山の大尉
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イタリア民謡、日本語詞:牧野文子
1 山の大尉は傷ついた 2 山岳兵はことづけた 3 陽はさし昇る山の朝 4 「私の体を五つに 5 「第二のそれは連隊に 6 「第四のそれは愛人へ Il testamento del capitano 1. Il capitano de la compagnia 2. I suoi alpini ghe manda a dire 3. Cosa comanda, sior capitano? 4. Il primo pezzo alla mia Patria, 5. Il quarto pezzo alla mia bella, |
《蛇足》 原題は『Il testamento del capitano』(大尉の遺言)。
重傷を負った山岳部隊の隊長が瀕死の息の下で、自分の体を5つに切り分けてそれぞれの場所に届けるよう部下に命じる、といったすさまじい内容です。
山岳兵は山岳戦闘を得意とする特殊兵科で、その部隊はいくつかの国にあります。イタリアでは、サヴォイア朝イタリア王国成立直後の1872年に創立された王立山岳連隊が始まり。
したがって、上記の歌詞はその後に作られたものと推測されます。曲はこの歌詞と同時に作られたのか、もっと古い時代からあった民謡なのかははっきりしません。
写真は第一次世界大戦時のイタリアの山岳兵。
イタリアには、ローマ帝国崩壊後、皇帝がいたことはありません。それなのに、訳詞者はなぜ4番に原詞にはない「初めのそれは皇帝へ 部下の兵士の記念にと」というフレーズを入れたのか疑問に思っていました。
原詞では、切り分けた遺体の1つめは祖国に、2つめは大隊に、3つめは母親に、4つめは恋人に、5つめは山に、となっています。
2つめから5つめまでは届け先や埋める場所が具体的ですが、1つめの「祖国」は抽象的な概念なので、どこに届けるのか、または埋めるのかイメージが浮かびません。そこで「皇帝へ」というイメージしやすいフレーズを作ったのでしょう。
ただ、イタリア山岳部隊の歴史を考えると、皇帝より「わが王へ」とでもしたほうがよかったかもしれません。
1957年制作のアメリカ映画『武器よさらば』(原作:ヘミングウェイ)では、進軍の画面と、軍民入り混じった敗走の画面で、この歌がかすかに聞こえてきます。
(二木紘三)
コメント
原詞では愛人の所は愛する人だそうですが、母親が子供に「花嫁を奪っていくのが恋人で葬式の時現れて遺産を
奪っていくのが愛人よ」と言ったとか。
投稿: 海道 | 2011年9月24日 (土) 15時47分
今日は
昔一度投稿したものです。
この歌詞の翻訳で少し気にかかっていた所があるのですが、またいちゃもんをつける様になるのでコメントを送らなかったのですが、やはり気になるので送ります。
5番目の中で(和訳では6番目)suo primo amorを和訳で 「わが初恋」 としていますが suo は「彼女の」で、「彼女の(山岳兵との)初恋」の思い出でないと意味が通らないと思います。ちなみに、和訳をイタリア語にするなら mio primo amor になるとおもいます。
和訳にする場合、歌としてのながれとか色々と難しいので本文から少し異なる事は仕方ないのでしょうが、少し気になったのでコメントしました。
投稿: 小林 昇 | 2012年6月18日 (月) 05時37分
小林昇様
イタリア語についてはごく初歩的なことしかわかりませんが、音数も考え合わせると、「わが初恋の思い出に」はそう不自然ではないと思います。
si ricordi(彼女に思い出させる=彼女が思い出す)、del suo primo amor(彼女の初恋の人を)で、「彼女が彼女の初恋の人を思い出すように」ですね。amorは、前の聯のfiglio alpin(息子の山岳兵)との対応から、恋ではなく恋人と考えるのが妥当でしょう。
「彼女の初恋の人」とはすなわち自分(私)ですね。ですから、si ricordi del suo primo amorは言い換えると「私が彼女の初恋の人であったことを思い出してくれるように」となります。これを音符に当てはめて凝縮すると、「わが初恋の思い出に」となるわけです。原詞を生かして「彼女の初恋の思い出に」とすると、誰との初恋なのかわかりにくくありませんか。「彼女との初恋の思い出に」ならわかりますが。
初恋にこだわらなければ、「われらが恋の思い出に」とか「二人の愛の思い出に」とする手がありますが、やはり「初恋」は入れたいですね。(^_^)。(二木紘三)
投稿: 管理人 | 2012年6月19日 (火) 01時23分
学生時代にワンダーフォーゲル部員でした。山でこの歌を歌ったものです。皆が好きで、声を合わせて、1日歩いた後のテントの中で。日本で初めての女子大ワンゲル部でした。山の大尉に憧れていたのかもしれませんし、いつか山で死んだらと言う歌と同じく、一歩間違えば死と直面する山登りの危険性をなんとなく心に感じていたからかもしれません。今はもうすでに部は存在しませんが、OG会は今なお夏合宿を年一度行い、20〜30名の参加者があります。最高齢は86歳、集まれば歌を歌いワインを飲み、思い出話に花が咲きます。新潮社クレスト・ブックス『帰れない山』の中にこの歌が出てきます。それを読んで何十年ぶりかでメロディーを聴きました。懐かしく歌い、涙が出ました。
投稿: 岡本恭子 | 2020年3月 7日 (土) 17時44分
私が、「山の大尉」を知ったのは、やはり、学生時代(昭和30年代半ば)でした。コンパで、誰かが歌ったのを機に憶えたのです。
岡本様のお便りを拝読し、ワンダーフォーゲル部活動、あるいは、OG会の楽しい様子が窺えるようで、心温まる思いです。
私も、今では、歳ゆえ、高い山(夏山)への自力登山は叶いませんが、30歳頃、ともに山を歩いた仲間との交流は今も続いています。お互いに、単独登山で、年賀状の交換では、話題は山のことばかりです。
投稿: yasushi | 2020年3月 8日 (日) 10時41分
30年前に陸上自衛隊の山岳レンジャー過程を終えました。
大変厳しい訓練でした。
夜の点呼終了時に軍歌や山の歌を歌わされるのですが、その中の一曲に「山の大尉」がありました。
今でも当時の訓練を振り返る時、つい、歌ってしまう青春時代の一曲です。
投稿: 山岳兵 | 2020年9月26日 (土) 09時58分