フランシーヌの場合
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作詞:いまいずみあきら、作曲:郷 伍郎、唄:新谷のり子
1 フランシーヌの場合は 2 ホントのことを言ったら (セリフ) 3 ひとりぼっちの世界に 4 フランシーヌの場合は |
《蛇足》 1969年3月30日、日曜日の早朝、ヴェトナム戦争とビアフラの飢餓問題に抗議して、パリの路上で焼身自殺した女子学生フランシーヌ・ルコント(Francine Lecomte)を歌った歌。
当時、パリ国際会議センターではヴェトナム戦争の終結に向けてアメリカ、北ヴェトナム、南ヴェトナムなどが会議を開いていました。フランシーヌは、そこから200メートルほど離れたクレベール通りの路上で、ビアフラの記事の切り抜きを握りしめて焼身自殺したのです。
パリ国際会議センターは、凱旋門から南南西に350メートルほど行った場所にありましたが、2014年改装され、ホテル「ザ・ペニンシュラパリ」になっています。
この事件は、フランスでさえも、まったく風化してしまったようです。ネットで検索したところ、言及があったのは、すべて日本語のサイトでした。日本では、たまたまこの歌がヒットしたので、50歳以上の人たちの記憶に残ったのでしょう。
パレスチナ、コンゴ、エリトリア、カンボジア、アンゴラ、旧ユーゴスラビア、アフガニスタン、イラク、チェチェン、モロッコ、スーダン……われわれ人類は、けっして学ぶことのない種族なのでしょうか。
フランス語のセリフの意味は次の通り。
フランシーヌはもうわれわれのところに戻ってこない/この子はかわいそうな人生を終えた/3月30日の何ということもない朝、フランシーヌは友愛の旗印に我が身をゆだねた/それは日曜日のことだった/パリで一つの命が永遠に燃え尽きた/フランシーヌ。
(二木紘三)
コメント
「フランシーヌの場合」は反戦・平和の歌です。しかし、この歌が大ヒットした時、学生や若者だけでなく、多くの“おじさん”達も歌いました。
新宿のゴールデン街などでは、酔っ払ったおじさん達が大抵「フランシーヌのばやいは・・・」と歌うのです。従って、小生も「フランシーヌのばやいは・・・」とつい歌っていました。
時あたかも「70年安保」の真っ最中だったと思いますが、日大闘争、東大闘争など学園紛争が渦巻いていました。どこへ行ってもデモ、デモ、スト、ストの連続で騒然としていました。
あの頃が良かったか悪かったかは別として、なにか日本中にエネルギーが充満し気分が高揚していたように思います。
それに比べると昨今は、デモもストも何一つ起きず秩序正しくなっていますが、全ての人が“管理社会”に閉じ込められているようで退屈な感じがします。
ベトナム反戦運動の熱気の中で、この曲が歌われていた頃が懐かしくてなりません。
投稿: 矢嶋武弘 | 2008年2月16日 (土) 16時40分
今年の3月30日は日曜日、と来れば、私など団塊世代の人間は40年近く経った今も、つい「フランシーヌのばやいは・・・」と口ずさんでしまいます。ベトナム戦争やナイジェリア紛争、そして今はイラク、チベット。歴史は繰り返すといいますが、言葉を変えれば、愚行も繰り返されるということ。
「我々が歴史を学んで分かるのは、人間というものは、結局のところ、歴史からは何も学ばないということだ。」
正確な表現は忘れましたが、チャーチルのこの言葉に私も納得です。
にもかかわらず、私達が明日への希望を失わずに生きてゆけるのは、常に世界のどこかに、フランシーヌのような「おばかさん」が居てくれるからだ、そんな気がしてなりません。
彼女が自らの命を絶ったその翌日、私は地方の大学を卒業しました。全共闘と機動隊による安田講堂の攻防よりも、田舎者の私には、パリの「あまりにもおばかさん」の死に心を動かされました。
投稿: くまさん | 2008年3月29日 (土) 22時57分
今は日本は3月30日の朝でしょう。
昔この歌を聞いたときは何て暗い歌だろうと思いました。
1番から3番まで歌詞を見るとどんどん絶望へと
追い込まれていくような気がしました。
しかし、最後に4番で「フランシーヌの場合は私にもわかるわ」という歌詞でほんのかすかな希望の光が来るのかなあ
という救いを感じさせて歌は終わります。
フランシーヌがどんな女の人だったかはもうどうでもよいのかもしれません。ただ歌の中にその個性を想像するだけのほうが
よいのかもしれません。
投稿: さすらい人 | 2008年3月30日 (日) 10時28分
わたしは現在45歳です。団塊の世代ではありません。が、子どもの頃耳にしたこの歌は好きです。大人になって意味が分かってからは益々好きになりました。歌が新しいとか古いとか、そんな事は全く関係ありません。私にとってはこのような歌はいつまでも今の歌であり、未来の歌であります。悲しみと涙と少しのあきらめを抱きながらも、少しずつでも前にすすむために闘う、これが大切だと考えます。団塊の世代の皆さんは、60,70年代の頃にどんな思い出過ごし、何があったのか、おっくうがらずに次の世代にきちんとつたえてくださいね。浅間山荘事件ばかりが、団塊の世代の闘いではなかったはずですから、きちんと伝えてくださいね。よろしくお願いします。
投稿: 銀河の帝王 | 2008年5月31日 (土) 14時15分
1969年夏の夜9時半頃、小学校6年生だった。
横井塾(学習塾)の帰り道、建設中の環状八号線と中原街道の
交差点近くには青果市場があった。
その隣には東調布警察署(現、田園調布警察署)があり。
さらにその隣にあった駄菓子屋でアイスキャンデーを買い食い。
駄菓子屋のオバチャンが
♪フランシーヌの場合は~と歌っていた。
このブログを見て、フランシーヌが焼身自殺をしたパリジェンヌ
であると初めて知った。
投稿: どんどんぎ | 2010年5月26日 (水) 22時45分
こんばんわ
歌詞を読みたくて お伺いいたしました
11月22~23日の「ラジオ深夜便」(葛西聖司さん)で
69年の曲が 特集として放送されましたが
その中の1つとして流れました
なにぶん昔ゆえ 当てになりませんが(恐縮です)
歌番組などでは
この曲の3番(4番も?)は省かれることが多かったように記憶しております
本当はこの3番が この曲の精髄のように思えるのです
作者と歌手は ささやかな共感を フランシーヌその人に
捧げているように考えているのですが
声高になされない そうした行為もまた
世の中を少しでもましなものにしていく何かになるような
というよりも なってほしいような気がいたします
失礼致しました
投稿: TADDY K. | 2010年11月25日 (木) 18時46分
当時、フランシーヌの焼身自殺を新聞記事で知りました。カソリック教徒が焼身自殺、言いようの無い不安を感じたのを今も覚えています。そして、この歌が流れました。小生、歌えませんでした。それから、40数年、今なぜか、時々、口ずさんでいる自分に気がつきます。リタイヤした、この年になって。
投稿: 夢追人 | 2011年11月29日 (火) 19時18分
彼女がお馬鹿さんだったのか、それとも彼女のメッセージを忘れてしまう我々がお馬鹿さんなのか...
という方の発言をwebで読んだことがあるのですが、
付け加えるなら、
あの歌に感情移入した同世代の若者たちもお馬鹿さんでした。
その意味で懐かしい歌です。
投稿: 思い出し人 | 2011年12月15日 (木) 14時44分
1960年生まれ、60年安保は記憶に無い世代であります。
「フランシーヌ」は小学校の頃に、当時流行った歌として歌った覚えが有ります。
そして、その歌が反戦歌だったというのは大分後になってからであります。
しかしながら、自分の小学校の時代にはNHKの夜7時にニュースでは必ずと言って良いほど、「北爆」や「安保」などの言葉が踊っていた頃は記憶しております。また、映像でも学生運動やベトナムでの米軍の爆撃なのが流れていたと記憶しております。
この歌は、懐かしいという他に、正義とはいったい何なんだろうという数十年の思いが有ります。
ちょっと大げさでもありますか。
投稿: みなみ | 2012年5月 3日 (木) 03時51分
1947年12月生まれ、安保騒動は中学生の頃でした。記憶にある世代です。「みなみ」さんと同じ様な疑問を抱き続けています。大げさではありません。経済力に優れている者が正義なのかと。
1969年当時は学生で、大人の初恋の人との出会いの年でもありました。
高学歴の人ほど弱者に対して思いやりをもたなければなりません。福島の原発放射能事故により、その事を痛感しています。高学歴は、その当時の世界中の他人のお陰で得られたものですから。この世に生きている以上、プラスの効果にせよ。マイナスの効果(反面教師)にせよ、無名の人々にも必ずお世話になっています。
投稿: 竹永尚義 | 2012年5月 4日 (金) 16時37分
2013年3月30日日曜日。
偶然にも、今日は「フランシーヌの場合は」の日だと妻が話しだしました。「フランシーヌってどんな人だったかしら」、、。「おバカさんっていう言い方も無いよね」とも言っています。
団塊世代の私としては、「バカが世を持つ」のバカがフランシーヌだと、そう悟っています。
バカになれたフランシーヌのような方がいたからこそ、今がこの次元で存在しているんだと思っています。
近年は、良心や義を適当にごまかして適当に生きている人が多いんだと思っていますが、こういう人々もやがて老いて死を迎える。そんな時、我が人生に悔いはなかったと言えるんだろうか。
今、私はこの時に及んで、良心や義に対した自分の人生に後悔しています。本当のバカだったなのは私なのです。
「フランシスコの場合はあまりにもおバカさん」、この言葉には、自分が責められているようで自分が悲しいです。
投稿: 角田 功 | 2013年3月31日 (日) 11時15分
なつかしいというより、1969年当時の学生生活が、瞬時によみがえってくる曲です。喫茶店やパチンコ屋に行くと、有線でこの曲がよくかかっていました。やはり、若きパリジェンヌの死には思い入れが深かったんでしょうか。
当時の学生運動ですが、造反有理といったスローガンだけで突っ走る一面があり、はじめから疑念を感じました。地道な学びの姿勢に乏しいので、深刻な疑問、煩悶もなく、教条主義的体制批判とセクト間の争いに明け暮れる実態がありました。まさに革命ごっこであったと思います。
当時のマスコミが、そういう学生を心情的に支援する、もっといえばおだてるというムードもありました。そもそも造反有理のスローガンは、毛沢東が劉少奇ら実権派を追い落とすために、何も知らない紅衛兵をおだてるべく使った言葉でした。
とはいえ、学生運動に共感して、良心的な友人たちが、次々に学校を中退していったのは残念シでした。
フランシーヌの記録らしいものが、フランス本国にはほとんど残っていないという事実は、逆に興味深いです。焼身自殺という抗議は、あまりにも負の行為に過ぎるとフランス人は考えているのではないのでしょうか。フランス革命を経験した彼らは、闘うということをシビアに考え、情緒的には考えないと思います。
現在も、チベットで僧たちが、次々に中国の圧制に抗議して焼身自殺をとげています。世界の紛争は未だ解決するどころか、山積み状態です。
投稿: 浮舟 | 2013年7月20日 (土) 00時34分
エルベ河 消え去りし友 --反戦 のながれのままに
この フランシーヌの場合 をきいています
この曲をきくと 涙が必ずとまらなくなります
時代は少しもどりますが 日米安保闘争でなくなられた 樺美智子さんを思いだすからです 学生運動には 賛否両論があってしかるべきだと考えます もちろん行き過ぎた暴力革命と定義されるものもあるでしょう しかし 世の中間違った 戦争是認の方向にすすんでいると思えるときには 何らかの行動が必要なのではないでしょうか
ひろしさまが 消え去りし友でかかれた 「戦争絶滅受け合い法案」 こんなことをいわれた人がおられたこと 初めて教えていただきました ありがとうございました
自分の 学問のなさ 世間しらず に思い至りました いつも気づかされていますね
マスメディアが 権力にのみ擦り寄り 国民の方に向いていない 正しい情報がでてこない 昨今
TPPの問題 自衛隊の問題 沖縄 もれ出ている放射能 東北 熊本 これほどの大変な問題を抱えて この国はどこへむかうのでしょうか
投稿: 能勢の赤ひげ | 2016年11月 9日 (水) 02時10分
今日は3月30日、フランシーヌが亡くなった日ですね。
大学生のときの一時期、街中でよく流れていた覚えがあります。夏休みで田舎に帰った時、近所に新しくできたレストランでもこの曲が流されていたのに驚きました。反戦歌としてではなく、さびしさと悲しさを情感に訴える曲でしたね。
どうして死んじゃったりするんだよ、と感じていました。
当時ときどき呟くようにして口ずさんだ曲です。
投稿: yoko | 2018年3月30日 (金) 14時44分
高校1年の頃だったか、ラジオでよく流れていた歌だと思いますが、この歌が反戦の歌の括りで捉えられていたという事が意外でした。
それまでのいわゆる反戦歌、或いは反戦歌気取りの歌とは異質の、時流に乗って反体制・反戦風に味付けされた、1級品の完成された商業音楽と理解していました。
新谷のり子という人は、テレビの歌番組にもよく出ていましたが、主張はおろか感情すらもない、ロボットのような人のように見えていました。
投稿: 慎兵衛 | 2018年4月 5日 (木) 00時06分
さっき古賀力さんの訃報を読みました。
この歌でフランス語でワンコーラス歌っていたのが古賀力さんですね。
アーメン!
投稿: 片島諒 | 2018年5月28日 (月) 18時03分
この歌の3月30日がどうもひっかかり検索です。
友人の誕生日が彼女の命日の7年前で、他の友人の命日が今から5年前、飼っていたカブトムシが年を越して死んでしまったのがこの日でした。
実在した人の事を歌にしたというのは、知りませんでした。
この歌を聴くたびに思い出します。なんか不思議な日です。
投稿: なんだかな?! | 2019年1月30日 (水) 16時43分
今日は3月1日(日曜日)。なぜか唐突にこの歌を思い出しました。
私は、日本が、最早戦後ではなく戦前になってきているような、ここ数年の法の運用や自衛隊のあり方が気になっています。
政府の考えに反対すると「反日」のレッテルをはる、ごくごく少数の人たちが、ネットで大声をあげるのを見ると、特にそう思います。
戦争が始まれば、行くことになる若い方々やその子どもを持つ親御さんたちに知ってもらいたい歌の一つです。
投稿: やまちゃん | 2020年3月 1日 (日) 08時18分
「フランシーヌの場合」私が中学三年生の頃にこの唄が流行っていて、私もよく口遊んでいたことを憶えています!
このページにきて『蛇足』を読んだ時に、初めてこの作品の作られた深い意味などを知りました。
また、その当時は安保闘争で亡くなられた学生運動家女子大生の樺美智子さんの事件さえも、私は知らずに過ごしていました。
ホントのことを言ったら オリコウになれない
ホントのことを言ったら あまりにも悲しい
それでも上記の2番の歌詞だけが、どうしても気になっていたことだけは、50年が経った今でも私は憶えています。
今日改めてこの曲を聴きながら、皆さまから寄せられたコメントを読み返しましたが、
2013年7月20日に浮舟様のご投稿コメント末文、
>「現在もチベットの僧たちが、次々に中国の圧制に抗議して焼身自殺をとげています。世界の紛争は未だ解決するどころか山積状態です。」このお言葉が私の胸に刺さります。
女子学生フランシーヌ・ルコントさんのご冥福を祈ります!
投稿: 芳勝 | 2020年3月 1日 (日) 09時51分
フランシーヌの場合は
ベトナム戦争に抗議。パリの凱旋門から少し離れたところで焼身自殺を図った女の子を歌ったフォークソンが突然思い出されて、目が覚めた。
いつだったか、一人でパリをぶらついた。凱旋門をぶらついて、適当な、ホテルに、部屋を取った。
次に、大阪の梅田を思い出した。お金を使い切ったらどうなるか!
呼び込みのお兄さんに連れられて、ストリップを観て、有り金すべてをチップにやった。
突然、眠りから覚めて、ぼんやりしたあたまで連想が起こった。
投稿: クロイワマコト | 2021年3月26日 (金) 06時14分
今頃になって背景を知りました。フランシーヌの肉体はなくなったでしょうが、訴え、意思、思い、感情はさざ波のように波動となって宇宙の隅々まで伝わるでしょう。永久に消えることはないでしょう。
投稿: 石器時代 | 2022年11月29日 (火) 19時31分
1969年頃はベトナム戦争の最中で沖縄の嘉手納基地からB52が北爆に飛び立っていた。沖縄で高校生だった私は戦争に加担しているんだという気持ちはあった。そんな中「フランシーヌの場合」で反戦のために自殺する人がいた事実は衝撃的だった。中国では文化大革命の騒動、その後まもなく1972年浅間山荘事件が起こるなど、実際の身の回りはそうではないが、気持ち的には騒然としていた時代だった。
投稿: たそがれ光 | 2023年6月20日 (火) 20時36分