりました」と言われたお言葉を、私はこの曲を聴く度に想い出します。


投稿: 芳勝 | 2019年1月18日 (金) 18時53分

この歌が、誰にも親しまれ歌われてきた名曲であることは言を俟ちませんが、1949年 今井正監督作品「青い山脈」で、ヒロインの女学生役を演じた杉葉子さんが90才で亡くなりました。
この映画で、池部良と仲良く手をつないで、全力で砂浜を駆ける女学生役の彼女のはつらつとした姿を懐かしく思い出します。
竜崎一郎、原節子、池部良、杉葉子、伊豆肇、若山節子・・・懐かしいね~。みんな逝っちゃったけど・・・。

投稿: あこがれ | 2019年5月23日 (木) 15時34分

父も夢見た 母も見た 旅路のはての 青い山脈

はるか昔、ミシガンに研究留学した折カナディアンロッキーを旅しました。
かの地で産まれた1歳の娘を背負い、美しい湖のモレーンのほとりを歩く妻が可憐でした。

娘の産んだ二人目の孫がちょうど1歳になりました。

投稿: キンポウゲ | 2019年11月23日 (土) 10時53分

「青い山脈」とは青い山が仲良く並んでいることと思う、一つひとつの青い山が男女の旧制高校生の一人ひとりと思う。だれもこの説を言わないけど 賛同願えますか?議論して下さい。1946生まれです。歌声サークルでダントツ人気の曲です。「旅の夜風」は下降しています。小説発表と映画の2年間の開きは大きい。

投稿: アコ弾き | 2020年2月11日 (火) 22時25分

この歌詞で私が優れていると思うのは「雨にぬれてる焼けあとの 名もない花もふり仰ぐ」です。二木先生は同じ作詞作曲歌手による「山の彼方に」の方がどちらかというと好きとそちらの蛇足でおっしゃり、私も二木先生の影響もあってそちらの曲の方をとても好きになっております。が、西条八十さんのこちらの歌詞は、この「雨に濡れてる....」によって、愚かさや悲劇に満ちた人類の運命に思いをいたし、父母や祖先を思い、それを継ぐものとして我らの青春がある、という、青春賛歌にとどまらない深みが与えられているように思います。

投稿: kazu | 2021年7月13日 (火) 06時14分

1949年に封切の映画『青い山脈』は前編と続編に別れており、前編の主題歌は『青い山脈』で、後編のそれは『恋のアマリリス』であることを、私は昨日2021/9/15、知りました。
蛇足ながら、その経緯と証拠を「掲示板」[2314]に記載しました。

投稿: 山田 | 2021年10月16日 (土) 16時13分

『青い山脈』は、子供の頃からよく知っている歌です。自分から口遊ぶことは余りありませんでしたが、よく聴いたものです。

さて、このたび思い立って、改めて歌詞を眺め、私なりの詩情の理解を試みました。
まず、♪ 若くあかるい歌声に…♪で始まり、♪ 若いわれらに鐘が鳴る♪終わることから、やはり、この歌は青春賛歌であろうと思います。
次に、♪ 古い上衣(うわぎ)よ さようなら…♪(歌詞2番)や、♪ 雨にぬれてる焼けあとの …(歌詞3番)♪から、重苦しい戦争の傷跡が身近にある状況が窺われます。
”青い山脈”が各番に出てきます。♪今日もわれらの夢を呼ぶ♪(歌詞1番)から、歌う側に夢をもたらすような、不動で美しいものの象徴として描かれているように思います。
そして、♪ 旅の乙女に鳥も啼く♪(歌詞2番)、♪ 旅をゆく 若いわれらに鐘が鳴る♪(歌詞4番)の”旅”とは、”これから先の(明るい)人生”のことを、重ねていると捉えます。

投稿: yasushi | 2023年8月25日 (金) 16時06分

いつもご同好の皆様のコメントを楽しく拝読いたしております。ありがとうございます。
 久し振りで「東京大衆歌謡楽団」のネット配信を聞きました。
今年の一月二十二日、奄美大島でのライブで、この曲が当日のアンコールの最後に演奏され、高島四兄弟の長兄(ボーカル)のリードで会場も盛り上がったよう思います。私も、佐賀公演を2回聴きに行きましたが、全体を通して佐賀公演とは違い、曲目設定・司会進行など目を見張るものがありました。昭和歌謡が遠くになりつつある今日、高島四兄弟の長年にわたる情熱と卓越した演奏に感服するばかりでした。特に感じたのは、長兄の担当するボーカルでの唄声に艶と深みが感じられ、更に胸に深く沁みこみ感動をいたしたところです。
 また、過日、パソコンに「テレビチューナー」と「22型ディスプレイ」を接続し、以前接続した「小型の外部スピーカー(ステレオシステム)」により、音質の良い状態で楽しんでいるところです。
あこがれさま、ご無沙汰いたしております。お元気のご様子でなによりです。 Konohaさま、今日から大相撲が始まりまね!見事な名解説を楽しみにいたしております。

http://www.youtube.com/watch?v=gaBQzkc4fxc

投稿: 一章 | 2023年9月10日 (日) 20時37分

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