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2007年8月21日 (火)

あざみの歌

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:横井弘、作曲:八洲秀章、唄:伊藤久男

1 山には山の愁いあり
  海には海のかなしみや
  ましてこころの花園に
  咲きしあざみの花ならば

2 高嶺(たかね)の百合のそれよりも
  秘めたる夢をひとすじに
  くれない燃ゆるその姿
  あざみに深きわが想い

3 いとしき花よ 汝(な)はあざみ
  こころの花よ 汝はあざみ
  さだめの径(みち)は果てなくも
  香れよ せめてわが胸に
  あああー

《蛇足》 詞は、昭和20年(1945)に復員してきた当時18歳の横井弘が、家族が疎開していた下諏訪・霧ヶ峰八島高原で、アザミの花に自分の理想の女性像をだぶらせて綴ったものといわれます。
 八島高原には、この歌の歌碑が建っています。

 八洲秀章が作曲した歌がNHKのラジオ歌謡に採用され、昭和24年(1949)8月8日から放送されました。レコード化は同26年(1951)8月でした。

(二木紘三)

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コメント

何時もお世話なっています。
青春期の歌
特に、あざみの歌と川は流れる/この曲には
私自身の心と身体をともに聡明感に浸し
過去を清め生きる為の献花曲です。

老いて
今なおこの歌(あざみの歌)の曲と同じ
心境にいる自身に人生最後の清き恋を
謳歌させる曲になっています。

これからも良きアドバイザ-として曲をつくり
曲に対するコメントを多く切望します。
二木様より少し年齢が下ですが、二木様の
コメントが大好きな私です。


投稿: 中家 忠夫 | 2007年8月28日 (火) 23時28分

MID歌声喫茶の方にはあったのですが「うた物語」の方に、いつ採録されるかなあ、と首を長くして待っておりました。ありがとうございました。
これは戦後の私の原点を私に突きつける歌なのです。柏崎の在の村で過ごした昭和25年のさまざまを思い出させ触発してくれるのです。予科練帰りの先生、兵隊の雑嚢の通学かばん、襟章をもぎ取った兵隊服の青年、でも何だか空だけは青かった、何かが始まろうとした予感のようなものがありました。書けばきりがありません。また「あざみの歌」を聞きながら、来し方行く末を考えます。

投稿: 菅原 主 | 2007年9月 1日 (土) 16時37分

アザミの歌をWALKMANに落として聞く、などと言うことが許されるのでしょうか?また許されるとしたら、どんな方法がありますか?

投稿: 菅原  主 | 2008年3月27日 (木) 14時09分

 また、涙を流し、自らの過去に関係したこの曲について話させていただきます。
 以前より大好きな曲であり、抒情歌の至極の名品です。格調高く、理想を歌い上げた歌---他に言葉はありません。

 人生多難、生きることの難しさをいやというほど味わっていた時代があります。今も掛け値なく苦しい時期ですが、その時は、小生にとっては地獄に落とされた時、地獄でもがいていた時と表現できるでしょうか??
かれこれ5年になります。とある不祥事の為、以前の診療所を閉鎖せざるを得なくなったのです。しかし、前向きにいこうと決心し、現代医療とは対極にある、四国のとある病院に勉強をかねて勤務することにしたのです。
 とある病院とは
   重症のアトピー患者
   癌の末期患者
   膠原病・神経疾患などの難病の方々のあつまる
        ところでした。

 現代医療ではどうしようもない、また 不信感 をいだいた  また みはなされた  方たち が全国から集まるところでした。

 お分かりのように、最も大変なのは予後を宣告され、幾ばくもない命の延命、万が一の病気の治癒にかけて遠いところをこられる末期癌の方たちです。西洋医学ではありません。癌に関しては、副作用だけが表に出て効果の少ない抗癌剤治療などはしないのです。漢方的アプローチも含めて、少しでも患者さんの結果に満足の得られるよう加療するのです。
 その病棟での話です。愛知から来ておられた初老の奥さんがおられました。みなさん生きれる方法を探しにきておられるのです。  その枕もとに「アザミの歌」と書かれた色紙がありました。興味があり、どうしたのですかとお聞きすると、地元のカラオケクラブの名です。激励でいただいてきました--との返事でした。まだ勤務して直ぐのころ、どうしようと考えたわけです。病院から少しはなれた海岸べりにカラオケボックスがあることはつかんでいましたので、事務長にかけあい、病院の車を動かし、何人かの希望者と歌いに行ったのでした。もちろん、その方もご一緒されました。何曲かずつ歌い、最後に「あざみの歌」を合唱したのを、つい昨日のように覚えています。
 それぞれ延命はされましたが、今はなく--この曲を聴く度、皆さんのことが思われ、不条理な病に対する反発と、われの力のなさ、また人生の悲しさを痛感させられるのです。

 老人医療制度がどんどん後退し、皆さんに医療福祉の分野でも、つらいきびしい時代が続いています。我々のできることは何なのでしょうか??この世知辛い世の中でも、真の心、誠意だけは伝わるものと信じ一歩一歩、歩いていきたいとかんがえています。

投稿: 能勢の赤ひげ | 2008年4月 6日 (日) 21時15分

能勢の赤ひげ様。。。
仕事の中でなにげに流れていく事もあれば。。。重大な難事に遭遇してしまうこともあると言うことが、赤ひげ様のお話で頷けました。
仕事に、他の事でもですが。。。前向きになればなるほど悩みと言うか、自分が対処して行かなければならないことが湧き上がってくることがありますねぇ。
今。。。無職の私ですが。。。仕事をしている時は同じように悩みの日々もあったように感じます。
赤ひげ様のコメントの深い所にある意味を考えていつも心打たれるような。。。そんな気がします。

投稿: sunday | 2008年4月 7日 (月) 06時38分

 sunday様

いつも、温かいお返事をいただきありがとうございます。生きること、自分の理想に向かうことは、ほんとうに難しいですね。お返事いただけるだけで、強く励まされます。心から感謝しております。
 大場様とも何度か、コメントでやりとりさせていただきましたが、父の早世という大きな事件がーー何故か共通の考え方、感性につながっているのでしょうか?? いろいろ共鳴できるのですね。皆様とこういう場でいろいろな意見を交換でき、まだ見ぬ方々と「とおりいっぺん」ではない感じのつながりのできること、ほんとうにうれしく思っております。友情あふれた長年の知己のようにーーー
 sunday様は、息子さんと、とりあうかのようにこのサイトを聴いておられるとか。ほほえましい場面が想像され、こちらにまで暖かい風がそよいでくるようです。いいですね。よい親子の関係は。   では、また

 二木先生 いつも有難うございます。私的なことも多いと反省はしております。今後ともよろしくお願いいたします。

投稿: 能勢の赤ひげ | 2008年4月 7日 (月) 13時30分

   都会にて野あざみの道たどりをり  (拙句)

 私が生まれた昭和24年そして翌25年には、『さくら貝の歌』『水色のワルツ』など、叙情歌の名曲が数多く発表されました。おそらく「叙情歌」というものは、世の中が安定した時でないと生まれにくいのだろうと思います。
 その頃には、戦後の復興もようやく軌道に乗り始め、菅原主様のコメントのように「何かが始まろうとした予感のようなもの」を、国民誰しもが抱いていた時代だったのではないでしょうか。そんな時代背景の中で生まれた叙情歌の数々…。分けても、この『あざみの歌』と『白い花の咲く頃』は、共に日本的原郷風景を謳い上げた、間違いなく戦後叙情歌の中でも出色の名曲だと思います。
 私が『あざみの歌』を知ったのは、小学5年の頃だったろうと思います。当時お世話になっていた母子寮の40代の男性職員が好んで歌っていた歌らしく、母らがその人から教わり、母からさらに教わって覚えたのです。
 この歌全体の情景そのままが、私の郷里の風景と分かちがたく結びついていて、当時のことが懐かしくよみがえってまいります。

投稿: 大場光太郎 | 2008年4月19日 (土) 19時33分

なんてステキなんでしょう。何度も何度も繰り返し聴いて、今までの無感動の日々にピリオド。ここに辿りついて良かった。有難うございます。何だか涙も出てきます。

投稿: 古都●●美 | 2008年7月30日 (水) 11時14分

昭和17年生れ 7人兄姉の末っ子で小さい頃は姉たちの歌う歌謡曲を聞いて育ったので、この唄も好きな曲でた。
先だって諏訪湖畔の温泉に泊まった翌日に、二木先生のこの歌の紹介文を思い出し、居ても立っても居られず妻がぶつぶつ言うのを無視して、諏訪湖畔からのだらだら登り坂の細い山道を車でいっきに霧ヶ峰高原まで駆け上がり八島湿原の歌碑を見て来ました。もう秋口なので歌碑の周りに伸びたあざみの花は枯れていましたが、湿原を巡る同年配の散策者の多い中、思わず遠い湿原を眺めながらこの歌を口ずさんでいました。  私の一番好きな曲になりました。

投稿: 武田 久信 | 2008年10月25日 (土) 00時32分

作曲者の八洲秀章先生のご子息であり、劇団四季の俳優として数々のミュージカルに出演され、退団後の現在も舞台で活躍されています沢木順さんと、偶然の知己を得、そのリサイタルの場等にて「さくら貝の唄」共々、機会あるごとに拝聴させていただいております。

たまたま沢木さんの四季時代の友人で、同じく俳優の濱畑賢吉さんが、中国戦線に出征した高知出身の兵士と、現地で捕獲した野生の豹の子供との交流を描いた物語
「戦場の天使」という童話を出版されまして、そのプロローグとエピローグに「よさこいと兵隊」(南国土佐を後にして)が用いられておりましたことに、土佐出身者として大変興味を持ち、検索を重ねたところ、こちらにたどり着くことが出来ました。

戦後も二桁(30年代)の生まれですが、育った環境が街中の歓楽街のど真ん中ということでもあり、軍歌、戦時歌謡、及び戦前・戦後の流行歌(所謂ナツメロ)を子守唄代わりに聴かされていたようで、「廣瀬中佐」「水師営の会見」「戦友」から「誰か故郷を想わざる」「街のサンドイッチマン」等々、膨大なレパートリーとして刷り込まれました(笑)。

リズム偏重で、殆ど「騒音」としか認識できない昨今のラップ系などの音楽と違い、叙情歌というものは世代を超えて歌い継がれていって欲しいものです。

また殺伐としたインターネットの書き込みが氾濫する中にあって、温かみのある文章で綴られたこちらのページは、一服の清涼剤としてまさに「高原の清清しさ」を感じる次第でございます。

若輩者の戯言ではございますが、とりあえず感動をご報告まで。

投稿: 連絡船 土佐丸 | 2009年2月 6日 (金) 20時28分

あざみの歌、いいですね♪

この曲は学生時代に覚えました。
しみじみと歌うのも素敵ですが、こちらで音を聴きながら
歌詞を追っていくのも味わいがありますね。

二木様の解説がまたグッと心に沁みました。
八島湿原方面はよく訪ねます。高原に咲いていた鮮やかな
あざみと”理想の人”とを重ねた横井少年の想いー。

”あざみは”復員してきた18歳の少年の揺るぎない
希望だったのでしょうね~。


私はフルートを趣味にしています。
今月、高齢者施設で演奏ボランティアを予定しているの
ですが、この曲をフルート用にアレンジされた楽譜で演
奏します。

歌詞を大きく書いて高齢者の方々にも歌って頂きます。
もちろん二木様の解説もご紹介させていただきますね。

投稿: やまゆり | 2009年5月19日 (火) 23時31分

二木様 いつも心の洗われるような歌と絶妙な解説・コメント ありがとうございます。

小生は何故かこの「あざみの唄」と「青春日記」が心に強く切なく響くのです。

その昔、苦学生だった(今でも貧乏ですが)頃、医学か工学かいづれの道にすすむべきか迷いました。 医科に進学すれば24歳まで結婚生活を迎える資力は不可能だし、一時は工学に進学して、思いを寄せていた女性と・・・とも考えました。医学に進んで、結婚を待ってくれるようにとは到底言い出せなかったのです。 

甲斐性のない小生は、その女性を諦め、医学の道を選び、奨学金とアルバイトをしながらやっと医師になりました。 その時にはすでに彼女は他家に嫁いでいました。 自分の不甲斐無さがいやになったときもありました。

すべてを忘れるために、仕事に勉強に打ち込みました。 でも何故か、「あざみの唄」と「青春日記」を聞くと、目頭が熱くなるのを抑えることが出来ません。 

同時に、
「君に似し 姿を街に 見る時の 心踊りを 哀れと思え」 
「かの時に云いそびれたる 大切の言葉 今も胸に残れど」 
「かの時に 我が行かざりし 分去れの 片への道は いずこに行かん」
の三首が頭をよぎります。(いづれも盗作模倣)

昨年、 50年振りの同窓会で 彼女に会い、 幸せな暮らしぶりを知って、少しは安堵しましたが、 反面、複雑な気持ちになりました。 彼女もそれに気づいてくれたような、詰っているような仕草が見られました。

「あざみに深き 我が想い」
「さだめの途は 果てなくも 香れよせめて 我が胸に」
この世で 所帯を持つことが叶わなくても・・・、

二木様 今後ともよろしく 老体にも青春を送り続けてください。  お元気で


投稿: 還暦医師 | 2009年8月12日 (水) 01時54分

はじめまして。私は、長く合唱を愛好し、以前は音楽教師をしていたこともある者です。現在は、家で細々と、子どもたちにピアノを教えたりしております。
 子育てが一段落した頃、地元の女声合唱団に入れてもらい、合唱を再開しました。その団では、高齢者施設へのボランティアへよく行くのですが、その関係で、この「あざみの歌」を知りました。とても美しい哀愁を帯びたメロディに心惹かれ、すっかりファンになった私...。
 その後、私の実母が入所した、小さなグループホームへは、私が一人で、月一回のペースでボランティアに行くようになりました。そこにあった今時珍しい「足踏みオルガン」を鳴らしながら、皆さんと一緒に歌を歌う時間を過ごしております。
 ちょうどアザミが咲く季節に、この歌を採り上げると、やはり大人気で、必ず涙をこぼされる方もいるようです。
 歌にまつわるエピソードなども、話して差し上げているのですが、手元に資料のない歌の時は、よくこちらの二木先生のサイトを利用させていただいております。わかりやすく、しかも深い内容に、読みふけることがしばしばです。(^^;)これからもお世話になると思いますので、よろしくお願いいたします。m(_ _)m

投稿: アランフェス | 2009年9月 1日 (火) 13時34分

どのような曲のリクエストが多いのかと月間アクセスランキングの更新も楽しみにしています。

7月18日から12月14日までの全ての月にランクインした曲は12曲で、順位は次の通りでした。

①あざみの歌       ②ああ上野駅
③ああモンテンルパの夜は更けて ④旅の夜風
⑤浜辺の歌        ⑥誰か故郷を想わざる
⑥鐘の鳴る丘       ⑧哀愁列車
⑨青い山脈        ⑩サーカスの歌
⑪赤いハンカチ      ⑫北上夜曲
  
不思議なことに12曲全てが、2007年にアップされているんですよね。
2年以上の歳月にかけて上位にリクエストされる歌は、人それぞれの思い出が沢山あるのでしょう。
良い歌ばかりです。

投稿: かんこどり | 2009年12月26日 (土) 10時00分

八州秀章の曲をもし一言で表現するとすれば”清らか”ではないでしょうか。「毬藻の唄」、「さくら貝の唄」「山のけむり」、どの曲を聴いても心が清々しくしくなります。
昭和40年代、長野県の木島平というスキー場に友人達と行きました。当時はどこのスキー場でもフランシス・レイの「白い恋人たち」の音楽が流れていましたが、ここのスキー場では「カヤの平の紅い花」という歌が流れていました。甘く、切ない哀愁に満ちたこの曲が1回聴いただけで好きになり、ソノシートを購入して帰りました。今でもこの曲を聴くと「ハイキング、スキー、キャンプ、海水浴、ダンスパーティ、歌声喫茶」等、友人達と過ごした若きあの日を思い出します。
この曲の作曲は”八州秀章”でした。ご当地ソングをよく作曲されていたのでしょうか。このような素晴らしい曲が世の中に知れられていないのはとても残念です。長野在住あるいは出身の方でお聞きになったことはありませんか?二木先生も長野出身とのことですがお聞きになったことはありませんか?
詩を紹介させて戴きます。

「カヤの平の紅い花」 唄:伊藤あつし
 作曲:八州秀章
 作詞:宮本旅人

1.牧場のみちに よりそうて
  ふれ合う肩の いとしさよ
  ああ~ 幸せにうるむ瞳よ
  ゆれている ゆれている
  カヤの平の紅い花
2.信濃の乙女 初恋の
  キャンプの夢よ 唇(くち)づけよ
  ああ~ 白樺の森のロッジに
  鳴いている鳴いている
  カヤの平の紅い花
3.別れといえば この胸に
  頬うちつけて きみは泣く
  ああ~ 青春の遠い山脈(やまなみ)
  光る雲光る雲
  カヤの平の哀愁よ

私は2番の詩が特に好きです。「水色のワンピースが良く似合う、髪の長い、色白の ほっそりした、麗しき人は今どこにいるのでしょうか?・・・・・・・・・・・・
ゴメンナサイ、私の妻となっています。(でも今は昔の面影は全くありません。)

投稿: 荻原 敏章 | 2010年1月11日 (月) 17時40分

”うた物語”を想いで深く、沢山の曲を聞かせて頂いております。先日、アラウンドセヴンティの仲間と小旅行をしてきました。その折、昔音楽を教えておられた女先生に”あざみの歌”をリクエストしました。人目を憚る事無く、その歌詞と歌声に、今は亡き妻を偲び号泣しました。この歌を何回聞いたことでしょう。聞くたびに涙するのに、また聞きたい。聞きたい衝動に駆られるのです。そしてまた頬を伝わるものがあるのです。これは何なんでしょう。妻と唄った歌を幾曲も聞き、写真を前にし歌っております。二木先生のすばらしい解説文を声を出して聞かせてあげています。

投稿: 妻を恋ふる独居人 | 2010年4月 9日 (金) 16時41分

二木様の素晴らしい解説をいつも楽しく読ませていただいております。地域のデイサービス施設で「歌の出前)を始めて4年、6月29日で60回目となります。隔週火曜日に毎回童謡、唱歌、歌謡曲、民謡などを30曲選曲し、二木様の解説を参考にしながら、認知症、がんの末期症状、脳血管障害等のご利用者と一緒に歌っています。6月29日の第60回目の「歌の出前」では「あざみの歌」も選曲しました。

投稿: 三澤 洸 | 2010年6月27日 (日) 14時07分

昭和17年生まれの私は、子供のころからこの歌を何回も耳にし、心の中の思いを歌ったきれいなメロディーだと感じていました。
定年後に家内の伴で、歌を歌うような会に行き、今でも歌われているのを知りました。
作曲家の八洲さんが、この他にも沢山きれいな曲を作ったこと、私が子供の頃に観た映画「ドレミハ先生」で若い熱心なやさい先生を主演したことも分かりました(さくらが満開の城跡で歌を教えていたシーンと主題歌が、今でも印象に残っています)。
今年は、八洲さんの没後25年ということでコンサートも計画されているようで、私も行こうと思っています。
ファンの方が多いようですので、「さくら貝の歌」のコメントに情報を記入して置きました。

投稿: 鈴木昌国 | 2010年8月17日 (火) 11時18分

初めまして。こんなに時を過ぎてしまったページに申し訳ございません。今日は我が子を思い、この歌が心に響き、どうすることも出来ずにいたらここにたどり着きました。
生き下手で、心の安らぎを求める息子は今、現実の厳しさに一人、立ち向かっています。もう、めげそうな立場を必死に立っています。要領のよい子には何でもないことなんですが、とにかく傷つきやすい子、自分自身でもどうして良いかわからないのです。

底から逃げ出せば何でもないこと、しかし、それは自分の敗北も認めること。生きることも出来ない要領の悪い自分自身が情けなくって仕方無いでしょう。

一人親の私にはどうしてやっていいかわかりません。
この歌が私に語りかけるのです今日は。
♪~
・高嶺のユリのそれよりも 秘めたる夢を 一筋に…

・定めの道は果てなくも 香れやせめて わが胸に…

息子の胸の内にはいつもこんな秘めた思いが一杯。
そんな子が苦しんでいる、、何もしてやれない母親の秘めた思いもこの子の幸せだけ…

どうぞ、どうぞ、、、
この歌のような思いを心に温くめて頑張って欲しいと思います。ここに巡り合えてうれしかったです。

投稿: nago | 2010年9月10日 (金) 17時54分

nago様
私は、あることで苦しんでいた高校3年のとき、もう亡くなってしまった友人から、ゲーテの次の言葉を贈られてずいぶん楽になったことがあります。

「生き続けていけ。今にきっとわかるだろう」

私もこの言葉をご子息に贈りましょう。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2010年9月10日 (金) 20時09分

二木先生 ご無沙汰しております。時は矢のように過ぎ、 ここ能勢の里には、コスモスが疎らに咲くのが見られる季節となりました。 まだまだ気温は高いですがーーー。

 好きな曲にコメントがあるので、開けさせていただいたのですがーーー途端、涙が噴水??のように出、
  大層、困惑しました。(兎の眼で仕事にはいった次第です)

 nago様の、子を思う親心、強く強くうたれました。
社会にでても、人と上手に処していけない。つらいことですね。でも、また、多くあることです。自分さえよければいい、金さえあれば幸せ、といったような我々団塊の世代から考えると何故だろう、どうしてそうなったのたろうという人たちの増えてしまった社会、どうすれば弱きものに、そっと手をさしのべることができるのでしょうか。
 本来、日本人に備わっていた弱者をいたわり助ける気持ち、惻隠の情はどこへいってしまったのでしょう。

 自らの反省とともに、明日からの仕事の一助とさせていただきます。

         能勢の赤ひげ

投稿: 能勢の赤ひげ | 2010年9月12日 (日) 19時56分

nago 様
 
 差し出がましいとは思いますが、わたしが生きる勇気をもらった詩に『心に太陽を持て』(山本有三訳詩 ツェーザル=フライシュレン原詩)があります。確か小学5年か、6年ころに習った国語の教科書にあったものですが、未だによく覚えています。とくに3連目の「くちびるに歌を持て 勇気を失うな。心に太陽を持て」、「そうすりゃなにが来ようと平気じゃないか」の行は当時も、今も心に響きつづけています。全文をここに紹介すればいいのですが、紙幅の関係で割愛しますので、お知りになりたければ「心に太陽を持て」で検索してくだい。
 また、「くちびるに歌を持て」の通り、何百万、何千万の方々が、二木様のこのサイトで心癒され、励まされています。あなたが『あざみの歌』で勇気と癒しをいただいたように、ご子息にも生きる勇気と希望をあたえる歌を、是非プレゼントして上げてください。僭越ですが、わたしがご子息にお贈りしたい歌は『若者たち』です。このサイトにありますので、よかったらアクセスしてみてください。ご子息が一日も早く心やすらかな日を迎えられるといいですね。


能勢の赤ひげ 様

 お久しぶりです。しばらくコメント欄にHNが見受けられなかったので、お身体でも悪くされたのでは、と案じておりました。あるいはお仕事の関係で疎遠にされていたのかも知れませんが、これからまた、心温まる『能勢の赤ひげ節』(失礼!)が拝見できそうですね。心待ちにしております。
  
 

投稿: ひろし | 2010年9月16日 (木) 14時46分

我が子を心配された母親のコメントに未経験の小生が何か申し上げるのは差しで増しいとは思いますが、このお子様には自信をつけてやる事だと思います。その為には
母親が見本を示し、子供のやる事を観察する。
「心のやすらぎ」を求める子とあります。易し過ぎる子
なのですね。失敗を恐れるともあります。母親が失敗して見せたらとも思います(笑ってすます)。自分の敗北を認めることになるとも。これは成し遂げた事がそれ以上の喜びに変われるなら明るく明るく未来は拓ける物と
思えないでしょうか。

投稿: 世世 | 2010年9月17日 (金) 22時18分

 ひろし 様

僕のような、考えのない下手なコメントにも、気にとめていただき、身体のことまで案じていただいてた由
 ---恐縮です。また、感謝しております。
日々いろいろなことがありますが、「患者さんと向き合うに、医師が健康であることがまず第一」の信念のもと、健康には、留意しております。

人生の先達のひろし様の文章に感動し、涙するまま
 月見草の花 に恥ずかしいようなコメントを続けさせていただいたこともございました。

今日も偶然に、あざみの歌のコメント欄の最初の方で書かせていただいた「四国のとある病院」に入院中の方の家族の方とお話しておりました。ほんとうに、不幸な、思い通りにいかない方々は多いです。僕の力など無いに等しいですが、少しでも役にたてるようがんばっていく所存です。  ひろし様 有難うございました。

 また、この場をお借りして

 やはり、月見草の花で
僕のことを過大に褒めていただいたBianca 様、ほんとうに有難うございます。世渡りの下手な自分ですが、
 ---不器用に、がんばっております。

また、考えのない子供のようなコメントをすることもあると思います。そのときは、能勢の泣き虫、また泣いているなーーーと流してください。お願いいたします。
 


投稿: 能勢の赤ひげ | 2010年9月17日 (金) 23時10分

 皆様のブログですので、私信の交換は出来るだけ避けたいのですが、一言コメントさせてください。

 能勢の赤ひげ 様

 あなた様のように患者の気持ちに寄り添い、黙々と現場で「医は仁術」を実践されている医師は多いはずですが、時に医療ミスや「算術医」がメディアによって取り上げられ、医師不信を増幅させている昨今の状況があります。お辛いとは思いますが、どうか逆風に負けず、ご健勝にてご活躍されますよう祈念いたしております。 

投稿: ひろし | 2010年9月20日 (月) 10時50分

初めまして。
あざみの歌の歌詞を検索してここへたどりつきました。
私の拙いブログ記事へこの歌の歌詞や二木さまの文章も掲載させていただきたく思います。
もし、不都合があれば削除致します。
記事はこちらです。
http://blogs.yahoo.co.jp/wafukukoubouhisae/52063360.html

よろしくお願い致します。

投稿: ひさえ | 2011年9月 7日 (水) 11時30分

いつも《蛇足》を拝見して、二木先生の哀愁の漂う、お心の深さに、魅力を感じます。アザミの歌を聴き、遠い日の初恋を思い、はじめてここに書かせていただきました。当時17歳の私は、歌が好きで夜間に音楽学校に友達と通っておりました。生徒だった、4歳ほど?年上の男性が好きになりました。恥ずかしくて、顔も相手が気づかないときにそっと、見るだけ、ましてや、話しかけることなどできません。私の知らない間に、友達は私の思いを彼に伝えて、二人だけで会う機会をつくってくれました。その日、彼から婚約者がいることを知らされました。今なら、4歳ほどの違いなんてなんでもないことですが、学生の私には、社会人の彼とは大きな隔たりを感じていましたので、恋人があって当然だと思いながらも、悲しみから立ち直れませんでした。後日、彼から来たお手紙に、こう書かれていました。恋愛感情はないけれども、野に咲いた清く、可憐な花を、誰もが立ち止り、じっと見る・・・そんな思いで僕も君を見てきた。社会人の僕は、けがれた人間で君には近づくことはできないーー。私は、音楽学校をやめ、修学旅行の船から、何枚かいただいていたお手紙を、瀬戸内海に散らして、絶対に結婚はしないと、心に決めました。けれど、それから3年後ーー生まれ変わることがあったら、再びこの人と、と思えるほどの、夫に恵まれて、幸せな日々を送っております。だからでしょうか、50年も過ぎた今も、アザミの歌を聴いては、初恋の日のことを、もの悲しく追憶してしております。お手紙で、野の花にたとえて、心を伝えてくださった彼によって、きれいな初恋の思い出になりました。あの人は、この歌を静かに、あじわい深く歌っていらっしゃった・・・きのうのように、浮かんできます。

投稿: まゆこ | 2011年10月19日 (水) 02時14分

 子どもの頃からの「歌好き」で、一時は歌手を夢見たこともあった私ですが、その後「合唱」と出会い、やがて中学校の音楽教師を経て、今は自宅でピアノを教えたりしている者です。
 ここ数年は、母がお世話になっている高齢者施設へ、ボランティアで、月1回のペースで「歌の時間」のために行ってるのですが、歌の解説等の資料集めの際は、よくこちらのHPを利用させていただいております。(^^;)ゝ
 そこでの話ですが、毎年「あざみの花」が咲く頃の季節に、この歌を採り上げるのですが、いつも大好評で、「朗々と」歌ってくれる入所者の方もおられる現象に、こちらが驚かされる思いです。
 この曲は、所属している合唱団で知った歌で、私も「なんてステキな歌なんだろう!」とファンになりましたが、リアルタイムで知っていた方々にとっても、大人気の曲だったようですね。

投稿: アランフェス | 2012年6月21日 (木) 03時55分

私の好きな詩です。
しかし、
こんな詩が作られる環境に
自分の身を置きたいとは思いません。
山には山...海には海...大仰な文句...
こんな言葉が出て来る心境...
現代からすればバカです。アホとしか言い様がない。
もし、今の時代にこの詩が発表されたなら...袋叩きでしょう。
時代が作る詩とは言え、余りにも悲しすぎる。
一生に一度はこんな詩を作りたいと思う反面、
作らなくてもいい、我が身の幸せを感謝したい...
by 疾風

投稿: 疾風 | 2013年1月 3日 (木) 23時48分

疾風様
 この歌詞をよく読めばそんなに強い不幸を感じることが無いように思います。心に秘めた濃紫の美しい薊の花のような女性に深く思いを寄せています。その切なさは山の愁い、海の愁いにも匹敵する程だと言っているのではないでしょうか。俳句には山笑う(春の季語)山眠る(冬の季語)があります。貴方流に言わせると大げさなと思われるかも知れませんが日本独特の文化です。山の愁い、海の悲しさがわかるほどの深い恋をしてください。今の時代の様な軽い恋は本物の恋ではありません。一生を通して愛すること、深さが違います。言葉の裏にあるものを感じ取る心が豊かに生きる糧になるのです。私に言わせれば昨今の歌の歌詞の方が中身がなくバカかアホに近いと思います。

投稿: ハコベの花 | 2013年1月 4日 (金) 11時16分

 
疾風さま
 私は推理小説、サスペンス小説好きの男です、昨日『八点鐘がなる時』を読み終え、このブログであなたの文章を見つけました。失礼ながらあなたの文章は、どこか分裂していますね。
というのは「あざみの詩」を
>私の好きな詩です。
>一生に一度くらいはこんな詩を作りたいと思う
とこの詩をみとめながら、一転してマイナスの評価、「不幸な時代が作り出した悲しい詩」といっています。しかし、そこでやめておけば、私も「そんな受けとめ方をする人もいるのかな、人生いろいろ、人間もいろいろ(島倉千代子)」と思ったでしょう。
しかるに
>山には山、海には海、大仰な表現、
>現代からすればバカです、アホです、、、今なら袋叩きです。
とこっけいなほどのけなし文句が続きます。それで私はあなたのことを、文章の作り方がおかしい人というよりも、作詞家横井 弘のおそらく最高傑作の一つともいえるこの歌を貶して、読者皆さんの反応を見ようとしているのではないのかなと思いました。
「一生に一度くらいはこんな詩を作りたい」と思う人から、こんなけなし文句がでるはずがないというのがを私の論拠です。「大仰な」「袋叩き」ということばも、今の若い人はあまり使わないからあなたは50~60代の方でしょうか。
 もし私の推理が外れていたら、反省してシャーロックホームズからまた読み直します。

投稿: 越村 南 | 2013年1月 4日 (金) 14時38分

このサイトで花を唄った曲は多々ありますが、「エリカの花散るとき」「からたち日記」「くちなしの花」「黒百合の歌」「恋のアマリリス」「秋桜」「さざんかの宿」「シクラメンのかほり」「鈴懸の径」「マロニエの木陰」「リラの花咲く頃」皆選んだ木や草も良いが詞も綺麗ですね。先生が「りんどうの花咲けば」の解説に書いておられる「身辺から自然が遠のくにつれて、草の花や木の花に託す人の思いも希薄になったのでしょうか」その通りだと感じています。

投稿: 海道 | 2013年1月 7日 (月) 20時21分

この詩を作った横井弘氏は18歳の復員兵なんですね。「海ゆかば、水漬く屍、山ゆかば、草生す屍」とや、若山牧水の「山を見よ、山に日は照る、海を見よ、海に日は照る、いざ唇を君」とか佐藤春夫の「野ゆき山ゆき海辺ゆき・・・・」とかの詩歌世界に親しんでいたのではと思います。わが胸の思いを述べるとき、海とか山とかを例にあげることはごく自然で、ここは先人の感受性の豊かさに思いをはせる場合ではないでしょうか。

投稿: Bianca | 2013年1月13日 (日) 19時37分

「あざみの歌」は伊藤久男の歌唱で幼少の頃よりラジオなどでよく聴いてました。ただ私の故郷には「オイランアザミ」という、葉がやたら厚く、そしてトゲも太く、刺されたら半端な痛さでないアザミが多かったのです。その頃は山地に植生する「ノアザミ」類を知らなかったのです。「オイランアザミ」の花も赤紫色で美しいのですが、痛いトゲの恐怖感から、「あざみの歌」にしっくり馴染めなかった想いがあります。
葉を「ツクダニ」として食用にします。当時は美味しいとは思わなかったのですけど、貴重な食材でした。
(蛇足)のところのイラストが「あざみの歌」のモチーフなんですね。ノアザミ、ノハララアアザミ…etc.
多感な青年期の叙情詩は、本当に素晴しいです。
横井弘は後年は、人々の、その日その日の暮らしを愛情をもって詞を創作してますね。ご存命です、お元気で。

投稿: かせい | 2013年1月14日 (月) 00時40分

私が「あざみの歌」を口遊み始めたのは、大学のサブゼミでグリークラブに所属していたゼミナリステンが愛唱し、感動を覚えてからです。萩の町は、昨日・今日と素晴らしい天気でした。自宅から維新ロードまでの20mの畦道に今、あざみとタンポポの花が競って咲いています。二木先生の棚田を背景とした、あざみも素晴らしいですね!季節に聴く「あざみの歌」は、また心を清らかにします。

投稿: 夏橙 | 2014年4月15日 (火) 20時48分

二木先生
間をおかずの投稿をお許しください。
この歌に対するコメントの多さは群を抜いております。
一定の年齢以上にとっては心の歌、国民的愛唱歌とも言えますね。美しい日本語と哀愁のメロディーに涙が込み上げてまいります。29年前42歳で他界したすぐ上の姉もこの歌をこよなく愛しておりました。楚々とした可憐な容貌を羨ましく思っていたりんごです。美人薄命を痛感。
姉は就学前に子のない叔母の養女となり姉妹の実感のないままに成長。従妹以上、姉妹未満の距離感を埋められないままに他界。老境の今、存命なら距離感も消えていたと思うにつけ寂しさが募ります。

ハコベの花様
コメントに共感致しました。

投稿: りんごちゃん | 2015年1月27日 (火) 17時03分

二木先生 いつもありがとうございます。
昭和34年ころ高校の友人が歌声喫茶でうたわれているよと、この曲を教えてくれました。 友人の兄弟は五人で、両親とともに合唱しているといいました。当時そのような明るい家庭もあるものだとうらやましく感じました。
それ以来持ち歌として口ずさんでいます。 近時歌のコンクールがあるので出場予定です。 しばらく途絶えていた年賀状がとどきました。 

投稿: 河嶋 国盈 | 2015年7月 3日 (金) 20時51分

「あざみの歌」、叙情性豊かな歌詞を作った横井弘が先日他界されましたね。 三橋美智也の「哀愁列車」「達者でナ」「赤い夕陽の故郷」や仲宗根美樹の「川は流れる」、倍賞千恵子の
「下町の太陽」「おはなはん」などetc……。たくさんの素晴しい作品をありがとう…と改めて感謝したいと思います。
 好いた惚れたを前面には出さない、けど心に充分沁み入るような温かい歌詞が好きでした。…合掌。

投稿: かせい | 2015年7月 4日 (土) 00時41分

「あざみの歌」は何度聞いても心が打たれる名曲ですね。しかし私にはこの歌にまつわるほろ苦い思い出があります。
この歌が世に出たころは私は8歳だったと記憶しています。
当時私は茨城県の山里にある小学校に通っていました。小学校時代、何の変哲も無く、これといった楽しみも無かったのですが、一年に一度の秋の遠足が唯一の楽しみでした。
 遠足と云っても今のように乗り物に乗って旅行するといったものではなく、ひたすら歩く、文字通り遠足でした。
ある遠足の時のこと、私は道端に咲くあざみを見ながらラジオで覚えたばかりの「あざみの歌」を口ずさみなら歩いていました。覚えたといってもメロディ、歌詞を全部知っていたわけでなく、何小節かを繰り返し唄ったのですが、周りの級友たちの感嘆の気配を感じながら得意満面でした。
ここまでは楽しい思い出として残ったでしょう。しかし・・。
 次の登校日の昼休みの時、担任で遠足を引率した教師(眼鏡をかけた美人の先生で子供ながらあこがれていました)に音楽室に来るよう呼び出されました。
 不安に駆られながら音楽室に入るとオルガンの手を止め私に、「遠足で唄っていたあざみの歌を教えてほしい」というのです。
 困惑と嬉しさで複雑な思いで、無言の間が過ぎましたが無実は知らないとついに言えず熱心に教えを乞う先生に対し、「いやだ!」とはねつけ音楽室を飛び出してしまいました。
今になって思えば教師はプライドを捨て年はかない教え子に教えを乞うのは余程この歌が好きで早く覚えたかったに違いありません。
今でも、確実に覚えて教えてあげることができなかった悔しさと、どうしてあの時素直に「実は知らないので教えられない」と云えなかったのかーほろ苦いの残る思い出です。

投稿: 蜩の啼く里 | 2015年7月 9日 (木) 02時25分

久しぶりにこの歌のコメント欄を再読して改めて胸を打たれました。二木先生の「nogo」様に対してのご助言に思わず胸が熱くなり涙が込み上げました。当節のどんな小説によりも感動的です。先生の悩める者への優しいまなざし、お心に共鳴致死ました。
nago様

「 私は、あることで苦しんでいた高校3年のとき、もう亡くなってしまった友人から、ゲーテの次の言葉を贈られてずいぶん楽になったことがあります。

「生き続けていけ。今にきっとわかるだろう」

私もこの言葉をご子息に贈りましょう。(二木紘三)」

このサイトを知ってから一度もお会いできない
能勢の赤ひげ様にも思いをめぐらすりんごです。

投稿: りんご | 2015年7月17日 (金) 06時00分

アザミの花は思い出の花ですし、大好きな花なので何回も花壇に植えてみたのですが棘の痛さに耐えかねて植える事を断念しました。棘があってこそのアザミなのかもしれません。棘は私の性格に似ているようで棘を取ったら私ではなくなるかも知れません。夫に言わせれば「お前は花まで棘だ」と言うかも。ところでりんごさん「あざみの歌」の朝日新聞への投稿、すぐ貴女だと気が付きました。良かったですね。おめでとうございます。

投稿: ハコベの花 | 2015年7月19日 (日) 11時36分

このサイトで二木先生はじめ人生の先輩方や同輩のコメントを読ませていただくのが何よりの癒しとなっております。自分の知らなかった歌も知ることができました。
皆さま、ご自分の人生を歌に重ねておられ心に響きます。
当節の薄っぺらな小説を読むよりも得難いものが得られます。
ハコベの花様
あざみの花は山野の花ゆえに庭には根付かないのでしょう。私も姫小百合やショウジョウバカマなどを幼少より裏山から移植したが成功しませんでした。常に山野の土の状態を保てば可能でしょうが。園芸店で腐葉土や鹿沼土を調達して。
刺に関しては私も同類です。
我家にとげなし薔薇のモッコウ薔薇があります。
クリーム色の小花が盛り上がるように咲いて可憐です。
何時かの年賀状にはこの花の写真をアップして、
わざわざ「写真は私同様のとげのないバラです」などと品格に欠ける添え書きをしたものです。私を刺ある人間と認知している相手にのみ通じる挨拶なので、級友以外には敢えて別の文面~!ひとときの拙文を心にとめていただいて光栄です。

投稿: りんご | 2015年7月19日 (日) 12時14分

深山にありて、あざみの思い、嗚呼今一度。

投稿: 後期高齢者 | 2016年5月 9日 (月) 08時15分

昭和22年生まれです。この歌は高校一年のとき、遠足で担任の先生が披露していたので覚えました。メロディが素朴なのですぐ覚えられました。長く記憶から消えていたのですが、この年になり、こちらも十分老人なのですが、老人ホームに訪問演奏でチェロを弾いています。この老人ホームは、重篤な方が多く、このホームを終の棲家にしていらしゃる方ばかりです。演奏を始めたころは、全員が無反応で、石仏を相手に演奏している感じでしたが、施設の方が言うには、反応できないだけで聞いてくれて入るとうことでした。それに力を得て、この曲を思い出し好んで演奏しています。中には涙を流される方もいて、こちらも熱い思いにかられます。いろいろな思いが詰まった名曲なのだなと、しみじみ感じられます。

投稿: mercitanq | 2016年11月28日 (月) 20時26分

nago様
 私は最近二木先生の「うた物語」のサイトを知った者ですが、「あざみの歌」が大好きなので開いてみました。naga様のご心情が痛いほど伝わってきました。私の息子もとても大変な時期がありました。資質が私に似ていて、彼の心の動きが分かってしまい、この子の為には私はいないほうがよいのではと思う時期もありました。でも彼は15歳の時、このままでは駄目だと自分で留学先を見つけてきてきました。英会話は全く出来ないのにカナダへ行きました。UBCを卒業して帰国したのですが、彼の資質は当時の日本の企業の体質に合わなく、また不器用で合わすこともできず、10年近くもバイトの繰り返しが続きました。その期間は彼にとって社会に取り残された思いで、いらついた日々でした。現在は外国人の多い会社でそれなりに満足して働いています。
 その彼が「これまでの時間は決して無駄ではなかった。基礎がしっかりと身のついていてよかった。ずいぶん回り道したけれど、自分には必要な時間だったと思う」と言っていました。私自身も彼と同じ時間、いらいらもしたり、彼と言い争いもしました。長々と息子の事を書いてしまいました。こんな男子もいたんだとお思いください。
 大丈夫です。naga様のご子息も大丈夫です。高校時代の恩師が「男の子はどん底までいっても必ずはいあがってくる」といっていました。
 naga様の投稿文は7年前のものですが、この「あざみの歌」は母親の哀しい気持ちに応呼してきますね。

投稿: konoha | 2017年1月30日 (月) 17時16分

あざみの歌を何気なく聞いてた自分に恥ずかしくなりました。何度も 耳にしながら漠然と聞いていた歌でした。

2008年4月6日 能勢の赤ひげさんや 2013年1月4日ハコベの花さんなどのコメントに感動しました。

昨年初めて諏訪を訪ねもう一度訪ねたいと思っています。
本日この歌を二木紘三先生は「昭和20年(1945)に復員してきた当時18歳の横井弘が、家族が疎開していた下諏訪・霧ヶ峰八島高原で、アザミの花に自分の理想の女性像をだぶらせて綴ったものといわれます。」と解説されました。

この歌を私自身の人生と重ねわせながら草笛で吹けるように練習します。いつかお年寄りの棲む遠くの老人ホームで演奏できることを目標にしたいと思います。
(平成28年秋には東京から釧路、名寄、千歳などの特養を訪ね友人とボランティア演奏をしました。)
 有難うございます。

投稿: けん | 2017年1月30日 (月) 20時21分

辛抱堪らなくなって コメントを書き始めたところです。
昨年10月に「山のけむり」で初めてのコメントを投稿させて頂いた時からずっと「あざみの歌」に対する想いをひきずったままで今日まで来ました。
2007年8月28日の中家忠夫様のコメントを皮切りに、あまりに多くの先輩方の情感溢れる素晴らしいコメントに尻込みしながらも、本当は一番好きで人生の琴線に触れるような歌でありながら、実は最愛の妻につらい思いをさせながら信州を旅した時のことが忘れられず、今までひかえていましたが、あれからもう20年近い年月を経て、つらく苦しかった一時期のことも やっと二人でむしろ懐かしみながら話し合えるようになった今、「あざみの歌」を声高らかに歌うことが出来るようになりました。

車で茅野市から大門街道を上り、白樺湖で休憩~ビーナスラインを車山まで~リフトで山頂の円形レストランから白樺湖を眺めながら食事をし、霧が峰でグライダー滑空を見て目的地の八島湿原へ、憧れの「あざみの歌」に想いを寄せながら辺りを散策~諏訪湖温泉で宿泊と、今では考えられぬくらいの強行スケジュールでした。

横井ひろし 八州秀章 伊藤久男のゴールデンコンビによるこの抒情歌の背景にある三人三様の切ない人生物語りは、先刻 緒先輩方のコメントにもあり、今さらの言を待ちませんが、華麗でも高貴でもないが、素朴に、ひたむきに咲いているアザミの姿に理想の女性像を重ねてみたという横井ひろしの名作に、初恋の人を18才で失い、生涯かけて想い続けた八州秀章の哀切極まる名曲、かてて加えてあの 魂の鳴動のような伊藤久男の歌声…
珠玉の名曲にまつわる思いを抑えきれずに夢中で書き連ねました。 これで今夜はぐっすり眠れそうです。


投稿: あこがれ | 2017年1月31日 (火) 01時25分

続けてのコメントをお許し下さい。

八島湿原への旅の前夜、宿泊先の宿で妻の母親から入院中の義親父の容態があまりよくない旨の連絡があり、このまま旅を続けるのもなんだか…と、気がとがめましたが、折角の楽しみにしていた旅だから…と、あまり浮かない顔の妻を無理に励ますように翌朝早くから車ででかけました。
下界を離れて白樺湖~車山とドライブするうちに、妻の顔も段々晴れてき始め 嬉しくなった私は八島湿原への道中、車の中で「あざみの歌」を気持ちよく口ずさんでいました。………“こんな時に、よくそんな楽しそうに歌えますね!”と、覚めた顔の妻の一言で、一瞬 私は凍りついたような気持になり、それからのことは、あまり記憶にありません。ひとまず諏訪湖畔の宿に落ち着き、今後の対応を話し合いました。帰宅後、すぐ妻を実家に見舞わせましたが、義父の死はそれから間もなくのことでした。
爾来、当分の間 妻の前で「あざみの歌」は、口ずさめませんでした。

投稿: あこがれ | 2017年1月31日 (火) 08時40分

二木先生の演奏に耳を傾けては
諸々のことが去来して涙が込み上げます。
抒情豊かで哀愁深いこの歌に胸打たれない人はいないと思います。皆様のコメントを読むにつけてもその思いを強くしております。娘のような若い先生にピアノを習って間もなく2年。やっと「あざみの歌」にはいりました。二木先生のように流麗な演奏は夢のまた夢ながら、幸福感が満ちてきます。この曲をこよなく愛した姉(享年42才)に捧げる思いで弾いております。ある日の里山のあぜ道に凛と咲くアザミの濃紫に心惹かれた独身の頃。傍らにいたのは21歳の青年だった亡夫、初夏のに空浮かんでいた雲の形さえもが甦ります。
世代の違うピアノの先生は、コーラスの伴奏もなさっていても当初「あざみの歌」を知りませんでした。いまでは「哀愁のあるとてもいい曲ねえ」と共感しております。でも私たちシニアは曲同様に美しい歌詞も琴線に触れるのですね。

投稿: りんご | 2017年1月31日 (火) 09時37分

認知症介護施設(グループホーム)でボランティアをさせていただいています。ほとんどが80才から上の方々です。週1回訪問しています。
不思議に思いますが、若かりし頃の流行歌は、歌詞さえあれば皆さん歌うことができます。「二木紘三のうた物語」の曲を流しながら、一緒に歌う時間は至福の時間のように見えます。とても楽しそうに生き生きと歌っています。
ちなみに私は80才、これからも貴HPを使わせていただき、認知症の方々の楽しい時間作りのお手伝いを続けていくつもりです。
認知症の方々に役立たせていただいているご報告とお礼をかねての一言(平より)

投稿: 平爺さん | 2017年2月 1日 (水) 08時38分

あざみの歌は多くの人が歌っているが
(伊藤久雄、倍賞千恵子、ダークダックス、鮫嶋有美子、フォレスタ、など)
二木先生の演奏に最も胸を打たれます。
心を無にして聴き入ることができるのです。
今年も又アザミの花の咲く季節が巡ってきました。
一昨日、少し山手の眺望の良い公園にひと際鮮やかな
アザミの花を見つけました。
まるで 若くして亡くなった姉が会いに来てくれたような
感傷に浸り思わず涙が込み上げました。
来週  24日のピアノ教室の発表会で
念願の「あざみの歌、山のけむり」を弾きます。
欲張って「エリーゼのために」とも思ったが後半のアップテンポでもたつき諦めました。
拍子を体感するため 連夜  二木先生の「あざみの歌、山のけむり」を聴いています。
とりわけ あざみの歌が身に沁みるりんごです。

投稿: りんご | 2017年6月17日 (土) 22時46分

今朝、玄関に飾る色紙を取り換えました。「好きな花あざみと答えし六月のその思い出のあるは楽しき」と書き、下にアザミの花が群れて咲く貼り絵をしました。人様に見てもらう出来ではありませんが、55年前の昔の彼との思い出に毎年飾っています。
アザミにはもう一つ思い出があります。中学1年の時母を亡くした私に父がアザミの花模様の浴衣を買ってくれたのです。高校の修学旅行にはそれを持っていきました。私の高校2年の時父は亡くなってしまいました。兄夫婦が親代わりだったので困ることはなかったのですが、父は私が15歳になった時には、呉服屋を呼んで和服一揃いを買ってくれました。この年になってしみじみと父の愛を噛みしめています。気にいらないと怒鳴ったり殴ったりする父でしたが、私のお婿さんまで考えていたようでした。山よりも海よりも親の愛は大きいのですね。親孝行は、時々父を思い出すことです。

投稿: ハコベの花 | 2017年6月18日 (日) 00時28分

 いま、再び歌詞を読み、万感胸に迫る思いがします。
 
 18歳の若者が初恋(?))の気持ちをこめて詩(よ)んだものとしても、人々の個々に内蔵している普遍的な心情があふれているとおもいました。私は「初恋の詩」より「人間の生まれもった悲しみ、また秘めたる熱き気持ちの詩」として感じ取りました。

 「復員してきた横井弘」が書いたこれだけの短い詩の中に、本人自身も気づいていたか気づかなかったか解りませんが、「人間の心の奥底に持つ、真っ白な悲しみと真っ当さが流れている」と私は思うのですが・・・

 この歳になってさらに「あざみの歌」が呼応して自然と胸が熱くなってきます。

 

投稿: konoha | 2017年6月18日 (日) 08時23分

この歌を聞くと中学時代の英語の先生を思い出します。当時すでに老齢になっておられましたが、それはネイティブの英語とは多少異なるとは思いますが見事な発音でした。戦争で右腕をなくされ英語を左手で黒板に書く姿が懐かしいです。深く聞いておりませんが捕虜生活がかなりの期間あったらしくその時米兵との会話から発音も身についたのだと考えます。勉強の出来ない私でいつも発音を直されてばかりでしたがこの授業だけは楽しかった記憶が残っております。2月の卒業間際に君たちは好きな食べ物は何かとか、好きな歌は何かとか英語で聞いてくれました。私もしどろもどろの英語で伊藤久男さんのこの歌が好きだと回答したら自分もあざみの歌が好きだといってなんと余興でこの歌を歌ってくださったのです。もちろん日本語です。今存命しておられたら何故好きなのか聞いてみたいと思います。軽薄な私には想像もつかない熱い、深い想いがあるのだと思います。もうとっくに鬼籍に入っていられましょう。

投稿: 林 滋 | 2017年6月18日 (日) 17時34分

二木先生の「あざみの歌」の名演奏に誘われ、10年ほど前に、ある公立の総合病院(ホスピス)にボランティア活動で慰問に伺ったことが懐かしく想い出されます。
私の出し物は、入所の皆さんと家族の方々と一緒に、想い出の童謡・唱歌をハーモニカ伴奏で楽しく歌うひと時でした。
ある日、皆さんと一緒に約20分ほど歌い終わったところで、大型ベットに横たわって同席されておられたご老人が、私に一曲歌わせてほしいとマイクを握られました。
歌われたのが「あざみの歌」の3番の歌詞でした。
「いとしき花よ 汝(な)はあざみ こころの花よ   
 汝はあざみさだめの径(みち)は果てなくも香れよ
せめてわが胸に あああー」
ご老人は,若いころ某放送局の混声合唱団に所属されていたそうで物静かに切々と歌われていたのが印象的で、今でも私の耳元にその歌声が残っています。
ご老人が青春時代に心を寄せた女性への想いが切々と伝わり胸が熱くなった記憶があります。
改めて、二木先生の名演奏を聴きながら更に胸が熱くなり涙がこみ上げてきました。

投稿: 一章 | 2017年6月18日 (日) 23時19分

皆様のコメントを拝見するにつけ、この名曲に寄せる熱い想いや胸にしみいるような思い出が切々と伝わってきます。

私がまだまだ充分若かった頃、私達のサークルにA・百合子さんという色白のすらーとしたフレアスカートにロウヒールの似合う一際素敵な女性がおられ、みんなの憧れの的でした。あまりに高貴な感じで誰も手をだせませんでしたが、あざみの歌を歌う時、いつもその頃のことを思い出します。

“高嶺の百合のそれよりも
秘めたる夢をひとすじに
 くれない燃ゆるその姿~
あざみに深きわが想い”

3年前のN市での同窓会で何十年ぶりにお会いしましたが、相変わらず美しい方でした。
懐かしさは先様も同様な感じで親しく長話をし その際 当時の私の別れた人のことをしつこく聞かれて大弱りしましたが、風のたよりに障害のある子供さんを抱えてご苦労されている旨 お聞きして切なくなったことがあります。

はこべの花 様 
“あざみなぜなぜ 棘もつ花か たとえささりょうと ああ 誰か夢なき”
鬼あざみでも、刺されてみたいと思っている男性もたくさんおられますよ。

りんご 様
24日の発表会 想いを込めて しっかり弾いて下さい。祈ってます。

Konoha 様
いつもコメント拝見してます。あざみの歌は「人間の生まれもった悲しみと秘めたる熱き気持の詩」本当にその通りだと思います。

一章 様
いつもロマンチックな素敵なコメント 有難うございます。
これからもよろしくお願いいたします。

投稿: あこがれ | 2017年6月19日 (月) 17時20分

一章さま
切ないエピソードですね。
思わず胸が熱くなり涙が込み上げました。
又一章さまの優しい人柄も偲ばれました。
人の世の悲しみが切々と伝わります。

konoha様のコメントにも共感致しました。

あこがれ様
励ましの言葉ありがとうございます。
京都の旅で 憂い深いご婦人に一瞬心を奪われた由
微笑ましい限りです。たまゆらのときめきが若さの秘訣です。私も京都はよく訪れているが、直指庵の机上にはノートが置かれており 何かしら書き残していく女性が結構多いようです。
10数年前 未だ50代の私は永観堂の境内で高齢の紳士と立ち話。「とても50代とは見えませんよ。お若くていいですね」との言葉。今しみじみと胸に染みてきます。
今の私を超えていたであろう彼は天下りで京都の会社に週何度か出勤(大阪の住人)加齢の寂しさを頭では理解していたが今はよくわかります。当時の彼の年齢に少し近くなり、哀愁が実感できます。
トータルで1年間暮らした程の京都通いで最も記憶に
遺っています。konoha様のおっしゃる人の世の寂しさですね。
人の世の寂しさを想起させるこの曲はどれほど多くの人に愛されていることか!!

投稿: リンゴ | 2017年6月19日 (月) 18時50分

このサイト、「二木紘三のうた物語」と出会い早や3年近くなります。
その間、先輩諸氏の抒情性溢れるコメントに感動・感動の連続でした。
小生、パソコンに向かうのは、昼間の仕事の性格上、午後以降になってしまいますが、この時が私の至福の時間です。

あこがれさま には、過分なる励ましのコメントをいただき恐縮いたしております。こちらこそ、私の「つたないコメント」ですがよろしくお願いいたします。

りんごさま この度は、私のコメントにご共感いただき有難うございます。
これから先の人生への明るい日差しが差し込めたように思います。
ありがとうございました。
24日のピアノ発表会、ご成功をお祈りいたしております。

投稿: 一章 | 2017年6月19日 (月) 20時49分

あこがれさま、リンゴさま
 感じたままを書いたものでしたが、共感してくださいましてありがとうございます。本当にこの「あざみの歌」は歌詞といい、メロディといい、また二木先生の飾りを施さない演奏によって、これほどまで聴く方に切々と迫ってくるものはないと思っています。

 演奏とともに名曲中の名曲だと思っております。

投稿: konoha | 2017年6月19日 (月) 22時08分

60代も後半になり、いつぞや職場で気心が通じていた可愛い子を思い出します。あの笑顔も姿も、今なお忘れることが出来ない特別なものでした。 私は家庭があったので終始自重していましたが、いま思えば、少しでも何か話しておけばよかったと、後悔もしきりです。少しでいいから応えてやるべきでした。
「あざみの歌」は詞もメロも、まさに内容がそのものズバリと一致するだけに、聴いているだけで泣けてきます。皆様のコメントを読ませていただき、この曲想に潜在する何かの純粋なもの、一途な思い、遂げられなかったことに対するやるせない気持など、共感するものが多いです。

ところで二木様に一言。
曲のBGM がもっと続けば都合がいいのですが・・

投稿: あざみを想ふ | 2018年2月 6日 (火) 17時39分

あざみを想ふ Ⅱ
先日のつづきで恐縮ですが、思えば30年を経てふと出会った頁で、私はその子の消息を知ったのです。画像からしても私好みの昔の性格そのままに、しっかりとした美しい女性になっていましたよ。
どんな風に人生を歩んできたのか、元気だったのかと、声など掛けてみたい気もしました。しかし相手は、過ぎ去った日々の人。 私とて、あの頃はその先を直感したうえで 薄情にも気付かぬふりを貫いてきたわけです。
あゝ 過ぎ去りし日は還らぬが故に懐かしく、さだめの中に、思い出は我が心にありて輝くのでしょう。 そしてまた 彼女の記憶の中にも、少し違った姿で同じくあるとしても・・。

長々と失礼しました。二木様、ごめんなさい。
この素晴らしい演奏で「あざみの歌」を聴いていますと、ついつい私はこんな風になるんですよ。

投稿: 福田 健治 | 2018年2月 8日 (木) 02時02分

福田 健治さま

 しみじみと 想う方を
 あざみの歌の名演奏をきくことで思い出す

 せつない 苦い やや悔いのある感情
   いいですね

 僕にも 花にまつらう思い出があります

 ある方との出会いでした
  高校時代は 水泳部  すらりとした 美しい方でした
 知り合って まだ 日も浅きころ
  こんなことを 云われました
 僕の経験では そういう会話はしたことがなかったのです


 私を たとえるとしたら 何の花に思われますか?


 えっー  こんな質問 初めてでした  どうしよう どうしよう 
 私は 以前 習字をならっていたとき
 先生から 白芙蓉のような感じの人だといわれていましたとのこと
  即答でなく 何日かの猶予はいただきました

 大仰に 美しいものだけに 喩えるのは 僕はできません 
 考えて 阿ることもありか とは考えないこともなかったのですがーーー

 悩んでいるときに  丁度 行きつけのカラオケで
 ちあきなおみ歌う  ひとりしずか をゆったりと歌った方にお会いしたのです

 
 
   湖は 青い香炉よーーー

 いい曲でした  ひとりしずか の花も知らず
 インターネットで検索
 一本の 白い 花の部分は ねじり草を短くしたような
可憐な しかし周辺に短く白の花を伸ばし ヘアーブラシを粗にしたような形体で  
 その中で 私はすっきりひとりで立ってますと自己主張しているような力強さもあり  
 何故か ひとりしずか が彼女にぴったりと思えてしまったのです   

 花言葉は「隠された美」「愛にこたえて」で4月から5月に開花します

 貴女を ひとりしずか と感じます と返事し 喜んでいただきました

 二人で ひとりしずか を見ましょうね との約束もあったのですが  実現せず 
 もう会えないだろう人となっています 
  見るチャンスは一度はあったのです
 大河ドラマ  平清盛 のとき 源平に関連のある花たちを集めた 六甲の植物園での鑑賞会

 あることを知ったのは もう開催後期 日の調整ができなかったですね

 ひとりしずか  は少ないのですが  ふたりしずか
と名のある花もあります  能勢にもみられるところはありますよ 
 ときいてはいるのですが まだ 見れていません

    幻の
  ひとりしずか  ふたりしずか 
 になってしまうのでしょうか

 少し あざみ ではありませんが 花にまつらう思い出を

投稿: 能勢の赤ひげ | 2018年2月 8日 (木) 04時17分

福田 健治様
美しいお話を聞かせていただきました。
若い娘に思いを寄せられても家庭のある身を考えて気づかぬ振りを通したとは~!
ここに一編の清冽な恋物語を読む思いがします。
なかなかできないことです。踏みとどまる勇気、それ故に今も胸の奥で美しく咲き続ける一輪の花。福田さまも若いお嬢さんに思いを寄せられる素敵な方であったことが想像できます。その後の、時を経た邂逅の機会も敢えて避けた紳士ぶりに感銘。良いお話をありがとうございます。

投稿: りんご | 2018年2月 8日 (木) 10時07分

能勢の赤ひげ様

コメントありがとうございました
一口に言えば 甘酸っぱい思い出なんでしょうか?
いいですねえ・・これからのある方は! 私の歳になると目前の世界じゃなくて、むしろ記憶のほうがどんどん膨らんでしまい、このような場でこんないい演奏を聴いていると何だか訳もなく感傷的になったりします。

花にまつらう思い出話なんて、格好いいですよ。

島倉千代子さんは「この世の花」がデビュー曲だったそうですが、私の世代はあの歌の通り、あのような感覚の世界で育ち、大方の人は今もノスタルジックな気持ちで聴いていると思います。
私の主観ですが、あの頃は良かった・・

聴くのはクラシック、するのはジャズで来ましたが、なぜかこの頃は「あざみ」など懐メロ一辺倒ですよ。

またお会いしましょう お元気で!

投稿: 福田 健治 | 2018年2月 9日 (金) 18時12分

本日つづけての投稿、失礼お許しくださいね

  帰りたいけど、お父さんいないし、、
  がんばりもふとむなしくむなしくなる
       (Yahoo知恵袋・質問欄/2月9日より)

こんなの見て皆様どう思われますか?

背景・真偽など どうでもいいのです。なんだか不思議なことに、この「あざみの歌」のメロにもぴったりしませんか?
つまり言いたいのは、どうやら歌の趣旨を決定するのは第一に文言なんですね。18歳で復員した横井弘という方の詩なんですよ、きっとそうなんです。

投稿: 福田 健治 | 2018年2月 9日 (金) 23時06分

福田さまに賛成です。独断と偏見で申し上げますと、歌詞にメロディを付ける方が佳い歌があるようなきがします。先に曲が出来上がっている場合、音符に字数を合わせる様になりますよね。聴くばかりですので、プロの思惑は分かりませんが・・・

投稿: konoha | 2018年2月10日 (土) 01時47分

追記。だから順番として、「作詞誰々 作曲誰々 歌誰々」になるのですね。

投稿: konoha | 2018年2月10日 (土) 02時00分

頻繁に投稿します失礼を 二木様お許しください。

この頁は特別ですね。心を捉えて離さず、私など先日から嵌り込んでしまいましたが、それは何故か・・?

やはり、理由の大半はこのBGM なんですよ。
皆様と同じく私も皆んな 事情や状況は其々あるとしても、この歌の曲想が人一倍好きなんですね。そして色んな人の歌ったのを何度も聴いたり自分も口ずさんで、詩はとっくに浸みこんで心の歌として既に各自の物語になっているのでしょう。だからもうメロディだけでいいんです。歌声など余計なものは無いほうがいい。
二木様のこの演奏は、キイも、テンポも全体の調子も実にぴったりなものですから、つづけて聴いていると耽溺して、こんな境地になるんですよね。そんな環境で皆様のコメントを読ませていただき自分も加えて貰う、有難いことです。

konoha 様へ
この意味で多くの方々と共感を持ち得たことは、私にとって大変幸運なことでした。

皆様も、どうかお元気で!


投稿: 福田 健治 | 2018年2月11日 (日) 17時58分

あざみに想ふ(3)
皆様お久しぶりです。久々に投稿します。

いつぞやの「あざみの歌」に因んだ投稿、何だか気が引けていました。
ところで、件の”あざみ”の子は私のYouTubeチャンネルを見つけてしばしば観てるらしい形跡がアナリティクスに出ていました。昔の職場の習慣からしてそれらしいタイミングで非通知電話も何度かあり、おそらく、当時の終わりのほうの経過について何か伝えたかったのでしょうね。

私は彼女の好きなクラシック音楽に長いコメいれたり色んな動画を作って観せましたよ。なんで見せたかというと、それはかつてあの子を放っといた罪滅ぼしのつもりなんです。センチに「紙芝居」を演ってるみたいでしたね。

でも変なんですよ。1年と少しくらいそんな調子でやっていましたが、だんだんルーズになっていくんですね。あるとき私がピアノと人生に関してちょっとキツめの独白入れたのをアップしたんです。それが終わりになりました。もう観ない、これで終わったんですよ。二人共なんの言葉を交わすでもなくね。・・

投稿: 福田の健ちゃん | 2018年4月10日 (火) 03時29分

この曲を聞くたびに、過ぎ去った遠い日々のことが懐かしく走馬燈のように駆け巡ってきて やるせなくなります。

ボードレールやヴエルレーヌ、太宰や藤村、与謝野晶子を乱読し、野菊の墓や野麦峠を読んで布団に潜り込んで声を殺して泣いたことなどが、まるで走馬燈のように懐かしく駆け巡ります。
いつも、どこか遠いところを見つめながら 理想を追い求めてるような少年期でした。

サークルの仲間達との夜を徹しての楽しい語らい、あの子は◎、この子は△だとか・・・碌に勇気もない男共の勝手な雨夜の品定めをしながら、ロングスカートにロウヒールの似合うスタイル抜群の百合子さんをなんとかしてものにしたい等々・・・に明け暮れた青春時代。

永遠に忘れ得ぬ、つらかった失恋の思い出も、今となっては寧ろ 心地よい思い出として あざみの歌 とともに私の胸に去来します。

なんだか、この曲にあるロマンとは かけ離れたコメントになりましたが・・・・
『皆様の寄せられるコメントからすっかり忘れたものが、記憶の底から浮かび上がってきます。
一時期、自分史を書くことが流行りましたが、改めて自分史を書くより(歌ものがたり)で、人生をふり返って書いている気がします。』(2017.12.11 konoha 様のコメント から)そのまま頂きました。 konoha 様 ごめんなさい! 

投稿: あこがれ | 2018年4月10日 (火) 16時44分

皆様、しつこいようで申し訳ございませんが又一言。

・・『すっかり忘れていたものが記憶の底から浮かび上がってくる・・』 という表現、凄いなぁ と感心しました。
もちろん横井弘という方の詩はすごいけど、その詩にメロをつけた八州秀章という方の作曲もホントに凄い。そしてこの頁と演奏で、すっかり忘れていた大切なことを思い出させてくれた二木先生も凄いです。

でも色んな場面なんかを今になって思い出してどうする?・・いや、思い出すんですよ、とにかく。それは辛い思い出かもしれないし、今では心地よい思い出になっていたとしてもね、色々考えてみるんですよ。もしそうなっていた場合の先のことなどもね。

もちろん、現実を否定なんか絶対しません。それはとても有難いものです。でも時になにか思い出すもの、あってもいいんじゃないんですか? それは実体のない宝ものみたいなものだし、そしてもう一人の自分の人生かもしれないんですからね・・

投稿: あざみを想ふ | 2018年4月12日 (木) 00時40分

久々に「りんご」様へ 
いつぞやは美しく聡明なるご感想文有難うございました。以来、まことに失礼しておりましたがご容赦くださいね!

ご報告ですが、私の”あざみ” 4回にわたるリポートはこれにて完結する他ない模様です。もうこれ以上皆様にくどくど申し上げないほうが宜しいのかと自分は思います。

ところで 純粋なもの、ある時期の心を占めたことの記憶というのは当事者にとっては永遠の宝なんですね。
だがしかし、昔日を顧みて、何をいくら思い出しても無為なることの記憶は、たんなる記憶でしかないんです。それはほんのちょっとした触れ合いにすら遠く及ばないんでしょう。
「後悔」なんかは”時の神”か誰かのいたずらみたいなもので、実はそんな中で我々は状況や感情に翻弄され、悩んだり喜んだりで人生を費やしていくんですね。

されど偶然の出会いと今生の別れ。 私達はその宿命に歯を食いしばり生きていくんです。でも皆さん、そのなかで精いっぱい生きていこうじゃありませんか! 心ある者同士励まし合い慰め合って、嬉しいときは共に喜び、辛いときには一人で悩んでないで信頼できる人に助言して貰ったりしてね。

実はこの頁に触れて以来、私の心の内にあった哀しいことも懐かしいことも皆んな美しい姿になって、いま我が心に響いてくるような気分です、まるで天上からの音楽みたいに・・。

皆様方、ありがとう! また色んな頁でお会いしましょう、どうかお元気で!

投稿: 現在の福ちゃん | 2018年5月 6日 (日) 03時42分

初めまして。

先日、中学時代の恩師の訃報が届きました。
中学時代、友人数人と先生のお宅を訪問してはおやつを頂いたりおしゃべりしたりと、ご面倒をおかけしてました。
高校に入ってからも、何かと心にかけて下さいました。

その先生の十八番が「あざみの歌」。
アカペラで歌われるその声は、心に染み入る澄んだお声でした。
この歌を知らなかった私ですが、何度も先生の歌を聴いているうちに、いつの間にか歌えるようになりました^^

今度のクラス会では、皆で先生を偲んでこの歌を歌おうと思っています。

投稿: 香音 | 2018年5月 9日 (水) 22時00分

先日、蒲郡図書館の展示室で開催されていた、「絵手紙展」を観覧してきました!
蒲郡市民の方たちが、渾身の力で描いた作品は、どれも素晴らしく、見ていて、時を忘れるほどでした。
お見受けしたところ、60代から80代位の方たちの作品だと思われますが、その数ある作品の中に、特に私の目に留まった一枚の「絵手紙」を見つけました。

その作品は、少し横長の大きめの和紙に、薄紫の色をした「あざみの花」が一輪、大きく描いてあり、その横には、美しい文字で、「あざみの歌」の3番の歌詞が書き綴られていました。

いとしき花よ 汝はあざみ
こころの花よ 汝はあざみ
さだめの径は 果てなくも
香れよせめて わが胸に あああー

その、あざみの花の絵は、まるで本物かのような、細かい模写がされており、見事な作品でした。しかも私の好きな、この歌の3番の詩が添えられており、この絵手紙を描かれた方の思いが、こちらへ伝わってくるようで、私は、しばらくその作品の前から動くことはありませんでした。
それと、どの作品にも、誰かに、「亡くなったご両親へ、永年の友へ、子や孫へ」、に宛て、心を込めた尊い文字が綴られていましたが、私が気づいたのは、「おかげさまで!、ありがとう!、感謝しています!」の、文字が多く見られたことでした。
それは、人の心が持つ、その思いの大切さを、改めて感じさせてくれるものでした!

私はここで、二木先生の素晴らしい演奏曲を数百曲にわたり、大変有難い思いで、聴かせて頂いておりますが、この「あざみの花」は、聴けば聴くほど心の中に深く沁み込んでくる、私にとっての特別な歌でもあり、また、名匠、横井弘と八洲秀章が、戦後に生んだ偉大な曲だと捉えています。


 


投稿: 芳勝 | 2018年5月10日 (木) 15時17分

 小樽に行ったとき、町中で「あざみ」の花だと思いましたが、見かけました。だったと思います。夏に行ったのです。私はこの花は日本中で咲くんだなと思ったものです。

投稿: 今でも青春 | 2018年5月10日 (木) 20時28分

芳勝様

蒲郡図書館の展示室で開催されていた「絵手紙展」のご案内 有難うございました。「あざみの花」の絵手紙を描かれた方や皆さまの芳しいお人柄が伝わってまいりました。

> それと、どの作品にも、誰かに、「亡くなったご両親へ、永年の友へ、子や孫へ」、に宛て、心を込めた尊い文字が綴られていましたが、私が気づいたのは、「おかげさまで!、ありがとう!、感謝しています!」の、文字が多く見られたことでした。

 「おかげさまで!ありがとう!感謝しています!」の言葉 素敵ですね。

投稿: けん | 2018年5月11日 (金) 05時34分

どなたか存じませんが 先般さりげなく僅か2行にまとめられたセンス溢れる投稿文、敬服しています。
ところで私事で恐縮ですが、今日はツユ入り前の晴天。ある湖畔に行き緑も淡くつややかな色の椿の枝を少々持ち帰り、神棚に供えました。湖畔にはあざみも咲いていましたよ。(これも少し持ち帰りましたが)

それからkonohaさまは 殊の外この歌がお好きなんですね。いつぞや歌というのは「詩」こそが第一とご同意頂きましたが、それはたしかに歌手には悪いけれど「あざみの歌」は、実にそうなんですよね。そして間違いなく「日本の歌」です。

心暖かきご投稿に触れる度、日本に生まれてよかったとつくづく思うこの頃です。

投稿: 福ちゃん | 2018年5月26日 (土) 01時44分

福ちゃんさま
 あざみの歌はしっとりと胸の内側に入ってきます。18歳の若者が詠んだ詩とは誰が思うでしょうか・・・また八州秀章の曲も最高です。「蛇足」で知ったとき、驚きました。戦争はいかに18歳の若者の心を老成化させてしまったかです。
 
この歌は聴く人の立場で、いろいろな意味で胸に迫ってきますね。福ちゃんさまのおっしゃる通り、日本人の琴線に触れてきますね。もしかしたら外国人の人たちもこの歌を知ったら胸が熱くなるかも知れません。また私は堀内敬三の日本語訳詞もすきです。うた物語はメロディだけなので、歌詞をおおいに楽しめます。二木先生のこのサイトは素晴らしいです。いつもありがとうございます。

投稿: konoha | 2018年5月26日 (土) 07時57分

現在の福ちゃん様
ご無沙汰いたしております
今年もアザミの花の季節になりましたね。(雪国の当地では未だ少し先になりますが)

現在の福ちゃん様のコメントには皆さま共感されたと思います。(以下福ちゃん様のコメント)
「実はこの頁に触れて以来、私の心の内にあった哀しいことも懐かしいことも皆んな美しい姿になって、いま我が心に響いてくるような気分です、まるで天上からの音楽みたいに・・。」

天上からの音楽の様に心のひだ襞に染みますね。
昭和歌謡の宝です。

投稿: りんご | 2018年5月26日 (土) 08時53分

詩は 勿論、曲も言うに及ばず、名曲中の名曲だと思いながら、いつも聞いていますが、

詩を書くという営為の意味合いを問えば、作詞家の阿久悠は「狂気の伝達かな」と、答えた。
同じ問いに、なかにし礼は「世の良風美俗に一服の毒を盛るのさ」と、応じた。
阿久悠のすさまじいまでの情熱と、なかにし礼のシニカルな視線がまざまざの名言である(小西良太郎 酔々独歩)

横井弘なら なんと応じたか? 聞いてみたい気がします。

投稿: あこがれ | 2018年5月26日 (土) 09時05分

いつもは 誰しも何かの用で街を歩いたり、知人と会えば楽しく、あるいはごく平然と天気がどうとか世間話もしたりで毎日を過ごしているのに、ある時ふとその曲を耳にしたとき、それまですっかり忘れていたものが心の奥底から浮かび上がってくる・・それこそが胸の内の「狂気」であり、昂じて「毒」とも称して憚らぬとは、さすがにプロの方は凄いですね!

さて、件の横井弘という方がそれをどう表現するか・・?
私も興味深いものを感じます。「あざみの歌」の場合に絞れば、年若くして応召し戦場の状況の数々を見、体験をし、心通じた年配の戦友達との多くの哀しい別れがあり、人の命のはかなさと、優しかった先任や同期の者達への哀惜の情、それへの怒りと諦め・・戦後生まれの我々には想像もできない記憶の蓄積のなか、18歳で復員されたんですね。

幾多の思いが重なりあって 人への情や、かけがえのないものを慈しみ、失ったものを想うやるせない心情など、それは大変なことだったに相違ありません。当然、それは日本人同胞への切なる思いなんでしょう。
これが18歳の青年の手による詩作とは到底思えないと驚かれたkonoha様の表現はまさにその非日常なる精神の到達したある境地を指しているのではないのでしょうか。
はたしてそれは、今のような平時における「狂気」や「毒気」なんて生易しいものではないのかもしれませんよ。

「あざみの歌」は戦時を刻銘に伝え、ある種「狂気」を越えて、心の安らぎを切に求めても到底得られない葛藤・そしてあの大戦で膨大な犠牲者を出したこの運命への絶叫、それとも、それら全てを受け入れたある種の「悟り」、それを全日本人に向けて発したる「祈り」なのかもしれませんね。

「歌」それ自身の説得力は広範にして絶大、それもその筈、元々のスケールが以上のようなんですからね・・

投稿: 福ちゃん | 2018年5月30日 (水) 03時36分

先の長文につき誤字訂正

刻銘(間違い)正しくは「克明」です。皆様方、失礼いたしました。

投稿: 福ちゃん | 2018年5月30日 (水) 03時58分

福ちゃんさま
 おっしゃる通りです。うたの成り立ちを知らない時は、ただ心の中がとても切なくなり、良い歌とだけでしたが、二木先生の蛇足と演奏により、改めて聴いているうち、「あざみの歌」のもつ真意が、自分なりに響いてきたのです。本当に佳い歌に出会いました。

投稿: konoha | 2018年5月30日 (水) 10時10分

 昭和24年生まれの私は、『あざみの歌』を初めてこのサイトで知った時、ああいい歌だなあ~と文句なしに思いました。万人の胸にしみこむメロデイーとすぐれた歌詞で、コメントされた皆さんが「名曲中の名曲」とおっしゃられた通りだと思います。
横井弘の名前は『川は流れる』で知って以来、この人は尋常ならざる詩人だと、勝手に敬服している私としては、『あざみの歌』も同じ横井の作品と知り、ああなるほどなと、勝手に納得しています。

山には山の愁いあり
この一行に圧倒的な詩の力を感じます。すばらしい擬人法ですね。
いとしき花よ 汝はあざみ
第二撃の迫力で、心を押さえ込まれます。これもみごとな擬人法です。
さだめの道は 果てなくも
第三撃の迫力で、「好いた好かれたという世界」を突き抜けた『川は流れる』に通ずる世界観なのだなと、独り合点します。
またこの歌は、いくら聴いても、なぜか飽きない不思議な魅力のある歌です。

 中学生の時、擬人法という修辞技法を勉強しました。「動物、植物、あるいは生命のない物体に人間の特性をもたせる」というものです。
今思うに、中学生にこの『あざみの歌』を聞かせれば、擬人法について長々とした説明はいらない。14,5歳の感性で、しっかり受けとめてくれると思います。

投稿: 越村 南 | 2018年5月30日 (水) 23時21分

越村南様

「川は流れる」も横井弘作とは初めて知りました。
私は昭和21年生まれで「川は流れる」の歌が出た時は高校一年生でした。思春期の胸にもうらぶれた哀愁が胸に染みました。

あざみの歌は旋律も歌詞も珠玉ですね。
終盤の「香れよせめてわが胸に」が特に胸に染みます。
実らなかった恋への哀惜の情に熱い涙を誘われます。

倍賞千恵子さんの儚い雰囲気の歌声が好きです。

投稿: りんご | 2018年5月31日 (木) 09時28分

"あざみ"を Motif (動機) として これだけ多数の色々なご投稿が寄せられ続けていることに驚きます。音楽は他の分野でも、名曲であればあるほど聴く人それぞれに色んな解釈や感想を持つといわれますが、日本の抒情歌でその筆頭はやはり「あざみの歌」なんでしょうか。

私見でまことに恐縮ですが この曲がこれだけ皆様の心を捉え離さないのは、以下のようなことを思い出すからなのかもしれません。
我々日本人は「純日本的」な考え方・情緒の中にあって 相手を思い遣り慈しむ心、つまり簡潔に云えば Sympathy(?) ですが、互いの胸中を察してさりげなく発する言葉・振舞いがあり、それで直截にすべてが伝わり、共通の情感・感性のなかで我々は安堵して皆と共に暮らす自分の立場と心の平安を見出すという、そのような毎日を私たち日本人は望んだし自然に実行してきたのではないでしょうか。 そしてこのような共感こそが私達の美しい日本を築き、明治の開国以降多くの戦渦にもめげず、現代の混迷のなかでさえ我々は辛うじて国を維持してきたように思います。

相手の方を気遣い慈しむ心・また例えば 受けし恩を忘れぬという感謝や義理の気持・嘘や騙すことを嫌い自分を信頼する人を裏切るなど絶対に拒否する道徳心 等々・・、「あざみの歌」は そんな佳き日本・日本人の姿を私達に思い出させるような気がします。

ところでkonohaさま
私の愚見にも何度かご賛同頂き、まことに有難く存じております。「あざみの歌」に深き貴女さまの思い出なりご感想、もう少しお聞かせ下されば幸甚ですが・・。 

投稿: 福ちゃん | 2018年6月 1日 (金) 00時29分

あざみの歌は人それぞれの琴線に触れてくるものだとおもっています。そして溢れでてくる思いを,思わず口にしてしまう。 そんなあざみの歌を大事にしていたいとおもっています。

投稿: konoha | 2018年6月 1日 (金) 06時50分

konohaさま
早朝からさっそくのご回答文、恐縮しております。(これは私信にあらず)

音楽にたいする鋭く豊かな感受性のみならず、ご洞察・判断力も明晰でいらっしゃる方ですね。感服いたすばかりです。すべて仰る通り、まさに同感です。
小生は生活時間帯が6時間程ずれて(?)いるようですが、この頁での興味深く心温まるご投稿、期待しております。

またお会いしましょう、どうかお元気で!

投稿: 福ちゃん | 2018年6月 2日 (土) 03時17分

この名曲が完成するまでの胸にしみる逸話について、「唱歌童謡ものがたり」読売新聞文化部 編で、下記のように述べています。

「果てしなく広がる霧ヶ峰の空を、雄大な雲の列が湿原の地に影を映してゆっくりと動いていく。聞こえるのは鳥のさえずりと、高原を渡る風の音ばかり。そんな信州・八島湿原の風景の中を、日々あてもなく散策する横井弘の心の中は、異常な体験の後にもかかわらず、透明な安らぎに満ちていた。

1945年9月
思えばこの4ヶ月は、まさに夢のような変転の月日だった。 母・義子と暮らしていた東京・四谷の家は空襲によって全焼。 突然の召集令状と入営。茨城での初年兵の勤務。そして八月十五日の終戦。帰る家は無く、母と二人、知人を頼って長野の諏訪湖のほとり、下諏訪町へ移った。
「これからは好きな詩の道で生きよう」。 そう決意し、毎日、湖畔や周囲の山々を歩き、詩作にふけった。いつの間にか完成した作品は十五編余。
最も気に入った一編が、八島湿原で作った『あざみの歌だった。
半年後に東京へ戻った横井は、キングレコードで働き、作詞家・藤浦洸にも師事。48年に日本音楽著作権協会へ正式に勤務した。

★ここからが、肝心なところです!

『あざみの歌』の詩をキングの女子社員に渡したことも忘れかけたころ、協会に姿を見せた作曲家の八洲秀章に呼びとめられた。

八洲は曲だけを先に作り、それに合う歌詞をさがしていたところ、横井の詩をキングの女性から見せられ、「これ以外にない!」と、直感した。
しかし、本人がどこにいるのかがわからず、発表する機会も得られずにいたという。
話はスムーズに進み、翌年八月、NHKの「ラジオ歌謡」で、八洲自らが歌って放送された。全国からの反響は予想をはるかに越え、51年には伊藤久男の歌で日本コロンビアからレコード化された。
この成功によって横井はコロンビア専属の作詞家となり、『哀愁列車』『川は流れる』『下町の太陽』などのヒット曲を生み出すことになる。

★すでに曲が出来ており、またすでに詩も出来ていた・・
名曲誕生の裏には、偶然とは思えない なにかがあるもののようですね。


投稿: あこがれ | 2018年6月 7日 (木) 17時44分

あこがれさま ありがとうございます。
確か、下山光男氏の八洲秀明の伝記の中に、ある女性を白百合に例えて先に曲が出来ていたと書かれていました。
それで、あこがれさまが書かれた事情ののちに八洲氏がこの詩に目を通したときに白百合をあざみに置きかえれば、ぴったりだと思われたのだそうです。
また、あざみについても、八洲氏の発言がこの伝記に乗っているのですが、今は体力不足で探し出せません。
皆様すべてのコメントに目を通すだけの気力がまだないので、また下山氏の本のその箇所も見つけられないまま書き込んで、申し訳なく存じます。

投稿: nobara | 2018年6月 7日 (木) 18時56分

あこがれさま
 コメントを拝読しまして、名曲が生まれていく過程において、なるべきになる不思議さを心底思いました。お互い引き合う呼吸と申しましょうか、人知が及ばない不思議さを覚えます。
 「黒い花びら」の蛇足によっても同じ感銘をうけました。
ますます「あざみの歌」が好きになりました。出会うべき出会いがあったと感動してしまいました。ありがとうございました。

投稿: konoha | 2018年6月 7日 (木) 19時15分

皆さんご存知かと思いますが「あざみの歌」のアザミについて八洲は次のように書いていますね。

  「棘持つ花、それは美しきが故に自分を守る。手折ってはいけない花だ。 紅ひとすじに燃えて咲く、アザミは棘もつ花。しかし、それは貞操固き処女のように、 それゆえにこそ一入に魅力的なのである。
 あざみは、野生のたくましさと清らかさ、そして、情熱と哀愁とを秘めて咲く乙女の花だ。」

投稿: 海道 | 2018年6月 7日 (木) 19時47分

 nobara様
 大変な思いをされて書いたり読んだりしておられる様子がよくわかります。「あざみの歌」は一度聞いたら忘れられない歌です。
 現在俳句修行中ですが、師がこの歌を好きでときどき鼻唄を歌っておられます。私はただ聴いているだけですが、一緒に歌う力はないと思います。
 nobara様のご様子がよくわかりませんが、お大事になさってください。

投稿: 今でも青春 | 2018年6月 7日 (木) 21時17分

先日は八洲秀章氏のお名前と下山光雄氏のお名前の漢字を間違えるという
失礼極まりない誤りを犯したまま投稿し、二木先生と皆様にお詫び申し上げます。
今でも青春さま、お気遣いありがとうございます。疲れ切っているときに投稿してはいけませんね。

あざみの歌について八州氏が語ったものは、『うたごえ』3号から伝記に転載されていて、海道さまが、その一部を投稿してくださいました。
伝記の中から、横山八重子さんの遺影に添えられた、歌人でもあった八州秀章氏の歌をご紹介します。

野に咲けるあざみ美わし 遠き日に慕いし人の面影に似て

投稿: nobara | 2018年6月 9日 (土) 20時07分

 nobara様
  八洲秀章様の名前について言及されておられますが、俗人はあまり存じ上げませんのであまり気になさらないで下さい。
 また同氏の歌も紹介いただきありがとうございます。私も少し和歌をいたしますので、鑑賞させていただきたいとおもいます。歌会の投稿するだけの短歌でございます。 

投稿: 今でも青春 | 2018年6月 9日 (土) 21時29分

6月以来この頁の投稿が途絶えているようですね。私はもっと皆様の着想の展開するのを期待しておりました。

たしかに「あざみの歌」はそれ自体とてもシンプル(簡素)なので、私達の心にストレートに響いてきます。原形と表現とがはっきりしているためにそのイメージが鮮明に浮かび上がり、そして実に切々たるものを感じます。内容が、兎にも角にも一途なんですね。

ところで先日PCを見ていてふと出会った「比叡おろし」という曲、これはもうその逆を行くように思います。本来ならば胸膨らむ喜ばしい筈の出会い。それがある日一変して何か得体の知れない過去に纏わる情念みたいなのが、不思議に妖艶な姿でその後も迫ってくる。私など小心者はむしろ心細くなりそう。
でも、何事も順調に行ってるときは皆んな晴れ晴れとして日々暮らしているのに何故でしょう?誰にでも不幸は突然にやって来るんですかね?

「あざみ」と「比叡おろし」二つの相反するもの。元は純粋でも時を経てそれは変性する いわゆるプラトニックに終始したのかそれとも、本格的な情愛の世界に踏み込んだある意味成熟したものが実を付けぬままに朽ちて行った そして其々の場合、心に残るものは何?でしょうね。・・

投稿: 福ちゃん | 2018年10月31日 (水) 01時14分

「あざみの歌」に寄せられた福ちゃんさまコメントから触発されて交流掲示板のほうへ投稿いたしました。読んで頂ければとおもいます。

投稿: konoha | 2018年10月31日 (水) 10時40分

Konohaさま お久しぶりです。
交流掲示板のご投稿、読ませていただきました。さすがに貴女様らしく、まことに興味深く素晴らしいご着想ですね!
其々の「心に残るもの」というのが私のテーマではありましたが、敢えて言えば似て非なる二つの感情が一連の筋書きを持つ小説にも姿を変え得るという発想の豊かさに、驚き入りました。もう少し具体的に内容と展開を伺いたいものです。
これに関してもうお一方の 率直である意味ボーイッシュなご感想にも敬意を表す処です。

ところで掲示板は全画面白色の背景に大きなポイント文字で様々な種類の発言の場のようで、その性格上一定の歌のBGMは無いようです。もうご存知とは思いますが私はたんなる音楽愛好家ゆえに、こういうのが大の苦手。ここに書きましたがご了承くださいね。さらに興味津々に発展させたご投稿、切に期待します。 ではお元気で!

投稿: 福ちゃん | 2018年11月 2日 (金) 03時49分

(現実社会について先回の補足)
私は言うなれば「あざみ」支持派でしょうね。それなりに若い頃の男女関係はいわゆる情欲がつきもの。しかしこれとて大前提として相性があり状況があり、さらに程度というのもあったと思います。誰もが自己に内在する願望に衝かれて突っ走ったとすればどうなるでしょう? その場合、自分をコントロールすべき理性が必要ですけど もうこんなこと、くどくど述べなくともいい筈ですね。

隠さずに申すなら、私とて相手によっては羽目を外したこともありますよ。皆様も、同じような体験をお持ちでしょうし、きっと記憶や単なる回想を越えた切実な思いもおありかもしれません。けれどもそこには全体の状況を判断する「分別」みたいなものの作用があって 相手をそして自分をもあまり傷つけることなく、我々はこれまで正常な社会・常識的で健全な人間関係の保たれた社会を守って来たのだとすれば、以下は言うに及ばず・・ 余計なことを申したかもしれません。どうか悪しからず!

投稿: 福ちゃん | 2018年11月 2日 (金) 16時29分

  歌詞とメロディがピタリと合った叙情歌の名曲です。伊藤久男のオリジナル盤を初め、多くの歌手による歌唱を耳にしてきましたが、その中で忘れられないものがあります。
 それは今から60年弱前のことでした。当時、NHKのラジオの連続ドラマ番組が毎土曜の夜にあり、15分程度の長さで1カ月ほど続きました。タイトルは忘れましたが、要は歌手を目指して地方から上京した若い女性が夢を叶えるという、よくあるパターンのドラマでした。
 ヒロイン役は初めて耳にした珍しい苗字の新人俳優で、倍賞千恵子という人でした。ドラマが終盤を迎え、ヒロインがオーディションに合格した処で終わりましたが、その時に歌ったのが「あざみの歌」だったのです。その癖のない美しい声に魅せられ、彼女の「あざみ…」をもう一度聞けることを切望しましたが、叶いませんでした。
 間もなく、すぐに彼女は松竹で映画デビュウし、次いで「下町の太陽」でスターになりました。それから10年ほどして、キング・レコードから「倍賞千恵子の日本の詩」というLPシリーズが企画され、そのファーストLPに「あざみの歌」が挿入されたのです。まさに狂喜乱舞、すぐに買い求めました… 念願がかなって感激もひとしお、以後、同シリーズが発売される毎に入手して50年弱、今だに大切に聞いています。
 話は変わりますが、彼女が高倉健と共演した映画「遥かなる山の呼び声」、このラスト・シーンは何度見ても涙が流れます。ハナ肇が最高に泣かせるのですね…。私は「幸せの黄色いリボン」よりも「遥かなる…」が好きです。


 

投稿: ジーン | 2020年5月30日 (土) 11時28分

「あざみの歌」は若いころからよく知っていました。しかし作詞者が横井弘氏であり、ご自身の理想の女性像をだぶらせてお作りになったとは、このブログで知らされました。以来、詩の内容をかみしめながら、きれいな声の倍賞千恵子さんの歌唱を何度も何度も鑑賞してきました。
 私ども夫婦は金婚式をあと3年で迎えられるとささやかな幸せを感じつつ暮らしています。
 私はお見合いを十度以上重ね、今の家内と結婚しました。理想が高かったわけではなく、たまたまこれという人にめぐり逢うことがなかっただけです。
 結婚以来、大した波風もなく、来られたことを家内のお陰と思っています。
 そこでふと思いついたのが、趣味でたしなんでいる川柳で妻へのサービスができないかでした。
 川柳というものは、世の出来事への批判や人生の機微を突く風刺、感想やユーモアで綴るものです。
 いつもユーモアのやり玉に上げていた妻を今回、「あざみの女(人)探し求めて今は妻」と小さな色紙に書き壁に下げておきました。
 感想を聞きましたが、「うんともすんとも」言いませんでした。
 能勢の赤ひげさまの理想の医療に挑戦されたコメントに比べたらバカみたいなものですが、これが私の妻への感謝と思っています。
 いつまでも「あざみの歌」「やまのけむり」の調べにうっとりしたいと思っています。

投稿: 伊勢の茜雲 | 2020年8月10日 (月) 07時43分

二次試験の身体検査と面接を終え、一週間後の合格発表の結果通知を先輩にたくして受験地広島を後に田舎に戻りました。ラジオからながれる朝のNHKラジオドラマをゆったり気分で聴きながらの知らせを待つ毎日でした。ドラマのテーマ音楽と途中で流れるメロディは今も耳にとどまって消え去ることはありません。伊豆の西海岸と東京を舞台にしたホームドラマと記憶しています。歌詞はなく、勝手につけて・・・ 山には山の愁いあり 海には海のかなしみ・・・と口ずさんでいました。昭和30年ごろのことです。どなたかこのドラマのタイトルをご存じであればと思います。ところで肝心の通知は電報で「サクラチル」でした。

投稿: 亜浪沙(山口功) | 2020年8月10日 (月) 13時16分

 長崎のsitaruです。「あざみの歌」は中学生の頃に知り、流行歌として出されたことは知らないまま、時々口ずさんでいました。アザミの花は、田舎ではありふれた花で、農家の周りには普通に見られました。紫色や赤色の綺麗な花で、葉や茎にトゲが無ければ、手に摘んで眺めたりしていたでしょうが、牛の飼料ともならず、何の役にも立たない花として、ただ、ああ咲いているなと見て通り過ぎるだけでした。昭和30年代に少年期を送った私は、とにかく空腹を少しでも満たすことばかり考え、食べられそうなものは何でも食べていました。食べてはいけないと言われても、ヘビイチゴやカラスウリの熟した赤い実を見ると、食べたくなっていました。
 この歌に関しては、今も忘れられない思い出があります。それは、高校二年の時(昭和46年)、物理の担当だったT先生が、一年の授業の最後の時間に、男子クラスだった私達全員の前で、「お別れに歌を歌います」と言われて、この歌を独唱されたことです。T先生は、30歳過ぎの非常に生真面目な男の先生で、板書の字も綺麗で、朴訥とした言葉で丁寧に教えて下さいましたが、私は物理の出来がいつも悪く、定期試験で20点台を取ったこともあり、数学も不得意だったので、この頃から「ああ自分は理系は無理だな」と思うようになりました。先生は、「あざみの歌」を歌われる前に、こういう趣旨のことを仰いました。「私は、間もなく転勤願いを教育委員会に出すつもりです。それが叶えられたら、今のような都会の学校でなく、どこかの小さな島の学校に勤めたいと思っています」と。私はその時は先生の仰る意味がわからず、珍しいことをなさる先生だなとぼんやり思っただけでした。その後成人した私は、この経験を思い出すたびに、先生の言動の意味を考え、私なりの結論を出しました。それは、先生は、職場の人間関係、先生同士、あるいは先生と生徒の関係に、何か重大な問題を抱えていらしたのではないか。そこから逃れるために、私達の学校を辞める決意をされたのではないか、ということです。当時の高校は、戦後のベビーブームの余波が続き、私が学んだ高校も、一学年13クラス、一学級50人近い生徒が学んでいました。教室が足りず、プレハブの教室がいくつかありました。当然先生の数も多く、人間関係は複雑だったのかも知れません。長崎は島が多いので、そのようなことも可能だったのかも知れません。先生のお言葉と、「あざみの歌」の関係も当然考え、出て来た言葉は「孤独」と「純朴」でした。私にも、似たところがあると思っています。先生のその後のご消息は一切存じ上げません。同窓会が何度かありましたが、お出になってはいないようです。しかし、いつかどこかで、先生のお言葉が心に沁みた生徒がいたことをお伝えできればと思っているところです。

投稿: sitaru | 2020年8月18日 (火) 03時05分

「あざみの歌」このページを開く度に、心の奥底まで深く沁みわたる詩とメロディ、この曲は作詞家横井弘と作曲家八洲秀章という偉大な二人が、もしかしたら出会うべくして出会うというそんな必然的な運命があり、またこの曲はそんな双方の出会いから生まれるべくして生まれた名曲ではないのか、この曲を聴く度に私はそんな気持ちにさえさせられます!

2018年6月7日あこがれ様のご投稿コメントでこの唄が出来た経緯を私は初めてしりました。

>すでに曲が出来ており、また詩も出来ていた・・・

>名曲誕生の裏には、偶然とは思えないなにかがあるようですね。

今では上記のお言葉に私もまさに同感の思いがいたします!

これまでには「さくら貝の歌」「北上夜曲」「月見草の花」などをはじめ、心にのこる素晴らしい抒情歌の数々を私は色々と聴いてきましたが、それでも「あざみの歌」を超えるほどの抒情歌に出会うことはおそらく未来永劫ないだろうと思っているほどの愛曲でもあります。

この珠玉のブログでアップされた数多い曲目の中から私はこれまで多曲にわたり、二木先生が奏でるメロディを大変有難い思いを持ちながら夢中で聴かせていただいてきましたが、そんな中でも特にこの曲においては『演奏の出だしから最後の「あああー」に至るまで』そのアレンジ力を駆使した二木先生の演奏技術が最大限に活かされたことにより、聴く人たちの琴線をふるわしそしてより感動を与えるメロディに仕上がったのではないのかと私は捉えています。

「あざみの歌」このメロディを静かに聴いていると私自身の心がいつのまにか清浄化されていくようなそんな気がしてきます。

投稿: 芳勝 | 2020年8月22日 (土) 17時24分

あざみは、私の子どもの頃の遊び場・利根川堤防にも沢山咲いていました。
決して豪華な花ではなかったのですが、土手の雑草の中に鮮やかに咲いていました。
ブログ・ハーモニカ演奏の伴奏に使わせていただきました。
ありがとうございました。

投稿: ゆるりと | 2021年10月28日 (木) 13時22分

私は、花に関係する歌が好きです。みかん、クチナシ、さざんか………などなど。
「アザミの歌」は、昔 父がよく歌ってました。ラジオで覚えたと思います。
家の庭に、「ドイツアザミ」を植えていましたが、いつの間にか、消えてしまい、種を捜していましたが、手に入らず、………の状態でしたが、昨年 散歩の道にあった野性のアザミを掘ってきて、家の植木鉢に植えました。多分、今年は咲くと思います。
いつ聴いても しんみりとした いい曲です。

投稿: のりべ | 2022年1月 8日 (土) 23時48分

この歌の作詞者横井弘さんは自分の理想とする女性像を読み込んだものと言われています。語句の一つ一つにその熱い思いが込められているかと感じ取れます。
 先日、TVの歌番組ですでに故人の宮川泰さんの話題の中で、宮川さんは自分の葬儀には「宇宙戦艦ヤマト」で送ってくれと遺言されていたそうです。なるほどいいことだと納得しながら家内と聞いていて、我々はどうかとなりました。私は即座に愛唱歌「惜別の歌」でよいと言いましたが、家内はどうするで議論となりました。私は曲の成立経過からして「あざみの歌」が最適だと言いましたがどうなることか。

投稿: 伊勢の茜雲 | 2024年3月19日 (火) 11時57分

詩情豊かな、琴線に響く、抒情歌を代表する日本の名歌の名歌の一つですね。全く、心を洗われます。

私は、特に、三番が好き。失礼を顧みづ、"あざみ"
の三文字を、「心の花園に咲きし」人の名に変えて、「深きわが想い」をこの歌の悲しみに託しております・

闘病中、大好きな桜と街の祭りの賑わいに送られ、旅たちました。臨終の際に、何が浮かんだでしょうか。
私への恨みのひとこと、でも聞きたかった(涙)。
月命日には、歌と花を手向け、「香れよ せめてわが胸に、ああ」・・・です。

今日が、三回忌の命日です。

投稿: 築地武士 | 2024年5月 6日 (月) 12時43分

 「あざみの歌」に触れるたびに思い出だす歌があります。それは「赤色エレジー」なる歌で、メロディは「あざみ…」と同一のものでした。何でも、昭和初期を舞台にした連載コミックをアニメ化した際の挿入歌だったような記憶があります。間違っていましたらスミマセン。

 歌ったのは、あがた森魚(もりお)なる歌手で、「幸子の幸は何処にある…。男、一郎ままよとて。昭和四年は春も宵、桜吹雪けば蝶も舞う…」という歌詞の一部は今も覚えていますし、ラストは「お涙頂戴、ありがとう…」と歌われておりました。レコードを所持しておりましたので、確認するべく探しましたが、生来の整理下手のため見つけることができませんでした…。

 

投稿: ジーン | 2024年7月15日 (月) 16時29分

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