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2007年8月15日 (水)

たき火

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:巽聖歌、作曲:渡辺茂

1 かきねの かきねの まがりかど
  たきびだ たきびだ おちばたき
  「あたろうか」「あたろうよ」
  きたかぜぴいぷう ふいている

2 さざんか さざんか さいたみち
  たきびだ たきびだ おちばたき
  「あたろうか」「あたろうよ」
  しもやけ おててが もうかゆい

3 こがらし こがらし さむいみち
  たきびだ たきびだ おちばたき
  「あたろうか」「あたろうよ」
  そうだん しながら あるいてく

Takibi

《蛇足》 日本が太平洋戦争に突入した昭和16年(1941)12月初旬、NHKラジオ「うたのおけいこ」で数日間放送されましたが、「非常時にたき火とはけしからん」という軍の命令で放送が中止されました。

 戦後、NHKラジオの「うたのおばさん」で放送が復活してから、広く愛唱されるようになりました。

 さまざまな規制のためか、最近はあまりたき火を見かけなくなりましたが、かつては冬の風物詩の1つでした。

 作詞者・巽(たつみ)聖歌(本名:野村七蔵、明治38年~昭和48年)は、岩手県の生まれで、北原白秋に師事し、多くの優れた児童詩を残しました。

 聖歌は、この詩が作られた昭和5年ごろから約13年間、現在の東京都中野区上高田4丁目に家を借りて住んでいました。その地区の旧家・鈴木家の前を通ったときよく眼にしたたき火が、この詩のモチーフになったと伝えられています。
 これについては、日本テレビ『ぶらり途中下車の旅』で紹介されました。下記アドレスに鈴木家の「垣根」の写真や、モデルと認定されたいきさつなどが載っています。写真は鈴木家の竹垣。
http://www.ntv.co.jp/burari/050917/info02.html

 聖歌は、晩年を都下日野市で過ごしたため、同市旭が丘中央公園に、この歌の詩碑が建っています。

 上の絵は2006年の年賀状用に描いたものです。

(二木紘三)

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コメント

焚火のイラストがすばらしいです。あのころの情景が手に取るように見えてきました。世知辛いデジタルの世になり、焚火も消えてゆきますね。
CO2とか温暖化とか。時代が変わってゆくのでしょうね。懐かしく、ほほえましい人間の温かさは失いたくないものです。この歌はこのようなことを後世に伝えてくれる事でしょう。二木紘三先生有難う御座いました。

投稿: 波路 | 2007年10月20日 (土) 21時46分

半世紀くらい前の小学校の登校時は、イラストの絵の様な、丁度こんな感じでした。近所の頑固爺さんが落ち葉を焚いて、その中に銀杏やさつま芋等がくべてあり、それを食べながら学校へ行きました。兎に角、腹が空いて腹が空いて、何でも食べられる物は食べていた頃を思い出しました。一緒に登校した友達も今は何人も居なくなりましたが。懐かしい絵と曲をありがとう御座いました。

投稿: 赤城山 | 2013年5月 7日 (火) 15時01分

私どもフローレンスは中野区のケアセンターを訪れては唱歌や演歌や民謡を演奏し、皆さんにいっしょに歌ってもらっています。その練習のために初秋に高崎にでかけある広場で個人練習していて、唱歌「たき火」の3番の歌詞の最後が面白くないことに気付いた。1番の最後の行は「北風ぴーぷー吹いている」、2番は「しもやけお手々がもうかゆい」と面白いが、3番になると「相談しながら歩いてく」と、そっけない。そしてすぐに思いついた、ここは「お芋のにおいもしているよ」に変えてみたら受けるだろう!と。

私は司会役もするので、あの手この手とそれぞれの曲に関する話題を用意していく。つまらないことを言っていると早く歌をやれとヤジが来ることもあった。

さて、この時いいアイデアもすぐに浮かんだ。歌う前に、「この曲にはクイズがあります。一行だけオリジナルとは異なります。よく考えながら歌って、その変えられた所を当ててください。オリジナルの歌詞はどうだったかも当てていただければ満点です。」と説明する。

グループ練習の際に、フローレンスのあるメンバーにこれを言うと、彼の属しているハワイアングループは寒い季節になると必ずこの曲をリクエストされる、それはこの曲の作詞者がかつてこのあたりに住んでいた人なのでこのあたりでは最もポピュラーな曲の一つだというのだ。その歌詞を変えるとおこられちゃうよ、と注意。しかし面白いかもしれないということで実行に移すことにした。

さて本番で歌い終わると、さあどこが原詩と違うでしょう、と尋ねると、だれも手を揚げない。そこで最後の行が違っています、では本当は何だったでしょう?しかしこれも手が挙がらない。そこで「相談しながら歩いてく」です、と言うと、やっと「ああー」と数人の女性から納得の声が上がった。

そこで、もう一度歌いましょう、今度は最後の行は繰り返して歌ってください。一回目は「お芋のにおいもしているよ」二回目は原作の「相談しながら歩いてく」にしましょう・・・。歌い終わると、「ありがとうございました、これで私らも原作者に叱られずに済むでしょう」と結んだ。

しかし話はここで終わらない。その日、近くに住むメンバーのうちで打ち上げ会。それが終わって、たそがれ時の道をあるメンバーとバス停に向かう。近道をしようと勧められ、細道に入り、次回の曲など相談しながら歩いてくうちに、珍しいところに来た。垣根が竹でできているのだ。こんなのは見たことがない、と私は歩を止めて、触ってみたりした。そして今度からこっちをいつも通りましょうなどと言いながら過ぎ去った。そしてきょうこの貴サイトで、「鈴木家の竹垣」のURLをクリックしたら、あっとびっくり、まさに我々が通った竹の垣根道が現れたのです。きっと今は亡き原作者もきょうの演奏が気に入ってくれたので、こっちに導いてくれたのだろうと思っています。

投稿: 長光一寛 | 2014年12月12日 (金) 18時52分

これはやっぱり「そうだんしながらあるいてく」が良いと思います。友達どうし話し合いしながら楽しそうにあるいている子供の情景が目に見えるようです。「そうだん」という唱歌があります。昔のこどもの楽しみが生き生きとと伝わってくる歌です。もう一度子供になってみたいですね。今のこどもも遊びのそうだんしているのでしょうか。

http://singingyuko.com/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%AD%8C/post-403/

投稿: ハコベの花 | 2014年12月12日 (金) 23時11分

小学校の低学年だったのか幼稚園だったのか思い出せませんがこの歌が大好きで、冬の寒い日、良く口ずさみました。焚火をして温まりたいなぁ、と思っても当時も街中ではそのような場所も機会もなかなか無かったと思います。それでも二度か三度か焚火でサツマイモを焼いて居る場所に誘われて頂いて食べた記憶もあります。幸せな時期だったなぁ、と思います。私のマンションの前は通学路で朝夕小学生がたくさん通学しています。先月まで欅の葉もたくさん散っていました。焚火して子供たちが集まって、イラストのお爺さんのようになれたら楽しいだろうな、と思いました。

投稿: yoko | 2014年12月15日 (月) 21時41分

二木先生の絵に郷愁を誘われます。
この歌は小学1年で習いました。
「さざんかさざんかさいたみち」
その当時私の周辺で山茶花をみることはありませんでした。山茶花が椿に似た花であることも知りませんでした。
今、普通に山茶花は見られます。代わりに焚き火が見られなくなりました(禁止ですから当然ですがね)
しもやけの辛さも蘇りました。
山茶花や昭和は遠くなりにけり 本歌取り
我が家の記念樹の山茶花が数年も持たなかったのが残念です。薄桃色の山茶花でした。代わりを植えることもなく老境に達しました。

投稿: りんご | 2015年11月22日 (日) 08時39分

 長崎のsitaruです。南国長崎も朝夕は気温がかなり低くなって来て、冬の足音が近づいて来ているように感じられます。少し季節は早いのですが、冬の童謡・唱歌と言えば、まずこの「たきび」と「雪」「冬景色」などが思い浮かびます。田舎に育った私は、焚火は冬と限らず、いつも身近にありました。特に冬は、暖を取りながら、目の前で焼けた焼き芋を頬張るのが楽しみでした。
 童謡「たきび」は大好きで、真夏でも聞くことがしばしばです。それも、古いカセットテープに収録された東京少年少女合唱隊の演奏・歌唱がピカ一だと思っています。このカセットテープというのは、以前にも「久しき昔(思い出)」の所で紹介した『この道はいつか来た道』という全集の中に入っているものです。そもそも、童謡・唱歌というものは、メロディーも単純で、演奏時間も短いものが多いので、よくあるピアノのみの伴奏では、十分楽しめないきらいがあります。しかし、この演奏・歌唱では、ピアノ以外に、ヴァイオリンやチェロ、フルートなどが加わって、豊かなオーケストレーションが施されており、残響も豊かです。歌唱の方も、一番と三番は合唱・斉唱ですが、二番は、二人の女児ソロが呼応するように可愛い声で歌っており、何度聴いても飽きが来ません。私は、童謡・唱歌の歌唱形態を四つに分類しています。第一は、児童合唱団による歌唱で、冒頭や途中に女児によるソロパートが入っているもの、第二は、児童合唱団による合唱または斉唱で構成されているもの、第三は、女児または成人女性による全編ソロ歌唱であるもの、第四は、女性中心の成人合唱団によるものです。そして、この順に好んで聴きます。曲にもよりますが、私は男声ソロや男声合唱団の歌唱を好みません(ダークダックスのような例外もありますが)。なお、この東京少年少女合唱隊の演奏は、その後CDなどでは復刻されていないようです。
 ところで、この「たきび」の作詞者である巽聖歌の名前を知ったのは、高校二年の時でした。その頃私は、児童文学に少しずつ興味が沸いて来ていて、ある日、書店で新美南吉の作品がまとまって収録されている角川文庫を数冊見付け、全部買ってむさぼるように読みました。そして、その解説の中に出て来たのが巽聖歌で、彼が新美南吉を世に出した功労者であることを知りました。南吉の童話は、愛知県知多半島の自然豊かな農村を舞台にしたものが多く、田舎の山村に育った私には親しく感じられました。ちなみに、南吉の作品では、代表作の「ごんぎつね」より、小学校二年か三年の国語の教科書に載っていた「手ぶくろを買いに」の方が好きです。私は、南吉の童話に強い感化を受け、自分でも童話の習作を作り始めました。そして、高校三年の冬、六編ほどの作品を、一冊のガリ版刷りの童話集にまとめ、四冊作って、小学校時代の恩師の先生と、当時好きだった女の子ともう一人の女の子にプレゼントしました。大学に入って、読書範囲は広がり、南吉の童話より、さらに田舎の子どもたちをリアルに描いた千葉省三の童話にも惹かれました。学生時代は、本気で児童文学の作家か評論家を目指していましたが、何一つ満足な作品が書けず、四十年余りが過ぎてしまいました。目が何とか見える内に、一つでも作品を完成させたいと思っています。

投稿: sitaru | 2020年10月 9日 (金) 10時07分

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