北の旅人
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
作詞:山口洋子、作曲:弦哲也、唄:石原裕次郎
1 たどりついたら 岬のはずれ 2 ふるい酒場で 噂をきいた 3 空でちぎれる あの汽笛さえ |
《蛇足》 石原裕次郎は昭和62年(1987)7月17日、入院中の慶應義塾大学病院で死去。この曲はその翌月にリリースされ、彼の最後のヒット曲となりました。
レコーディングは闘病中に行われたはずですが、少しも衰えを感じさせず、最盛期と同じ艶のある歌声を聞かせてくれます。
(二木紘三)
コメント
この歌をきくと裕次郎の姿が脳裏に浮かぶと同時に、己自身が主人公になりスクリーンの中で何故か演じてるのです。
ただ、違うのは彼のシェルエットでなく見るに耐えない自分の姿です。
いまさらながら良いですね、この歌は!!
さて、今宵もグラス片手にPCの前で歌いながら乾杯をしましょう。
投稿: 益子 良夫 | 2007年9月24日 (月) 19時05分
10何年か前、近所の居酒屋の飲み仲間15人位で北海道へ行き小樽の
裕次郎記念館に行く途中のバスの中でカラオケでこの歌を歌った時、バスガイドさんが裕ちゃんと間違へました。自分でも似ていると思っていましたが、嬉しかった思い出があります。その数年後、喉頭がんになり声を
殆ど失い、今では病気前に吹き込んだ裕ちゃんの歌を自己満足しながら
聞いています。昭和17年生まれの私には裕ちゃんとひばりちゃんの歌の
数々に懐かしくも切ない思い出がいっぱいあります。
投稿: 過去捨て人 | 2008年1月25日 (金) 15時43分
こんな淋しい歌がどうして好きなんでしょうねぇ?
何も言わないけど男の人の胸の内にはつら-い気持ちが詰まっているんでしょうかね?
裕ちゃんのようなカリスマ性を持った人と言うのはナカナカ現れないんでしょうねぇ?
投稿: sunday | 2008年4月20日 (日) 07時42分
裕次郎さんが唄う歌は大好きです。
特に主張するでもなく、特に悲しみや淋しさを訴えるのでもなく、低い抑えたような声で、淡々と唄う歌は、聴いているほうで切ない気持ちを味わっています。
札幌・小樽と行きましたが、裕次郎さんは小樽が似合うと思いました。
また、思い出としては退職後間もなく不治の病に罹った主人は病名を知らされる事も無く、希望を持って闘病生活していました。
一時退院の時、福岡県の有名な温泉に旅をして泊まった旅館の部屋が、「この部屋は裕次郎さんと三枝さんが泊まりました」と教えられました。
何だかお二人にあやかって、ほのぼのした気分を味わったことが思い出されます。
他人の私でさえ歌を聴き歌声を思い出すとき切ない気持ちになりますが、奥様はより以上に切ない気持ちになれれるのでは・・・と思い案じています。
投稿: 香西 千鶴 | 2008年5月22日 (木) 23時23分
消えぬ面影 追い求め たどり着いたら 最果て港 遥々遠く 来たものだ 冷たい雨も 雪になる なぜか身に染むこころ唄
いつ聴いても いい歌ですね
投稿: 演歌の花道 | 2009年5月12日 (火) 15時45分
ギター教室の発表会で近々この歌を弾き語りで歌います。この歌は以前から好きでカラオケでよく歌っていました。
3年ほど前、最愛の一人娘が結婚して近くにいたのですが1歳の孫を連れて旦那の故郷の北海道に移ってしまい、いまだに夫婦でやるせない気持ちでいます。最初は札幌だったのですが最近は転勤で釧路・・・・なぜかオーバーラップして・・・
あまり感情移入しちゃうと歌えなくなるかな。
投稿: レオナルド | 2009年6月12日 (金) 11時35分
「北の旅人」のエピソードです。
ハワイで療養していたときに、現地に機材を持ち込みレコーディング。芸能生活30周年のアルバム企画の一環として、そのときオケ録(オーケストラ録音)が終わっていた「わが人生に悔いなし」「おれの人生」が第1弾としてレコーディングされた。長い間シングル盤を発売していなかったので、先行して昭和62(1987)年4月21日発売する予定だった。アルバム企画とは別に「北の旅人」「想い出はアカシア」もレコーディング。病状が悪化し帰国して、発売の前日緊急再入院となったが、予定通り発売された。テイチクは稼がせてもらったのに、ちゃっかり追悼盤をレコーディングしていたと非難轟々だったが、テイチクの関係者は癌で危ないことを知らされていなかった。
「北の旅人」「想い出はアカシア」については、ディレクターは発売に反対したが、死後、ファンからほかにレコーディングしたものがあればぜひ発売してほしいとの要望が殺到し、8月にリリースされた。
芸能生活30周年のアルバムには、ニューミュージック系の人たちにも作曲を依頼していた様子で、健在であったらいいアルバムができたのではないかと思います。残念です。……高柳六郎「石原裕次郎 歌伝説」(現代教養文庫)より
投稿: Dr.Unchiku | 2009年10月29日 (木) 18時43分
ほんとですね。
石原裕次郎さんの「わが人生に悔いなし」と、
美空ひばりさんの「川の流れのように」
どうしてこんな歌を作られたのかなぁ・・と思っていました。
投稿: なち | 2009年10月29日 (木) 19時42分
裕ちゃんが晩年、ハワイの別荘で歌くらいなら(仕事できる)と吹き込んだのですが、通してうまく歌えず、良く歌えた部分をつないでレコード化した、と聞いております。
投稿: 藤村大蔵 | 2009年11月 1日 (日) 21時34分
大蔵さん 誰から聞いたのでしょうか?
投稿: 小蔵 | 2009年11月 3日 (火) 16時14分
〔コメントの投稿について〕
4. 曲の成り立ちや作詞・作曲者、歌手等について、根拠の曖昧なコメントはご遠慮ください。
ということですので、藤村大蔵氏に情報源を伺いたいと存じます。よろしく!!
投稿: 中蔵 | 2009年11月15日 (日) 16時17分
二木先生の演奏最高です。情感がたまらなく高まるのは私だけでしょうか?
投稿: 夏橙 | 2012年6月23日 (土) 20時41分
裕次郎は若い頃から好きにはなれませんでしたが、なぜか彼の歌には惹かれるものが多い。69歳。
投稿: jiro.sakata | 2012年6月25日 (月) 17時06分
この歌を聞くたびに北海道のこと、北の国のことを
しみじみと思い出します。釧路→小樽→函館と
本当に美しい思い出があふれてきます。
投稿: 山中道宏 | 2012年11月 6日 (火) 21時56分
裕次郎の歌ですが、テレサテンで聞くのもさらにいいですね。アジアの歌姫の声、澄みわたってすばらしい。ベトナムに住んでいるせいかもしれません。
今日は、旧正月の元日です。夜になって、越し方、行く末をぼんやり考えながら、二木先生の曲でくりかえし聴いています。人生の旅路、長々と歩いてきたなあと思いながら。
投稿: 久保 稔 | 2014年1月31日 (金) 23時09分
石原裕次郎の昭和30~40年代の代表的ヒット曲は、独断と偏見で言えば、萩原四朗-上原賢六コンビの『赤いハンカチ』『夕陽の丘』、石巻宗一郎-バッキー白片コンビの『俺はお前に弱いんだ』、浜口庫之助(作詞作曲)の『夜霧よ今夜もありがとう』あたりかと・・・。
二木先生の解説の繰り返しで申し訳ないですが、『北の旅人』は山口洋子-弦哲也コンビによる最初で最後のヒット曲であり、歌手出身の弦哲也が作曲家になって最初に内藤国雄『おゆき』でヒットを飛ばしたということからも、唄うのが同じ裕次郎でも上記ヒット曲(昭和30~40年代)とは違った味わいがあるんではないかと思う今日この頃です。
投稿: 焼酎百代 | 2014年10月 5日 (日) 20時23分
年とともにカラオケで歌える曲が、少なくなってくる。
自分の音域が,だんだん狭くなっていくのがわかる。
さびしいかぎりだ。
この歌だけは、持ち歌として死守したい。
歌詞も良いが、メロデイもいい。
出だしの
♪ たどりーーついたらー みさきーーのはずれー
カラオケ教室の先生によれば、「たどりーーついたらー」は、息つぎをしてはいけないそうだ。
なるほど、ひと息で歌ったほうが、たしかによくなる。
でも苦しいな~、息が続かない、年のせいだ。
いやいや、何でもかんでも、年のにせいにしてはいけない。すべて、レッスンしだいです。
投稿: 赤胴鈴之助だ! | 2015年9月22日 (火) 13時58分
とても好きな歌ですが、裕ちゃんの低音が出せず、どうしても歌えませんでした、このカラオケを聞いて低音を気にしないで歌えそうです。
投稿: 甲田成二 | 2016年3月10日 (木) 12時16分
2年前に突然声がれして不安になり、咽喉科の専門医に精密検査をして貰いましたが、異常なし!・・単に 声帯の筋肉の衰えでしょう・・・とのこと、安心のような、悔しいような 複雑な気持ちでした。
以来、カラオケとは、全くの無縁状態でした。フランク永井やアイジョージ、石原裕次郎の曲がリクエストされると、2番 あこがれさん うたってね!と、頼まれるのが当たり前みたいに、気持ちよく引き受けて楽しんだものですが、77才の春を境にカミさんからも、リクエストが掛からなくなりました。ストレスがたまって仕方ありません。
実は、私の職場 六甲の山荘にも素晴らしいカラオケラウンジがあり、宿泊者が自由に歌い放題できます。
私は、ここ2~3年 歌い手さんから頼まれても、司会もナレーションも体よくお断りしてますが、つい先日、私のパートナーと本部の若い担当者と夜11時頃、入浴の前にカラオケラウンジを覗くと、たまたま無人でしたので、ちょっと1曲!と、裕次郎の「北の旅人」と「恋の町札幌」をだみ声とファルセットで、ごまかして歌ってみました。
幸い、観客は歌へた の身内二人だけ・・・。“久しぶりにあこがれさんの歌 聞いたけど、さすがやね~ “???
そのうち、7~8人若い女性陣が入ってきて、慌てて退散しました。
2~3年前だと、ここからが私の夢舞台だったのに~~。
投稿: あこがれ | 2018年9月13日 (木) 17時35分
2009年11月1日の藤村大蔵さんのコメント(裕次郎はこの曲の吹き込みにあたって、通しで唄えず良いところをつなぎ合わせてレコード化したという噂がある)に対して、11月3日の小蔵さんと15日の中蔵さんから「根拠を示せ」という趣旨の発言がありましたが、私もその噂は聞いたことがあります。
「この歌は、石原裕次郎が病気と闘っている最中にレコーディングしたそうで、ワンコーラス歌っては酸素吸入、そして横になり、そして、また歌って、やっと録音したとか。彼はこのレコードが発売される前に、逝ってしまった」との記事があります。下記参照してください。
https://qar.at.webry.info/201804/article_5.html 「木漏れ日の中で 北の旅人」
投稿: 吟二 | 2018年9月13日 (木) 22時02分
そうでしたか。
そのような経緯を踏まえて聞くとなおさらに涙腺が緩みます。裕次郎の歌が上手く容貌も裕次郎似と言われた亡夫の面影が浮かんでは又涙が込み上げます。
迷える古羊様が切望なされた国民栄誉賞 生前に与えて欲しかったと今更おもいます。
戦後の復興期からどれほどの若者が彼に憧れ、勇気づけられたことでしょう。スターのスター。
彼の歌は 例外を除いてどれも哀愁深く胸に沁みます。
投稿: りんご | 2018年9月14日 (金) 07時41分
この歌が世の出でたころは、現役の46歳の頃だったと思いますが、かすかにどこかで聴いたような感じはしますが定かではありません。
二木オケの素敵な演奏に聴き入り、心に深く染み入りました。
改めて、YouTubeの動画で拝聴しましたが、病床の中、裕次郎の最後のレコーディングをなされ、彼が歌うこの歌心の表現の豊かさには感動・感動に勝るものはないと感じている次第です。
この年になって時代に乗り遅れている自分を情けなく思っている次第です。
ご投稿の皆様のコメントには楽しく拝読させていただきました。
ありがとうございました。
kiku masさま提供
http://www.youtube.com/watch?v=eMS95MkQVi8
投稿: 一章 | 2018年9月15日 (土) 21時58分
「北の旅人」裕ちゃんの死の直後に発売されるという最後のレコードになり、これが追悼盤になろうとは全く予期せぬ出来事だった!
裕ちゃんはハワイアン・ミュージックの全盛時代にデビューし、ハワイに別荘を持つことを夢に見て、それを実現した裕ちゃんの最後の仕事がハワイでのレコーディングとは・・・何か因縁めいたものを感じざるを得ない。「石原裕次郎の世界」の歌詞本の中で長田暁二はこのように語っています。
「北の旅人」は蛇足にもあるように、少しも衰えを感じさせず、最盛期と同じように艶やかに歌えていますが、実質最後の吹き込み収録となったカップリング曲「想い出はアカシア」を聴いていると、その声には覇気がなく、息つきも辛そうな部分が感じとられ、いかに裕ちゃんのコンディションが優れてはいなかったかが想像できます。
裕ちゃんが亡くなりこの歌がヒットしていた頃、私は身体を壊し、初めての入院生活をしておりましたが、その時に私の部下たちがお見舞いに来てくれた時、裕ちゃんファンの私のために、お花と一緒に渡されたのが、当時発売になったばかりの、早く元気になって下さい!との、寄せ書きメッセージを添えた「石原裕次郎ベストヒット12・北の旅人」のCDアルバムでした。
あれから30年の月日が流れましたが、裕ちゃんは私が物心ついた幼い頃から最後まで、不世出の大スターでした。
一章様がUPして下さった「北の旅人」の動画、じっくりと噛みしめながら聴かせて頂きました。
投稿: 芳勝 | 2018年9月16日 (日) 13時16分
りんご様有り難うございます。ついに裕次郎さんの国民栄誉賞・・約2名合意の上で決定ですか・・歌といい、姿といい、いいですよね・・幾ら歌のうまい人でも、裕次郎の歌は裕次郎が唱わなかったら駄目なんですよね。《尤も、お宅のご主人様のような例外も有りますが・・》
まもなく、わが東海地方にも『風速40メートル』のロケ隊が来ます。裕次郎さんも一緒に風と共に来てくれば嬉しいのですが、風雨の爪痕だけ残して去って行くのでしょうね。悲しからずやです。
2018.09.30 迷える古羊
投稿: 迷える古羊 | 2018年9月30日 (日) 16時27分
山口洋子も石原裕次郎も亡くなっちゃったなー、昔はそれほど好きなお二人ではなかったんですが、自分が年を取って考えてみれば、やはり芸能界、銀座の世界でそれぞれ生きたお二人の苦労は、並みのものじゃなかったんでしょうね。大衆の心というか、その時代をみごとにすくい取った立派な人間でした。
70歳を超えて初めて気づくことや見えてくるものってあります。今じゃ好きなお二人です。
この曲は歌詞といい、メロディーといい自然な感じで、昔から大好きです。歌詞でいえば、はじめの「たどりついたら 岬のはずれ」が本当にいい。「なにがあったの、それからどうなるの」と、次への展開を聴く人に大いに期待させる歌詞だからです。
私も「たどりついたらハノイのはずれ」に住んでいますから、この歌を聴くと、いつも「なんでこうなったんだろうなあ」と、心静かに人生を振り返らされます。そして自分に与えられた運命を思います。
北海道には魅力ある町が多いのですが、釧路、函館、小樽を取り出したのも山口洋子ならではの才能。また最後の3番の小樽は裕次郎が小さい頃育ったところですから・・・いやあ、よくできた歌詞です。
投稿: 越村 南 | 2021年7月23日 (金) 09時33分