赤いハンカチ
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
作詞:萩原四朗、作曲:上原賢六、唄:石原裕次郎
1 アカシアの 花の下で 2 北国の 春も逝(ゆ)く日 3 アカシアの 花も散って |
《蛇足》 昭和37年(1962)のリリース。
大ヒットしたので、日活が昭和39年(1964)に映画化しました。石原裕次郎主演で、ほかに二谷英明、笹森礼子、浅丘ルリ子、芦田伸介、金子信雄など。内容は、当時の日活調アクション映画。
笹森礼子は、妹かと思うぐらい、浅丘ルリ子とよく似ていましたが、それが役者としての彼女にとっては、かえってデメリットになったかもしれません。
昭和38年(1963)の夏、旅行中にこの歌を口ずさんでいた中央大のSくんはどうしているかなあ。あの夏、彼は確かに恋していました。彼女が好きだというロマン・ローランを文庫本で一心に読んでいましたが。
(二木紘三)
コメント
歌手は 好きではないが
歌詞や 曲は 好きと言う事があります。?
お坊ちゃん だから と言う理由で
嫌うのはおかしいのですが。
この詞は 少し難しいです。
例
怨みに濡れた目がしらに
それでも涙はこぼれて落ちた
このあたり 微妙ですね。
経験しなとわからないか???
いつも有難うございます。
投稿: 二宮 博 | 2007年8月24日 (金) 01時49分
昭和27年生まれの自分には長嶋茂雄・石原裕次郎・吉永小百合の3人は別格でした。
理由はないですが・・。
中学の時帰宅部(当時はそんな言葉はなかった)で確か10ch(よみうりテレビ)で
名画座みたいなタイトルでリバイバルの映画を流しておりまして、
石原裕次郎ものはよく見ました。
今思うと突っ込み処満載の映画作りですが、そういうのを超越したワクワク感がありましたね。
投稿: konimo | 2007年10月 8日 (月) 23時51分
二木先生の「うた物語」折に触れ聞かせてもらっています。特に蛇足は大変参考になり、私の講演では何回も使わせて頂いております。
年齢も私とほぼ同じと考えられますが、どうかお体を大切にして、いつまでも続けて下さい。合掌
投稿: 坂本 佑精 | 2008年3月 8日 (土) 11時16分
裕次郎は歌は上手く無いと自分で認めていましたが、俳優だったせいか、聞かせる事に長けていたので殆どヒットしましたね。
投稿: 海道 | 2009年4月10日 (金) 19時45分
懐かしく聞かせていただきました。大学受験の勉強をしていたころ、最初にラジオで聞いて、いい歌だなと思いました。大学のコンパでも皆よく歌っていました。この歌詞には「啄木の世界と共鳴するようなものが感じられる」「啄木の『不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし十五の心』や、『函館の青柳町こそかなしけれ 友の恋歌 矢ぐるまの花』・・・・などの世界と、どこか響き合うものをはらんでいる」という見方もあります(佐野眞一「誰も書けなかった石原慎太郎」講談社文庫)
歌がヒットし、タイトルを使った映画が作られた。従来の日活アクション映画に代わり、裕次郎の日活映画の後期、「夕陽の丘」「二人の世界」「夜霧よ今夜もありがとう」と続く、「ムード・アクション」と日活が名づけた嚆矢の作品。笹森礼子の出演場面は記憶にありませんが、相手役の浅丘ルリ子も良かったですね。撮影当時、裕次郎28歳、浅丘ルリ子23歳。懐かしい歌です。
投稿: ゆうたろう | 2009年4月22日 (水) 21時04分
『赤いハンカチ』、叙情性漲り、裕次郎の歌の中で最も好きな歌です。
投稿: Lemuria | 2009年7月 6日 (月) 19時03分
萩原四郎(作詞)/上原賢六(作曲)ゴールデンコンビの最高傑作だと思います。青春の甘酸っぱい哀しみが、そくそくと伝わってきます。そして、あの新鮮とれたての不良坊ちゃんの裕次郎が歌って、完璧になりました。これを当時のプロ歌手がいくらうまく歌っても、このみずみずしさは出なかったでしょうね。
歌うとその当時の自分の感情がよみがえるようです。
投稿: 藤村大蔵 | 2009年7月 8日 (水) 20時21分
元・テイチクのディレクター、プロデューサーの高柳六郎氏は、「文句こそ言わないが、ご本人が、気乗りのしない作品というのはあった。昭和37年10月に発売した『赤いハンカチ』だ」と書いています。ーー現代教養文庫「石原裕次郎歌伝説」(社会思想社)p68--大ヒットとなった「赤いハンカチ」について、こう書いていますが、おもしろいものですね。
昭和31年にデビューし、この歌が発売された昭和37年の12月に「石原プロモーション」を設立し映画制作を開始しましたが、藤村大蔵氏の「あの新鮮とれたての不良坊ちゃん」という表現は何かぴったりしませんね。
ちなみに、萩原四朗(作詞)、上原賢六(作曲)、石原裕次郎(歌手)は「三原(さんはら)トリオ」と呼ばれ、赤いハンカチ、夕陽の丘、こぼれ花、などヒット曲を連発しました。
投稿: YOU | 2009年7月26日 (日) 23時18分
萩原四郎がテイチクの文芸部長だったS32年に作詞、歌謡曲の低迷の煽りを受けてレコーディングが見送られていたが、5年経って日の目を見た。テイチクの営業は、いまのご時勢に叙情的な歌謡曲は・・、という消極的な意見だったが、レコードが発売されるや大ヒットし、映画化もされたそうです。---中島賢治(元テイチクの担当ディレクター)「石原裕次郎 過ぎ去りし日々」(角川文庫)より
投稿: 考古学者 | 2009年8月 2日 (日) 16時11分
確かに詩情あふれ、哀愁の漂うこの歌詞はいかようにも解釈できますね この歌に限らず当時の男性向け歌謡曲は、非現実的なものが罷り通り、それが爆発的にヒットしていました 波止場でヤクザチンピラとの殴り合い、非合法なはずの拳銃の打ち合い 怯えながら倉庫の片隅から見ている片思いの女性 ギターとライフル持った馬上の渡り鳥 ワンパターンながら、それらを何の疑問もなく観ていた 至福感に浸れた 不思議ですね
東京五輪世代の私も苦い哀しい別れがありましたので、このうたはわが青春の “BEST3” に入ります
投稿: くろかつ | 2010年12月20日 (月) 04時39分
大学に入った年の夏、今は社名の消えてしまったY乳業の工場で、45本の牛乳瓶の入ったケースを、冷蔵庫の中で積むアルバイトをしていました。
要領を覚えて、15段も16段も放り投げて、瓶を割らずに積むのですが、主任さんにほめられ、『来年も来てね!』と言われて4年、同じ工場で同じ仕事をしました。交替勤務でしたから、待機していた1年生の夏、よく裕次郎を歌いました。この「赤いハンケチ」が流行っていたからです。
法政、中央、横浜国大、専修、中央、明治学院などから来ていたのが歌仲間で、相撲をとったりしましたが。雨の予報の夜は、製造量が少なかったのですが、暑い日には、明け方近くまで積み続けていました。事務所の女子職員の制服のポケットにラブレターを入れたりしましたが、恋は実りませんでした。
北国の春が行く来年こそはと願いつつも、お預けの4年だったのです。東北大震災、原発の放射線漏れ事故のニュースの合間に、「二木紘三のうた物語」にアクセスしたら、この曲に再会しました。まだ春なのに、あの年の夏の光景がまぶたに浮かびます。みんなで歌わないときには、しょんぼりと夏雲も見上げていたでしょうか。
懐かしさを、ありがとうございます。
投稿: jimmy | 2011年4月13日 (水) 14時46分
花のニッパチ組としては、石原裕次郎の良さが本当にわかる年齢になったと実感しますね。赤いハンカチは、カラオケの十八番になっています。そして、浅丘ルリ子が実にいい。寅さんの浅丘ルリ子もいいが、このころの浅丘ルリ子には、独特の可愛さがあります。
投稿: shin | 2011年8月 3日 (水) 23時22分
笹森礼子 - 赤木圭一郎との共演作が最も多かった女優。入社後暫くしてから湘南学園幼稚園の同窓で(赤木と)あることが判ったらしいです。一方小林旭との同棲が破局した時の浅丘を精神的に支えたのが裕次郎だったとの事。お兄ちゃん、一緒になるならリリーさんしかいないのよ!(さくら)第 48作のロケの時いつもと違う寅さん(渥美)を見て浅丘がリリーと寅さんを結婚させてくれと山田監督に頼んだと言うが50作まで撮るとの答えだったとか。以上ネット情報以下私見です。これで良かったかも知れませんね。後世に残る名作としては。二人共我々世代の姉さんマドンナでした。(です)
投稿: 海道 | 2012年8月30日 (木) 13時42分
この「赤いハンカチ」がリリースされた昭和37年、その夏、わが田舎に石原裕次郎が映画の撮影のためにやって来ました。
舛田利雄監督の「零戦黒雲一家」、共演は二谷英明、浜田光夫、大坂志郎、内田良平、日活おなじみのヒトクセ、フタクセの俳優陣。そして二木先生お気に入りの近藤宏、紅一点の渡辺美佐子。 話の筋は、南洋の孤島を舞台に、一寸荒唐無稽な戦争アクション物と言ったところ。 夕刻、港の船着き場の道ばたで、二谷さん、浜田さんとも気さくにおしゃべりができて、銀幕でしか会えぬ人達と一緒に居るドキドキ感。映画完成後は全国に先駆けての、町の映画館での封切り上映。 キズが現れない映画のなんと美しい事。生まれて初めての体験でした。暑い熱い中学一年生の夏休みでした。もう半世紀も昔の思い出です。
投稿: かせい | 2012年10月10日 (水) 00時50分
昭和38年、三橋美智也「星屑の町」、春日八郎「長崎の女」、坂本九「明日があるさ」等がヒットしていた予備校時代、下宿屋の一室に仲間と集まって文化放送「全国歌謡ベストテン」を毎週欠かさず聴いたものでした(毎週火曜だったと記憶しています)。おぼろげな記憶によれば、「赤いハンカチ」は同番組で確か二十何週連続一位を独走するという空前のヒット曲でした。裕ちゃんのヒット曲の中でも萩原四郎-上原賢六黄金コンビの最高傑作です。
投稿: 佐藤廣権 | 2013年2月 1日 (金) 22時16分
硬派の姿勢を崩さない、同じ下宿の、先輩ラガーマンが卒業間近に唄った曲でした。セピアにならない光景としていまでも心の片隅に在ります。
投稿: 夏橙 | 2014年9月12日 (金) 20時56分
一章様には以前『傷だらけの人生』投稿駄文にご賛同頂き有難うございます。
個人的に好みの戦後歌謡曲(作曲家)は①吉田正②上原賢六③鶴岡雅義ですが、『赤いハンカチ』は『夕陽の丘』と並ぶ上原賢六の代表曲です。
「歌は世につれ世は歌につれ」と言いますが、小林亜星氏の談話(「作曲家、作詞家がいけない。いろんな経験と音楽的成熟が必要で、そういう人がいなくなった」)の通り、昭和30~50年代あたりの全盛期に比べると、『赤いハンカチ』クラスの曲にお目にかかれないのは寂しい限りです(戦前年寄りの愚痴で失礼しました)。
投稿: 焼酎百代 | 2016年8月16日 (火) 21時53分
夕陽の丘 の 国民栄誉賞論争から 裕次郎の名曲 赤いハンカチ へとワープしてきました
昔は よく歌いましたね
裕次郎 渡哲也 五木ひろし --
しかし 今は ほとんど歌わないです
殊更に理由を考えたことはないのですが こじつけるとすると 歌うシチュエーションが変わったということでしょうか
飲みながら スナックで友と歌うのと
ひとり カラオケで歌う とでは 曲も変わってくるのでしょうか
国民栄誉賞についていうと ハコベの花さまの
小手先で日本国を動かそうとした政府を小手先で救うことは出来ますまい 感動的な言葉とうけとりました
一本!!! 有り難うございました
国民栄誉賞 はどうなっているのかと 受賞者名をみてみましたが 沢山の方とチームがもらっておられるのですね ときの政府が その都合ででしたのでは と思えるようなものも 値打ちがなくなりましたね
何十年かに一人 ほんとうに 日本人の真摯な気持ちをもち 品格に優れた方 また大変な感動を与えてくださった 誰もがあの方になら栄誉賞をーーー めったにおられないですよ
投稿: 能勢の赤ひげ | 2017年7月16日 (日) 20時50分
「赤いハンカチ」は30年ぐらい前よくカラオケで歌っていました。歌詞の意味は深く考えたことはなかったのですが、さきほど「サライ」という雑誌に藤原正彦氏が「赤いハンカチ」に関して寄稿されていました。私としてはソウだったのかと目から鱗の思いでした。
投稿: 下総の一酒徒 | 2019年11月27日 (水) 18時27分
「赤いハンカチ」裕ちゃんのヒット曲は数えきれないほどありますが、石原裕次郎の歌謡史を語る上で、最大のヒット曲「銀座の恋の物語」とともに大衆の誰もに親しまれたこの曲は絶対に外せない歌だと思います!
私は、裕ちゃんが他界したあとに追悼盤として発売された205曲を収録したCD10枚組「石原裕次郎の世界」を今も時々聴いていますが、その歌詞集のページには一曲毎に長田暁二氏による興味深い解説がされています。
「赤いハンカチ」は昭和37年5月23日のレコーディングだが、詩は「錆びたナイフ」より以前の31年12月に書き上がっていた。・・・西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」が大ヒットして世の中はちょっとしたアカシア・ブームになったとき、世に出た。・・・発売のタイミングが良かった。映画化された時、裕ちゃんはスクリーンでの初めてのキスシーンを、共演の浅丘ルリ子と演じたそうです。
別紙解説書によればこの曲がヒットした昭和37年は、裕ちゃんが28才の時で、堀江謙一氏、ヨットで太平洋単独横断成功・ザ・ビートルズが「ラブ・ミー、ドゥー」でデビュー・ツイスト大流行・巨人軍の王貞治が一本足打法で登場し、本塁打王になったとあります。
昭和39年に上映されたこの映画に光子役で出演した笹森礼子ですが、<蛇足>笹森礼子は、妹かと思うぐらい、浅丘ルリ子とよく似ていましたが、それが役者としての彼女にとってはデメリットになったのかもしれません。私もその解説は的を得ているような気がします。
また昭和35年から36年初めにかけて、彼女は赤木圭一郎との共演した映画が「不敵に笑う男」「海の情事に賭けろ」「幌馬車は行く」「錆びた鎖」「明日なき男」「紅の拳銃」と6本ありますが、映像で観るあの頃の綺麗な澄んだ瞳の可憐な彼女に、私は今でも魅力を感じます。惜しくも早く引退されましたが、笹森礼子さんは本当に素敵な女優さんでした。
投稿: 芳勝 | 2019年11月28日 (木) 00時11分
何年か前、小樽に行きました。そこで裕次郎記念館で買ったのは裕次郎のCD「夜霧よ今夜もありがとう」でした。
投稿: 今でも青春 | 2019年11月28日 (木) 09時19分
この歌にご投稿の皆さま
本日、朝3時過ぎからのNHKラジオ深夜便で、この歌が流れました。終わりの方だったと思います。
私は農業に徹するべく、前夜は6時、7時に就寝、朝は3時位に目を覚まし、トイレに行き、炊飯器のスイッチを入れ、ラジオを掛け寝床で聞いています。4時には起き出します。
私は、当時、裕次郎はボンボンの様で、あまり好きではなかったのですが、今となっては、この曲は懐かしいです。
では、皆様、お元気で。
投稿: 竹永尚義 | 2019年11月28日 (木) 15時46分
最近テレビ(NHK BSプレミアム)で、いま石原裕次郎とはどういう訳か判りませんが、たてつづけに「嵐を呼ぶ男」「夜霧よ今夜もありがとう」「あいつと私」の映画をやっていましたので、ついまた、録画して見てしまいました。過去いずれも見ておりますが久し振りです。でも見るたびに新しい感動を覚えるのは何故でしょうか。好きな流行歌に飽きが来ないのと同様、きっと映画にもあの頃の自分の思い出が重なってくるからでしょうね。また、見過ごしているところや、忘却している場面も結構あり、当時の時代背景まで事細かく、これらの鑑賞に余裕が持てることもあるからでしょう。
今般お亡くなりになった中曽根康弘元総理大臣は裕次郎さんの「錆びたナイフ」が愛唱歌の一つだったと聞いています。私の記憶が正しければ・・です。
投稿: 迷える古羊 | 2019年11月30日 (土) 23時42分
懐かしい歌に再会致しました。
私は、石原兄弟はあんまり好きにはなれないのですけれど、裕次郎があのボワンとした声で歌うこの曲はいいなあと思いました。 以前はなんとなく口ずさんでいたことがたびたびありました。
上の方でどなたかが、青春の甘酸っぱい哀しみ、と仰っていられるのはけだし名言だと思いますが、私は、まだ若いころなんとなく気を惹かれたあの素敵な人に対する淡い気持ちをなつかしむ、という思いが致します。
だんだん大きくなって、女の恐ろしさを経験しはじめると、やはりこのような若いころのほのかな気持ちが懐かしくなるのでしょうか。 この歌といい、「白い花の咲くころ」といい、青春時代の甘酸っぱい、そして淡い気持ちをうまく表現しているように思います。
作詞者や作曲家の巧みさ、そしてそのメロディーを作詞者作曲家の思いに合わせて歌い上げる歌手の方々、本当に見事なものですね。
投稿: 田主丸 | 2019年12月 5日 (木) 07時47分
ハンカチの起源は紀元前3000年頃で現在のように正方形に統一したのはマリーアントワネットだそうです。(Wikipedia)赤いハンカチの赤の意味は二人の間の情熱のようです。その他に池上線、千登勢橋の白いハンカチは別れを意味する。水色のワルツの水色のハンカチは人に信頼されるようにとの事。幸せの黄色いハンカチは言うまでもありません。
投稿: 海道 | 2021年7月 2日 (金) 18時41分
先週でしたか、R1の深夜便をかけっぱなしで床に就き、そのまま寝入ってしまっていたようです。突然、そっと呼び起こす音が耳にはいり目を覚ましました。気持ちよく耳に入ってきた音曲が「赤いハンカチ」でした。午前三時からはじまる「にっぽんの歌こころの歌」の時間でした。腸内細菌が揺り起こしたのですかね。作詞、作曲、歌手の方々の腸内細菌と小生の胎内に生息しているそれの素性が一致したと思いながら気分爽快に聞き惚れました。
投稿: 亜浪沙(山口 功) | 2021年7月18日 (日) 16時24分
先日の深夜便、裕次郎特集、私も聴きました。
大抵はプツンと消してしまう私が最後まで聴きました。裕次郎は青春の歌だったとしみじみ思い知らされました。
ふと感傷的になり涙を誘われました。
歌唱的に上の歌手はいるが、なんとも言えない青春の残像を誘う雰囲気は、裕次郎独特のものですね。夕陽の丘、恋の街札幌、などなど
投稿: りんご | 2021年7月19日 (月) 20時11分
投稿: 田主丸 | 2019年12月 5日 (木) 07時47分、投稿: りんご | 2021年7月19日 (月) 20時11分。お二方、こんばんわ。九州の久大線のカッパ駅舎で人気の田主丸駅がありますね。修学旅行で久留米から別府に向かうとき機関車の煙にむせたのが田主丸駅でした。投稿: 田主丸さんは田主丸にお住まいでしょうか。「・・・女の恐ろしさを経験しはじめると、やはりこのような若いころのほのかな気持ちが懐かしくなる・・・」同感です。投稿: りんご さま、深夜便族?ですね。同じ時間に同じ歌に心を寄せておられた方がいらしたことを知り人生の励みになりました。りんごさまのご投稿の文面は欠かさず拝読しています。ところで、「赤いハンカチ」の歌詞をこれまで何回となく読みかえしていますが、今一つ、歌詞の情景がよくつかめません。勝手に想像はしています。どなたかこの歌をもとにショートショートの物語を投稿していただければ幸いです。
投稿: 亜浪沙(山口 功) | 2021年7月21日 (水) 17時37分
今日も、最高気温37℃
熱中症警戒アラート
朝から二木生生の演奏を聴いて北海道、避暑地気分です。
山口様
いつも拙コメントをお読みいただきありがとうございます。
交流掲示板に納涼写真をアップ致しました。
投稿: りんご | 2021年7月22日 (木) 11時12分
私のカラオケ定番の曲です。
大学の下宿時代、小田急線、祖師谷大蔵の駅近くの古ぼけた映画館で、電車が通ると、ガタンゴトンと揺られながら、二月に他界した、"心からの友"と二人で、二日酔いの覚めやらぬ状態で、石原裕次郎のこの映画を見たのが懐かしいです。
映画内容は、全く記憶になく、裕次郎のカッコよかったのと、この曲の甘酸っぱい歌詞が気にいり、時折、亡き友を思いだしては、ハモっております。
歌は、悲しませたり、励ましてくれたり、慰めたり、不思議な有り難いものですね。そして二木先生の解説とその同好の士と会えるのは、何よりです。先生、皆さん、有難うございます。
投稿: 築地武士 | 2024年5月 1日 (水) 14時18分
裕次郎主演の映画は好きだ。何度も観た。
この歌のメロディーも好きだ。
ただ、映画と歌詞が関係していない。アカシアや赤いハンカチは出て来ないし、裕次郎が「死ぬ気になって霞の彼方に行こう」とは全くしていない。主題歌にはそぐわない。曲そのものに詩的な魅力があるだけ。そこが嫌だ。
投稿: にゃーご | 2025年2月15日 (土) 11時01分