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2007年8月26日 (日)

黒の舟唄

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:能吉利人、作曲:桜井 順、唄:野坂昭如 ほか

1 男と女のあいだには
  ふかくて暗い河がある
  誰も渡れぬ河なれど
  エンヤコラ今夜も舟を出す
  ※ROW & ROW ROW & ROW
    ふりかえるな ROW ROW

2 おまえが十七 おれ十九
  忘れもしないこの河に
  ふたりの星のひとかけら
  流して泣いた夜もある
  (※ 繰り返す)

3 あれからいくとせ漕ぎつづけ
  大波小波ゆれゆられ
  極楽見えたこともある
  地獄が見えたこともある
  (※繰り返す)

4 たとえば男はあほう鳥
  たとえば女は忘れ貝
  まっかな潮(うしお)が満ちるとき
  失くしたものを想いだす
  (※ 繰り返す)

5 お前とおれとのあいだには
  ふかくて暗い河がある
  それでもやっぱり逢いたくて
  エンヤコラ今夜も舟を出す
  (※ 繰り返す)

  ROW & ROW ROW & ROW
  ふりかえるな ROW ROW
  ROW & ROW ROW & ROW
  ふりかえるな ROW ROW

《蛇足》 昭和46年(1971)リリース。『赤色エレジー』とも相通ずるアングラっぽい雰囲気が受けてヒットしました。

 作詞の能吉利人は作曲者・桜井順の筆名で、イエス・キリストのもじりだろうと私は推測しています。能は、中国の古い時代の禅宗では肯定=イエスを意味するからです。ほかに水木ひろしという筆名も使っています。

 桜井順は慶大経済学部卒で、商社に入ったものの、すぐに辞めて、三木鶏郎主催の冗談工房(ラジオ・テレビ番組の制作会社)に参加、作詞・作曲活動に携わりました。
 CM音楽を中心に、童謡・歌謡曲など多くの曲を作っています。CMでは、サントリーの「ソ・ソ・ソクラテスか、プラトンか」、富士フイルムの「お正月を写そう」、石丸電気の「石丸電気は秋葉原デッカイワー」など、いまだに多くの人の耳に残っている傑作を作っています。

 『黒の舟唄』は、冗談工房のかつての同僚で、桜井順の友人の作家・野坂昭如が歌いましたが、ほかに長谷川きよしや、加藤登紀子、ダウンタウンブギウギバンド、新井英一など、多くの歌手がカバーしています。

(二木紘三)

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コメント

いつも戴いております。ありがとです。
能=noでyesに対抗しているのではないでしょうか?
全然浅いですが・・(汗

投稿: konimo | 2008年4月 6日 (日) 01時09分

大学の友人が当時デゥ―クボックスと言うものがあり、そのボックスにこの曲があったのをよくかけていました。
その友人も大学在学中にぽっくり病でなくなってしまいました。
葬儀に行けなかった私は嵐山にある法輪寺に(そこが親戚で下宿していた)出かけて行ったのを思い出します。

投稿: sunday | 2008年4月 6日 (日) 07時19分

能吉利人は桜井順の別名ではありませんでしたか?

投稿: らんぶりんまっく | 2008年5月21日 (水) 18時29分

らんぶりんまっく様
 おっしゃるとおりでした。名前のひねり方とか歌詞のアングラっぽさがいかにも野坂的と感じたので、確認することなく書いてしまいました。汗顔の至りです。桜井氏には大変失礼いたしました。さっそく修正いたしました。どうもありがとうございました。 (二木紘三)

投稿: 管理人 | 2008年5月21日 (水) 19時18分

野坂さんが亡くなった。最後まで日本は危機を迎えようとしているとおっしゃっていたようだ。「火垂るの墓」などで妹を死なせた経験からの言葉でもあるようだ。ところで「能吉利人」とは「イエス・キリスト」のパロディだと思うけど、どうでしょうか。野坂さんのご冥福を祈ります。

投稿: 江尻陽一 | 2015年12月15日 (火) 21時31分

「黒の舟唄」この曲のページを開くたびに、今も絶えず私の脳裏を過るのは、作者の能吉利人(桜井順)氏は己の過去の壮絶な実体験を元にこの歌詞を作成したのか、それともその歌詞の全てが空想の産物なのか、私にはそのことが何故か今でも妙に気になるのです!

いずれにしても、この女性は何か訳ありの女性ではないのか、いったい二人はどこで巡り合ったのだろう・・・

私がそう思う理由は『・・・ふかくて暗い河がある・・・』と云うこのフレーズの歌詞表現にあります。

そしてまた、私がこの唄に強く共鳴してしまうその理由は、

   おまえが十七 おれ十九 忘れもしないこの河に

   ふたりの星のひとかけら 流して泣いた夜もある

当時21歳と23歳、年齢は違えど上記二番の歌詞は、自分たちの実体験をふと想い出してしまう、とても貴重なフレーズでもあり、私はこの歌詞の部分に触れると長年を経た今でも胸にグッとくるものがあります。

そしてまた、私がこの唄を歌唱した野坂昭如氏に興味を持つようになったのは、実はこの方が『火垂るの墓』の原作者だと知ってからのことですが、どちらかと云えば一風変わった「黒の舟唄」と云う『曲名』と『歌詞』でもあるこの唄が当時ヒットしたのも、ただ時代の流れだけの『偶然』ではなく、野坂昭如氏の個性の強さが活かされたところが大きな『要素』ではなかったのかと私は思っています。 

投稿: 芳勝 | 2026年9月13日 (日) 17時48分

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