湯の町エレジー
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
1 伊豆の山々 月淡く 2 風の便りに 聞く君は 3 淡い湯の香も 路地裏も |
《蛇足》 昭和23年(1948)9月リリース。トータルで100万枚近く売れた、昭和20年代最大のヒット曲の1つ。
名手・近江俊郎にも、出だしの低音が歌いにくかったようで、20回近く録り直したと伝えられています。
NHK「のど自慢素人演芸会」の大人気曲でしたが、「月淡く」の「つ~」のところで音を外してしまい、そこで鐘1つとなる者が大半でした。
近江俊郎は、武蔵野音楽学校(現在音大)中退後、昭和11年(1936)にプロ歌手になりました。
戦前はヒット曲に恵まれませんでしたが、戦後、この『湯の町エレジー』の大ヒットにより一躍スターダムに。その後『悲しき竹笛』『山小舎の灯』『南の薔薇』『別れの磯千鳥』などのヒットを飛ばしました。
昭和29年(1954)に映画監督となり、兄・大蔵貢が社長を務める新東宝で『坊ちゃん』シリーズなど多くの作品を手がけました。
昭和50年代からテレビで歌番組の審査員などを務め、人気者となりました。歌手・映画監督・テレビタレント時代を通じて、明るい人柄で多くの人に親しまれました。
平成4年(1992)7月5日没、享年73歳。
(二木紘三)
コメント
青春の思い出が一杯詰まった唄でした。
湯の街のある国の機関に勤めていた頃の職場の昼休みには、マンドリン・ギターの愛好者が宿直室に集まって、この「湯の町エレジー」を合奏していました。
歌詞に付いた曲もですが、伴奏や間奏がより以上に心を捉えました。
此の頃は58年位前のことですから忘れ去っているのですが、こうして此の曲を聴き歌詞を見ながら唄っていますと、ありありと当時の時代が甦ってきて涙が出ます。
その頃の友達は主人も含めて次々と旅立ちました。
あの頃に徹夜して仕事をした同士・友達は、あの世のカラオケ屋で唄っているのでしょうか?
投稿: 香西 千鶴 | 2008年1月 7日 (月) 23時43分
子供の頃からよく聞いた歌ですが、60年たっても情感あふれるメロディーと歌詞に聞き惚れます。
「伊豆の山々」はいいですね。昔、会社員だった頃は、懇親会や忘年会などがあると、すぐに熱海、伊東、伊豆長岡といった温泉地に行って、夜遅くまで騒いだものです。しかし、最近は伊豆の温泉地も飽きられたのか、あるいは若い人たちが他のレジャー施設へ行ってしまうのか、少し寂れた感じになっているようです。
でも、こういう曲を聴いていると、自分もギターをつまびきながら初恋の人を偲んでいるようで、温泉地の湯煙や路地裏が脳裏に浮かんできます。 伊豆の山々にふさわしい名曲だと思います。
ところで、この場を借りて申し訳ありませんが、当サイトを讃える小文を以下のブログに収めておりますので、興味のある方はご一読いただければ幸いに存じます。
http://blogs.yahoo.co.jp/yajimatakehiro2007/18446373.html
投稿: 矢嶋武弘 | 2008年5月25日 (日) 13時45分
四国のど田舎の夕暮れ、都会から帰ってきた不良じみた大学生が、ギターを弾いてこの歌を教えてくれました。極貧のチビだった私は、未だ見ぬ遠い都会生活への憧れをかきたてられたものです。
だからそれ以来、この歌は私の十八番です。近江さんの声をまねて、いつもうたっています。特に高音部がたまらなくいいのです。
投稿: 雲井逢月 | 2008年5月25日 (日) 18時28分
伊豆の山々を源流として天城隧道の下流に河津七滝があります。そこに一人で遊びにいった時、温水プールで泳いでいたら、美人の二人のお嬢様が泳ぎたいと言う、宿
の主人に相談したらと言ったら、水着姿で現れました。
2時間程3人で泳いでから別の滝に移動しました。
投稿: 海道 | 2011年9月27日 (火) 12時37分
昨夜、フォレスタが歌う湯の町エレジーを聴きました。この流しの青年の心模様が今の若い人たちに理解されているのだろうかと思いました。忘れられない初恋の人の住む町へ、相見ても晴れて語れぬこの思い、この青年の純情さ、私にはなぜか深い愛が感じられます。見つめるだけでも十分な愛がありますね。この歌を聴いて、若い日に見つめてくれた青年の瞳にもう一度会ってからあの世に旅立ちたいと思うようになりました。「何も言わず見つむるのみの我が愛を君知らずして今日も過ぎゆく」道浦母都子、私はこの歌と愛が好きです。
投稿: ハコベの花 | 2013年5月28日 (火) 20時53分
幼い頃にラジオから流れるこのメロディーを幾度も耳にして、ギターにすっかり魅せられました。いつか自分でもこの曲をギターで弾いてみたいと思いつつ、実現できないままもうすぐ後期高齢者の仲間入りをします。そんな時に、ボランティアでこの曲を老人ホームで歌うことになりました。CDを聞きながら楽譜と首っ引きで練習しています。誰でも歌えるように見えますが、なかなか難しい曲だとあらためて感じています。
投稿: Fritz | 2016年2月29日 (月) 16時48分
いい歌です。50代のころ上司にこの歌が好きだと言った人がいました。若いころある青年がギターで教えてくれたそうです。私もギターでときどき弾いています。もっとも自己流の域なのですが。
投稿: 今でも青春 | 2016年3月 3日 (木) 20時01分
今朝、NHKラジオ深夜便「作家で綴る流行歌:野村俊夫(作詞)作品集」を「ラジカセ」で留守録音。
仕事(弁当・食材等)の宅配での安全運転の合間に、車中で聴くことに・・・。
最初に流れた曲が、私が戦前・戦後の流行歌の中でも特に心に残る一曲「湯の町エレジー」でした。
録音テープを聴くまでは、作詞が「野村俊夫」とは知る由もありませんでした。
作曲が「古賀政男」、そして、歌手が「近江俊郎」・・・
三拍子揃ったベストメンバーで、特に、二木先生の蛇足にあるように、収録時における近江俊郎の努力の成果が大ヒットに大きくつながったと思います。
また、他に放送で流れた曲は、同じく近江俊郎の「南の薔薇」・・・そして、初めて聴く曲でしたが、「鳴海日出夫」の「涙のグラス」・・・印象に残る曲でした。
投稿: 一章 | 2016年10月20日 (木) 21時24分
懐かしい! いい歌ですね ♪♪
昭和23年(1948)9月リリースと言えば 私は小学校に
入る前でした。
大人の歌と思い 調子のいいところだけ歌っていました。
「・・あ~~~ああ 初恋のお~~♪♪」意味も分からず。
管理人さんや皆さんのコメントを読みながら 「詞や曲」をあらためて 楽しませていただいています。
有難うございます。
投稿: けん | 2016年10月21日 (金) 17時51分
この歌は、数ある古賀メロディのなかで、ギター伴奏の曲では『影を慕いて』と並ぶ名曲だろうと思います。とくに、前奏の部分が秀逸ですね。ただ、《蛇足》にもあるように、プロ歌手の近江俊郎が20回以上も録りなおされたとあるように、素人が唄う場合も、歌い出しには要注意です。したがって、わたしは、この歌をカラオケで唄ったことはありません。
作詞家の野村俊夫は、戦後数々のヒット曲を作りましたが、わたしには、戦時中の『暁に祈る』や『あゝ紅(くれない)の血は燃ゆる』(学徒動員の歌)の方で親しみがあります。戦時中は、かれに限らず作詞・作曲家や歌手は、多かれ少なかれ聖戦完遂の名のもとに、戦意高揚の歌を作るように命じられたのですが、かれはもともと勇ましい歌を作ることが苦手だったようで、かれの作る歌は「軟弱で人心を堕落させてしまう」(検閲官のことば)と評価され、ことごとく却下されたといいます。収入が途絶えたかれは、やむなく戦時歌謡を作らざるを得なくなったのですが、歌詞にはどうしても「軟弱」な部分が出て来るようで、『暁に祈る』は7回も書き直しを命じられたとのことです。歌詞の出だしの「あゝ あの顔で あの声で……」の「あゝ」は、その時のかれの嘆息がヒントになったというエピソードがあるくらいです。ですから、戦後、検閲制度が進駐軍(日本占領軍、主としてアメリカ軍)の手に移ると、水を得た魚のように軟弱(?)な歌を数多く作り、ヒットにつなげたんでしょうね。この歌のほかには、『南のバラ』『ハバロフッスク小唄』『東京だヨおっ母さん』などがヒット曲として、未だに多くのファンを持っています。
投稿: ひろし | 2016年10月23日 (日) 15時18分
湯の町エレジー♪この曲を聴くと、私はすぐにギターを手にしたくなります!
私はギター歴がもう時期50年になりますが、弾き始めの頃はフォークブームでもあり、アコースティックギターでアルペジオ、スリーフィンガーが主体でした。20代の頃に、あるテレビ番組で見た、アントニョウ古賀のギターテクニックに魅せられて、早速、彼の監修楽譜を買い揃え、一時期は古賀メロディを徹底的に猛練習した日々が懐かしく想いだされます。
古賀メロディの中でも、影を慕いて♪悲しい酒♪湯の町エレジー♪この三曲は特にイントロ部分に魅力を感じました。また、新妻鏡♪人生の並木路♪青春日記♪も私の好きな曲です。
30代の後半には、今は亡き、木村好夫監修「演歌の神髄」シリーズの楽譜を取り揃えました。その中でも、りんご村から♪かえり船♪涙の連絡船♪などは、好んでよく弾きました。
あと船村徹作曲の、別れの一本杉♪風雪ながれ旅♪みだれ髪♪は、ギターを持つと、自然に弾きたくなる好きな曲です。
私は頻繁に動画も見ますが、ヒット作曲家の弦哲也さんが弾く、天城越え♪などのギターテクニックは抜群で、目を見張るものがあり、勉強になっています。
投稿: 芳勝 | 2018年1月31日 (水) 01時50分
古賀メロデイーの真骨頂は、綿々たる未練の感情を引きずるところにありますが、私にとって、前奏~歌~間奏~歌~後奏 に至るまで、すぐにでも口遊むことができる好きな曲の一つです。
「りんごの歌」に続き、程なくして日本中のラジオから調子よいギターの前奏にのって流れてきたこの曲は、まだ幼かった筈の私の胸にさえ、切ない感情の襞を揺すぶられるような思いを残してくれたのでしょうね。
20数年前の正月、かみさんと久しぶりに踊り子号で 伊豆旅行をした折に、タクシーの運転手さんに“伊豆半島って、本当に山ばかりだね~“と、言ったら、すかさず “そりゃそうですよ! 伊豆の山々~“と言うじゃ~ありませんか・・・“と、切りかえされ、あ~そうだったよな~と、「湯の町エレジー」と「伊豆の踊り子」のことが胸をよぎり、感慨にふけったものでした。
投稿: あこがれ | 2018年11月14日 (水) 22時07分
あこがれ様-ご無沙汰いたしております。益々ご活躍のご様子、何よりでございます。
さて、この《湯の町エレジー》は、あこがれ様の仰るとおり、歌詞、曲は勿論のこと前奏-間奏すべてが優れた歌だと思います。しかし、この歌は歌ってみると意外と、易しいそうで難しく、【歌が上手いと思っている人『自分のことですが、(^▽^)』も、低音-高音-節回し-息継ぎに苦労し、】この歌を上手に唱っているのを聞いたことがありません。やはり、この歌は近江俊郎ですね・・餅は餅屋上手に歌われます。とても真似ができません・・
投稿: 迷える古羊 | 2018年11月15日 (木) 12時39分
この歌、幼い頃自然に覚えこんだものの一つです。歌謡曲としては実にいい雰囲気をもった名曲だと思って、ときどき口ずさんだりしていたものでした。
ところが、だんだんおとなになってくるに従って、だんだん嫌いになってきたのでした。
いったい、大の男が、どんな別れ方をしたか知らないけれど、初恋とはいえ、過去の女にいつまでもメソメソ執着しているなんてとてもじゃないけど想像もつきません。
振られたときには、そりゃあ悔しいけれど、まあ世の中、人間の半分は女性なんだし、女性の半分は優しいじゃありませんか。
それなのに、夜の温泉町をジトジトと、ウロウロと…、ああいやらしい。
だけど、メロディーはとてもいいですね。だれもいない夜の野天風呂で、ギターソロで聞いたらいいかもしれない。
投稿: 田主丸 | 2018年11月16日 (金) 22時30分
https://www.miyatabi.net/zaou/aoneyu/youkan.html
相当前、県境を越えて宮城蔵王の青根温泉界隈をドライブの折、古賀政男縁の青根洋館に出逢いました。
入館無料の上、お茶まで出してくれました。
学生だった古賀政男が失恋の痛手や 世の情勢を儚み
死に場所を求めて彷徨ううちにこの青根洋館と出会い
救われたそうです。
男性にとって初恋は神聖なものらしいですね。
実らなかったことで 醸成されてますます美化されるようです。
私事ですが、高校のマドンナが付文を貰ったはいいが、嫌いなタイプとて嫌悪感も露に私に「A君なんか 大嫌い」と言いました。何故、彼女は私に告げたのでしょう?マドンナは才色兼備の良家のお嬢さん。A君はなかなかのイケメンながら ミスターがり勉と言われるほどの存在。ある意味 衝撃を受けました。あの 孤高のがり勉が マドンナに付文?
何を思ったか私はその彼に「貴方は、俗なことには気を紛らわさず己の道を貫くべし」との手紙を送ったのだそうです。
55年後の初めてのクラス会にマドンナは来ませんでした。その後も欠席常連組。振られた彼は当時の暗いがり勉色は払しょくされ、一流企業で階段を駆けあがり垢ぬけた雰囲気を身に着け女性陣にモテモテでした。
その彼が 一度お茶をとメールで催促。少し浮き浮きしてランチを共にしました。ところが本題は「あの手紙、持っていたら返してくれないかなあ」
驚愕です。55年も前の しかも 他の女性に宛てた手紙を私が持っていたならば、いいバカです。第一、私は読んででもいないのです。
プライドの高い彼にとって 人生の汚点にも等しかったのでしょうね。自分史から抹殺したかったのですね。以来 私にすごく距離感を保っています。
もれもまた初恋のなせる業なり?
投稿: りんご | 2018年11月17日 (土) 08時32分
田主丸様は「うじうじめそめそ」したくなるような恋をなさったのでしょうか。このギターひきは甘く清らかな恋心を持って初恋の人に一目会いたくて訪ねてきたとおもいます。もう人の妻だから言葉もかけずに帰っていく男の人を私は素敵だとおもいます。心の奥底に流れている美しいものへの憧れがおわかりになりませんか。恋はいやらしいものではありません。初恋なら猶更、清らかな美しいものであるはずです。
投稿: ハコベの花 | 2018年11月17日 (土) 11時35分
田主丸様のコメント('18-11-16)に触発されて、歌詞を熟読し、想像力をたくましく(?)して、私なりの受け止め方を、以下に書いてみました。あくまで、私見です。(議論するつもりはありません)
歌詞1番では、”風の便り”を縁にして、忘れえぬ初恋の女(ひと)を探しに、伊豆のある温泉町に来て、ギターの流しをしながら、夜の街を彷徨い歩いている。
歌詞2番では、ようやく見つけた初恋の女は、ひと(他人)の妻だった。しかし、男として、今更、相まみえて、この胸の思いを告げるなんてことはできない。そっと眺めるだけで、我慢しよう。とはいえ、せめて、このギターの流し歌くらい届いたら嬉しい。
歌詞3番では、一応、願いが叶ったので、今では、初恋の女が住む温泉町を離れた。しかし、後ろ髪をひかれるように、その街並みが懐かしい。今宵は別の町で、ギターを流して、歩いているが、見つけた初恋の女のことを思い出すと、自然に涙が頬を伝う。
このように受け止めますと、初恋の女(ひと)に対する熱い思いが消えずに残っている男の胸のうちは、同性として、共感出来ます。また、ようやく見つけても、遠くから眺めるだけで、相まみえないところに、今は他人の妻として幸せに暮らすであろう初恋の女の心を乱すまいとする、男らしさを感じます。一方、せめて、このギターの流し歌くらい届いたら嬉しいと思うところに、女々しさ、未練がましさが見られます。
男の強さと弱さを、合わせて感じさせる歌のように思います。
投稿: yasushi | 2018年11月17日 (土) 13時19分
高校生の頃、懐メロ特集などで「伊豆の山々~」というこの歌の出だしを聞くと「また東京人の行楽地ソングか~」と気持ちが引いていきました。『熱海ブルース』『熱海の夜』なども、同じ気持ちで聞きました。少々依怙地なのはわかってますが・・
『僕は泣いちっち』という歌もありました。昭和34年、私が10歳の時に発売されたが、その軽薄な言葉使いに、子どもながら笑ってしまう一方、「なんでみんな東京、東京というんだろうな」と反発していました。大きくなってから、マーケットとしての東京を意識しないとレコードは売れない。田舎を歌うにしても、東京にいる田舎出身の人に喜んでもらわなくてはヒットしない。田舎の人のための田舎の歌は、営業的にまずいという戦略がわかってきました。
ついでながら、泣いちっちという歌詞が軽薄なんじゃなくて、大衆が軽薄なんだということもわかってきました。
今でも熱海、城ヶ崎、下田など東京人の温泉地を歌った曲は、もうひとつしっくり来ません。東京人、東京在住経験者のためのご当地ソングのように聞こえ、気持ちが入っていかないのです。
『川は流れる』のコメント欄には、東京の川を連想する方が多かったようですが、自由な連想が許されるはずの思考にも、東京一極集中が及んでいるのではないかと思いましたが、どうでしょうか。
投稿: 越村 南 | 2018年11月18日 (日) 14時52分
情感豊かで思春期の私は「湯の町エレジー」にすぐ入り込めました。初恋の痛み癒しがたい男の純情に思いが及びました。洗脳されやすい性質の故かもしれません。「僕はないちっち」の考察には思わず笑いが込み上げました。おっしゃる通り知的な感じからは程遠いですね。この論で行くと 政治家は馬鹿だ
ではなく 選んだ民衆が馬鹿だという方式に共通しますね。あなおかし
川は流れるは「街の谷 川は流れる」から街の中を流れる川を連想しました。当時(15歳)は街を流れる川は溝川でした。下水の完備した今はかつてのどぶ川にカワセミを見て時代の変遷を思いました。
東京人は 東京の川
神戸の人は神戸の川
大阪の人は大阪の川 その他いろいろ
ところで 京都の町を流れる白川は昔からあんなに綺麗だったのでしょうか?亡夫が「街の中をこんなに綺麗な水が流れているなんて」と感動しきりであったことが思い出されます。
投稿: りんご | 2018年11月18日 (日) 17時31分
歌がとても美しくて、主人公の気持ちとてもわかります。この歌から外れた話になり恐縮ですが、この歌の美しさを支えている伊豆の美しさについて書きたいです。伊豆の山々や湯の煙は、私が育った伊予の山々や温泉に似て、伊豆も伊予も日本の幹線から外れた良さを保っていると思います。伊豆の湯ヶ島温泉はとても美しかったです。若山牧水が故郷に似ていると言って愛し山桜の名歌をたくさん作った所で、川端康成が愛し「伊豆の踊子」を書いた所で、井上靖の「しろばんば」の舞台でもあります。湯ヶ島の井上靖の育った場所を訪ねた時、「私は井上です」と親戚のかたが突然現れ案内してくださいました。高齢の女性を連れていたので、親切にしてくださったのだと思います。「しろばんばが飛んでいますよ」とおっしゃるので見ると、後にも先にも見ないしろばんばという白い虫が、案内してくださっている間周りを飛び回っていました。今も夢のようです。私も伊豆を故郷のように感じました。
投稿: kazu | 2021年12月15日 (水) 09時35分