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2007年8月17日 (金)

網走番外地

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


原詞:伊藤一、替え歌:タカオ・カンベ
採譜・編曲:山田栄一、唄:高倉 健

1 春に 春に追われし 花も散る
  酒(きす)ひけ酒ひけ 酒暮(きすぐ)れて
  どうせ俺らの行く先は
  その名も網走番外地

2 キラリ キラリ光った流れ星
  燃えるこの身は北の果て
  姓は誰々 名は誰々
  その名も網走番外地

3 遙か 遙か彼方にゃオホーツク
  紅い真っ紅なハマナスが
  海を見てます 泣いてます
  その名も網走番外地

4 追われ 追われこの身を故里で
  かばってくれた可愛いい娘(こ)
  かけてやりたや 優言葉(やさことば)
  今の俺らじゃ ままならぬ


《蛇足》
原曲は昭和6年
(1931)公開の日活映画『レヴューの踊子』の同名主題歌。足利龍之助作曲で、オペラ歌手の田谷力三・羽衣歌子・桜井京が歌いました。
 足利龍之助は、実は橋本国彦のペンネームです。彼はのちに東京音楽学校教授なり、文部省唱歌『スキーの歌』『羽衣』などを作曲しました。

 いつ頃からか、『レヴューの踊子』のメロディがアウトローといいますか、裏街道を行く方々の愛唱歌に使われるようになりました。テンポは元歌よりかなり遅く、歌詞はその道の方々の「生活の哀歓」を歌ったものでした。
 それがやがて、網走刑務所で服役する受刑者たちの無聊を慰める歌となりました。

 さて、ここに伊藤一という人物が登場します。彼は昭和20年代の末に網走刑務所で1年数か月服役し、出所後その経験をもとに『網走番外地』という小説を書いて出版しました。昭和31年(1956)のことです。

 昭和34年(1959)、日活がこの小説を同名のタイトルで映画化しました。松尾昭典監督で、主演は小高雄二と浅丘ルリ子。あらすじは次のとおり。

 ヤクザの石塚肇はケガの手当を受けた医師の養女・みち子と愛し合うようになるが、傷害の罪で逮捕され、網走刑務所に送られる。みち子は親の反対を押し切って石塚と結婚し、看護婦をしながら彼の帰りを待ち、石塚はみち子の手紙に励まされて更生して出所する……という純愛物語です。

 この映画から6年後の昭和40年(1965)、東映の石井輝男監督は、網走番外地というタイトルと舞台設定だけをもらい、高倉健を主演に据えて、新しい『網走番外地』を制作しました。

 主題歌として伊藤の本に記載されていた『網走番外地』が使われることになりましたが、元の歌詞のままでは多少問題があるので、タカオ・カンベが新しい歌詞を作り、山田栄一が採譜・編曲してレコード化しました。テイチクから発売されたこの歌は、高倉健の初レコードで、映画の大ヒットとともに、200万枚を超すベストセラーとなりました。

 しかし、歌詞に「酒(きす)ひけ」など香具師(やし)の隠語が使われているため、放送禁止になりました。「酒をひく」は「酒を飲む」、「酒暮れる」は「日がな酒を飲む」という意味です。

 『網走番外地』は、網走刑務所に服役中の貧農出身のヤクザ者・橘真一(高倉健)が、母や妹の身を案じるあまり、別の受刑者と手錠でつながれたまま脱獄、酷寒の北海道の大自然の中で人間性と前途への希望を取り戻していく……といった筋書きです。
 このストーリーは、1958年公開のアメリカ映画『手錠のままの脱獄
』(トニー・カーチス、シドニー・ポワチエ主演)からヒントを得たものといわれます。

 2本立て映画の添え物として制作されたものですが、メイン作品を食う評判となったため、急遽続編が制作されました。続編も当たったためシリーズ化され、石井監督で合計10本、別の監督によってさらに8本作られました。
 上の写真は第4作目の1シーン。

(二木紘三)

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コメント

昭和41年ごろの独身時代に、スタンドバーのジュークボックスで聞いたなつかしい曲です。聞いていると、もう40年以上前の日々がなつかしく思い出されます。

 ところで「MIDI歌声喫茶」はもうなくなったのですね?長らく楽しませていただきました。ありがとうございました。

投稿: F.S. | 2007年8月17日 (金) 22時31分

 中学生時代に毎週オールナイトで網走番外地、不良番長、極悪坊主シリーズを見たものです。
 私が最初に網走・・・を見たときには、既に現在の歌詞となっており、発禁の歌詞が知りたくて仕方がありませんでした。
 出来れば、このメールアドレスにお送り願えませんでしょうか。
            よろしくお願いします
 

投稿: 重岡 雅夫 | 2008年8月 5日 (火) 23時46分

元歌について
 アウトローの方々の間で歌われていた元歌は、私は存じません。ご存じの方は、本欄で紹介してください。
 放送禁止歌・発売禁止歌といっても、法律で禁止されたわけではなく、社会通念上好ましくないとか、怖い団体から圧力があったといった理由で、放送局やレコード会社が自主規制したにすぎません。あまり心配しないで、ご紹介ください。
 ただ、品が悪すぎるものや、著作権上問題があるものは、管理人として削除する場合があります。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2008年8月 6日 (水) 01時05分

亡くなった父がよく歌っておりました。
「きすすけ きすすけ」と歌っておりましたので、
子供心に、てっきり「人の名前」かと思っていたら「酒(きす)ひけだったんですね。
亡くなって20年以上たちますが、ちゃんと発音できなかったところが、父らしいなあと思いました。


投稿: koumei | 2008年11月16日 (日) 13時51分

前略 本日『人を恋うる歌』の歌詞を探していて、このページ?に辿りつきました。
高倉 健さんの網走番外地は、学生時代に夢中で観に行きました。
我々不良学生は健さんに憬れたものです。
歌も良かったですね。
今でもカラオケに行くと、必ず歌います。
これを聞くと、何となく泣けてきます。
今日は、一日中PCの前から離れられません。
どうも有難う御座います。      早々

投稿: 桜井 雅実 | 2009年7月 7日 (火) 14時54分

はじめまして。
伊藤一さんの「網走番外地」プレス東京を所有しています。
なかに元歌らしいのがあるので紹介します。

馬か人か
人か馬か
おいら懲役
雪のなか
雪はふるふる
あさ、ひる、夜なか
網走の雪が
地獄の雪が

曲に乗せにくいですね。だから新しく作詞したのかも知れません。

投稿: 番外地男 | 2009年9月11日 (金) 00時15分

いつも感謝しています。
先日図書館のCDで聞いて書きとめました。
インターネットで調べるとかなりポピュラーバージョンらしいですね。知りませんでした。

1 馬鹿を 馬鹿を承知の この稼業
  赤い夕陽に背を向けて
  無理に笑った 渡り鳥
  その名も網走番外地

2 キラリ キラリ流れた 一つ星
  どうせどこかで消える奴
  グレたおいらの身の果てを
  泣いてくれるはあの娘(こ)だけ

3 流れ 流れこの身を ふるさとの
  うるむ灯(あかり)におふくろが
  消えて浮かんでまた消えた
  その名も網走番外地

4 呼んで 呼んでみたとて 最果ての
  遠い海鳴り風の音
  せめて真っ赤に燃えて咲く
  花になりたやハマナスの

投稿: ええなぁ | 2010年3月21日 (日) 21時04分

先頃、朝日新聞のチラシに川村二郎さんが、「人間万歳」欄に
<華道家の安達瞳子さんが酔えば必ず「網走番外地」を歌つた。
親に反抗し、身一つで家を出た頃覚えた歌だそうであ
る。
さぞやあでやかで、凄みがあったことだろう>
書いていました。

聞いて見たかったなと思いました。
昔、11:00pm(藤本義一さん司会)に出てらした
頃を思い浮かべました。

まさか安達瞳子さんの持ち歌が「網走番外地」とは思いませんでしたし、まさかカラオケともおもいませんでした。このような女性にはテンションが上がってしましまた。
これからもお世話になります。
宜しくお願い致します。

投稿: 昭和歌謡一筋男 | 2011年3月 2日 (水) 19時57分

健さん,文太去ってすでに半年が過ぎました。この場は
ほとんどアウトローの世界と無縁な参加者がほとんどです。昭和の残像は健、文太でほとんどなくなったと思いますが長嶋、王の死(お二人さんは元気ですが、失礼)で完全に昭和は去ります。と思っています。
恋愛のコメントは多々ありますがほとんどは清く美しく淡い恋の
昔の思い出がほとんですです。しかしながら世の中にはどろどろ
の恋、どうしょうもない恋も存在します。アウトローから
どろどろの恋まですべてを含んで歌です。二木先生の場が
もっと色々の意見が述べられる場であることを望みます。

投稿: akichan | 2015年8月14日 (金) 21時34分

 本日、「兄弟仁義」へのコメントが掲載されました。
 任侠映画、演歌好きの私はすぐ昭和40年前後の人気映画健さんの「網走番外地」に思いが走りました。
 ほぼ半世紀前、この「網走番外地」に続き「唐獅子牡丹」「緋牡丹博徒」などの任侠映画のシリーズが上映され、欠かさず見に行ったものです。
 最近「BS12」で「網走番外地シリーズ」が放映されているので、放映日を待ち焦がれていますが、妻は見向きもして呉れません。
 50年を経て見てみるとなんとつまらない映画だったのかと、苦笑しえませんでしたが、終盤に差し掛かって、主題歌が流れてくると、ぐっと背筋が伸びる気分になります。健さんの雄姿と「・・今のおいらにゃままならぬ・・」の軽快なリズムで50年前が蘇ります。
 任侠演歌はやはり昭和のノスタルジーそのもの。
 今夜も、「番外地」の放映はないかとテレビ番組欄を探しています。

投稿: 伊勢の茜雲 | 2023年4月 5日 (水) 10時18分

「網走番外地」私が健さんのこのシリーズの映画を観たのは昭和47年ごろに当時名古屋市内の映画館でリバイバル上映されていた深夜映画でした!

この映画の出演者の中では、安藤昇や山本隣一の演技に特に迫力を感じながら、眠い目をこすりながらも真剣に観ていた、そんな記憶が残っています。
一作目が終わり次の上映を待つ館内には、健さんのこの歌が流されていましたが、
当時流れていたのは、2010年3月21日ええなぁ様がご紹介されておられるその歌詞だったという記憶があります。その4聯の歌詞の中でも特に3聯の歌詞

 流れ 流れこの身をふるさとの
 うるむ灯(あかり)に おふくろが
 消えて浮かんで また消えた
 その名も 網走番外地

映画を観たあとの、まだ興奮冷めやらぬ状態のまま聴いていたせいなのかは解りませんが、18歳当時の多感な私には上記の歌詞だけがやけに胸に残ったことを今も憶えています。

健さんが逝ってから早いものでもう時期10年になろうとしていますが、昭和残侠伝シリーズでの「唐獅子牡丹」そしてこの「網走番外地」私はこの二曲の本人歌唱が無性に聴きたくなり、今でも時折youtube視聴をしているほどです。

投稿: 芳勝 | 2024年5月18日 (土) 16時48分

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