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2007年8月28日 (火)

霧の中の少女

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:佐伯孝夫、作曲:吉田 正、唄:久保 浩

1 涙はてなし 雪より白い
  花より白い 君故かなし
  あわれ少女よ 霧の中の少女
  消えて帰らぬ あの夜の街角
  いまも僕の心の うちに生きてる君よ

2 残るおもかげ 抱(いだ)きはすれど
  散りにし花か 儚(はかな)い夢か
  あわれ少女よ 霧の中の少女
  一目逢いたや 命をかけても
  いまも僕の心の うちに生きてる君よ

3 霧は濃くなる 涙はあふる
  この夜も君を 呼びつつ更ける
  あわれ少女よ 霧の中の少女
  お呉(く)れ答えて 「愛しています」と
  いまも僕の心の うちに生きてる君よ

《蛇足》 昭和39年(1964)のヒット曲。

 細かいことですが、3番の「お呉れ答えて」という倒置が気になります。佐伯孝夫は音調を大事にする作詞家なので、1番の「消えて」、2番の「一目」と音数を合わせるために、3音の「お呉れ」を先に出したのでしょう。
 しかし、音符を見ると、「答えておくれ」と歌っても全然不自然ではありません。作詞をしているときには、メロディがそうなるとは思わなかったのでしょう。

 佐伯孝夫の作品には文語調の歌詞が多く、それが現代の歌謡曲にはない格調の高さを醸し出しています。

(二木紘三)

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コメント

懐かしい歌が沢山ありました。若い日池袋の支店にいた彼女を迎えに
銀座の会社から6時のピンポンがなったらさっと机の書類をダンボール
に投げ入れ一目散に迎えにいき上野で食事し彼女を送り常磐線の松戸まで
帰りました。上司から毎日大変だなぁ仕事に身を入れるためにはすぐ結婚
しろといわれました当分収入がすくなかったので共稼ぎ二人とも爺さん
婆さんになりましたが懐かしい思い出です。

投稿: urapi | 2007年12月30日 (日) 16時40分

━現代日本が無くした懐かしの情緒━ 時に触れまして、以前より先生のブログで拝聴させて戴いております。少年の頃より、特に昭和三十年代の曲調に強く惹かれる私でありますが、久保浩さんがテレビで唄われておりました姿が今も焼きついております。非常に感慨深く、懐かしい限りでございます。今後とも、宜しく御願い申し上げます。

投稿: 水本爽涼 | 2008年5月23日 (金) 12時05分

この曲のヒットが昭和39年ですか。高一だった私の記憶にも合致します。この曲のヒットの後すぐに、誰かアメリカの18歳くらいの女性歌手が英語に訳した歌詞でこれを歌っていたように覚えていますが・・・。透き通るようなきれいな声の英語で歌っていたのを、カッコイイと思いながら聞いたことが忘れられません。英詩の断片も記憶にありませんが、あれは誰が歌っていたのでしょうか?もちろん有名な歌手ではなく、アメリカの短大生のお嬢さんといった感じでしたが。

投稿: 乙女座男 | 2008年5月27日 (火) 01時27分

乙女座さん、それは、Little Peggy Marchだと思います。You tubeで探せばあると思います。私のブログ「陽ちゃんの日々」にも共有させてもらっていますので、検索でお出でください。二木先生、自分のブログの宣伝みたいなコメントですみません。

投稿: 陽ちゃん | 2008年5月28日 (水) 22時49分

陽ちゃんさま。折り返しのご教示有難う御座いました。
早速ブロクを試して見ます。

投稿: 乙女座男 | 2008年5月29日 (木) 16時48分

この歌、「霧の中の少女」をリトル・ペギーマーチが英語で歌っていました。その英語の歌詞を知りたいのですが、ご存知の方いらっしゃいましたら、是非教えて下さい。お願いします。

投稿: 板倉 良夫 | 2009年2月14日 (土) 13時06分

ペギー・マーチは日本語で歌ったのですから、英語の詞
は無いと思えます。

投稿: 海道 | 2009年2月14日 (土) 19時14分

「ペギー・マーチ霧の中の少女」で検索すると当時の声で歌ってくれます。途中に台詞が入りますが、ここが英語です。後は綺麗な日本語です。

投稿: 海道 | 2009年2月14日 (土) 19時41分

私は彼女が「霧の中の少女」という日本語歌詞を除き全部英語で歌っているのを何度も聞いた。仕方ない、英語版を聞いて書き出しましょう。

投稿: 板倉 良夫 | 2009年2月14日 (土) 22時25分

板倉様
申し訳有りませんでした。 KIRI NO NAKA
 NO SHO JO として存在しているようですね。ネットからは見つけられませんでした。

投稿: 海道 | 2009年2月15日 (日) 22時20分

中学生でしたが、2年上の姉の友達がこの歌が大好きでよく歌っていました。最近たまたま知り合った1~2年上の男性たちがカラオケでよくこの歌と安達アキラの女学生と、松島アキラの湖愁を歌われます。とても懐かしく聞かせて戴きました。

投稿: アニュママ | 2011年10月24日 (月) 19時58分

この曲がヒットした昭和39年は東京五輪開催年で、予備校に通っていた頃だった。以前、夕食時に酒に酔っぱらって、この曲の1番で“涙はてない 雪より白い”とウロ覚えの歌詞を下手クソな音程で歌ったら、同年代の女房から“涙はてない”ではなく“涙はてなし”だと“矯正”されたことがあったが、二木先生の《蛇足》に「佐伯孝夫の作品には文語調の歌詞が多く、それが現代の歌謡曲にはない格調の高さを醸し出しています」と書かれていたとおり、西條八十門下だけあって佐伯孝夫の詞には格調が高いものが多いと思う。
それにしても佐伯孝夫-吉田正コンビのヒット曲には、『哀愁の街に霧が降る』『夜霧のエアーターミナル』『霧の中の少女』・・・と、霧ガラミの曲が多いが、独断と偏見で想像すれば、佐伯孝夫、吉田正は“霧”に創作意欲をかられたのか?

投稿: 焼酎百代 | 2014年7月24日 (木) 21時30分

霧に魅力を感じたのでしょうね。雨や風の詩もあるが、雪は無いですよね。タイトル以外では東京の人「夜霧の日比谷ゆく人も」月よりの使者「夜霧の駅に待つ君の」勘太郎月夜唄「霧に消え行く一本刀」などがありますね。

投稿: 海道 | 2014年7月25日 (金) 16時55分

 海道さま お久しぶりです。
 雪の魅力なら『雪の降る町を』『雪が降る』『雪山讃歌』など、ありますが・・
題名だけなら、『風雪流れ旅』もあります。
 おそらく呼び水コメントでしょうね。かませ犬コメントといいましょうか。

投稿: 越村 南 | 2014年7月25日 (金) 20時21分

海道さまのコメント『タイトル以外では東京の人「夜霧の日比谷ゆく人も」月よりの使者「夜霧の駅に待つ君の」勘太郎月夜唄「霧に消え行く一本刀」などがありますね』には感服した次第です。「うた物語」掲載曲一覧を見ると、「月よりの使者」も「勘太郎月夜唄」も吉田正作曲ではないですが、確かに佐伯孝夫作詞でした。
「うた物語」が開設以来アクセス数3千万を超え、世代を問わず親しまれている理由の一つには、当該曲について、このように次々にコメントが連鎖し、“話が盛り上がる”という面にもあるのではないかと思う今日この頃です。

投稿: 焼酎百代 | 2014年7月29日 (火) 20時54分

 労音の島倉千代子ショーに行ったとき、トイレで隣りに来て小便していた人が久保浩でした。彼は私の二つ前の席で三田明と一緒でした。半世紀以上前、昔の文京公会堂でのことです。

投稿: 颱風人 | 2014年10月 9日 (木) 06時02分

≪佐伯孝夫の作品には文語調の歌詞が多く、それが現代の歌謡曲にはない格調の高さを醸し出しています。≫
と言う管理人さんに全面的に賛成です。♪あわれ少女よ 霧の中の少女♪のところが特にいいですね。若き日の久保浩の生真面目で端正な歌い方もそれによく合っていると思います。

投稿: Bianca | 2014年10月 9日 (木) 18時26分

文語調のくだりまったく同感です。この曲の哀切はいかんともしがたい、お呉れ答えての意味がはっきり分からない、、、消えた少女に返答してほしいのか、

私は長い間遅れ答えてと、とばかり思っていた。少女が躊躇と恥じらいの上私も愛しています。と答えたシーンをかんがえていました.
今の十代の人のこの曲の感想聞きたい。 

投稿: 十六月春待ち | 2016年8月29日 (月) 17時30分

お呉れこたえてを少女が恥じらいから 遅れこたえてと解釈してます。笑 もうあの時期の一瞬の時代世相から生まれたはかない曲で 文語調と相まっていつまでも心に残ります。わが愛を星に祈りて の歌 といとこ関係にあると個人的に思ってます。

投稿: 吉本宗樹 | 2016年12月 3日 (土) 03時54分

老人ハウスの広いお風呂、遅くなるともう誰も入らなくなりますが、そのとき一人ゆっくり身を沈めていろいろな思いにふけります。 先の短い私ですからもう将来のことなどなんにもかんがえることもなく、いつも来し方の事柄を思い出すのみ。

先ほどは突然「霧の中の少女」という古い歌が頭に浮かんだのでした。 うん、いい歌だったなあと口ずさんでみましたが、その歌詞ももう半分ほど忘れてしまっておりました。 そこでこの項を開いてみたわけです。 歌詞も美しいし、メロディーもなんとなく霧に包まれたような幻想的なところがありますね。 この歌だけではないけれど、作曲家の方々の曲を作る能力にはいつも感心させられます。

この歌を初めて聴いたのはたしか東京オリンピックの翌年だったか、友人の家でレコードを聴いたのだと思います。 おお、霧に包まれた美少女かと、と、そのとき突然思い出したが、それより何年か前に見た映画「わが青春のマリアンヌ」でした。 ジュリアン・ディヴィヴィエの名作、ご存知の方も多いのではないでしょうか。 まあ、その映画の制作のいきさつや、ストーリーなどはどうでもよろしい。 舞台はドイツのいつも霧がたちこめているような森の中、湖のほとりのいつも霧につつまれているような古城、そしてその城に住まういつもぽやっと靄につつまれているような白いドレスの美少女、、、幻想的な光景、男の心をゆるがします。
(モノクロというのが、霧のなかの舞台をぐっと幻想的に見せて効果的でした)

そしてこの歌で久保浩クン、霧に包まれた美少女にふわっと魅せられている男の心を取り込むように歌い上げているように思われます。
いい歌ですね。

投稿: 田主丸 | 2019年7月17日 (水) 22時53分

霧の中の少女、湖愁、江梨子。青春時代の愛唱歌でした。懐かしい~~~。
昔ある健康センターでカラオケに夢中になって夕飯も取らず順番を取って大広間で36曲歌いまくり倒れた事があります。カラオケは下に歌詞が出るので殆ど歌えてしまいます。(朝から夜遅くまで)救急車の中でここはどこですかと尋ねられ目を開けたらヤケに低い天井だった。ブドウ糖を飲まされ家に帰された。翌日家内が清算に行き36曲が判明した。貴方の歌は丁寧だと同郷の女性方に良く言われます。テレビの歌番組でもチョットした事にケチをつけるので「うるさいわねえ」と嫌がられます。家内の好みは「ラブユー東京」、昔彼女に歌ってやったのも「ラブユー東京」ここだけの話です。

投稿: 海道 | 2021年5月 1日 (土) 16時16分

「霧の中の少女」この唄がヒットしたのは私が小学4年生の時ですが、幼心にもこの淋し気なメロディが私は妙に好きで、学校帰りなどには、道草をしながらこの唄を口遊みながら家路についていた記憶があります!

そして、カバー曲「哀愁の街に霧が降る」が、当時の私は、山田真二の唄だとは知らず、この唄は久保浩のオリジナルの曲だとばかり思っていました。今でも折に触れ両者の歌声をYouTube等で聴き比べてみますが、どちらかというと、私自身としては、久保浩の低温でやや響くその歌声の方に魅力を感じています。
幼いころの久保浩の想い出は、我が家の長姉が熱烈な彼のファンで、毎週金曜日の夜になると、久保浩とまだ初々しかった高校生タレント小川知子が司会をしていたテレビ歌謡番組『ビクター夢のスタジオ』を毎週観ていました。その番組が始まると、姉はテレビの画面にかじりついたままで、コマーシャルが始まってもその場を一時も離れませんでした。今ではそれも懐かしい想い出です。
某コラムによれば『・・久保浩の名付け親は、あの名優・鶴田浩二で『浩』の文字は鶴田からもらった、後年には東映やくざ映画にも出演していた・・』と、最近になって私は知りました。

「霧の中の少女」この唄がヒットしてからもうはや58年が経ちましたが、ここで静かに二木先生の名演奏を聴いていると、私の脳裏には幼なかったころの我が家の光景がいつも浮かんできます。

投稿: 芳勝 | 2022年12月19日 (月) 18時17分

先日カラオケ教室の皆さんとカラオケを楽しんだ時「江梨子」を歌いましたが拍手喝采でした。同じ時代
を生きて来た人たちですからうけたのでしょう。今もう一度佐伯孝夫というのは無理な相談でしょうね。

投稿: 海道 | 2023年4月 8日 (土) 18時54分

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