昴(すばる)
(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo
1 目を閉じて何も見えず 2 呼吸(いき)をすれば胸の中 Mmmm……(ハミング) 嗚呼 いつの日か 誰かがこの道を |
《蛇足》 谷村新司は昭和23年(1948)大阪市の生まれ。桃山学院大学に7年間在籍したのち中退。昭和46年(1971)に堀内孝雄と「アリス」を結成しました。翌年、これに矢沢透が加わります。
アリスは『冬の稲妻』『チャンピオン』など多くのヒットを飛ばしましたが、人気絶頂期の昭和55年(1980)、谷村はソロ活動を開始しました。「ナンバーワンよりオンリーワンになりたい」との気持ちからだったといいます。
その最初のヒット曲で、彼の代表作となったのが『昴』です。翌56年(1981)、アリスは活動を停止し、ほかの2人も個別の活動に転じました。
『昴』は、歌詞の雄大なイメージと歌いやすいメロディのため、国内のみならず、東アジア各国の人びとにも愛唱されました。
「蒼白い頬」と「息をすれば吠き続ける胸の“凩”」というと、この青年は、胸を病んでいるのかもしれません。だとすると、微熱に悩まされながらも、何か遙かなるものへの憧憬に衝き動かされて荒野をさまよう青年、といったイメージが浮かんできます。
そういえば、五木寛之の小説『青年は荒野をめざす』がベストセラーになったのは、1960年代末のことでした。
なお、1番には啄木の短歌「眼(め)閉づれど、心に浮かぶ何もなし。さびしくも、また、眼を開けるかな。」が、2番には同じく「呼吸(いき)すれば、胸の中(うち)にて鳴る音あり。凩(こがらし)よりもさびしきその音!」が巧みに取り込まれています。
昴はプレアデス星団の和名(写真)。
プレアデス星団は、おうし座にある数百個の星々が集まった散開星団で、6個の明るい星は肉眼でも見ることができます。清少納言の『枕草子』に「星はすばる……」と書かれていることは、よく知られています。
平安中期の学者・源順(みなもとのしたごう)の『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』と、それを研究して注釈をつけた江戸後期の考証学者・狩谷棭斎(かりや・えきさい)の『箋注倭名類聚抄(せんちゅうわみょうるいじゅしょう)』によって、「すばる」は「統(す)べる」が転訛(てんか)したもので、6つの星が糸で統べたように集まった状態を表したもの、とするのが定説になっています。
「統べる」には「統治する、統率する」という意味もあることから、よく「王者の星」と呼ばれます。
(二木紘三)
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コメント
昴座 の ありどころを
最近やっと 確認できました。
オリオンの 三ツ星を 上に いくと
二つの星があり その上にあります
ぼやーっと してます。
(オリオンはなぜかみやすいもので起点になりやすい)
歌詞の
「目を閉じて何も見えず 哀しくて目を開ければ」 あたりまえでは? 繋がりは意味不明なんて考えてしまいます(笑?)
しかし 素晴らしい 曲であります。
いつも 癒されています。
投稿: 二宮 博 | 2007年8月28日 (火) 01時11分
アリスが活動停止したのは、私が大学4年のときでした。自分にとって、アリスの活動停止は青春時代の大事件でした。なお、きんちゃん、こと矢沢透さんはソロになったのではなく、ブレンドというバンドを組んだような記憶があります。
投稿: 本田雅生 | 2007年8月30日 (木) 22時03分
本田雅生様
そうですか。知りませんでした。
蛇足を修正しました。
投稿: 管理人 | 2007年8月31日 (金) 13時16分
忘年会のシーズンになりました。でも、不況下の忘年会では懐を気にしながらで、盛り上がりに欠けるかもしれませんね。しかし、そこは幹事さんの腕次第、会の進行に一工夫を願いたいものです。その席上では、今でもこの歌は唄われるのでしょうか。かつては、中高年のおじさんの定番ソングでしたが。
以前、ある雑誌で、反戦詩人の宮静枝が「この歌は特攻隊の歌なのよ」と言っていた箇所が目にとまり、今でもひっかかっています。歌詞を読み返して見ると、部分的にはそのようにとられる節もありますが、全体を通して見ると、特攻隊員に対する鎮魂歌とは思えないのです。宮静枝には反戦へのたぎるような想いを込めた詩が多く、胸を突かれるような思いをしたこともありますので、どなたかご教示いただければ幸いです。
投稿: ひろし | 2009年12月 3日 (木) 11時17分
先日、男コラの練習日でこの曲の楽譜を受け取りました。十数人中、大部分がこの曲を知っており、すぐ歌っていました。
私も聴いたような曲だなあと思いながら練習しました。
谷村さんは作詞・作曲・歌手の3本建てが出来るとは、やっぱり才能があるということでしょう。
投稿: 三瓶 | 2010年11月19日 (金) 21時09分
投稿: 満州未骨代行霊道士 | 2012年3月 4日 (日) 13時40分
上記のコメントはこの歌とは全く関係ないので削除しました。ご了承ください。(二木紘三)
投稿: 管理人 | 2012年3月 4日 (日) 16時40分
この歌の歌詞は
石川啄木の短歌を参考にしている
という記事が地元の新聞に出ていたことがあります。
呼吸(いき)すれば、
胸の中(うち)にて鳴る音あり。
凩(こがらし)よりもさびしきその音!
眼閉づれど、
心にうかぶ何もなし。
さびしくも、また、眼をあけるかな。
これは石川啄木の歌集『悲しき玩具』の冒頭の二首である。
http://abkdasia.exblog.jp/12014502/
このことは
啄木研究家の間では有名なことです。
また
谷村新司も啄木の短歌のことには触れていました。
他の話題ですが
石原裕次郎の「錆びたナイフ」も啄木の短歌をもとに
その歌詞が作られています。
こちらは作詞家が自分で認めています。
「いたく錆し ピストル出でぬ砂山の 砂を指もて 掘りあてありし」
http://www.tahara-kantei.com/column/column476.html
投稿: みやもと | 2013年1月16日 (水) 16時37分
銀行の定年近くになって、ある会社に出向しました。
その会社はフィリピンに現地法人があり、研修生を受け入れていました。
私自身も何度かマニラの現地まで出向し、その後銀行の定年とともに転籍をしました。
転籍後5年してその会社を退職することとなり、会社が送別会を開いてくれました。
その席上で、フィリピンの研修生がこの昴(すばる)をカラオケで披露してくれました。
東南アジアでは、かなり知られている日本の歌で、見事な声量と確かな日本語の素晴らしい歌唱力が印象に残っています。
投稿: タケオ | 2015年12月 3日 (木) 21時40分
昴のコメントが出ましたので、ページを開いたところ2013年のみやもと様のコメントが目に入りました。私もかつてのアリスのアルバムを持っていました。アリスの曲では『雪の音』という曲が好きですが、その歌詞も石川啄木の短歌をモチーフにしていると言われます。詩集も出版されている谷村新司さんらしい文学への造詣だと思います。
私はある国立大学の非常勤講師をしていますが、昨今の学生の文学離れは目を覆いたくなるような惨状です。遺伝学に関連して歴史上ユダヤ人には天才が多いという話をしますが、ハイネという名前を聞いて詩人だと答える学生がほんの少数で愕然としています。
投稿: Yoshi | 2015年12月 7日 (月) 09時16分
啄木の話がございましたが,この歌人の作品はもっと実は使われていると,考えています。例えば「ああ上野駅」で出てくる駅でなまりを聞くことです。
ふるさとの なまり懐かし 停車場の 人ごみの中に
そを聞きに行く
あるいは 森昌子の歌「おかあさん」では
戯れに 母を背負いて そのあまり 軽ろきに泣きて
三歩歩まず
などがイメージされたり,引用されていると考えます。いかがでしょうか。
作詞家の苦労が忍ばれます。
投稿: 案山子 | 2015年12月17日 (木) 10時59分
啄木の短歌の遺伝子
ほかにも
啄木短歌の影響を受けたと言われているものを紹介します。
♪ ♪ ♪
「青い背広で」
https://www.youtube.com/watch?v=uum9AQrWcU8
作詞:佐藤惣之助 作曲:古賀政男 (昭和12年2月)
青い背広で 心も軽く
街へあの娘(こ)と 行こうじゃないか
紅い椿で ひとみも濡れる
若い僕らの 生命の春よ
この歌詞は、下記の詩の影響があると指摘する人がいます。
ふらんすに行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん
『萩原朔太郎詩集』
(佐藤惣之助の妻は、萩原朔太郎の妹。義兄朔太郎が死亡した四日後、脳溢血で急逝。)
萩原朔太郎の
この詩は、石川啄木の「あたらしき背広など着て/旅をせむ/しかく今年も思い過ぎたる」『一握の砂』からの本歌取りであるといわれています。
♪ ♪ ♪
吉井勇の作
「かにかくに 祇園はこひし寝(ぬ)るときも 枕のしたを水のながるる」
この歌は、祇園の思いを詠んだもので石川啄木らと編集を担当した「スバル」にて他の祇園を詠んだ歌とともに発表されました。
「 かにかくに 渋民村は 恋しかり おもいでの山 おもいでの川」 啄木
♪ ♪ ♪
品川洋子:宵待草ノート はる書房
まてどまてど尽くることなき葬りの無言の列ぞわが前を過ぐ 啄木「歌稿ノート」明治41年
待てど来ず約をふまざる少女みな殺すと立てる時君は来ぬ 啄木「明星」明治41年7月
明治43年
8月、銚子町海鹿島を避暑のため訪れ、長谷川賢(おしまさん)と出会う。
明治44年
「少女世界」6-12(9月)に「まてど暮らせど待てどくらせど」と題された少女の絵を発表する。
明治45年・大正元年
「少女」(6月)に原詩「宵待草」を発表。
宵待草
さみせんぐさ作
遣る瀬ない
釣鐘草の夕の歌が
あれあれ風にふかれて来る。
まてどくらせど来ぬ人を
宵待草の心もとなき
「おもふまいとは思へども」
われとしもなきため涙。
今宵は月も出ぬさうな。
7月10日 たまき宛てに佃島海水館より書簡を送る。
このなかに、啄木の遺稿集「悲しき玩具」より29首を書き
自分と違う要素のある啄木を「好きな男だった」と書き、深い関心を示す。
大正2年
「どんたく」(11月刊)に三行詩「宵待草」を収録する。
宵待草
まてどくらせどこぬ人を
宵待草のやるせなさ
こよひは月もでぬさうな。
投稿: みやもと | 2016年4月28日 (木) 20時09分
私が解釈するにこの曲は明治45年に26歳の若さで亡くなった石川啄木への鎮魂歌だと思っています。自分が発起人になった和歌の同人誌スバルに肺病を患った啄木が別れを告げている。青白き頬 は肺結核だから、我はゆく は我は逝く、いつの日か誰かがこの道を は自分のあとを継いで誰かが現代和歌の世界を切り開いて欲しい、砕け散るさだめの星たちよ はやはり結核や戦争で亡くなった文学の仲間のこと そう考えて詞を読んでゆくとすべてが繋がります。昴はオーケストラを使った大々的な編曲で何か荒野を目指す青年のことを歌っているみたいに聞こえますが、この曲をギターだけの弾き語りで表現すれば私の鎮魂歌論が荒唐無稽だとは感じないはずです。谷村さんは私達にクイズを出したんです。そして意味不明のまま無数の昴がカラオケなどで歌われることによって啄木への鎮魂のお経のように仕立てたのでしょう。昴が同人誌スバルだという説も
谷村さんはヒントを出しています。サライです。サライという雑誌がありますよね。決定てきなのは啄木の悲しき玩具の最初二首と昴の歌詞がそっくりだということですね。
啼き続ける凩は 結核で息をするたびにヒューヒューと鳴る自分の肺の音です
投稿: manaitagenkan | 2018年9月29日 (土) 19時53分
以前よくこのブログで歌を聞かせてもらっていました。しばらくご無沙汰したのですが、最近もどってきてmanaitagenkan
さんの投稿に巡り合いました。「昴」は好きな曲ですが、歌詞がどうもうまく理解できないと思ってきました。manaitagenkanさんの啄木鎮魂歌説は、素晴らしい謎解きで、「昴」の意味が良く理解できます。
谷村新司さんは「さらば昴よ」に「さらばアリスよ」という気持ちを載せていたのではないかと勝手に想像しています。
manaitagenkanさん有難うございました。bouyuh
投稿: bohyuh | 2019年5月25日 (土) 23時03分
タケオ | 2015年12月 3日 (木) 21時40分様と同じような感じでこの歌に出会いました。 この歌は都会人の仲間入りの登竜門のような感じで胸が弾みました。
投稿: sstt | 2020年11月 4日 (水) 04時39分