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2007年8月13日 (月)

砂山(中山晋平)

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:北原白秋、作曲:中山晋平

1 海は荒海(あらうみ) 向こうは佐渡(さど)
  すずめ啼(な)け啼け もう日はくれた
  みんな呼べ呼べ お星さま出たぞ

2 暮れりゃ砂山 汐鳴(しおなり)ばかり
  すずめちりぢり また風荒れる
  みんなちりぢり もう誰も見えぬ

3 かえろかえろよ 茱萸原(ぐみわら)わけて
  すずめさよなら さよならあした
  海よさよなら さよならあした

《蛇足》 詩は児童雑誌『小学女生』大正11年(1922)9月号に掲載されました。

 同年6月中旬、北原白秋は、新潟市の師範学校で行われた童謡音楽会に出席しました。音楽会の終了後、同校の教師たちと近所の寄居浜(よりいはま)(現在新潟市四ツ屋町)を散策したとき、その夕景に感動して作ったのがこの詩とされています。

 メロディは中山晋平版のほか、山田耕筰の曲があります。

(二木紘三)

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コメント

この歌も好きで、毎日歌っています。

投稿: 三瓶 | 2008年9月16日 (火) 15時41分

今日福岡市中央区民センターのロビーで合唱グループ「るびー」の皆さんのアカペラでこの歌を聞きました。確かもうひとつの短調の曲があったのではと検索したら、また二木さんのこの「うた物語」にたどりつきました。二つともアップしてあり、聞き比べてみました。
ありがとうございました。

投稿: 江尻 陽一 | 2009年5月27日 (水) 01時39分

熊本で生まれ柳川で育った白秋と信州生まれの晋平がこのような曲を作ったとは、先生の解説で納得です。

投稿: 海道 | 2009年5月27日 (水) 08時39分

多感な少年時代を新潟の海辺で育ったわたしにとって、この歌はとりわけ好きな歌のひとつです。小学校5年のときには、器楽合奏でこの歌を演奏しました。わたしはハーモニカを担当して一生懸命吹いたことを懐かしく思い出しました。終戦後、新しい音楽教育が導入され、それまでの唱歌から楽器を扱う新しい指導法が取り入れられた嚆矢だったのでしょう。今の音楽教育では当たり前のことですが。
 ところで、この白秋の詩でも、「荒海」が冒頭に出てきますが、日本海=荒海のイメージが定着したのは、芭蕉の『奥の細道』の「荒海や佐渡に横たふ天の川」からでしょうか。たしかに晩秋から厳冬にかけての日本海は‘荒海’の形容が適切でしょうが、春から初秋にかけてはなぎの日が多いのです。芭蕉が越後を通過したのは今の暦の8月頃ですし、‘天の川’が見られたのですから天候はよかったはずですね。もっとも芭蕉の句はかれの心象風景をうたったもののようです。なぎの日本海では詩のイメージが壊れるってことでしょうか。

投稿: ひろし | 2009年5月28日 (木) 11時19分

中山晋平版と山田耕筰版、なんという違いでしょう。片や苦労人の大衆作曲家、片やエリートのクラシック界の大御所の作曲。中山晋平は、一時小学校の代用教員を勤めていたこともあってか、子供たちがいきいきと楽しく歌える曲に仕立てたのですね。海も、島も、雀も、お星様も、ぐみ原も、すなわち天地人みんなが子供たちの仲間だという感じが伝わってきます。夕暮れの日本海で遊ぶ子供たちの姿や心を、これほど見事に描いた歌は他にないと思います。一方山田耕筰はこの白秋の詩を、芭蕉の句「荒海や・・・」を念頭において一種の象徴詩と捉えたのではないでしょうか。聴いていて童謡といういうよりも、歌曲という印象を受けるのです。こちらも名曲ですが、私はやはり中山版を採りたいと思います。郷愁と言ってしまえばそれまでですが、子供たちと自然とが一体となっていたかつての日本の原風景を髣髴とさせる曲だからです。
それにしても、作曲の両大家をして双方にこんなすばらしい曲を作らせるのですから、北原白秋という人はすごい詩人ですね。

投稿: くまさん | 2009年6月10日 (水) 00時32分

一つの詩に二つの名曲。優劣より好みの問題でしょうね。
ゲーテの“野ばら”にはシューベルトとウエルナーが曲をつけたました。
聴くのは晋平版とシューベルト、歌うならば耕筰版とウエルナーというのはいかがでしょうか。

投稿: 周坊 | 2009年6月11日 (木) 23時08分

私の母校の旧制中学の校歌(現在の高校にそのまま引き継がれている)は、土井晩翠作詞、山田耕筰作曲です。両巨頭にお願いした経緯は、同じ作るなら超一流がよいから、という単純な気持ちからだったようです。作詞・作曲料は契約しないで依頼したようで、(当時は結構な時代だった)出来上がってから金策がつかず、ただ同然にまけてもらったとのことです。・・・それでも全国でトップクラスの校歌です^^。
さて砂山ですが、私は歌としては晋平さんのほうがより親近感があります。

投稿: 三瓶 | 2009年6月13日 (土) 18時42分

優しさが感じられる日本の情景がよく表れていい曲です。

投稿: はるちゃん | 2010年5月 3日 (月) 16時39分

この歌の碑が新潟市の護国神社境内にあります。
すべてひらがなで書かれたこの碑が出来た昭和30年代には、碑の前から佐渡が良く見えましたが、今は防風林の松が大きくなり、直接は見えなくなってしまいました。
近くの中学校が母校の私たちの卒業アルバムは、この碑の前で撮影されました。いっしょに写った友は「みんなちりぢり」になってどこへ行ったのしょうか?その母校も生徒数減少で間もなく廃校になるそうです。

投稿: 曽良 | 2012年12月21日 (金) 14時45分

この歌を聞くと亡くなった母を思い出します。実家は新潟の柏崎。良い想い出もなかったのか、余り話したがらなかったが、唯、「寝ているとうちの中へ蟹が入ってくるのよ」と、話していた事を記憶している。どう言う風に理解して良いのか今だに分かりませんが。

投稿: 赤城山 | 2013年5月 5日 (日) 16時42分

第5回東京国際声楽コンクール 山陰大会が7月23日に松江市の島根県民会館中ホールで開催されました。
若手の声楽家育成が主目的ですが、余興として声楽愛好者A(55歳未満)、B(55歳以上)の参加も可能です。地区大会をパスすれば、西日本大会、本選(東京・イタリヤ大使館)と進みます。5人の審査員が審査をします。
82歳の私も挑戦し、なんとか地区大会はクリアしました。

投稿: 三瓶 | 2013年7月25日 (木) 15時23分

砂山の歌は子どもの頃から大好きでした
学校の音楽で習った二つの砂山の曲に出会って益々魅了されてその時々の思いで歌っていました
リタイアーして十数年前に念願のうたごえ喫茶(みんなで歌い合う楽しさ)を知人のキッチンハウスの昼過ぎの休憩時間を借りて始めて7年を過ぎました

 住んでいる隣町の柳川の北原白秋の砂山の詞の二つの曲のいずれも大好きでしたが、別々ではなく長調、短調の二曲をメニューに入れて練習しながら移調すれば続けて歌えるんだと気付きました

 その頃、大型ヨットで新潟西港から出港北上し津軽海峡に入り東風を受けて函館沖を目指して反転して青森港に停泊し大間岬を回って襟裳岬の沖から太平洋を南下して東京お台場桟橋までの11日間のセーリング練習生としの体験をしました

 まもなく、東日本津波大災害が発生しました
神戸で友人と過ごした一カ月後の阪神地震大災害の時と
同じく身震いする体験でした

 その後の北上夜曲と砂山をプログラムに入れながら歌う日はいつも心が騒いでトークが高ぶります
寄居浜の200mもの浜がなくなった人間と自然との係り合いの深さ、今時の深刻な横井めぐみさんご家族とのことなど…白秋作品と山田、中山両巨匠の曲をアレンジしてはじめに山田メロディー、続けて中山節を歌っていますが、一番毎の二つのメロディの味わいを堪能しています

 短調はCmで長調はEbに移調しているのでそれぞれの曲調がずれている感じもしますが、それよりも偉大な
三人の先達のすごさを感じています
二木先生に出会えたこと感謝するばかりです

投稿: Hirobou | 2015年11月 4日 (水) 23時16分

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