白いギター
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
作詞:林春生、作曲:馬飼野俊一、唄:チェリッシュ
1 白いギターに かえたのは 2 爪を噛むのを やめたのは ラララララ ラララララ…… |
《蛇足》 昭和48年(1973)リリース。
この清純な恋の感じがなんともいいですね。ただし、「愛し合う二人には恋の予感がうれしくて」は変。愛し合っているなら、もう恋でしょうが、予感じゃなくて。
この歌を聞くと、昔、磐梯高原で見た晩夏の草花を思い出します。
(二木紘三)
コメント
蛇足で作詞にまで言及されているのが楽しいですねぇ。
川内康範さんが亡くなられて。。。。生一本の方がこの日本からどんどん亡くなって行かれますね。
投稿: sunday | 2008年4月 9日 (水) 06時13分
この唄には心をなごましてくれる何かがありますね。先生の
解説には笑ってしまいました。
投稿: M.U | 2008年8月22日 (金) 16時05分
M.U.さま、はじめまして。
「愛し合う二人には・・・」のフレーズへの疑問ですが
英語の「Make love」には、精神的な愛より、肉体的な愛を交わす意味合いがあります。白いギターの色と形から女性の体型を想像してしまうのは行きすぎかしら?
恋の予感がうれしくて・・・
多分、将来結婚へと発展するような想いを抱いたから、余計心がはずんで、嬉しかったのでしょう。
昨今の「できちゃった婚」に比べると清純な乙女の姿が
ほうふつとする歌でしたね。えっちゃんも可愛かった!
投稿: 巴茶寮 | 2008年8月22日 (金) 16時23分
巴茶寮様
愛し合う二人には恋の予感・・・先生の解説に賛成です。
投稿: M.U | 2008年8月22日 (金) 16時40分
「愛し合う」の意味はプラトニックであり、「恋」はもっと肉体的なものという感じに私はとりました。調べてみると、作詞者の林春生氏は1937年生の島根の人である、つまり保守的な恋愛観の持ち主ではということから類推して。(あの素敵な「雨の御堂筋」「京都の恋」の作者でもあります)
投稿: Bianca | 2008年8月23日 (土) 11時48分
愛し合うから恋が生まれ、恋すれば愛し合う。素直に解釈
して。
投稿: M.U | 2008年8月23日 (土) 16時58分
Biancaさんは「恋はもっと肉体的なもの」、ずばりといえばセックスを伴うもの、とお考えのようですが、だとすると、中河与一の「天の夕顔」やゴールズワージーの「リンゴの木」は恋愛小説ではないし、ベアトリーチェに対するダンテの思慕も恋ではない、ということになります。いずれも「肉体的なもの」を伴っていませんから。
私はセックスを汚いものと考えたことはありませんが、「恋の予感」イコール「セックスの予感」であるかのようにいわれると、この清純な恋の歌が汚されたような気がします。
投稿: 昔の文学少女 | 2008年8月23日 (土) 20時43分
愛と恋とは別物だと思います。まあ、あまり実際の経験がないので、書物の知識にすぎないのですが。そもそも、恋愛など、日本には存在しえないのじゃないですか。ある文化人類学者がそう語っておりました。
投稿: Bianca | 2008年8月23日 (土) 23時00分
愛とは「愛と死をみつめて」「智恵子抄」などの世界でしょう。恋とは「恋人よ」でしょう。どちらも人間の心をくすぐるのだから、似たような物だと思います。
投稿: M.U | 2008年8月24日 (日) 09時31分
昔の文学少女様
「愛し合う二人には恋の予感が嬉しくて」このフレーズがあったからヒットしたのですよね。
「城ヶ崎ブルース」では愛と恋が入り乱れています。
投稿: M.U | 2008年8月25日 (月) 12時11分
「愛し合う二人には恋の予感がうれしくて」愛があって、恋
の予感があって、恋に行き着いた、そしてまた愛になる。
こう思うカップルがいても、おかしくはないと思う。この先
は各自の感性により違ってきても当然だとおもいます。
投稿: M.U | 2008年9月 4日 (木) 17時58分
愛と恋の関係について先生の御意見に賛同させて戴きます。次の質問に対するベストアンサーです。
「人を恋することと、愛することの違いは何でしょう。」
ベストアンサー
先ず彼女に「恋」心を抱きます。
幸いに彼女も貴方を好きになってくれました。
交際している内に「愛」が芽生えた。
という順序になりましょう。
恋をしてから愛が育つのでは。
投稿: 海道 | 2010年7月24日 (土) 19時17分
昭和48年12月日本列島がオイルショックに揺れた年に長男が誕生しました。
巷ではチェリッシュの歌が大人気で、妻もフアンの一人でした。
チェリッシュナンバーのLPを毎日かけて長男にも子守唄代わりに聞かせていたようです。
私も可憐で清純な歌声が好きで、当時の8トラのカーステレオのソフトに加えました。
3人で外出し、車の中でこの「白いギター」の演奏が始まると必ず「お家へ帰ろう」とぐずりだすようになりました。
条件反射だったのでしょうか。
そんな長男もアラフォー世代、2児の父親となりました。
投稿: タケオ | 2012年10月 4日 (木) 19時55分
「白いギター」この曲が流行ったころの私はフォークギターに夢中な19歳の青年でした!
大好きだったチェリッシュ・悦ちゃんの歌声と魅惑的なそのギターの響きに強く感化された私は、当時あっちこっちの楽器店をくまなく回り、ようやく探し当てて何とか購入できたのが、安価な白いクラシックギターでしたので、この曲には今でも強い思い入れがあります!
先の2008年と2010年には『恋』と『愛』についての実に興味深い真剣なコメント論議が寄せられていますが、つい最近になって私が偶然見つけた某記述には、意外でしたがそれでいてどこか腑に落ちるよな、そんな定義が書いてありました。
『愛と恋の違いは、愛は相手本位の深い感情であり、恋は自分本位の感情である。恋は両想いにならなけば完成しないが、愛はその人を愛した時点で完成している。心から誰かを愛した場合は、結婚などの形への執着は生まれない。恋愛中に不安になることは誰にでもあるが、それが一時的なものではなく、ずっと続くのならば、あなたの想いは愛ではなく恋である。』という記述です。
この歌の詩を書いた、著名な作詞家:林春生は、もしかしたら、この『上記の定義』をすでに胸に踏まえながら書いたのかも・・・と、最近はこのページを開くと私はそんなことを思ったりしています。
投稿: 芳勝 | 2023年11月25日 (土) 15時34分
皆様のコメントが面白いですね。
芳勝さまの「愛は相手本位の深い感情であり、恋は自分本位の感情である。」この言葉には賛成ですね。でもそのあとはそうかなぁと思いました。数少ない自分の恋愛体験から改まって考えてみますと、恋とは最終的には自分で吹っ切れる表層的なもの、しかし愛とはもっと深層部分に作用して存在するものと思いました。
投稿: konoha | 2023年11月25日 (土) 18時36分