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2007年8月22日 (水)

遠い世界に

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞・作曲:西岡たかし、唄:五つの赤い風船

1 遠い世界に 旅に出ようか
  それとも赤い 風船に乗って
  雲の上を 歩いてみようか
  太陽の光で 虹を作った
  お空の風を もらって帰って
  暗い霧を 吹き飛ばしたい

2 僕等の住んでる この街にも
  明るい太陽 顔を見せても
  心の中は いつも悲しい
  力を合わせて 生きることさえ
  今ではみんな 忘れてしまった
  だけど僕達 若者がいる

3 雲に隠れた 小さな星は
  これが日本だ 私の国だ
  若い力を 体に感じて
  みんなで歩こう 長い道だが
  一つの道を 力の限り
  明日の世界を 探しに行こう

  明日の世界を 探しに行こう
  探しに行こう

《蛇足》 昭和44年(1969)にコーラスグループ「五つの赤い風船」が歌ってヒットしました。

 「五つの赤い風船」は、西岡たかしが中心になって昭和42年(1967)に結成、同47年(1972)に解散しました。この曲を含め、メッセージ性の強い曲を数多く歌っており、その意味でフォークの王道を歩んだグループと言えるでしょう。

(二木紘三)

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コメント

 青春 = 憧(あこが)れ
 ある一面では、このような公式が成り立ちそうです。その公式を歌という形式で表現するとすれば、『遠い世界に』。
 この歌の背景となっている「近い世界」は、昭和40年代前半頃の社会。その頃既に社会全体は高度成長経済へと、大きく離陸していたけれども、その内実は…。
 時代の鋭敏な批判精神の体現者である、時の若者たちが怒り、学生運動を起こさざるを得ないほど、世の中全体に大きな問題や矛盾を抱え込んでいた。
 しかし今と大きく違うのは、あの時代の若者たちは、「暗い霧を 吹き飛ばしたい」「だけど僕達 若者がいる」「明日の世界を 探しに行こう」と歌えるだけの、青くさいけれども、健全さと、活力と、若者間での連帯意識が、確かにあったこと。
 私はこの年(間もなく59歳)になった今でも、「遠い世界」を求め続けてやみません。おそらくこの後もずっと…。
 皆様はいかがですか?

投稿: 大場光太郎 | 2008年4月17日 (木) 00時34分

大場光太郎様

多数の病気を抱えている身では「遠い世界」など考えも出来ません。高度経済成長が日本をかえたのは事実(いい意味で)ですね。ここには使用者と雇用者との信頼関係があった
(終身雇用)。世界に誇れるのはカラオケ、カップメン、
ゲーム、マンガ、寿司らしい。何も無いより良いのでは無いでしょうか。

投稿: 海道 | 2008年12月 6日 (土) 09時26分

海道様

  遠い世界 = 理想、統合、平和、高次元世界
  近い世界 = 現実、分離、争い、三次元世界
 そろそろ「今年の漢字」が発表される季節です。少し前、それを私なりに考えてみました。そしてあまり迷うことなく思いついたのが、「迷」。政治、経済、金融、教育、文化…さまざまな分野で、混迷、迷走、迷惑な出来事が今年は特に多かったように思います。まるで世の中全体が、先行き不透明で出口の見えない、迷路、迷宮に入り込んでしまったかのようです。
 しかしご安心ください。今は「産み出し」の時だと思うのです。今から20年ほど前、当時の気鋭の民俗学者たちが『異次元が漏れる』という対談集を出しました。今現在では、もう「漏れる」どころではなく、私たちが住むこの「近い世界」と「遠い世界」とのヴェールが、どんどん薄くなってきているように思われます。
 「産み出し」はまた「膿(ウミ)出し」です。地球そのものが、精妙で清らかな世界を目指しているようです。ですから、世界も、日本も、私たち個々人も。半ば強制的にウミを出させられているのが、今の現状だと思うのです。「新しい酒は古い皮袋には入れられ」ません。それを信頼して、出せるウミは恐れずに自ら出し切ってしまえば、身も心もすべて癒されて、「日本晴れ」。
 世界に誇れるものは、更に続けさせていただければ。「ZEN(禅)」「JUDO(柔道)」「HAIKU(俳句)」…。日本はもっともっと、世界に向けた「スピリチュアルな発信源」になっていくべきだと思います。(二木先生。皆様。長文かつ立ち入った内容、どうぞご寛恕ください。)

 

投稿: 大場光太郎 | 2008年12月 6日 (土) 13時18分

63歳のオッチャンの懐メロのフォクソングで、カラオケで歌える、歌いたいのは、この曲ぐらいしかありません。どちらかといえば、なんとはなしの期待の方が多いが、不安も十分を感じていた青春時代を思い出す曲です。

投稿: 高江 正幸 | 2014年1月14日 (火) 08時55分

あれからもう約半世紀経ってしまいました。
高校2年、3年の夏休み、2年続けて数名の同級生とともに、長野県の美ヶ原高原へキャンプに行きました。長野県下の高校生が集まるイベントに参加するためでした。正確には覚えていないのですが、全県から男女150名を超える高校生が一堂に会したと記憶しています。他校生徒との交流会の後、夜も深まった満天の星空の下でのキャンプファイアー、有志によるフォークソング演奏や全員参加のフォークダンスで青春を燃やしたあの一瞬が、今でもまるで昨日の出来事のように鮮やかに蘇ります。最後に全員で合唱した曲が『遠い世界に』だったと思います。五つの赤い風船のメンバーも当時は紛れもない若者でしたが、高校生の自分たちにとっては十分大人の印象でした。そして当時自分が持っていた将来に対する漠然とした不安、悩みを払拭してくれたのがこの曲でした。すごく勇気をもらいました。実を結ぶことはありませんでしたが、他校の女の子との淡くも熱いロマンスも経験しました。もう二度と戻れない遠い青春の一コマです。今ではあの頃の仲間や恋人も皆高齢者と言われる年になってしまいました。みんな元気なんだろうか。

投稿: 流星 | 2020年6月10日 (水) 20時33分

流星様

たぶん、同世代だと思います(『神田川』のコメントから推察しました)。
『遠い世界に』は私の青春時代を思い起こさせる曲です。
私が学生の頃は、山のキャンプでも、学園祭のファイヤーストームでも、旅で宿泊したユースホステルのミーティングでも、必ず皆で合唱しました。また、フォークダンスで踊るというのも、私達の世代までだったのではないでしょうか。
美ヶ原へは、夏の間滞在した学生村で同宿になって知り合った女子高生四人と、ある日バスに乗って訪れました。後にその内の一人と交際しましたが、ほろ苦い思い出の残る結果になってしまいました。
ああ!青春! 人は一生に一時しかそれを所有しない。 残りの年月はただそれを思い出すだけだ。(ジイド)

投稿: Yoshi | 2020年6月12日 (金) 13時06分

Yoshi様の最後の2行、胸にぐさりと刺さりました。
若者にとって、40年、50年先は遠い遠い世界です。まさに明日の世界を探しに行こう、と歌うのわかります。しかし、老人世代ににとって青春とは、昨日のようなもの、探すのではなくて、思い出されるものですね。フォークソング好きはどのように歌ったらよいのでしょうか、”今日の世界を大切にしよう”とでも歌いますか・・・

私はスポーツがからきしだめでボールと名の付く競技には拒絶反応がありました。昼食後の昼休み、クラスの皆はソフトボールとフォークダンスのグループに分かれて校庭に跳びだして行きましたが、私は孤立して校舎の二階から寂しく校庭を眺めていました。今となってはあれも青春、これも青春、と自らを慰めてはいますが、本当はフォークダンスの輪に入りたかったですね。流星様、Yoshi様の青春、いいですね、私もユースホステルの経験してみたかったです。

投稿: yoko | 2020年6月12日 (金) 21時21分

Yoshi 様 yoko様

(多分)同じ時代を生きてきた方々のコメント、まるでもう何十年も会っていない昔の友達より届いた手紙を読んでいるような気分に浸らせていただきました。
時間はある意味残酷です。あの時『遠い世界に』を肩を組んで一緒に歌い、漠然とした中にも将来の夢に向かって同じ方向を見ていた友人たち、夢を叶えた友人もいれば不本意ながらも生活のため夢を諦めた友人もいます。また既に鬼籍に入った友人も。それぞれがそれぞれの人生です。あの可憐だった彼女も同じ月日の流れを経験して来たことでしょう。でも自分の心の中にいる彼女はあの日のままなのです。これが人生ですね。

投稿: 流星 | 2020年6月14日 (日) 02時27分

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