喜びも悲しみも幾歳月
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
作詞・作曲:木下忠司、唄:若山 彰
1 俺(おい)ら岬の 灯台守は 2 冬が来たぞと 海鳥なけば 3 離れ小島に 南の風が 4 朝に夕(ゆうべ)に 入船出船 5 星を数えて 波の音(ね)きいて |
《蛇足》 木下忠司は400曲以上の映画主題歌を作りましたが、とくに多いのが、実兄の映画監督・木下恵介の作品につけた曲です。
この歌は、若山彰の迫力のある歌唱と相まって大ヒットしました。
昭和32年(1957)に制作された『喜びも悲しみも幾歳月』は、実在の灯台守の妻・田中きよの手記に基づいて作られたものです。灯台守の夫婦を佐田啓二と高峰秀子が演じました(写真)。
夫婦は、昭和7年(1932)の神奈川県観音埼灯台から始まって、北海道から九州まで各地の灯台を転勤して回ります。その間に家族が味わった哀歓や同僚たちとの交流がテーマになっています。
この作品は、昭和61年(1986)、木下監督自身によってリメイクされました。テーマは同じですが、映画の出発点は昭和48年(1973)の京都府経ヶ岬灯台になっています。
主演は加藤剛と大原麗子。父親を演じた植木等がいい味を出していました。このリメイク版でも、木下忠司の曲が使われました。
(二木紘三)
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コメント
昭和30年代、同名の映画を見に行きました。佐田啓二・高峰秀子の燈台守の結婚して老いていくまでのストーリーは最愛の子供の死もあり、「人生の喜怒哀楽」を表現した最高のものと思っております。
投稿: トクラテス | 2008年2月29日 (金) 09時50分
この歌を聴く時、佐田啓二・高峰秀子主演の最初の映画を思い出します。子供ができた時の喜び、息子を亡くした時の悲しみが特に印象的でした。
しかし、その頃、私は生意気な高校1年生だったので、親の情愛の深さというものがよく分かりませんでした。自分が親になって初めて理解できるようです。
この歌を聴く時、イギリス民謡「灯台守」の歌詞を思い出します。「思えよ灯台 守る人の 尊きやさしき 愛の心」は、まさにこの夫婦の心なのでしょう。
映画の最後の方で、遠く海外に赴任する娘夫妻が乗った船に、老夫婦が灯台の灯をともし霧笛を鳴らすところは特に感動的でした。
それにしても、この映画や「二十四の瞳」といった、名もなく貧しく美しい人たちの物語が、銀幕からほとんど消えかかっているのは寂しいものです。
投稿: 矢嶋武弘 | 2008年5月24日 (土) 16時44分
この歌はどう歌ってみても若山彰に、かないません。迫力が違うのです。そこが映画とみごとにマッチングしておりました。人間らしさ、あらゆる者への愛情。灯台守をテーマとしていますが、社会に警鐘を鳴らされたのでしょう。
投稿: M.U | 2008年5月28日 (水) 13時52分
この歌を伊勢崎町(横浜)の映画館で初めて聞いた時、プロの歌手とはこうゆう声量がいるのかと信じこみ、歌手への夢
も吹っ飛んでしまいました。
投稿: M.U | 2008年9月16日 (火) 13時03分
矢嶋様
二十四の瞳、小豆島懐かしいですね。像はもっと大きく
して欲しい。この子達のように清らかな心の持ち主なら
人を殺すなんて考えもしなかったのに。
投稿: 海道 | 2008年11月24日 (月) 19時34分
Webでラジオの歌物語を探していて、こちらに行き当たりました。もしご存知ならお教え頂きたくてメールを
差し上げています。
いつの頃かも覚えていないのですが、ラジオで歌物語があり、それに伴う歌が歌われると言う番組がありました。あの語りと歌のマッティングが好きでした。
古い話なのかも知れませんが。
と言うのは近年ほとんどラジオを聴いていないもの
ですから。参考になるような情報をご存知でしたら
是非お願いします。
P.S.私も喜びも悲しみも幾歳月の歌が大好きで
カラオケで歌うこともあります。
映画は新旧両方とも観ました。
また、最近懐かしくて古い映画をレンタルで
借りて見て懐かしかったです。
投稿: 弘田紀子 | 2009年5月31日 (日) 08時08分
はじめまして。この歌の歌詞をさがしていて訪問しました。知り合いの若い男性ですが、(若いのにこの歌と映画の大ファン)、どうしても歌詞が6番まであるというのです。本当でしょうか?ネットで探しても4番までしかないのですが。彼の勘違いかもしれませんが、もし知ってらっしゃる方がいましたら教えて下さい。
投稿: 虹の子 | 2010年3月 1日 (月) 17時40分
ここには5番まで書いてあります。
http://www.utagoekissa.com/
投稿: なち | 2010年3月 1日 (月) 18時44分
4番を補充しました。(二木紘三)
投稿: 管理人 | 2010年3月 2日 (火) 00時47分
昔「灯台守」という仕事に憧れました。佐田啓二主演のこの映画を観たからです。そして何よりも若山彰の勇壮な歌声に感動したからかもしれません。現在では人が居住する灯台は一つもありませんが、あったら勤務したいですねぇ。大変な仕事だということは承知してますが。 小生は鹿児島の出ですが、若山彰は「南国情話」というしっとりとした歌を唄っています。メロディも中々いい歌ですよ。 それにしても、二木先生、夜遅くまでお疲れさま。お体お大事に。
投稿: かせい | 2010年3月 2日 (火) 01時20分
なちさん、ありがとうございました。
5番まであるとすると、やはり、彼の言うように6番もあるような気がしてきました。6番を知っている方、どうぞコメントお願いいたします!
投稿: 虹の子 | 2010年3月 2日 (火) 23時22分
番騒動?たけなわのようですね。寒い凍えそうな日にこの映画(佐田・高峰版)を観たせいか、冬の北海道の石狩灯台の場面に感動しました。玄界灘の沖合い7里のところにある、岩礁の灯台(烏帽子灯台)が灯り始めると家路についたものです。頭の中で七つ数えると明かりが見え、七つ数えると消えます。子供の私は、誰かが点けたり消したりしていると思っていました。定期的に交代の灯台守さんが近くの港から舟で出向き、灯りを灯し続けていること、冬の季節風で海が荒れると上陸できずに船は引き返し、嵐が静まるまで何日も取り残され待たされることなど、のちに大人たちの話で知りました。一度、行ってみたいものと今でも思っています。夏の玄界灘は鏡のように穏やかで気になりませんが、冬になると烏帽子灯台が可哀そうに思えました。4番目に二木先生が補充された夏のシーンの歌詞があったことに、さらには、もうひとつあるのではと言う話に、なくても・・・と。
投稿: 山口 功 | 2010年3月 3日 (水) 12時01分
はじめまして。
本当は別の歌を探していて、ここに着いたのですが
この曲が好きだったので、書かせていただきます
10年以上前の話なのですが
映画の撮影地に行ったことがあります
姉夫婦と一緒に行ったのですが、夏休みの上休日だった為
門が開いてなく、中に入ることが出来ませんでした
その島?では一泊の予定だったので、仕方無く帰りましたが
もういちど行ってみたいと思いつつ
時間が過ぎてしまいました
あの道は、まだそのままでしょうか
片側はバスが通れるくらい広いのに
反対側は、途中にすれ違いのコブがあるだけで
結構怖かったです
帰りのフェリーの上で
寒流と暖流が合わさるところを眺めながら
「あんなところじゃ誰も来ないんだろうなぁ」
そんな事を思っていたことを憶えています
投稿: サトP | 2010年7月24日 (土) 12時29分
この歌を歌ってた若山彰はヒットしたのはこの曲だけだったですね。私と同じ広島県三原市出身で、同市出身の唯一の歌手?私は当時中学生でしたが、その年の紅白に出るというので楽しみに待ってたことを思い出します。
投稿: 源間 | 2011年6月10日 (金) 21時11分
源間さん、
この歌ほどではないけれども、かなりヒットした歌に「惜春鳥」というのが有りましたよ。うろ覚えですみませんが「流れる雲よ大空に大空に~~~~~あ~あ青春の花開く、どこかで鳥が鳴いている」若山彰らしい朗々と歌い上げて行く長めの歌詞が素晴らしいですよ。
タイトルで探せばきっと見つかりますよ。
Hasta mañana.
投稿: 高木薫 | 2011年11月12日 (土) 15時45分
早速見つかりました。小生の記憶とはかなり違ってました(^○^)
「惜春鳥」
作詞 木下恵介
作曲 木下忠司
1)流れる雲よ朝空に 朝空に
輝く遠き山々よ 山々よ
若きいのちの 喜びを
知るや大空 晴れわたる
あゝ青春の 花さけば
何処かで鳥が 鳴いている
2)流れる歌よ春の日の 春の日の
風の調べか草笛か 草笛か
恋のいのちの せつなさを
知るややさしく 鳴りわたる
あゝ青春の 花香れ
何処かで鳥が 鳴いている
3)流れる春よ夕空に 夕空に
願いし夢よ思い出よ 思い出よ
清きいのちの さゝやきを
知るや入日が 消え残る
あゝ青春の 花散れば
何処かで鳥が 鳴いている
Hasta mañana.
投稿: 高木薫 | 2011年11月12日 (土) 15時53分
「惜春鳥」は日本版オクラホマミキサーと言う人がいるとか。私には倍賞千恵子の「下町の太陽」の元歌のように聴こえます。朝日放送のアナウンサーによって広められた「六甲おろし」は若山彰歌唱ですよね。
投稿: 海道 | 2011年11月12日 (土) 17時27分
源間様、高木様、海道様へ
すでにご存じかもしれませんが、「惜春鳥」は以下のエムズの片割れさんのブログで、若山彰の歌で(何と2008年ごろから)聴くことができます(歌詞も掲載されています)。
http://emuzu-2.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_a930.html
また今年にはいってitsuro69さんがYouTubeに若山彰「惜春鳥」をアップしてくれたので、以下のURLへアクセスしていただと
http://www.youtube.com/watch?v=5UT-gFh-itk
聴くことができますよ。海道様がご指摘の賠償千恵子の「下町の太陽」の伴奏の部分が「惜春鳥」の伴奏の部分とよく似ていることは私もかねがね感じていて、エムズの片割れさんのブログにもそのようなコメントをいれたことがあるのです。
投稿: KeiichiKoda | 2012年3月20日 (火) 18時27分
海道様、KeiichiKoda様へ
「惜春鳥」と「下町の太陽」を、聞き比べた見ました。
イントロ部分は、何回聞いても、よく似ているとしか、 言いようがありませんねぇ~。
両方とも、松竹映画の主題歌で
「惜春鳥」は、木下恵介監督で作曲は木下忠司(昭和34年 製作の作品)「下町の太陽」は、山田洋次監督で作曲は 江口浩司(昭和38年製作の作品)です。
のどかなこの時代では、問題にならなかったのでしょう か・・・・・・?
投稿: のんた | 2012年4月21日 (土) 21時04分
(;ω;)ただ涙...ただ涙 我が半生
歌も映画も素晴らしい。
投稿: 山頭火 | 2012年6月 6日 (水) 11時09分
小学生の頃母に連れられて映画館へ見に行った記憶があり、機会があったら見ようと思っていましたがそのままになっていました。最近、“木下恵介生誕100年”を記念して新装でDVDが発売されたので購入しました。自分が主人公と同世代でもあり、何か胸に来るようなものがありました。
ところで、以前この欄で6番の歌詞について話題がありましたが、映画後半の嵐の中で灯台を修理する場面で歌われたものだと思います。残念ながら私にとって音が明瞭でなく聞き取れにくく以下の部分しかわかりません。デジタルリマスター版が発売されることがあればもう少し明瞭になるかもしれません。
・・・・・・・
知るや知らずか
・・・・・・・
船に輝く光あり
光あり
投稿: 松田 | 2012年9月 9日 (日) 10時50分
昨日9月9日の読売新聞「よみほっと日曜版」に福島県塩谷埼灯台の写真とともに、この曲の誕生話が紹介されていました。
兄・木下恵介監督から(一週間後に撮影に入る。誰でもすぐ覚えられる歌を)という要望で、福岡・玄界灘の烏帽子島灯台をイメージして弟の木下忠司(96歳)が作曲し、一番から四番まですらすらと作詞したとある。
さらに(歌が足りないので、恵介監督が一つ作詞して五番までの歌になった)とある。
となると、恵介監督が追加した詞は五番の「星を数えて・・・」なのかと単純に思いましたが、五番はこの歌のメインの言葉が入っているので、最初から弟・忠司が作詞したのではと思う。
勝手に想像すれば、恵介監督が作詞したのは四番の「朝に夕(ゆうべ)に・・・」ではないかと考えました。
それにしても聴いてよし、歌ってよしの名曲ですね。
投稿: かんこどり | 2012年9月10日 (月) 09時36分
確かに四番は作詞者が違う感じがしますね。
通常は四番は歌われていないようですし。
ところで、映画(1957年公開)のオープニングクレジットには ”唄 若山彰”となっていますが、実際に歌っているのは男声合唱団です。(所属はわかりません)
合唱団の中にいるのでしょうか。不思議ですね・・・?
投稿: 松田 | 2012年9月14日 (金) 18時06分
http://www.hcf.or.jp/facilities/kinoshita/
上のアドレスは浜松市の木下恵介記念館です。時々木下恵介の映画を上演しています。この歌の事がわかるかもしれません。一度お問い合わせになってみてください。わからなかったらごめんなさい。
投稿: ハコベの花 | 2012年9月14日 (金) 19時11分
記念館が出ましたら、施設案内をクリックしてください。一番下に問い合わせのアドレスがはいっています。
投稿: ハコベの花 | 2012年9月14日 (金) 19時25分
松田様へ
以下(↓)がYouTubeにアップされた映画「喜びも悲しみも幾年月」からのいくつかの場面の動画と、映画の中で歌われた(?)若山彰の唄です。
http://www.youtube.com/watch?v=xJjWPfmoF78&feature=related
これを聴くと、確かに2番、4番は男性合唱団の中に若山彰の声が埋もれている(?)ようですが、1番、3番はまぎれもなく若山彰による歌ですね!
投稿: KeiichiKoda | 2012年9月15日 (土) 06時56分
すいません、しばらく留守にしていました。
「ハコベの花」様へ
情報ありがとうございます。
早速問い合わせてみましたが詳しいことはわからないとのことでした。
残念です。
KeiichiKoda 様へ
お知らせ頂きありがとうございます。
確かに歌っているのは若山彰ですが、やはり映画(DVD)とは違います。著作権等の問題でDVDのなかの歌の部分の音声を入れ替えたのでしょうか。そんなことはないと思いますが・・・?
できましたら、一度DVDを視聴してみてください。
気長に調べてみます。
投稿: 松田 | 2012年9月26日 (水) 17時19分
松田様 やはり分かりませんでしたか。申し訳ありませんでした。映画の専門の人がいないのでしょう。私が十数年前に浜松駅前にあった記念館を訪れた時、ボランティアの主婦が一人居ただけでした。今は他に移りましたので専門の人が居るかもと思ったのですが、残念でした。この映画の音楽に関わった人が居られると良いのですが、どこに居られるのでしょうか。見つけられると良いですね。幸運をお祈りします。
投稿: ハコベの花 | 2012年9月27日 (木) 22時32分
恥ずかしながら、映画の内容も良く分かりせんが、私の「初恋」が破れた時に、良く聞いた歌でした。一時、この歌は嫌いでしたが、今は、甘酸っぱく懐かしい思いで聴いてます。忘れられない歌になりました。
投稿: 赤城山 | 2013年4月27日 (土) 11時09分
「喜びも悲しみも幾年月」の歌は、全6部構成です。
序章:おいら岬の~
冬:冬が来たぞと…
春:離れ小島に…
夏:朝に夕べに…
秋:
終章:星を数えて…
秋の歌は、映画の中で、嵐の中、主人公が防波堤の先端の信号塔の明かりを修理しに赴くところで歌われます。
ところが何度聞いても途中の一部しか聞き取れません。
いつかこのサイトにアップされると期待していたのですが、未だアップされておりません。
あちこちの歌声仲間にも声をかけてはいますが、発見の連絡は入ってきません。
願わくはこのサイトで、近い将来アップされん事を。
投稿: Amir NAO. | 2013年7月30日 (火) 10時09分
嵐の防波堤の場面で流れる歌。
何度聞き返しても、最初の4小節を聞き取ることができません。
私が聞き取れたのは、やっとこれだけです。
知るや知らずや 男の日々を
胸に輝く 光あり 光あり
(「胸に輝く」と聞こえたのですが、「船に輝く」と聞き取った方もいましたね。)
正確な歌詞を知りたいものです。
投稿: ろ~きんぱぱ | 2013年8月26日 (月) 13時22分
久しぶりに、DVDで嵐の弾埼灯台のシーンを見てみました。
なかなか聞き取りづらい秋の歌ですが、よく聞いてみると
波よ砕けよ 男の心
知るや知らずや 男の日々を
胸に輝く 光あり 光あり
と、聞き取ったのですが、どうでしょう。 諸兄のご意見をお聞きしたいと思います。
投稿: ろ~きんぱぱ | 2013年9月 6日 (金) 15時04分
ろ~きんぱぱさん、ありがとうございます。
確かにそう歌っているようにも聞こえますが、どうでしょう!?
う~ん、なかなか難しいところですね。
序章と終章以外は、「冬、春、夏」と季節の言葉が入っているのに、「秋」だけ無いというのは…と思ってしまうのです。
私ももっと耳をそばだてて聞いてみます。
また宜しくお願いします。
投稿: Amir NAO. | 2013年9月29日 (日) 15時58分
そうなんですよね。
〈秋〉が入っていないのと、〈男〉が2回も使われることって、無いのじゃないか?と思っているので、どなたか、ぜひ正解を。(笑)
投稿: ろ~きんぱぱ | 2013年9月30日 (月) 18時04分
春夏冬二升五合。
貴サイトをアップしました。ありがとうございました。
投稿: 美幌音楽人 | 2013年10月12日 (土) 11時11分
もう50年位前ですが、中学生のとき、この映画を元にした連続テレビドラマ(確か木下恵介劇場)があり、それを見て感動して、リバイバルでかかっていたオリジナルの映画を見に行ったのが懐かしい思い出です。中学生には、少し難しかったですが、以来木下恵介監督の大ファンになって、今に至っています。
ところで、このところ皆さんの関心を引いている5番の歌詞ですが、私も調べてみようと思い立ち、DVDからパソコンに音声を取り込んで、音声の波形を出せるソフトを用いてひとつひとつの音を解析してみました。昔の作品なので録音状態も決して良好ではなく、また効果音などに埋もれてしまい、完全な解析とは程遠いものになりましたが、一応、私が拾いだしたセリフは以下のようになります。
ナミヨクダケヨ ヤミヨノココニ
シヌカシラズヤ(シルカシラズヤ?) ヨゴトノジンイヲ
フネニカガヤク(ムネニカガヤク?) ヒカリアリヒカリアリ
これに漢字を当てはめてみると、多分次のようになります。
波よ砕けよ 闇夜の此処に
死ぬか知らずや 夜毎の人為を
船に輝く 光あり光あり
2カ所ほど、音声が似ていて、どちらか不明な部分があるのですが、これを読み解くヒントは、多分その前のシーンにあると見ました。一般的に映画などの挿入歌は、個々のシーンやシナリオと密接に絡み合っていて、その情景や心情を現していることが多いという鉄則です。前のシーンで、灯台の上から、台長が話すセリフがあります。
「・・舟を出したらしい。」
「大丈夫でしょうか?」
「・・奥さん。沖には、この嵐で港へ逃げ込もうとしている船が、死に物狂いで戦っているかもしれない・・。私が気遣っているのは、あんたの御主人じゃない。あの光だ!!」
ここから判るのは、灯台を保守するために、毎晩、嵐の中でも人知れず命をかけて奮闘する灯台守達の努力と、過酷な使命感を伝えるシーンだということです。だから、「知るか知らずや」(⇒誰も気付いてくれない)よりも「死ぬか知らずや」(⇒死んでしまうかもしれないが、それは自分にも判らない)としたほうが、もしかすると死ぬかもしれないというギリギリの状況を、よく現しているように思います。また、嵐の沖合で戦っている船が、最後の頼みとすがるべき光を、何がなんでも届けるのだという心情を現すには、「胸に」ではなく「船に」とするほうが、意味がよりよく通るのではないかと考えた次第です。
なお、この歌詞には秋を現す語が入っていないという点についてですが、台長がシャツ1枚という服装からして冬の嵐ではなく、多分9月頃の台風の夜なので、(台風というのは、本来は夏の季語らしいですが)生活実感からしても、台風=秋の風物詩ということではないでしょうか。ただし、「かんこどり」さんが書かれているように、やはりこの歌は、もともと4番までしかなかったのだと思います。それを木下監督が、夏を追加して5番とし、歌としてはそれで発表したものの、全体として秋がないと気付いて、それを歌詞ではなく挿入歌のシーンとして追加したのかもしれません。
投稿: 「もう戦後ではない」と言われた時代に生まれたおっさん | 2014年3月10日 (月) 03時55分
台風は夏の季語らしいと、あやふやな記憶で書いてしまいましたが、古語辞典や俳句の辞書で調べたところ、「台風(野分)とは立春から210日以降に来る大嵐のこと」と定義されていました。すると、概ね9月の上旬となり、これは立秋(8月7日前後)よりもずっと後の、まさに秋の盛りにある季語となります。
一応、補足させて頂きます。
投稿: 「もう戦後ではない」と言われた時代に生まれたおっさん | 2014年3月10日 (月) 14時10分
私が、まだ中学生頃かな、劇場の屋根にある拡大スピーカから、大音量で「喜びも悲しみも幾年月」の音楽が毎日のように聞こえていたのをつい最近のように思います。
今は、故郷を離れ札幌にいますが、石狩灯台を眺めていましたが、まさか、あの灯台が「喜びも悲しみも幾年月」のとはびっくりでした。カメラ仲間と二人で夕景を撮ろうと
石狩八幡の海浜まで、早速石狩灯台を夕陽が沈むに合わせて撮ろうとすると、灯台の真上にさしかかり、まるで、ローソクに灯が点いたようになり感動しました。今は夏ですが、北国の、この石狩の浜辺の厳寒な冬の寒さの中、この灯台守の夫婦が、手を寒さで悴んだ生活や苦しみを過ごして来た勇気と努力を超えた姿を思い浮かべました。
撮影は、無事灯台をヒーローに仕立て撮り終えましたが、
車中は「喜びも悲しみも幾年月」の若山彰さんの歌を思い出して札幌の自宅に戻りました。翌朝には友人から電話があり、素晴らしい思い出と感動を貰ったと、そして、同行して頂きありがとうと76歳の方からお礼を言われました。私もこのページで、改めて作詞・作曲の素晴らしさ、そして夫婦愛の素晴らしさを教えて頂きました。
ありがとうございます。
投稿: 中井宣昭 | 2016年7月10日 (日) 11時52分
中学何年か忘れましたが、映画鑑賞があり学校から池袋の映画館まで整列して(だらだら、ぺちゃくちゃと列をつくって)行きました。佐田敬三の格好の良いこと、夢中になりました。小学5年で習った『灯台守』のことは忘れてしまっていて、僻地での仕事って大変だなと思いました。そのとき一回だけしか観ていないのですが、内容はほぼ覚えています。記憶が確かだったら、新妻が灯台に来て、嵐の晩に気のふれたような(もしこの言葉が差別用語でしたらお許しください)女性が現れて灯台の階段を上がろうとした場面がありました。突然の場面で、場面のエピソードもそれっきりでした。
「喜びも悲しみも幾年月』の映画の話を聞くと何故かこの場面を思い出します。
投稿: konoha | 2017年2月 6日 (月) 19時27分
先のコメントの後つらつらと考えてみました。嵐の晩に気のふれた女性の様子を見た新妻役の高峰秀子の何が起ったのか分からなく、困惑して怯えた何ともいえない表情が印象に残っています。私の勝手な解釈ですが、木下恵介監督は灯台で生活を始めた新妻に洗礼を与える場面を創ったのかも知れませんね。監督の要求したワンシーンを70を既に過ぎた今でも観た者に思い浮かばさせるとは、監督もさりながら、高峰秀子という役者のすごさを改めて考えさせられました。
二木先生
先日由紀さおりと姉の安田祥子の「赤とんぼ」聞きました。哀愁が漂い佳かったのですが、歌曲の「赤とんぼ」でした。やっぱり先生のあの演奏のなんとも言えない音の響きが琴線にふれてきます。だからだと思いますが、昔のことが鮮明に蘇ってきます。どうかいつまでもお元気で、でも無理をなさらず、懐かしい歌をのせてください。心から感謝とともにご健康をお祈り申し上げます。
投稿: konoha | 2017年2月 7日 (火) 08時20分
私は昭和25年生まれですが、もちろんこの歌ははっきり憶えています。ところが、映画は観てないんです。
当時は親たちは家業だけで忙しく、子供を連れて映画に行くなんて とてもとても・・でしたね。でも歌だけはラジオで聞き、すごく惹かれたように記憶しています。
それが2~3年前でしたか、たまたまTVで放映されたのを観て思い出し、昔ラジオで聞いた通りのイメージで映画が展開するものですから、驚きつつも繰り返し観たものです。
やはり高峰秀子は、良かったですね、本当に素晴らしかった。佐田啓二も、木下恵介監督も、全てが、凄く良かった。
そして何より、あのテーマ曲です・・もう何と言えばいいのか、それはまさに我々の人生そのものなんですね。私は灯台守をしたことはないんですが、心から感動し泣けるんですよ。あの時代の日本を、おとな達の苦労をある程度は知る者として、また自分達も戦後日本を生きて色んな局面を切り抜け一応は成功したけど、けっして幸運に恵まれた訳ではなかったし、並みの苦労じゃなかったことなど思い出して(後略)・・。
投稿: 福田 健治 | 2018年2月12日 (月) 00時51分
二木様へ
イントロといい間奏といい、全てを心得ておられるような素晴らしい演奏を、有難うございます。
私の大好きな歌で、感動で心が洗われる思いがします。
投稿: 福田 健治 | 2018年2月12日 (月) 01時04分
以前、亡き母から聞いたのですが、若山彰の、喜びも悲しみも幾年月♪が、ラジオから流れてくると、幼い私が曲のリズム合わせて足を踏みながら、母と一緒になって、この歌を、口ずさんでいたそうです。当時4才の頃ですが、微かに記憶が残っています!
この映画を手掛けた木下惠介監督の作品を、私が最初に知ったのは、昭和41年にTBS系テレビ毎週火曜日9時から放送、大正製薬・木下惠介劇場で、孤児院(あかつき子供園)を描いた「記念樹」という番組でした。
とても私の心に残っているドラマで、クライマックスの場面では、クラウンボニーボーイズ児童合唱団が歌う、主題歌(作者:木下忠治)が流れてきて、感動を誘いました。小学6年生当時の私は、いつもは夜9時になると床に就くのですが、このドラマだけは、必ず見てから寝ていました。ドラマの最中には、よく母が涙を浮かべていました。
このドラマの主役女優、馬淵晴子さんや、散髪屋の主人役を演じていた渥美清さん(フーテンの寅さんで主役を張る前)などを、懐かしく想い出します。
その後、木下惠介アワーとなり、昭和43年から始まった、おやじ太鼓という番組は、テレビ嫌いの、頑固者で怖かった父が、珍しい事に、このドラマだけは大変気に入ったらしく、熱心に見ていました。中学生になっていた私も、とても面白いと思った番組でした。
大人になってから、木下惠介監督作品は、二十四の瞳など数作を見て来ましたが、音楽家の木下忠司の作品では、テレビドラマ特捜最前線のタイトル・テーマ曲、またエンディングに流れてきて、哀愁を漂わせてくれた、チリアーノが歌う愛の十字架♪は大好きな曲で、このドラマの主題歌オリジナル・サウンドトラック(ポリドール)のカセットを購入した程でした。
投稿: 芳勝 | 2018年2月13日 (火) 17時51分
『喜びも悲しみも幾年月』の作詞・作曲を手掛けた木下忠司が、今年の4月
30日に亡くなりました。 102歳の大往生でした。
劇判作曲のみならず、主題歌にもたくさんの傑作を残し、兄恵介の仕事を大いに支えましたね。 中でも私の好きだったのは、TVドラマ『記念樹』『泣いてたまるか』『二人の世界』(あおい輝彦 歌唱)の主題歌でした。
面白いことに、作品の殆どが2拍子あるいは4拍子のマーチ風であったことです。 『女の園』、『水戸黄門』そして『喜びも悲しみも幾年月』
もそうですね。 お兄さんとは対照的に、かなり男気の強い人だったのでしょうか。今頃はお二人で楽しく映画談義をされてることでしょう。
投稿: かせい | 2018年8月24日 (金) 19時11分
かせい様、2010年3/2のブログを読みました。同郷の方と知り、気軽に書けます。
以前、「海」の歌ではありがとうございました。もう、20年以上も昔、確か「新」と題した「灯台守」の映画を見ました。その時は昔の「灯台守」の映画だと思いましたが、間違いに後で気づきましたが、心に残っています。映画館も覚えています。
若山彰の「南国情話」もなかなかいいです。
投稿: 今でも青春 | 2018年8月24日 (金) 20時15分
皆さま 残暑お見舞い申し上げます。
若山彰さんの不動の姿勢が甦ります。
今春、3月に映画のロケ地である三重県 安乗灯台資料館に行ってまいりました。風が強く怖いような日でしたが内海のコバルトブルーの美しさに息を呑みました。
灯台から最寄りの岬の突端の小さなホテルで新鮮な魚介類のご馳走に感動いたしました。
絵心のある方や写真愛好家の方には刻々と変わる海の光景をホテルの部屋から眺めて何日でも滞在できそうです。
http://anorisaki.com/
投稿: りんご | 2018年8月25日 (土) 08時36分
弘田紀子さん
>ラジオで歌物語があり、それに伴う歌が歌われると言う番組がありました。あの語りと歌のマッティングが好きでした。
私も受験浪人だった昭和33年に同じような番組を毎日聞いていたのでずっと探しているのですがいまだに見つかりません。私が探しているのはエノケンが一人で語りながらこの曲を歌う番組です。はじめは何の気もなしに聞いていたのですが、晩年の彼がしわがれた声で切々と歌う声に感動して、何という曲だろうと世界名曲集を買ってきて片っ端からメロディを辿り、何週間か後にこの曲を探り当てた時は狂喜したものです。
語りと歌のマッチングという点では、こんな感じですが、あの時のエノケン語りと歌とは比べ物になりません。
https://www.youtube.com/watch?v=cY1bf7C4z1U
18歳の時の思い出です。
http://oureternalmoment.web.fc2.com/souvenir/10epsd/newpage01.htm
投稿: 関口益照 | 2019年11月20日 (水) 17時35分
この映画を見たのかどうか記憶がありません。曲は小学校の頃からその迫力に感動してよく口ずさんでいました。ラジオで聴いていただけなのかもしれません。今、映画も観てみたいなぁという気持ちは強いです。
二十四の瞳の大石先生には憧れていました。ある時、その大石先生が高峰という女優さんであることを知り、またテレビ番組でその高峰さんが出演されることを知り喜んでテレビのスイッチを入れました。高校生の頃のことです。しかし、テレビに映った高峰さんを見て、違う、違う、こんな人じゃなかった、とガッカリしました。その方は高峰三枝子さんだったのです。
女優、高峰秀子さんが大石先生であったと一致できたのはその後大学に入ってからです。なにしろ我が家の母と祖母の読むものといったら朝日新聞だけで、芸能誌、女性誌など買ったことがありません。それでわたしも芸能会にはうとかったのです。
投稿: yoko | 2019年11月22日 (金) 10時59分
『喜びも悲しみも幾歳月』は昭和32年(1957)に制作されたと知り感無量です。その年の夏、学生寮の仲間と小豆島でキャンプを張りました。映画の岬小学校の十二名の生徒さん達は大石先生に引率されて灯台の岬に出かけたのか?記憶に定かではありません。確か、『喜びも悲しみも幾歳月』では、灯台の一つに瀬戸内海の高松沖にある島の灯台が映画の舞台となりましたね。ご夫婦のもっともつらい場面でした・・・。私の田舎の丘から七里先の沖合いに見える絶海の岩礁(島)で明かりをともす烏帽子灯台がこの唄を聴くたびに脳裏をかすまてやみません。冥土への土産ばなしに一度は傍まで行ってみたいものです。
投稿: 亜浪沙 | 2019年11月22日 (金) 14時47分
「喜びも悲しみも幾年月」私が4才の頃に憶えた想い出深いこの曲と、ほぼ同郷ではないかと思われる、亜浪沙様の生まれ故郷へのその想いの強さが伝わってくるようなコメントに触発されて!
2019年6月7日ご投稿「ふるさとの燈台」のコメントも拝読しましたが、亜浪沙様の>「脳裏をかすめてやまない」と仰る「烏帽子灯台」は、私の最も遠い4才のころの微かな記憶ですが、旧東松浦群で育った私が父と一緒に呼子へ行き、知人の船で海釣りに行った時に、船上から見える景色の中で、私が生まれて初めて見た灯台でした。
この唄の歌詞にある「灯台守」を調べてみると「日本においては長崎県五島市の女島にある灯台が最後の有人灯台で、2006年12月5日に無人化され国内の灯台守は消滅した」とありました。そんなことを知ると少し寂しい気もします。
2018年8月24日ご投稿、かせい様のコメント、>「木下忠司の作品は殆どが、2拍子あるい4拍子のマーチ風であったことです。」とありますが、この曲はまさにマーチで、私は幼い時にラジオから流れるこの唄を聴きながら、そのリズムに合わせ、片手を振りそして行進するように足を踏みながら歌っていたと、後年母が言っていたことを想い出します。今から思えば、私はその頃から行進曲が好きだったのかなと思ったりもします。
「喜びも悲しみも幾年月」を歌っていたあの頃からすでに60年以上の月日が経ちましたが、この唄を聴くと、幼かった4才の最も遠いそのころの私の記憶が蘇ってきます。
投稿: 芳勝 | 2019年11月22日 (金) 21時01分
昭和32年中学2年生の時 母に頼みこんで隣町の映画館で この映画を観ました。当時の映画は時代劇とと共に2本立てで上映されていました。
満州から無一文で引揚げ。町村合併で父は無職になり、母は化粧品の訪問セールスで私達を食べさせてくれる貧乏家庭でした。そんな中 母が何故か私だけ映画に行かせてくれました。
映画館は超満員で立見席最後尾から背伸びしつつ映画を観ました。佐田啓二さんと高峰秀子さんが激しい嵐の中ずぶ濡れになりながら観音崎灯台を守る姿や夫婦愛に感動しました。映画のあらすじは覚えていません。
「喜びも悲しみも幾年月」の歌を聞くと転勤・単身赴任の多かった昔を思い出します。転勤先の方言、仕来り、県民性、風土・歴史などを覚え職場の雰囲気になれ自分の仕事をするのに最低半年以上かかっていました。やっと仕事を覚え地域の方と仲良くなったら、他県に転勤の繰り返しでした。2人の子供は 小学校を4校づつ転校しました。娘の場合、千葉で入学、次いで鹿児島、熊本に転校、札幌の小学校で卒業しました。
不器用な私を助け、家庭を守り子供が普通の子に育ったのは妻のお陰です。最近は妻のアドバイスを聞き酒量を少なくして、人を誉めるようにしています。
投稿: けん | 2019年11月22日 (金) 22時02分
幾年月も北の雪国や南の離島やを妻と二人で経巡って、灯台守さんには主任だの係長だのと栄進することはないのだろうかと気になりました。あちこちの気象台長を勤めたことのある中学同級生に尋ねたら、功績はそれなりに評価される、希望すれば転属もある、とのことでした。誇りをもって続ける人もいた、と。彼は現業の人と一緒に働くのが好きでした。ともあれ、灯台守は気象台長さんのようなキャリア組とは違うのでしょう。今はロボットに取って代われて、存在しない職種ですが。
投稿: dorule | 2019年11月27日 (水) 10時35分
11年前の5月にこの欄に投稿した者です。その時は、素直に歌や映画に感動したと書きました。→『映画の最後の方で、遠く海外に赴任する娘夫妻が乗った船に、老夫婦が灯台の灯をともし霧笛を鳴らすところは特に感動的でした。』
しかし、ずっと気になっていたことが一つだけあります。これは“へそ曲がり”のたわ言だと思われるかもしれませんが、娘が可愛いあまり勝手に灯台の灯をともしたり、霧笛を鳴らして良いものかということです。
「公私混同」は良くありません。灯台の規則は知りませんが、私的なことで勝手に作業して良いものか? 映画では波も穏やかで、海上はまったく良い天候でした。
政治をはじめ「公私混同」が目立つ昨今ですが、減らず口と思われようとも、ひとこと言っておきます。
投稿: 矢嶋武弘 | 2019年12月 7日 (土) 16時08分
その通りですね。公的な会合で公的に責任がある人があたかも自分が主催する仲間内のサークルでもあるかのように、私的な知人を呼び込んで自分の羽振りをひけらかす、など、あってはならない恥ずかしいことです。関係者は恥を知り国民に謝罪すべきでしょう。慌ててその痕跡を消したり、隠したりすべきではないでしょう。
しかし、「父ちゃんのポーが聞こえる」て言う映画だったでしょうか?命短い娘の病院近くを通り過ぎる列車の機関士が娘に聞こえるようにと、汽笛をならして励ます、という映画がありましたね。私はこの映画を観てはいないのですが、物語の筋を思い出すだけで感動して泣けてきます。こんな場合、勝手に汽笛を鳴らすな!とはとても言えないですね。
投稿: yoko | 2019年12月 7日 (土) 20時35分
交流掲示板の「1343」に「父ちゃんのポーが聞こえる」
のあらすじを載せました。泣いてしまいました。
投稿: yoko | 2019年12月10日 (火) 21時29分
喜びも悲しみも数多ある長い夫婦生活も、二人が健康であれば、それだけで幸せなんだな~と、思いながら、しみじみと歌を聞いています。
ベッドに横たわる妻のやつれた顔を見ながら一人泣き明かした日々から3ヶ月の月日が流れ、少しづつ好転の兆しが見え始めました。
厳しい燈台守にあっても、《妻とふたりで~》ということが、肝心なところ…、どこまでも支えあい手をとり合って、死ぬまで鴛鴦夫婦でいたい…と、切に願う日々です。
投稿: あこがれ | 2020年1月13日 (月) 16時36分
あこがれさま、掲示板の方へお便りしました。(1392)
投稿: konoha | 2020年1月13日 (月) 19時59分
あこがれさま 掲示板にお便りしました。(1402)
投稿: 一章 | 2020年1月15日 (水) 22時08分
あこがれ様
掲示板にお便り致しました。
投稿: りんご | 2021年3月23日 (火) 09時06分
2年前の12月に投稿した者ですが、とても“杓子定規”なことを述べたので反省しています。ずっと気になっていました。申し訳ありませんでした。
yokoさんのおっしゃる通りだと思います。公私混同は良くありませんが、なにもかも、規則や既存の法律に縛られるのが良いとは思いません。反省して陳謝します。
投稿: 矢嶋武弘 | 2021年10月 2日 (土) 05時35分
船の安全に欠かせない燈台守って、大変な仕事だったと思います。現在の多くの灯台は、自動化されているようですが……。単身赴任でなく、家族での勤めは、映画に出てきたと思いますが、子どもの進学など、子育てで大変だったと思います。
佐田啓二の息子の中井貴一は、演技力などで親を超えていますね。この歌、海上保安庁の歌だ……と海上保安庁に勤めていた方が言ってましたが、真偽の程は???宴会などで、歌っていたのでは?と想像しています。
私の友人で、昔のテレビドラマ「海の非常線」にあこがれて、海上保安庁の船乗りになったひとがいます。この歌を私のおやじが、風呂でよく歌っていたのを思い出します。
投稿: のりべ | 2022年9月 9日 (金) 00時34分
この歌の歌手「若山彰」さんの張り裂けるような歌いぶりがこの歌とはそぐわないのではと思いながら、灯台を見て回る時には、いつも口ずさみます。
主題歌となった映画の舞台の一つ、志摩市の安乗埼灯台へは何度か訪れています。今では車で容易に行ける所ですが、当時は小さな漁村で淋しい所だったようです。
私は伊勢志摩地域で育ち、最古のレンガ造りの「菅島灯台」、絵描きさんの聖地「大王崎灯台」、「潮騒」の舞台「神島灯台」には足を運んで絶景に自己満足しています。そういえば「みさきめぐり」という歌がありましたが、「灯台めぐり」はないものかと、馬鹿な想いに浸っています。
投稿: 伊勢の茜雲 | 2022年9月28日 (水) 22時11分
9月に「灯台めぐり」の歌はないものかなどと投稿しましたが、11月1日の朝刊に灯台記念日の記事が掲載されており、目を疑いました。私の住む伊勢志摩地域にある灯台の事を記しましたが、その4ケ所は1998年に海上保安庁で募った「日本の灯台五十選」に選ばれたものばかりだということが分かりました。あの4ケ所の白亜の灯台がいつでも見に行ける地に住む幸運を噛みしめた次第です。「喜びも悲しみも幾年月」を口ずさみ妻にうるさがられる日が続きそうです。
ますます「灯台めぐり」の歌が待ち遠しい限りです。
投稿: 伊勢の茜雲 | 2022年11月 4日 (金) 10時01分
5番の歌詞
波よ砕けよ 己の心
知るや知らずや このともしびを
胸に輝く 光あり 光あり
自分にはこんなふうに聞こえますが、詳細は不明ですね。「己の心」の部分がとくに聴き取りにくいです。
投稿: くじらのマッコ | 2023年3月19日 (日) 22時56分
若山彰と言えば、津川雅彦が日活から松竹に移った時に主演した正月映画「惜春鳥」(木下恵介監督)の主題歌を歌っていたのを思い出します。”流れる雲よ、朝空に朝空に。輝く遠き山々よ、山々よ…” 懐かし~い…。
確か、彼は「毬藻の歌」を歌った同じコロムビア所属の安藤まり子さんと結婚したように記憶します。間違っておりましたらスミマセン。
投稿: ジーン | 2023年12月27日 (水) 17時49分