月がとっても青いから
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
作詞:清水みのる、作曲:陸奥明、唄:菅原都々子
1 月がとっても青いから 2 月の雫に濡れながら 3 月もあんなにうるむから |
《蛇足》 菅原都々子は昭和2年(1927)青森県で作曲家・陸奥明の長女として生まれました。古賀政男に歌唱力を認められて養女となり、10歳のときテイチクレコードから童謡歌手としてデビューしました。
戦後『憧れは馬車に乗って』『江の島悲歌』『連絡船の唄』など次々とヒットを飛ばし、テイチクレコードの黄金時代を築きました。
極めつけは、昭和30年(1955)に実父・陸奥明が作曲した『月がとっても青いから』で、累計約100万枚売り上げました。当時のレコード市場の規模を考えると、現在の数百万枚以上にも匹敵する空前の大ヒットでした。
「月がとっても青いから……」は、当時の流行語になりました。デートのあと別れがたい恋人同士が「月がとっても青いから、遠回りして帰ろう」などと使ったといいます。
(二木紘三)
コメント
この歌♪月がとっても青いから♪を聴きましたのは、…そう今を遡ること五十年近く前になろうかと思います。当時、私は小学生の低学年でありましたが、今はもうなくなってしまいました小学校の木造校舎の講堂で巡回映画の主題歌として聴いた記憶が残っております。もちろん、映画は白黒だったと記憶致しておりますが、筋書きまでは憶えておりません。
投稿: 水本爽涼 | 2008年5月23日 (金) 14時11分
月が青く見えるのは、青い地球に照らされてるからだ、とか。
ホントかどうか知りませんけど、そんな話を聞いたことがあります。
投稿: kochia | 2009年12月 6日 (日) 03時08分
「想い出の小径よ」とは過去の事を言っているのだと読めますが全体の詞は昭和30年とは思えません。今でも
通じるように思えます。
投稿: 海道 | 2009年12月 7日 (月) 18時08分
なぜか、何度も聴いてしまいます。
つい最近、仏の動画サイトで、日本の30代女性シンガーがこの曲を歌うのを観ました。
ナツメロとはまったく縁のなさそうな人ですが、歌のココロとでもいうのでしょうか、
それが「ちゃんと引き継がれているなぁ」・・・と、感慨深いものがありました。
投稿: 乞児 | 2010年9月19日 (日) 03時38分
「青い月」とは古代日本語の名残で「淡く輝く月」の事だそうですがこのように詞に組み込むセンスに感服します。
投稿: 海道 | 2012年9月12日 (水) 14時26分
教養とは言葉の裏に多くの意味があることを知っていることなのですね。昔の作詞者には古語、漢語などの教養がぎっしり詰まっていたようです。海道さんの頭にも一杯入っているのでしょう。淡く輝く月とは知りませんでした。ただロマンチックな月夜を表現しているのだと思っていました。眠り草さんが言われたように曖昧な表現の中に沢山の意味が詰まっています。曖昧な日本語、大好きです。その真意をくみ取る力を欲しいと思います。臨機応変に理解する能力です。昔の歌は歌詞が素晴らしい。曖昧な日本語で私は楽しみたいと思います。この歌も大好きです。
投稿: ハコベの花 | 2012年9月12日 (水) 16時45分
この歌を聴くと、近所に在った「パーマ屋」さん(美容院)を思い出します。
蓄音機だったのか、ラジオだったのか定かではありませんが、この「月がとっても青いから」がよく流れて来たものです。私幼稚園、5才の頃ということですね。子供ながらにテンポの良さに乗っけられて、間もなくのうちに覚えてしまいました。それほど心地よく感じた歌だったように思います。
秋の十五夜の夜は、町内会あげての「綱引き大会」もありましたね。
走ると、お月様も一緒になってついてくる。不思議に思ったものです。
確かに、歌詞は今でも充分通じうるし、二人で歩きながら声高らかに歌えそうです。お月様が、笑顔で二人を見てますよー。
投稿: かせい | 2012年11月30日 (金) 00時15分
「月がとっても青いから…」と、「とても」ではなくて、「とっても」と促音を使ったのがこの歌詞の「妙」ではないでしょうか。「とっても青いから…さあ帰ろう」となれば、陸奥明も弾むような明るい調子の曲を、と思いますよね。もしかしたら、いずれ別れるような事になるかもしれないけど、今夜は楽しく、遠回りして帰ろう—‼ 明るい月のようにポジティブな気持ちを持って…。 清水みのるは、「森の水車」「星の流れに」「雪の渡り鳥」など、間口が広いというか、多彩というか、才能ある作詞家でしたね。 菅原都々子も、お父さんの手掛けた作品が代表作になったのですから、嬉しさ一塩だったでしょう。
投稿: かせい | 2013年1月 3日 (木) 01時08分
いつ聴いても、かろやかで清純な恋愛歌です。父母の世代の歌ですが、私も好きです。鈴懸の並木とはなんだろうか?今さらきけないという気持ちで調べたら、プラタナスの並木のことでした。そういえば鈴のような球が実ります。昔の人は、実にみごとにに翻訳したものですね。そこに感心しました。
昭和20~30年代には並木を扱った歌が多いように思います。「並木の雨」とか「並木路子」とか、、その時代特有の並木のイメージがあったのでしょうね。私は並木といえば、映画『第三の男』のラストシーンのポプラ並木(だったかな?)を思い出します。
投稿: 黒潮丸 | 2013年1月 3日 (木) 12時34分
十五夜からこの歌を毎日聴いています。実はこの歌は秋の歌だと思っていたのですが、3番の歌詞を読むと「月もあんなにうるむから」なんですね。春の歌かもと気が付きました。その上若い男女の歌かと思っていたのに、ゆきずりに知り合った想い出の径であり、今日限りに逢えぬともですし、中高年の仲の良い夫婦の歌ではないかと思うようになりました。まあそれぞれの思いで聴けば良いわけなのですが、歌詞の本当の意味を作詞者に聴いて見たくなりました。年を取って腕を組んで歩きたいような素敵な夫を持てばよかったなーと後悔しています。今更取り換えられないし残念です。
投稿: ハコベの花 | 2014年9月15日 (月) 13時24分
ハコベの花様
初めて投稿します。数年前からこのサイトを楽しませていただいておりますが、多くのコメントのうちハコベの花様のコメントが興味深く、ウオッチさせていただきました。ハコベの花様のほど激しくありませんが、私も夫に不満を持つことが非常に多く、共感しました。しかし、この年になっては別れてほかの人と一緒になろうと思っても、相手になりそうな人は皆無ですし、まあ今のままでいいかと思うようになりました。この年になって、消極的にですが、なんとか夫と折り合えるようになりました。この人で仕方ないかという形の夫婦愛もあるかな思います。
投稿: カツ代 | 2014年9月16日 (火) 18時50分
カツ代様
このサイトには、女性の方の投稿が少ないので淋しく思っていました。女性には女性の感性がありますから、同じ思いをしている方が居られるととても嬉しいですね。今後ともよろしくお願いいたします。ここに投稿される皆様は音楽が良く分かっておられる方が多いのですが、私は音楽の知識は全くありません。蛇足を読むのが好きでここに投稿するようになりました。ただ歌には思い出が蘇ることが多くあります。何といっても若い日の憧れと恋の思い出ですね。いつまでも若い心で居られるのは皆様の投稿を読んで共感することだと思います。腕を組んで歩きたい男性を想像して楽しみましょう。それが歌の魅力かも。それからいつも優しくご教授くださった眠り草さんお元気でしょうか。心配しています。
投稿: ハコベの花 | 2014年9月16日 (火) 22時02分
春に逢って秋に別れる、秋の唄――この唄の構成の一解釈。
1.「青い月」は春には相応しくないでしょう。空や空気が澄んでいるから月が青いのでしょう。鈴懸の花が咲く春に出逢って今では想い出となった小径。
2.「月の雫」は露の異称ですから紛れもなく季節は秋、この場合は夜露。
3.春の月は朧ろ、月が潤むのは観る人の生理的状態(例えば、涙ぐむ)か主観によるのでは。
投稿: 槃特の呟き | 2014年9月17日 (水) 00時05分
槃特の呟き様
私も全くの同じ見解です。「月もあんなにうるむから」…
夜は更けてゆく、ねぐらは別々、でも「さよなら」「おやすみ」と二人は口に出せない。いつまでもこうして歩いていたい。
若い二人の目には思わず涙が・・。〈許されるものなら、二人してあの月までこのまま逃避行・・。〉 お互い嫌いになって別れるのではなく、何らかの事情で暫く離れる事に…。遠くない日に
事は好転してまた逢えることになるよ、きっと・・。
本当に別れ難い時って涙が滲んでくものですよね。若い頃って…。
投稿: かせい | 2014年9月17日 (水) 22時56分
かせい様
私見にご賛同いただき恭悦至極、字面だけから解釈しただけで、散文人生の果ての老い耄れには、場面の想定・想像など夢のまた夢、ご貴殿の場面叙述の綴りの瑞瑞しさには是非とも肖りたいものです。
投稿: 槃特の呟き | 2014年9月18日 (木) 23時49分
始めて投稿させて頂きます。70代の女性です、この歌が流行った頃青春真っ盛りでしたが 、遠廻りして帰る相手も無く、この歌を聞くたびに 消極的で想いを告げられず今でもおもいだす人がいます。そんなとき東京大衆歌謡楽団さんに出会い高島孝太郎さんとても 声が良く歌もうまくこの歌を持ち歌で歌ってくれました。浅草の合羽のえこひいき祭りです。
すっかりフアンになりました。この歌も大好きになりました。
投稿: 君恋し | 2014年11月26日 (水) 21時40分
雨戸を閉めながら見上げた空に、9日月が青く見えました。綺麗な月です。懐かしい人に手紙を書こうか書くまいかとまた迷い始めました。月は人を狂わせるという言葉を思い出しました。万年筆にインクを入れて、書き直し、書き直し、しているうちに冷静になってきます。ささやかな趣味です。楽しいひと時です。少し若やいだ気分になります。今夜、腕を組んで歩く夢を見られたら完璧ですね。明日も元気に目が覚めます様に。
投稿: ハコベの花 | 2015年10月20日 (火) 23時20分
ハコベの花様
この曲を大変懐かしく拝聴いたしました。ありがとうございました。
私が中学三年の頃に、よくラジオから流れていたのを思い出します。
後になって知りましたが、この曲を作曲されたのが実父の「陸奥明」さんと知りびっくり!
親子二人三脚で大ヒットを飛ばし、アッパレ!素晴らしいことだと思います。
改めて、愛用の「蓄音機」(ビクター製・SP盤使用)で聴きましたが、鉄針で聴く音の素晴しさ・・・本人が目の前で歌っているような音声・・・何とも言えない雰囲気に包まれました。
ちなみに、定年退職後、県内外の骨董屋等を散策、戦前戦後の「流行歌」約400枚を収集、中には珍しい「マリリンモンロー」の映画「帰らざる河」の主題歌(ビクター盤:新品同様)の一枚も。(なんと購入価格100円也)
現在では、焼酎を飲みながら自分で楽しむのが中心ですが、時間が許せば「懐かしのSP盤コンサート」でも計画しようかと思案中です。
投稿: 一章 | 2015年10月22日 (木) 23時59分
我が家でも昭和46年生まれの次男がレコード大好きで生まれた時からレコードを掛けて聴いています。リサイクルショップで1枚50円でレコードを買ってくるのですが、クラッシックも童謡も演歌もぐちゃぐちゃに積み上げられていてそこから抜き取って探すのですが、手は真っ黒、ホコリで服まで汚れてしまうので最近は行って居りません。すり切れたレコードで昔の唄を聴くのも面白いものです。次男が昔の歌謡曲を歌うので笑われています。古い歌には味わいがあって良いですね。今夜は曇っていてお月さんが見えないようです。
投稿: ハコベの花 | 2015年10月23日 (金) 17時32分
今朝、ふっとこの歌が口をついて出てきました。9月になったと思ったからでしょうか。それで今、この歌詞を読んで、疑問が湧きました。私はずっとこれは女性の想いの歌だと思っていました。でも言葉がどうも男性側の歌のような気がするのです。好きな男性にこの歌詞のような言葉を言われたら女性は嬉しいでしょうね。まあ男女どっちの歌でもいいのですが、何だかとても嬉しくなる歌には違いありません。この歌を聴きながら気持ちだけはずっと青春でいたいものです。
投稿: ハコベの花 | 2016年9月 6日 (火) 14時56分
暫くぶりで、投稿します。
今日、介護施設でこの曲をハーモニカで演奏します。
澄み切った菅原さんの歌の感じが出れば良いと思います。
残暑厳しい折からフアンの皆様!ご自愛下さい。
あらちゃんより。
投稿: あらちゃん | 2016年9月 9日 (金) 08時48分
若い頃のわたしは、この歌が嫌いでした。正直に言うと、菅原都々子の、あの独特なビブラートを利かした歌い方が嫌いだったのです。ところが、何年か前に、80歳半ばの彼女が、この歌を唄うテレビを見ていて、「ハイテンポの、この曲をよく歌うものだ」と、逆に感心するようになりました。さすがに往年の声の衰えは隠しようもありませんでしたが、その分、ビブラートもおとなしくなり、かえって、わたしには好ましく聞こえました。この歌についてのアレルギーは、今はもうありません。
この歌の主題は何と言ってっも「青い月」ではないでしょうか。2番の「月の雫」や3番の「月がうるむ」は、副題でしょう。青い月夜に腕を組んでのデート――何ともロマンチックな情景ですね。若い頃、いや中年の頃でも、高齢の今でも、こんな経験をつんだ方は結構多いんじゃないか、とやっかみ半分も手伝ってコメントをしています。
ところで、「月がとっても青いから」の「青い月」とは何でしょう。ネットでちょっと調べてみました。 気象上では、火山の噴火などにより大気圏にチリなどが多いときには、月は青く見えるそうです。また、日本の晩秋や冬の、大気が比較的乾燥しているときの月光は「青白く」、そのとき中天高く昇った月は、やや白みがかって見えるそうです。また、海道様がすでにコメントされているように、上代の日本では、「淡い」色を「あお(青)」といい、そこから「淡く輝く月」を「青月」としたと伝えられています。この中の月で、どれが詞の雰囲気に適っているでしょうか。噴火の「青い月」はなじみませんね。では、「青白い月」と「淡く輝く月」と、どちらでしょうか。私見では、この二つは同じものだと思っています。何故かといいますと、「淡く」=「青」だからです。作詞家 清水みのるはそのことも知っていて、この歌を作ったのでしょうね。
「青い月」について、いろいろ講釈してきましたが、そんな理屈は抜きにして、この歌の雰囲気を楽しみましょう。因みに、今月の15日は「中秋の名月」です。この時節では、まだ「青い月」は期待できそうもありませんが。
投稿: ひろし | 2016年9月 9日 (金) 16時53分
そうですねぇ。私も最初にこの歌を聴いたとき、嫌な声だと気持ちが悪かったです。若い時はこの歌を聴きませんでした。ところが年を取ったらいい歌だと思うようになりました。なんて優しい歌だろうと思います。都々子さんのほかの歌はあまり知りません。今夜も美しい月が出ています。この歌の情景が浮かんできます。心が和みます。
投稿: ハコベの花 | 2016年9月10日 (土) 21時00分
この「月がとっても…」を初めて聴いたのは5歳、幼稚園の頃。
清水みのるの詞・陸奥明の曲のテンポ、リズム、メロディにハまって大好きになってしまいました。でも、私も ひろし様、ハコベの花様 同様 菅原都々子の「声と歌唱」は嫌でした。
何かに怯えてるような、ヒュー、ドロドロ感がして・・。「連絡船の歌」がラジオから流れてくると、耳を塞いだりした程です。 小学生になり、歌詞もメロディも完全に覚えてしまってからは、一人
月夜の道を唄って、悦に入って散策・逍遥を楽しんだものです。この歌は「男歌」でもあり「女歌」でもあります。デュエットで唄えば楽しさ倍増でしょうね。 これから空気が澄んだ夜空に青いお月様を見つけたら、貴方の愛しき人と腕を組み合って、この歌を唄いながらウォーキングしましょう。
投稿: かせい | 2016年9月12日 (月) 01時35分
かせい様のコメントに「貴方の愛しき人と腕を組み合って、この歌を・・・」、とありましたが。
私の思い出は、亡き父親と散歩をした思い出です。長男であった私を連れて、夕方、実家の裏の丘陵地帯をよく散歩した思い出です。多分、小学校低学年の頃でした。
今、調べるとその丘陵地帯は、第二次幕長戦争の頃、長州の奇兵隊と、幕府方だった肥後藩が壮絶な戦いをやった場所(鳥越峠)だそうです。結果的に、譜代・小笠原氏の小倉城は、自ら城を焼いて、後背地・筑豊に撤退し、長州藩に占領されたそうです。
父は、「尚義、胸を張って歩け」と、よく言いました。68歳の今、他人から姿勢がいいですねと、よく言われています。下の妹弟は幼かったので、私が連れ出されたのでしょう。その頃、この歌が流行っていた様で、夜8時からのNHK「3つの歌」で、聞いていた記憶があります。
ただ、それだけの思い出です。
投稿: 竹永尚義 | 2016年9月14日 (水) 16時08分
昨夜、雨戸を閉める時ふと見上げた月のきれいさに思わず、「皆、見てごらん。お月さん綺麗だよ」とさけんでしまいました。4日月でしょうか。右下に小さな星が一つ見えました。
台風一過、すっきりとした空に黄金色に光る月はどんな哲学書を読むよりも心に物を思わせる力がありますね。
この月を一緒に眺めたい人はまだこの世に生きて居られるだろうか。「腕をやさしく組みあって・・・・」夢のひとときを味あう事ができました。
投稿: ハコベの花 | 2019年10月 5日 (土) 13時28分
菅原都々子さんの連絡船の唄の「쌍고동 울어울어 연락선은 떠난다」で始まる和訳をお願いできないでしょうか?よろしくお願いします。
投稿: 田舎者 | 2020年3月23日 (月) 12時42分
쌍고동 울어 울어 연락선은 떠난다
船は出て行く 別れの銅鑼の音
잘가소 잘있소 눈물 젖은 손수건
チャルカッソ チャルイッソ 涙の波止場
진정코 당신만을 진정코 당신만을
帰るあてない 貴方を乗せて
사랑하는 까닭에 눈물을 흘리면서
離れて行くよ 涙噛みしめ
떠나갑니다
別れ行く
울지를 말아요
連絡船よ
파도는 출렁출렁 이 가슴을 치는데
胸にしみいる 波の潮吹きよ
정든님 부여안고 목을 놓아 웁니다
抱いて抱かれて 離別を惜しむ
오로지 당신만을 오로지 당신만을
あなただけなの あなただけなの
사랑하는 까닭에 한없이 정처없이
愛しているのに 無情の波路を
떠나갑니다
別れ行く・・・
울지를 말아요
連絡船よ
投稿: 紫野 | 2020年8月25日 (火) 14時58分
♪月がとっても青いから 遠まわりして帰ろう…♪、そして、♪二人っきりでサ帰ろう♪、なんと明るい青春賛歌なのだろうと、この歌を聴いたり、口遊んだりするたびに、先ずは、そんな気分に誘われます。
この歌が世に出た昭和30年、私は高校生でしたが、その明るい曲想に惹かれ、直ぐに憶えました。
その後、社会人になって、ずっと時が経ったある日、職場の宴会の席で、こんな昔の歌を知るはずがないと思うような若者が、この歌を披露し、驚いたことを思い出します。まあ、時を越えて歌い継がれる名歌である所以であろう、と納得した次第です。
では、底抜けに明るい青春賛歌なのかというと、どうやら、そうでもないようです。
歌詞をつらつら眺めてみますと、歌詞3番に、♪もう今日かぎり逢えぬとも…♪と離別(遠地への就学?、遠地への就職?)を示唆するフレーズがあり、また、歌詞1~3番に”想い出”という言葉が登場しており、これらから、離別に際して、過去の楽しい想い出を振り返っているような情景が浮かび上がってくるのです。
とは言え、この歌は、やはり、このようなことに頓着せず、からっと、明るく歌うのが似合ように思います。
投稿: yasushi | 2021年1月15日 (金) 16時33分
かなり前の投稿にケチを付けるようですみませんが、
海道様 (2012年9月12日)の
「青い月とは古代日本語の名残で「淡く輝く月」の事だそうです。」につきまして、
これだと「月がとっても青い」の意味が、「月がとっても淡く輝く」となり、「とっても淡く」が日本語として成り立つのかすこぶる疑問です。
海道様が言ってるのは、古代では「あわく」と言うべきところを「あうぉく」と言い間違えることが多かったと言う事ではないでしょうか?
「月がとっても青い」とは、私には 単に「月がこうこうと輝く」という印象です。
ここの「青」は、単に冷色系の色であるという意味で、あまり意味は有りません。
「とっても青い」で、冷色系の色が鮮やかに輝いているという意味になるんだと思います。
「青々とした木々」の意味を考えたら、お分かりになるでしょう。
投稿: エンジ | 2022年5月 5日 (木) 08時14分
「月がとっても青いから」菅原都々子さんのこの曲は私が物心ついたころには、近所のあちこちでこの歌を口遊んでいた人たちが大勢いたので、私もいつしかこの歌は覚えていた、私にはそんな記憶が残っています!
ここに皆さまから寄せられている貴重なコメントの中から、2012年11月30日・かせい様ご投稿の『・御文・』を初めて眼にした時には、偶然にも自分の幼いころの体験と重なるものがあったので、私はとても驚きました。
『・・・走ると、お月さまも一緒になってついてくる。不思議に思ったものです。・・・』
私は今でもハッキリと覚えているのですが、5歳のころ家族みんなで銭湯に出かけたある日のことですが、その日の夜空には、まんまるいお月様が浮かんでいて、その時、私は自分が走ればお月様の位置が変わるのでは、ふとそんな気がした私は、つないでいた母の手を放し、急に走り出したことがあります。ところがお月様の位置はまったく変わりませんでした。不思議に思った私がそのことを真顔で母に問うと、そりゃあいくら走っても変わらないよ、と言いながら母が笑っていたことがありました。
「月がとっても青いから」私は心を朗らかにしてくれるようなこの曲が無性に聴きたくなり、時折このページを開きますが、その度に、幼少のころに私と同じような体験をされたという、かせい様の『・御文・』を読み返しては、今も当時のことを想い出しながら妙に懐かしんでいる自分がいます。
投稿: 芳勝 | 2023年6月 3日 (土) 14時28分
此の曲が街に溢れていた頃、私は中学生でした。菅原都々子さんの歌声が独特だったので物真をする人が多かった記憶があります。あの声で弾むように歌う・月がとっても青いから・は好きな歌の一つで、特に了の<サァア 帰ろう>の唄い方が明るくて好きになりました。逢うは別れの始めとは言え、こんなに明るい曲ならハッピーエンドでなくても幸せになる二人を想像させる終わり方だったらもっと良いんじゃないかなどと思ってしまいます。私は小学2年生の時、都内に引っ越して現在に至りますが今ほど空気が汚れていなかった頃、高層ビルが少なく空が広がって星が沢山観えた頃、ツバメが低く飛ぶから天気が崩れるとか紋白蝶が普通にひらひら、秋にはコウロギが鳴いていた頃、ミカン色、オレンジ色、銀色、金色、白い月、灰色の月、大きな月、眩しいくらい明るい月、そして青い月は確かにこの目で幾度も観ています。
投稿: じぃじ | 2024年3月 2日 (土) 21時28分
墓参して帰路に就くころ数十年の間には、何度も中秋の名月の月光を楽しみながら帰ったことが思い出されます。なんて美しいんだろうと又その明るさでうっとりするほどいつまでも楽しみ帰宅した事でしょう。今夜は中秋の名月です。月の光と共に月光を弾きます。
投稿: kazuyo | 2024年9月17日 (火) 16時57分