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2007年8月30日 (木)

女ひとり

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:永 六輔、作曲:いずみたく、唄:デューク・エイセス

1 京都 大原 三千院
  恋に疲れた女がひとり
  結城(ゆうき)に塩瀬(しおぜ)
  素描(すがき)の帯が
  池の水面(みなも)にゆれていた
  京都 大原 三千院
  恋に疲れた女がひとり

2 京都 栂尾(とがのお) 高山寺(こうざんじ)
  恋に疲れた女がひとり
  大島つむぎにつづれの帯が
  影を落とした石だたみ
  京都 栂尾 高山寺
  恋に疲れた女がひとり

       (間奏)

3 京都 嵐山(らんざん) 大覚寺
  恋に疲れた女がひとり
  塩沢がすりに名古屋帯
  耳をすませば滝の音
  京都 嵐山 大覚寺
  恋に疲れた女がひとり

《蛇足》 昭和41年(1966)リリース。

 みごとな歌詞です。京都の地名と和装名の組み合わせから、愁いを秘めた女人(にょにん)の姿が浮かび上がってきます。
 しかし、この歌に奥行きを与えているのは、1番の「池の水面にゆれていた」と、2番の「影を落とした石だたみ」、3番の「耳をすませば滝の音」です。
 京都の地名と和装名を知っている人は、このフレーズ
(1・2番が視覚的、3番が聴覚的)だけで、石畳の上を歩むあえかな女人のイメージが思い浮かべられるでしょう。
 写真は三千院です。

 ほんとうかどうか知りませんが、この歌がはやったころ、京都の古刹では和服の若い女性が増えたそうです。

 1番に出てくる結城、2番の大島、3番の塩沢は、紬(つむぎ)の着物を示しています。
 紬はまゆから紡いだ糸で織った絹織物のことです。全国に名産地がありますが、そのなかでも、茨城県結城市一帯で織られる結城紬、鹿児島県奄美大島や鹿児島市で作られる大島紬、新潟県南魚沼市塩沢あたりの塩沢紬は、日本三大紬と呼ばれ、高級品とされています。

 塩沢がすりのかすりは漢字では絣または飛白と書き、かすれたような部分を規則的に配した模様、またその模様のある織物を指します。塩沢紬に絣の模様を配した織物が塩沢がすりというわけです。

 1番の素描の帯は、糊を入れた染料を筆につけて日本画のように柄を描いた布地で作られた帯です。

 2番のつづれの帯は、つづれ織り、すなわち横糸に数色の色糸を使い、模様部分だけをつづら折りのように織った布地で作られた帯です。

 3番の名古屋帯は、正装用の袋帯よりも簡単に締められる帯です。カジュアルな帯ですが、素材や柄などで使い分けることによって、普段用だけではなく、多少改まった場所でも締められます。

(二木紘三)

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コメント

この素晴らしい歌詞に男の影が全く見えないのが良い。
未練とか別れたとか。必要ありませんね。品のある歌詞
だから。

投稿: M.U | 2008年6月 5日 (木) 15時03分

綺麗で品のある京都がこの唄を聞くだけで浮かんできます。
先生が解説を解りやすくして下さっておられますので、そち
らを御覧下さい。きっと得るものが有るとおもいます。

投稿: 海道 | 2008年11月 2日 (日) 14時39分

この詞を英訳出来ない物でしょうか。「霧の中の少女」だって英訳されたのだから。しかしこの見事な日本語に手をいれる人は居られますかどうか。

投稿: 海道 | 2009年4月19日 (日) 13時16分

二木さん何時も聞かせていただいています。先回のは、ミスです。失礼しました。

よろしければ、「旅の重さ」(徳久広司)、二見情話、別れのワルツ、大阪みなと(砂川京子、(廃盤)]、などの曲も追加のご検討をいただけれな有難いです。よろしくお願いします。 昭和の庶民史を語る会。


投稿: 昭和の庶民史を語る会 | 2012年1月18日 (水) 12時04分

この歌詞からイメージされる女性の姿を『和えかな女人』と表現されたのが良いですね。

投稿: 前田 | 2012年1月19日 (木) 02時18分

昭和の庶民史を語る会さんの投稿の中に、『二見情話』がありますので、『二見情話』に関連して気ずいたことを補足させていだだきます。

『二見情話』は、沖縄には珍しい東北民謡のような、哀調を帯びた「古賀メロディ」と、沖縄民謡が融合したような、たいへんいい歌です。

しかし、ちょっと分からない事が多過ぎて、いろいろ指摘がされています。

この歌は、「古賀メロディ」と酷似したメロディライン〈DNA〉を持つとされる。

特に、「嘆きの夜曲」〈西岡水朗作詞、昭和7年、関種子)とのメロディラインの酷似が指摘され、古賀メロディのアレンジと言われています。

この歌は、「古賀政男」の名がどこにも出てこないのだが、万国共通の著作権ルールに依れば、古賀政男作曲のまさしく『二見情話』((著作権同)
そのものではないでしょうか!?。

(沖縄ウチナ‐の照屋朝敏氏が沖縄戦で収容所で作詞・作曲とされていて平成二年の「二見情話」の「石碑」にそう書いてあるようです。)

でも、古賀メロディのDNAを秘めたこのヤマト調の名曲をきっすいのウチナーの力の遠く及ばないこと。

古賀政男初期の隠れた名曲に『二見情話』〈1932コロムビア〉そのものがあります。

民謡であれ歌謡であれ区別なく著作権は保護されます。二次著作権を含めて創作者である古賀政男以外ないことは明白だと思います。(著作権法51条、20条、27条、28条)

たしかに名曲なのだが、著作者(創作者)・古賀政男の名がでてこず、インヴェードされているような況にあるのは残念な事で違和感をおぼえます。このあたりどうなっているのか、ご存知でしたら教えてください。


(参  考) 
決定盤 古賀政男全集(上) 国民的名曲のすべて ~丘を越えて~ (日本コロムビア COCP-37091-3)
DISC1 06 二見情話* / 知名定男、大城美佐子(ステレオ録音版)
http://store.shopping.yahoo.co.jp/toemifc/88092.html

《二見情話》 (コロムビア 昭和7年)
作 詞   西岡水朗 
補作詞  照屋朝保
作 曲   古賀政男
編 曲   佐々永治
歌  知名定男、大城美佐子(ステレオ録音版 1975)


投稿: メロディ | 2012年7月23日 (月) 11時27分

以下参考までに「著作権」は特許権と違って、届出等を要するものではなく創作時に開始するが、著作権に関してJASRAC信託状況としては、 作品コード 059-0343-2  嘆きの夜曲
として、(嘆きの夜曲、二見夜曲(無断作詞作品名)、二見情話)が、パッケージで信託されている。
これは古賀政男初期の作品。[昭和7年、コロムビア)

よく古賀メロディと酷似していると言われる「嘆きの夜曲」と「二見情話」、それに無断作詞作品名として「二見夜曲」、この三作品が組で入っている。

その他許諾に依らない無断作詞作品があれば権利を有するということだろう。(著作権法20、27,28、51条)。

投稿: メロディ | 2012年7月24日 (火) 16時06分

まだ、著作権法が整備されていなかった旧法の時代と言う事もあるが、照屋朝敏氏個人がひとりで全部作詞・作曲したとするのは、残念ながら単なるフライングでしかないと言えるでしょう。

なお、今年2012年1月5日付け「読売新聞」は、上記「古賀政男全集作品」(CD)の紹介の中で、 《日本のレコード歌謡の草創記に大衆音楽の担い手として活躍した作曲家・古賀政男の名曲を上下計6枚で100曲収録した。「東京ラプソディ」(藤山一郎)、「悲しい酒」(美空ひばり)、「湯の町エレジー」(近江俊郎)など、大ヒット曲はもちろん、「二見情話」(知名定男、大城美佐子)、「乙女鶯」(田端義夫)など隠れた名曲が入っているあたりに、制作側のこだわりも感じられる。》と紹介しています。

しかし、「影を慕いて」と同じ昭和の初めに、まだ誰も見向きさえしなかったであろう80年前に、沖縄の小さな一寒村に過ぎない二見に目を向けていた。こんなすばらしい歌を作っていた、すごいことではないでしょうか。

投稿: メロディ | 2012年8月 6日 (月) 14時50分

1番の歌詞の{水面」をなんと読まれますか?
文系ならば管理人さんが仮名で案内して下さっているように(みなも)ないしは(みのも)
理系ならば(すいめん)あるいは少し気取って(みずも)
体育会系ならば・・・・・存じません

オリジナルのデュークエイセス以外にも多くの錚々たる歌手の皆さんがカバーしておられますが
ごく一部の例外を除いては(みずも)派が圧倒的のように思われます
肝腎のデュークエイセスに(みずも)と(みのも)のふたつのバージョンがあるようなのがはなしを
いささか混乱させます
多分 初期が(みずも)で時代が下るに従って(みなも)に変わってきているのじゃないかと漠然と
そんな気がしていますが確証はとっていません

ここは一番 このうたの作詞者でもあり日本語の泰斗としても一家言をお持ちの
永六輔御大ご自身の見解を承りたいところですがそのあたりの事情に通じていらっしゃる方から
ご教示を賜れば幸甚です

このうた物語には掲載されていませんが高田みずえなどがうたった「秋冬」にもおなじ文言が
あり こちらは(みずも)以外聞いたためしはありません

個人的には(みずも)という訓みが市民権を得ているとは言い難いと考えますし また 詩歌の
詞章としても雅びの響きがある(みなも)か(みのも)を採りたいと思うのですがいかがでしょうか

諸賢のご高説をお聞かせ下さるようお願い申し上げます


投稿: 居候の徳三郎 | 2014年1月13日 (月) 22時25分

「水面」の件は永六輔さんが存命ゆえ決着を見る日がありそうですね。
ところで、作詞者と作曲家が別な場合は詞が先か、曲が先かということになるわけですが、歌謡曲、演歌の世界では昭和40年代迄は歌詞先曲後が大部分だったのに、昭和50年辺りから逆転したようです。最近では詞先の歌は2割位しか無いのでは…。 ちなみに永六輔は中村八大とのコンビ、いずみたくとのコンビがありましたが、中村八大との場合は曲先、いずみたくとの場合は曲後だったそうです。(ラジオ番組にての本人談。)
ですから、この「女ひとり」は詞先・曲後ということです。作曲家って悩ましい仕事だなぁと言ってましたっけ。概して、ヒットするのは曲の力に依る所がおおきいから…、だそうです。

投稿: かせい | 2014年1月16日 (木) 00時19分

かせいさんに触発され書き込みます。
音楽について、論も筋も文脈も何も分からず持たぬ輩に取って、本サイトで扱われる歌は「曲の力」で存在していると思っています。

ふたつぎさん見事なアレンジがどうして出来るのか小生に想像できません。詩(ウタ)を疎かにするつもりは毛頭ありません。しかし、詞の付かぬMP3による旋律=調べ故に、一人の熱心なファンであります。勝手な結論は「まず、メロディー=曲あり」なり。

投稿: minatoya | 2014年1月16日 (木) 08時37分

 着物と帯の組み合わせ、さらに柄と色の組み合わせ、また季節と色の組み合わせ、となると、もはや着物の専門家でないとわかりません。時代劇小説の作家は、例えば、歩いている武家娘の着物を描写する力が求められるので、着物の知識が欠かせません。しかし、読者にも、着物を鑑賞する力がないのが実情です。日本人でありながら、着物は遠くなりにけりです。
 永六輔さん、高齢のため、長年つとめたラジオの番組を終えられたと、最近のニュースで知りました。小沢昭一さんもなくかって、さびしい限りです。
 永さんの自伝風の読み物で、忘れられない話があります。お父さんが住職でしたが、戦後すぐの時期は、檀家も戦災で散り散りになり、お寺の生活が苦しかった。永さんは12,3歳ころで、授業料が払えず、学校に行きづらかったそうです。そんなある日、こんばんは、と戸を叩く音がして、葬儀の依頼があった。それを聞いて(人が亡くなり、不謹慎ながらも)「助かった、授業料が払える」と思ったそうです。お寺に生まれた子どもの複雑な心境がひどく印象に残りました。

投稿: 浮舟 | 2014年1月16日 (木) 11時03分

「水面」の唄い方、動画サイトを見ますと圧倒的に「みずも」が多いようですね。もう永六輔氏も「それで良し」としているのでしょうか。私の希望としては「みなも」で唄って欲しいのですが…。
minatoya様  歌謡曲にしろ、ポップスにしろ、メロディーのすばらしい曲がこれから後々にも歌い継がれて残って行く事でしょう。童謡・唱歌、然りです。 「歌」のファクトには、メロディー、歌詞、編曲、歌唱等がありますが、私の重要視するのはメロディーです。歌詞の良さは唄い込んだのちにジワーッと出てくるような気がします。私もメロディー派です。敬愛する作曲家は古関裕而、米山正夫、八州秀章、遠藤実、吉田正、…です。
minatyaさまはご自分の事を音痴だと言われてましたが、「灯台守」や「みなと」が胸に焼き付いてる方に音痴の人はいないと思います。どうぞこれからも「灯台守」・「みなと」口ずさんでくださいますよう…。

投稿: かせい | 2014年1月19日 (日) 01時12分

「水面」を「みなも」と唄ってほしいというかせいさんに同感です。
そもそも、「みずも」という読み方があるとは知りませんでした。
動画サイトでは「みずも」が圧倒的に多いのですか。驚きました。勉強になります。普通の国語辞書には出てこない言葉だと思います。

投稿: dorule | 2014年1月21日 (火) 21時08分

doruleさん、かせいさんと同じです。水面→ミナモ、日本語彙と読み方に疎い輩ながら、ミナモ読みしか知らないので、一筆啓上。

投稿: minatoya | 2014年1月25日 (土) 02時44分

そろそろ この名曲 女ひとり が思い浮かぶ季節に近づいてきたようです   

 三千院 高山寺 大覚寺  どうして この三つのお寺が えらばれたのでしょうね
 作詞された 永 六輔 さんのメモ ノートでも のぞかせていただきたい気がします
 どの お寺も有名で もちろん甲乙つけるようなことはできませんが 僕の根拠なき私見として 許していただきたいと思います  

 リリースされた昭和41年ごろ 三千院はすでに観光ルートにとりこまれるほど有名だったと記憶しています
 それにくらべると 高山寺はまだまだ 神護寺とともに世には知られていなかったのでは -- 

 なぜ 高山寺がうたわれるのだろうと頭をよぎったこともありました  
 僕にとっては 京の神社仏閣に興味をもち 自分の意志で 足で 通いだした最初のお寺でした  高校二 三年生のころです   交通の都合からは 裏の急な石段をのぼり石水院へ至るのが早道でした  石水院では 鳥獣戯画(もちろん本物は 東京です)を少しながめ 縁にすわり借景を楽しむ  おうすもいただけました  一服して寺院内を散策 本堂 仏足石も頭にのこし 最後に 表参道の石畳を 十二分に楽しみながら逆行して帰ってくる  懐かしい五十年余り前の思い出です  石の並べ方が特異で  高山寺ワールドここにあり その時々の心 思いに何かしら趣きをあたえていただける良き所でした  

 大覚寺は なかなか一人では行きにくい寺院という感じだったでしょうか  桂離宮 修学院離宮のように宮内庁まで申し込まねばならないほど ではありませんが
 若者が 気儘によらせてもらうには --という感じでした

 何故 今 京都のことを思い出しているのか  わかりません  今日は 911 の悲しい日から 15年 
 先ほどまでは 911 の記録 証言をみながら 涙がでていました  ほんとうに15年前から 世界は大きくかわったのですね  この激しいうねりのなかで 正直に正しい道は 何か を考え続けていきたいですね  わけへだてのない 人にやさしい社会
 嘘はいけません 政治家 官僚 公務員 襟を正さなくてはいけないでしょう!!

投稿: 能勢の赤ひげ | 2016年9月11日 (日) 21時43分

この素晴らしい歌を残した永六輔さんが亡くなられ、残念です。
かせいさんが2年あまり前に「水面」の読みは作詩者が存命ゆえ決着を見る日がありそうとお書きでしたが。合掌。

投稿: dorule | 2016年9月11日 (日) 23時57分

今朝の新聞の別刷りに、京都大覚寺地内にある名古曾滝(なこそのたき)跡の記事が出ていました。記事には、「名古曾滝」は嵯峨天皇の離宮(大覚寺の前身)庭園に造られた人工の滝だったが、まもなく流れが止まり、のちに作られた小倉百人一首の「滝の音はたえて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ」(藤原公任)と詠われるように“幻の滝”となって今に伝えられている、とありました。これを読んで、ハッと気が付きました。この歌の3番の「耳をすませば滝の音」のフレーズです。わたしは、大覚寺には行ったことがなかったので、藤原公任の歌は知っていましたが、かれが名古曾の滝跡を詠んだものとは気が付きませんでした。永六輔は現実には聞こえない“幻の滝”の音を、あたかも聞こえるように作詞したのですね。わたしは、実際に滝の音が聞こえたというように解釈していましたので、大覚寺付近の滝とはどこだろうと思いめぐらせていたところでした。疑問が解けてすっきりしました。
 この歌は永六輔、いずみたく、デューク・エイセスがチームを組んで作った「にほんのうた」シリーズ(全都道府県に因んだ歌53曲)の京都編だそうです。
 これからの京都は紅葉シーズンを迎え、三千院の在る大原や高山寺の在る栂ノ尾周辺は、錦繍の装いになるのでしょうね。「恋に疲れた女性」だけでなく、わたしのような老境に入った者にも、京都や奈良の古刹・古仏めぐりは魅力的です。

投稿: ひろし | 2016年9月19日 (月) 13時13分

ひろしさま 
 
「滝の音はたえて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ」(藤原公任)の和歌と   耳をすませば滝の音
 
 の歌詞との関係を 正しく指し示していただき                   
 目からうろこ の感がいたしました    有り難うございました

 京の散策は ほんとうに歴史好きにとっては たまらなく魅力的なものです

 また どの史跡をとりあげても いろいろ考えさせられる材料に行き当たるのですね

 今年の 春から梅雨時の短い間に 偶然 法金剛院という寺院を訪れる機会がありました  何も考えず 時間と場所の都合で行かせていただいたのですが 待賢門院が創られたお寺でした  現存する浄土式庭園の一隅に 青女の瀧があり日本最古の人工滝とのことです
 それから 数日後に中学の同窓会が はじめて京都であり 会場は 白河院でした  また おかしい偶然があり
 そのとき 読んでいた本が 西行家伝  その 少し前に読んだのが 天上紅蓮 (渡辺淳一 著)
 
 どうして どうして 人と時代と場所が 一画面にすくいあげられてきたような 奇妙な感覚にゆきあたりました

 また 待賢門院の数奇な運命 その受動的な行為が 保元 平治の乱のきっかけとなったことを思うと 人の世の残酷さを再認識させられた次第です 

 まだまだ 知らないことは多いですが 歴史からまなび 日々の行動にいかせていきたい と思うこの頃です 

投稿: 能勢の赤ひげ | 2016年9月23日 (金) 23時37分

「水面」の読みが(みなも)なのか、(みずも)なのか、確認をとれぬまま永六輔さんは逝去されました。
『土曜ワイド・ラジオ東京』に出演しておられるころに、電話等で問いただす事ができたらよかったのになぁ…と悔いています。 しかし創唱グループである「デューク・エイセス」が
2014年のステージなどで(みなも)と歌っていますから、「水面」は(みなも)とよみ、そのように歌う事にする方向にしたほうがいいのではと、私は思っています。 歌手によってまだまだ
バラツキがあることは、致し方ない事でしょう。
美しい日本語を探求し、愛し続けた永六輔さんのご冥福をお祈り申し上げます。

投稿: かせい | 2016年9月25日 (日) 00時56分

能勢の赤ひげ 様
 拙文に過分なお言葉をいただき恐縮しています。名古曾の滝(址)については、この滝が大覚寺にあることを知りませんでした。ただ、小倉百人一首の「滝の音はたえて久しく……」は覚えていましたので、朝刊の記事を読んで、永六輔は「この滝を詠んだんだ」と直感した次第です。この滝址は、埋もれていた遣水跡が復元され、今は大沢池につづいているようです。
 あなた様が参詣された法金剛院は、待賢門院璋子の寺とは知りませんでした。彼女が白河院に溺愛された絶世の美女で、保元の乱で敵対する崇徳上皇と後白河天皇の母親であることは知っていましたが。崇徳上皇が白河院の子であることは、最近の研究で有力になってきているようですね。この寺は、待賢門院の桜で有名ですね。浄土式庭園と「青女の滝」は最近復元されたようですが、さくらの咲く時期に一度訪れたいものです。

投稿: ひろし | 2016年9月26日 (月) 11時25分

三千院に行ってきました。紅葉の日曜日で大混雑を覚悟していましたが冷たい雨でほどほどの観光客でした。それでも門前の料理旅館は予約時間まで入れてくれないほどの盛況でした。かつて宇治に一年京都に三年通っただけですが千二百年を生き抜いた人々のお人柄には馴染めないものの京都の自然は素晴らしい。大原から花背を越えればしゃくなげの大悲山峰定寺、西に向かえば九重桜の常照皇寺、周山街道に突きあったって京の途中に三尾の高山寺、嵯峨野を巡って大沢池の大覚寺。やっと車を持てたころのドライブコースですがこの歌にぴったり。やはり疲れた恋には「北」が似合うのですね。

投稿: しょうちゃん | 2016年11月28日 (月) 10時05分

能勢の赤ひげ 様
私が高山寺の裏側の駐車場から急な石段を上り、能勢の赤ひげ様と同じルートを辿ったのは10年前のことで、あなた様から遅れること40年の新米京都好き人間です。ついでに西明寺、神護寺とまわってきましたが、さすがに神護寺への階段と山道はへばりました。神護寺の階段の奥の吊橋のところに大きな格子扉があり、そこから東映の撮影隊が車ですいすいと上っていくのには、ちょっと腹がたちましたけど…。

ひろし 様
大覚寺は、私の京都散策ルートで一番寄りやすいところです。大沢池の周囲をのんびりと散策しながら、四季それぞれに癒されます。このあたりは京野菜の畑がひろがり、周山街道を横切り宇田野から仁和寺~竜安寺~金閣寺(衣掛けの道)への道筋は京都っていいな~と、感じられるところだと思います。
 
しょうちゃん 様
9月の終わり頃に家内と二人で急に思いついて大原まで車を飛ばしました。特に三千院がお目当てであったわけでなく、何故か大原の野や畑、風景が懐かしくなりぶら~っと出かけましたので、三千院はスルーして寂光院により、途中 土井しば漬店で食事して帰りました。三千院のこけ庭に点在するわらべ地蔵が可愛らしくて癒されますね。

三千院、高山寺、大覚寺~二木バンドの名演奏を聞きながら、想いをめぐらせています。

投稿: あこがれ | 2016年11月30日 (水) 02時24分

あこがれさま
 
 京の便りは うれしいものです   平日にまわられたり ばっかり食い でいろいろ賞味されたり 試験まで受けて合格されているとかーー うらやましい限りです

 僕の場合には 神社仏閣 史跡めぐりは 木曜日の午後か日曜日か祝祭日しかいけません  いわゆる観光シーズンで 景色を見ず 人をみる というのは  どうも苦手なので 人の少ない季節に訪れることになります

 このお寺は 桜 もみじ といわれても  想像しながら あるいは 写真で知っている景色を頭にうかべながらの逍遥です  夢心地かもしれません  歴史上の方たちと 話しながらーー  おかしいですね

 あまり 私的なことをながく 書くのは 遠慮しなくてはと思っておりますが   僕の 三つの好きな心落ち着くお庭は  常照皇寺 実相院 二尊院 となります

 あこがれさまの指摘された 三千院のわらべ地蔵さんは ほんと癒されますね  携帯の待ち受け画面に使っていたこともあります  ちなみに 今の画面は 常照皇寺の主たる参道ではなく 山国御陵から下ってくる細い苔むした(季節にもよりますが)石畳??の道を写したものです 自然ののこる この寺域の いろんな種類の木々の間の 木漏れ日 とても印象深い景色です

投稿: 能勢の赤ひげ | 2016年11月30日 (水) 21時29分

能勢の赤ひげ 様

立て続けの投稿をお許し下さい。
「常照皇寺」とは…! さすが!と、感服させられ益々能勢の赤ひげ様の心の奥底にある〈赤ひげ精神〉を垣間見るような思いがいたします。周山街道の奥深く、花背や美山にもほど近い深山にひっそりと…しかし、知る人ぞ知る紅葉や桜の名所…!

村雨の 露もまだひぬ 槙の葉に 霧たちのぼる 秋の夕暮れ  寂連法師 百人一首 第87番

藤原定家の従兄弟として生まれ、晩年は西行法師や藤原定家同様 嵯峨に暮らしましたが、あたかも水墨画のような味わいをたたえた一首で晩秋を迎えた深山の静けさが漂ってきますね。 晩秋の常照皇寺の静けさを懐かしく思い浮かべておられることと拝察いたします。


投稿: あこがれ | 2016年12月 1日 (木) 12時58分

あこがれ様
 拙文にお目を通していただき光栄です。あなた様のコメントを拝読しながら、ハンドルネームそのままに「あこがれ」の地にお住まいだなと、羨望にも似た気持ちを持っています。
 京都には、修学旅行を含めて5度ほど訪れたことがありますが、常に何人かとのグループ旅行でしたので、自分の我儘を通すわけにもいかず、不本意なものになっています。
 最近知ったのですが、「きぬかけの道」と呼ぶ金閣寺から仁和寺までの観光ルートが出来たようですね。このルートで、わたしの、まだ訪れていないのは法金剛院ですが、足腰のしっかりしているうちに、訪れたいと思っています。そのときには、仁和寺に近い長泉寺にも足を延ばすつもりです。吉田兼好と関係がある寺と聞いていますので。

投稿: ひろし | 2016年12月 1日 (木) 16時37分

ひろしさまのお便りで「法金剛院」の文字を見つけまして、とても嬉しかったです。50代の時親友と【法金剛院】を急遽訪ねた昔を思い出しました。その日は嵯峨野で「ゆとうふ」でもと、出発しましたが、車中の会話で昨夜「待賢門院」に関する記事の話から「法金剛院」へ。思いがけず質素なこじんまりとした寺だったせいか、ひっそりとした寺で好感が持てたのです。当時は「寺院」の空き地と池のすべてに「蓮」の花が咲き誇っておりました。確か「門院」と蓮の関連についての説明も、すっかりきえうせております。ひろしさまのご説明にありました桜に関しても、桜の樹の存在も記憶にありません。
その日親友と、「門院」についての説明には【好感度】が上がると同時に、自分に正直に生き抜いたかたと、勝手に想像したり・・・・。後々にわが息子二人が争うなど、思いもよらなかったでしょうね。
あの寺を訪ねるまで、「蓮」が池の上だけでなく地上でも見事に花を咲かせることを、みることが出来ました。もう一度行ってみたいと切実におもっています。

投稿: mitsuko | 2016年12月 1日 (木) 18時03分

  もう京都の紅葉は盛りを過ぎたかな~と思いながら、久しぶりにこの歌を聴きました。ほっとするいい歌です。三千院、高山寺、大覚寺、いずれも紅葉が立派なところ。ところでこの歌に、春夏秋冬の季節感は、はっきりとはでていない。今日、初めて気づきました。
 まあ池とか滝の音といえばふつうは夏を思わせる。石畳の影がくっきりと浮かぶのも夏だ。ここでは俳句の季語という約束事にとらわれず考えたい。くっきり浮かばなくても石畳の影は一年中ある。池も「名月や池をめぐりて夜もすがら」の句もあり、秋の池もあるということ。「伝え聞く 鼓が滝にきてみれば 沢辺に咲きし たんぽぽの花」の歌(上方落語『西行鼓ヶ滝』)も、あるていど人口に膾炙している。この場合は春の滝だ。
 ということで、この歌は春、夏、秋に通じるのではないでしょうか。さすがにお寺を彷徨する冬の着物姿は、いかにも寒そうでかわいそうですから、冬は外します。と言えば、夏の着物も汗で難儀するはずという理屈もありますが「暑くても 見た目涼やかに着物を着こなすのがプロだ」とお茶の先生から聞いたことがありますので夏の着物は問題なしということで・・。

投稿: 越村 南 | 2017年12月 5日 (火) 08時16分

久しぶりに 粉雪の舞う冬の京都に行きたくなりました。

7~8年前のちょうど今頃 横浜の親しい友人夫妻から、どうしても一度冬の京都を巡ってみたい という依頼で、三千院~寂光院、嵯峨野あたりを1泊2日でゆっくり巡ったことがあります。
ちょうど三千院を出た頃から、ひらひらと粉雪が舞い始め、なんと素敵な情景!まるで絵に描いたような風景!と女同士で手をとりあって喜んでいました。
こんな風景は滅多にあるものじゃないとばかりに、友人と私と かわるがわるにカメラのシャッターを押しました。

2日目は、宝厳院前の「嵯峨野」で湯豆腐を食べ、時折はらはらと舞う粉雪の中を祇王寺、滝口寺~嵯峨鳥居本伝統的建造物群保存地区を歩き、「あだし野の露、鳥部山の煙・・・」と 徒然草にも書かれた 化野の念仏寺を巡って冬の京都の風情を満喫して帰路に就きました。
その折に、友人の奥さん(家内の親友)の詠んだ句を今も忘れずに憶えていますが、才能ありorなしか?わかりません。  のきば寺 万両の朱 極まれり F子

この名曲を歌った「デュークエイセス」も 昨年12月で解散しましたが、ダークダックスと共に大好きなボーカルグループだっただけに、淋しい思いです。

投稿: あこがれ | 2018年1月13日 (土) 14時26分

 あこがれさま
 
 こんばんは  冬の京都 雪の京都

 いいいですね  寒すぎるのはこまりますが
   ひとり あまり目的もなく彷徨いたいですね

 武田尾の連中と 四人で 白沙邨荘を 極寒の日に訪れてしまったことがあります
 寒すぎて震えがくるほど --- すぐ逃げ出してしまいました

 千葉の知人??が 雪に沈む金閣にあこがれています
 でも なかなか チャンスは廻ってきません
 彼女は 東京のごくレベルの高いアマチュアの合唱団員で 一年に二回は ヨーロッパの有名教会での演奏に心燃やしておられるのでーーー 神様が抑制をかけておられるのかな
 ちなみに バチカンのシスティーナ礼拝堂での演奏もされましたね  ミケランジェロの天井画の下で 
 
 
 デュークエイセス   ダークダックス よい曲を提供してくださったグループでしたね  丁度 いま車の CDで聞いているのが  ダークダックスの山の歌を集めたもの  一ヶ月くらいは そのまま聞いてしまうかもしれません  
 ダークダックスも 存命の方は ぞうさん だけになってしまわれましたね   時間はどんどん進み 時代は変わっていきます

 越村 南 さま 

 実は まだ少し???をもっているのですが
  越村 南 こと HMさまではないのですね
   ずっと 気になっています

 これはまたのこととして 御身を愛す で愛宕山での
光秀のことを考察され また 島原の乱のことも書かれていましたね  あなたは 山好きの方でしたね
 以前 やっかいをかけた??(こんなことを書くとしかられそうですが) 奥さんとのやりとりも書かれていました   人生ながくともにすると いろいろな経験があり
 それぞれ唯一の経験ですものね
 
「行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。」 『方丈記』ですね

 愛宕山 登ったことがありません  最近は ハイキングというのも しないです  行くのなら 少し気を入れて歩かねばならないでしょうね  是非上ってみたいところです  水尾という地名もでてきますしね
 僕の惹かれる 実相院 も 円通寺も 後水尾天皇のつくられたものです

 もう一箇所 いきたいのは 鞍馬の奥の院 
 鞍馬から貴船に抜けなければ行けないので これもなかなか大変です  奥の院には 高校のとき行きました
 義経が天狗に鍛えられたという 根っこ道の奥深く
 不思議な石碑があり 数十万年前 ここに宇宙人がおりたったというようなーーー 碑だったと記憶しています  もう一度熟読したいのです  鞍馬なら また 鞍馬山に伝わる 義経の命日を確認したいです
 高館での日が命日ではなく ジンギスカンの亡くなった日が 義経の命日と伝わっているとか   小谷部全一郎氏の本に書かれていたようなーーー

 あこがれさまの一文から 京に遊ばせていただきました
   有り難うございました

投稿: 能勢の赤ひげ | 2018年1月14日 (日) 21時30分

男ひとり
♪ 京都 石清水 八幡宮 恋を卒業した 男がひとり ~

 四年ほど前に初めて訪れた京都・八幡市の石清水八幡宮の印象が、今もあざやかです。八幡宮の本殿に続く男山の急な坂道を、『徒然草』の五十二段を思いだしながら登った。山麓の拝殿だけ参拝して、山上の本殿を見ないまま帰った仁和寺の坊さんの話だ。吉田兼好は「先達はあらまほしきことなり」(何事もその道に通じた案内人がいることが望ましい)という説教で結んでいる。話の内容が日常ありがちなことで、具体例を使った話の展開が巧みで、文章に無駄がない。高校時代に一番気に入った古典だった。四十代、五十代でも全段読み返した。百十七段で、兼好は「良き友とは物をくれる人」といっているが、実にくだけた人で、とりすました知識人の枠を突き破っている。しかし悪い友として「病なく身強き人(健康な人)」とか「酒を好む人」を挙げているので、今では相当の奇人だとも思っている。
仁和寺の坊さんは寄り道せずにお参りだけでまっすぐ帰った。真面目な人だ。それゆえぞろぞろ本殿に続く行列にも加わらなかった。面目さが裏目に出た。真面目とは真摯な態度であり、まちがいなく長所だが、思い込みが強く、時にまぬけでもある。そんなことを考えつつ本殿を拝観した。
 終始、見慣れた映画のロケ地を訪ねたような気分になっていた。


能勢の赤ひげ様
 私の拙文を丁寧に読んでいただき、恐縮至極です。ありがとうございます。
それから私はHMではありません。
赤ひげ様の高校の後輩で昭和四十四年卒です。(以前のお問い合わせに対して)
同窓会には一度も行ったことのない人間です。(笑)
もしお時間が許せば、いつでもハノイの拙宅へお越しください。
拙宅の四階は無人の階で何泊でも可です。

投稿: 越村 南 | 2018年1月18日 (木) 07時43分

南座の「まねき」も下ろされ、北野の天神さんの「終い天神」も終わり、恒例の八坂さんの「をけら詣り」で、京都の町も平成最後の年を終い、新しい年を迎える準備に余念がないような感じです。

昨日のTVでは、今年初めて雪の舞う金閣寺や、渡る人達も少なくなった渡月橋に激しく雪の舞い散る風景が映し出されていました。
京都に本格的な冬がやってきました。

「女ひとり」
古都の女性には、着物が似合う・・・。

この歌の背景にある 和えかな女性は、三千院や高山寺や大覚寺を 結城や大島つむぎ、塩沢がすりを召して・・・ということですから、季節は、やはり秋、肌に少し涼風の感じられる初秋のもの思う頃でしょう。

でも、私はどういうわけか この歌を聞くと、粉雪舞い散る冬の京都がイメージされて、無性に京都の町が恋しくなります。
5~6年前に横浜の友人を伴って訪れた粉雪舞い散る三千院での想い出が、忘れられない風情として私の中に残っているからなのかも知れません。

やはり、京都好きな私の今年最後のリクエストは、しっとりとして もっとも京都らしい歌「女ひとり」で〆ることと致します。

皆さん どうぞ良いお年をお迎え下さい。


投稿: あこがれ | 2018年12月29日 (土) 21時46分

北上川からの通りがかりです。
どうしてこんなに美しいメロディーが作れるのかと思うほどいい曲ですよね。
ただ、ほかに、こんなに男性を魅了する女性がいるかと思うと、ちょっとばかりジェラッシッチャウのが私ども女なのですけど。私も和服をいつも着ますけど、魅力に自信はありません。 それでも京都は和服で過ごしたいところです。

上の方で、「水面」を「みずも」か「みなも」かというお話があるようですけれど、「水面」に「みずも(みづも)」という言い方はありません。これは、日本語では「みなも」か「みのも」です。 私も、デュークエイセスが「みずも」と歌っているのを聞いて、こんな有名な人たちが、もしくはプロデューサーが、こんな間違いをするのかと、ちょっと疑問に思ったことがあります。
天下のデユークエイセスがそう言っているんだから、高田みずえなどもそう歌っているのだから、そういう言い方もあるんじゃないの、という風潮をおそれます。

日本語の、本来の「謂」「言い方」を大切にして頂きたいと思います。

投稿: 金木犀 | 2019年2月17日 (日) 21時18分

 今日は タンポポうたう 嵯峨野さやさや
  を 何度も 何度も きいている

 40年 ほど にもなるのか
  愛染蔵の CMソング よくながれた曲だ

   伊藤アキラ 小林亜星  作詞 作曲

 直指庵 落柿舎 祇王寺 と 嵯峨野の有名スポットと
  悩みをもつ若い女性の繊細な心の動き 行動を
   嵯峨野に吹く風と 笹の沈んだ音とで調和させる

  テンポよく 心に沁みとおる名曲である

 一斉を風靡したかのような 愛染蔵であったが
  展覧販売(展示会商法)によるトラブルを原因として
   経営破綻となった

  曲 のもつ 社会性との関連ーー 強く考えさせられる
    
      よい曲 なのに

  と ぼんやり感じながら 女ひとり へと飛んできた


  この曲のほうが 15年ほど 先輩

  永 六輔 のことばの艶やかな細やかさとは
   違う  愚直な嵯峨野の 風と 笹の音

    いろんな 歌の作り方
        楽しんでいます

      いや 涙をながしながらーー
   
     いろんな 人を思い出しながら


  
 

投稿: 能勢の赤ひげ | 2020年6月 1日 (月) 22時00分

「みずも 」と「みなも」について

ゆうきにしお「ぜ」のす「が」きのお「び」「が」
いけのみ「ず」も にゆれていた

永六輔は濁音の響きを重視したのではないでしょうか。
デューク・エイセスは「みずも 」と歌っていましたが、
永六輔が亡くなってからと思われる舞台では「みなも」
と歌っているように聞こえます。「みずも 」に戻して
あげてほしいのですが。

「みずも 」
https://www.youtube.com/watch?v=AKsiNOaPhaI
「みなも」
https://www.youtube.com/watch?v=6HulES_jqtM

https://furigana.info/w/水面:みずも

投稿: スチールギターパパ | 2021年2月12日 (金) 09時21分

「恋に疲れた女がひとり」とは愁いを秘めた女人の姿と言えば未だ神秘的ですが、ある人は過去を清算するためにこの地にやってきた女人と解釈しています。私は何か考える事があって位が(先生の愁いを秘めた)この詞に合っている様に感じます。また着ている物が京都産ではなく地方の有名な産地の着物です。無理矢理こじつければこの地方からその着物を着てやって来た女人とも解釈出来ない訳でもないですね。京都とは全国から愁いを秘めた女人が集まるのですね。名曲です。 (水面については毬藻の歌の私のコメントを参照して下さい)

投稿: 海道 | 2021年5月29日 (土) 07時38分

「みずも」が載っている紙の辞典としては、
講談社 カラー版 「日本語大辞典」第二版
(1989初版、1995版)があります。
なので「みずも」も日本語の読みです。
たぶん、古い辞典ならもっとあるかもしれません。

旺文社の国語辞典
(1965初版、1986改定新版、1991重版)には、
「みなも」もなく「みのも」しかないです。

アナウンサーが使う「アクセント辞典」には、
三省堂版では「ミノモ」しかなく。
NHK版では昭和50年版では「ミノモ」しかなかった
ものが、最近の版では両方が併記されているようです。
「みなも」は意外と最近認知された読みのようです。


最近の曲でも「みずも」は使われており、以下があります。
・津吹みゆ「柳川旅情」(2020)(作詞:原文彦)
**
しだれ柳の 水面(みずも)を分けて
**
・三山ひろし「棚田桜」(2015)(作詞:仁井谷俊也)
**
ふたりで見ていた いつまでも 水面(みずも)に映る あの桜
**

「ふりがな文庫」によると、吉川英治さんが、
水面に「みずも」のかなを多くふっているようです。
ほかにも、「みずも」とカナをふる作者もいます。

投稿: たけ | 2022年7月10日 (日) 08時10分

「みずも」について

広辞苑に載ってないから、「みずも」は誤読とかする人もいますが、辞書に載ってる読みは、使用頻度の高いものだけです。辞書にないからというのは誤読の根拠になりません。

実は、広辞苑の(第二版,補訂版,第四刷,1979)には「みのも」のみで、「みなも」と「みずも」は掲載されていません。この時点では「みなも」と「みずも」は同レベル(少頻度)であり、「みのも」の読みが正統でした。
 しかし、広辞苑(第三版,第二刷,1984)では、「みのも」の見出しの中に、「みなも」の読みを掲載しています。この時期に、「みなも」の読みが一般に認識されたことになります。
 さらに、広辞苑(第四版,1991)では、「みなも」が「みのも」と同等の見出し語に出世しています。

 したがって、広辞苑では、1983年の第三版、第一刷でようやく採用された「みなも」の読みが、10年も経たないうちに、見出し語にまで成り上がったことになります。このスピードにより、「みずも」はもちろん、「みのも」も圏外になってしまったようです。
 
 私も「みなも」には違和感がありましたが、「みなも」が一般的になったのは最近で、1980年代後半だったのです。なので、「女ひとり」(1964)で「みなも」と歌わないのは当たりまえなのです。また、歌詞には著作権があるので、当然のことながら、歌手は楽譜についているひらがなの読みで歌う義務があります。
 

投稿: たけ | 2022年7月19日 (火) 08時49分

この紅葉の頃は若い頃に度々京都に訪れました。細川勝元創建の龍安寺の石庭は枯山水の禅文化。エリザベス女王も絶賛されその後世界遺産に認定されました。15個の意味する【虎の子返し】も面白いし、十五夜の完全を【七五三】の石庭で表し縁起の良い数の総数が十五で、足りないものを見つめ今の自分が存在することを心から感謝する事を忘れてはならないとか、詩仙堂、落柿舎、鈴虫寺、東福寺等又訪れたいです。偶然にお茶屋さんから出てこられた舞妓さんと写真撮影させて頂きました。

投稿: 細川 和代 | 2022年11月 3日 (木) 06時57分

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