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2007年8月21日 (火)

想い出は雲に似て

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞・作曲:米山正夫、唄:近江俊郎

1 想い出は想い出は 流れゆく雲か
  浮かびては消えてゆく 青空の彼方
  はるかに遠き日を 呼び返すごと
  群れとぶよ群れとぶよ 夢の数かず

2 そよ風はそよ風は わが胸をゆすり
  汐鳴りは汐鳴りは こころ浸すよ
  海近き丘の 小草をしいて
  柔かき黒髪に ふれしあの頃

3 あの雲はあの雲は 何を語らい
  この雲はこの雲は 何をささやく
  瞼(まぶた)に残るは 白き面影
  想い出は雲に似て あわれ儚し

《蛇足》 昭和23年(1948)にNHKのラジオ歌謡として発表されました。

 比較的若いころ、思い出は確かに雲に似ていました。濃い・薄いの違いがあり、また時間の経過とともに少しずつ姿が変わっても、はっきり心に思い浮かべることができました。
 しかし、年を重ねるにしたがって、それは雲より風に似てきます。肌をなでる風のように、思い出はあやふやで頼りなく、心にとどまる時間も短くなってきます。
 いずれそれもあやうくなり、ああ、今思い出らしきものが心を吹き抜けたようだ、と感じるだけになるでしょう。

 思い出に癒されることが少なくなる一方で、記憶に苦しめられる時間も少なくなってきますが、それも安らぎの1つのかたちといえるかもしれません。

(二木紘三)

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コメント

十年位前「熟年離婚」という言葉が頭の片隅に張り付いて離れませんでした。夫に振り回されてただ我慢しているだけの人生に見切りをつけたかったのです。
沈んだ気持ちで空を見上げると、真っ青な空に白い雲、ふっと楽しかった青春時代が甦ってきました。友人たちとの楽しかった交友、素敵な彼との思い出、「そうだ、私の人生も捨てたものではない。いつの日か、もう一度彼と会って話をしよう」そう思ったら、なぜか生きている事が嬉しく思えるようになりました。白い雲は私には青春そのものです。「思い出ははるかな雲に似て・・・」と色紙に書いて夏になると壁にかけます。熟年離婚願望は消えてしまいました。青春時代はわずかに5,6年です。けれども人生の楽しかった日々が凝縮している様に思われます。帰らない日々はネガフィルムの様に頭の中に収められているのです。年を重ねるごとにフィルムは鮮明になってきます。思い出があるから生きていられるように思えるのですが・・・

投稿: ハコベの花 | 2008年9月 6日 (土) 17時08分

はるか昔ですが、荒川の土手まで自転車を漕いでいき、草むらに寝転がって青空を見上げました。すると、この「うた物語」の表紙(いちばん上)とまったく同じような白い雲が、浮かんでは流れていきました。
その雲の中に、僕ははっきりと少女の面影(幻影)を見たのです。アメリカに留学した少女を想い出していました。
若い頃はよく空を見上げ、流れゆく雲を追いかけていましたが、年を取るとそんなことはほとんどありません。
想い出は去りゆく雲のように、空の彼方へと消えていくようです。この歌のように・・・

投稿: 矢嶋武弘 | 2008年9月 7日 (日) 11時03分

矢嶋さんのお名前を見つけたので
こちらにも寄道しました。
よい曲ですねぇ。
歌詞も非常に清潔感があってよいですねぇ。

投稿: sunday | 2008年9月 7日 (日) 15時02分

終戦を境に学校制度が変はりました 新制中学校にホームルームの時間が出来ました(名前からして新時代らしく)この時間は自由なことが出来るので 皆に人気がありました 教壇に立って級友の口伴奏で ♪柔らかき黒髪にふれしあの頃~ ちょっと背伸びをして歌いました 星移りにきびも消えた頃 いとしい人の黒髪に触れた時 瞬時に浮んだ歌詞です    

投稿: 寅  君 | 2011年1月24日 (月) 17時56分

若い頃自動車教習所に通いました。〇〇さんと後ろから
呼び止められました。見たら職場で隣どうしの女性でした。どうしたのと聞くと、私も免許を取りたいのと言う。それからいつも教習所の帰りに喫茶店に行き、たわいない話をしたものでした。
二人共合格して車を買いドライブに出かけました。
それ以上の進展はありませんでしたが、今となっては良い思い出です。

投稿: 海道 | 2011年9月21日 (水) 12時27分

何という暑さだろうと思いながら空を見上げると、空が少し高くなり、白い雲が流れていきます。雲の上の風は秋なのだと実感しました。携帯の待ち受け画面に入れる面白い雲を探しています。じっと見ていると過ぎた懐かしい日々が蘇ります。8月も終わりになると帰省していた憧れの人が大学に帰っていきます。その悲しさは半世紀経ってもまだ昨日の事のように思われます。少女に戻るその一瞬がとても新鮮です。あの人に相応しい女性になろうと真剣に思っていた頃もあったのですが、今は見る影もなしです。残念!

投稿: ハコベの花 | 2012年8月28日 (火) 23時12分

このラジオ歌謡が流行った頃、発足間もない新制の中学生でした。当時、ど田舎の中学では英語の先生が不足し、学生アルバイトの先生が多かったようです。我々の先生は早稲田文学部在学中の鈴木先生でした。先生は、今思い出しますと「相棒」の水谷豊さんそっくりの風貌でした。先生はとてもユニークで、よく我々を外に連れ出し、野原のまん中で授業をしたり、気が向くとこの歌を皆で大声を出して唄ったりしたものです。先生は卒業後、NHKに入局され、後にスポーツ担当の名物アナになりました。鈴木文弥さんです。鈴木先生から、ど田舎の中学生達が受けたフレッシュな刺激と将来への憧れ、忘れられない大事な大事な宝物です。

投稿: 石井 孝 | 2012年9月 5日 (水) 13時11分

石井様 素敵な授業を受けられましたね。羨ましいです。文弥アナはスポーツの実況でよく見ました。私は中学の時水谷豊をお爺さんにしたような先生に英語を教えて頂きました。戦前にケンブリッジ大を卒業され、英国紳士とはこのような人のことだろうと思われるダンディで優雅なお爺さんでした。いつも上等な背広をきちんと着ておられました。『ビルマの竪琴』を書かれた竹山道雄氏のお兄様でした。人間は一生の間に思いがけない人に何回か会いますね。一番の思い出は湯川秀樹氏です。ノーベル賞を貰った後でしたが後光が射している様に見えました。思い出は尽きません。

投稿: ハコベの花 | 2012年9月 5日 (水) 21時23分

ハコベの花様、素敵なコメント有難う御座いました。小生と違って人生の襞を知り尽くされた先生との「一期一会」素晴らしいご経験をなされましたね。あの年頃は、一生懸命背伸びをして大人の世界を垣間見ようとしたものでした。そんな時に出会った先生の影響は、少々オーバーに言えば、一生を支配するのかも知れません。

投稿: 石井 孝 | 2012年9月 6日 (木) 11時57分

なんて素敵なメロディーでしょう。そして歌詞。
初めて歌わせていただいております。

2008/9/7の矢嶋様のコメントを読ませて頂いた上で、左上の白い雲の画像を見ました。その中に少女の顔が載っていたのですね。今まで気が付きませんでした。管理人様の雲に託す想いを感じた次第です。

投稿: fumippe | 2014年9月16日 (火) 14時21分

身内に不幸があったので兄妹や姪や甥たちが大勢集まりました。無宗教だったので何十年ぶりに出会った親戚と楽しく会食をしました。私の憧れだった兄の友人の消息もわかりました。公務員から天下りで民間の大手企業の重役になったと聞きました。防衛庁と深い関わりのある企業だったのでしょう。何故か心の中に冷たい風が吹き荒れました。ふっと「想いでは雲に似て」が口をついて出てきました。清廉潔白であってほしいと思っていたのですが、50年の歳月は人を変えていくのですね。最も少女の時の私の思い込みだったのかもしれません。「彼も貴女を好きだったのよ」と教えてくれた人がいました。今は複雑な心境です。この歌で気持ちが清らかになるような気がして何度も聴いています。

投稿: ハコベの花 | 2015年8月11日 (火) 11時23分

ハコベの花様
心情を忖度致します。
コメントを遡って読み返し、一編の純愛小説を読んだような思いに浸っております。
寂しい結末が純度を高めています。

投稿: りんご | 2015年8月11日 (火) 18時50分

思い切り車の窓を開けて心地よい初夏の風を吸い込みながら、新緑の林を抜け山道を一気に下る。  
標高940mの六甲山の頂上近くの山荘での仕事を終え、木漏れ日の中に浮かんでは消えていく雲に呼びかけるように
思わず “想い出は想い出は~流れ行く雲か~”と自然に口を衝いて出る。

昨日から今日に掛けてのハードな仕事の疲れも、懐かしい抒情歌の一節を思い出し口ずさみながら山を下るとき、
癒され慰められます。
それにしても、歌詞のなんと素晴らしいことか…“あの雲は 何を語らい この雲は何をささやく~” いいですね~。

投稿: あこがれ | 2017年5月21日 (日) 23時06分

あこがれ様 有難うございました。昨日から何故か疲れてしまい何もやる気がなくなっていました。今、あこがれ様の投稿を見つけて、気持ちがぱっと明るくなったような気がします。この歌は私には青春時代のあこがれが一杯詰まっているように思われます。優しい友人たち、様々な本、私を見つめてくれた美しい瞳の青年、本当に幸せな毎日だったと思います。真っ青な空を流れる白い雲、思い出せばいつもあこがれが近くにあって私を呼んでいたような気がします。明日は明るく目が覚めるような気がします。奥様は浜松にお帰りになることがありますか。機会がありましたらいつの日かお目に掛かれます様に願っております。本当に有難うございました。

投稿: ハコベの花 | 2017年5月21日 (日) 23時39分

石井孝様
お元気でお過ごしでしょうか。今、エムズの片割れ様のプログを読んでおりましたら,元NHKの文弥アナが88歳でおなくなりなったと書いてありました。58歳で脳内出血で言葉が不自由になったのに、訓練でお元気になられて活躍されていたそうです。石井様がお元気でしたら私も嬉しく思います。この歌は今も時々聴いて元気を貰っております。早く台風が抜けて澄み切った秋の青空を見上げてみたいと思います。

投稿: ハコベの花 | 2017年9月16日 (土) 22時11分

ハコベの花さま お元気のご様子なによりです。
当西九州地方では、台風18号が九州に接近、上陸の恐れとの報道にどうなるものかと心配をいたしております。
この曲、初めて聴きましたが詞・曲とも素敵だと思います。
中学時代の片思いの彼女のことが想い出され胸に迫るものを感じ涙がこみ上げました。
これまでのハコベの花さまの一連のコメントの中で、「私を見つめてくれた美しい瞳の青年」のことが私の脳裏から離れません。以前のりんごさまのコメントにあるように一編の純愛小説を読んでいるようです。
これからも、素敵な続編を楽しみにいたしております。
二木先生の心に沁みる演奏、ハコベの花さまありがとうございました。

投稿: 一章 | 2017年9月17日 (日) 00時34分

ハコベの花さま 9月も半ばも過ぎました。温石を懐中に入れて心を温めて、あと半月しのいで、秋晴れの空にふんわり浮いた白い雲を眺めたいですね。
一章さま 暴風雨に再三みまわれて、さぞ大わらわの事とお察し申し上げます。
台風5号に続き今回も日本列島を縦断いたします。皆々様の所が大事に至らぬように心よりお祈り申し上げます。

投稿: konoha | 2017年9月17日 (日) 07時26分

昨日、ぼんやり空を眺めていました。春の空に浮かんだ雲はゆったりとしていて、気持ちが安らぐような気がします。穏やかで優しいですね。なかなか会えなくなった友人たちのことを思います。女子ばかりの学校だったせいか、競争心ががないという欠点もありましたが、妬みや嫉みがなく静かな人が多かったように思います。私の母が亡くなったあといつもハイキングや海に泳ぎに行くときは私の分のお弁当を持ってきてくれた人、家庭科の宿題は器用な友人がやってくれたり、昆虫の標本を作ってくれる人もいて、今になって思えば幸せな学校生活だったと思います。当時はそれが当たり前だと思ってお礼も言わずに威張っていましたが、今度会ったらお礼を言いたいと思います。春の雲のようなふんわりした友人たちを持てて本当に幸せだったと60年たった今頃気が付いています。皆、生きていて下さいね。

投稿: ハコベの花 | 2018年3月20日 (火) 00時12分

勉強もスポーツも嫌いな僕には小、中、高と学校は苦痛の場でした。学校は妬みと嫉みと競争心、劣等感を生む場でしたが遠足だけは別格でした。遠足は大好きでした。学校からの大解放の日でした。

幼稚園の遠足は特に良かったですね。女の子と手が繋げましたからねぇ。小学校、中学校の時は好きな女の子の近くを歩きたく自然とその方向に足が向いていたんじゃないかと思います。

空に浮かぶ雲を見て楽しんだのは、やはり遠足の時とか、家の畑仕事を手伝っていた時じゃないかなぁ、と思います。

いつか小学校のクラスメートと何か一緒に遊ぶ機会があれば、やはり、遠足で、雲を眺めて、お弁当を食べるのが一番ですね。そのためにも足腰を鍛えておきたく地下鉄の階段の上り下りやっています。

投稿: yoko | 2018年3月20日 (火) 22時46分

 この歳までの記憶に残る白い雲はどこで見たものかなあ〜と考えてみました。葉山の海でゴムボートにのって見たあの夏のまぶしい雲かしらと思いましたが ・・・  心に残ったのは、秋の尾瀬ケ原の青く済んだ地塘に映った白い雲です。見上げると青空高くぽっかり浮かんだ白い雲、尾瀬の清澄な空気まで思い出します。

投稿: konoha | 2018年3月21日 (水) 00時42分

竹永尚義
はこべの花 様

私も微分積分は 高校時代で、とっくにさよならしました。
どういう訳か、我が家の息子2人とも理工系で、私とは真逆です。
それに、カミさんは「ザ・家庭科の人」ですから、似ても似つかぬ存在ですが・・・。

私の友人も、現役時代はN生命の名古屋支社長をしてましたが、定年農業を始めて早10年を過ぎて、かなりの規模でJAやスーパー等に納品してますので、時々 気晴らしに三田市郊外の農園まで、出掛けたりします。

ろくろく手伝いもせず、畦道に腰掛けて、ぼーっと流れ行く雲を眺めている時は、まさに至福のひとときですが、それにしても農業は本当に大変なのがよく分かります。

そんな風景から、ちょっと一句・・・

背をまるめ 腰をかがめて きゃべつ抱く 友の背中に 和む春の陽(ひ)

おそまつでした・・・。

投稿: あこがれ | 2018年3月23日 (金) 01時11分

昔、美少年だった皆様へ
 流れゆく雲見つめいる少年の瞳(め)の清しさや恋始まりぬ
60年経った今でも心は少年でいて下さいね。

投稿: ハコベの花 | 2019年8月21日 (水) 00時02分

 ここ数日来、見上げると高くなった青空に雲が浮かんでいます。青空に浮かぶ雲はそれだけで気持ちが広々としてきます。空全体のものとして見ている自分がいます。決して雲を動かしているであろう風を感じているわけでもありませんが、雲と一緒に風まで感じます。不思議ですね。

 現役の時、海で眺めた雲、高原で見た雲とは違います。あの時代は雲そのもの見ていました。高齢になり家族がいてもいなくても、澄んだ空を見上げていると我一人を静かに感じられます。
 

投稿: konoha | 2019年11月 4日 (月) 11時06分

何日か続いた雨が上がって、今日は素晴らしい青い空、真っ白な雲が流れていきます。この歌を久しぶりに思い出しています。瞳の美しかった少年の皆様、お元気で何よりです。
少女から大人になる入り口で出会った素敵な貴方を、少女に戻って思い出しています。夏休みになると良く遊びにきて、2階の窓枠に腰かけて、私を見るとにこッとしてくれましたね。あの笑顔は永遠に私の宝物になっています。貴方は少女だった私を思い出して下さって居られるでしょうか。
そんな日のあった事をたまには思い出して下さいね。

投稿: ハコベの花 | 2020年7月 2日 (木) 16時34分

 夕方、NHKBS3をつけると、『魔女の宅急便』の原作者の話がありました。途中でしたが、原作者の言葉になるほどと思いました。

「思い出は過去のものだけど、それを探すのは未来」
つまり何かを探して見つけようとする時が未来で、それによって不意に過去の出来事が蘇る。

 早速、うた物語の「思い出は雲に似て」を開きました。そして思いました。このうた物語の同好の方々はタイムトラベラーで、雲が乗り物で、二木紘三氏は運転者であって水先案内人であるということです。
 改めて二木先生ありがとうございます。いろいろなタイムトンネルを一緒にくぐり抜け、そこにある景色を見させていただいております。素晴らしいブログです。

投稿: konoha | 2021年5月25日 (火) 20時57分

昨日、玄関にこの歌を描いた色紙を掛けました。60年前の浜名湖に私と彼が乗ったボートがたった一艘、夫には言えませんが、私の青春の終わりの日を描いた絵でした。彼に別れを告げた日でした。商社マンとしてアメリカへ行く夢を持った彼を待つことは怖くて出来ませんでした。指先も触れず、目に涙を溜めただけで4年間の交流は終わりになりました。「思い出は雲に似て哀れはかなし」彼の目にあった涙が60年間の私の宝物になっているのを彼は知りません。

投稿: ハコベの花 | 2021年7月17日 (土) 23時05分

 この曲は私の生まれる1年前の年ですから、はじめて聞きました。きちょうめんなメロディーときちょうめんすぎるほどの歌詞に、戦後の人たちの真面目ながんばりを、自分勝手にですが、感じたしだいです。
「思い出は雲」というたとえは、はじめて知りました。私は青空と雲といえば、「青雲の志」という言葉を思います。
このブログの表紙のことを矢嶋さまがあげられていましたが、私もこの絵について思うことを述べたい。よく1年ごと、あるいは季節ごとにブログの表紙をかえる人がいますが、二木先生には、この青い空と白い雲をいつまでも表紙の絵として、置いておいてほしい。青い空と白い雲、もはやこの色彩に絶対的な安心感があるのです。
 
 昨日のハコベの花さまのコメントには驚き、その後、なるほど・・という思いです。アメリカへいくなんて私にはできないと、4年間つきあっていた彼を諦めてしまう。やっぱり親孝行できないからかな、そういう点では古いタイプの女性だったのかな、いろいろ考えました。
 2008年9月6日のコメントには、もっと感動しました。夫にふりまわされるのはイヤ、でも思い出されるのは青春時代のよき人との楽しかった出来事。そうだ青春時代のよき人との出会いを思い出して、夫と離婚するのはやめようと決めたとか。いやあ、すばらしい方向転換、とても感動しました。
私の亡妻も振り回されて我慢していましたから。私は説明なんかいらないだろう、夫婦だから・・みたいな人間でしたから。意地悪なんかするつもりはなかったんですが・・。

 

投稿: 越村 南 | 2021年7月18日 (日) 22時25分

 先月の中ごろ早朝の空蝉橋からよく晴れ渡った青空にぽっかり浮かんだクラゲ雲を見ました。その雲ひとつだけ。椎茸のかさと同じような雲に薄く生えた長く揺らめいているような雲がくっついていました。何かに似ていると思った瞬間、クラゲでした。人生初めて見た雲でした。大きくてまさに海の青さに浮かんでいました。
今思うと写真に撮っておけばよかったと思います。
 秋からの早朝の空はなんとも言えない美しい色合いです。

投稿: konoha | 2022年12月 1日 (木) 23時21分

『想い出は雲に似て』が世に出た昭和23年といえば、私は小学校高学年で、数多くの戦後黄金期歌謡曲が世に出た年でもありました。
今でもよく聴いたり口遊んだりする、『君待てども』(S23/1 平野愛子 唄)、『流れの旅路』(S23/6 津村謙 唄)、『たそがれの夢』(S23/6 伊藤久男 唄)、『恋の曼殊沙華』(S23/7 二葉あき子 唄)、『憧れのハワイ航路』(S23/10 小畑実 唄)、『東京の屋根の下』(S23/12 灰田勝彦 唄)など、百花繚乱というところでしょうか。
でも、『想い出は雲に似て』は、少し地味だったから(?)でしょうか、子供心に印象としては弱く、大人になって、何度か聴くうちに、だんだん、心に沁みるいい歌だなあと思うようになりました。

ついでながら、米山正夫さん作曲の歌では、美空ひばりさんが歌う、『リンゴ追分』(小沢不二夫 作詞 S27)、『リンゴ園の少女』(藤浦洸 作詞 S27)、『長崎の蝶々さん』(米山正夫 作詞 S32)、『花笠道中』(米山正夫 作詞 S33)、『アンデスの山高帽子』(米山正夫 作詞 S33)などを、好んで聴いております。

投稿: yasushi | 2022年12月 3日 (土) 16時36分

22年12月に投稿された「konoha」様へ、

 あなた様が投稿された書き込み文章にある「空蝉橋」というのは、山手線の大塚駅から池袋駅に向かう所に架かる跨線橋のことでしょうか?

 小生の従兄の家が大塚駅の近くにあり、そこから一直線の位置に「空蝉橋」がありました。中学時代から高校卒業の年代に春休み・夏休みには泊まり掛けで遊びに行ったものでした。夏の天祖神社のお祭りや、縁日も懐かしいです。65年以上前のことです…。従兄も既に黄泉の国に旅立ちました…

投稿: ジーン | 2024年9月29日 (日) 21時53分

ジーンさま
 はい、その空蝉橋です。幅のある大好きな橋です。池袋に向かって長く伸びる線路、先はカーブしていて池袋です。住まいの地で一番高所で開けた所で、私にとって一番解放感のある場所です。巣鴨駅方面も開けていて、スカイツリーがバランスよく見えます。秋から冬にかけて日の出と山手線とスカイツリー、空の色や雲を撮るため早朝にカメラを設置して、シャッターチャンスを待っている人たちがいます。

 もしかしたらジーンさまとはどこかですれ違ったかもしれませんね。

投稿: konoha | 2024年9月30日 (月) 12時13分

  konoha さまへ、

 書き込みを読ませて戴きました。有難うございます。

 あの頃、池袋東口にあった”文芸座地下”で従兄と良く洋画を見たものでした。徒歩で行きましたが、途中に巣鴨刑務所があり、高いレンガ塀に沿って歩いたことを鮮明に覚えております。65年前後前のことです…。

 それと、大塚駅前に「ヒロキ」(だったかな?)なる洋画の2番館か3番館ができて、夏の夜は安い料金で見ることができたことも覚えております。

                   ジーン拝

 

 

投稿: ジーン | 2024年10月 5日 (土) 21時50分

ジーンさま、どうぞ掲示板をご覧ください。

投稿: konoha | 2024年10月 6日 (日) 00時19分

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