うれしいひなまつり
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
作詞:サトウハチロー、作曲:河村光陽
1 あかりをつけましょ ぼんぼりに 2 お内裏様(だいりさま)と おひな様 3 金のびょうぶに うつる灯(ひ)を 4 着物をきかえて 帯しめて |
《蛇足》 雛の間というのは、薄暗いというイメージがありませんか。薄暗い部屋の奥に雛人形の白い顔がぼぉーと浮かんでいる、というイメージです。
今はもうなくなってしまった私の生家の雛の間がそうでした。明るい部屋に雛人形はあまり似合わない感じがします。
黒沢明監督『夢』の「雛祭り」は、そんな感じをよく表していました。
なお、下記コメントに浜井さんがお書きになっているように、お内裏様とおひな様は男雛と女雛、右大臣は左大臣のまちがいです。サトウハチローはあとでまちがいに気がつきましたが、そのときにはこの歌が全国に流布・定着してしまっていて、どうしようもなかったそうです。
雛祭りの季節になると、サトウハチローはいつも不機嫌になったと家族は語っています。
(二木紘三)
コメント
雛人形って、浮世の・・・そして人生の浮き沈みを優しくも
しっかり見つずけてきた証人のような気がします。
半世紀前の我が家に立派な着物を着たお内裏様とお雛様が
無造作に淋しそうに転がっていたのを子供心に記憶していますが、何があったのかは知る由もありません。
春のやよいの このよき日
なによりうれしい ひなまつり
投稿: 松島 幸男 | 2008年3月 3日 (月) 18時18分
3月3日も過ぎて、デパートやスーパーの売り場からはもうこの曲も聞こえなくなりました。
老若男女を問わず、この童謡を知らない日本人はまずいない、といっても過言ではないでしょうね。他にも同種の歌がないわけではないと思いますが、やはりこの「うれしいひなまつり」が他を圧倒しています。「なによりうれしいひなまつり」という歌詞とは裏腹に、このようなもの悲しい旋律の童謡が今なお人気があるというのは、
ちょっと不思議な気がしますが、なぜかうれしくもあります。
今から30年以上も前のことですが、ある高名な作曲家がテレビ番組の中で、日本の子守唄や童謡を痛烈に批判していたのを思い起こします。
明るくのびやかな欧米の子守唄や童謡にくらべ、わが国では短調の陰気くさい歌が多く、幼少期の大切な情操を培う上で有害である、という話でした。
氏の提言が世に受け容れられたのか、その後つくられる子どもの歌は、明るく活発な調子のものが大勢を占めるようになりました。
しかし当時の私は、氏の主張に一理あることは認めつつも、なにか抵抗感を覚えていました。昔の日本の子守唄・童謡には、たしかに明るさという点では欠けるところがありますが、一方他の民族にはない独特の美しい特性が感じられ、とくに他者へのやさしい思いやりの心や、自然への豊かな感受性に満ちているように思います。昨今の情操教育という点では、むしろ有用ではないのか、その思いは数十年たった今も変わっていません。
投稿: 時代遅れ | 2008年3月 4日 (火) 13時54分
時代遅れ様
私の娘はポーランド人ですが、赤子のころから私が短調の童謡をうたって育てました。ポーランド人の母からみても、この童謡は娘の情操を豊かにしたと言ってくれています。ポーランドの童謡も短調のものが多く、「ある高名な作曲家」の方は、ごく少数の体験から仮説を導き出したのでしょう。ポーランド語で子守唄はコルィサンカといいますが、中でも「イスケレーチカ」(暖炉の火花)というものは、暖炉のはかない火花に託して人生を歌ったもののようにも思え、大人でも感動します。ディスクをもっていますので、貸してさしあげます。シモン・イサコフスキー
投稿: | 2008年3月 7日 (金) 21時10分
あかりをつけましょ百ワット
お花をあげましょ若乃花
五人ばやしのロカビリー
きょうは楽しいお○式
というケシカラン替え歌が、
ロカビリーがすたれ、「土俵の鬼」が引退(昭和37年)した
かなり後の昭和40年代初頭まで、
小学校の教室で歌い継がれていたように記憶します。
団塊世代からポスト団塊の「怪獣世代」に至るまでの、
特に男子児童による、
お仕着せの「よいこのうた」への
ささやかなプロテストだったのでしょう。
松原父ちゃん 消ゆる母ちゃん
父ちゃんと母ちゃんとケンカして……
というのも、同時代に歌われていました。
今ではいずれも、元歌すら知らない子供が
大半でしょうが。
投稿: 若輩 | 2008年6月 9日 (月) 23時22分
今は40歳近くなる娘が4、5歳の頃、私が幼いとき歌った童謡を覚えさせようとソノシート(これも死語ですか?)やドーナツ盤をせっせと聞かせましたが、あまり興味を示しませんでした。そのくせテレビのコマーシャルの音楽には敏感で、呼びかけても振り向かないほど一心に聞いていました。あのころから私は、日本の行く末に不安を感じていました。その娘が最近ようやく結婚して高齢出産の子どもを育てています。
投稿: 周坊 | 2008年6月10日 (火) 11時39分
日本の情緒の真髄ですよね。この日本の伝統文化と情緒をいつまでも後世に残していかなければ、日本はどこの国かわからなくなってしまいます。イギリスや西欧、東欧の煉瓦づくの建物の情緒と同じように、日本の美しさは生まれてくる日本の子供たちに伝えていく義務が、われわれにはあるんじゃないでしょうか。
でも、日本人だけがこの情緒をわかっているのかと思っていたら、嬉しいことに外国にもこれと同じ曲調があるんですか。やっぱり、日本の文化は諸外国の文化の伝播の影響を受けているんでしょうね。民族主義を唱えて突っ張っている人たちは、考え直すべきですね。
投稿: 吟二 | 2009年5月23日 (土) 23時27分
あかりをつけましょ百ワット
お花をあげましょ若乃花
五人ばやしのロカビリー
きょうは楽しいお○(お葬式)式
松原父ちゃん 消ゆる母ちゃん
父ちゃんと母ちゃんとケンカして……
私も歌っていた記憶があります。ただいま53歳ですが、この替え歌、懐かしくて、思わず書き込みました(このサイトと、私の日記に)。
投稿: こうちゃん | 2010年2月 7日 (日) 21時34分
私は50代後半ですが 時代背景もありましょうが 幼いころこんな物悲しい童謡をよく聞いていました。それが今も私の精神の根底になっているような気がします。しかし世間にはこのような童謡とは無関係に生きてるような人が増えてる気がします。今の精神の荒廃した時代どちらが良いとは思いませんが 我に帰れる情操豊かな幼少時代を過ごせたことは私にとってはとてもよい財産です。
投稿: alude2500 | 2010年3月 3日 (水) 16時12分
お雛さま、雛祭り─このことばを聞くと、ほろ苦い思い出がよみがえります。
昭和20年9月、わたし達家族がいた朝鮮の清洲という町に、米軍が進駐して来たときの話です。2つ違いの兄がどこからか、「進駐軍は日本の人形を欲しがっていて、キャンディやチョコと交換してくれる」という情報を得てきました。当時、甘い物に飢えていたわたし達は、妹に内緒で雛人形の内裏様を持ち出して交換してしまったのです。「交換」というと聞こえはいいのですが、実際はジープや兵員輸送車に乗った米兵が、沿道に押し寄せるように並んでいる民衆(圧倒的に朝鮮の大人やこどもが多い)に面白がって投げるキャンディ類や食べ物に群がったというのが真相です。よくテレビのニュースなどで途上国の人たちが救援物資に群がるように。
二人で必死になって拾ったのですが、わずかばかりの戦利品にありつけるのがやっとでした。わたしと兄は妹に内緒で持ち出したという後ろめたさもあって足取り重く帰還したのですが、救いだったのは何個かのキャンディに妹が喜んでくれたことです。結局引き上げに際しては、妹が大事にしていた雛人形は一体も持ち出す余裕もなく(リュックに詰めるだけの食料と衣類だけで精一杯でした)現地に置いて来たので、気分的には楽になりましたが。
兄が投げるように渡した内裏様はどうなったか?、ひとりの米兵に受け止められたことまでは確認できましたが、その後は分かりません。無事に海を渡って、今でもアメリカのどこかのお家に大事に飾られているのでしょうか。そうあって欲しいと切に願っています。
投稿: ひろし | 2010年3月 4日 (木) 15時00分
時節をはずしてのネタは恥ずかしいのですが、知らないこと、勘違いしていたこと、それらが分かり納得できると嬉しいものです。そのため思わずメールすることになってしまいました。
こうちゃん様、若輩様の替え歌は聴いたことがありませんし、おひな様の替え歌が有ることさえ知りませんでした。ところが、妻に聞いてみると
明かりをつけたら消えちゃった
お花をあげたら枯れちゃった
五人ばやしの首取れて
今日は悲しいひな祭り
などと歌っていたと・・・。><
実にけしからん話です。
まあ、それはさて置きこの『うれしいひなまつり』の歌詞には明らかな間違いが2つあり、それを日本中に広めてしまった責任があるようです。
ほとんどの人が『お内裏様』を雄雛、『おひな様』を女雛と解釈していますが、『お内裏様』とは天皇と皇后の姿をかたどった一対の人形を指し、『おひな様』は雛人形(雛飾り)の愛称で複数体を表すわけですから雄雛、女雛の解釈は全然違います。
好意的に強弁を認め、歌詞を正しく解釈するなら、お内裏様(二人)でも、おひな様(二人以上)でも、共に雄雛と女雛だけは一つの段で二人だけで並んでいてすまし顔なのであり、雄雛と女雛だと勘違いしたのは読解力が足りないのだと言う事になるのでしょうが・・・。
もう一つの間違いは、『赤いお顔の右大臣』の部分です。実は、白いひげを生やし赤い顔の年長者の人形は左大臣なのです。そもそも、大臣としていますが、もともとは随身で警護の者なのだから酒など飲んでは警護は勤まらない。だからこそ赤い顔を揶揄して「白酒でも飲んだのか」としているわけですが右大臣と左大臣を取り違えていることに変わりはありません。
サトウハチローでもこんな間違いを犯すのですねえ・・・。
もっとも、この作品に関しては山野三郎名義で発表しているので別人との強弁もありかも。
ついでながら、左近の桜、右近の橘、右大臣、左大臣はいずれもお内裏様から見ての右左ですから、向かって右に桜と左大臣、左に橘と右大臣を配置するのが正当とされています。
雄雛と女雛の配置については、従前は向かって右に雄雛だったのですが(異説あり)、大正天皇即位以降混乱中です。管理人様の挿絵は実質四段飾りであることと随身が三人官女と同じ段なので違和感があるのですが(都合上そこしか空いていなかったからと推測)、桜と橘は描き分けられていて流石だなと思います。
蛇足
このメールの元となったのは、彼の右に出る者はいない、彼の右腕、左遷、左前など、右を尊び左を卑下する言葉が多数あるのに左大臣の方が右大臣より上位者であることの疑問を調べていてのことです。が、『うれしいひなまつり』とは内容が離れ長くなるためこれ以上は書かない方が良さそうですね・・・。
投稿: 浜井 | 2010年5月30日 (日) 10時58分
老人ホームの78歳、インターネットからはなれない日常になりました。私が生まれた昭和7年に父が日本橋三越で購入、金参円と箱書きのある5段飾りのお雛様(当時田舎では小さな家が建ったと言われた)があり、結婚時に持ってきて、マンションで毎年飾って楽しんだが夫が介護ベッドをいれるようになって手狭になったため、新潟県村上市の雛祭りに知人を通して寄付をしました。幼児から毎年飾り、戦中戦後と疎開で助かったひな壇ですが今多くの人の目に触れることで人形たちはどんな思いでいるかと、ホームでお琴とピアノの合奏を楽しんでいます。子供のころの白酒はおいしく、隠れて飲んでしかられた思い出も遠く、今はシルバーでもワインで一杯!です。
投稿: ライス | 2011年2月17日 (木) 18時56分
ライス 様
昭和22年九州小倉生まれ育ち、なぜか今茨城県で定年農業をしています。
幼い頃、今は亡き母は時節の祭りは色々やってくれまして、ひな祭りにはひな人形ではありませんでしたが人形や桃の花などを飾ってくれていました。遠い昔の思い出です。
お持ちのひな人形を市に寄付なされたとのこと、大勢の市民に見られて人形も喜んでいることでしょう。
78歳でインターネットを楽しんで折られる様子、敬服します。若輩ものですが、アップアップしています。
二木先生のお陰でこのサイトを楽しませていただいている訳ですが(りっぱな社会貢献だと思います)、ライス様もいつまでもお元気で。
投稿: 竹永尚義 | 2011年2月18日 (金) 16時55分
作曲の河村光陽さんは、私の生まれ故郷の近く(福岡県田川郡福智町)のご出身だということを最近しりました。
投稿: 竹永尚義 | 2011年2月18日 (金) 17時02分
九州縦貫道福智山トンネルで有名な福岡県福智町のご出身の竹永様ならば、川端康成ご推奨でもあった近くの上野焼(あがのやき)窯元もそのそばの渓流・白糸の滝もご存知かと思います。近くに天郷(てんごう)青年の家という簡易宿泊所がありました。宿泊所の庭に歌碑が建っており、『かもめの水兵さん』音符とともに作曲者の河村光陽は当地の出身ですと説明板が掛かっていました。私もその説明板で河村光陽のことを知りました。今から43年前の昭和44年のことです。
投稿: 乙女座男 | 2012年7月29日 (日) 17時41分
2008年「時代遅れさん」の投稿。ある高名な作曲家さんがテレビ番組で放送されていたとか・・・「日本の子守歌や童謡は短調で陰気くさい歌が多くて情操教育に悪い云々」とか・・・・この高名な作曲家さんが事情があまりおわかりになっていらっしゃらないのかと思い投稿します。
そもそも日本の子守歌はお母さんが歌った歌よりも貧しい家の子守さんが歌った歌の方がより多く残っているからではないか。貧しい家の子が5・6歳になると口減らしのために金持ちさんの家へ奉公に出され親元を離れ寂しい思いを子守歌として歌った子守歌が多いという当時の日本の厳しい差別事情が現れている。「ねんねこさっしゃりませ、寝た子の可愛いさ、起きて泣く子のねんころろ、つら憎くさ~~~」(中国地方の子守歌)さっしゃりませ〔敬語)寝る子は可愛いが起きて泣く子は憎い。母親としての愛情が感じられない。「おどまかんじんかんじん(私らは貧乏)、あん人たちゃよかしゅ、よかしゃよか帯よか着物」(五木の子守歌)「この子よう泣く守りをばいじる,守りも一日痩せるやら、はよも行きたやこの在所越えて向こうに見えるは親の家」(竹田の子守歌)しかし最も有名な日本の子守歌「ねんねんころりよおころりよ坊やはよい子だねんねしな」これを陰旋律(ミファソラドレ)で歌うと暗くなるけど陽旋律(レミソラドレ)で歌えばのどかで素朴な歌になる。確かに西洋の子守歌は母親が歌っている歌が多いから愛情に包まれているものが多い。「眠れ眠れ母の胸に,眠れ眠れ母の手に・・」(シューベルトの子守歌)
だからといって日本は陰気と決めつけるのはどうかと思う。日本の子守歌に込められている深い意味も思いながら、これも大切にして欲しいと思います。「他の民族にない独特の美しい特性が感じられ他者への思いやりの心や自然の豊かな感受性に満ちていると思う」と結んでおられる「時代遅れさん」に心から賛同し敬意を表してまだ書き足りないけど長文の投稿ごめんなさい。
投稿: 景道 | 2016年2月15日 (月) 15時38分
時代遅れ様、景道様、お二人様のご意見に賛同いたします。日本の子守唄が哀しいのは事実です。私は「竹田の子守唄」「中国地方の子守唄」「五木の子守唄」等これらを最後まで歌い切れません。切なくて胸が詰まり哀しすぎます。それでも日本の子守唄が大好きです。誇りに思っています。哀しい運命の子供たちがよその子供を背負って歌い継がれていったこれらの詩。それは日本人の背負ってきた歴史だとおもいます。現在は外国では子どもをお金でベビーシッターを雇い、預けて夫婦で外出する習慣がある国々。同じではありません。それでも幼い少女たちに背負われた赤ちゃんの方が、ずっと幸せだったと思います。背中に背負って子育てする光景はアジアや後進国だけの風習でしょうか?明治初期に日本に来た女流の記者が書いています。日本人ほど子どもを可愛がる人種を見たことがないと・・・・。田畑に出る時も子どもを入れる【籠のようなもの】にいれ、そばにおいて働くすがたをほめています。
日本のこれらの子守唄にうたわれている少女たちのすがた、想像するだけで切ないですね。でも忘れたくない日本の子守唄、大好きです。大家と言われる人が何とおっしゃろうと好きです!!
投稿: mitsuko | 2016年2月17日 (水) 06時00分
戦災で雛飾りを焼いてしまったので、戦後すぐに縁日で30センチぐらいの市松人形を母が買いました。私の為ではなく、私が生まれる前に女学校2年で亡くなった私の姉の思い出に買ったのだと思います。成績優秀、器量よしだったと姉と比較いつも私に嫌味を言いました。「私は私だ」と反発していました。今、我が家は男ばかりで、雑然としています。小さな市松人形を私の形見として買っておこうかと思いましたが、お人形の顔を息子たちが怖がったことがあり買うのをやめました。それにしても、あの無頼の八チローにこんなにやさしい詞が書ける事が不思議です。心の中は優しい人だったのでしょうね。良い歌だと思い聴いています。
投稿: ハコベの花 | 2016年2月18日 (木) 00時15分
姉も妹もいず、娘にも恵まれなかった私はひな祭りの雰囲気を知りません。雛祭りが近付くと小学校では女の子たちが互いに誘いあっている気配を感じました。お菓子も御馳走もあるだろう、僕も誘って欲しいなァ・・・といつも思っていたのですがなりません。女の子のお祭りですですからね。
小学校では女の子は女の子同士、男の子は男の子同士で固まりますので何事についても奥手の私は抜け駆けして女の子と話すチャンスなんて皆無でした。雛祭りという女の子の秘密の場を覗いてみたかったのですが・・・
そこで、お父さんもお母さんもいない、雛祭りもしてもらえない薄幸の少女もいるだろう。皆が寝静まった夜、そんな少女の枕元にサンタクロースのごとく降り立って、お雛様をプレゼントして帰りたい。空に帰る前に可愛い少女の寝顔のほっぺにチュッとキスしたい。・・・などと妄想をしたりしたのですが、実行したらやはり罪ですね。
童謡『赤とんぼ』も物悲しい曲ですね。最近のお母さんは赤ちゃんを背中におんぶでではなく、胸に密着させた抱っこスタイルです。これでは赤ちゃんは赤とんぼも観れないですね。抱っこスタイル反対です。
少女が赤ちゃんを負んぶしている昔の写真がありました。仕事をしているお婆ちゃん、少女と赤ちゃん、貧しくとも懐かしい幸せな情景です。↓
http://www.gekiyaku.com/archives/47738141.html
投稿: yoko | 2016年2月18日 (木) 08時35分
数々の「蛇足」と「コメント」は心に沁みてきたり、考えさせられたりします。順にクリックしてきたら「ひなまつり」に出会いました。
皆様のコメントにありますように、オーバーに表現しますと、わらべ歌や子守唄は日本人が歩んだきた歴史ですね。広い意味での文化遺産だと思っております。「おしん」があれほど世界中の人々に宗教、国柄を越えて受け入れられ、また語り継がれているのは、人間の心情として万国共通のものが心底にあるからなのでしょうね。
小学生の孫が時々歌っている歌は私たちの子供の頃の曲だったりします。また、私が昔の童謡を歌っていると「知っている」と言います。孫たちのそういう様子をみていると、一部だけかも知れませんが引き継がれているんだなと思う時があり、うれしくなります。世代を越えて一緒に歌えることはいいものですね。
妹と私のお雛様は高さ10センチ幅15センチ位のガラスケースに入った今戸焼き風の小さな物でした。それでも嬉しく妹と歌いながら「ひなあられ」を食べました。母はいつの間にか飾り、いつの間にか仕舞っていました。今考えても何処に仕舞っていたのか分かりません。
投稿: konoha | 2017年3月10日 (金) 12時14分
この歌は老人施設では必ずと言って良いほど、この時期になると歌われていると思います。
私もある老人施設で、第1部は紙芝居実演、第2部は皆さんと一緒に童謡抒情歌などを歌っていますが、3月にはこの歌は定番です。殆どこの時期しか歌わない歌かもしれないけれど、いつまでも毎年歌われる名曲だと思いますね。
この歌のコメントは3がつ3日前後にした方が良かったと思いますが、それにしても2月3日の節分(豆まき)の昔から人口に膾炙した歌はなぜできなかったのでしょうか。インターネットで検索してみても「節分」とか「まめまき」という童謡はありますが、大部分の方は知らないですよね。私も調べて初めて知りました。どなたかもっと有名な節分の歌をご存知ですか。
投稿: 吟二 | 2019年2月 1日 (金) 10時34分
節分の歌・・のコメントに触発されて。
節分の歌ではないのですが、橋幸夫の『お嬢吉三』の歌詞に
思いがけなく 手にいる百両
虫も殺さぬ顔してサ
今夜はほんに節分か
落ちた娘は厄落とし
とあります。
ご存知、歌舞伎の弁天小僧の一幕です。三浦洸一の『弁天小僧』のほうが有名ですが・・私には、節分のイメージは、恵方寿司でもなく、豆まきでもなく、この弁天小僧の大川端のシーンです。
旧暦では、節分の後に新春(正月)がやってきます。したがって、春を待ちわびると同時に大晦日のようなときめきが節分にはあったことでしょう。気持ちの上で、今よりも大きな行事だったと思われます。
新暦の今はそうではありません。今は、新暦正月の後に極寒の新暦二月がやってきます。そのため年賀状に「迎春」「新春おめでとう」と書くとどこか体感的なウソをついているような気分があります。
陰暦から陽暦に変えた時点で、古典や伝統的事物に関連して皮膚感覚的なウソをついてしまっている。ちょっとつらいですね。
以下の表現なども、新暦と旧暦の約1ヶ月あまりのずれを知らない若い人たちに説明しなくてはいけない。ちょっと疲れます。
さくらさくら <弥生>の空は・・3月⇒4月
願わくば 花の下にて春死なん その<如月>の望月のころ2月⇒3、4月
<五月雨>をあつめてはやし最上川5月⇒6月(梅雨)
投稿: 越村 南 | 2019年2月 2日 (土) 18時22分
家でも雛人形を飾っていました。でも場所が広くないと7段は無理です。そのうちピアノの上にお二人並んで飾られました。この歌には義父が買ってくれた7段飾りが心に残っています。買ってくれた店も覚えています。その頃は郡部の借家に飾っていました。
投稿: 今でも青春 | 2019年2月 3日 (日) 11時02分
「うれしいひなまつり」昔は、毎年この時期になると、あちこちの商店街で流れていたこの大好きなメロディも、最近ではあまり耳にすることがなくなったようで、少し寂しい気がします!
我が家では末娘が嫁ぐ年まで、毎年この時期になると娘が生まれた記念に買った、お内裏様とお雛様の人形を綺麗に飾っていましたが、その飾りつけを見ると、もう春になるんだと実感しました。その時は家の中が華やかになった気分で、毎年それが私の楽しみの一つでした。
私が幼いころの我が家では、二人の姉たちが折り紙でこさえたお内裏様とお雛様を、少し分厚い大きめの四角い白い紙にそれを張り付けて、棚に飾っていたのを憶えています。
それと、先のコメントにもありますが、私も幼いころにこの曲の替え歌をよく歌っていた憶えがあります。
灯りをつけたら 消えちゃった
お花をあげたら 枯れちゃった
五人ばやしの 首とれて
今日は悲しい ひなまつり
今思えば、尊いこんな名曲に幼なかった子供のころとはいえ、全くもってけしからん!こんな変え歌をよくも歌っていたもんだと思います(笑)。
河村光陽の童謡は「りんごのひとりごと」「仲よし小道」などをはじめ、どれも私の大好きな作品ばかりですが、春を待つこの季節には、やはりなんと言っても「うれしいひなまつり」日本の伝統さえ感じさせるこの素晴らしいメロディが、私は必ず聴きたくなります。
投稿: 芳勝 | 2019年2月27日 (水) 13時17分
芳勝さま
同感です。
投稿: 吟二 | 2019年2月27日 (水) 21時27分
平成31年3月2日放送のNHK「チコちゃんに叱られる」のテーマはひな祭りでした。番組の解説は、お内裏様は男雛女雛でお雛様は全ての人形を言う、お内裏様の左右については左上位の(男向かって右)が本当だが、昭和天皇の即位に際して天皇が向かって左に立たれたので、東京の人形組合の申し合わせで男雛向かって左に統一した(関東と関西で並び方が違う)、サトウハチローはずっと勘違いに悩んでいたなどで、左大臣右大臣には触れていませんでした。さらにハチローの姉2人は嫁に行く前に亡くなっていることで「お嫁にいらした・・」は彼の願望と推測していました。この欄でも過去童謡が陰気とのコメントが見られましたが、私見ですがある時期まで作者の哀しい実体験が(シャボン玉の赤ちゃんの死など)隠れているからかなと感じています。
投稿: しょうちゃん | 2019年3月 3日 (日) 19時51分
かもめの水兵さんの歌碑は見たことがあります。7~8年前に勤務先の非常勤の高齢者の上野(吾野)焼きツアーでたちよりました。「りんごのひとりごと」「うれしいひな祭り」等の作曲家の河村光陽さんがここの出身だとそのとき知りました。
投稿: 江尻 陽一 | 2020年5月13日 (水) 23時56分
江尻陽一 様
私は、50年前に生まれ育だった九州・小倉を就職の為、出て、茨城県に就職、紆余曲折あって、今、茨城県で定年有機農業を営んでいる者です。最近、作曲者:河村光陽さんが自分の生地の遠くに見える山(福智山)の西、田川郡福智町出身で、歌ったのが娘の陽子さんだったと知りました。私の生まれ育った(旧)小倉市富野からは、福智山は、「山の彼方の空遠く」と言う感じで、南西の遠くに見えていました。
懐かしいです。
投稿: 竹永尚義 | 2020年5月16日 (土) 18時40分
毎年、3月3日が近づくとスーパー等での店内には私の大好きなこの曲が流れしばし耳を傾けることがあります。
私のハーモニカ演奏のレパートリーの中でも特に好きな一曲でもあります。ゆったりとした曲の流れにお雛さまの微笑む笑顔が目に浮かぶようで心が和みます。
以前、ボランティアでの演奏活動でお伺いした福祉施設等では3月3日とは限りませんでしたが、先ずこの曲をトップランナーとして、童謡・唱歌・流行歌等を楽しんでいただいたところです。
最近では、仕事の関係で好きな出前講座(ハーモニカ演奏・南京玉すだれ・蓄音機(SP盤)による流行歌の演奏もご無沙汰していますが、コロナ騒動の渦が過ぎ去れば考えてみたいと思っていますが・・・?
投稿: 一章 | 2020年5月16日 (土) 20時00分
本日から㋂に入りました。香り高く綺麗な梅の花から桜の花に変わりつつあります。気温も少しづつ高めになり うららかな春が近づいているようです。
毎年この頃になると「うれしいひなまつり」の曲を聴き、ひな人形を飾っています。
今年も老夫婦二人だけの我が家に、ひな人形を飾りました。50年位前、私たちに、はじめて女の子が誕生した時、義母がお祝いに買ってくれたひな人形です。その後義母は、和紙でひな人形を創りました。これは玄関に飾っています。
昨日は義母のお墓参りをしました。そして「うれしいひなまつり」と「故郷」を草笛で小さく演奏しました♬ 大正元年生まれの義母の少女時代に思いを馳せながら‥。
投稿: けん | 2021年3月 1日 (月) 10時17分
「うれしいひな祭り」とは言ってもなんとなくもの悲しく、それだけに幼い頃の郷愁を誘います。
おひな様の飾り付け、それぞれのひな様の配置が複雑で、ひな壇の写真をみながら大騒ぎで飾り付けをしていたのを思い出します。
blgのハーモニカ演奏につかわせていただきました。
投稿: ゆるりとまひらふ | 2021年3月 9日 (火) 10時07分
毎年、3月3日の雛の節句が近づくと「うれしいひな祭り」の曲が聞こえてきます。我が家は6人兄弟、姉妹で
上の兄2人とは年齢が離れており、年齢の近い姉3人と
閉って置いた米蔵からお人形達を取り出して、飾りつけを
していた事を覚えています。又、小学校の学芸会でこの
歌を歌い、担任の先生に褒められましたが、男の子からは
冷やかされました。
投稿: 賀曽利 清 | 2023年2月25日 (土) 11時25分
昔は何段飾りとか言って豪華な雛飾りが売れたと思いますが、近年は小さな雛飾りばかりが流行りますね。岩槻や他のひな人形の街も生活を維持するのに大変なのではないでしょうか。
私の子は3人いますが、みんな女の子です。だから若い頃、雛壇の雛飾りを買っても使い時が多かったのですが、この少子化の時代では、豪華な雛壇の雛飾りはすたれるのでしょうね。
3人の娘たちもとっくに結婚して、二人ずつ子も産みました。でも、6人は全部男の子なので、雛飾りの引き取り手が居ません。大事にしまっておいたのですがそのうちに首が取れたりして面倒なので捨ててしまいました。私の川柳:「三女いて引き取り手のない雛飾り」
この時期になるとこの歌を思い出します。この歌は昔の良き日本の風情を感じさせてくれて大好きです。
投稿: 吟二 | 2023年3月 1日 (水) 21時56分
こんな俳句を見つけました。
愛でし手の去りしピアノに雛飾る
投稿: ミーコ | 2023年3月 1日 (水) 22時46分
明日は雛の節句なんですね。関西は月遅れでやることが多いのですが、スーパーなどはお菓子が山積です。吟二様はお嘆きですがうちは孫娘3人もいて引き取り手無しです。
大きめの親王飾りで2人だけですが近所の保育園に打診したら断わられました。まだ捨てもやらず箪笥の上に眠っておられます。雛どころか着物も引き取り手無く、和箪笥諸共早く処分したいのですが。
投稿: しょうちゃん | 2023年3月 2日 (木) 11時33分
はじめまして
この詞で、大昔から気になっていますのが、
「お嫁にいらした姉さま」です。
貴兄にお尋ねしたいと思い、書き込みます。
***
おそらく長兄の配偶者のことだと思うんですが
「よく似た官女」が引っ掛かります。
女雛に似ているのではなく、
官女に似ているということは
この詞の主人公たる義妹は
義姉のことを使用人と考えている、
ということなんでしょうか
投稿: SATOTAX | 2023年5月 5日 (金) 13時50分
作詞者サトーハチロー氏の姉は、肺結核を患い婚約も破談となり、二十歳前に亡くなられました。 それで歌の中だけでもとの思いがあり、二番の歌詞を作られたのです。
投稿: 寒崎 秀一 | 2023年5月 5日 (金) 14時06分
早速の御回答
ありがとうございます
「背比べ」もそうですが、
作詞家の思い、というものが背景にあるのですね
***
ここで、「お嫁にいらした」というのは
「嫁に来た」のではなく
「嫁に行った」の意味なのですね
お嫁に行けなかった姉を思い、詞の中だけでもお嫁に出してあげた、ということですか…
投稿: SATOTAX | 2023年5月 5日 (金) 15時20分