一本刀土俵入り
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
作詞:高橋掬太郎、作曲:細川潤一、唄:三橋美智也
1 角力(すもう)名乗りをやくざに代えて 2 忘れられよか 十年前を 3 見せてあげたい男の夢も |
《蛇足》 長谷川伸の同名の戯曲に基づいた歌で、昭和32年(1957)のヒット曲。この戯曲は、歌舞伎や新派、新国劇として幾度となく上演され、さらに何度も映画化されています。粗筋は次のとおり。
相撲取りの駒形茂兵衛は、才能がないと親方から見放されて帰郷する途中、水戸街道取手(とりで)の宿にやってきます。
一文無しで、飢えて途方に暮れている茂兵衛を、宿屋の2階で見ていた酌婦お蔦は、事情を聞いて、櫛(くし)、簪(かんざし)、巾着(きんちゃく)を与え、もう一度江戸に戻って修業するよう励まします。
10年後、望みを果たせず、やくざになっていた茂兵衛は、取手に戻り、お蔦を探しますが、なかなか見つかりません。
お蔦は、船印彫(だしぼり)師・辰三郎と夫婦になり、娘お君をもうけていました。辰三郎は、土地のやくざ・波一里儀十(なみいちりぎじゅう)一家と悶着を起こしていました。
偶然のことからお蔦に出会った茂兵衛は、襲ってきた儀十一家のやくざたちを叩きのめし、3人を逃がします。その際、茂兵衛が言った名文句が、次の言葉です。
「お行きなさんせ。仲よく丈夫でおくらしなさんせ。ああ、お蔦さん、棒ッ切れを振り廻してする茂兵衛の、これが、10年前に櫛、簪、巾着ぐるみ、意見をもらった姐さんに、せめて見てもらう駒形の、しがねえ姿の土俵入りでござんす」
やくざは、夜寝ているときに襲われてもすぐ戦えるように、布団の中に刀を入れ、抱いて寝るのが常でした。これが1番の「抱寝の一本刀」です。
写真は歌舞伎『一本刀土俵入』の安孫子屋の場。中村勘三郎(17代目)が茂兵衛、中村歌右衛門(6代目)がお蔦を演じています。
(二木紘三)
コメント
私は20代中ごろ、東京北上野の小さな運送屋で運転手をしておりました。月に2回くらい水戸・勝田方面に配達に走り、6号線を利根川を渡って取手に入り近くになればこの歌が自然と口から出てきました。人の情と言うのは何にも代えることはできません、長谷川神のストーリーが大変好きな一人です。今でもカラオケに行けば必ず出ます。
投稿: トクラテス | 2008年2月17日 (日) 12時54分
取手の宿我孫子屋の酌婦お蔦は、越中八尾の生まれです。そのお蔦が劇中、故郷を偲んでしみじみ歌うのが「おわら節」。昨年4月、父が他界しました。生涯一肉体労働者として苦労の連続だった父のなによりの楽しみは、一合の晩酌と、このおわら節でした。
おわら節はいつも次の囃子言葉で終わります。
♪ 浮いたか瓢箪 軽そうに流れる
行き先ゃ知らねど あの身になりたや ♪
明日はもう風の盆です。
投稿: くまさん | 2008年8月31日 (日) 10時21分
駒形茂兵衛は助けてくれたお蔦さんのためにも、相撲で成功しなければならなかった。けんめいに頑張ったのでしょう。でもだめだった。相撲取りになれずやくざになった茂兵衛が最後にお蔦さんにしてあげられたことはー。歌を聴きながら、まるで自分のことのように思えて、泣けてしまいます。
投稿: TF | 2009年12月14日 (月) 12時21分
10年たって再会したら、お互いに境遇が激変していた。そんな中で 苦境にある昔の恩人に恩を返すという話。しかも悪を懲らしめる形で。うーん、くさい話です。くさすぎます。
納豆、塩辛、漬物、くさや、チーズ、、、くさい物ほど癖になる美味さがある。
くさいワンパターンの話こそ ほっとできる話なんだろう。
忍従の長い日々の果てに、正体を現わす日が来て、本懐を遂げる。日本人は私もふくめてこのパターンが好きです。水戸黄門、赤穂浪士、唐獅子牡丹、、
投稿: 七色仮面 | 2012年11月 6日 (火) 11時28分
一番の歌詞で利根の川風まともに吹けばとありますが
まともではなく真菰(まこも)ではないかと感じました。
投稿: 団塊のおせっかい野郎 | 2013年8月19日 (月) 16時59分
団塊のおせっかい野郎様
私も最初から「真菰に」だと思っていました。「まともに」を「真っ正面から」と取れば意味が通じないわけではありませんが、真菰が川風に鳴る音を聞いて、以前利根河畔の取手である女性に恩を受けたことを思い出した、というほうがドラマチックですよね。
しかし、私が使った『全音歌謡曲大全集』でもネット上の複数の歌詞サイトでも「まともに」となっており、三橋美智也や氷川きよしもそう歌っているので、おかしいと思いつつもそのままにしています。
レコーディングの際、三橋美智也がまちがえて歌ったのが、そのまま定着してしまったのではないでしょうか。歌ではままあることです。(二木紘三)
投稿: 管理人 | 2013年8月19日 (月) 18時10分
( ̄ー ̄)ニヤリ
投稿: 山下輝明 | 2013年8月20日 (火) 12時09分
浪曲『一本刀土俵入り』には、「吹くな川風、真菰が枯れる」とあります。
投稿: MAEDA | 2013年8月20日 (火) 23時32分
利根川に関係する時代劇の主役公といえば、平手造酒か、駒形屋茂兵衛でしょうか。「侍ニッポン」の新納鶴千代も「流れ流れて大利根こえて 水戸は二の丸、三の丸」と少し関係あります。
なぜかこの三人とも、落ちぶれてしまった人ばかり。坂東太郎は落魄の身を受け入れるのにふさわしい大河なのでしょうか。
「大利根無情」では「利根の川風 よしきりの 声がつめたく 身をせめる」と平手造酒登場の場面設定が、なかなか渋い。
「一本刀土俵入り」では「利根の川風 まともに(真菰に)吹けば」です。真菰とは、水辺に群生するイネ科の植物で葉は刈り取ってむしろにするそうです。
「真菰に」か「まともに」か?というお話がありました。
「真菰に」のほうが、たしかに情趣がありますが、言葉が難しい。私も都会育ちゆえ、辞書を引いて上記のことが、わかりました。
三橋美智也が間違えて「まともに」と歌ったかもしれないとか。けっこうじゃないですか。わかりやすい言葉で伝えたのなら、功績は大です。言葉というのは、広く流布した方が勝ちだと思います。意味がよくわからないのに歌っているのはヘンだし、その歌自体が、だんだん遠ざけられると思うからです。
投稿: 紅孔雀 | 2013年8月22日 (木) 23時41分
真菰は三橋美智也の「おんな船頭唄」にも出てきますね。利根川流域に住む人たちにとっては昔から日常的な言葉で、別に難しい言葉ではないですね。利根川を表すのに不可欠な言葉だと思います。
投稿: 松田貞夫 | 2013年8月23日 (金) 00時04分
歌詞に真菰の出てくる歌をネットで検索してみました。
野口雨情作詞『船頭小唄』(枯れた眞菰に照らしてる)、松島詩子唄『潮来の雨』(潮来出島の真菰の花に)、大月みやこ唄『潮来舟』(真菰がくれに人目をさけて)、三橋美智也唄『おんな船頭唄』(思い出すさえざんざら真菰)、石原裕次郎・浅丘ルリ子唄『夕陽の丘』(眞菰の葦は風にゆれ)、民謡『潮来節』(潮来出島の真菰の中で)、民謡『佐原小唄』(真菰がくれの真帆片帆ホイ)
投稿: 坂東太郎 | 2013年8月23日 (金) 15時54分
「利根の川風まともに吹けば」は本来「・・真菰に吹けば」ではなかったのかという話から、先のコメントで、真菰は、ほとんど耳にしない難しい言葉だと言いましたが、その後すこし調べたことなどもあり、補足のコメントをいたします。
私は関西の人間で、淀川、琵琶湖、水郷・近江八幡などへ、何度か行きましたが、実際、真菰という言葉をパンフレットなどで目にしたことがなく、聞いたこともなかったので、そう書きました。
専門書によると、真菰は全国に分布しているようです。例えば、三重県に菰野町という町があり、昔、真菰の生い茂る原野であったのが町名のいわれだといいます。真菰は、水の浄化能力が高いので最近は、琵琶湖などでも積極的に植えられているそうです。ヨシは水深の浅い所に、真菰は深い所に生える。水深が深いほど根が水中の酸素を取り込むのが困難になるが、真菰は、その力をもっているとのこと。またヨシと真菰がいっしょに生えることもあるが、その場合はヨシは岸辺側に、真菰は沖側に育つそうです。
全国に分布しながら、真菰が民謡などで唄われる所と、そうでない所がある。真菰が、人口に膾炙しているか否かの、地域文化のちがいがあるように思います。
坂東太郎様のお調べになった曲、7曲の内、『夕陽の丘』は、単に北の町と歌詞にあるので外すとして、他の6曲は、利根川は2曲、潮来は3曲.佐原は1曲とすべて利根川流域の地名が出てきます。利根川は、真菰の文化といえるようなものを感じます。
千葉、茨城両県にはいまだ足を踏み入れたことのない私、大利根の風景を一度は見たいとおもったしだいです。
松田貞夫様の「真菰は利根川を表すのに不可欠の言葉」は至言であると思います。
坂東太郎様の、わざわざ歌詞を書き出しての曲の紹介、本当に歌を愛しているお方だと敬服いたしました。
投稿: 紅孔雀 | 2013年8月27日 (火) 14時48分
長谷川伸『一本刀土俵入り』とくれば駒形茂兵衛ですが、早くから横綱候補と期待されながら苦節?○年、待望の19年ぶり日本人横綱となった茨城県牛久市出身(出生は兵庫県芦屋市)稀勢の里には、“蚤の心臓”を克服して頑張ってもらいものです。
>紅孔雀様 「千葉、茨城両県にはいまだ足を踏み入れたことのない私、大利根の風景を一度は見たいとおもったしだいです」とのことですが、「利根川は別名坂東太郎と呼ばれ…“大利根”や“坂東太郎”の名称を冠したゴルフ場や食事処まであり、まさに“利根づくし”の土地柄」(『大利根無情』への焼酎百代投稿)なので、ぜひ北関東まで足を延ばして頂きたいと思います。
投稿: 焼酎百代 | 2017年2月18日 (土) 23時46分
焼酎百代様(ハンドルネームから百年孤独の味が浮かんできます。)
1月27日の稀勢の里の明治神宮での奉納土俵入りを見に行きました。見たと言っても境内には入れませんでしたが、社殿出入り口正面に居ることができました。1時間ほど待ちましたが、やがて袴姿の稀勢の里が社殿から登場しました。まあその姿の立派なこと、凛々しいこと、惚れ惚れしてしまいました。来て善かったと真からおもいました。というもの夫から無理だよと言われていましたし、私自身も3時からと言われているところを1時半に家をでたのですから、駄目もとでもと思いながら出かけていましたから。
稀勢の里を目にして、気持ちはもうキャーキャー、それをぐっと我慢して大人の分別を持って「稀勢の里、おめでとう」とさけびました。それから、2回程の稀勢の里の社殿の出入りがあってから、化粧回し姿の緊張した稀勢の里が境内に入って行きました。そして人々の「よいしょ、よいしょ」の掛け声が聞こえ拍手が響きました・・・
大任を果たした稀勢の里が「紅顔の美少年」さながらに戻ってきました。
私は「横綱ー、おめでとうございまーす。」一段と声を張り上げて叫びました。その日は本当に至福の一日でした。夜のNHK7時のニュースの映像に身を乗り出して境内を覗こうとしている私の顔が瞬間映っていました。(笑っちゃいますね。)
一年間「あーあー」と見ていた私でしたが、今度はハラハラしてしまって指の間から見てしまいそうです。長くなってしまいましたが本当に嬉しかったです。
投稿: konoha | 2017年2月19日 (日) 10時26分
行って分かってのですが、土俵入りを行なう前にまず、神殿での儀礼がありました。稀勢の里、理事長はじめ理事の親方たち、稀勢の里の親方、後援会の方たちが一列になって境内に入りました。デイモン閣下や名前がちょっとでてきませんが、あの漫画家はいませんでした。
ずいぶん待ちましたが、皆さん揃って境内から帰ってきてから、稀勢の里も来ました。稀勢の里の後から横綱の真っ白な綱をあの結んだ形で、付き人かどうか分かりませんが、相撲取りが恭しく胸の位置まで上げてついてきました。見物の人たちはそれを見て一斉に「おー」と声をあげました。
横綱の綱はお祓いをしていただいてから身につけるものなのですね。綱の大きいこと素晴らしかったです。
投稿: konoha | 2017年2月19日 (日) 12時16分
本日の大相撲 千秋楽 稀勢の里の奇跡の優勝!
感動しました
Tvをみながら拍手をしながら涙が出ました
おめでとう 稀勢の里
ほんとに よく 頑張ってくれました
有難う 稀勢の里
人生は 最後迄 諦めずに頑張れば 奇跡が起こる
稀勢の里の奇跡の優勝に繋がる歌を いろいろ
探しました。 この歌に出逢いましたので・・
投稿: けん | 2017年3月26日 (日) 19時15分
けん様、本当によかったですね。本当に嬉しいです。
夫と歓声を挙げてしまいました。孫がビックリして飛んできました。「じいじが倒れたかと思った」そのくらい夫と大喜びをしてしまいました。
改めまして、稀勢の里優勝おめでとうございます。日馬富士との対戦後の怪我をとても心配しました。今後の場所もあるので今回は大事をとってほしいと思ったのですが、今日の稀勢の里は今まで一度も見た事がない気迫がありました。素晴らしいです。大いなる感激をありがとう!
1月の明治神宮での奉納土俵入りを見に行ったことが自慢です。
ありがとう稀勢の里、そして怪我の養生に専念することを祈らずにはいられません。
投稿: konoha | 2017年3月26日 (日) 20時16分
けんさま
ご無沙汰いたしております
実は 今 難波の府立体育館から 能勢に帰り着いたところです 世紀の 逆転劇を目の当たりにしてきました
感動で 感動でーー
高校野球では 近世では 語り継がれる名試合
箕島ー星陵戦
を偶然 一回から 終了まで 鳥肌をたてながらながめることのできた (これは テレビでしたが) ことに匹敵する 事象に遭遇できたこと 感無量 すばらしい一日でした
相撲では 貴乃花ー武蔵丸 の勝負を思い起こす方は多いと思います でも その相撲は 武蔵丸が怪我人とは 勝負はしない ゆえに 自分は敗者でよい という信念が強くみられたものでした
今回のは 異りました 昨日の鶴竜にも 十分な相撲もとれず 稀勢の里の千秋楽出場の気持ちだけでも素晴しい やはり 真の日本の横綱だ 負けて当たり前 出場する姿だけでもみたいとの思いででかけました
歴史に残る 気力 気魄 素晴しかったです
けんさま よく お相撲の曲をさがしてくださいました
自分の気持ちの盛り上がりを 二木先生のページに記させていただけました 有り難うございました
投稿: 能勢の赤ひげ | 2017年3月27日 (月) 00時53分
続けての投稿をお許しください。
対戦相手の照の富士も初の優勝がかかった土俵でした。共に身体に故障を持った優勝決定戦でした。照の富士は前日、立ち上がりで変化して相手を引き落としてしまいました。・・・
そのような試合までして優勝を狙った照の富士。どんな勝負を仕掛けてくるかとドキドキでしたが、しっかり真っ向うから稀勢の里に臨んできたのです。いままで寄り切り相撲だった稀勢の里、怪我のこともありますが、今回の土俵はおおいに違っていました。
稀勢の里の気迫が飛び散りました。稀勢の里には2度も感涙をいただきました。ありがとうございます。照の富士も真っ向勝負でありがとうございました。素晴らしい名勝負でした。
照の富士のあの眉を寄せた厳しい眼差しをした表情に、あの阿修羅像のお顔が浮かんできます。
投稿: konoha | 2017年3月27日 (月) 07時21分
konoha様
稀勢の里そして対戦相手の照の富士の真向勝負のことまで書いていただき 有難うございます。
早朝からTVやラジオで稀勢の里の逆転優勝の事が流れています。
その都度 涙が出て来たり、鳥肌がたっています。
能勢の赤ひげ様の言われる通り「世紀の逆転劇」をTVで偶然 見ることができた私自身も運の良さに喜んでいます。
鬼の形相の照ノ富士に、大怪我で左腕は使えないが平常心の稀勢の里が対照的でした。稀勢の里は大怪我しているので休場してもファンは納得するだろうという気持ちもありました。
難波の府立体育館でこの大勝負を観られた能勢の赤ひげさん、ほんとによかったですね。おめでとうございます。
稀勢の里は「この優勝は自分の力だけではない。なにか見えないものの力があるようです」と応援しているみなさんに感謝の言葉を謙虚に述べています。
それをみて また涙が出てしまいました。
有難うございました。
投稿: けん | 2017年3月27日 (月) 09時19分
本曲『一本刀土俵入り』はまさに新横綱稀勢の里にぴったりの曲です(太刀持ち高安が掲げる太刀が「陣太刀」(じんだち):Wikipedia)。
将来の横綱候補と期待されながら苦節10年?、稀勢の里の地元茨城県牛久市や水戸市では「稀勢の里コール」「歓喜」「感動」(朝刊茨城版の見出し)…の嵐です。昨日はうちのカミさんも感動したと言ってましたが、当たり前のことながら一番喜んでいるのは稀勢の里のご両親です。
投稿: 焼酎百代 | 2017年3月27日 (月) 11時22分
けんさま konohaさま 焼酎百代 さま
のコメントをみて また 涙しています
歴史の一証人になれたこと いろいろ考えさせられています
もちろん テレビ映像のほうが アップで細部までわかったでしょうね
でも 本割も 優勝決定戦も そうですが
勝負あった後 一瞬の静寂のあと おーっ という体育館全体からのどよめき ほとんどが 立ち上がり拍手喝采 日本一 おめでとう 有り難う などの 叫びが飛び交い
【阿鼻叫喚】ーーこれは使い方はちがいますが とは
こんな叫びかとも 想像させられるような ものすごい熱狂の渦でした
実は そのあと このすさまじいエネルギーが 真っ黒な政府 親の七光りだけの傲慢な政治屋たち 忖度だけにうつつをぬかしている似非エリート官僚 などに向かわないだろうか 向かうよう何かできることはないのか 等々 縷縷考えながら 帰ってきました
投稿: 能勢の赤ひげ | 2017年3月27日 (月) 13時16分
そうだ
今日は 初場所の初日だったんだ
稀勢の里関 どうだったんだろうと ネットをみてみると やはり黒星
うん と考え あの気の弱い 稀勢の里関のことを考えてみた 横綱は勝たなければいけないもの そう云われて久しい 相撲の取り口として 認められている 張り手ですら 横綱は使ってはいけないという昨今
稀勢の里関は 大変な時代に横綱になってしまった
入門してすぐから 萩原君は 将来の横綱といわれていましたね でも やさしすぎて ここ一番は 必ずといっていいほど敗戦 大関の在位がながくなって もう 横綱はない と思われたときもありましたね 彼はもう終わったんだと しかし 幸運が横綱を運んできてくれました そのまま 白鵬に対抗できる 位置をつとめれるかな 強くなったなぁ とおもっていた矢先 昨年春場所 日馬富士との戦いでの敗北 大怪我 そのご出場はしたが 誰もがだめだろうと考えていたなかでの
照ノ富士戦での 逆転優勝 すばらしいドラマでした
しかし 人間万事が塞翁が馬 稀勢の里関は経験したことのない怪我をしてしまったのですね 今まで 身体だけは人より強い 怪我をしないあなただったのです それでも ここ一番は うそのように弱かった
稀勢の里関 もう あなたのやるべきことは やったのですよ 日本人で横綱になれた --- もう日本人の横綱には であえないかも知れない とも思っていた
でも あなたは 成し遂げた それだけでいいじゃないですか もし体調に問題があれば 完全にもどったというまで 休まれたらどうでしょう 再起があるなら 万全となってでてこられたときしかない と私は思えてなりません 今 あなたのおかれている精神状態は ようくわかるつもりです 周りに左右されず わが道をいってください あなたは 素晴しいお相撲さんですから
投稿: 能勢の赤ひげ | 2018年1月14日 (日) 23時26分
今、極端に言えばモンゴル勢が良きにつけ悪しきにつけ?角界を席巻しているわけですが、唯一の日本人横綱稀勢の里には格闘技人としての根性を今一度発揮して貰いたいものです。
そもそも稀勢の里の怪我の発端は、暴力沙汰で今回角界引退に追い込まれた元某力士の荒業が原因という見方もあるようですが、それはともかく、口幅ったい言い方になる訳ですが、稀勢の里には精神面で“蚤の心臓”を“鋼鉄の心臓”に“大変身”させるような精神力を養って貰いたいものです。
投稿: 焼酎 | 2018年1月15日 (月) 14時39分
賛成です。蘇れ!明治神宮で見せた稀勢の里のあの心意気を!です。
投稿: konoha | 2018年1月15日 (月) 14時54分
能勢の赤ひげさんの優しいコメントに涙します。
昨日の稀勢の里の仕切りは やや腰高に見えました。
対戦力士の気迫が勝っているようにも感じました。
私は焼酎さんやkonohaさんと同じ気持ちです。
苦しい時はみんな苦しい。
投げ出したいときはみんな投げ出したい。
日本人横綱の意気を示して欲しいと思います。
投稿: けん | 2018年1月15日 (月) 15時48分
この一年 (去年の春場所から 今日おわった初場所まで) お相撲さんの 栄枯盛衰 というか 強さ 弱さのかわりよう めまぐるしいものでしたね
稀勢の里関の残念な休場
照の富士関の十両陥落も決定的となりました
もちろん 大怪我は 以前よりありましたが
最近 多すぎませんか
昔は かばい手 という言葉がよく聞かれたと記憶していますが --- 今は あまりでてこないです
怪我をささないように できるだけ配慮する
ガチンコ だけではいけないのではないかと考えています
異論をもたれる方も多いでしょうが
しかし いずれにしろ 苦労人 栃ノ心関の初優勝でおわりました 初々しい さわやかな 彼の人柄のあらかれた 優勝インタビューに 感動し 涙しました
大怪我を克服しての 初賜杯 おめでとうございます
また 彼らには エールを送ります
フレー フレー
稀勢の里
フレー フレー
照の富士
投稿: 能勢の赤ひげ | 2018年1月28日 (日) 18時45分
同感です。昨日の優勝決定のインタビューの栃の心の涙に見ているこちらまで涙してしまいました。怪我をしてからのあまりもの番付の下がりように驚きましたが、本当に止めなくてよかったです。
昨日の土俵の下でのあの厳しい表情、そして立ち会いのあの顔、勝った時のふうと見せた安堵の表情。よくやりました。あっぱれです。
フレーフレー 稀勢の里 フレフレー 照の富士 誠に誠にそう思います。
力士の怪我が多すぎますね。体重の増え過ぎなのでしょうか?
投稿: konoha | 2018年1月28日 (日) 19時11分
本曲の歌詞1番「利根の川風まともに吹けば」とあり、芦屋市出生・茨城県龍ヶ崎市育ちで利根の川風に吹かれて育った?稀勢の里には、非常に厳しいことを言うようですが、同じ茨城県の日本三名瀑の一つ袋田の滝(現在凍結中)にでも打たれて精神修養したらどや!田子ノ浦もただ傍観しているんでは親方失格だ!と北関東在住年寄りが声を大にして言いたいところです。
5場所連続休場稀勢の里は立ち合いが腰高とか土俵際の詰めとか粘りとか今さら戦術的な問題ではなく、気弱な性格に問題があり、ここは破れかぶれのド根性で突っ張るしかないだろうがという点に尽きます。このままだと来場所も序盤で取りこぼしやって6回目の途中休場が目に見えている訳です。同じ間違いを何回もやったらあかんです。“某引退力士の荒業反則技?で負ったケガ”が最大?の原因とは言っても、今さら覆水盆に返らずで、死に物狂いで横綱昇進場所でみせた気迫を発揮してみろと言いたいところです。このまま史上最低最悪の横綱で終わりたくなければ、乾坤一擲!、野球に例えれば起死回生9回裏逆転満塁サヨナラ弾をブッ放してみろと言いたい今日この頃です。
投稿: 焼酎 | 2018年1月29日 (月) 15時26分
「うた物語」は二木先生が長期に渡って大事に育てられたサイトと思っておりますし、それ故に私を含め、コメントを寄せられる皆々様の気持ちが癒されて、また日々の楽しみになっていると存じます。ありがとうございます。
先日終わりました大相撲の感想を、以前のコメントの続きで書きたかったのですが、「旅の終わり」での二木先生の二度目のお知らせを拝読して、安心して投稿しています。
その歌の持つ懐の深さが、私たちに様々な思いを呼び起こさせてくれていると思っています。 ですので、その歌、まつわる素晴らしい蛇足、寄せられる数々のコメントが時間差を飛び越えて 同じ温度の中にいられるのではと思っています。
九月二十三日で終わった秋場所は久しぶりの面白かった場所でした。豪栄道、御嶽海、そして稀勢の里と栃の心、おおいに湧きました。まず稀勢の里、もうハラハラドキドキのしっぱなしでした。いつもなら明日の対戦相手は誰?なんて気にしなかったのですが、今回ほど一喜一憂したことはなかったです。中日(なかび)から勘を取り戻した取り組みぶりで、もしかしたら「伝説の力士」になるのではと密かに期待したほどでした。
栃の心も怪我で小結から幕下55まで下がり這い上がってきました。せっかく大関になれたのに、またしても怪我で角番、勝ち越して本当によかったです。宇良も大怪我をして休場が続き、三段目91になりましたが6勝1敗で頑張りました。照の富士も大関から転落し幕下47で七場所休場ですが、宇良も照の富士も早く幕内に戻って来てほしいものです。
投稿: konoha | 2018年9月25日 (火) 21時00分
konohaさまのコメント大変興味深くそして楽しく拝読させていただきました。私もこの曲「一本刀土俵入り」は、三波春夫の歌の中でも特に好きな一曲です。
相撲取り組の分析と各力士の動向、観戦感想など・・・なるほど・・・そうだったなあと改めて思い起こした次第です。
私が、今場所で一番注目していた力士は、勿論、稀勢の里でしたが、来場所は是非優勝を目指して頑張ってほしいと願っているところです。
投稿: 一章 | 2018年9月25日 (火) 22時26分
やっと 相撲が観客をいれて
再開されました
もちろん 少ない観客での取り組み
一抹の寂しさはありますが
一歩ずつ 世の中が正常化していくのは
ありがたいことです
そのなかで 一人 高田川部屋の力士が亡くなられたのは 残念なことでした
心から ご冥福を祈らせていただきます
稀勢の里 照ノ富士の 奇跡のような二番から
もう 三年余りになるのですね
稀勢の里関は 引退し親方業に邁進されています
それに比べ 照ノ富士関は 怪我が悪化し
序二段まで転落 手術もし 徐々に回復
今場所は 幕内まで上がってきています
お相撲さんでは 致命的な膝 ここまで回復し
幕内まで 戻れたとは
感動 感動 しかありません
欲をいうといけませんが まずは 三役までーーー
期待しております
この 世知辛い 暗い世の中
大変な地獄からの生還 拍手喝采です
もうひとり 小兵で とてつもない技をだす
宇良君も 幕下まで 上がってきています
興味深い 二力士です
一本刀土俵入り
とは 少し意味は違いますが
人間の執念かな
頑張り 辛抱 忍耐 我慢
素晴らしいものです
投稿: 能勢の赤ひげ | 2020年7月20日 (月) 21時53分
よかった〜。照の富士おめでとう!!本当によかったです。序二段からの復帰そして優勝、ものすごく嬉しいです。よく頑張りました。序二段からの再起を思うと泣けてきます。何度辞めようかと思ったとのこと、周りの人々に支えられたとのこと、そして親方の支え、みんなみんなおめでとうございます。優勝インタビューの時の照の富士、一回りもふた回りも大きく感じられました。それだけの葛藤と頑張りが照の富士を大きくしたのでしょうね。本当によかったです。もう一度照の富士おめでとうございます。
朝乃山よく頑張りました。初大関でまして横綱、他の大関のいない中、千秋楽で責任を果たしました。栃の心も勝ち越しました。宇良も頑張りました。三人の関取は揃って膝のサポートが痛々しいです。膝を見ていると取り組んでいる最中ハラハラしてしまいます。どの力士も怪我がないように思っています。
やはり照の富士の顔、あの阿修羅のお顔に似ていませんか? 眉をキッと寄せた時の右からの表情の面ざしが似ていると思うのは私だけでしょうか。
投稿: konoha | 2020年8月 2日 (日) 18時45分
konohaさま
こんばんは
まさか 幕内に 戻りついての その場所での優勝なんてーーー
考えも していなかったですね
高安 正代 には敗れましたが 照の富士関
ほんとうに 奇跡を起こされましたね
感動 感動 素晴らしいとしか いえないです
相撲を 見終わって 宝塚から 能勢まで来る途中
宝塚の山あいから 光り輝く夕日に遭遇
クリニックの駐車場では さるすべり が
今年最初 花をつけているのを確認
ベランダからは 満月が煌々と 周囲を照らす姿が
とらえられ
長梅雨が終わり
相撲からの 何とも言えない 快い感動と
幾つもの自然の妙を 同時に感じられるなんて 何という恵まれた
充実した 一日だったのかと思っている次第です
話は戻りますが
konohaさまが照の富士関の顔が
阿修羅のお顔にみえる と書いておられますが
僕も 同じように感じていました
3年前の 稀勢の里との死闘の際には
その顔が 敵役 ヒールと思え
今日は 3年余りを経て 同じ阿修羅のお顔でも
判官びいき いや 成吉思汗びいき???
をしたくなる 素晴らしい いいお顔でしたね
よく 耐えられましたね
それを よくささえられた 元横綱 旭富士の伊勢ケ浜親方
日馬富士の暴力事件のため 役職を
大分 降格されていましたが
今場所は 審判部長にまで復帰されて
その場所での まな弟子の活躍
辛抱して 努力する 諦めず積み重ねる
自分の経験と見合わせ
賞賛と
まだまだ続く
これからを見つめ日々の精進
自分にも言い聞かせています
ほんとうに 感動の一日でした
阿修羅から の繋がりで
阿修羅 そのもののホームページがあります
二木先生のページに 訪れるのと 同じくらいアクセスしますが
今日
三峡ダム崩壊の危機を伴う大洪水と日本に押し寄せる一億のボートピープルの難民
という 投稿があり
中華人民共和国 と 日本の コロナ 災害に対する 問題点を論じています
不正義 不誠実 不公平の 現代社会のことは
一日も考えなくてよい日などない と認識した次第です
また 馬鹿なアベマスクを配ろうとしたりしてましたからね
日本の国民の浄財を お友達にだけ分け散らかし
真っ当な人の命など どうなってもかまわない
自分に阿り 国会で嘘を云った官僚は出世するーーー
いい加減 天罰が落ちてほじいです 笑 笑
投稿: 能勢の赤ひげ | 2020年8月 2日 (日) 22時58分
駒形茂兵衛は苦節10年の志しでしたが、果たせなく『蛇足』に「・・・これが、10年前に櫛、簪、巾着ぐるみ、意見をもらった姐さんに、せめて見てもらう駒形の、しがねえ姿の土俵入りでござんす」とあります。 照ノ富士が伊勢ケ浜親方から優勝旗を渡される時のお二人の心情を思いますと思わず目頭が熱くなってきます。
能勢の赤ひげさま、掲示板[1746]をご覧ください。
投稿: konoha | 2020年8月 3日 (月) 14時00分
大相撲が終わりました。今年の千秋楽も「一本刀土俵入り」の熱い男の「・・・おいらの土俵入り」でした。
十両に復帰した宇良の新しい化粧回しの文字「技」が示しているように、いろいろな技を繰り出し観客を沸かせました。本領がすっかり戻ってきたようでした。また最後の本割では貴景勝と照の富士の勝負、新大関として横綱休場で一人大関の重圧を背にしての貴景勝と2度の優勝を心に秘めた照の富士でした。まさに心理戦の勝負でした。本割では照の富士が勝ちました。もうすっかり血気盛んな頃の照の富士の表情、ふてぶてしい面構えになり土俵上での悪役がぴったりの様子でした。負けた貴景勝の表情がとても気になりました。
優勝決定戦では貴景勝の持ち技の圧倒的な押し出し、照の富士はなすすべもなく土俵を割ってしまいました。私は思わず「よかった! 残念!」と叫んでしまいました。どちらも応援していたのです。照の富士は悪役の顔つきから、しまったという表情に、勝った新大関貴景勝は泣き出さんばかりの表情をしていました。大相撲ってなんで胸に熱いものがこみ上げてくるのでしょう。
投稿: konoha | 2020年11月23日 (月) 14時20分
konoha様
交流掲示板 1952をどうぞ。
投稿: 田主丸 | 2020年11月23日 (月) 17時05分
konoha さま
交流掲示板をご覧ください。
投稿: 一章 | 2020年11月23日 (月) 20時03分
照ノ富士関
おめでとうございます
空前絶後の すばらしいことが 起こりました
思い起こすと 四年前の春場所
あなたは 稀勢の里のヒール
ほとんどの日本人からは 敵 悪役とされていた
その後 序二段まで落ち
そこからの あり得ない復活劇
その活躍を 涙しながら期待していた
判官びいきの日本人
あなたは この荒み切った日本に
真面目な努力の必要性 大切さを
思い出させてくれました
有り難うございます
日本人の純な心 と 闘争心をもっていた 古賀 稔彦氏の
(平成の三四郎 得意は 一本背負い) 如何にも早すぎる死
の報道に 落ち込んでいましたが
照ノ富士関 の優勝と
大関昇進で すこし 気持ちを切り替えれそうです
日々周囲では いろいろなことが起こっていきますが
自分のしなければいけないことは 同じ
平静を保ち 自分を律し 毎日の努力が必要です
照ノ富士関
有り難うございました
初心にもどり がんばります
投稿: 能勢の赤ひげ | 2021年3月28日 (日) 20時43分
リアルタイムで伝説誕生を見ました。
序二段の下は序の口、土俵を踏むことのできる力士で下から2番目の位置です。よく照の富士は辛抱したと思います。親方始め周囲の人々に支えられたこともあったでしょう。でもそれ以上にその声に応えた照の富士本人の気骨なのだと思います。素晴らしかった。取り組みがすべて終わった後の親方の話では後半膝の具合が良くなかったと、アナウンサーが話していました。
今場所の照の富士の取り組みのうち、横綱相撲の風格をちらっと垣間見せる場面がありました。いかにそれまでの苦しい心情を克服し、大きな相撲を見せたということかもしれません。どうか膝を大事にしてさらなる伝説を作って欲しいものと思います。
今場所中、あの眉頭をキュッと寄せる表情が一度も見られなく残念でしたが、裏を返せばそれだけ気持ちに余裕を持って集中できたのではと考えます。寄せていない眉の様子から阿修羅像のあの眉頭になるのか不思議です。
阿修羅像のお顔は決意と葛藤の揺れ動く様を表していると言われています。
今場所で照の富士の眉頭を寄せる厳しい顔つきが見られなかったことは迷いのない相撲を取ったということかもしれませんね。それにしてもよかった、よかった、ありがとう、素晴らしかったです。
各力士の今場所の取り組みはとても面白かったです。フレ!フレ!です。
投稿: konoha | 2021年3月28日 (日) 21時54分
照ノ富士関の優勝は見事でしたね。
多くの大相撲ファンが感動されたと思います。
八角理事長は「優勝するべくして優勝した」と絶賛されていました。
インタービューでも「皆さんの応援のお陰」と何度も感謝しながら、「必死に前向きで頑張ってきた結果が表れる日がくると信じてやってきた」と述べています。
先が見えない戦いの中、「一日一日を大事にして、できることを精一杯やってこられた照ノ富士関」来場所以降も頑張っていただきたいと思います。
投稿: けん | 2021年3月29日 (月) 14時31分
名古屋場所が終わりました。ただ一点を除くと大相撲が面白い場所でした。
一時期より、楽しみな若手力士が沢山出てきました。これからの場所が楽しみです。
照の富士に優勝させて気持ち良く横綱になって欲しかったですね。どの解説者も序二段からここまで上ってきた照の富士の辛抱頑張りを褒めていました。辛口で知られる北の富士氏は序二段まで下がってしまうと俺だったら途中でやめてしまうと話していました。
照の富士おめでとうございます。千秋楽の白鵬との取り組み以外はどんと落ち着いて見事な横綱相撲でした。(掲示板[2249]に続きを載せました)
投稿: konoha | 2021年7月18日 (日) 22時12分
新国劇、島田正吾扮する駒形茂兵衛が脳裏に焼き付いています。
長谷川伸が描いた股旅ものを含む一連の作品は様式美を求める歌舞伎と、写実重視の新劇とのちょうど中間に位置する演劇形態が最もその真価を発揮するようです。
新国劇が解散して、既に長い年月が経過していますが、創始者の沢田正二郎の遺髪を継いだ二枚看板、辰巳柳太郎の国定忠治や、島田の白野弁十郎などの名演は今でも鮮やかに蘇って日本人である私の琴線を掻き立ててくれます。
演劇に限らず文化というものは、当事者の努力や、支援者の存在もさることながら、やはり最終的には国家や行政関係者の成熟と理解が伴わないと存続するのは難しいようです。
投稿: tokusaburou yanagibashi | 2022年5月26日 (木) 21時25分
高校1年の春、卒業生の送別会でこの映画を観ました。
田舎だったからか、少し古い映画だったようです。
古い交流掲示板に書きましたが、小学校から若ノ花を見に行ったこと、
若乃花本人出演の「土俵の鬼 若ノ花物語」の映画を学校から観に行ったことを書き
ました。
二代目若乃花死去のニュースから、2件の映画と「一本刀土俵入り」の歌を思い出
しました。
二代目若乃花? 家系図を見るとややこしいのですね。
投稿: なち | 2022年7月18日 (月) 14時33分
立浪部屋の豊昇龍を応援しています。今日の千秋楽で勝ってほしいです。平成11年生まれで何と24歳187㎝140k叔父さんが元横綱朝青龍。7月場所で大関に昇進の口上が「気魄一閃」何事にも立ち向かうという意識だそうです。ずっと応援していきたいと思っています。子供の頃にテレビで中村錦之助が駒形茂兵衛で小暮美千代がお蔦さんだったと記憶しておりますが相撲の世界から人生訓が学べますね。今日は楽しみです。私も一本刀土俵入りの歌が大好きでよく歌います。
投稿: Kazuyo | 2023年11月26日 (日) 08時48分
「一本刀土俵入り」幼少のころより大好きだった三橋美智也のこの唄で、私が今も忘れられないのは、22歳での失業中に困り果てていた私が、日銭を稼ぐために、お力添えをいただき、また一方ならぬお世話になった『Y組』という名の事業所(アルバイト先)での光景です!
その事業所は土木工事を請け負う業者で、私はそこで約二ケ月間、道路工事の作業及び後片付けの仕事をしていましたが、そこの親方をはじめ、現場責任者の頭には、工事手順のご指導をはじめ、何かと日々親切にしていただき、また可愛がってもいただきました。
そして、運よく私の就職が決まり、アルバイト勤めの最後の日には、たった二ケ月間しか働いていないそんな私のために、親方のはからいで、事業所に近い酒場で、何と私のための送別会を開いてくださったのです。
その宴会もたけなわのころ、私の指導及び指図をしてくださった現場責任者の頭は、実はうちの親方は極道の組長であること、また自分をはじめ、今ここにいる者たち全員は組員だということを、私にやさしく笑いながらうち明けてくださいました。
その宴会がお開きになった後、頭が私を連れて行ってくださったそのスナックで、私の就職の花向けにといってカラオケで歌ってくださったのが、偶然にも私が大好きだった三橋美智也のこの唄でした。
その頭は、私がお見かけしたところ当時50代半ばくらいの方でしたが、この曲を歌い終えた後、わしらが若い時は、夜寝る時、親分を衛るため布団の下には必ず短刀を隠して寝たもんです、うちの親方(明治生まれ)なんかは、わしは絶えず日本刀を胸に抱いて寝ていたもんだ・・・が、酒の席での口癖だった・・・と、ほろ酔い気分で静かに呟いておられました。
「一本刀土俵入り」ここで二木先生の名演奏を聴いているとき、あの真冬の寒さ厳しい真っ只中、道路の突貫工事現場で真剣に作業をしておられた組員の方たちや、今思えばもったないほどに親切にしていただいた親方や頭のことを、私は長年が経った今でも想い出します。
投稿: 芳勝 | 2023年12月 5日 (火) 23時04分