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2007年8月16日 (木)

津軽のふるさと

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞・作曲:米山正夫、唄:美空ひばり

1 りんごのふるさとは 北国の果て
  うらうらと山肌に
  抱(いだ)かれて夢を見た
  あの頃の想い出 ああ 今いずこに
  りんごのふるさとは 北国の果て

2 りんごのふるさとは 雪国の果て
  晴れた日は 晴れた日は
  船が行く日本海
  海の色は碧(あお)く ああ 夢は遠く
  りんごのふるさとは 雪国の果て

  ああ 津軽の海よ 山よ
  いつの日もなつかし
  津軽のふるさと


《蛇足》
昭和28年
(1953)1月にレコード発売。
 前年11月公開の新芸術プロ・松竹制作映画『リンゴ園の少女』の挿入歌です。当時の人気ラジオドラマを映画化したもので、監督は島耕二。

 作曲家の野村(山村聰)は、津軽で開かれた「リンゴ祭」の音楽会で、歌の才能に恵まれた一人の少女(美空ひばり)を見出す。やがて、その少女の母親は、野村の昔の恋人だったことがわかる……。

 他愛もない筋書きですが、戦後の明るい解放感を象徴するような映画の1つです。

 なお、この映画では、同じ米山正夫の作曲になる『リンゴ追分』という名曲も使われています。

(二木紘三)

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コメント

美空ひばりの歌の中では、この「津軽のふるさと」と「川の流れのように」が好きな歌の両横綱です。「津軽のふるさと」を聞くときにいつも心の安らぎを感じます。この歌の調子は素朴で平明だと思いますが、何か奥深いもの、「香気」のようなものすら感じられます。二木様の「蛇足」では、この歌が世に出たのは小生が10才の時のようですが、この歌の醸し出すものは、幼かりし小生も共有したはずの「昭和二十年代の静謐さ」とでもいうべきものなのでしょうか。日本にとって、昭和20年までの「大騒動」と、昭和三十年代以降、今に続く「別の大騒動」の狭間の・・・。

投稿: Snowman | 2007年12月28日 (金) 22時47分

 いつも良い歌を聞かせて下さいまして有難うございます。 この歌と[さくら貝の唄」はなんど聞いても目頭が熱くなります。この頃までの歌はなぜこんなに詞もメロディも美しいものが多いのでしょうか。人々の心が未だ美しかったからなのでしょうか。

投稿: やまだのかかし | 2008年1月31日 (木) 13時27分

美空ひばりの歌は全て歌うのが困難だが、簡単そうに思える
この歌が一番困難です。若年でこの歌を歌いこなしたひばりは天才なのでしょう。

投稿: M.U | 2008年6月 5日 (木) 13時30分

「津軽のふるさと」は私のレパートリーの中の大切な一曲です。曲がある意味平明なので,歌いにくい曲ですが,それを見事に歌いこなす美空ひばりはやはり不世出の天才歌手ですね。
 私も,この曲を歌うときには,少しテンポを落として,あの津軽地方の自然の厳しさ故に「晴れた日」には碧く広がる海にリンゴの赤が映えるという情景を心に描いていますが,なかなかどうして天才歌手の足元にも及びません。
 でも,何回でも歌いたい本当にいい曲です。

投稿: Mochiken | 2008年7月24日 (木) 22時12分

津軽とは。。。こんな懐かしい土地であろうか?
そんな思いにとらわれる曲だと思う。
私が育った所もかつて豪雪地帯と言われたことが
あったが今では雪もあまり積もらない土地になっている。
この曲は雪の深い地方への愛おしさを感じさせる。
美空ひばりさんの天才性もさることながら
ひばりさんに与え続けられた曲の天才性にも
目を向けなければならないと思う。

投稿: sunday | 2008年7月24日 (木) 23時40分

カラオケ好きの私ですが、何故か、この歌だけは
出だしから涙が出てきて途中で泣き上戸みたいな歌になってしまうので人前では歌いません。生まれ育った雪国の情感が重なるのでしょうか。ひばりさんの歌の中で一番好きな歌です。

投稿: 横浜あら古 | 2009年4月 8日 (水) 20時32分

美空ひばりの歌のなかでは(津軽のふるさと)は格調高いほうではないでしょうか。
同じ青森という県内でも津軽と南部では言葉、習慣の違いがはっきりしています。津軽には歌などの題材になりやすい叙情的な要素のある土地柄と思われます。それにくらべ南部地方は歌なりにくいようです。

投稿: おキヨ | 2009年4月16日 (木) 12時00分

まもなく定年退職を迎えようとしている津軽の出身者です。津軽の田舎にはまだ年老いた両親が兄夫婦のもとで
生活をしています。
この「津軽のふるさと」は本当に良い歌で、田舎を思い出しながら口ずさみます。
東北地方も桜の花が咲いたとテレビのニュースで流れました。久し振りに「津軽のふるさと」へ帰って両親や桜に
会ってこようかな..... Kazu

投稿: Kazu | 2009年4月18日 (土) 11時52分

 おキヨさんの云う通り津軽(日本海側)と南部(太平洋側)では文化・県民性など全く違いますね。20年くらい前に季節従業員採用で弘前のハローワークに行った時、弘前の採用係の人が云うには「寮の部屋は津軽と南部の人を同室にしないほうがよい」といってました。
津軽=派手好き・陽気・極彩色(ねぶた・津軽凧の色)
南部=堅実派・控え目・中間色(南部煎餅・山背の風)
 といったイメージですか。
 いずれにしても心のふるさと青森ですね。

投稿: かんこどり | 2009年4月18日 (土) 16時54分

私の通った温泉施設で全ての歌が吉幾三でしかも津軽弁で唄われる方がおりました。若い頃は千昌夫だったとのこと、津軽出身でしょう。歌は天下一品でした。

投稿: 海道 | 2009年4月18日 (土) 19時50分

かんこどり様
そうですか、津軽と南部は部屋が別!面白いことをうかがいました^^
仰せの通リ、津軽の方々は淡谷のり子のいう〔いいふりこき〕が多いようにきいています。前に出るタイプが多いのは太宰治、寺山修司、棟方志功、など文化人がこの地から出ていることでも判ります。
南部は・・・・田中義剛と例の美人代議士しか思い当たりません^^ゞ

投稿: おキヨ | 2009年4月19日 (日) 11時41分

4月に投稿したKazuです。この春に津軽の田舎に住む年老いた両親と桜と林檎の花に会いに行ってきました。その時はまだ元気だった父親は7月に亡くなりました。先日帰郷した時には枝もたわわに赤や黄色の林檎が実っていました。津軽のふるさとはもうじき雪国になります。Kazu.

投稿: Kazu | 2009年11月22日 (日) 18時11分

美空ひばりの数ある曲の中で、最も好きな曲です。詞もいいですね。遅い春を迎えて、りんごを中心にもろもろの花々が一斉に咲き誇る津軽の、また“地吹雪”に見舞われる厳しい冬季にも、晴れた日には白い砂丘のかなたに青々とした日本海が望める津軽の情景が目に見えるようです。
 大学最後の夏休みに、親友と二人で西津軽を貧乏旅行しました。五能線沿いに、五所川原、鯵ヶ沢、深浦と周り、当時はまだあまり知られていなかった十二湖の景観を楽しんで帰郷したのですが、印象深かったのは、陸奥岩崎からトロッコ軌道(昭和34年当時、既に廃線になっていたように記憶しています)を2,3キロ白神山地側に徒歩で入った秘湯での一泊でした。この秘湯も、旅館の名も忘れてしまったのですが、旅館にはまだ電燈がなくランプでしたし、岩窟とおぼしき湯屋(天然の湯)ではカンテラに照らされての湯浴みでした。宿泊代は、学生ということで負けてもらい、2食付500円でした。今でも秘湯といわれる温泉は旅行誌などに紹介されていますが、さすがにもうランプの宿にはお目にかかれないのでしょうね。この秘湯を地図で調べてみたのですが、判明しません。どなたかご存知の方はお教えください。」

投稿: ひろし | 2009年11月24日 (火) 12時43分

「わたしは真っ赤なりんごです。お国は寒い北の国・・」につづいて「りんごのふるさとは北国の果て・・」の歌をラジオから耳にしたのは中学生のころです。九州の西のはずれにいては、どのあたりの情景を詠ったのか行けたら行ってみたいとの思いでいました。紆余曲折の末、現役最後の勤務が津軽の地でした。岩木山の裾野に広がる薄紅色の花で飾ったりんご畑、万物を茜色に染めながらの暮れなずむ秋の津軽平野、地吹雪にまきこまれる恐怖の生活、決して豊かでないなかででの人情味あふれる人付き合いなど。この歌に接するたびに6年間の単身生活をいまも懐かしく回想します。

投稿: 山口(亜浪沙) | 2011年9月 7日 (水) 17時32分

ハーモニカを生甲斐にしている一人です
いろんな曲を吹きますがこの「津軽のふるさと」は
大好きで自分でもよく吹きます
でもこの前・・ある人のこの曲の演奏にしびれて
今は嬉しくて この曲の素晴らしい旋律と何とも
言えないリズムに酔っています
ハーモニカっていいですね!

投稿: 田中 喬ニ | 2017年1月 3日 (火) 18時06分

ひばりが15歳、中学3年生の時の歌ですね。サトウハチローじゃないですが、変に大人びた歌を歌うよりも、このように純なナイーブさを感じさせる歌が似合っていました。ルックスも年相応で子供らしいところがあって、演技は大根でも可愛かったです。

米山正夫さんの詩とメロディも、明るさの中に哀切があって何か泣けて来るようでした。私はこの頃から流行歌を好きになりました。ひばりは私が歌好きになった基礎ともいえる人なのです。

投稿: 吟二 | 2017年1月 5日 (木) 22時12分

吟二様のおっしゃるように「明るさの中の哀切」には一層の涙を誘われますね。歌手では松原健之さんの歌が抒情的で心に染みます。
 
我が家はりんご園に隣接しています。
間もなく雪を踏んでの剪定作業が始まります。
といっても我が家のりんご園ではありません~。
八重桜の咲く頃に林檎の花も咲きます。
紅色の蕾からあえかな薄桃色になり開花時はほとんど純白です。三分咲きの頃が最も愛らしく思えます。

りんごと言えば青森ですが 当県も規模こそ青森に劣るが、美味しいりんごの産地です。りんごは花から収穫までの期間が長いので(剪定、消毒、花摘み、摘果、繰り返しの消毒)、開花から収穫までの期間が短いサクランボ栽培が多いのです。

山形県朝日町和合では「無袋フジ発祥の地」の看板を掲げています。とても美味しいりんごです。
http://hamadayori.com/hass-col/agri/MutaiFuji.html

投稿: りんご | 2017年1月 6日 (金) 10時45分

「津軽のふるさと」が少しの違和感もなく「りんごのふるさと」に脳内変換されてました。
頓珍漢な我がふるさと自慢のコメントなり深くお詫びいたします。

改めていい歌ですね。
私は「ひばり」はあまり好きでないのでこの歌を意識したのは抒情派歌手の「松原健之」さんの歌によります。
透明な哀切感が漂う彼の歌によって数年前初めて知りました。

投稿: りんご | 2017年1月12日 (木) 20時28分

寒い時期真っ赤なリンゴを食べる時 この「津軽の故郷」を聴くと じ~んときます。

今までこの歌を何度も聴いていたと思います。
私自身 恥ずかしながら「いいうただが なんだか難しい歌」と思っていました。 この歌を聴いて「心に響く」ようになったのはごく最近です。

草笛を私の教えてくれたIさんが 老人ホーム等で演奏する曲はいつも「津軽のふるさと」でした。南国の海のない山地で育った私は「りんごのふるさと、北国の果て、船が行く日本海」などの情景や季節感のイメージがわかりませんでした。しかし Iさんがこの歌を草笛で演奏するとお年寄りの半分近くの人がうたわれることに気づきました。

そのIさんのご先祖は津軽藩の方だそうで いつも先祖に畏敬と誇りをもって演奏されていることに気づきました。
そしてだんだんとこのうたの良さを理解するようになってきました。美空ひばりのこのうたを聴くと Iさんのことをいつも思い出します。

投稿: けん | 2017年1月14日 (土) 13時02分

フォレスタ、「津軽の故郷」で検索すると、小笠原優子さんの素晴らしい歌声を聴くことができます。オペラ歌手集団のフォレスタが、童謡、唱歌、叙情曲などをたくさんカバーしてますが、「初恋」も含めて小笠原さんの代表曲だと思っています。

投稿: 安部みちこ | 2018年4月23日 (月) 18時27分

2011年にこの唄に魅せられて投稿したものです。名曲を耳にするたびに、作詞者は、どの地、どのような場所、いかなる思いで、などなど・・・思いをめぐらせながら聴くのがわたしのよからぬ癖です。「晴れた日は 晴れた日は 船が行く日本海 海の色は碧(あお)く・・・」。この詩がつづられた場所は津軽リンゴ畑の中心地として知られている弘前、板柳あたりでしょうか。もっと北の「舞の海」さんの出身地である鯵ヶ沢の近くの岩木山麓であれば日本海を行き交う船が目に入るのですが。このあたりになると、もうリンゴ畑はめっきり少なくなってきます。
 昨年の一月の「りんご」さんの投稿内容を拝読させてもらいました。”この歌を意識したのは抒情派歌手の「松原健之」さんの歌によります。透明な哀切感が漂う彼の歌によって数年前初めて知りました。”とあります。五木寛之さんの「歌の旅人」のテーマ曲を5年間にわたって歌ったクリスタルボイスの松原健之は心癒されてあまりある稀有なうたい手ですね。彼が歌う「雪明りの駅」が二木先生のページにアップされる日を心待ちにしています。マングローブさんが歌う「東京タワー」も絶品ですね。

投稿: 山口(亜浪沙) | 2018年6月 4日 (月) 14時33分

山口(亜浪沙)さま
二木先生の演奏を聴きながら松原健之さんの歌声を重ねております。彼の歌唱力を評価してくださる方に邂逅できてうれしく存じます。
マングローブさんの「東京タワー」も味わい深いですね。

投稿: りんご | 2018年6月 4日 (月) 17時52分

りんごさま
いつも、りんごさまのコメントを心待ちに楽しく拝読させていただいております。
ありがとうございます。
私もひばりちゃんのフアンの一人ですが、これまで「津軽のふるさと」を聴いていて胸に迫るものもありましたが、松原健之の「津軽のふるさと」を聴いてみて、男性が歌っていることもありますが、その声量といい、一味違った「津軽」の雰囲気が伝わってきて感慨無量でした。ありがとうございました。
今後ともよろしくお願いします。
山口(亜浪紗)さま
コメント楽しく拝読させてお戴きました。
私も、りんごさまのお便りで松原健之の「津軽のふるさと」を知り胸に迫り感動したところです。
同じく彼の「雪明りの駅」を楽しみにいたしております。
マングローブの「東京タワー」は都会的な雰囲気がいいですね!
ありがとうございました。

投稿: 一章 | 2018年6月 4日 (月) 20時31分

山口(亜浪紗)様
りんご 様

松原健之;歌 「金沢望郷歌」 もいいですよ。

カミさんが、踊りの振り付け用にCDを買いましたが、あまりヒットしなかったようですね。
私は、いい歌だと思ってましたが・・・。

投稿: あこがれ | 2018年6月 4日 (月) 21時51分

あこがれさま
ご無沙汰いたしております。
お元気で六甲にお出かけでしょうか!頑張ってくださいね!
お便りでは、奥様が日本舞踊・・・いいですね!
私も日本舞踊は大好きで羨ましい限りです。
(若い時、母から少し習いましたが・・・)
早速、「金沢望郷歌」You Tubeで聴きました。
しっとりとしたいい歌だと思います。
何流でしょうか?
私の亡くなった母も長年、日本舞踊(藤間流)で、主に股旅物を習い、老人センターなどに慰問に行っていたようです。
特に、得意な踊りは、橋 幸夫の「旅がらす」でした。
また、妹も小学時代に母と同じ先生から習い、得意とするものは、渡邊はま子の「オランダ船」でした。
今、このコメントを入力しながら、当時のことを懐かしく想い出しています。
また、明日から宅配で、5時20分起床です。
安全運転で頑張ります!
ありがとうございました。

投稿: 一章 | 2018年6月 4日 (月) 23時03分

一章 様

お元気そうで何よりです。
私は、今朝早くから梅田近くの済生会中津病院まで、検査(COPD)に行き、やっと先ほど帰ってきました。 ご返事遅くなりすみません。

六甲山荘の管理人業務は、相変わらず続けています。
NPO本部からは、”死ぬまで続けて欲しい・・” 旨、言われており、一向に後任者の募集も育成もしてくれる気配が感じられません。しんどいけど当分やらざるを得ない状況です。

カミさんの踊りは、6~7年前にピークを過ぎて、今は日舞は引退、新舞踊(歌謡舞踊)だけ 15~6年前から来てくれているお弟子さん数名にちょろっと教えているくらいです。家元に頂いた振りが150曲、自分の振り付け分が250曲くらい あるようで、1ヶ月に1曲のペースで教えてますが、ここ2ヶ月間は体調不良で休眠中です。

無論、「津軽のふるさと」はじめ叙情歌~演歌~歌謡浪曲あたりまでがレパートリーらしいですが・・・
あれから うん十年・・殆どリフォームの効かない体型は、ビフォーは夢! アフターは無惨!と、いったところでしょうか・・。
過去のテープを見ながら、ためいきをついている昨今です。

私信めいたことばかりとなり、すみません!!

投稿: あこがれ | 2018年6月 5日 (火) 16時11分

山口(亜浪沙)様ほかのコメントに触発されて、YouTubeを検索して、初めて、松原健之さんの「津軽のふるさと」を視聴しました。丁寧に、きちんと歌われていて、好感を持てました。
  私の手許には、男性歌手の音源として、オペラ歌手・五郎部俊朗さんの「津軽のふるさと」、テノール歌手・秋川雅史さんの「津軽のふるさと」がありますが、どちらも、丁寧に、きちんと歌われていて、心に響きます。

投稿: yasushi | 2018年6月 5日 (火) 17時35分

あこがれさま
最近の近況のお便りありがとうございました。
病院へ検査に行かれたとの由、検査の結果がご心配かと思いますが、きっと大丈夫だと思いますよ!

私も今現在、四カ所の病院へ月1の割合で通っておりますが、これと言って病状の変化はないようですので安心はいたしておりますが、お互いに、一日一日を有意義に過ごし、特に健康・体作り・食生活には注意をしたいものですね!

六甲山の管理業務のお仕事・・・いろいろとご事情はおわりのようですが・・・体調の許す限りとことん頑張られては如何でしょうか!

私も、現在の宅配業務で一日の走行キロ約80キロ弱で、食材・惣菜・弁当等の持ち運び等で、腰を痛めはしないものかと心配をいたしております。
でも、長年の多種多様の仕事を経験いたしておりますので、ここは「気合を入れて」頑張るしかないと思っております。
一応の目安は、あと5年はと思ってはおりますが、そうしますと「傘寿」を超えることになりますが!・・・
それにはともあれ、お互いに頑張りましょう!

奥様の長年にわたり日本舞踊に精通なされ、今現在でもお弟子さんにご指導をなされていることなど感服のいたすところです
でも、奥様が現在まで日本舞踊(現在では、歌謡舞踊とのことですが)で、今日を迎えられるまでには、一口には言えないご苦労も多々あったものかと推察いたしております。
これからも、お二人仲良くお過ごしいただきますよう!
お祈りいたしております。

投稿: 一章 | 2018年6月 5日 (火) 21時26分

あこがれ様
一章様
共に生涯現役の気概に感嘆の至りです。
くれぐれも健康にご留意されて精励ください。


松原健之の「金沢望郷歌」郷愁を誘う良い歌なのにヒットしないのが残念ですね。「冬のひまわり」という報われない恋の歌もあります。繊細で心に沁みる歌唱力、奥行きがあり一編のドラマにも通じます。

彼の持ち歌にも増して「津軽の故郷」は胸にします。
yasushi様のご指摘の様に好感度溢れる歌い方ですね。
貴重な存在ですね。


投稿: りんご | 2018年6月 6日 (水) 09時23分

ここで初めて投稿させて頂きます。
2年程前から松原健之さんの歌を聴くようになりました。皆さんが書かれているように、初めて心惹かれたのは彼の唄う「津軽のふるさと」でした。でも、デビュー曲、「金沢望郷歌」を知ったのはずっと後のことでした。私も派手さはありませんが良い曲だと思いました。金沢旅行でこの曲を知り、ファンになったという方もいました。10年以上経ても心を捉える曲、歌声。花開くことを信じ願っています。

投稿: 菊理媛 | 2019年9月22日 (日) 20時29分

何がきっかけだったか記憶がはっきりしませんが、りんご園の少女の映画で美空ひばりさんが十代で歌ったと知り、さらに米山正夫氏の作曲と知り、便利なyoutubeで初めて聴いて、すばらしさに驚愕しました、日本の歌曲だわ、昨年コロナで不要不急の外出はするなと聞いたが、乗り鉄むかしの娘は津軽に行きたいと考えて、仕事を終えたあと はやぶさ で新青森に一泊して早朝5時台の奥羽本線で弘前で乗り換えて、五所川原から 舞の海さん出身地を経由して 五能線に 平日で嬉しいがらがらローカル線 津軽富士 りんご園 太宰作品の風 山々は緑なりき 青く美しい日本海 ほぼ日本中を乗り鉄したがよくある原風景があふれて 大満足の駆け足乗り鉄は 初乗車のあきたこまちから 盛岡からの はやぶさ 早い速い東北新幹線 2020年7月ありがとう津軽。

投稿: 真弓です | 2021年5月30日 (日) 21時59分

私は、美空ひばりの歌は基本的に"嫌い"ですが、「津軽のふるさと」と「わたしは街の子」は別格です。

「わたしは街の子」の3番の最後「今は恋しい母さまにうしろ姿もそっくりな」に至ると胸が迫り、つい目がしらがあつく滲んできます。そんな思いをした戦災孤児たちもきっとたくさんいたのだろうなと思ってしまいます。

この系統の歌には、「乙女ごころの唄」「すずらん峠」「バラ色の乙女たち」等の名曲、佳曲があるのですが、やがて斯様な傾向の歌から離れて演歌の方向に進んでいったのは迚も残念です。
「乙女ごころの唄」「すずらん峠」「バラ色の乙女たち」は一時ユーチューブで聴けたのですが今はどうなのでしょう。

「津軽のふるさと」は、その後の歌唱に折々垣間見られた(垣間聞かれた?)下品さがなく、発表当時の年齢に相応しい清純さが溢れていて、この歌の芸術性を遺憾なく表現しています。その後も折々、美空さんはこの歌を何度も歌っていますが最初の歌唱を越えていないと思います。

皆さんが松原健之さんを褒めているので聴いてみました。声が綺麗で悪くはないと思いますが、オリジナルは越えていない気がします。カバー曲はオリジナルのもつポテンシャルを顕在化し、その上に自分の解釈を新しい価値として付加すべきものだと思うのですが、そこまでは至っていないかな?と思いました。

私が素晴らしいと今でも耳に残っているのは、かなり前のことですが、東京オペラシティでの関定子さんのリサイタルで彼女が歌った「津軽のふるさと」です。もちろんピアノ伴奏です(私はわたしはオケ伴奏よりピアノ伴奏のほうが絶対好きです)。CD化されていないのが迚も残念です。CD化されるのを願っています。


投稿: ナカガワヒデオ | 2021年6月17日 (木) 14時14分

承前 確認しないまま前稿を投稿してしまい恐縮しています。
「すずらん峠」「乙女ごころの唄」「バラ色の乙女たち」すべてユーチューブにありました。是非ご視聴下さい。

投稿: ナカガワヒデオ | 2021年6月17日 (木) 17時41分

ナカガワヒデオ様のお便り(’21-6-17)を興味深く拝読しました。

「津軽のふるさと」は、私の音源(HDDジュークボックス)には、美空ひばりさん、テノール歌手・秋川雅史さん、そして、同じくテノール歌手・五郎部俊朗さんの、三つの歌声が入っています。
私自身、長調の明るい歌が好きな性向ですので、自分からこの歌を口遊むことは殆どありませんが、ときどき、これらの歌い手さんの歌声を聴いております。

さて、お便りのなかに、「津軽のふるさと」の系統の歌として、「乙女ごころの唄」、「すずらん峠」、「バラ色の乙女たち」 が挙げられていましたので、どんな歌だろうかと興味を惹かれ、YouTubeで聴いてみました。前2者は聴いた記憶がありませんでしたが、最後の歌を聴いたとき、その昔、聴いたことがある歌だなあと、記憶が甦りました。
 「バラ色の乙女たち」 (藤浦洸 作詞、原六郎 作曲、美空ひばり 唄 S28)
ナカガワヒデオ様のお陰で、ずっと忘れていた好きな歌が、一つ甦りました。有難うございました。

ついでながら、美空ひばりさんの歌声については、ひばりさんが成人に達する頃までの歌声が最も魅力的と感じております。この歌も、この部類で(ひばりさんは16歳頃)、明るく、素直で伸びやかな歌声がとても心地よいです。

投稿: yasushi | 2021年6月18日 (金) 14時56分

yasushi様

拙文にコメントをいただき有難う御座います。交流掲示板の方にも「純愛の砂」について御文認めて下さっていることを先程知りました。有難う御座います。

「津軽のふるさと」はポピュラーからクラシックまで夥しい数の歌手が玉石混交で歌っており、それらをユーチューブで全て視聴するのは至難の業かと思えるほどです。

その中で最近発見した、豊島正伸という男性テノールの「津軽のふるさと」が迚も素晴らしく感じられました。どういうお人かは全く存じませんが声に何とも言えない温かみがあります。クラシックの歌手の歌にはなかなか感じられないもので、この歌の懐かしくも切なく、穏やかな温もりをよく表現しているように感じました。

投稿: ナカガワヒデオ | 2021年6月18日 (金) 22時17分

ナカガワヒデオ様
掲示板にコメントしました。

この場をお借りして皆様へ
白い花の咲く頃
りん
はりんごです。

投稿: りんご | 2021年6月19日 (土) 09時42分

「津軽のふるさと」は本当にいい曲ですね。年に3~4回集まる私を含めてたった4人の小さなカラオケグループは最初にこの曲をみんなで歌ってから始まります。この曲はいろんなジャンルの歌手が歌ってますが、人によって好みが違うのは当然です。私にとっては松原健之さんと田川寿美さんが最高です。
3~4年前に五木寛之さんがテレビで話していたことが強く印象に残っています。50年ぐらい前に五木さんはラジオの番組でひばりさんとお仕事をしていたようです。ある時ひばりさんから私の歌でどれが一番好きですかと聞かれたので、「津軽のふるさと」と答えると、意外だというような顔で「ああそうですか」と答えたとのことです。そして、その後ひばりさんは以前よりこの曲を歌うようになったそうです。
松原健之さんいいですね。五木寛之さんも可愛がっているのでしょう。松原さんの曲に何曲も作詞しています。私を含めて熱狂的なファンが沢山いるようです。

投稿: 山下仁平 | 2021年6月19日 (土) 16時22分

歌手の松原健之さんは作家五木寛之さんの秘蔵っ子で「之」は五木寛之さんの一字を彼に与えたとあるラジオの番組で語っておられました。テレビ番組など舞台では決して派手ではありませんが人柄がにじみ出た所作は「津軽のふるさと」にぴったりしていますね。「投稿: 真弓です2021年5月30日(日)21時59分」さまのコメント、津軽への懐かしさをかみしめながら拝読いたしました。コロナ禍ではゆっくりの乗り鉄もかなわなかったみたですね。世の中が落ち着いたら秋にもう一度、津軽めぐりの乗り鉄はいかがでしょうか。

投稿: 亜浪沙(山口 功) | 2021年6月23日 (水) 16時34分

 「りんごのふるさとは~」からはじまる旋律が、初めから終わりまでいかにも雪国らしい、さみしい、耐えて強い、美しい調子で貫かれていると思います。「船が行く 日本海」のところもなんとも絵画的でいいです。
 何十年か前、五木寛之氏が名曲だと絶賛していたので、静かに聞いてみると、知名度の高い「リンゴ追分」よりも、心が開放されるような気がしました。
 私は神戸の人間ですから東北地方はあまり行ったことがないのですが、青森県には従姉妹(いとこ)が弘前の男の人と結婚するというので招待され、行ったことがあります。両人とも神戸に出稼ぎで、鹿児島、青森からそれぞれ来ていて、知り合ってお互い好きになったらしい。結婚とは、こんな離れた所の男女をひとつにするのかとぼんやり思った。昭和42年の話です。
 ちょうど私は高校2年で、従姉妹の姉といっしょに二人旅で行った。北陸、越後、山形、秋田の海岸線を車窓から長々と見て、ようやく弘前に入った。夜は招待された浅虫温泉で泊まり、次の日結婚式の後、ご夫婦が岩木山山頂までドライブしてくださった。
浅虫温泉の湯煙と岩木山頂からの広々とした風景しか覚えてないが、この曲を聞くと思い出す。
また従姉妹夫婦も十数年後、離婚してしまった。だから津軽のきびしい気候だけてなく、人生もまたきびしいものだとかみしめる思いです。

投稿: 越村 南 | 2021年7月 7日 (水) 20時04分

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