越後獅子の唄
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
1 笛にうかれて 逆立ちすれば 2 今日も今日とて 親方さんに 3 打つや太鼓の 音さえ悲し 4 ところ変われど 変わらぬものは |
《蛇足》 昭和26年(1951)公開の松竹映画『とんぼ返り道中』の主題歌。
この映画は、監督:斎藤寅次郎、脚本:八住利雄で、越後獅子の少年を美空ひばりが演じました。共演は、高田浩吉、宮城千賀子、川田晴久、堺駿二など。上の写真はその1シーン。
越後獅子の少年が、幼い頃に殺された親から形見に、金山のありかを記した地図を託されたことから、さまざまな冒険が始まるという物語。
西條八十、万城目正、美空ひばりのコンビでは、『角兵衛獅子の唄』という歌も作られています。こちらも、みなし子が主人公になっています。
越後獅子は、越後国西蒲原郡月潟地方から出た獅子舞。子どもが小さい獅子頭をかぶり、身をそらせ、逆立ちで歩くなどの芸をしながら、銭を乞い歩きました。蒲原獅子、角兵衛獅子ともいいます。
実際、江戸時代には、貧しい家の子やみなし子などが買われて、親方に虐待されながら芸をしたという例も多かったようです。
4番の袖時雨は、着物の袖に涙がこぼれることです。
(二木紘三)
コメント
時々お邪魔して聴かせて頂いています。
今日は「越後獅子の唄」を曲にのって歌わせて頂きました。
昭和26年といえば新婚当時で田舎の農家の二階に間借りしていました。
朝、主人の出勤の姿が見えなくなる迄、二階の窓から見送っていました。
その時、市場から流れて聴こえていた「越後獅子の唄」は思い出深く、今も心に残っています。
故主人との思い出の唄を有難う御座いました。
投稿: ちづる | 2007年9月30日 (日) 22時42分
「越後獅子」の歌が出たころは小学4,5年だったと思いますが男の子だったのに担任の先生からひばりさんによく似ているからと音楽の授業中に「リンゴ追分」を歌わされた思い出があります。1町2反の田圃がありながら母の病気等の事情があって貧しく暮らしていましたが教育に厳しかった父が何故か年2回くらい町の映画館に家族を連れて行ってくれました。その時の映画でこの歌を覚えました。ラジオもない家でしたが隣から聞こえてくる歌に耳を傾けていました。「越後獅子」の歌を聴くと父が農閑期に出稼ぎに行き母が入院していてお米がなく兄弟4人が約1か月さつまいもだけで過ごしたのを思い出し両親がさぞ辛い思いをしていただろうと思うと涙が溢れてきます。極貧の生活を送りながら子供4人に教育を受けさせ亡くなるまで苦労をした父母に感謝しています。
投稿: しげひろ | 2007年12月 3日 (月) 14時57分
この歌はたしか、映画「鞍馬天狗」の中で杉作少年に扮した美空ひばりが歌っていたと記憶しています。「角兵衛獅子」という映画もあったので間違いないと思いますが。 哀調を帯びたひばりさんの歌声に聞き惚れました。
それはそうと、あの当時は嵐寛寿郎が演じる「鞍馬天狗」に夢中になったもので、映画がある度に必ず見に行きました。杉作に扮するひばりさんもいつも出演していたと思いますが、男の子を演じる彼女は自分よりも年上なのに、ずいぶん可愛く見えました。
後の国民的大歌手・美空ひばりは、こうして成長していったのですね。
投稿: 矢嶋武弘 | 2008年3月26日 (水) 10時45分
S22年生まれですが小学生後半ぐらいにやつと自宅にラジオがあつたように思います。当然この曲はかなり大人になつてから知つたと思います。思春期より色々あり不仲だつた両親を見送つたいま何故か小さい頃インプツトされたのでしょうかこの曲をきくとたまりません。繰り返し聞けるのがよろしいね。嫌な世の中すこしは心が洗われます。二木さん有り難う。
投稿: 住吉 彰 | 2008年4月 7日 (月) 17時38分
ひばりの角兵衛獅子ものでは、最も有名な歌ですね。たしかフォークソングの岡林信康も後年カバーしたと思います。私も好きな歌です。
でも、二木先生のコメントにありますが、「生まれて父の顔知らず 恋しい母の名も知らぬ…」で始まる「角兵衛獅子の唄」のほうが、私はもっと好きです。これは昭和26年の同名の映画の主題歌ですね。
ところで、この場をお借りして、ご存知の方がいらっしゃったら教えていただきたいんですが、ひばりの「悲しい小鳩」の3番の歌詞が知りたいです。1番は「赤い夕日の知らない場町で 浮かれジンタを…」で始まり、2番は「山のかけすは日暮れにゃ帰る なぜに帰らぬ…」で始まります。3番が思い出せないのです。よろしくお願いします。
投稿: 吟二 | 2008年9月14日 (日) 17時08分
約30年前、角兵衛獅子発祥の地月潟村(現新潟市)に2年半ほど住んでおりました。この曲を聴くと当時のこと、特に白山神社のお祭りや一緒に働いた建設事務所の人々を思い出します。この6月、久しぶりに現地を訪れましたが一部の方々が故人となられたことを聞き、また当時と余り変わらない風景に懐かしさがこみ上げて来ました。
投稿: 紘 | 2008年10月11日 (土) 14時19分
越後獅子といえば長唄の世界でも素晴らしい作品です。
いつもカラオケでこの歌を歌うのですが3番の「ところ変われど変わらぬものは、、、」の部分でなぜか涙が流れてしまいます。矢張り人の情けがうれしくもあり悲しくもあるのでしょうか。
いつまでも歌い続けたい曲ですね。
投稿: 越野利栄 | 2008年11月28日 (金) 23時35分
皆さんのコメントを読んで、その気になりました。氷川きよしの歌で、「・・・袖時雨~」と聞いた時、この「人の情けの袖時雨~」を思い出し、これは、何か意味のある文句、と思い辞書を引きましたが、我が家に、ワープロを含めて4冊ある辞書のどれにも掲載がありません。
「・・袖時雨~」、何と味わい深い言葉ですね。それが、何故、辞書に一つも載っていないんでしょうね。
投稿: 高橋昌勝 | 2009年7月10日 (金) 07時03分
「袖時雨」ヤフーの辞書にありますよ。
「袖に涙が落ちかかるのを、しぐれにたとえていう語。」
投稿: なち | 2009年7月10日 (金) 16時50分
吟二さん。「悲しき小鳩」ですね。
ヤフーで「山のかけすは 日暮れにゃ帰る」で検索するとあります。
書き込みは最近なので遅くなりました。
投稿: なち | 2009年7月10日 (金) 16時52分
「悲しき小鳩」
ごめんなさい。1番は別に書いてありました。
アドレスを入れても構わないでしょうか?
http://www.fukuchan.ac/music/bbs/musicbbs.cgi
過去ログ9565 1829
投稿: なち | 2009年7月10日 (金) 16時58分
美空ひばりの歌でよく唄ったのは、少女期の松竹映画三部作の主題歌(『越後獅子の唄』、『私は街の子』、『あの丘越えて』)で、わたしが高校生の頃です。これらの映画を見た記憶はありませんが、悪友の誰かが歌を覚えて来て、よく部室などで唄っていたように思います。当時は、まだフォークやロックなどにはお目にかかれず、歌謡曲全盛の時代でした。また、田舎の高校は、やたらに校則が厳しく、ギターなどの楽器は持ち込み禁止でした。ギター好きの友人は、掃除に使う箒をギターに見立て、よくこの歌を口ずさんでいました。今では懐かしい思い出です。校則といい、楽器類の持込禁止といい、現在とは隔世の感がありますね。
投稿: ひろし | 2009年7月12日 (日) 00時20分
なちさん
「悲しき小鳩」の3番の歌詞がお蔭様でわかりました。長年の願いがかないました。有難うございました。
投稿: 吟二 | 2009年7月12日 (日) 22時47分
今晩は。
新婚当時の懐かしい「越後獅子の唄」を聴かせて頂き、コメントしてから5年の月日が経っています。
その時と変わらない心情になって聴かせて頂きました。
そうして思いました・・・
懐かしい思い出は唄と共に有ることを・・・
又、二木先生の「うた物語」で生かされていることも・・・
本当に有難う御座います。想い出の数々を・・・
投稿: ちづる | 2010年8月10日 (火) 21時57分
二木先生 始めまして
たびたび覗かせていただいています。
音楽に対する研究とても参考になっています。
高齢者にカラオケを教えているのですが、二木先生の解説をあたかも自分の見解のように話しています。~~;
この歌は一番好きな歌です。
何故か悲しい時、嬉しい時も口ずさんでいます。
特に遠くに山が見えると自然と歌っています。
名曲は何度聴いてもいいですね。
いつもいい歌と素敵な解説ありがとうございます。
投稿: 華之将 | 2012年2月24日 (金) 03時58分
国会が騒然となっている昨今、長州・薩摩にたいする会津の人たちのおもいはいかばかりかと・・・。映画「白虎隊」の主題歌の制作を引き受けられた堀内孝雄さんは小椋佳氏に相談され「愛しき日々」を世に出されたことを知りました。現代人の感覚で、国(城)を守り抜く若者たちの一途な思いを見事に作詞された小椋氏の力量に感服し、精魂こめて詠われる堀内さんの心の叫びに感動しました。こんな世の中にあって「越後獅子」に寄り添える時代に生を授かった喜びをかみしめながら、二木メロディーをきいています。美空ひばりさんも然ることながら田川寿美さんの「越後獅子」は袖時雨。何回となく聴いています。
投稿: 亜浪沙 | 2015年7月16日 (木) 17時32分
能勢の赤ひげさま
ひばりつながりで、こちらで返事いたします。『悲しい酒』で過分なお褒めをいただき恐縮至極の思いです。現役でご活躍とのこと、うれしいです。この年(67歳)になると年上の方の活躍が、人生の行く手を照らす灯台のように思えます。どうぞご自愛ください。
この唄の
♪ ところ変われど変わらぬものは 人の情けの袖時雨
を聞くと思い出すひとつの出来事があります。
2007年の春、四国徳島で歩き遍路をしていた時、急に右手がしびれはじめ、呂律(ろれつ)もまわらなくなった。2年前、母親が発症した脳梗塞の状況を思い出し、ただちに歩行をやめ、木陰に横になった。しかし、一人旅でケータイも持っていなかった。桜の咲くのどかな田んぼ道だったが、パニックになりかける自分を抑えて、周りを見渡すと、農地をショベルカーで掘り返している青年が見えた。
「すみません、体の調子がおかしいので、救急車を呼んでください」と叫んだ。青年はすぐに電話をして、そばに来て「すぐ来ますよ、しっかりしてください」と救急車が来るまで励ましてくれた。
予測の通り、脳内出血だったが、溶血剤で処置され、手術はなかった。それでも右手の回復に5ヶ月の休職を余儀なくされた。他郷での見知らぬ人の親切は心底身に沁みるもので、時折思い出します。その青年の名前を知りたくて、地元新聞に投稿などしましたが、わからずじまい。名も知らぬ人の親切として記憶に残りそうです。
投稿: 越村 南 | 2016年7月 5日 (火) 13時06分
この歌をラジオで聞くまで、歌は楽しくさせてくれるものと子供心に思っていた私を根底からひっくりかえしてくれました。胸のあたりがざわざわして、どんどん苦しくなり家族がそばにいなかったら、大声を出して泣き叫んだかもしれません。なにも言葉に出せず鳥肌が立ち、ただ悲しかった!!歌を聴いて哀しい思いをした初めての経験でした。そばで聞いていた父が何も言わず私の様子をじっと見ていてくれたのが、救いでした。
後日父がしみじみと「お前の良いところは、正義感だなあ」と言ってくれたのです。
あのとき感じたこころの動揺や悲しみは、きっと私に正義感があったとすれば、子供心にも越後獅子の悲惨さが、少しは伝わったんでしょう。大人になって書物やドラマ等で実際に存在したことだと知った時は、あの歌が思いだされて悲しみが蘇り、ショックをうけました。私にとってこの歌は、聞きたいようでもあり、聞きたくないともいえる複雑な曲です。
投稿: mitsuko | 2016年7月 6日 (水) 19時58分
mitukoさん、私は子供の頃この映画を見て悲しくて泣いてしまいました。それで、後日映画館へまた見に行ってしまいました。そんなこと、後にも先にも一回だけです。お父さんが「お前の良いところは正義感だなあ」と言われた意味が分かります。お父さんも純粋な人だったのでしょうね。それらの気持ちは大きくなっても本質的には変わらないんじゃないでしょうか。生まれて父の顔しらず、恋しい母の名も知らず、かねで売られた角兵衛獅子の子は、自分に引き比べ、また自分だったらと思うと、本当に泣けてしまいますものね。
投稿: 吟二 | 2016年7月 8日 (金) 23時08分
美空ひばりのファンとは言いますが人間性について褒め称える人は少ないのではないでしょうか。しかし歌唱については誰しもが超一級と考えると思います。スローな曲を感情をこめて歌い上げる。演歌歌手のなかではトップだとおもいます。細かくすきのない歌いまわしはクラシックの歌手に匹敵していると考え 歌好きライブ好きな腕自慢さんに一度ひばりに挑戦することを勧めています。ところで私は荒城の月が歌えません。人前で歌えるように勉強(ボイストレーニング)しています。釣りきちじじ平
投稿: 藤野 哲也 | 2018年1月 2日 (火) 04時05分
子供の頃から好きな歌でしたし、美空ひばりの歌の中でも大好きな曲です。私も「人の情けの袖しぐれ…」の意味が分からなかった一人で、大きくなって辞書で知った次第です。
ひばり以外で聞きたい…と思ってyoutubuで探してみたところ、最初にいいなあと思ったのは香西かおりでした。同サイトに歌手不明のヴァージョンで唸らされた音源がありました。アクセスした人の書き込みに、歌手は大月みやこだという指摘がありまして、私もそんな気がしました。ひばり以外のヴァージョンでは同音源が最も気に入っています。
投稿: ジーン | 2018年4月 7日 (土) 20時59分
「越後獅子の唄」私はこの映画を観たことはありませんが、ひばりさんのこの曲に、なぜか私は幼い頃からこれまで人一倍の愛着を感じてきました!
今日も今日とて 親方さんに
芸がまずいと 叱られて
撥(ばち)でぶたれて 空見上げれば
泣いているよな 昼の月
特に上記2番の歌詞と哀切漂うこのメロディに私は感情移入してしまい、この唄を聴く度についホロリとさせられます。
『蛇足』>「実際、江戸時代には、貧しい家の子やみなし子などが買われて、親方に虐待されながら芸をしたという例も多かったようです。」と記されていますが、時代背景からしても確かにそんなことが日常茶飯事に行われていたであろうかと私も思います。
不幸にも売られてきた子どもたちの中には、『とんぼ返り』どころか『逆立ち』すらも容易にできない、ひ弱で不器用な子どもたちもいたと思われます。しかし、みなし子たちを金銭で買った親方の中には、日銭を稼がせる為には手段を選ばず虐待に近い惨い扱いをしてでも芸の修行をさせたり、また子どもたちの中には日々ひもじい思いをしながら挙句の果てには病を患い亡くなってしまう子らも少なからずいたのではないのかと私は想像するのです。
「越後獅子の唄」特にこの唄に関しては、私はあえて昭和26年吹き込みのオリジナル版を好んで聴きます。それはこのころのまだ幼さの残るひばりさんの歌声こそが、まさにこの唄の情景にぴったりだと私には思えるからです。
投稿: 芳勝 | 2021年6月 1日 (火) 21時50分