月見草の花
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
作詞:山川 清、作曲:山本雅之
1 はるかに海の見える丘 2 ほんのり月が出た宵は 3 思い出の丘 花の丘 |
《蛇足》 昭和24年(1949)発表。
山川清・山本雅之のコンビで作られた童謡には、ほかに『森の小人』があります。山本雅之は、これらのほかにも『一寸法師』『いなばの白うさぎ』『かにの床屋』『かもめの船長さん』など、多くの童謡を作曲しています。
月見草はメキシコ原産のアカバナ科二年草で、日本には嘉永年間に渡来したといわれますが、現在ではほとんど見られません。一般に月見草と呼ばれているのは、この種ではなく、同属の帰化植物で広く分布するマツヨイグサやオオマツヨイグサです。
(二木紘三)
コメント
二木先生 いつも泣きながら聴かせていただいております。
有難うございます。
歳と共に涙もろくなったのも事実ですが、長く生きていると、やはりいろんな経験をしたからでしょうか、どんな事象からも身につまされるのですね。どうして?? と思うほど、悲しいことばかり浮かんでくるのです。
この曲からは、悲しい旋律もそうですが、歌詞から
人間は、一人で生まれて死んでいく--でも、あなたのまわりには必ずあなたを見守ってくれている 人・もの・魂---暖かい心---があるんだよ。強がるな!!人は一人では生きれないんだ
助け合おう---といっているように思えるのです。
時々、一人暮らしで病気になって、ヘルパーさんだけが面倒をみてくれています--という方々を診にいくことがありますが、
ほんとうにつらくなります。核家族化も極み、子も金銭的に余裕はあっても親をみない、また家族内での凶悪事件、どう歯車が狂ってしまったのでしょうか??
拝金主義を伴うグローバリズム 糞食らえです。日本人気質に合った主義・信条を国民全体で考えなければいけないときなのでしょうね。
投稿: 能勢の赤ひげ | 2008年3月29日 (土) 23時19分
能勢の赤ひげ様。。。。今回は蛇足よりコメントの方に心が動かされました。
「子も金銭的には余裕はあっても」と書かれてあって。。。そこはちょっと違うのでは?と言う気がしました。
派手になっている生活ではほとんどの家庭では一杯一杯の生活をしていて
そのせいで世の中が世知辛くなっていると思っています。
日本人にあった主義・信条が地に落ちてしまった。。。まさにその通りで感銘を受けました。
投稿: sunday | 2008年3月30日 (日) 08時58分
sunday様
お返事ありがとうございます。確かにあなたがおっしゃるとおりだと思います。
この二日前に何人かの一人暮らしの方にお会いしたのですが、その中の一人に腰の曲がったおばあさんがおられました。息子は理科の教師までして家も建てているのに、会いにも来ない---と何度もきかされたのです。そのインパクトが強すぎて、少し偏った意見となったようです。感情が先走りする傾向にあるようで--反省・反省です。やさしく、暖かい社会--
10年20年後にはもどっていてほしいものです。炭酸ガスの減少を論ずるよりもっと先に考えたいことですね。
投稿: 能勢の赤ひげ | 2008年3月30日 (日) 10時37分
能勢の赤ひげ様。。。が降っています。
お返事が頂けて喜んでしまいました
赤ひげ様がおっしゃる通りの方も当然いらっしゃるとは思いますよね私の方こそ決め付けてしまって申し訳ありません。
赤ひげ様がおっしゃる通り人と人が満更でもないよなぁと思えるようなそういう社会を願っています。
今日は私も満更でもない気持ちで眠れそうです。
有難う御座いました。
投稿: sunday | 2008年3月30日 (日) 21時04分
「月見草の花」私、この曲度々聴いております。心が癒やされます。素晴しい曲です。余り一般に知れていないようですが、私は、この曲が抒情歌の中で一番好きです。この曲、いつまでも、いつまでもまた、幾世代にも渡って歌い継がれること願っております。
投稿: らくらく | 2009年5月 8日 (金) 10時47分
ハーモニカを教えています。
生徒さんにこの曲の譜面を渡したら、ほとんどが知らないとのこと。
私は大好きな曲だし、よく口ずさんでいます。
24年に発表されたとのこと。
私の生まれた年。
ますます好きになりました。
歌詞もいいですが、メロディが美しい・・・。
もっといろんな人に知ってもらいたい一曲です。
投稿: kawa | 2009年5月14日 (木) 19時34分
朝晩にこのサイトを拝見させていただいています。
今日のkawaさんの投稿を拝見して22年生まれの私も
初めて聞く曲でした。
団塊の世代として何でも知っているかのふりをしていた
自分を反省しています。
この自分が生きている世界にいかに多くの人を酔わせる曲があるのかといまさらながら感じている次第です。
これからも謙虚に努めてまいりたいと思っています。
投稿: 修さん | 2009年5月14日 (木) 22時52分
この童謡をいつ頃覚えたのか、定かな記憶はありません。多分わたしが中学生の頃ではなかったかと思います。その頃わたしは新潟の、海沿いの寒村で少年時代を送っていましたが、3つ年下の妹がよく歌っていたように思います。それで自然に覚えたのでしょう。妹にはなかよしの同級生がいて、よく家にも遊びに来ていました。その少女は東京大空襲で親や兄弟を亡くした戦災孤児で、わたしの村にいた遠い親戚に養女として引き取られたと聞きました。わたしはそんな薄幸な少女への同情からか、いつしか心惹かれるようになったようです。恋というにはまだ幼く、ただ彼女に異性を意識しただけだったかもしれません。もちろん彼女に打ち明けることもありませんでした。その後、彼女は平凡な結婚をし2児をもうけましたが、がんに冒され30代で夭折しました。薄幸な少女は長じても薄幸なまま生涯を閉じたのです。この歌を聴くと、なぜか薄幸な彼女の少女の頃の寂しげな横顔が浮かび上がって来るのです。
投稿: ひろし | 2009年5月17日 (日) 00時24分
ひろしさんの何ともいえず苦しい切ないコメントに続けたくなりました。お許しください。
ほんとうに自分の経験でもそうですが、薄幸の人、不幸な人は沢山おられます。死・病・貧困など、人が生きていくに背負いたくないものは多いです。
自分の生き様を、もろ手をあげて満足し納得されている方はどれほどおられるのでしょう。あまりおられないのではないでしょうか。財を成した方は、余計に吝嗇になり、金儲けに走り人格まで変わっていくとのお話もよく聞かされます。人間なかなか、ほどほどにするということが難しいようです。
周辺を見渡して、困っている方々に少しでも助けとなるよう行動したいものです。
この月見草の花を聞くと
人間は、一人で生まれて死んでいく--でも、あなたのまわりには必ずあなたを見守ってくれている 人・もの・魂---暖かい心---があるんだよ。強がるな!!人は一人では生きれないんだ
助け合おう---といっているように思えるのです
調和のとれた、格差の小さいやさしい社会が、早くきてほしいものです。
投稿: 能勢の赤ひげ | 2009年5月17日 (日) 20時00分
私にとって『月見草の花』は、10余年前まで知られざる名曲でした。そして当時、キングレコード発売の「決定版 叙情歌」という一枚のCDによって、この歌を初めて知りました。一度聴いて掛け値なしに『良い歌だ ! 』と思いました。なお、歌っているのは土居裕子という人。澄んだ高音が魅力的で、同CD収録中の『春の唄』も彼女が歌っています。
このように人は幾つになっても、知らない「良いこと」がいっぱいありそうです。だからこそ「知る楽しみ」「知る喜び」が湧こうというもの。満60歳を迎えた昨今、私自身は『知的好奇心があるうちは大丈夫』と考えております。
能勢の赤ひげ様のおっしやるとおり、今は極端な格差社会が固定化しつつあるようです。だからこそ、夜咲く花・月見草を見るような優しい眼差しで、すべての人に平等な視点で接していきたいですね。
投稿: Lemuria | 2009年5月18日 (月) 18時56分
私は64歳で団塊の世代よりわずかに年長ですが、聞き覚えがある歌です。それにしても、能勢の赤ひげさまの不幸な人々へのやさしい同情心、そればかりでなく、日々実践しておられることに感銘を受けます。亡父も医者で、寝たきりの老人の往診をしていたのを思い出します。ご自分もどうぞお体に気をつけて長生きなさって下さいね。
投稿: Bianca | 2009年5月19日 (火) 18時32分
月見草とばかり思っていた「オオマツヨイグサ」は島根の山奥にもひっそりと咲いていました。
夏の夜のとばりがが降り始めた頃、今にも咲きそうな蕾を長い時間じっと見つめていたらポコッと微かに音がして咲いたあの静かな夜、家族で和んだ僅かなひと時・・・心にしっかりとネガが残っていて、何時聴いてもいい歌です。
ところで5/30~31の「第48回豊中市民さつき展」は大盛況で和気藹々の内に終わりましたが、ラジオで6/1の誕生日の花は“さつき”で花言葉は“協力”と言うことですが、この“さつき”の歌は無いのか私は知りません。
一本の木から数々の花芸(無地・絞り・低白・覆輪 等)をかもし出すコラボレーション究極の美を誇る“さつき”の歌をご存知の方は是非メロディと共に教えて下さい。
投稿: 尾谷 光紀 | 2009年6月 5日 (金) 23時17分
Lemuria様がコメントの中で推奨されていた、土居裕子さんの「月見草の花」を聴きました。掛け値なしで素晴しいです。もし天使の声が聞けるとしたら、多分彼女のような透明感のある、清純無垢な声だろうと確信しています。わたしは歌声から20~30代の若い女性を想像していましたが、失礼ながら実際はそれよりかなり年配だとわかりました。そのくらい若々しい、伸びやかな声の主です。その彼女が歌う「月見草の花」は、他の歌唱曲の中でも出色です。わたしの好きな歌ということもあるのでしょうが。その割には、この歌はあまり知られていないようで残念です。Lemuria様に感謝します。
投稿: ひろし | 2009年6月12日 (金) 23時25分
ひろし様。土居裕子さん、本当に素晴らしい歌声ですよね。今イギリスのスーザン・ボイルさんが「天使の歌声」と世界中の注目を浴びていますが、土居裕子さんは「日本の天使の歌声」といった感じがします。
ところで、ひろし様のコメント注目して読ませていただいております。以前のこの歌へのコメントをはじめ、一つ一つに含蓄があり、とても味わい深い内容だと思います。『うた物語』コメント仲間に加わっていただき、大変嬉しく存じます。今後とも楽しみに読ませていだきます。 (以上、月見草の咲く夜更けに)
投稿: Lemuria | 2009年6月13日 (土) 00時18分
月見草といえば、今をときめく野村克也監督がその昔“ONがひまわりなら、おれは月見草だ”とボヤいたとか聞きました。楽天の調子はいまいちのようですが、本屋には野村監督の本が次々と横積みされています。
詩歌には鑑賞用に改良された花は向かないのでしょうか。人の手が入っていない自然に咲いている花が多いような気がします。
投稿: 周坊 | 2009年6月14日 (日) 12時55分
Lemuria様
わたしの拙文に過分なおことばをいただき恐縮しています。それにしても、このサイトへのアクセス数が9年間で1600万になろうかというのはサプライズです。それだけ多くの方々が「歌」に自分の人生を重ね合わせているってことですね。人生の折々に「歌」と出会い、慰められ、励まされ、そして生きる力を与えられているんですね。驚異的なアクセス数は、もちろん二木様の素晴らしい演奏技術と魅力的な解説(ご本人は「蛇足」などと謙遜されていますが)に負うところが大きいのですが、「歌」のもつ偉大な力をも示しているように思います。そして、「歌」に寄せる方々のコメントが、また素晴らしいのです。「歌」を通して人生を共有し、共感できるからでしょうか。わたしも折にふれて、下手なコメントをさせていただきますが、よろしくお願いいたします。
投稿: ひろし | 2009年6月20日 (土) 15時53分
ひろし様
私はどちらかと申しますと、お世辞は苦手です。また時にストレートな物言いをしてしまうことも、ままあるようです。前の拙文では、そんな私からのひろし様ご文への率直な感想を述べさせていただきました。(もちろん他の方々のコメントも、「人に歴史あり」が滲み出てくるような味わい深いコメントが多く、興味深く読ませていただいております。)
『うた物語』のアクセス数、本当に桁外れの驚異的な数字ですね。以前どなたかが述べられましたように、「国民的ブログ」との思いを深く致します。驚異的アクセスの理由につきましては、ひろし様ご指摘のとおりかと存じます。
ただそれでも、『うた物語』をご存知ない方はまだまだおられることと思います。先ずお聴ききいただきたいのはご年配の方々です。しかし「歌」という「文化遺産」の継承という点では、20代、30代など幅広い年代の方々にも是非味わって聴いていただきたいと思います。全国津々浦々のご家庭で、今後さらに『うた物語』が聴かれ広がっていけば…と存じます。
こちらこそ、今後ともよろしくお願い申し上げます。
投稿: Lemuria | 2009年6月20日 (土) 22時03分
ハーモニカを吹いており、定期的に年配の方の集まりに呼ばれて演奏しています。その度に歌詞カードを作り皆で楽しく歌いあっています。そんな訳で二木先生のサイトにある、歌の解説や温かいお話を参考にさせていただいています。ある時この歌をリクエストされ、メロディに記憶があったので、早速明後日のメニューに入れるべく、アクセスしました。
赤ひげ先生のぼやき痛感します。その他皆さんの投稿も温かいです。この歌の力でしょうね。明後日も歌の後、そんな会話で賑わうと思います。其の結果は後でお知らせします。
投稿: 河本紀久雄 | 2009年8月16日 (日) 20時13分
おはようございます。先日、皆さんの温かい意見に感動しついつい、投稿し明日の歌の場で皆に歌わせると書いてしまいました。やりました。15人くらいの年配の女性達でしたが、この歌を知っていたのは2-3人で、で出しの声は悪かったのですが、三番では大半が歌ってくれました。メロディは優しいですからね。次回もやるから、覚えておいてと言い残してこの日の食事会を終りましたので、次回またやります。
この歌の持つ雰囲気、屹度理解してくれると思います。
かわもと
投稿: 河本紀久雄 | 2009年8月21日 (金) 08時40分
河本様 私は今69歳ですが、小さいころはこの歌を知りませんでした。中学の教科書にもう1つの『月見草』という歌が載っていました。文部省唱歌だと思います。
ですから、私より年配の方でしたらこの『月見草』の歌ならご存知かも知れませんね。勝田香月作詞 長谷川良夫作曲です。♪夕霧こめし草山に ほのかに咲きぬ黄なる花 都の友と去年(こぞ)の夏 手折り暮らしし思い出の 花よ花よ その名もゆかし月見草♪ 多分学校で習った方も居られると思います。私はこの『月見草』も好きです。
投稿: ハコベの花 | 2009年8月21日 (金) 19時28分
こんばんわ。
この歌は、おふくろが歌っていた「思い出の曲」です。
おふくろの故郷(秋田県、秋田市)に、毎年夏休みに行っていて(私が小学校3~4年の頃)、雄物川の河川敷に咲いた「月見草(正確には、オオマツヨイクサ)」を摘んで、私に聞かせてくれた曲。
現在、おふくろ73歳、私52歳、幸せに暮らしています。
この歌が、キングレコードからCDで出ている-----と、昨日、このサイトで知って、早速、買ってきました。聴いていて、思わず、涙が出てきました。
投稿: こうちゃん | 2009年11月26日 (木) 20時16分
この歌を私は知りませんでした。感激、感涙と絶賛のコメント読ませていただき、水をさすようで躊躇されますが、この歌の歌詞、「みかんの花咲く丘」にそっくりの気がしてなりません。「みかん・・」昭和21年、「月見草」24年の成立のようです。
最近NHKの「唐詩」番組で、「さよならだけが人生だ」という訳が井伏鱒二の名訳であると報じていました。私はそれが、太宰治の言葉と思っておりましたので驚きました。学生の頃読んだ太宰の書には引用の断りなど無かったように記憶しておりました。尤も友人によると、井伏鱒二以前にこの訳詩は存在していたという説もあると、と・・。
「花の命は短くて・・」というような有名句は一々作者の断りなど要らないのでしょうか・・?
森繁久弥作「知床旅情」の歌の出だしは~春はなのみの風の寒さや~の「早春賦」そっくりですから。
投稿: 広島 親 | 2009年11月28日 (土) 23時28分
広島親様
私もこのページで初めてこの歌を知って大好きになり、3歳の子どもによく歌って聞かせています。
広島さんのコメントを読むと、この歌は「みかんの花」にそっくりであり、そういうモノマネ歌に感動するのはおかしいといっているように聞こえるのですが、そういうことなんでしょうか。
私には、「みかんの花」との共通点は丘から海と舟を見ているという点だけで、歌詞全体の雰囲気も曲調も全然違うように思えるのですが……。
投稿: つきみそう | 2009年11月29日 (日) 12時39分
素晴しい曲で私も大好きです。
作詞の山川清氏は、キングレコードの童謡ディレクターの山田律夫氏のペンネームです。1947年にキングレコードでも「みかんの花咲く丘」をレコード化しておりますので、頭の中にはあったと思われますが、全く別物に出来上がっていると思います。何よりも山本雅之氏の曲にピッタリと曲想が合っていて素晴しいです。
「森の小人」を見ていただくと分かりますが、私は、メロディーの方が先に出来ていて、山川氏がうまく詞を付けたのではないかと、思っております。
投稿: 飯田 | 2009年12月 1日 (火) 16時00分
ハコベの花様
日本の名歌として昭和10年3月に発表されたもうひとつの「月見草」もいい歌ですね。
2 月かげ白く風ゆらぎ ほのかに咲きぬ黄なる花
都にいます思い出の 友におくらんにおいこめ
花よ花よその名もいとし月見草
風清くたもと軽し 友よ友よ来たれ丘に
静けくも月見草 花咲きぬ
この歌の主人公は男性でしょうか?そして友も? もし女性なら“君”“かの人”“あの人”などでは当時ノウでしたのでしょうか?
作詞された方の背景や思いをめぐらせば「慕情」という言葉が浮かんできますが・・・。そして私も69歳です。
投稿: 尾谷 光紀 | 2009年12月 3日 (木) 22時48分
尾谷様
「月見草」の歌、知っている方が居られて嬉しいです。風清くたもと軽しですから、浴衣の少女でしょうね。こぞの夏遊んだ友も13,4歳の少女を連想します。この歌には思い出があります。
高校1年生の初夏、クラスメイト6,7人(美少女ばかり?)と天竜川の河口にある灯台まで遊びに行く予定でした。天竜の川原を歩いている時、初めて月見草を見ました。残念な事に雨が降り出し、急遽市街地に戻り、めったに入れない封切館で「エデンの東」を観たのです。この日が私の青春の入り口の日であったと思います。月見草を見ると「エデンの東」を思い出します。
投稿: ハコベの花 | 2009年12月 4日 (金) 11時40分
昭和20年、私が生まれて間も無く、実家は空襲で全焼しました。レコードも何もかも焼失しました。
二、三歳から覚え始めた童謡は、(父母から教わったものもありますが)主にラジオから吸収したのだと思います。
あの頃によい童謡が沢山聴けたことを、そして年老いて再び、二木先生のサイトで聴けることをとても幸せに思っております。
「みかんの花咲く丘」「里の秋」を歌ったのは川田正子さんと記憶しておりますが、「月見草の花」はどなただったのでしょう…?
記憶する限りの童謡歌手のお名前を並べてみても確信が持てません。
どなたかご存じの方、お知らせいただけましたら幸いに存じます。
投稿: nobara | 2009年12月 6日 (日) 15時37分
nobara様
私も戦後は毎日童謡を聴いて過ごしていました。「月見草の花」は戦時童謡を歌っていた中根庸子と言う人のようです。コロンビアから昔のままのCDが出ています。私もこの人は知りませんでした。中根庸子で検索すると写真も入っています。
投稿: ハコベの花 | 2009年12月 6日 (日) 20時59分
ハコベの花様
中根庸子さんのお名前は今まで知りませんでした。
これから検索してみます。
早速お知らせ下さいまして、本当にありがとうございます。
投稿: nobara | 2009年12月 7日 (月) 09時36分
初録音は中根庸子さんです。彼女が多分7,8歳ごろではないでしょうか。
この歌の録音はたくさんあり、手元に土井裕子さんやら情勢合唱団、川田正子さん(晩年)などがありますが、中根庸子さんのが群を抜いて優れていると思います。
録音年が昭和24年なので音質やら録音やらには難がありますが、多分作詞作曲の両者も中根さんの歌唱に直接指導があったのではないでしょうか。その哀切感のこもった歌唱(伴奏も含めて)は特筆ものです。
単なる童謡がどうしてこんなに悲しく、切なく胸を打つのか、驚くばかりです。
終戦間もない頃の歌ですから、たぶんひろし様の投稿にあるような背景を連想せずにはおれないのでしょうね。
ところで、この歌は、終戦直後に大ヒットした「みかんの花咲く丘」を強く意識した詩だと私は思っています。
花咲く丘、思い出・懐かしの丘、独りできた丘、ボーッとなる汽笛、はるかに見える海、お船はどこへいくのしょう、などなど、多くのフレーズが共通しています。リズムもワルツです(みかんは正確には6拍子)。みかんが長調なのに対し、月見草は短調ですが、いずれも戦争で家族を亡くした孤高の少女を思わせる歌詞であることも共通しています。
この辺の経緯に詳しい方はおられないのでしょうかしら?
投稿: sakula | 2010年1月14日 (木) 18時21分
昭和20年代に少女期を過ごした者にとっては少女小説が最大の娯楽ではなかったでしょうか。少女クラブ、少女サロン、少女の友、など等の雑誌にはいつも、お母様は病気で死んでしまい、一人ぼっちになった少女が寂しさに耐えているとか、継母にいじめられたり、反対に可愛がられて幸せになるという筋書きの物語が載っていました。どれ程の少女が涙を流した事でしょうか。
吉屋信子の少女小説も三益愛子の母物映画も全盛期でした。「月見草の花」が作られた背景はわかりませんが、その当時の少女はこんな可哀想な歌や小説が大好きだったのです。戦災で焼け出され日本中が貧しかった時代の話です。
投稿: ハコベの花 | 2010年1月14日 (木) 20時56分
こんばんは。
中根庸子の「月見草の花(昭和24年発表)」、昨日、入手いたしました。SP盤特有の針音に乗せて、かわいい?中根庸子のうたが聞こえてきました。
コロムビアファミリークラブの通信販売(ネット)で入手しました。1995年発売の「甦る童謡歌手大全集(CD10枚組み)」ですが、まだ入手できますよ!この全集は、大正時代録音のものから、芹洋子の「思い出のアルバム」まで、発表された頃のオリジナル音源から復刻された、貴重な音源です。
この全集に収録されている、古賀さと子の「小鹿のバンビ(昭和27年発表)」は、出だしの部分しか知らなかったのですが、全部を聴いて、思わず感激の涙が溢れてきました。なんとゆう、いい歌なんだ!!!
皆さん、是非、「甦る童謡歌手大全集(CD10枚組み)」を聴いてみてください!!!
投稿: こうちゃん | 2010年2月 6日 (土) 20時53分
二木先生、いつも勝手に?お世話になっています。
曲にまつわる話題などは活動に多いに活用させていただいています。お礼が遅れました、お詫びします。
ハーモニカのボランティアを始めて、かれこれ5年になります。レパートリを増やしたい時、先生のサイトを参考にさせていただきまして、足跡は残さずに去っています。m(__)m
「月見草の花」は曲名だけを1ケ月程前、私のハーモニカの先生から知りました。あまり気にかけていなかったのですが、5月に私の所属するフォークダンス・サークルのバス旅行で唄う曲のセレクトを行っている時に思い出し、早速先生のサイトを訪問させていただきました。
なんとこの曲は私の記憶にある旋律で震えがきました。
「・・夢のお花の月見草・・」のフレーズ部分が怪しかったのですが、すぐハーモニカで吹くことができました。
何時、どんような形でインプットされたかは定かではありませんが、2歳上の姉がおりましたので、「はこべの花」様のような環境で、昭和20年代の少女趣味的な部分は共鳴していたかもしれません。(^^♪
さてさて、来るバス旅行での40数名ほどの妙齢?の女性の反応はいかに・・・・どんな合唱になるでしょうか?また報告させていただきます。
ではでは、本日は二木先生に感謝しながら去らさせていただきます。ごめん下さい。
投稿: 摩夢多路 | 2010年3月29日 (月) 11時39分
幼い頃、夏になると、両親に連れられて、毎年のように母方の田舎の丹後半島の町へ行っていました。
(野村監督の故郷でもあります)
そこで、この歌にそっくりの光景を目にした気がします。
月見草の群れを見ただけなのかも知れませんが、この歌の記憶と重なって、幻のように心に焼き付いています。
海辺のその町の海岸は、嵐の去った後など、桜貝のカケラで覆われ、ピンク一色でした。
どなたの歌も素晴らしいのですが、私にとってのこの歌のテンポ感は、もっとゆったりしたものでした。
(二木先生、申し訳ございません)
最近、You Tubeで山崎ハコさんの歌を聴いて、やっと自分の心にピッタリの世界に出会えた思いです。
投稿: ハープ弾き | 2010年4月 3日 (土) 22時47分
80老です。前頭葉の一部分の劣化もあるでしょうがこの歌を聴くと涙腺の刺激に歯止めがかからないのです。10数年前家内の救急入院で、途方に暮れてた病室の窓から丘を眺めていた時、何故か突然この歌が咽喉の奥からこみ上げてきました。教科書からいなむらの火が消えて2年後の作ということですが、当時旧制高から新制大への移行期で受験で頭いっぱいの時期だったので童謡を習う余裕はなかったはずですが。その家内も今はなく、牛飼い・左千夫の愛したその丘からは好天に恵まれない限り海は見えませんし、足もとに咲くのはオオマツヨイグサです。ちなみに若い時教員室で一緒だった里の秋の斎藤信夫さんが生前その近くにお住まいだったことを最近知り、柔和な人柄を思い出しホッとしています。
投稿: 虚生 | 2010年4月 5日 (月) 10時52分
いい歌ですね~ 明日6月29日の「歌の出前」(60回目)で、地域のデイサービスセンターのご利用者の皆さんと一緒に、「月見草の花」他30曲を歌います。
投稿: 三澤 洸 | 2010年6月28日 (月) 16時34分
その後、ハコベの花様や皆様のコメントから、中根庸子さんのこと、コロムビアから出ていると言う全集なども検索していましたが、これは試聴は出来ないのですね……。
現実的なことを言って恐縮ですが、全集となると、私にとってはとても高価ですし、もう少し検索を続けてみたいと思います。
情報を下さいました皆様、ありがとうございました。
お礼を申し上げるのが遅れましたこと、お詫び申し上げます。
投稿: nobara | 2010年9月14日 (火) 10時01分
男の方たちにこの歌のファンが多いのに驚いています。「花蔭」もそうですね。繊細で壊れそうなかぼそい少女への憧れでしょうか。純粋でやさしいパステルカラーのような短い少女期、女性にとってももう一度戻ってみたい年頃です。岡本敦郎に「美しい乙女」という歌があります。江間章子作詞、高木東六作曲です。ラジオ歌謡だったようです。聴いていると遠い昔の自分に戻るような気がします。今、テレビに出ているきつい化粧の少女をみると、月見草の花を見て涙する少女に出会ってみたくなります。
投稿: ハコベの花 | 2010年9月14日 (火) 21時27分
この歌や花かげにひかれるのは、哀調を帯びた叙情的なメロディーのためではないでしょうか。勿論歌詞もすばらしいとおもいます。
nobaraっさんもハコベの花さんも素敵な文章を書かれますね。毎回楽しみにしています。
投稿: y.y | 2010年9月15日 (水) 12時00分
一年ぶりにこのサイトに戻りました。昨年8月にハモニカでこの曲を演奏した時の、年配の方々の感激の声をお届けしました。もっと雰囲気を作りたかったので、仲間で編成しているハモニカバンド用として四重奏に編曲し練習に入りました。来月の文化祭の舞台で披露する予定でいます。
本当に良い曲で、練習しながらも幼い頃に見た月夜に映える黄金色の花を思い出します。満員の(?)聴衆にこの気持が伝われば嬉しい限りです。
投稿: 河本紀久雄 | 2010年9月28日 (火) 22時02分
ハコベの花様
「月見草の花」も「月見草」も「花かげ」もそして「美しい乙女」も本当に心が安らぐいい歌ですね。
「美しい乙女」は初めと終わりくらいしかメロディは覚えていませんが、確か3/4拍子で1昨年亡くなられた石井好子さんの歌声が脳裏に微かに残ってようですが、それと「花の街」「夏の思い出」の江間章子さん作詞ではなかったかと・・・思い違いでしょうか?
そしてあの頃の乙女たち(あなたも)や少年たち(私も)や情景はどこに行ったのか、美しいまぼろしだったような気がしますし、初めの3曲とも文化庁が‘07年に発表した『日本の歌百選』に漏れているのがとても残念です。
先日〔おおまつよいぐさ〕の苗が島根の実家から届き鉢植えにしました。夏が楽しみです。
北米産と謂われる本当の〔月見草〕は日本では絶滅したとのことですが、もし現存していたら教えて下さい。
投稿: 尾谷光紀 | 2011年4月26日 (火) 23時29分
実家の庭に「「オオマツヨイグサ」の花が沢山咲いていました。
「月見草」で検索したら“本当の月見草”がありましたが、
お店なのでアドレスは控えます。
「月見草」のmidiがありました。
http://bunbun.boo.jp/okera/w_shouka/s_kokumin/ks2_tukimisou.htm
投稿: なち | 2011年4月27日 (水) 08時32分
尾谷様
「美しい乙女」の石井好子の声を聴いておられたのですね。私はこの歌を10年ぐらい前まで全く知りませんでした。岡本敦郎のCDを買って始めて知りました。昔の少年、少女の憧れを歌った歌ですね。江間章子作詞です。私は野球には全く関心がないのですが、斎藤祐樹選手を見たとき「少年クラブ」の表紙の少年だと思いました。兄が少年クラブを取って居りましたので、毎月少年小説を読んでおりました。「白球空に飛ぶ」なんて題名を覚えております。青田、別所の友情物語などもありました。あの少年たちは今も夢の中に存在していると思っています。美しい乙女も夢の中です。ショウマツヨイグサが近くの川の土手に沢山咲いています。夢色の花ですね。月見草の花を小さい声で歌いながら土手を歩きます。しばし少女に戻ります。歌は良いものですね。美少年だった時の皆さんにお会いしたいものです。
投稿: ハコベの花 | 2011年4月27日 (水) 20時09分
なち様
月見草は絶滅したと俳句の先生が言っておられましたが、現存していたのですね。少し感動しました。
早速「本当の月見草」を1年ものと2年ものを注文しましたが全部売り切れていて、来年3月中には届けるそうです。
1~2年後、本当の月見草が家族になり花と出会えた時の感動は・・・と思うとワクワクします。
いつもご教示いただきだんだん(ありがとう)。
ところでご実家はどちらでしょうか?
ハコベの花様
遠いとおい日、ふるさとの野・山・川を男や女の友と走り遊んだメルヘンのようなシーンをより鮮明に思い出す為に、実家近くの36度の清酒『珠The蔵』を冨本憲吉の染付け湯のみに半分入れて飲みながら、「月見草の花」「花かげ」「白い花の咲く頃」「山のけむり」「恋を呼ぶ歌」「草山に」「山のかなたに」「朧月夜」「初恋」「谷間の灯」「Autumn Leaves」(マイルス・デビス、ジョン・コルトレーン)etc.を聴きながら眠ればあの頃の夢が見れるかもと・・・。
こんなに勝手なことを言って心を癒されるこのプログの二木先生、本当にありがとうございます。
明日もまたボランティア頑張ります。
投稿: 尾谷光紀 | 2011年4月28日 (木) 00時24分
おっ!間違ってました。
ジョン・コルトレーン⇒キャノンボール・アダレイで、「`Round About Midnight」がマイルスとコルトレーンでした。
残念ながら夢の方は、島根出身で7~20年前働いていた頃の5~6名の方たちばかりで、場所は知らない里山や川や社員旅行のホテルのような所でした。おかしいですね。
投稿: 尾谷 光紀 | 2011年4月28日 (木) 07時19分
なちさん & ハコベの花さん
いろいろと情報ありがとうございました。
注文していた「ホントウの月見草」(北米産)の小・中苗9株が予定より早く今日届きました。早速鉢に植え替えましたが今夏に咲くかどうか?
咲くと言えば・・・先輩の方々から受け継ぎやっと迎えた『50周年記念豊中市民さつき展』は5/28~29に華やかに開催し和気藹藹の内に終わることが出来ました。
開催時の10時、中央公民館の玄関前に職員・当会役員が東へ向かって並び、東日本大震災で亡くなられた多くの方々のご冥福と安全で一日も早い再生を願い、喜多村専任講師が山伏装束で法螺貝とそして皆で黙祷をしました。(さつき展の様子は月刊誌「さつき研究」に掲載される予定です。)
私事、阪神大震災では屋根・壁等の被害程度で現在地へ引越しましたが、すべて無くされた方々の心情は・・・と思うと居ても立っても居られない悔しさと国の対応にイラつく日々です。
世界が見守っています。頑張って下さい!
このような思いを綴れるのも二木先生のこのプログの「月見草の花」に出会えてそして皆さんの友情のお陰、とても感謝しています。
投稿: 尾谷光紀 おたにこうき | 2011年6月10日 (金) 23時55分
尾谷さん、
月見草の苗が早く届いたのですね。
真っ白な月見草の花、咲くのが楽しみですね。
神戸に住んでおられたのですか。
従兄妹(伯母)の菅原道りは丸焼けになってしまいました。
今回の地震でも、一本残った松島の松の木が心配ですね。
倒れても花を咲かせた桜、生きていたメダカたち・・
神戸からの向日葵も大きく育っているのでしょうね。
投稿: なち | 2011年6月11日 (土) 07時19分
なちさん
1980年ごろに豊中市走井(大阪空港すぐ横)に、2003年に山ノ上町の現在地にに引っ越しました。
『月見草』の報告が遅れました。9株の内のおませな1株が16日の雨の日の17:30頃にコンサートの練習から帰宅したら咲いていました。苗の高さは20cm程で花の直径6cm真っ白い4弁に縦エンボス(皺)があり、23:20現在そのままでした。
初めての出会いで超感動!早速カメラに収めプリントアウト、両方を眺めながら子どものようにルンルン気分で・・・不東(細川護熙)作の「刷毛目酒盃」に頂き物の「大七純米生(きもと)」を注ぎ4~5杯。
翌日5:40にはかなり赤くなってやや萎んでいましが隣の1株も17:10開花し以後前株同様でした。
可憐な白い一夜だけの花の儚さに“げんかつぎ”のせいかもわかりませんが、次第に敬遠し絶滅状態になったのではとも推測されます。仮説を含めてご存知の方は教えて下さい。
投稿: 尾谷光紀 | 2011年6月16日 (木) 22時59分
7株も買われたのですか。低くても咲くのですね。
子供の頃、オオマツヨイグサが咲くのを、
傍で楽しみに待っていたのを思い出しました。
説明書は付いていましたか?
毎年種を採取して栽培しないと難しいようです。
育てておられる方のブログがあります。
「本物の月見草を絶望から守る会」へ行ってください。
http://blog.goo.ne.jp/gauche7/e/f3f6a3f9ff01d68b1729c3015b45064b
前記の一本松は、松島でなく“高田松原”でした。
投稿: なち | 2011年6月17日 (金) 07時04分
「本物の月見草を絶滅から守る会」で育成のノウ・ハウを知り種蒔きは4~5月とのことでしたが、とても待ちきれず試しに今朝2鞘を蒔きました。
今年~来年には本当にお好きな方にお配りして本物の月見草の花に出会ったあの感動をと、お上げする嬉しさにオジンなりに時めいています。
このプログ&なちさん&P.F(昔:ペン、今プログ・フレンド)の方々!だんだん!おおきに!
投稿: 尾谷光紀 | 2011年8月 4日 (木) 10時05分
尾谷様 白い月見草ご覧になれて良かったですね。、白くやわらかな花びらに遠い日の清らかな恋を思い出されていたのでしょうか。私は白い花をみると初恋を思い出します。その人と出会った時、白い山茶花やデージーの白い花が咲いていたからです。月見草だったらもっとロマンチックだったのではないかと残念に思います。最も見詰めるだけでお話しもしなかった恋でしたが、いつか白い月見草に出会えたらその人にも出会えるかもしれませんね。今夜はその人を思い出しながら白い月でも眺めることにします。尾谷さんの様にお酒が飲めなくて残念です。
投稿: ハコベの花 | 2011年8月 7日 (日) 17時59分
作曲の山本雅之氏は、北海道では「子供盆踊り唄」の作曲者として超有名だそうです。長野県の「信濃の国」同様、道産子で「子供・・・」を知らない人はいないようで、“山本雅之氏は童謡「森の小人」の作曲者でもあるんだよ”というと“えっ”と驚くそうです。
このサイトのアクセス解析は現在故障中ですが、以前見た時、この「月見草の花」はかなり上位にありましたので、この美しい歌が道産子諸氏の間で、“山本雅之氏は「月見草の花」の作曲者でもあるんだ”、と下記のサイトにも当然のことと書かれるようになるといいですね。
「子供盆踊り唄」オフィシャルサイト
http://kodomobonodoriuta.kirara.st/hokkaido/
投稿: 飯田 | 2011年10月15日 (土) 10時46分
なち様
4月に「月見草」のmidiを入れて下さっていたのですね。うっかり見落としておりました。中学2年生の時に学校で習ったと思います。とても懐かしく聴かせていただきました。有難う御座いました。近くの土手にまだ月見草が咲いていたのですが、今日は雑草と一緒にきれいに刈り取られておりました。ちょっと淋しい思いをしております。
投稿: ハコベの花 | 2011年10月15日 (土) 22時00分
知らない曲を調べなくてはならない時、とても便利に
訪問させていただいております。
さて「月見草の花」、メロディーは「あざみの歌」を思い出し、歌詞は「みかんの花咲く丘」を連想させます。
何かしら影響を受けているのでしょうか。
いずれも戦後から立ち直っていく過程にある歌ですね。
投稿: 歌のおねえさん | 2012年1月25日 (水) 17時29分
一週間ほど前から当家の庭の月見草が咲いています。最近咲きだすのが早くなったような気がしますが、天候の影響でしょうか、それとも金環日蝕のため?(^0^)
投稿: 飯田 | 2012年5月27日 (日) 00時33分
尾谷様
「さつきの歌」探して居られましたが、今日アマゾンの宣伝の中に「さつきの歌」を見つけました。「藤山一郎とその時代 歌がうつくしかった」五郎部俊郎という人が歌っています。藤山一郎が昔歌った歌のようです。少しですが、視聴ができます。アマゾンで検索してみてください。
投稿: ハコベの花 | 2012年6月14日 (木) 16時05分
ハコベの花、尾谷、なちの皆様へ
「月見草」の合唱曲をYouTubeで聴くことができます。URLを書いておきますので、アクセスしてみてください。
http://www.youtube.com/watch? v=XpPGBWBApsM&feature=plcp
投稿: KeiichiKoda | 2012年6月15日 (金) 13時45分
上の「月見草」への追記です。上のURLはなぜかうまくいかないようです、以下のURLをクリックしてみてください。
http://www.youtube.com/watch?v=XpPGBWBApsM&feature=plcp
投稿: KeiichiKoda | 2012年6月15日 (金) 14時00分
なちさん・ハコベの花さん・KeiichiKodaさん!
昨年6/10入手して白い本当の月見草が咲きその種を8/4に蒔いたものが2週間前からぼつぼつ咲き始めましたのでご報告します。
「さつきの歌」ありましたか!(感動!) 早速開いて五郎部俊朗氏の歌
思いがけない友達が あの丘のあの道を
たずねて来るような さつきのひざし
青葉の道は・・・
を聴きました。 作詞・作曲はどなたでしょうか?
5/31・A.Saxプレヤーの矢野沙織嬢のライブの休憩時間に、一本の木から数種類の花の色(花芸)のDNAを秘めたさつきの写真や資料を渡して、「さつき(SATUKI)」の曲の作曲を彼女と旦那にお願いしました。
「尾谷光紀」を開いて「ロイヤルホース~」→1/23のアンコール「ウイスキーがお好きでしょ」が観られると思いますので。
みなさん 二木先生 このブログでの心の友情ありがとうございます。今後共ご教示下さい。
投稿: 尾谷光紀 | 2012年6月18日 (月) 22時14分
「さつきの歌」作詞藤浦洸 : 作曲 唄 藤山一郎
「決定盤 藤山一郎全集 (上) ~栄光の軌跡~」
「藤山一郎大全集 1/春の野、山の祭」
他のCDにあるようです。
月見草を育てるのは難しいようですが、
種を採ってよく育てられましたね。
色々とご活躍のようですね。
他のページも見て来ましたよ。
投稿: なち | 2012年6月18日 (月) 22時57分
尾谷様
どうも私の早とちりのようです。さつきは花ではなく、五月の皐月のことのようですね。歌詞をちゃんと確かめもせず花のさつきと思い込んでしまいました。申し訳ありません。あわて者なので始終間違いをしております。お許しください。でも失敗の記念にこのCD買おうかと思っています。
keiichikoda様、月見草、聴きました。中学生に戻ったような気分になりました。有難うございました。
投稿: ハコベの花 | 2012年6月18日 (月) 23時44分
月見草といえば、若いころ(高校時代)に見た「月見草」という松竹映画を思い出します。清川信吾、山本豊三、十朱幸代といった人たちが共演した青春映画です。インターネットで調べてみると、1959年の作で、大島渚が脚本を書いていますね。どなたか、この映画をご覧になった方がおられるでしょうか?映画の中では清川と十朱が恋仲で、二人が逢引をするとき、私の記憶に間違いないかぎり、合図にクラシック音楽のレコードを流しますが、この合図に使ったクラシック音楽の曲名は何だったのだろうか、とずっと気になっていたのです。
投稿: KeiichiKoda | 2012年6月22日 (金) 15時23分
昨年入手した本当の白い月見草は、6月早々から咲き始め今日の10/7も咲きました。
鉢植えのものより昨年敷き石の隙間ににこぼれたもののほうが茎も太く花も長く咲き続けるようです。
9/23:水戸植物公園西川園長出演・NHK趣味の園芸「夜咲く花・名月とともに」では月見草は放映されなかったので、お聞きして来年は是非作りたいとのことで種子をお送りしました。
季節毎に花群とデザインを変えるとのことで、そのどこかの隅にでもと心ひそかに願っています。
投稿: 尾谷光紀 | 2012年10月 7日 (日) 21時58分
昭和24年、この歌は私5歳の時全く知りませんでした。歌は知らなくとも、歌詞を見ながら曲をなぞるように歌っている内に、何故か涙が出てきました。やはり加齢のせいでしょうか。
心の歌、宝物として老骨に鞭打って是非覚えます。ありがとう御座いました。これからも素晴らしい歌を、よろしくお願いします。
投稿: 赤城山 | 2013年4月27日 (土) 17時21分
なちさん、ハコベの花さん、KeiichiKodaさま、
軒下の昨年咲いた鉢植えの月見草が4/29から咲き始め、今は敷石の隙間等で越冬したものなど毎夜15~20花咲いています。
病気や虫にも強く殆どほったらかし状態で花が散ればキッチリ種が出来るこの花が、日本では何故絶滅(?)したのか?
月見草関連の歌がお好きで興味ある方に苗や種を差し上げたいのですが・・・Facebookで探しても・・・無理かなァ。
投稿: 尾谷光紀 | 2013年5月21日 (火) 22時43分
尾谷さま
サツキ=サツキツツジという説がありますね。
それで、ツツジの歌をさがしましたら、ありました。
「つつじの花びら」です。
これは東京経済大学の学生歌なのだそうです。
ボニージャックスの合唱がyoutubeにありますよ。
お好きはどうかはわかりませんが…。
投稿: 匿名 | 2013年5月22日 (水) 00時03分
尾谷様へ
私たちも最近新しい家に越したので、庭に月見草の花がほしいと家内と話していたところでした。月見草にもたくさんの種類があるようですが、尾谷さまが育てておられる月見草の花はこの画像(↓)中にはあるでしょうか?種・苗木をいただくのが無理だとすれば、せめてそれで鑑賞させていただきます!
http://images.google.co.jp/search?sourceid=navclient&ie=UTF-8&hl=ja&rlz=1T4DBJP_jaJP263JP263&q=%e6%9c%88%e8%a6%8b%e8%8d%89%e3%80%80%e7%94%bb%e5%83%8f&biw=1024&bih=535&sei=hvCbUZvkJoHorQe1w4CwBg&tbm=isch
投稿: KeiichiKoda | 2013年5月22日 (水) 07時47分
尾谷様 お心遣い有難うございます。白い月見草優雅でしょうね。我が家では桃色の月見草が可憐にさいています。私もFaceBookに登録はしてありますが殆ど使っておりません。尾谷さんのフェイスブックに月見草のお写真を載せて頂ければ幸せに思います。楽しみにしておりますのでどうかよろしくお願いいたします。
投稿: ハコベの花 | 2013年5月22日 (水) 13時32分
尾谷さん、
こぼれた種から自然に花を咲かすなんて、
育て易いと言うか、土が合っているのでしょうかね。
実家から色んな花を持って帰ったのですが、
消滅した花が沢山あります。
♪花は散っても実は残る
その実がこぼれて花が咲く・・
投稿: なち | 2013年5月22日 (水) 21時02分
匿名様
力強い歌「つつじの花びら」初めて試聴しました。東京経大?旧制浦和高校?の寮歌・・・5番までありました。
「つつじ」と「さつき」の違いはいろいろありますが、一般的に「つつじ」は春新芽が出る前に花が咲き「さつき」は新芽が出てから花が咲くということで区別されています。
「さつき」は毎年各地で交配され数年後に一定の条件の下で日本さつき協会により名前の認定を受けます。過去の人気品種で耳かきの軸の太さと長さ20cmほどのもので1~数万円のものもありました。
「さつき」は1本の木から白無地・赤や紫の絞り・吹っかけしぼり・底白・色無地・覆輪等12以上の花芸を醸しだすDNAを秘めているのが最大の魅力です。
投稿: 尾谷光紀 | 2013年5月22日 (水) 22時08分
KeiichiKoda様 ハコベの花さん なちさん
凄い数の月見草の写真拝見致しました。
このブログの‘11.4.26~6.16の経緯で「本当の月見草」だと今は信じております。
FaceBookは文章がやっとで他のことも含めて写真を載せたいのですが未熟にてその内に必ず載せます。
植物は花が咲き種をつくりそして子孫を残す・・・その生命力の強さ・・・月見草も頑張っています。
出会ったこともない方々との心の繋がりは、とても嬉しく愛おしく・・・《二木紘三のうた物語》 に カンパ~イ!
投稿: 尾谷光紀 | 2013年5月22日 (水) 22時44分
尾谷さま
大切にしていらっしゃる「さつき」について、なんの知識もない私が軽率なことを申しましてお詫びいたします。
以前に、さつきの歌を探していらっしゃることを知り、その時に「そういえばツツジの歌も聞いたことがない…」と思いました。私は白ツツジに思い出があるものですから、検索して「つつじの花びら」を見つけ、北大寮歌のメロディーがこの歌に使われていることにも興味を持ち、つい軽率に投稿をいたしました。
けっして他意があってのことではありません。
白花の月見草は、日本の土には合わなかったのでは…という話を聞いたことがあります。尾谷さんはお上手に咲かせていらして、素晴らしいことですね。
投稿: 匿名 | 2013年5月22日 (水) 23時48分
匿名様
久しぶりにこのページを開いて貴女のお気遣いを知り私の方こそ申し訳ない気持ちと嬉しさで一杯です。
近年家族になった月見草は月を恋しているのか空を仰ぎ毎晩咲いて、2週間後にはやや茶色になった種の塊が割れてこぼれてさらに2週間後には可愛い芽が「忘れないで!」というようにそこら一面に芽生えてきます。
雑草のように種族の継続力というかある種の怨念にも似た生命力・・・人を拒否するように夜空に向かって咲く儚く白い一夜花・・・私が勝手に思う哀れさ故に愛しい思いが月見草に魅せられたのではと・・・。
ぼぅ~と原節子(さん)が浮んできます。
「月見草の花」に関して作詞作曲者を初めこのブログや情報等々届けて下さいました全ての方々に心から感謝致します。
尚、月見草の写真を6月にface bookに投稿しました。ハコベの花さんコメント有り難うございました。
投稿: 尾谷光紀 | 2013年7月11日 (木) 10時39分
月見草の花 とてもよい歌詞と旋律に恵まれ涙もろく成る歌ですね
子供の頃からおぼれげながら聞いたことはありますが、この曲が
あの月見草を歌ったものとは、始めて知りました。
というのも今は廃線になりましたが、家のすぐ西側を蒸気機関車の
駿遠線が走っていて、上新田から大井川の丁度真ん中当たりの
線路にいっぱい咲いていました。変な言い伝えがあって、この花を
お母さんに見せたらお母さんが死んでしまうというのもで終戦直後
位だったと記憶してます。夕方は咲き始めで綺麗ですが、次の日は
しぼんでだんだん茶色になり殻が幾つも付いて、歌からはちょっと
想像出来ない姿に、なります 。皆さんの投稿をみると過大評価して
いらしゃるので一言 あくまでもメロディ&歌詞が良いので、
惑わされています。他にも野に咲く花で可憐で綺麗な花は一杯
あります。例えば...蓮華とか...さやえんどうの花...名もない花でも
月見草の様な良い曲になれば 皆さんの注目を浴びられたのに
人の人生と同じですね。あの頃が懐かしいです。月見草を絶対に
お母さんに見せたくなかった少女の頃 あれから70年このブログを
見つけたおかげで、有り難うございました。
投稿: 勿忘草 | 2014年12月 1日 (月) 22時34分
二木先生、いつもありがとうございます。
昨年亡くなった妻を偲んで歌を作っていたら、この歌のメロディーになってしまいました。作詞や作曲の先生には申し訳ないのですが、今の私の気持に合っているようなので、ご紹介します。
いとしの妻へ
1 いとしの妻よ今いずこ
遠い御国へ旅立ちて
夢の花園たどるらん
懐かしぼくを想うらん
2 思えば過ぎし五十年
照る日曇る日変りなく
共に歩みしあの日々は
苦節の中に輝けり
3 いずれはぼくも旅支度
君の御許へ参るらん
神のお召が下るまで
健気に今日も生きて行く
投稿: 沢口みつを | 2015年3月13日 (金) 15時20分
二木 先生へ
昨夜は、我が愛する広島カープの不甲斐ない負け方に興奮冷めやらず、先生の歌物語を開き、かたっぱしから大好きな叙情歌を口ずさみながら聞きまくり、みなさんの素晴らしい感動的なコメントに癒され、涙したり、微笑んだり、そうそう!と、頷いたりして気がつけば夜中の2時ぎ…。それから辛抱たまらなくなり「山のけむり」でコメントの書き込みをして興奮もおさまり3時半に寝床に入りましたが、月見草の歌と能勢のあかひげさんのコメントがいつまでも去来してなかなか寝付けませんでした。今朝の産経新聞の文化欄に、私の大好きな五木寛之さんが「青春の門 完結編⑧」に挑戦する旨の記事が掲載されていました。筑豊編~風雲編(前半)まで貪るように読み続けた青春の軌跡が、まだ途絶えることもなく
延々と続いていく喜びでしゃんと目がさめました。
『五木さんはこんな結末を構想しているという。漂流を続けた信介が29才で筑豊に戻り、閉山で荒廃した故郷をボタ山の上から眺める。そして自分の青春が終わったことを実感するー。それは日本という国の青春の終焉とも重なる。』産経新聞文化欄より
「遠望する青春の門」 いくらこの年になっても青春へのあこがれは絶えることはありません。
はじめてのコメントにしては、だらだらし過ぎました。
お許し下さい。
投稿: あこがれ | 2016年10月28日 (金) 12時55分
あこがれさま ありがとうございました。
この曲を聴いて、今から2年ほど前に二木先生のこのサイトと出会い、初めてコメントを投稿したのもこの曲がきっかけでした。
私が現職時代(独身の頃)、職場の登山部に在籍の頃、毎年1回職員及び家族・知人などに呼びかけをし、周辺の山々の日帰りのハイキングツアーを実施していました。
多い時で貸し切りバスで7台を超える時もあり、子ともから大人まで多くの方に参加を戴きました。
車中でガイドさんが観光案内の途中で、この曲「月見草の花」を唄われました。
初めて聞く曲でしたが、しっとりとした心温まるような歌声に心を奪われた記憶があります。
いまだに、ガイドさんの優しい歌声が耳元に残っています。
それにしても、詩・曲とも息の合った逸品と思います。
いつもながら、二木楽団の演奏には絶賛をお送りしたいと思います。
投稿: 一章 | 2016年10月29日 (土) 01時02分
一章 様
初めてコメントを投稿するのに随分時間がかかりました
。ラジオ歌謡全盛の時代から、これら名曲の背景にひっそりと偲ばれる感情やロマンを受けとめながら耳を傾けたり、歌い続けてきた青春があり、それら1曲々に纏わるエピソードや想い出は、自分だけのもの(secret love)だと思い込んでいました。少なくともこのサイトを開くまでは…。考えてみれば、皆さん同じような年代で同じように戦後の貧しい時代を経験されてきた者同志!日本人である限り(差別的な意味ではなく、象徴的な意味です)湧き上がってくる感情はみな同じで当然かもしれません。二木先生 そんな想いをオープンにできる場に入れて下さることを感謝致します。
一章 様 実は私にも月見草の歌には忘れられない思い出があります。17~18年前、妻と二人で夢二の生家を訪れ、その後東洋のエーゲ海と称される牛窓を訪れた時のことです。岡山県瀬戸内市のはずれに、ひっそりと佇む夢二の生家でそよぐ風にのって流れてくる宵待ち草の調べは、心に沁みるものがありました。そして牛窓の小高い丘の上にあるオリーブ園で眺めた風景は忘れられないものとなりました。眼前に広がるエーゲ海のようにブルーの海、手をのばせば届きそうなところに小豆島、その海峡をゆったりと流れる潮にまかせながら浮かんでは消えていく船…知らず知らずに“はるかに海の見える丘~月のしずくを吸って咲く~”そのあとは、涙で目の前がくもり歌えなくなりました。
思うようにいかない仕事の悩みをひきずったままのドライブ旅行でしたが、今となっては懐かしい月見草~でした。
投稿: あこがれ | 2016年10月29日 (土) 12時28分
二木先生 こんばんは
あこがれさま と 一章さまのやりとりから 再び この 月見草の花 にききいっています
何度聞いても 涙があふれてくる曲です
10年20年後には 人が皆助けあえる優しい社会がくることを願っていたのですがーーー どうも願望とは真逆の方向にすすんでいるように思えます
この 先生のページに出会って 何曲も 知らなかったものと遭遇しました
月見草の花 女の園 少年の秋 など
自然に涙する ときには大泣きして 自分の感情を整理するときもあります 何か間違っている と思う世の中 どう行動すれば よくなるのか
アッシジの聖フランチェスコ
無私の日本人 などなど 思い浮かべています
投稿: 能勢の赤ひげ | 2016年10月30日 (日) 21時20分
昨年10月に、初めて、このサイトへのきっかけとなった「月見草の花」へのコメントを投稿いたしました。
ご先輩のあこがれさま・能勢の赤ひげさまより心温まるコメントをいただき心細かった心身へのスイッチが入ったようでした。ありがとうございました。
本日の仕事を終え、パソコンに向かったところ、無性にこの曲が聴きたくなり、くぎ付けとなりました。
ほんとにこの曲は、忘れ去ろうとしている昔の数々の懐かしい出来事・想い出を呼び戻してくれます。
そんなに素晴らしい力がこの曲の最大の魅力だと思います。
これからも元気づくりのためにも聴き続けたいと思います。
投稿: 一章 | 2017年2月14日 (火) 22時01分
ほんのり月が出ています。尾谷様から頂いた白い月見草が咲いています。朝になるときれいなサンゴ色に変わっています。川岸から摘んできた小待宵草も小さな花瓶で咲いています。月に恋して咲くのでしょうか。届かない恋は哀しいですね。今夜も思いが届くようにどこかで少女が月を見上げているのかも。その頃が人生で1番美しいことを知らずにいます。片思いほど美しい恋はありません。遠い、遠い日のはるかな思い出。
投稿: ハコベの花 | 2017年8月 5日 (土) 00時14分
二木先生
こんばんは
今日は 誰もいない海(唄 トワ・エ・モワ)から
聴かせていただいています
しみじみと 考えされられる ものごとが身の回りに起こる
昨今
その感情が趣くまま 月見草の花 にいたっています
具体的なことは --- 云わないにかぎりますね
漠然とした気持ちの中で 頭の襞の奥深く 人間の根である
善 を思い出させてくれる
そのエリアに ぽっと 光がさしてきたようです
思い切り泣いて 整理を尽くし 前に向こう
人間は いつまでたっても 弱い 寂しいものですからーーー
といいながら 話はかわります
月見草については 花 そのものについても
やや不確実なのですね 先生が蛇足に述べられているように
しかし 我々 日本人にとっては とても思い入れの
深い草花 のようです
月見草を題名に頂く曲は 沢山あります
そのなかで 三高の寮歌に 月見草 という曲があります
一番 吉田の山の逍遥から始まって
恋の主人公の男子生徒が 学びの路にいと過ぎて
(その 時代のことですから 肺結核でしょう)
亡くなり 永久の旅路にたってしまう
そして
十一番 うましき恋に君よ泣け
と 彼を想い 女性がなきくずれる
という 物語風の歌詞です
いつ この曲を知ったのかは定かではありません
でも ある病院の うちうちの忘年会??
で 延々と歌ったことがあります
懐かしいですね
月見草 何故か 心に響く 言葉です
投稿: 能勢の赤ひげ | 2018年5月 9日 (水) 21時41分
「月見草の花」この曲には小学6年生だった私の忘れられない想い出が詰まっています!
私の通っていた小学校に新しく音楽だけを担当される女性の先生が他の学校から赴任されてこられました。教え方がとても熱心で思いやりのある先生でした。そして私はこの先生に習った「アンニーローリー」での授業も忘れられません。振り返ってみると私が音楽を好きになっていったのは、この先生の影響がとても大きかったと思います。
ある日、6時間目の音楽室での授業が終わり、放課後の下校の途中、私はリコーダーを忘れたことを思い出し、学校の音楽室に慌てて引き返したところ、まだ音楽室にはピアノを弾いておられたその先生がお見えになりました。
私が音楽室に戻った理由を言うと、これですねとピアノの上に置いてあったリコーダーを渡して下さいました。私は何気なく今先生が弾かれていた曲は何と云う曲ですか?と尋ねると、これは先生の好きな「月見草の花」だと教えてくれました。私は思わずへぇ~いい曲ですね!と言った記憶があります。先生は楽譜も見せてくれましたが、その時はこの唄の歌詞の意味もピンとこなかったと思います。その先生が本当はあなたたちにはまだ教えたい唄がいっぱいあるんですよ!と言われたのが印象に残っています。
後年の1995年に発売された「蘇る童謡歌手大全集」CD10枚組を購入した時、その中の8枚目の曲目欄には中根庸子さんが歌う「船頭さん」の次曲に「月見草の花」があったので私はチョッピリ感激し、この唄を何度も繰り返し聴いたこともありました。
今ここで皆様のコメントを拝読しながら、二木先生が演奏される「月見草の花」のメロディを聴いていると、まだ児童だった私に音楽の先生が仰っておられた「本当はあなたたちにはまだ教えたい唄がいっぱいあるんですよ!」の言葉の意味が今は理解できて、その時の言葉が胸に沁みてきます。
淋しさがあり、切なさがあり、そして人を想う優しさを感じさせるこの素晴らしい「月見草の花」は、小学6年生の時に初めて知った私の忘れられない曲でもあり、またピアノを弾いておられたそのお姿にほのかな憧れと尊敬を抱いていた、その女先生のことが思い出される唄でもあります。
今日は久々に中根庸子さんが歌う「月見草の花」を聴きましたが、子供らしい素朴で素直な彼女の歌い声に私は胸を熱くしました。
投稿: 芳勝 | 2018年12月11日 (火) 17時07分
はじめまして。
中根庸子の孫です。
歌手であった祖母の事を検索したどり着きました。
祖母はもう15年も前に他界しておりますが、今でも聴いてくださっている方がいることに驚きを隠せません。
当時はつらいことばかりと想像しますが、こうして何十年も人の心に残り続けるとは、歌とは人の心の支えだったのですね。
投稿: やす | 2019年2月12日 (火) 22時09分
やす様
ここで、あの童謡歌手、中根庸子さんのお孫さんのコメントが拝読できるとは思ってもいませんでした!
貴女のお祖母様が童謡歌手時代に吹き込まれた「船頭さん」や「月見草の花」は、今でも私はアルバムをとおして聴いています。
また、お祖母様の素朴で素直な歌い声が、私は昔から好きでした。
貴女が仰るように、童謡歌手中根庸子さんの唄声は、私の心の中にも今も変わることなく残っています。
ただ、そのお祖母様が亡くなっておられたと知り、ファンとして私はとても残念です!
しかし、こうしてお孫さんである貴女のコメントを拝見することができましたことは、とても感慨深いものがありました。
投稿: 芳勝 | 2019年2月13日 (水) 00時37分
YouTubeで中根康子さんのレコード「船頭さん」を聴きました。幼い頃よく聞いたなぁ、と思い出します。懐かしくて可愛らしい歌声です。
投稿: yoko | 2019年2月13日 (水) 08時28分
二木先生のブログににどれだけ多く人が集まり、感動や不思議な巡りあわせに胸を熱くしているでしょうか。
二木先生がやす様を祖母の中根庸子さんへと導き、さらに芳勝様の珠玉のコメントと邂逅したのは感動的です。
投稿: りんご | 2019年2月13日 (水) 09時26分
平成の時代も、残り僅か、すでに各所でカウントダウンが始まっているのでは・・?と、思いながら、さて平成最後のリクエスト曲は、なんにしょうかな?と選曲していましたが、私が2016年6月28日に、初めてこの「うた物語」に投稿させて頂いた、一番と言ってもよい思い入れの深い「月見草の花」が一番ふさわしいと思い、リクエストしました。
ここまでに87回ものコメントが寄せられていることでも分かりますが、この曲は胸に沁みます!
聞いているうち、口ずさんでいるうち、思わず知らず涙が溢れてきます。琴線に触れるというか、次から次から胸に迫ってくるものがあります。
この歌に纏わる忘れられない私の思い出は、東洋のエーゲ海といわれる牛窓の小高い丘の上から眺めた紺碧の海峡に寄せる心模様です。(2018.6.29一章様へのコメント)長い人生のうちのほんの一こまかもしれない些細な出来事が、大好きな叙情歌を背景に感情を増幅され、たまらなく涙腺を刺激するのです。
振り返れば、平成は思ったより短く昭和の延長線上にあるような感じがしてなりませんが、半世紀以上も前の青春時代は、平成の終わりと共に少しづつ、遥か記憶の彼方へと消え去っていくのかな~と、センチメンタルな気持ちになります。
もうじき、令和のラッパが鳴り渡りますが、新しい夜明けと共に、世界中が、いさかいもなく平和で、虚偽や隠蔽のない、まっとうな住みやすい世の中になって欲しいと願わずにはいられません。
国を動かす人達に、この美しい「月見草の花」を聞かせてあげたいと、心から思います。
投稿: あこがれ | 2019年4月30日 (火) 23時38分
平成最後の昨夜、霧雨の中で1ヵ月前に軒先から出しておいた鉢植えの「月見草」が、弱弱しく偶然にも今年初めて真っ白い花が1輪咲きました。
令和の朝、こぬか雨降る中でややしょぼくれてピンク色に、昼過ぎにはすっかり萎んだ姿に・・・
二木ens,の演奏を聴いていると、島根の山奥のしずかな静かなふるさとの夕暮れに、家族で囲んでホコッと咲く「大まつよい草」を愛でていた夢か幻のようなシルエットが浮んできて、『月見草の花』の名曲・名演奏に時間がたつのをのを忘れていました。
投稿: 尾谷光紀 | 2019年5月 1日 (水) 14時59分
尾谷様 我が家の白い月見草、かなり大きくなってきました。
もうすぐ蕾が付くと思います。この間近くの土手で月見草が咲いているのを見ました。草刈りが始まるとざっくり切られてしまうと思います。昔は草刈りのお百姓さんの手を恨みましたが、今は諦めるようになりました。思春期前の優しい少女の様な花です。あこがれ様は初恋の少女を思って涙ぐんで居られる様な気がします。遠い夢の様な花、夕暮れに咲く花のはかなさを静かに歌って下さい。聴いていますよ。
投稿: ハコベの花 | 2019年5月 1日 (水) 22時17分
『月見草の花』には
「思い出の道 丘の道」
「はるかに海の見える丘」
「ボーと汽笛をならしてく
お船はどこへ行くのでしょ」
「きょうも一人で月の海」
という歌詞があり
『みかんの花咲く丘』には
「思い出の丘 花の丘」
「はるかに見える 青い海」
「お船はどこへ 行くのでしょう」
「汽笛がボウと 鳴りました」
「今日もひとりで 見ていると」
という歌詞があります。
あまりに似ているので、少し驚きましたが『みかんの花咲く丘』を作った加藤省吾氏の歌詞に感銘を受けた山川清氏が、それと同じような情感のある新しい丘『月見草の咲く丘』を苦心して作ったように思います。何の証拠もないのですが、盗作と呼ばれかねない、そっくりの歌詞を多用しているのは、加藤氏の歌詞への感銘、傾倒ゆえで、そのために後世非難を浴びる可能性があることなど全く考えていなかったためだと考えます。あるいは、昔は著作権意識などあまりなく、言葉はみんなの共有財産だくらいに、おおらかだったのかもしれません。著作権、知的財産の所有権などという考え方は、一部の人間の利権保持の思想に見えます。少なくとも庶民が利益を得る考えではないと思います。私は、海賊版の流布なども庶民に味方する行為だと思っています。
投稿: 越村 南 | 2019年6月 7日 (金) 02時55分
たしかに越村さまの例示されたように「みかんの花咲く丘」に歌詞のイメージが似ていますね。それでも、やっぱりこの歌は日本的な哀調があっていい歌だと感じます。実は私もこの歌は知らなかったかもしれません。かもしれないというのは、二木先生の演奏に乗って歌ってみたら、何となく歌えるのです。何となく昔歌ったような気がするのです。すっかり忘れていたけれど、何十年ぶりに歌ってみたら思い出したってこともありますよね。
われわれカラオケグループは、最初に発声練習がわりにみんなで数曲歌うのですが、次回この歌を紹介してみんなで合唱したいと思います。
投稿: 吟二 | 2019年6月 7日 (金) 08時05分
6月7日に「今度カラオケ店でみんなで歌ってみたい」と書きましたが、その後行ったらDAMの機械ではこの歌はありませんでした。残念。
投稿: 吟二 | 2019年6月14日 (金) 14時08分
久し振りにアクセスして、中根庸子さんのお孫さんの御文に接するとは、思いがけないことでした。私も他の方々同様に童謡が好きで、「蘇る童謡歌手歌手大全集」の広告を見て、矢も楯もたまらず購入したのでした。昭和23年、小学校入学して最初に習ったのは「お花をかざるみんないい子」、その次に「仲良し小道」。「月見草の花」を習った記憶はないのですが、何時とはなしに頭の中に入っていたようです。その全体をしっかりとはっきりと教えてくれたのが「大全集」の中根庸子さんの歌でした。それから、多分この後ですが、ソプラノの関定子の歌を聴き、同曲異演の楽しみの中にこの歌の想いと美しさが、折々に私の心をこの世の他の何処かにいざなってくれるのです。関貞子さんの盤はピアノの伴奏が素晴らしいのです。
それから、別の話題で恐縮なのですが、「大全集」に「四丁目の犬」という歌が収められています。これを歌っているのは呉清蘭というお名前ですが、大全集の別冊解説書にも何の言及もありません。どなたかご存知でしたら是非ご教示をお願い申し上げたいのですが。
投稿: 中川秀夫 | 2020年8月18日 (火) 22時59分
子供の頃は月見草の花と言っていましたが、
本当はオオマツヨイグサと母が教えて呉れました。
長い間、尾谷光紀さんの書き込みがないと思っていたら、やはり大病されていたとか。
あれからまた書き込みがありませんがお元気ですか?
落ちた種が毎年花を咲かせていますか?
中川秀夫さん、
大全集にはたくさんの歌が入っていますね。
「四丁目の犬」JASRAC アースト名には名前はありません。
“呉清蘭/コロムビアゆりかご会” “呉清蘭他”
この表示は、コロンビアゆりかご会所属 でしょうかね? 台湾の方?
知りませんが私の想像です。※私の想像以外にご存知の方どうぞ。
千原英喜作曲 https://www.youtube.com/watch?v=uZkDTbtyiZg
投稿: なち | 2020年8月19日 (水) 14時57分
月見草の花は初夏にデイサービスセンターへの歌の出前で、認知症の利用者と一緒に必ず歌います🎵名曲ですが、歌える人が少ないのが不思議です🎵昨年2月17日に242回目を開催したあと、コロナ禍で中止に🎵歌の出前が16年目に入ったところで🎵残念🎵認知症の利用者は越えを出さないと症状が悪化するので、、心配です🎵
投稿: 三澤 洸 | 2021年5月31日 (月) 00時44分
なんというコメントの多さでしょうか。
作詞家作曲家のお二方はまさか50年以上も後に、これほど共感を持って愛されるとは思ってもいなかったのでは無いでしょうか、それも当時からすれば考えられないシルバー世代からとは。
曲想についての賛否はあるでしょうが、聞いていて純粋に心穏やかな世界に浸れます。
残念なのは最近カバーする歌手は「ほのかに匂う月見草」の所を「にぃおぉ」でなく「にぃおう」と発音することです。
これはマロニエの木陰の「今日も返らぬ歌を歌うよ」を
「うとぉよ」でなく「うたうよ」と同じで、いつのころからなんでしょうね。
自分的には感傷に浸った舞台が急に変わってしまった感で仕方ありません。
投稿: 柴又じいじ | 2021年12月12日 (日) 22時02分
長崎のsitaruです。3ヶ月以上ご無沙汰しました。この間、何度も投稿しようかと思いましたが、また長くなりそうで、お叱りを受けるんじゃないかと思い、コメントを控えておりました。
コメントの投稿を再開しようと決断したのは、やはり自分が思っている日本語の面白さを、多くの人に共有いただけたら、それこそ研究者の本望だと考えたからです。
その決断のきっかけとなったのは、今回の柴又じいじ様のご投稿です。私が別のところで(「北帰行」の歌詞について)コメントしようと思っていたことを、柴又のじいじ様がまさに指摘して下さったのです。それは、「匂う」を「ニオー」ではなく、現代の口語と同じく「ニオウ」と歌う歌手が増えて来たことの事実や背景についてです。これだけでは小さな事のようですが、柴又のじいじ様が付け加えられた「マロニエの木陰」の歌詞の中にある「歌う」を、「ウトー」ではなく「ウタウ」と現代口語と同じに発音するようになったことは、小さな変化とは言えません。これらの発音について、歴史的に理解することは、少なからず興味のあることではないでしょうか。(続きは、掲示板に書かせていただきます)
投稿: sitaru | 2021年12月14日 (火) 17時46分
尾谷様 今夜は白い月見草が10も咲きました。少し前から咲き始めましたが10も咲いたのは始めてです。かなり大きな花で嫋やかに咲いています。私も少女に戻った様な気分です。これで月が出たら素敵な夜になりそうです。
苗を送って下さって本当に有難うございました、
投稿: ハコベの花 | 2022年6月18日 (土) 19時54分
すこし寒い春ですね。頂いた白い月見草、先日から咲き始めました。昨年から夫の方が咲かせようと熱心に面倒を見て居ります。一輪咲いた夕方の騒ぎようは近所迷惑だったと思います。お酒をいつもの倍は飲んだと思います。
白い月見草は男心を誘うのでしょうか。そのうち川の土手に黄色の月見草が咲きだすでしょう。「たおやか」という言葉が一番似合う花でしょうか。夫は妻に欠けているものを大事にしているように思えます。花なら喧嘩になりませんね。苗、お送りくださってありがとうございました。
投稿: ハコベの花 | 2023年4月16日 (日) 12時42分
この歌は昭和24年にできたとか、なんと私の生まれた年ではないですか。、でも昔の歌といった古さは全く感じないですね。メロディーも歌詞も実に素直で、よけいな装飾や技巧を一切ふくんでないように思います。また童謡といってますが、はたしてこどもに徹底して単純化されたこの歌詞や哀愁を帯びたこのメロディーのよさが100%わかるでしょうか。これはむしろ大人のために作られた歌のように思います。私はこの歌を聞く時、失った父や母、離れて行った友達、かつて住んでいた家などを一方でゆっくり思い出しながら、この歌をしんみりと味わうことが多いです。
「アン二―・ローリー」に2019年8月3日に投稿された芳勝さまの文章に出てくる素敵な音楽の先生がこの歌が好きだったとか。芳勝さまの文章も素晴らしく圧倒されましたが、またこの歌もその先生に似つかわしい気がしました。
投稿: 越村 南 | 2024年6月12日 (水) 13時20分
「月見草の花」この歌は『童謡』というジャンルの域を超えた未知なる『抒情歌』と言えるのではないのか、時折ここで二木先生の名演奏を聴いていると、最近の私にはそのような感情が芽生えてくることがあります!
越村南様へ 私が小学六年生の時に仄かな憧れと尊敬の念を抱き、長年が過ぎた現在も忘れられない『音楽の先生』のことに、この度さりげなく触れていただいたことで、58年前の「アンニー・ローリー」での授業風景や熱血指導をしてくださった先生の真剣な眼差しや素敵なお姿などが私の脳裏には一気に浮かんできてしまい、私は思わず胸が熱くなりました。
投稿: 芳勝 | 2024年6月13日 (木) 18時55分
二木先生 みなさん そして月見草もこんにちは❣
5~6年前脳梗塞で2週間ほど入院し今はかなりスローモーになりましたがそれなりに元気です。
コロナ禍のため3年間音楽活動停止等もその余波が続いているようです。
けれども、本当の月見草はそんなことは知らんと今年は4月15日から凛々しく咲きはじめて、数夜カメラに収めました。
皆さんのコメントを読ませていただき至らなかったことをお詫びし、またとても勉強になったことを心から感謝しております。
投稿: 尾谷光紀 | 2024年6月18日 (火) 11時38分