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2007年8月27日 (月)

白鳥(しらとり)の歌

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:若山牧水、作曲:古関裕而、唄:藤山一郎

1 白鳥(しらとり)は かなしからずや
  空の青 海の青にも
  染まずただよふ

2 いざ行かむ 行きてまだ見ぬ
  山を見む このさびしさに
  君は耐ふるや

3 幾山河(いくやまかわ) 越えさり行かば
  寂しさの はてなむ国ぞ
  今日も旅ゆく

《蛇足》 昭和22年(1947)発表。酒と漂泊の歌人といわれた若山牧水の名歌3首に古関裕而が曲をつけたものです。

 連続ラジオドラマ『音楽五人男』の主題曲として作られたものですが、このときは「白鳥は……」だけでした。東宝がこの作品を同名で映画化するに当たって、1首だけでは短いというので、牧水の短歌から情調の似た2首を選んで付け加えたそうです(『鐘よ鳴り響け 古関裕而自伝』主婦の友社・昭和55年〈1980〉5月刊)

 映画では藤山一郎の独唱でしたが、レコードでは、1番は藤山一郎、2番は松田トシ、3番は2人の合唱となっています。

 「白鳥は」の歌は明治40年(1907)『新声』の12月号、「いざ行かむ」は明治43年(1910)1月発表の第二歌集に掲載されています。また、「幾山河」は明治40年6月、牧水が東京から郷里の宮崎へ帰省するとき、岡山県阿哲郡(現・新見市)の二本松峠で作ったとされています。

 牧水の多くの歌に共通しているのは、深い孤独の影です。この3首にもそれが感じられます。

(二木紘三)

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コメント

白鳥の歌にやっと接する事が出来ました。
宮崎の歌人牧水の名歌に美しい曲が付いて、牧水の流離いの旅路が偲ばれます。宮崎の中央に聳える、尾鈴山の麓の牧水生家を訪問しました。
二木紘三先生有難う御座いました。

投稿: 波路 | 2007年9月30日 (日) 21時26分

   白鳥はかなしからずや空の青海の青にも染まずただよふ

 このような鮮烈な詩歌は、青春のただ中にある者でなければ作れません。
 (調べたところ、やはり牧水二十三歳頃の作。)

 白鳥はそもそも、我が身自身を「かなしい存在」とも何とも思っていはしません。人間の喜怒哀楽などまるであずかり知らぬ次元で、飛びたいから飛んでいるだけです。ただそれだけのニュートラルな存在です。しかし、それでは味も素っ気もなく、詩歌にはなりません。

 それゆえ凡人なら、『あヽ白い鳥が飛んでいるなあ』くらいでやり過ごすところでしょう。ところが、牧水は違います。空の青、海の青とは混じり合わずに、孤なる白い飛跡を描く白鳥の姿を、霊感の一閃でとらえ、『かなしからずや』という声なき詠嘆の声を発するわけです。己れ自身の「漂泊の心」を投影して。
 するとただの一羽の白い鳥が、「空の青海の青にも染まずただよふ」比類なき寂寥感をおびた存在として、詩的世界の中にくっきりと立ち上がってくるのです。
                       *
 しかし、牧水といえども、近代日本・明治の子。一個の生身の人間です。だから白鳥が「染まずただよふ」のを、ただ見守るのみです。近代的自我は、それ自らでは飛翔できないのです。
 かの悲劇の皇子(みこ)・日本武尊(やまとたけるのみこと)のように、自ら白鳥と化して「寂しさのはてなむ国(神話世界)」に飛んではいけないのです。
 だから漂泊なのです。「山のあなたの空とおく」の、かの国を追い求めて。牧水も、山頭火も、放哉も。
 かくいう私自身の中にも、「漂泊の心」はたしかに…。

投稿: 大場光太郎 | 2008年4月28日 (月) 18時26分

藤山一郎が深い孤独の影をおりこんで見事に歌っています。
もし野球殿堂のような物があれば、真っ先に推選したい歌手
だと思います。

投稿: M.U | 2008年6月16日 (月) 15時44分

 当方、2010年の今年、68歳。中学校の音楽の教科書に掲載され、先生のピアノ伴奏で覚えました。以来、これを超える好きな歌はまだありません。いまも歌い続けている最高の愛唱歌です。
 藤山一郎が国民栄誉賞を受賞する直前のNHK番組で聞いて、藤山一郎の持ち歌であることを知りました。
 メロディーを間違わないため、このページをときどき開いています。ありがとうございます。
(東京 三鷹市 久保田昌宏)

投稿: 久保田 昌宏 | 2010年5月20日 (木) 11時57分

この歌も空腹を蘇らせる歌です。
夕方、ラジオからこの歌が流れるころ、少ない量のすいとんを食べながら聞き、父と二人で疎開家で覚えました。
横須賀では記念艦三笠が上部構造を壊されて占領軍のダンスホールになり、敗戦を深く知らされた時です。

投稿: 遠藤雅夫 | 2010年5月22日 (土) 09時30分

1番と3番に使われている2首が、国語の教科書に並列に記載されていました。孤独感を素晴しい情景描写で表現していて、当時中学2年でしたが、心打たれ、牧水にはまってしまいました。そのころは、古関裕而の曲がつけられている事も、藤山一郎が歌っている事も知りませんでした。学校の屋上で気持ちよく歌いたかったですね。そして、隣に載ってた与謝野晶子の「夏の風 山より来たり 三百の 牧の若馬 耳吹かれけり」も好きな歌でした。

投稿: かせい | 2012年11月 8日 (木) 01時22分

この歌は私の大好きな歌です。
3番の歌詞ですが「幾山河」にフリ仮名が「いくやまかわ」となっていますがここは「いくさんが」だと思います。

投稿: 徳竹茂男 | 2013年10月 5日 (土) 22時18分

徳竹茂男様
若山牧水の歌集『別離』(1910年、東雲堂書店刊)、および筑摩書房の日本文学全集・若山牧水の巻(1958年刊)、同全集の1978年刊行版には、いずれも「いくやまかは」とルビがふってあります。
藤山一郎も「いくやまかわ」と歌っています。
(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2013年10月 5日 (土) 23時07分

白鳥は悲しからずや 海の色空の色にも 染まず漂う

この詩は大昔 私の青春時代の・ラブレターに利用させて

頂きました・・結果は忘れた事にして下さい

今では大好きなハーモニカで・昔を楽しんでいます

投稿: 田中 喬二 | 2014年4月19日 (土) 18時02分

幾山河
 なぜ徳竹茂男様のようなご意見があるのだろうと不思議に思って、YouTube をちょっと聴いてみたら、鮫島百合子が「イクサンガ」と歌っています。もう一人、名前のわからない男性が「イクサンガ」でした。この辺からこう読むのが正しいと思っている人が増えたのでしょうか。それとも、もともとそう読む人が多いのでしょうか。それでも歌手が公の場で歌うか録音でもしようという場合は、管理人様が示されているような基本的な典拠には当たってほしいものです。
 ついでに、なぜ「イクサンガ」と言いたいのかを想像すると、これが五音だからでしょうね。しかし周知の通り古典的な短歌では、俳句と違って、和語が優先され、よほどの理由がなければ漢語・漢音読みは避けられました。若山牧水は近代的情緒の表現者ですが、スタイルは伝統的で、和語で歌えるのにわざわざ漢語読みにするはずはありません。

 「白鳥は」の歌を「ハクチョウは」と読む人はいないようですが、この鳥はハクチョウでしょうね。実は私は、鳥が海の上を飛んでいるようであり、そうして「ハクチョウは」と言わずに「しらとりは」と詠んでいる(記念館にいくつか展示されているこの歌の短冊はかな書きで、紛れようがない)のを見ると、この白い鳥はカモメではないか、と疑いました。ただ、姿も鳴き声もカモメはあまりこの歌に似合わないようです。しかし、結局「空の青海の青にも染ま」らない「白」を身に引き比べているのであって、ハクチョウでもカモメでもないほかの鳥でもいいのでしょう。

 古関裕而は選んでいませんが、「酒と漂泊の歌人」で好きな歌に:
  白玉の歯にしみとほる秋の夜の 酒は静かに飲むべかりけり
がありました。下の句を若い仲間との酒席でよく唱えたことが思い出されます。

投稿: dorule | 2014年4月21日 (月) 14時39分

今朝の朝日新聞に「目の作家、耳の作家」というコラムがありました。そこに川端康成の『雪国』の冒頭の「国境」が例に挙げられ、川端は目に頼る作家なのでどう読むか考えずに「国境」と書いたとあります。耳からの人は「くにざかい」目からの人は「こっきょう」です。読み手も耳からの人と目からの人に分かれるのでしょう。目からの人は「いくさんが」耳からの人は「いくやまかわ」でしょうね。牧水がどちらだったのかわかりませんが、歌われるのなら「いくやまかわ」になるのでしょう。日本語は面白くもありますが難しいものですね。

投稿: ハコベの花 | 2014年4月26日 (土) 17時58分

スピーチでは、熟語を多用せぬことが鉄則です。 「看過できない」と言わずに、「見過ごせない」と表現するよう教わりました。 やはり日本人の心の中心は、大和ことばでできているのでしょう。 
しかし読み物では熟語が多くても苦痛を感じず、字数を少なくもできます。 日本語とは漢字と仮名それに音と訓があり、奥の深い言の葉いや言語ですね。 

投稿: 寒崎 秀一 | 2014年4月26日 (土) 18時57分

「イクサンガ」と読みたくなるのは五音だからであろうと書きましたが、もう一つ、「山河」と言えば「国破れて山河あり」という句が耳慣れていて、まず連想(無意識に)されるからかもしれないと気がつきました。これは「サンガ」と読む。「城春にして草木深し」と続きますが、「草木」も「ソウモク」であり、「クサキ」とは読まない慣わしですよね。和歌ではなくて漢詩だから。牧水の「幾山河」を「イクサンガ」と読まれるのは、詩吟をおやりになるような、漢詩の素養のある方ではないでしょうか。

投稿: dorule | 2014年4月27日 (日) 22時13分

私も高校の音楽で、この歌を習いました。その先生は「いくさんが」と歌いました。 当時(1970年代)の教科書では、そのように書いてあったのかもしれません。
同世代に聞くと、音楽では「いくさんが」と習ったと聞いています。

その後、和歌文学を習う中で、牧水の和歌の読みが「いくやまかわ」である事を知り、少し驚きました。
和歌文学も、和歌懐紙、短冊に書かれたものを、どう発音するかを重要視します。 古歌の場合には、何百年も伝わる内に、読み方の異同が発生します。(例として持統天皇の「春過ぎて夏(きたるらし/きにけらし)等」。
当人の意思が確認できない場合には、どちらも残すことがあります。
この和歌は近代のものですが、異同が口伝えの中で起こる実例として、興味深く拝見しました。

ちなみに、8月に歌の舞台があり、この歌を歌う予定です。

投稿: 五反田猫 | 2014年6月19日 (木) 09時49分

「いざゆかむ」の歌は、私のもっている楽譜では三番で1が「白鳥は」、2が「幾山河」でした。
私が高校音楽で習ったものは、1「白鳥」2「幾山河」でした。

和歌の成立を調べてみますと、
若山牧水の第一歌集『海の声』(明治四一年七月刊)では、「白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」「幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく」の順で記載があります。
ですから、この二つの和歌は同時期だと判ります。

「いざゆかむ」は、大正13年に「恋」の題詠として、短冊が残っていますので、この歌は後だと判ります。

ですから、成立年順だと
「白鳥」「幾山河」「いざゆかむ」になります。
但し、内容を考えれば、「白鳥」「いざゆかむ」と歌って、「幾山河」と歌う方が自然だと思えます。
そして、成立で言えば、「白鳥」「幾山河」のセットが自然です。

この歌曲に、「いざゆかむ」が入った経緯が判らないので、もう少し調べてみたいと思います。

また歌曲の原譜は、当たれませんでしたので、情報があればご教示頂ければ幸いです。

投稿: 五反田猫 | 2014年6月19日 (木) 10時23分

以前、皇宮の歌会始の式で吟詠の際、河岸段丘を「かしだんきゅう」と詠じて引責辞任した斯界の長老がいました。音・訓が混じる熟語はあまりないですが、和歌・和語にたいする造詣が深すぎたゆえの誤詠だったのでしょう。
この歌のできた明治時代は歌詠みの伝統を保っていて、まだ和語優先だったと思われます。この歌の漢字もすべて訓読みとするのが妥当でしょう。突然、幾山河の読みのみが「いくさんが」と音訓読みで入ってくるか分りかねます。
原譜かどうかは知りませんが、一番二番の冒頭の「しら」と「いざ」は四分音符+二分音符となっていますが、三番の「いくやま」のところが、「いく」が八分音符+八分音符で「やま」の「や」が二分音符となって伸ばして歌うようになっています。これは古関裕而が三番が「いくやまかわ」であることを前提として作曲したものとしかおもわれません。

投稿: 飯田 | 2014年6月22日 (日) 10時54分

「いくやまかわ」か、「いくさんが」か――わたしたちが中学で習ったときは、「いくやまかわ」と教わりました。ルビもついていたように思いますが、これは記憶違いかも知れません。それ以来「いくさんが」と読むなどとは思ってもいませんでした。そこで調べてみました。今の時代、ネットで簡単に調べがつくので重宝ですね。それによると、「いくやまかわ」に軍配が上がりそうです。
 その根拠は、次の通りです。「幾山河越えさり行かば……」の歌は3回にわたって発表されていますが、3回目歌集『別離』(明治43、4)の中の「九首中国を巡りて」の1首として、「いくやまかは」とルビ付きで出ているそうです。(「幾山河」の歌をめぐって 石井 茂〈横浜国立大学人文紀要〉で検索)
 


投稿: ひろし | 2014年6月22日 (日) 12時54分

今日この欄をみてイクヤマカワのことで多くの人が意見を寄せられていることを知りました。私は詩としてイクヤマカワで納得しています。ただ小関裕而作曲の歌の場合、譜割りが8分音符2コのところでヤマカワとするかサンガとするかということになると、後者の方が楽譜に忠実だと思っていす。藤山一郎以外の歌手はみなサンガのようです。

投稿: 徳竹茂男 | 2014年8月31日 (日) 23時15分

二木紘三先生ありがとうございます。懐かしいメロディ。若山牧水の石碑が岡山県と広島県の県境にあります。昭和39年11月、私はこの除幕式に参加しました。当時広島県立東城高校3年生。除幕式には母校の女学生が幾山河の歌を合唱して花を添えました。丁度、50年前のことです。なつかしい青春時代の記憶がよみがえってきました。余談ですが私の同級生の女性が今年、他界された東京オリンピック最終聖火ランナー坂井義則さんの奥さまです。

投稿: 石井 満 | 2014年12月16日 (火) 21時48分

私は、中学2年の時に、この詞に出会いました。放送部の活動中に3年生の先輩(女性)が、

幾山河(いくやまかわ) 越えさり行かば
  寂しさの はてなむ国ぞ
  今日も旅ゆく 去りゆく

と唄っていました。どなたが作曲されたのか「去りゆく」が附加されており、これがエンディングとなっております。

動画サイトで、古関裕而の曲に出会う迄は、数十年間、前者の曲しか無いものと思って唄っていました。

現在、私が後者で唄うときは、「し」「ら~」:「イ」「ク~」として唄い、「ト」+「リ」:「ヤマ」+「カ」、「ハ~」:「ワ~」と唄っています。
藤山一郎の「イク」「ヤ~」「マカ」「ワ~」よりも、私は、「イ」「ク~」、「ヤマ」+「カ」、「ワ~」の方が聞こえ方が良く感じるからです。

投稿: 池田 勝則 | 2014年12月28日 (日) 01時26分

今日のようなきりっと冷たく冷える朝に、決まってこの白鳥の歌が口をついて出てきます。家族がいても友人がいても全く関係のない空気に身体が包まれます。私は私、その淋しさの心地よさ、夫よ、息子よ私に語り掛けるな。しばらく私は私でいたい。たまには孤独も良いものです。深い孤独の底から自分が本当の自分に生まれ変わるような気がしてきます。

投稿: ハコベの花 | 2017年2月 2日 (木) 10時49分

今日は 白鳥の歌 をきく心境です
 
 人は 寂しいもの 病をするもの 苦しみにたえ歩いてゆくもの  でも 生の有る限り 何とか 元気な顔をして ふりをして 進んでゆかなければなりません 
  
 牧水も 啄木も 藤村も 自分のもてる感情を噴出させることのできた方々 羨ましく 素晴しいの一言です

 日々 新しきこととの出会い 最善をだすことができたのか  僕の こだわりの説明でよかったのか
  毎日が 出会いであり 別れであり 反省材料ばかりの蓄積です

 僕の やり方を許容してくださる方々がおられる限り
 死ぬまで勉強ですね   ときどきは このような純粋無垢美しい言葉をききながらーー 

投稿: 能勢の赤ひげ | 2017年8月21日 (月) 23時09分

何を書こうとしているのか
  何故に 白鳥の歌 なのか

 つい今  NHKの 教育テレビで (今はそういわないのかな??)

 ルノアールの イレーヌの肖像画についての番組がうつされていました

 子供のときから この肖像画に魅せられていたという
 ピアノ演奏者 作曲家の西村由紀江さんを中心に
 二人の男性
    写真家の渡辺氏
    美術の教授 西岡氏

 この肖像画をヒントに西村氏が作曲されたピアノ曲の演奏をはさみながらの 
 45分間  価値ある時間でした

 イレーヌの絵 そのものの解説
   肌の色調 フォーカスはどこ 髪の毛の描き方
     印象派の特徴とは??
   興味ある お話でした

 また 時代背景から 考えると  
 フランスが  ヒトラードイツに侵略され 降伏し
 その富 歴史 芸術が略奪された時期でもありました
 一個人では どうしようもない人生
 イレーヌ(ユダヤ系大銀行家の長女) の子供達家族にかせられた ホロコーストへの道

 ナチスは フェルメールを一としており 
  印象派の絵画 はあまり評価していなかったようですね 
 でも ナチス№2のゲーリングが印象派を好み
  彼個人の収集にされていたようです

 ラッキーにも この絵は終戦ののち 本人イレーヌの手元にもどります  
 その生きておられるうちに
 現在の所有者スイスの大実業家エミール・ゲオルク・ビ ュールレの手に渡ります 

 この絵画一枚の流転もさることながら
  数多ある肖像画のなかでも 特に美しく可憐で
 眼が特徴的で   何を思っているのだろう
          何を見つめているのだろう
  と思わせる8才の イレーヌ  
 この方におこる  これから73年間の激動

 これらの 思いが

  ひとつの 詩にとらえられた 白鳥の歌に相似的に
 かぶってきました

 初夏から 印象派展が名古屋であるそうな
 
 あまり 絵画展など 足を運ぶことのない僕ですが
  是非 行ってみたいと思わせていただけた 番組でした


 
 ここで思うのも 駄目なもの 絶対してはいけないこと

  戦争 という言葉でした   

 

投稿: 能勢の赤ひげ | 2018年3月11日 (日) 22時29分

 NHK「日曜美術館」若いときから見れる時は必ずみていました。ルノアールの「イレーヌの肖像画」にまつわる悲しみ、驚きました。いつの時だか記憶にありませんが、印象派の展覧会でみました。まだ油絵を描いているときでした。ルノアールの人肌のタッチに魅了されました。一枚の絵の数奇な流転の話にはいつも心動かされてしまいます。
 赤ひげさまのおっしゃる通りです。戦争は絶対にいけません。

投稿: konoha | 2018年3月12日 (月) 09時32分

能勢の赤ひげ 様

いつもながらの Dr.Nさんの発想力には、驚かされると同時に尊敬の念を覚えます。

白鳥の歌~ルノアール「イレーヌ」~ナチス ゲーリング元帥~フエルメール~ホロコースト~反戦・・・と、

お陰で、次から次へと展開される、発想豊かな赤ひげ様ワールドについて行くのも だいぶ慣れましたし、大いに勉強になります。

それにしても、ビュールレコレクション展が、なんで東京・福岡・名古屋で、大阪がないのでしょう?

勿論、「イレーヌ」は、是非見たいと思いますが、本物のモネの「睡蓮」は、是が非でも見たい作品です。
京都勧修寺の睡蓮も、すてたものではありませんが・・・。


投稿: あこがれ | 2018年3月12日 (月) 12時21分


二木先生

   こんにちは
 
  いつもご迷惑をかけ 申し訳ございません
   さぞ 困った奴と 思われていることでしょう 笑


  今日は  千曲川旅情のうた から
      白鳥(しらとり)の歌 へと流浪れています

   この 白鳥(しらとり)の歌ですが

     ことに 一番は

    東北の 太平洋沿岸での情景描写を元としたもの
       と思えてならないのです

    単なる 自分の感覚ーー

    寂しさ 悲しさ の思い
      北の地方が 連想されます
     また 孤影 も浮かび上がってきます

   311 から 8年 ズタズタにされた 東北
           ズタズタの 社会生活
     今もまだ 3000人弱の行方不明者がおられる

    1000年に一度の 大津波を考えながら
       白鳥(しらとり)の歌 を聴いている

       我々の役割はーーー

投稿: 能勢の赤ひげ | 2019年2月26日 (火) 12時35分

能勢の赤ひげ様 嘆いても帰ってこない青春を悲しんでいましたが、最近は1党独裁ではなくⅠ人独裁の日本の政治を悲しんでいます。そんな国が多くなったとテレビのニュースを見るたびに思います。恐ろしさにゾッとします。為す術もなく立ち尽くすことしか出来ない国民の悲しさ、このまま海も空も汚濁にまみれてしまうのでしょうか。牧水の悲しさを私は知りたいと思います。

投稿: ハコベの花 | 2019年2月26日 (火) 23時29分

わが母校宮崎県立延岡高校の一期生が牧水です。
校舎の裏門あたりに歌碑のようなものがあったような・・・
高校在学当時から先生方に牧水の偉大さを散々聞かされていましたがその当時は文学にはあまり興味がなく「そんな偉い人がいたんだ・・・」くらいにしか思っていませんでした。
しかし年齢を重ね、牧水の作品に数多く触れるごとに昔先生達が仰っていた牧水の偉大さを感じるようになりました。その中でも「白鳥の歌」は最も感銘を受ける歌です。

   「空の青 海の青にも染まずただよう」
この一文に牧水の計り知れぬ悲しさを感じます。

同窓会名簿を見てみると牧水は明治37年49名の仲間と卒業をしています。本名は若山繁です。

牧水と同じ地で学べたことをありがたく思っています。

投稿: miko | 2019年2月27日 (水) 16時35分

この コロナ禍の鬱々とした気分のなか

  身の回りに 不可思議なことが多く起こり

    何だろう と訝しんでいた

  ついに 友の訃報が届いた TS君

  いい奴だった 彼こそ善人といえる
    心優しい 朴訥そのものの人だった

  高校2年時に 福知山から 転校し編入で入ってきた
  小柄で色黒 何故か気が合った
  同じような 革のコートを着ていた
      とは 周りの友が云っていた

  3年は クラスも異なり 受験一本の時間だったから
  あまり 頻回の付き合いはなかった

  しかし 卒業間近のころ 奴が好きで好きで仕方ない
  ほどだった 幸子さんに告白したいとの由
   セッティングしましたよ 
    屋上で二人で話せるよにーー   懐かしい 
    
   あいつも消えてしまったとは
     何ともいえず寂しい

  コロナで面会もできないなか 実のお姉さんが
   二か月間も 彼の住まいの近くで 家族に協力しておられたとか 
    彼の人間の素晴らしさ またその魅力を強く考えさせられた

  還暦の同窓会が 最後だったのか 
     彼の大学まで電話したのが 最後だったのか 
     大学教授をリタイアすれば 福知山に帰りたいといっていたが

   新潟で必要とされ リタイア後も いろんな役をやっていたようだ

  何故か この 白鳥(しらとり)の歌 の 

     寂しさ  寂しさ  寂しさ のなかに

       彼を 思って
   
         暫くは 身をおきたい

投稿: 能勢の赤ひげ | 2020年5月25日 (月) 21時18分

中学1年の時、家庭科の先生が「白鳥の歌」を教えて下さいました。
2~3時間目に♪東海の児島の磯の白砂に・・と唄われたので、
皆が「えーっ?」と言うと「5 7 5 7 7だったら字数が合うから何でも良いの」
皆で同じメロディーで♪東海の児島の磯の・・と唄いました。

もう1曲の「白鳥の歌」を尋ねた方があったので、
中学の時のことを思い出してから、検索していたら下記のページがありました。
作られていたmidiは頭だけ聴いて覚えていませんが感じは違うようですね。
JASRACには何曲かありました。(尋ね歌は消えていますがコメントしておきます)

第24回(昭和32年度)NHK全国学校音楽コンクール課題曲
■中学校の部 
 「白鳥の歌」 藤浦 洸:作詞  京嶋 信:作曲 石河三郎:編曲
http://dynagom.blog.fc2.com/blog-entry-131.html
https://www.nhk.or.jp/ncon/juke_box/index.html

投稿: なち | 2020年6月19日 (金) 19時20分

なちさま
 家庭科の先生は石川啄木の「一握の砂」がお好きだったのですね。大胆で素敵な先生だったのですね。私は中1の時、国語の時間に「戯れに 母を背負いて そのあまり 軽きに泣きて 三歩歩まず」を習いました。

投稿: konoha | 2020年6月19日 (金) 19時53分

 なちさま

  こんばんは
   ご無沙汰いたしております

  白鳥の歌について書かれていて

  家庭科の先生が  東海の児島の磯の白砂にーー
   と唄われたのですね

  僕の頭の中にも 東海の児島の磯の白砂にーー
   というメロディーが 時々 思い出したように
   浮かんでくるのですが  一度も 歌い手が
   歌うのを聞いたことがありません

   歌謡曲的ではなく 歌曲のよう

   白鳥の歌 千曲川旅情のうた
    のように 格調高いものだったと記憶しています

   自分でさがすことを諦めていましたが

  東海の児島の磯の白砂にーーを 作曲したものは
   ないのでしょうか

 “神戸の歌”「好きな町」唄 岡本敦郎 
    の正確な情報をいただき
        感謝 感謝 ですが

  厚かましくも 東海の児島の磯の白砂にーーの曲
   あれば 教えていただけないでしょうか

      お願いいたします

  もう 諦めていて 頭の奥底に沈んでいたものが
     急に  飛び出してきました
        鳥肌が立っています
   

投稿: 能勢の赤ひげ | 2020年6月19日 (金) 22時22分

初めて投稿させていただきます。
二木先生のこの素晴らしいブログを、どれだけ今まで楽しませていただいたかしれません。

そこでぜひお伺いしたいのですが、もう一つの「白鳥の歌」をご存じでいらっしゃいませんか?

もう60年もまえに、長野県飯田市で少年時代を過ごしたとき、古関裕而のこの「白鳥の歌」と違う「白鳥の歌」をどこで覚えたのか歌っていました。

メロディだけ簡単にmidi化したものをHPにアップしましたので、お聞きいただければありがたく存じます。

http://fuk.la.coocan.jp/siratori-nouta-iida.mid

何しろ往時茫々、うろ覚えのところもあり、どなたかご存じではないかとネット検索も試みましたが、何も手掛かりはありませんでした。

当時の音楽教師などの自作かとも思ったのですが、少なくとも音楽関係の恩師に該当者はいませんでした。

長野県の一地方だけで歌われたのかもしれませんが、それにしても手掛かりが少なすぎます。

漠としたお話で申しわけありませんが、記憶から捨てがたい思いに、お知恵をお貸しいただければ幸いです。

投稿: 柳下要司郎 | 2020年6月20日 (土) 03時25分

今を去ること数十年も昔の話ですが ダークダックスのゲタ(喜早哲)さんが ラジオの対談番組に出演されたおり偶々話題がこの「白鳥の歌」に及び 対談の相手から3番の幾山河をどう歌いますかと尋ねられたのに対し 自分達も判らなかったので 当時慶応の教授をしておられた池田弥三郎先生に教えを乞うたところ絶対に(いくさんが)と歌えと命じられたので その指示に従って歌っていますと答えておられました
池田博士がいかなる根拠をもって(いくさんが)と断定されたかは不明ですが 苟も国文学の大家であった博士が前後の事情に疎く軽率に口を滑らせたとは考えられません
尤も稀代の粋人でユーモアにも通じた池田弥三郎さんのことだから発言の裏があったのかも知れませんが今となっては忖度のしようもありません
牧水が自身でルビを振らなかった以上 私達は他の歌い方もあるということを認識した上で 自分の歌いやすい方を口ずさめばよろしいのではないでしょうか

投稿: tokusaburou yanagibasi | 2020年9月 9日 (水) 18時29分

tokusaburou 様の貴重な情報をありがたく拝読し、人それぞれ歌いやすいほうで歌うのが良いというお言葉全くその通りと思います。詩歌は色々な理解の仕方が生まれるのが良いところとも思います。しかし「いくやまかわ」と思えます。いくやまかわ、と和語で唱える時、牧水が生まれ育ち旅をして見たであろう、私たちも知っている、日本の山や川の様子、渓谷のせせらぎの音、朝夕の雲の姿、人々の営みの様子、人生の様々が胸にやってきます。そのような奥行きや広がりを受け取るには、いくやまかわ、の六字を和語で唱えることが適切で、いくさんが、の五字では足りないように思えます。漢語で「さんが」と言ってしまうと、そういう微妙な味わいが遠ざかってしまうように思えます。

投稿: kazu | 2020年9月10日 (木) 13時26分

和代様の、讃岐富士や川之江についての御文章を拝読し、私も四国出身なので、懐かしく、川之江城の姫の投身の話や日本武尊の話や知らなかったことをお教えくださり、嬉しいです。

歌人の中で良寛さんを除くと若山牧水さんが一番好きです。恋人の小枝子さんを歌った歌は特にすごいと思います。「小鳥よりさらに身かろくうつくしく哀しく春の木の間ゆく君」恋人の美化がここまできますと(恋の)病膏肓に入ると申しますか、本当にすごいと感動いたします。

投稿: kazu | 2022年10月27日 (木) 10時25分

kazu様同じ愛媛なんですね。お言葉有難う御座います。
瀬戸内に生まれて良かったですね。昨日も小高い丘から海を眺めていると美しい瀬戸内海と青い空と白い雲そして連なった山の尾根の緑のカーペット本当にきれいです。下手な文章力の私ですが又投稿したくなる私でごめんなさい。

投稿: 細川 和代 | 2022年10月27日 (木) 12時13分

和代様 ありがとうございます。本当に瀬戸内は海も山も川も空も美しいですね。

「白鳥は哀しからずや」の歌が、瀬戸内海を通って宮崎へ帰省する船上で小枝子さんを思って詠まれたという説を読んだことがあります。その恋を大事にする青春の心が、白鳥となって美しく飛んでいるように思われます。にわか仕込みの知識ですが、小枝子さんが東京にやってきたのが明治40年春、彼の帰省がその年の6 月、この歌を雑誌に発表したのがその年の 12 月号とのことです。小枝子さんとその年の年末に一緒に船旅をして名歌をたくさん作りますが、この歌に関しては、発表の時期を見ると、瀬戸内の船上の可能性が高いと思われます。

投稿: kazu | 2022年10月27日 (木) 17時32分

連投申し訳ありません。海に広がる島々へ向かって小豆島の港を出ていく船を高台から眺めた時、あまりの景色の美しさに、悲しみのようなものが胸に湧きました。(なぜか恋の古傷も痛みました。彼女と一緒に見たかったという気持からでしょうか。)小枝子さんは瀬戸内の人であるとのこと。特別の才能に恵まれた牧水さんが、恋の最中に瀬戸内海の美しい景色に対した時、人生の深奥に達し和歌の深奥に達し、名歌が生まれたということがあるかと思われます。

投稿: kazu | 2022年10月28日 (金) 14時53分

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