異邦人
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
1 子供たちが空に向かい 両手をひろげ 2 市場へ行く人の波に 身体(からだ)を預け |
《蛇足》 「シルクロードのテーマ」というサブタイトルがついています。とくに2番の歌詞にはオリエンタルムードがたっぷり感じられます。
昭和54年(1979)、21歳のとき、久保田早紀(本名久保田小百合)は、この歌をひっさげて彗星のようにデビューしました。この年の末から翌年にかけて150万枚を売る大ヒットとなりました。
が、昭和60年(1985)春、彼女は芸能界から姿を消しました。そのため、世に一発屋と呼ばれますが、歌い継がれる1曲は、すぐに歌われなくなってしまう大ヒット10曲に勝ると思いますが、いかがでしょうか。
多くの歌手がこの歌をカバーしています。
(二木紘三)
コメント
天は二物を与えづと言うが、詞、曲、歌一人でやってしまう
こう言う歌はイントロから引きこまれます。恋人よ、カモメ
が翔んだ日等。女性には才能があるのでしょうか。小椋佳も
あの名曲(シクラメンのかほり)を布施明に託した。
投稿: M.U | 2008年6月10日 (火) 11時18分
ヒットした時代にはメロディにしか興味がありませんでしたが、このカラオケで詩を味わい、異邦人という表現で自分の、届かぬ恋人への心情を切々と歌った曲と感じ入った次第です。昭和後期の名曲の一つと思います。
投稿: ゆうさん | 2009年2月27日 (金) 19時48分
あれから三十年が経ちます。
投稿: kochia | 2009年10月20日 (火) 23時48分
昭和54年11月に長男が誕生しました。
ちょうどその頃にこの歌が流行っていました。
初めての子供であるわが子の育児に奔走しているとき、テレビをつけるとよくこの歌が流れていました。
この歌を聴くと産まれたての長男のあの頃の姿がいつも浮かんできます。
その長男は現在30才になり、昨年かわいいお嫁さんをもらいました。
投稿: あきこ | 2010年4月 5日 (月) 15時39分
http://japan.cgntv.net/
最近は以上の放送に久保田さんは出演されています。
投稿: shalommasa | 2012年2月 3日 (金) 20時29分
二木様
もう何年も前から、このサイトを見させてもらっています。
50年生まれの私には心に響く歌ばかりです。
この異邦人 先日老後のためにと娘が薦めてくれた5人のバンドで演奏しました。小学生以来覚えたリコーダーとカホン スプラッシュシンバル 三つを使いました。生涯忘れる事の無い曲になりました。
投稿: よっちゃん | 2014年7月20日 (日) 16時48分
あらためて いい曲だな と思いながら
二木先生の名演奏を聞かせていただいています
昭和54年(1979)ですか
庄野真代さん歌う 飛んでイスタンブール は昭和53年 日本が高度成長期にはいり 円高になって 海外旅行が 身近になってきた時代ですね
どちらも 我々を目覚めさせる おっーと声を出したくなるような感覚にさせてくれるものでした
先輩の病気で病棟の責任者が 予定より 三四ヶ月も早く回ってきて 右往左往 てんやわんやの時期でしたが この二つの曲は 頭にこびりつきました
今になって 先生の蛇足で この異邦人には 「シルク ロードのテーマ」というサブタイトルがついていたと 知りました この曲も トルコをベースにしたものと 思い込んでいましたので ---
知識は 正しくきっちりと集めないといけないですね
また また 反省です
子供のころから 大好きで あこがれていた シルク ロード もう行くこともないだろうと思うとーー辛いものがあります 中学くらいから エジプト ギリシャ マヤ・インカ シルクロード 本は読み漁りました
シュリーマンを尊敬し 何時の日か 足跡をめぐる
あるいは 発掘に携われないかな などとの夢のような野望もありました
そのころは シルクロードは 敦煌 か さまよえる湖 だけが脚光を浴びていたように 記憶していますが
シルクロードには 数多の国が出現し亡び 人種の坩堝といえるほどの 民族の歴史が重なり合っているところ
トルコ アーリア ロシア 漢民族 などなど
亀茲国の鳩摩羅什は アーリア系といわれていますね
トルコの方々は 中国の方にも広がり 胡という苗字の方は トルコからの人といわれています 唐の時代には トルコ人街 などもあったようですね
などと イスタンブール から シルクロード の本読み の記憶をたどりながら 楽しんでいます
敦煌 楼蘭 喀什 吐魯番 Samarqand
歴史から 学ぶことは多いです
投稿: 能勢の赤ひげ | 2018年1月 9日 (火) 22時58分
この曲は、富永秀明さんのカバー曲で知りました、なんとなく不思議な歌詞で印象深く、この歌詞に出て来る街は、トルコとかあの辺のイスラム系の街並みが浮かんで来るようです。
とても興味深い大好きな唄です。
投稿: jurian prabhujee | 2020年2月29日 (土) 20時56分
当時、久保田サンは共立女子短期大学の2年生。自宅のある八王子から毎日、中央線で都心まで通学していた。そんなある日、車窓からボンヤリと外を眺めていたら、武蔵野の空き地で子供たちが空を見上げ、手を広げる光景が目に入った。子供たちが空に向かい 両手をひろげ 鳥や雲や夢までも つかもうとしている 大手電機メーカーのCMの話がありCBSソニー(当時)のスタープロデューサーの酒井政利サンの提案に乗り、久保田サンで行く事になった。イメージはシルクロード。楽曲の良さはもちろん、注目されたのは久保田サンの美貌である。憂いのある表情もいいが、サビでメジャーに転調するところ。この時の久保田サンのパッと明るくなる表情がいい。だが、1つ面白い話がある。かつて八王子は養蚕業が盛んで、江戸時代後期に横浜港が開港すると、両市を結ぶ街道は「絹の道」と呼ばれた。明治22年に甲武鉄道(現・中央線)が開通すると、今度は同線が「絹の道」となった。(ネット情報)
投稿: 海道 | 2021年7月18日 (日) 12時26分
『異邦人』と聞くと私はアレベール=カミュの小説を思い浮かべます。私の学生の頃は、しばしば文学が友人達との議論のテーマになりましたが、『異邦人』を熱く語る友人の議論にはついて行けませんでした。今一つ理解できない小説というものがあるものですが、カミュの『異邦人』の主人公の行動(殺人)の動機が理解出来ないのは、この主人公が 社会にとっての“異邦人”だからというのが、私なりの解釈です。
久保田早紀の『異邦人』は、アラベスクなイントロが印象的ですが、歌詞の中で『あなたにとって私ただの通りすがり』と詠っています。別れた恋人、あるいは片思いの相手にとって自分は“よそ者”の存在に過ぎなかったと言いたいのでしょうか。
Wikipediaによると、久保田早紀本人の意図とは異なる経緯で、歌のタイトルと歌詞の改変が指示された様です。久保田自身はシルクロードをテーマにした別の曲を用意していたとのことで、『異邦人』はかなりの部分がコマーシャリズムによって作られた曲であるようです。
投稿: Yoshi | 2021年7月22日 (木) 00時10分
「異邦人」この曲がヒットしていた当時、私は名古屋の繁華街に勤務していましたが、昭和54年の秋から冬にかけてセンセーショナルを巻き起こしたこの唄は、当時は街のどこの通りを歩いても、レコード店や楽器屋店からは絶えずこの曲が流れていたという記憶があります!
あれから長年が経ちましたが、私は今でも大好きなオリエンタルムードたっぷりのそのイントロメロディが流れ出すと、ふとそのころの自分のことを懐かしく想い出します。
この曲に魅せられた私が待望の久保田早紀をマスコミで初めて見たのは、当時の人気テレビ番組「夜のヒットスタジオ」でしたが、白いドレスを身にまといピアノを奏でながら抜群の歌唱力でこの曲を歌う素敵なその姿でした。歌う前のトークでは、テレビに出るのはこれが初めてです。と彼女が語っていたことを憶えています。
「異邦人」<蛇足>の末文に記されている『・・・歌い継がれる1曲は、すぐに歌われなくなってしまう大ヒット曲に勝ると思いますが・・・』まさにそのとおりで、私もこの唄はいつまでも人の心に残り続けるであろう、そんな名曲だと心からそう思います。
投稿: 芳勝 | 2022年12月14日 (水) 17時56分
(文中敬称略)
プロ野球ファン歴半世紀に王手をかけている私としては、久保田早紀の「異邦人」を聴いて思い出すのが、山際淳司のノンフィクションにもなった「江夏豊の21球」で有名な1979年の第30回プロ野球日本選手権シリーズ試合(日本シリーズ)「近鉄バファローズ対広島東洋カープ」の第7戦(今はなんばパークスになっている大阪球場)です。
試合内容についてはあらゆるサイトで書かれているのでここでは書きませんが、「異邦人」の歌詞の内容と何かダブってしまうな、と私的には思うのです。
「子供たち」→近鉄監督・西本幸雄の教え子たち
「掴もうと…」「指が届くと…」→近鉄初の日本一
「過去からの旅人を…」→西本が大毎オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)監督時代の1960年第11回日本シリーズ・対大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)第2戦(現在はアメフト専用の富士通スタジアムになっている川崎球場)で失敗に終わり当時のオリオンズオーナー永田雅一からクビを言い渡された原因になった満塁スクイズを再び敢行しまたも失敗
「振り向いてみただけ」→西本にとっての勝利の女神
まあ無理矢理感があるかもしれませんが、ちょうどこの同時期に「異邦人」がヒットチャートを賑わしていたので、ついつい「江夏の21球」思い出してしまいます。
ちなみに私は当時小5でしたが、毎日放送・TBS・CBCテレビ系の生中継(解説:杉浦忠、牧野茂、実況:毎日放送アナ・城野昭)をかぶりつくように見ていました。
この「異邦人」はちょうど同じ干支(未年)となる2003年にZARD(坂井泉水)によってカバーされましたが、同年は「1979年の楽曲のカバー」が結構流行ってたらしく、海援隊の「贈る言葉」(作詞:武田鉄矢、作曲:千葉和臣)をFLOWが、大杉久美子(セリフ:大山のぶ代)の「ドラえもんのうた」(作詞:楠部たくみ、作曲:菊池俊輔)を渡辺美里(セリフは大山のまま)がカバーしたことでも話題となりました。
投稿: Black swan | 2024年2月10日 (土) 14時48分
「うた物語」のアクセス件数に関心を持つ変なリスナーです。ここ数日のカウント数の増えかたから51000000回に達するのは三月一日当たりではないかとみています。達成記念に「異邦人」を聞きながら二木先生に祝福を送らせてもらいます。
投稿: 亜浪沙(山口 功) | 2025年2月27日 (木) 15時35分