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2007年8月13日 (月)

シャボン玉

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:野口雨情、作曲:中山晋平

1 しゃぼん玉飛んだ 屋根まで飛んだ
  屋根まで飛んで こわれて消えた

2 しゃぼん玉消えた 飛ばずに消えた
  生まれてすぐに こわれて消えた

  風、風吹くな しゃぼん玉飛ばそ

《蛇足》 野口雨情・中山晋平のコンビは、大人の歌から童謡まで、数多くの名曲を生み出しましたが、これもその1つです。
 詞は大正11年(1922)、児童雑誌『金の塔』1月号に発表されれました。

 長田暁二著『母と子のうた100選』(平成元年〈1989〉4月刊)には、大正9年(1920)、雨情が作曲家の中山晋平や歌手の佐藤千夜子とともに四国徳島で自作童謡普及の演奏旅行中、2歳の娘が亡くなってしまい、その娘への鎮魂の思いを込めて綴ったのがこの詞だ、と書かれてます。

 しかし、雨情の子でこの年に亡くなった子はいません。大正10年(1921)11月17日に生まれた四女・恒子は2歳10か月で亡くなっていますが、 この童謡の掲載時には存命中で、亡くなったのは同13年(1924)9月23日です。

 ただ、明治41年(1908)3月15日に生まれた長女みどりは、その8日後に亡くなっています。雨情は、恒子が生まれたとき、「生まれてすぐに消えた」みどりのことを思い出し、哀切の思いを新たにしたのではないでしょうか。
 そう思って2番の歌詞を読むと、何か胸に痛切に迫ってくるものがあります。

(二木紘三)

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コメント

すばらしい童謡です。ただ2節ですが人間のありようも詠っている感じです。飛んでも飛ばなくても壊れて消えるシャボン玉。しかし出来れば屋根までも飛んで消えさせたい。メロディーもす晴らし。口ずさみたい。

投稿: 波路 | 2008年8月25日 (月) 20時37分

子供の頃から 何気なく歌っていましたが
蛇足を読み この詩には そんな 裏話がある事
はじめて 知りました。
浜千鳥もこの唄も好きですが
どちらも とても哀しくなってきます。
親子の情愛でしょうか。

投稿: (青果) 川本 | 2008年10月21日 (火) 22時50分

2番の後、「風 風 吹くな」の前に:
  シャボン玉飛ばそ
  天まで飛ばそ
  天まで飛んで
  お空で消えた
と歌っておりましたが、子供の私の出任せだったのか、それとも似たようなバージョンがどこかにあったのでしょうか?

投稿: dorule | 2014年2月21日 (金) 11時19分

雨情の詞は子供が抵抗なく歌えるものでありながら、大人には何かを考えさせる深い唄だと思います。「こわれて消えた」には胸がじんとくるものがあります。人生いろんな局面にある喪失感というものでしょうか。先生はまだおとりあげになっていませんが、「七つの子」も議論を呼ぶ歌で、雨情あるいは知り合いの7歳位の子供とその親が語らいながら日暮れ道を家路につく光景を想像します。

投稿: しょうちゃん | 2015年4月 1日 (水) 22時11分

むかしの童謡は、元は暗く悲しい物語があるとよく言われます。ですからこの歌は、実はむかし貧乏のために人買いに売られ、子供のころから吉原のようなところで働いている女郎が、高い塀の外に憧れながら出られぬ悲しさをシャボン玉に託して、「ああ、あの外に自由に行きたいな」という思いを童謡に託したものだと、私は何となく思っていました。

でも、二木先生の解説を見て、事実はそうじゃないことが分かり何かほっとしました。亡くなった我が子への哀切極まりない親の愛情が胸を打ちます。でも、もし私が思っていたストーリーだとしても、つじつまが合うような気もします。変なことを考えてすみません。

投稿: 吟二 | 2017年9月 1日 (金) 22時46分

dorule様に同意です。
私もそんな風に歌った気がします。詩の背景を知らない大人にとっては、2番には哀しみというより何か不安なもの不吉なものが感ぜられるのではないでしょうか。

投稿: yoko | 2017年9月 2日 (土) 00時10分

詩のいきさつを知った中山晋平が、曲を付けたくても作れなかった時、
讃美歌の「主われを愛す」を聴いたのがヒントになった。
と宗教の番組で言ってました。

投稿: なち | 2017年10月21日 (土) 14時16分

Wikipedia(シャボン玉)に野口雨情が昭和11年に3番4番の歌詞を作ったとあります。ですがネット検索しても見当たりません。ご存じの方、教えてください。あるいは dorule 様の歌詞がそのどちらかでしょうか!?

投稿: massyshow | 2019年10月 8日 (火) 14時10分

しゃぼん玉飛んだ  屋根より高く
ふわりふわり  つづいて飛んだ
しゃぼん玉いいな お空にあがる
さがって行って かえって来ない
ふわりふわり しゃぼん玉飛んだ 

これだけを続けて唄っていますね。後は最初の繰り返し

シャボンだま 平山美代子・尾村まさ子 鈴木安江
https://www.youtube.com/watch?v=EPt-tqLV10o

投稿: なち | 2019年10月 8日 (火) 18時55分

なち様 さっそくありがとうございます。
レコードを聴く限りですが
 ①二木先生が1番2番としている歌詞がこれ全体で1番。
 ②上の、なち様から教えて戴いた歌詞が全体で2番。
 ③3番は1番の繰り返し。
といった印象を受けます。
 ④Wikipediaにあるとおり野口雨情は、昭和11年に3番4番を追加作詞した。
 ⑤それをあとになって誰かがアレンジした。
のでしょうかね!?まあ大した問題はありませんが……。
そういえば「雨降りお月さん」も(2番は雲の蔭)3番は1番の繰り返しになっていますね。

投稿: massyshow | 2019年10月 9日 (水) 10時13分

ふるさとを訪ねてくれた数少ない有名人の一人が野口雨情です。「佐喜の浜ならあの野根山の 南忘るな沖の船…彼が徳島から室戸の方に下って行った頃、しゃぼん玉の歌が作られたかと言われていたように思います。
室生犀星に「靴下」という愛息を悼む詩がありますね。
 「毛糸にて編める靴下をもはかせ 好めるおもちゃをも入れ あみがさ、わらぢのたぐひをもおさめ 石をもてひつぎを打ち かくて野に出でゆかしめぬ。
 おのれ父たるゆゑに 野辺の送りすべきものにあらずと われひとり留まり 庭などをながめあるほどに 耐へがたくなり 煙草を噛みしめて泣きけり。」
昨年5月29日朝日天声人語氏が山崎美代子氏の句を紹介していましが、打たれました。「逆縁の花の別れでありにけり」
こどもたちの健やかな生長を祈ります。
 

投稿: 樹美 | 2020年4月 2日 (木) 20時26分

「なち」さんがお書きになっている通り、この曲の原曲は讃美歌の「Jesus Loves Me」に間違いないと思われます。我が家にC&W歌手の重鎮であったレッド・フォーリー(パット・ブーンの義父)の音源と、ボニー・ギターが歌ったクリスマス・アルバムの音源があります。

投稿: ジーン | 2020年11月19日 (木) 11時35分

野口雨情さんの童謡の持つ悲しさに敬意を抱きます。「お人形さんの夢」では「お人形さんの 昔のお家は ガラスのお窓」「鳳仙花が 一杯 お庭に 咲いていた」「お人形さんは 今でも 鳳仙花の 夢を見る」とあり、歌詞にこもる悲しさは人形への愛から来ていて、人形が前にいた家を思いやり見る夢までも思いやるやさしい心から来ております。夢についての歌詞では,「海ひよどり」は、海鵯が「赤い帆をかけた 小さい船に いつか別れた子供が 乗っている」夢を見る話です。「別れた子供」に、二木先生がこの「シャボン玉」の歌で想像しておられる。雨情さんの亡くした子供が投影されているかもしれません。この世で相手を愛すれば必ず最後に死別とか別れが待っており、愛すれば悲しみを抱くことになり、野口雨情さんの童謡の悲しみは愛がこもっているから美しくて心を打つと思います。

投稿: kazu | 2023年3月31日 (金) 16時28分

今日道に鳥の死骸があり、踏みそうになりました。その時野口雨情さんの「七つの子」を思い出してしまったのでまたここに書かせてください。もしこれが歌の「丸い目をしたいい子」だったら、私にはただの物体に見えるものが、愛ゆえに、親ガラスにとってどんなに悲しいだろうと。「七つの子」の歌にそこはかとない悲しい感じがするのは「この頃自分は調子が悪く餌を子に十分持って行ってやれない」とかいう親鳥のいろいろな心配が、素朴な歌詞を通して伝わってくるからだろうと思います。大正期に野口雨情さんら優れた詩人たちが志を立てて童謡を作ったのは、大変な偉業だったと思います。その童謡に悲しいものが多いのは、雨情さんたちが子供たちに語ろうとした人生で一番大切な愛というものが悲しみと共にあり歌に愛が込められているからだと思います。

投稿: kazu | 2023年4月 4日 (火) 02時00分

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