東京の人
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
作詞:佐伯孝夫、作曲:吉田 正、唄:三浦洸一
1 並木の雨の トレモロを 2 夜霧の日比谷 ゆく人も 3 都のすがた 店々は |
《蛇足》 川端康成の同名小説をモチーフにした歌で、昭和31年(1956)の大ヒット曲。
銀座や日比谷が今も都会的な場所であることに変わりはありませんが、歌謡曲に歌われることはほとんどなくなりました。
隅田川下流の両岸は、長い間、都会的というよりは、江戸情緒で知られる場所でしたが、昭和50年代以降整備が進んで、高層マンションなどが建ち並び、遊歩道が造られ、ちょっとしゃれた場所になってきました。
(二木紘三)
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コメント
君はお台場ぼくはアキバでは歌になりませんですね。しかし
新名所が出来てくるのは良いけれど昔の名所が消えていくのは悲しい。
投稿: M.U | 2008年5月29日 (木) 10時52分
昭和31年には名曲が多いですね。「好きだった」「哀愁の街に霧が降る」・・・・田舎のある青年(少年)が
上京し先ず花売り娘を探したが見つからず、後年パリで
、見たのはくたびれ果てた花売りオジサンだった。良い
文章ですね。
投稿: 海道 | 2009年3月22日 (日) 18時55分
いつも、気持ちの疲れたときなど癒されております。
ところで、「東京の灯よいつまでも」が見当たりません。
何か理由が有るのでしょうか。
是非、お願いできればと思います。
投稿: 齊藤隆夫 | 2009年8月18日 (火) 18時23分
こんばんは。銀座線01系改め、鉄バス高校生ですm(_ _)m
僕の地元の長野電鉄に、かつて「夜霧の日比谷」の地下を走っていた、日比谷線の「マッコウクジラ」が現役で走っており、地下区間の駅でそれを見ると、自然とこの曲が頭の中を流れるようになりました…。
この当時の東京は、今よりもゆったりとした感じでとても好きです。時々読む鉄道雑誌のかつての都電の記事を見るたびに、ふとそう思ってしまいます…。
僕は平成7年生まれの若僧なので、今の東京の姿も好きなのですが、この曲で歌われた当時のゆったりとした東京も、これまたいいものだと思います。
毎度駄文のコメントで申し訳ありませんm(_ _)m
投稿: 鉄バス高校生 | 2012年3月 7日 (水) 18時14分
佐伯孝夫、吉田正のゴールデンコンビは、この頃、三浦光一のほかに鶴田浩二、フランク永井、橋幸夫、和田弘とマヒナスターズなど多くの歌手を育て上げ、主に都会調の哀愁漂う歌を連続ヒットさせていましたね。
この「東京の人」ヒット時、私はまだ15歳の少年でしたが大好きな歌の一つでした。三浦光一は、魅力的な歌声で、椅子に座る姿勢も背骨が直角で、話す時も本当にまじめで、律義な人なんだろうなあと思いました。ただ、都会の哀愁を歌うんだから、もう少し不良っぽさがあってもいいんじゃないかなあ、などと生意気に思ったことを覚えています。でも、調べたらお寺の息子で厳格な父上から、毎日読経をさせられていたそうですね。今は82~83歳と思われますが、お元気でしょうか。
投稿: 吟二 | 2012年3月17日 (土) 22時42分
「トレモロ」とは - 同じ高さの音を連続して小刻みに演奏する技法、ならびに複数の高さの 音を交互に小刻みに演奏する技法。(前者と後者は似通っているようだが、楽器によって は全く異なった演奏方法が必要とされる。)この言葉の意味を知って「並木の雨のトレモロをテラスの・・・・・・」が理解出来ました。納得。また作詞家と言うのはどこからこのような言葉を取り出してくるのでしょうか、あるいはアンテナの違いなのでしょうか。
投稿: 海道 | 2012年8月26日 (日) 16時36分
この詞に出てくるような女性は東京に何割程度残存しているのでしょうか?そんな事を思う人間が古いのでしょうか?我々が上京した頃の世の中はこうだったと振り返れば何となく癒されます。
投稿: 海道 | 2013年5月29日 (水) 17時14分
昭和54年にアメリカに留学を許され、暮れにロスを観光していたら、観光バスの車窓に花売り娘の姿を見ました。カメラを出したけど、バスは通り過ぎ、15,6歳の可愛い花売り娘の姿をとらえられませんでした。そのときに、この歌を思い出しました。
投稿: 江尻陽一 | 2014年5月18日 (日) 17時03分
「東京の人」
この場合は女性で、たぶん娘さんでしょう。
東京娘は、どんな娘かな~、
大阪、名古屋、京都とどうちがうのかな~。
そんなことを考えながら聴いてみると、歌詞の中に東京娘の実態がない。
♪洩らす吐息、恋に身を灼く しのび泣く、恋に泣く・・
それは、地方都市の娘さんだって恋をした時、同じですよ。
なんだ、結局は東京の名所案内だったんだと、今、気づきました。
「東京」という言葉の魔力は、いまだに衰えていません。
まして、昭和31年のヒット曲なら「東京」というだけで、みんなが、いろいろなイメージをふくらませたでしょう。
同じシリーズで、三浦洸一が「大阪の人」を歌っても、もうひとつヒットしなかったのは、「東京」という言葉の力には勝てなかったからではないでしょうか。
投稿: 紅孔雀 | 2014年9月19日 (金) 22時41分
吉田正は日本歌謡史上、曲の多彩性・独創性では断トツではないかと独断と偏見で思う今日この頃です。
都会派歌謡(東京の人、夜霧の第二国道…)、ムード歌謡(好きだった、再会…)、企業イメージ歌謡(有楽町で逢いましょう(そごう:イメージソング)、そこは青い空だった(全日空:導入ジェット旅客機ボーイング727))、青春歌謡(いつでも夢を、美しい十代…)、恋愛歌謡(江梨子、白い制服…)、股旅歌謡(潮来笠、沓掛時次郎…)、任侠歌謡(傷だらけの人生、残侠小唄…)、リズム歌謡(恋をするなら、恋のメキシカンロック…)、実在人物歌謡(殺陣師一代:実在の殺陣師市川段平)・・・。
以上の分類にはいろいろ異論もあろうかと推察しますが、何はともあれ、吉田正はまさに何でもござれの天才歌謡作曲家であるのは間違いないところです。
投稿: 焼酎百代 | 2014年9月20日 (土) 00時55分
昭和31年というとまだ都会と田舎では女性の衣服の洗練さが違いました。地方都市の私鉄に乗っていると市街地から田畑の見えるところに入ると電車に乗ってくる女性の衣服が変わります。ぐんと地味になります。ですから東京の繁華街にいる女性はきっと垢抜けしていたと思います。この歌のイメージでは知的で品の良いお嬢さんではないでしょうか。私は野上弥生子の小説に出てくる、真知子とか、『迷路』の多津枝を思い浮かべます。昭和30年代に山手線に乗っていると東京の品の良い山の手の話し言葉を聞くことができました。とても美しく聞こえました。女性が身体ごと美しかったですね。今は言葉に情けないほど品が無くなってしまいました。残念ですね。
投稿: ハコベの花 | 2014年9月20日 (土) 17時03分
知的で品のある東京のお嬢さんといえば、なぜか向田邦子を思い出します。
妹、向田和子のエッセイの中に彼女の写真も多く残っているのでイメージしやすいのです。
昭和4年生まれの向田邦子は、この『東京の人』が出た昭和31年なら、27歳で出版社で編集の仕事をしていた。
おしゃれな人で、気に入った黒い水着を月給全額をはたいて買ったとか。
黒いニットのトッブスに黒いロングスカートが好きで、同僚から黒ちゃんとよばれていたそうだ。
妹は「その黒いロングスカートで仙台の町(父の転勤先)を歩くと、とても目立った。
当時は、礼服以外の目的で黒を着る人は少なかった」と書いている。
東京のファッションセンスが、田舎の空気を圧倒する様子がわかる。
やはりテレビが普及する前の時代であり、都会と田舎の文化の均質化が進んでいなかった頃の話だ。
向田邦子の上品さは本の中にあふれていて、説明することもないと思います。
今の日本、最も失われたのは、たしかに品性だと思います。
ハコベの花さまに同意いたします。
投稿: 紅孔雀 | 2014年9月20日 (土) 19時53分
『東京の人』は銀座・日比谷・新宿・池袋など東京の代表的地名が盛り込まれた佐伯孝夫・吉田正コンビの代表的ヒット曲の一つですが、一方、東京の地名を盛り込んだダジャレ歌謡に『恋の山手線』(作詞:小島貞二、作曲:浜口庫之助、唄:小林旭)があります(尚、山手線の駅名を何に掛けたのかは適宜類推願います)。
1.上野オフィスのかわいい娘(こ) 声は鶯谷わたり
日暮里笑ったあのえくぼ 田端ないなァ好きだな
駒込したことァぬきにして グッと巣鴨がイカすなァ
2. 始め大塚びっくりに デートさそいに池袋
ところが男が目白押し そこを何とか連れ出して
高田のバーで酔ったとき 胸の新宿うちあけた
あゝ恋の山手線
(3.4.5.省略)
投稿: 焼酎百代 | 2015年8月25日 (火) 20時00分
夏の終わりの夕暮れ、ふと都会の雑踏の中を歩いて見たくなります。楽しさや悲しさや嬉しさが一気に押し寄せてくるような気がします。青春時代、友人と歩いた街の雑踏、
konohaさんのモスグリーンのワンピースではありませんが私は水色のワンピース、友人はピンクの落下傘スカート姿で靴屋や布地屋を覗き、家では食べられなかったホワイトソースの掛かった鱒のムニエルを食べ、喫茶店でコーヒーを飲んでおしゃべり、何と楽しくおいしかったことか。時間を気にせず遊べた自由な楽しさは結婚と同時に無くなってしまいました。あの一瞬の青春時代をもう一度、「東京の人」を聴きながら懐かしんでいます。
投稿: ハコベの花 | 2017年9月 3日 (日) 17時23分
konoha様
先の投稿文を書いて居る時、グリーンのワンピースではなかったかと思いましたが、モスグリーンで送信してしまいました。ずっと気になっていましたが、この投稿文の歌の題名を忘れてしまいました。ずっと歌の題名を探しましたが、思い出しませんでした。間違えていると思いますが、ごめんなさい。どんなグリーンだったのか、フレアーのワンピースだったのか色々楽しく想像させて頂きました。きっと楽しい青春だったのでしょうね。間違えておりましたらお詫び申し上げます。
投稿: ハコベの花 | 2017年9月 7日 (木) 20時52分
おさな心にも三浦洸一さんの品の有る美声に惹かれていました。
海道様のコメントから。「好きだった」「哀愁の街に霧が降る」も同年のヒット曲としりました。
三曲とも とてもとても好きです。
月も見えない今宵は繰り返し この三曲を聞いて物語の主人公の気分に酔い痴れています。
投稿: りんご | 2017年9月 7日 (木) 21時49分
ハコベの花さま、モスグリーンのフレアースカートです。ご丁寧なコメントいただきありがとうございます。楽しい日々とともに青春期の青い悩みも馬鹿さ加減も、全て素敵な思い出ですね。
秋雨が続いていますが、このところのハコベの花さまのコメントを拝読してどうなさっておられるかと思っておりました。本来でしたら「コンドルが飛んでいく」のコメントになりますが、お許しください。「You Tubu」の『El Condor PasaーGeorge Zamfir』を開いてみてください。大空を悠然と飛行しているコンドルの姿がなんともいえず佳くて、奏でる曲にのって、私もコンドルになってしまいます。映像が美しいので是非おすすめです。(大好きな曲の一つです。)
投稿: konoha | 2017年9月 7日 (木) 21時56分
konoha様 早速のお返事有難うございました。モスグリーンで良かったのですね。ホッとしました。私たちの青春時代はまだ既製品の服が無いに等しく布を買って洋裁の出来る人に作って貰っていましたね。ですから身体にピタッと合って着こごちは良かったですね。私は洋裁は苦手で自分では作りませんでした。モスグリーンは大好きな色です。美しいお姿を想像しています。コンドルの歌写真を見ながら聴きました。鳶でさえ大きいと思いますのに、コンドルは雄大に舞いますね。人間も大きくなるような気がします。有難うございました。皆様のおかげで元気になりました。
りんご様 私も3曲とも好きです。貴女と同じでここ数日3曲とも何回も聴いておりました。どうして同じ気持ちになったのでしょうね。好きだったは女ごころが揺れる歌ですね。雨模様のせいかロマンチックな歌が合いますね。
大好きな人と濡れて歩きたいようなわずかな雨にロマンを掻き立てられました。二十歳に戻りたくなりました。歌は薬にもなりますね。男性の皆様が皆、素敵な紳士に思えます。お元気でいてくださいね。皆様のお陰で私は幸せです。
投稿: ハコベの花 | 2017年9月 7日 (木) 23時17分
この「東京の人」の歌詞は、まだ15歳の私に、甘く切ない東京の大人のロマンとアンニュイを感じさせてくれました。しかも品がありあか抜けていました。いつか僕も大人になってこんなロマンチックな体験を持てたらいいなと思いました。年老いた今聞いてもロマンチックな気分になります。作詞家の佐伯孝夫さんは東京を書かせたら、本当に天下一品ですね。
もちろん、𠮷田正さんの作曲も歌詞に合って素晴らしいメロディだと思います。プロって、やっぱり本当にうまいなと思います。
すみません。ちょっと余分に書かせてください。私の友人に、プロ作詞家に作詞を提供してギャラを貰っている人がいます。ものすごく有名な作詞家のあの曲の、あのワンコーラス目の歌詞は、彼が提供した歌詞です。彼は絶対に具体的な名前は教えてくれません。それが信義だと言います。彼は、佐村河内守が新垣隆というゴーストライターを使って18年間自分が作曲したと嘘をついていたとマスコミにばらしたことを、「信義にかける行為だ」と言って非難しました。私はどちらが正しいかは別として、(言葉はどぎつくて申し訳ないけれど)悪人同士の信義というのもやっぱりあるし、色々なことにウラがあるんだなあと思いました。
投稿: 吟二 | 2017年9月 8日 (金) 22時47分
荒地同然の我が家の庭に赤とんぼが飛来
薄紫の三尺バーベナには幻想的なアオスジアゲハが群れをなして密を吸っています。
時には東京もいいが
田舎の光景もいいもんだと自画自賛しています。
吟二様のコメントに忘れていた一冊を思い出しました。
41年前に読んだ 音楽家服部公一著
「クラシックの喫煙室」です。
今なお記憶に鮮明なのは
ヒットメーカーのHは常時数名の芸大生など未だ世に出ない音楽家を抱えてい由。世に出る前の山本直純、伝説の天才ドラマー 白木秀雄もお抱えゴーストライターであった由。彼のヒット曲に郷愁を誘われない昭和人はいないでしょう。僕は泣いちっち。愛して愛して愛しちゃったのよ、星野フラメンコ、夜霧よ今夜も有難う,粋な別れ、恋の街札幌、恍惚のブルース、黄色いサクランボ等々。
古き良き時代でしたね。Hのお名前もズバリ実名で書かれた著書ながら
誰も騒がず問題にもなりませんでした。
投稿: りんご | 2017年9月 9日 (土) 15時10分
訂正と追記
星のフラメンコ
山本直純、白木秀雄は無名時代のアルバイトです。
つくづくのどかな時代でしたね。
誰も咎めたり息まいたりする人がいなかったとは。
投稿: りんご | 2017年9月 9日 (土) 15時16分
久しぶりでしみじみとこの歌聴いてみました。高校時代の音楽部でのトラウマで三浦洸一の歌い方が好きになれなかったのが理由です。改めて聴くと胸にじんと来ます。もっとも侘しく情けない来かたです。銀座も日比谷も新宿も酒だけの縁でした。ただただ酒だけです。女性の姿は皆無の人生です。恋など夢のまた夢、ですからお陰様で身を灼いたり偲び泣いたりしないで済んでいます。これも人生、白け鳥白けっぱなしで飛んで行く・・・などと今夜も一人白け酒。でも歌は気持ちを和ませてくれます。やはりいいもんですね。
投稿: 林 滋 | 2017年9月 9日 (土) 17時10分
ただ一言「恋に恋していた二十歳の娘に帰りたい!」
(ほっそりしたウェストがありました)
投稿: ハコベの花 | 2017年9月 9日 (土) 20時12分
頂きました。
投稿: konoha | 2017年9月 9日 (土) 22時01分
「東京の人」洗練された𠮷田正のメロディもさることながら、この一曲に限って言えば、佐伯孝夫の研ぎ澄まされた詩のセンスの素晴らしさに私は無限の魅力を感じています!
漏らす吐息に うるむ青い灯・・・
プロの作詞家と言ってしまえばそれまでですが、しかしその中でも上記の詩の表現は特に秀逸だと私は思っています。
昭和30年代に入ると著しい経済復興の裏側では、農業人口が激減し都市化が進行、農村の若者は大都会めざして続々と集まったものでした。東京にはアパート、団地などが急ピッチで建設され、街も日毎に装いを新たにして行きました。そうした街の表情をテーマに作られたのがこの唄で、歌詞の中で銀座、日比谷、新宿、浅草、渋谷、池袋などの地名が使われ、日活が月丘夢路、芦川いづみ、葉山良二らの主演で映画化しました。「精選盤・昭和の流行歌・森田潤氏解説より」
最近、私は三浦洸一の唄に魅力を感じるようになった気がします。この曲もそうですが、テレビ番組の懐メロで聴いていた「落葉しぐれ」「踊子」「弁天小僧」など、今では原曲が聴きたくなり、それを探してはYouTube動画を視聴する機会が増えました。
投稿: 芳勝 | 2019年11月16日 (土) 01時31分
先日、恋した人に恋人がいてこちらを振り向いてもくれない。苦しくて悲しくてという娘さんが我が家に来ました。
目が涙で一杯でした。こればかりは私にも解決方法がみつかりませんでした。恋に泣く人を始めて見ました。そのまま帰してしまいましたが、今もって心が痛んでいます。福永武彦の『草の花』を読むように渡しました。恋する女性は皆、美しいですね。涙までも美しく感じました。幸せになってくれると嬉しいのですが、私にはその力がありません。恋には魔力が必要かも知れませんね。
投稿: ハコベの花 | 2019年11月18日 (月) 22時25分
「東京の人」を聴くと、若かった日々のことが思い出されます。
昭和30年代半ば、私は、東京の郊外で学生生活を送っていました。
住まいの学生寮は、4人一部屋で、プライバシーなどないも同然でした。
夜ともなれば、同室の友人のギター伴奏で、当時、流行っていた「東京の人」(三浦洸一 唄 S31)、「有楽町で逢いましょう」(フランク永井 唄 S32)、「大阪の人」(三浦洸一 唄 S33)などを、皆で歌って、青春を謳歌していました。
これらの歌は、すべて、佐伯孝夫さん作詞、吉田正さん作曲による都会調歌謡曲で、どれも、主題は”恋”だったと思います。
最近、YouTubeを見ていましたら、
「街燈」(佐伯孝夫 作詞、吉田正 作曲、三浦洸一 唄 S33)
という歌が目に入りました。
早速、聴いてみましたら、若い頃口遊んだ歌であることを思い出しました。
♪花のネオンも消えて 深い夜霧が
街角を濡らす頃 残ってともる
やさしい街燈 …♪
同じ都会調歌謡曲でも、この歌の主題が,、”恋”でなく、”街燈”であることが、興味深いです。
ついでながら、 ”霧”が主題の都会調歌謡曲として、同じコンビの作になる
「哀愁の街に霧が降る」(佐伯孝夫 作詞、吉田正 作曲、山田真二 唄 S31)
がありますが、その出だし部分のメロディが、「街燈 」の出だし部分のメロディと似ていて、これまた、興味深いことです。
♪日暮れが青い灯(ひ)つけてゆく
宵の十字路 …♪
投稿: yasushi | 2021年4月 3日 (土) 14時32分
「東京の人」この都会的ムードを漂わせるこのメロディが私はやたら聴きたくなり、最近ではこの唄のページを開くことが多くなりました!
これまでにもYouTube等で本家三浦洸一歌唱をはじめ、実力派の歌手たちによるこの唄のカバー曲の数々を絶えず私は視聴してきましたが、その中に於いても私にとって最も魅力を感じてきたのは、幼いころも大人になってからも変わることのない大ファンだった歌手である、フランク永井がカバーした「東京の人」です。低音の魅力でこの曲をムードタップリに歌唱する、そのフランク永井の歌声に私はいつも聴き惚れてしまいます。
並木の雨の トレモロを
テラスの椅子で ききながら
銀座むすめよ なに想う
洩らす吐息に うるむ青い灯
しのび泣く 恋に泣く 東京の人
2017年9月8日・吟二様のご投稿コメント
>『・・・作詞家の佐伯孝夫さんは東京を書かせたら、本当に天下一品ですね。・・・』
ここで二木先生の名演奏を聴きながら、佐伯孝夫が書いたこの秀逸の詩に触れているとき、私の胸の中には、吟二様の『上記ご意見』とまさに同じような感情が芽生えてきます。
「東京の人」昭和32年に和田弘とマヒナスターズがデビュー第一弾として、三浦洸一のこの唄をカバーしていることを私は最近になって知りました。その記事に興味を惹かれ早速マヒナが歌唱するこの唄をYouTubeで繰り返し視聴してみましたが、ムードたっぷりのその歌声はさすがで本当に素晴らしく、中でも佐々木敢一のファルセットのソロは圧巻でした。私はこのカバー曲を聴きながら、この度改めて和田弘とマヒナスターズの真の実力を思い知らされたようなそんな気がしました。
投稿: 芳勝 | 2023年1月10日 (火) 23時13分