小さな日記
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
作詞:原田晴子、作曲:落合和徳、唄:フォー・セインツ
1 小さな日記に綴られた 2 ちょっぴりすねて横向いて 3 山に初雪降る頃に 4 小さな日記に綴られた |
《蛇足》 昭和43年(1968)、カレッジフォーク・グループの草分け、フォー・セインツのデビュー曲。
恋人が死んでしまうという歌はいくつかあります。『北上夜曲』や『愛と死をみつめて』では女性が亡くなりますが、この歌や『精霊流し』『会いたい』では男性が亡くなります。
死に別れは最も辛い失恋のかたちでしょうが、愛しあっていた記憶だけが凍結保存されるという点で、多少の慰めにはなるかもしれません。
(二木紘三)
コメント
初めてメールいたします。小さな日記を二木先生のサイトで聞いて嬉しくなりました。私の青春の一端で、お互いに手紙をやりとりした中にこの歌詞とメロディーがあったんです。その人とは別れましたが、この年齢になっても思い出は消えません。昨年、大病を患い、更にこの曲が思い出されます。編曲が素晴らしいので、涙が出てしまいます。いつまでもお元気でこの小さな日記が絶えることなく聞かさせていただけることを願っております。
投稿: おばば | 2008年3月23日 (日) 18時56分
おはよう御座います。
マンドリンを持っていた私はこういう簡単な曲だけひくことが出来てひいていたのを思い出しました。
無謀にも友人と学校祭に出演しようとまで考えていたことがありました。
若気の至りって面白いですねぇ
投稿: sunday | 2008年3月24日 (月) 07時09分
初めてメールいたします。二木先生には、「MIDI歌声喫茶」の時代から楽しませて頂いております。有り難うございます。
さて、この「小さな日記」ですが、私も学生のときに何かの雑誌の特集で覚えました。40年近く前のことです。ギターのコードが簡単な上に悲恋の歌詞やもの悲しいメロディーということもあり、たちまちに私の愛唱歌の一つになりました。
ところが、社会人になってCDを聞いたりカラオケで歌ったりして不思議に思うことがありました。それは、歌詞の長さです。学生の時に雑誌で覚えた歌詞は5番か6番まであったような気がするのです。「落葉の舞い散る道を二人で散歩する・・・」というようなことが書かれていたような記憶があるのです。
私の記憶が間違っているのかもしりません。しかし、愛唱歌ですから、簡単に間違いとも思えないのです。そこで、このサイトのファンの皆様にお願いです。私と同じ記憶をお持ちの方や何かご存知の方がおられましたら教えてください。
二木先生、ご迷惑なコメントで申し訳ありません。
投稿: 信州の小藩 | 2008年5月31日 (土) 15時26分
先生の解説が上手すぎて、書く言葉が見つかりません。
投稿: M.U | 2008年8月22日 (金) 16時25分
当時、大学卒業前で、娘と二人暮らしの寡婦の2階の3畳間を借りていました。一階からこのレコードが一日中聞こえて来るのです。その後郷里に帰っていた私に、「いつも"小さな日記"を掛けてごめんなさいね」と言う便りがありました。ロマンティックな淋しがり屋の彼女、あの頃40代だったのでしょう、忘れていましたが、どうしているのでしょう。
投稿: Bianca | 2008年8月22日 (金) 17時49分
良く聞けば辛い歌ですが、メロディーは暗過ぎず安心感
を与えてくれます。ここでお願いするのは変だと思いますが、千葉紘子の「折鶴」是非取り上げて下さい。
投稿: 海道 | 2009年6月23日 (火) 17時38分
私の恋もこんな恋でした
そして今、娘が同じくらいの年齢になり
かわいい恋をしているのに気付き、彼とのことを思い出しました
すると、娘がたまたまもらってきた花が二人の思い出のもので、TVでは彼がギターで弾いてた曲が流れてくるという偶然が重なりました
もしかしたら彼からのメッセージなのかな、なんて・・・
何故かこの曲を思い出しました
誰かにそっとわかって欲しい気持ちになりました
娘の恋はどうか悲しいものにならないでと祈ってしまいます
投稿: 千代乃 | 2010年3月18日 (木) 23時59分
この曲は4節の詞で綴る恋の物語で、起承転結の構成になっています。私も大変好きな曲です。
出張で時々飛行機を利用しますが、全日空は機内放送でかつての深夜放送のパーソナリティー・斎藤安弘さんのオールナイトニッポン=クラッシクスを提供しており、我々の世代には懐かしいヒット曲を空の上で聞くことができます。飛行機の機内という非日常の環境の中で、ひととき青春時代へタイムスリップしたような感覚を味わうことができます。半年程前のプログラムではフォーセインツの上原徹さんをゲストに招いていました。その対談で、この『小さな日記』は実は5番まであったことを知りました。(おそらく1番と2番の間に)~♪初めて逢った喫茶店♪~から始まる詞があったそうですが、カットされてしまったとのことでした。
またフォーセインツはその後フォークロバーズというグループ名で活動し、『冬物語』をヒットさせたことも知りました。『冬物語』は故原田芳雄と浅丘ルリ子主演のドラマで、物語は夫に先立たれた夫亡人と病に犯されたレーサーとの恋で、最終回はそのレーサーも海辺で死を迎えるというドラマです。主人公の女性にしてみれば、夫の次に恋人まで逝ってしまうという散々なストーリーですが、どうも上原徹さんの曲には恋人の死というテーマが付きまとうようです。ともあれ、『冬物語』もまた印象に残るリリカルな曲です。
投稿: Yoshi | 2014年7月16日 (水) 21時15分
いい曲ですね。
中学校の一学年下の女性を思い出しました。
私の妹と仲も良かったようです。
故郷に帰り実家の物置を整理していたら中学生時代のその彼女との交換日記が出てきました。
私が他市の高校に進学したので、日記も文通も途絶えてしまいました。
彼女は家庭の事情から地元の高校に進学。彼女の両親は彼女が地元から離れることを許さず、その後地元の人と見合結婚しました。
昭和30年初めの田舎住まいの中学生同士 私は彼女と会ったり、話したりする勇気がありませんでした。
旧い交換日記の横には彼女が私の妹にあてた手紙がありました。「お兄さんから連絡がないけど 今頃どうしているかしら?」、「一度 お会いしたい」と・・。
投稿: けん | 2017年10月21日 (土) 14時22分
私は佐賀県で生まれ、そこで少年時代を過ごしました。中学生の時、同じクラスになった、KNさんという人を、好きになりました!
お下げ髪(三つ組み)をしていて、大人しく、か細い感じのする人でした。KNさんは、とても行儀が良く、授業が始まる時には、スカートの裾をきちんとそろえて、椅子に座り、姿勢も良く、授業が終わると、椅子をきちんと机の下にしまってから、退席をする人で、また下校前の掃除では、床の雑巾がけの時も、机を拭く時も、どの机も一つ、一つ丁寧に拭く人だったので、私には素敵に見えました。初めは、彼女のそんなところに好感を持ちました。
ただ、KNさんは、とても無口な人で、彼女には、私から声をかけたりすることもなく、一学期も終わり、夏休みになりました。ところが、夏休みの最中に、彼女の姿が浮かんでくるようになり、そんな日々が続きました。色々と悩んだ末に、私は、思い切ってKNさん宛に自分の思いを、手紙に書きました。
しかし、その手紙をポストへ投函したあとで、突然に出したりしたので、迷惑がられたら嫌だな~と、また不安になったりもしました。それに10日が過ぎても、KNさんからの返事がなかったので、二学期が始まると気まずいな~と考えたりもしました。
すると二週間が過ぎた頃、KNさんから手紙が届きました。ドキドキしながら、開封して手紙の内容を読んだ時、以外な文章が書いてあり、驚きました。そこには、(原文)~M君へ、どんなふうに書いたら良いのかわからなくて、迷ってしまって、返事が遅くなってごめんなさい。でも自分の気持ちは伝えたかったので、お返事を書きました。私は人見知りで、友達も少ないので、M 君の手紙を読んだ時は、とても嬉しかったです。二学期に学校で会ったら、仲良くして下さい。KN~(原文)と書いてありました。当時、私はそれを読んだ、その瞬間は、とても嬉しくて、早く二学期になり、学校へ行きたいな~と思いました。
二学期が始まり、KNさんに学校で会った時は、お互い笑顔で挨拶ができました。
その秋の日曜日に、たった一度だけですが、待ち合わせた駅からディーゼルカーに乗り、一駅の、となり町でやってた、くんち祭りに、二人だけで出かけました。
出店でタコ焼きと大判焼きを買い、それを分け合って食べ、ラムネを飲んだあと、出店の浅い水槽に浮かべてある、色とりどりの数あるヨウヨウ風船の中から、KNさんが好きな桃色柄のヨウヨウ風船を、一回10円の手釣り糸で、私が釣りあげてそれをあげました。彼女はとても嬉しそうでした。
その帰りのディーゼルカーの中で、KNさんは、自分が下げた紙袋の中から取り出した、小さな紙包みを私に手渡しでくれました。包み紙を開いて見たら、それは、私のイニシャル YM の文字 を自分で刺繍してくれた、手造りのハンカチでした。それが、私が、女性から受けた、初めてのプレゼントでした。
そのハンカチは、今でも大切にしまってあります!
先日、弟の法事に行った時、押し入れを整理してたら、こんな物が出てきたよと、すぐ上の兄が渡してくれた小箱の中に、私の中学卒業のアルバムと、その頃に、私が付けていた日記があり、数ページにわたり、その当時のKNさんと私のことを、書いており、夢中で読みました。今日は、アルバムの写真を見ながら、何度もこの小さな日記♪を聴きました。
50年前の私の初恋です!
投稿: 芳勝 | 2018年1月22日 (月) 03時57分
芳勝様
素晴しい初恋ですね。
芳活様が初恋のKNさんと隣町で行われた「くんち祭り」に出かけられた思い出、素敵です。
礼儀正しく誠実でおしとやかなKNさんの雰囲気を想像しました。心優しく思いやりのある女性ですね。
芳勝様の素晴らしい文章力と「小さな日記」の曲にに引きずり込まれました。
HNさんからの原文の「学校であったら、仲良くして下さい。」の素直なお気持ちを読みグッときました。
人見知りのHNさんはご家庭で、人として大切なことを学ばれたのでしょう。
芳勝様のため手造りした刺繍ハンカチをプレゼントされたKNさんの真心、素敵ですね。
天気予報通り都心部では雪が昼前から降り続いています。
芳勝様の初恋日記を拝読して心が温かくありました。
日記とハンカチを大切にされて下さい。
投稿: けん | 2018年1月22日 (月) 13時42分
けん様
この度は、長々と書いた私の駄文に、目を通して頂き、本当に有難うございました!
実は、けん様が、昨年10月21日に、小さな日記♪にご投稿された文面を拝読しましたが、それに触発された自分も、多分にありました。
初恋という、照れくさい思いもありましたが、このようなご配慮のこもった、暖かいご感想を頂くと、思い切って投稿した事が、少し報われたような気がします。
寒さが厳しくなってまいりますので、お身体には、どうかご自愛下さい!
投稿: 芳勝 | 2018年1月22日 (月) 15時34分
誰でも「初恋」はあると思います。島崎藤村もそのことを詩にしました。しかし、芳勝様のような思い出までは作られなかったというところが本音だと思います。
文通は当時(昭和35~40年頃)流行っていました。今のように携帯もなくただ手紙だけで思いを伝えるのは至難の業だと思います。私も大学卒業時ある方に思いの丈を書き綴った手紙を送りました。返事は遠い所へ行くというような内容だったと思います。しばらくは上着のポケットに入れていましたが、下宿の庭で焼きました。
投稿: 今でも青春 | 2018年1月22日 (月) 17時38分
『小さな日記』は青春時代を思い出して私もときどき歌います。作曲は後に慈恵医大産婦人科教室を主宰された落合和徳教授です。北山修氏もそうですが、この頃のかたは多才ですね。
以下の写真は落合先生の退任(2014年)記念でのご夫婦のお姿です。月日が経つのは本当にはやい。光陰矢のごとし。
http://yoshimurayasunori.jp/blogs/wp-content/uploads/2014/03/11.jpg
投稿: ザジ | 2018年1月23日 (火) 14時57分
ザジ様
「小さな日記」の作曲者の後に慈恵医大産婦人科教室を主宰された落合和徳教授のご案内誠に有難うございました。
教授ご夫妻の写真から暖かいお人柄を感じました。
また一段とこの曲が好きになってまいりました。
投稿: けん | 2018年1月24日 (水) 08時58分
私は70歳の爺ですが、50年前に偶然再会しました。しかしドライブに誘って、夕食まで一緒でしたが、都心の大学に行っていましたが、神奈川在職で会えます。しかし突然叔母が心配するので帰宅すると言われたので近所まで送りました。ただ家は解りません。今でも再会の約束ができずに後悔しています。
本田S600のオープンカでのドライブは楽しかった。
投稿: 浦賀 | 2018年12月 4日 (火) 23時15分
最近の老人大学で出会った彼女、自称62歳とはいえ小柄でとてもチャーミングで可愛いおばあちゃんです。
ある日、喫茶店での二人だけでの会話は彼女の身の上話となりました。20代なかばで大学のサークルの先輩と結婚したそうですが、不幸なことにご主人は子供が小学校1年生のときに山で遭難して亡くなったそうです。
その後、再婚せず一人息子を立派に育て上げ、現在に至ったとのことですが、亡夫を余程愛していたのですね。
この歌の内容では山での遭難死の事実しか共通点はありませんが、この曲を聴くと彼女のことが目に浮かびます。、、
投稿: タケオ | 2020年1月24日 (金) 20時39分
私只今七十五歳の老女?です。二十数年前慈恵医大で婦人科の手術をうけました。 病棟で看護師さんがそっと教えて呉れました、、、担当の落合先生は小さな日記を作曲されたのよ、と私は一番大切にしてきた歌でしたので余りの偶然の巡りあわせに何故か怖い手術も落合先生にお任せして居れば、恐ろしい事も思い煩う事もないと思いました。
この歌は私にとり一番いい人を心の中に閉じ込めて置ける詩であり曲でありました。退院の前日に先生に思い切って申し上げました。
照れていらしたのか少しお顔に赤みが差されて五十歳を目前にしていました私に「そうですか、、、」と仰いました。古き良き日の思い出です。
投稿: 古川一枝 | 2021年11月 8日 (月) 17時45分
落合元教授にまつわる挿話素敵ですね。
投稿: Hurry | 2021年11月10日 (水) 21時22分
YouTubeで、1番と2番の間に次のような歌詞が入り、6番構成になっているヴァージョンを発見しました。
落ち葉のこの季節に、私たちの出会いを思い出させるような歌詞でした。
初めて出会った 喫茶店
二人は笑みを 交わすだけ
初めて知った 恋でした
切なく悲しい 恋でした
初めて二人で 手をつなぎ
一緒に歩いた 並木道
一年前の 恋でした
木の葉の落ちる 頃でした
この展開ですと急な2番の理由がわかるような気がします。
私は東信地方の在住なので 小さな日記には特別の思い入れがあります。
週刊新潮今週号 タブレット純さんのコラムを読んで ふと投稿させていただきました。
これからもよろしくお願いします。
投稿: nagano yoko | 2021年11月27日 (土) 15時18分
nagano yoko様、ご教示ありがとうございました。この曲には7年前にもコメントさせていただきましたが、早速フルバージョンの『小さな日記』を聴き、涙しました。また、作曲者が医師だったこともこの曲のコメントで教えていただきました。医師という生と死に接する機会の多い職業だからこそ、この様な美しい曲が書けたのかも知れませんね。(不肖私もそのはしくれですが)。愛は生を育みます。あまり良い例えではありませんが、北海道の川を遡上する鮭は、産卵・受精を終えた後に死に、他の動物たちの餌になって、大自然の生命の輪廻を支えて行きます。動物学的には、男女の愛は、死への序奏曲であるのかも知れない...そんなことを考えさせる曲です。
投稿: Yoshi | 2021年11月27日 (土) 18時45分
小さな日記ファンの皆様 新年如何お迎えになられたでしょうか?私は昨年夏に妹を山の向うにと旅立たせましたので
いつになく静かなお正月を迎えました。
小さな日記に綴られた様な哀しいそして自分も終活を迎えている中で本のひと時でもこの歌に魅せられ佇んだ昭和の頃を懐かしく思い出された日々の姿です。
世界を震撼させている新型コロナの犠牲となられている人達にもそれぞれの小さな日記がおありになることと思いますと、
再びこの歌に拠り所を見つけて過ごして生ける事を有難く思っております。 かずえ
投稿: 一枝 | 2022年1月12日 (水) 18時07分