うるわしの虹
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
作詞:鈴木比呂志、作曲:八洲秀章、唄:浜 達美
1 ねむの花房 ほのあかく 2 空の深さよ 果てなさよ 3 ねむの花咲く 丘越えて |
《蛇足》 NHKのラジオ歌謡として作られ、昭和29年(1954)6月21日に初めて放送されました。
ラジオ歌謡は、家族で歌えるきれいな歌をという戦前の「国民歌謡」の精神を受け継いで、戦後作られ、放送されたものを指します。
800曲あまりが作られ、そのなかには『さくら貝の歌』『山小舎の灯』『夏の思い出』『白い花の咲く頃』『山のけむり』『花の街』『雪の降る街を』など、数多くの名曲が含まれています。
ネム(右の写真)はマメ科の高木で、暗くなると葉を閉じて眠ったようにみえるため、ネムノキまたはネブノキと呼ばれます。
漢字では「合歓」という色っぽい文字で表記されます。暗くなると、左右の葉身が合わさることからきた連想でしょう。
(二木紘三)
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コメント
この歌がラジオから流れていたころ、私はおくてな高校生でした。
ラジオ歌謡でひとつの歌がどのくらいの期間放送されていたのかは
忘れましたが、この歌も覚えてしまったところをみると一月位は放送されていたのではないでしょうか(うるわしの虹という題の歌とは知りませんでしたが)。
当時はガールフレンドなど夢のような話でしたが、どこからか歌声が聞こえてくるような気がして胸をときめかせていたのでしょう。
投稿: 周坊 | 2008年1月 9日 (水) 21時18分
高校2年の時、音楽部の先輩(男性)が全校生徒の前でこの曲を独唱しました。それ以来50年間、この曲を一度も聞く機会はなかったものの、ずっと何という曲だろうか、外国の曲だったのだろうかと思い続けていました。
二木先生の掲載曲一覧で私の知らない曲を一曲ずつクリックしていくと「ねむの花房 ほのあかく・・・・」
そうです。半世紀に渡って探し求めたあの懐かしい歌詞とメロディーが現れたのです。私の心をとらえたこの曲は、私の大好きな「あざみの歌」「さくら貝の唄」等の作曲者として知られる八洲秀章作曲の「うるわしの虹」だったのですね。わかったその日は興奮してなかなか寝つけませんでした。先生のこのサイトは演奏・音質共に素晴らしく、いつも楽しませてもらっています。今後ともご健闘ください。
投稿: 本田豊穂 | 2008年9月15日 (月) 23時03分
私も高校卒業以来数十年「うるわしの虹」を聴く機会がありませんでした。タイトルも思い出せなかったのです。
ところが、4~5年前にNHKのラジオ深夜便で偶然この歌を耳にした時の感激は本田豊穂さんと全く同じ感じでした。それ以来同じ番組で何度か聴きました。今後も放送されると思います。
投稿: 周坊 | 2008年9月16日 (火) 11時35分
八洲秀章の哀愁をおびたこの曲は、「あざみの歌」や「さくら貝の唄」とも共通する曲調で、この2曲にも劣らぬ名曲だと思いますが、なぜか耳にする機会が少ないのが不思議ですね。
しかし周坊さんのように、この曲に心を打たれる方が他にもおられることが確認できて嬉しく思います。情報提供ありがとうございます。
投稿: 本田豊穂 | 2008年9月25日 (木) 21時25分
この歌がラジオから流れていた頃、わたしは必死になって大学受験の勉強をしていました。無味乾燥な受験勉強の折々、疲れた頭を癒してくれたのが、この歌でした。今の高校生のようにヘッドフォンをしての‘ながら族’(当時、このことば自体ありませんでしたが)ではなかったので、切れ切れに聞こえてくるメロディと歌詞の断片しか覚えていませんでしたが、お蔭様で美しい曲の題名が『うるわしの虹』であり、歌詞もすべて知ることができて満足しています。二木様ありがとうございました。
投稿: ひろし | 2008年10月29日 (水) 14時41分
この歌は私にとっては未来を感じさせる歌でした。中学3年生、田舎の友人の家で遊んでバスを降りると、駅前の繁華街のどの店からも、この歌が流れていました。
露天が消え、バラックに近い店舗に品物があふれ始めた年です。一番嬉しかったのはセーラー服がサージ(純毛)になった事です。スフ入りのスカートは寝押しをしても、アイロンをかけても、ヒダがすぐ取れてしまい、悩みの種でした。万年筆もきれいな色の物が出て、買って貰えた時は嬉しかったですね。
色が豊かになると何故か幸せを感じます。この歌のようなきれいなお姉さんになりたいと願ったものです。夢見る少女の夢の歌がこの歌です。
投稿: ハコベの花 | 2010年5月28日 (金) 00時01分
何か懐かしいメロディです。
二木先生の蛇足(解説)に拠りますと、昭和29年6月21日から放送のラジオ歌謡ということですから、小学校1年生だったということになります。題名も歌詞も知らずに最近になってやっと知ることができました。ありがとうございます。唯一の家電品と言えるものは、ラジオだけでしたから、この音楽も無意識に聞こえていたのでしょう。
今回の震災で強制的に電気、ガス、水道、電話の無い生活をしてみて、九州での幼いころの妹、弟たちや亡き両親との生活をある種の懐かしさを持って思い出したものです。「計画停電」などという言葉はなく、確か「ローソク送電」といった心細い電力事情でしたから。資源を無駄遣いする今の生活を反省させられます。
勿論、初恋なども知りませんでした。その後の自らの諸々のことが思い出されます。八洲秀章さんという作曲家名を知ったのもこのサイトで最近のことです。彼の曲のまた名前の背景も知り、ますます好きになりました。
では、この辺で。
投稿: 竹永尚義 | 2011年6月 2日 (木) 18時29分
静かにこの曲に耳を傾けていると、遠い昔の過ぎ去った日々が懐かしく思い出されて思わずセンチメンタルな気持にさせられます。
小高い丘の上の芝草に独り寝転んで、流れ行く雲を眺めながら微睡むでもなく、呟くでもなく、初恋の人を偲んでロマンチックな空想にひたった経験をお持ちの方も少なくはないと思います。勿論、私はありますけど…。
でも、この曲は、全然知りませんでした。二木先生のこのサイトで初めて知りましたが、本当に良い歌ですね。なんども口ずさみながらすっかり覚えましたが、それにしてもこの曲へのコメントが意外にすくないのにいささか驚きです。
叙情的な詩と、名にし負う 八島秀章のメロデイーに、もう一度クリックしてみて下さい。
投稿: あこがれ | 2017年3月20日 (月) 18時34分
あこがれ様
この歌を見つけて下さって大変うれしく思います。あまり知られていない歌ですが、青春の入り口で聴いた美しい歌は私のあこがれをそっくり包み込んでいるように思います。未来に何があるのかと胸をときめかせたものです。美しい上級生に憧れたり、秀才の青年に憧れたりしている間に楽しかった青春時代は瞬く間に過ぎてしまいました。
友人たちと歌を歌いながら逍遥した三方ヶ原の松林が、今ブルドーザーで切り倒されています。思い返せば幸せな青春時代でした。憧れるものがいっぱいあったのですから・・・夕立の後の虹、夕日の沈む茜色の空、セーラー服、お下げ髪を結んだリボン、万年筆で書かれた告白の手紙、皆、夢の世界のようです。この歌を聴きながら夢の世界にひっそりと浸ってみたくなりました。
投稿: ハコベの花 | 2017年3月20日 (月) 21時30分
昭和29年といと中学二年生の時でしたがこの歌は全く知りませんでした。歌詞、メロディともに素晴らしい歌ですね。
当時をいろいろと思い返してしまいました。
ねむの木というと庭に大きなのがあり、毎年ピンク色の美しい花を咲かせ、前の通りを行く人たちが、なんてきれいな木だろうと讃えていました。
今はもうありませんが、台湾へ旅行した時に家にあったのと同じ木だとびっくりした思いがあります。
投稿: 栗さん | 2017年3月21日 (火) 11時46分
NHKのラジオで今日初めて聴きました。歌は好きで沢山聞いてきましたがこの歌を聴いた時の衝撃は72年生きて来て初めての事でした。
哀愁を帯びた歌詞、曲、もさることながら浜達美さんの声が私の過去の郷愁を一度に心一杯に溢れさせ、理由も分からず泪が出ました。
是非もう一度1人で聴いて昔の郷愁に浸ってみたいです。
投稿: 鈴木基之 | 2017年5月 7日 (日) 11時37分
確かに浜達美の声で聴いたと思ってCDを探してみました。ありました『20世紀の軌跡』「ラジオの時代」「国民歌謡」の中に入って居りました。5枚ある中の4に入って居ました。コロンビアから出ています。値段は忘れました。1枚に21,2曲入って居ます。軍歌から抒情歌まで入って居ます。ちなみに4には「美しい乙女」「山の煙」「雑木林に月が出た」「チャペルの鐘」などがあります。私は「水車小屋の花」がお気に入りです。ラジオ歌謡には素晴らしい歌が沢山ありましたね。歌を送って上げられれば良いのですが‥。技量がなくてすみません。とりあえず自分のパソコンに入れておきます。
投稿: ハコベの花 | 2017年5月 7日 (日) 18時19分
この歌を知ったのは小学校6年の時でした。高周波二段のボロラジオだったと思います。それでも胸に残っているのはやはり良い歌だったからです。無粋・醜男の吾にはこんな素敵な雰囲気は無縁ですが中学に入って好きな娘がいるという友人を羨ましくて殴りたくてでもとうとう殴れずに卒業しました。ひとそれぞれ神様とやらの決めた人生があるのもいま歳をとってよくわかります。
投稿: 林 滋 | 2017年5月 7日 (日) 18時22分
ハコベの花様、時々コメント読ませて頂いております。私より2~3歳年長の方と推察いたしました。夢あふれる青春時代を過ごされた美女の方と思います。私は前回のコメントとうりの無粋・醜男ゆえ殺風景な青春でしたが、好きな娘がいるという奴を羨ましくて殴りたくてでも殴れなくて卒業したという話を前回書きました。私と奴なら一発で奴を殴り倒せるのに何故そうしなかったのか・・・。白状すると実は私もその娘に心惹かれていたからなのです。こんな男のダンディズム(?)わかってもらえないでしょうね。
歌の話から反れてしまって失礼いたしました。
投稿: 林 滋 | 2017年5月 8日 (月) 21時04分
林様 私は男の兄弟が5人いて、兄の友人たちも大勢遊びに来ていましたし、我が家の従業員も男ばかりでしたから、性格は男に近いと思っておりますので,貴方の思っていることはよくわかります。友人を殴らなかった貴方を男だと思います。殴ろうと思った貴方も男です。殴ったところで彼女がお二人を好きになったかはわかりませんね。恋というものは理不尽なものです。良い思い出ではありませんか。素晴らしい青春でしたね。こんなロマンチックな歌を聴かれる貴方は素敵な方だと思います。恋は素敵です。いつまでもそのときめきを忘れないで元気でいましょうね。いつの日か恋した人に会えると思って生きていましょう。私はいつもそう思って暮らしています。何人いるかは内緒です。うふふ・・・・。
投稿: ハコベの花 | 2017年5月 8日 (月) 22時43分
昨日、夕立がありました。雨が止んで西の空に真っ赤な太陽が光り、東の空に素晴らしい大きな虹が弧を描いて掛かっていました。声を出せないほどの美しさでした。こんなに美しい空があったのかとしばし感動で立ち尽くしてしまいました。次第に消えてゆく虹に、この歌を思い出していました。人間の汚い世界が浄化されてゆくような気持になりました。
青春時代の甘い恋心や憧れが胸にあふれて来るような気持がしました。夕日を背に受けて貴方が我が家に入って来た日を私は生涯忘れることはないと思います。あの日から60年も経っているのに、思い出は色あせません。お元気でいて下さい。
投稿: ハコベの花 | 2018年10月21日 (日) 11時36分
昭和29年6月、小学6年でした。学校から帰り母から15円?貰い、友だちと近所の銭湯に行きます。その行く前とか後、日によって違いますがラジオからこの歌が流れていました。その後ラジオとの関わりは急速に薄れていき、この歌の歌詞も記憶がまだら模様になりましたが旋律だけは極めて明確に海馬に刻まれておりました。コロムビアからカセットテープ10巻の国民歌謡・ラジオ歌謡大全集が出た時この歌が聞きたくて早速買い込んだものです。
この歌を聴くと、母から銭湯のお金を貰った時の感触、母の声、外に出て見上げた夕暮の空、高い浴場の天井に響いた友だちの声、お互いの素っ裸の体など当時の日々の風景が自ずから浮かんできます。
他にも「さざんかの花」「りんどうの花咲けば」「チャペルの鐘」など心洗われる美しい歌が沢山ありました。こうした歌がいくつかを除いて、カラオケではほとんど歌えないのがとても残念です。私の世代が集まると殆ど演歌オンパレードで何曲も聞かされていると精神的不衛生状態になり、頭が痛くなってきます。好きな人は「演歌は日本の心だ」と自信満々ですが「演歌だけが日本の心ではない」のであり、ラジオ歌謡の美しい世界がもっと再認識されるべし、と私は願うのです。
最後に付け加えれば、私の小学校というのは台東区の根岸小学校。同じ学年に童謡歌手の伴久美子さんがいました。同じクラスになったことはないので遠くから見ていただけでしたが優しい面差しの美しい少女でした。一度学芸会で歌ったことがありますが、輪郭のはっきりしないソフトフォーカスの柔らかな美しい声でした。彼女のラジオ歌謡としては「夜店の唄」があります。そんな彼女がわずか40歳で早逝したことをはるか後年知り、それ以来彼女の歌った「ナコちゃん」という童謡が私の大切な歌になりました。
投稿: 中川秀夫 | 2019年8月14日 (水) 16時29分
中川様 久しぶりにこの歌を思い出させて下さって有難うございます。私は中学3年の時にこの歌を聴いて居りました。心が伸びやかになって美しい恋に憧れ始めた時でした。二階の私の部屋の窓を開けると雨上がりの空に虹がかかっていました。次の年に素敵な青年が我が家にやってくるのが見えました。もう、その家はありませんが、時々その家の窓から虹が見え、美しい青年が歩いて我が家にやってくるのが見えるような気がします。青春の始まりでした。美しい瞳で見つめられると恥ずかしくて下を向いてしまいました。思い出すと気持ちは少女に戻ります。夢の様な現実、もう戻る事はない幸せで美しい世界だったと思います。絵の様なひとときが今の私の生きる糧になっているように思います。
投稿: ハコベの花 | 2019年8月14日 (水) 22時29分
ハコベの花さまはいつまでも新鮮な恋心を抱いていらして、なんて素敵なんだろうと思っています。「うるわしの虹」の歌詞は揺るぎない真っ直ぐな想いを描いて(えがいて)いますね。初恋の切ないおおらかさが伝わってくるようです。
投稿: konoha | 2019年8月15日 (木) 06時44分
中川様 書き忘れました。私の夫は演歌大好き人間で、毎日、夕食後1時間演歌を聴かされていました。次第に私が夜眠れなくなり、昼間も元気が出なくなって鬱状態が続きました。あまりにひどくなったので夫に演歌をやめてもらいました。半月ぐらいで眠れるようになり、元気になってきました。歌が悪いのか夫の声が悪いのか分かりませんが、あの鶏を絞め殺したような声はもう聴きたくありません。本人は自分の声が分かっていないようで困っています。演歌がお好きでない人がおられて味方を得たような気がします。ホッとしております。元気が出てきます。書いて下さって大変嬉しく思っています。
konoha様 私と同じ様な恋心を持って居られる方がいて、青春が光って思えるようになりました。遠い青春が近くに在るように思えます。有難うございます。
投稿: ハコベの花 | 2019年8月15日 (木) 15時32分
ハコベの花様、御丁寧なお言葉有難うございます。ただ、私がこの歌から皆様のような異性への浪漫的な慕情を抱いた青春前期の淡く切ない思い出を語れないのはとても残念です。
なにしろ、当時の小6男子は女の子が好きだとかナントカそういう感情世界が存在せず、休み時間は相撲とか漫画の「イガグリ君」に夢中。放課後は公園の砂場や鉄棒で遊び呆け、夕方家に帰ったあとは母親に甘えていればそれだけでスッカリ満ち足りて一日が終わるという日々でした。
それでも、「うるわしの虹」が深く記憶に刻まれたのは、この歌が日常の感情生活を越えて、それとは異なるもっと向こうの方に、美しい世界があることをそこはかとなく示唆してくれたからなのだろうと思います。
演歌について共感して下さりとても嬉しうございますが、一方では、演歌をこよなく愛される方々に不快感を与えたかもしれない!ヘイトスピ-チだったかも、と反省しております。御主人様は多分ご高齢のことと思いますが、お元気に歌われること自体素晴らしいことであり羨ましいことです。私も、美しい旋律で、道ならぬ恋、不倫、酒、ど根性などをテーマにしない演歌なら満更嫌いなわけでもないのですが。
投稿: 中川秀夫 | 2019年8月16日 (金) 11時51分
演歌の範囲は私にもわかりませんが、私が子供の頃一番嫌いだった歌は「船頭小唄」でした。何と暗い嫌な歌だと思ったのです。大人になってから聴くとそんなに嫌な歌ではないのですね。人間の心の奥底にある悲しみが分かるようになったのですね。夫が歌う歌の歌詞があまりに理解不能な薄っぺらな歌詞に「歌詞の意味がわかっているのか」と訊くと「歌詞の意味など考えた事もない」と言います。
好みは人それぞれですから文句を言う資格はないのですが、昔の作詞家は詩人だったと思います。演歌の部類に入る歌も沢山ありますが、これは聴く人の心の問題ですから他人がとやかく言う事はない事は分かります。でも聴いていて、美しいと思える歌が皆無になってしまっているのは淋しい事です。二木先生のプログに出会えてどれほど慰められたか知れません。心の拠り所です。「思い出は雲に似て」を見つけた時は本当に嬉しかったです。離婚を考えている時でした。良い歌は人を救ってくれると思いました。こうして思いを書いていると気持ちも青春に戻ります。感謝で胸が一杯になります。皆様に感謝です。
投稿: ハコベの花 | 2019年8月16日 (金) 14時52分