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2007年8月27日 (月)

昴(すばる)

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞・作曲・唄:谷村新司

1 目を閉じて何も見えず
  哀しくて目を開ければ
  荒野(こうや)に向かう道より
  ほかに見えるものはなし
  嗚呼(ああ) 砕け散る
  運命(さだめ)の星たちよ
  せめて密(ひそ)やかに
  この身を照らせよ
  我は行く 蒼白(あおじろ)き頬のままで
  我は行く さらば昴よ

2 呼吸(いき)をすれば胸の中
  凩(こがらし)は吠(な)き続ける
  されど我が胸は熱く
  夢を追い続けるなり
  嗚呼 さんざめく
  名も無き星たちよ
  せめて鮮やかに
  その身を終われよ
  我も行く 心の命ずるままに
  我も行く さらば昴よ

  Mmmm……(ハミング)

  嗚呼 いつの日か 誰かがこの道を
  嗚呼 いつの日か 誰かがこの道を
  我は行く 蒼白き頬のままで
  我は行く さらば昴よ
  我は行く さらば昴よ

《蛇足》 谷村新司は昭和23年(1948)大阪市の生まれ。桃山学院大学に7年間在籍したのち中退。昭和46年(1971)に堀内孝雄と「アリス」を結成しました。翌年、これに矢沢透が加わります。

 アリスは『冬の稲妻』『チャンピオン』など多くのヒットを飛ばしましたが、人気絶頂期の昭和55年(1980)、谷村はソロ活動を開始しました。「ナンバーワンよりオンリーワンになりたい」との気持ちからだったといいます。
 その最初のヒット曲で、彼の代表作となったのが『昴』です。翌56年
(1981)、アリスは活動を停止し、ほかの2人も個別の活動に転じました。

 『昴』は、歌詞の雄大なイメージと歌いやすいメロディのため、国内のみならず、東アジア各国の人びとにも愛唱されました。

 「蒼白い頬」と「息をすれば吠き続ける胸の“凩”」というと、この青年は、胸を病んでいるのかもしれません。だとすると、微熱に悩まされながらも、何か遙かなるものへの憧憬に衝き動かされて荒野をさまよう青年、といったイメージが浮かんできます。
 そういえば、五木寛之の小説『青年は荒野をめざす』がベストセラーになったのは、1960年代末のことでした。

 なお、1番には啄木の短歌「眼(め)閉づれど、心に浮かぶ何もなし。さびしくも、また、眼を開けるかな。」が、2番には同じく「呼吸(いき)すれば、胸の中(うち)にて鳴る音あり。凩(こがらし)よりもさびしきその音!」が巧みに取り込まれています。

 昴はプレアデス星団の和名(写真)
 プレアデス星団は、おうし座にある数百個の星々が集まった散開星団で、6個の明るい星は肉眼でも見ることができます。清少納言の『枕草子』に「星はすばる……」と書かれていることは、よく知られています。

 平安中期の学者・源順(みなもとのしたごう)の『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』と、それを研究して注釈をつけた江戸後期の考証学者・狩谷棭斎(かりや・えきさい)の『箋注倭名類聚抄(せんちゅうわみょうるいじゅしょう)』によって、「すばる」は「統(す)べる」が転訛(てんか)したもので、6つの星が糸で統べたように集まった状態を表したもの、とするのが定説になっています。
 「統べる」には「統治する、統率する」という意味もあることから、よく「王者の星」と呼ばれます。

(二木紘三)

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コメント

昴座 の ありどころを
最近やっと 確認できました。
オリオンの 三ツ星を 上に いくと
 二つの星があり その上にあります
 ぼやーっと してます。
(オリオンはなぜかみやすいもので起点になりやすい)

歌詞の
「目を閉じて何も見えず 哀しくて目を開ければ」 あたりまえでは? 繋がりは意味不明なんて考えてしまいます(笑?)

しかし 素晴らしい 曲であります。

いつも 癒されています。

投稿: 二宮 博 | 2007年8月28日 (火) 01時11分

アリスが活動停止したのは、私が大学4年のときでした。自分にとって、アリスの活動停止は青春時代の大事件でした。なお、きんちゃん、こと矢沢透さんはソロになったのではなく、ブレンドというバンドを組んだような記憶があります。

投稿: 本田雅生 | 2007年8月30日 (木) 22時03分

本田雅生様
そうですか。知りませんでした。
蛇足を修正しました。

投稿: 管理人 | 2007年8月31日 (金) 13時16分

忘年会のシーズンになりました。でも、不況下の忘年会では懐を気にしながらで、盛り上がりに欠けるかもしれませんね。しかし、そこは幹事さんの腕次第、会の進行に一工夫を願いたいものです。その席上では、今でもこの歌は唄われるのでしょうか。かつては、中高年のおじさんの定番ソングでしたが。
 以前、ある雑誌で、反戦詩人の宮静枝が「この歌は特攻隊の歌なのよ」と言っていた箇所が目にとまり、今でもひっかかっています。歌詞を読み返して見ると、部分的にはそのようにとられる節もありますが、全体を通して見ると、特攻隊員に対する鎮魂歌とは思えないのです。宮静枝には反戦へのたぎるような想いを込めた詩が多く、胸を突かれるような思いをしたこともありますので、どなたかご教示いただければ幸いです。

投稿: ひろし | 2009年12月 3日 (木) 11時17分

先日、男コラの練習日でこの曲の楽譜を受け取りました。十数人中、大部分がこの曲を知っており、すぐ歌っていました。
私も聴いたような曲だなあと思いながら練習しました。
谷村さんは作詞・作曲・歌手の3本建てが出来るとは、やっぱり才能があるということでしょう。

投稿: 三瓶 | 2010年11月19日 (金) 21時09分

投稿: 満州未骨代行霊道士 | 2012年3月 4日 (日) 13時40分

上記のコメントはこの歌とは全く関係ないので削除しました。ご了承ください。(二木紘三)

投稿: 管理人 | 2012年3月 4日 (日) 16時40分

この歌の歌詞は
石川啄木の短歌を参考にしている
という記事が地元の新聞に出ていたことがあります。

  呼吸(いき)すれば、
  胸の中(うち)にて鳴る音あり。
  凩(こがらし)よりもさびしきその音!

  眼閉づれど、
  心にうかぶ何もなし。
  さびしくも、また、眼をあけるかな。

 これは石川啄木の歌集『悲しき玩具』の冒頭の二首である。
http://abkdasia.exblog.jp/12014502/

このことは
啄木研究家の間では有名なことです。

また
谷村新司も啄木の短歌のことには触れていました。

他の話題ですが
石原裕次郎の「錆びたナイフ」も啄木の短歌をもとに
その歌詞が作られています。
こちらは作詞家が自分で認めています。

「いたく錆し ピストル出でぬ砂山の 砂を指もて 掘りあてありし」
http://www.tahara-kantei.com/column/column476.html

投稿: みやもと | 2013年1月16日 (水) 16時37分

銀行の定年近くになって、ある会社に出向しました。
その会社はフィリピンに現地法人があり、研修生を受け入れていました。
私自身も何度かマニラの現地まで出向し、その後銀行の定年とともに転籍をしました。
転籍後5年してその会社を退職することとなり、会社が送別会を開いてくれました。
その席上で、フィリピンの研修生がこの昴(すばる)をカラオケで披露してくれました。
東南アジアでは、かなり知られている日本の歌で、見事な声量と確かな日本語の素晴らしい歌唱力が印象に残っています。

投稿: タケオ | 2015年12月 3日 (木) 21時40分

 昴のコメントが出ましたので、ページを開いたところ2013年のみやもと様のコメントが目に入りました。私もかつてのアリスのアルバムを持っていました。アリスの曲では『雪の音』という曲が好きですが、その歌詞も石川啄木の短歌をモチーフにしていると言われます。詩集も出版されている谷村新司さんらしい文学への造詣だと思います。
 私はある国立大学の非常勤講師をしていますが、昨今の学生の文学離れは目を覆いたくなるような惨状です。遺伝学に関連して歴史上ユダヤ人には天才が多いという話をしますが、ハイネという名前を聞いて詩人だと答える学生がほんの少数で愕然としています。

投稿: Yoshi | 2015年12月 7日 (月) 09時16分

啄木の話がございましたが,この歌人の作品はもっと実は使われていると,考えています。例えば「ああ上野駅」で出てくる駅でなまりを聞くことです。

ふるさとの なまり懐かし 停車場の 人ごみの中に
そを聞きに行く

あるいは 森昌子の歌「おかあさん」では

戯れに 母を背負いて そのあまり 軽ろきに泣きて
三歩歩まず

などがイメージされたり,引用されていると考えます。いかがでしょうか。
作詞家の苦労が忍ばれます。

投稿: 案山子 | 2015年12月17日 (木) 10時59分

啄木の短歌の遺伝子

ほかにも
啄木短歌の影響を受けたと言われているものを紹介します。

  ♪  ♪  ♪

「青い背広で」
https://www.youtube.com/watch?v=uum9AQrWcU8
作詞:佐藤惣之助 作曲:古賀政男 (昭和12年2月)
青い背広で 心も軽く
街へあの娘(こ)と 行こうじゃないか
紅い椿で ひとみも濡れる
若い僕らの 生命の春よ

この歌詞は、下記の詩の影響があると指摘する人がいます。

ふらんすに行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん
『萩原朔太郎詩集』

(佐藤惣之助の妻は、萩原朔太郎の妹。義兄朔太郎が死亡した四日後、脳溢血で急逝。)

萩原朔太郎の
この詩は、石川啄木の「あたらしき背広など着て/旅をせむ/しかく今年も思い過ぎたる」『一握の砂』からの本歌取りであるといわれています。

   ♪   ♪   ♪

吉井勇の作
「かにかくに 祇園はこひし寝(ぬ)るときも 枕のしたを水のながるる」

この歌は、祇園の思いを詠んだもので石川啄木らと編集を担当した「スバル」にて他の祇園を詠んだ歌とともに発表されました。

「 かにかくに 渋民村は 恋しかり おもいでの山 おもいでの川」  啄木

   ♪  ♪  ♪

品川洋子:宵待草ノート  はる書房

  まてどまてど尽くることなき葬りの無言の列ぞわが前を過ぐ 啄木「歌稿ノート」明治41年
  待てど来ず約をふまざる少女みな殺すと立てる時君は来ぬ  啄木「明星」明治41年7月

明治43年
 8月、銚子町海鹿島を避暑のため訪れ、長谷川賢(おしまさん)と出会う。

明治44年
 「少女世界」6-12(9月)に「まてど暮らせど待てどくらせど」と題された少女の絵を発表する。

明治45年・大正元年
 「少女」(6月)に原詩「宵待草」を発表。

    宵待草
          さみせんぐさ作
  遣る瀬ない
  釣鐘草の夕の歌が
  あれあれ風にふかれて来る。
  まてどくらせど来ぬ人を
  宵待草の心もとなき
  「おもふまいとは思へども」
  われとしもなきため涙。
  今宵は月も出ぬさうな。

7月10日 たまき宛てに佃島海水館より書簡を送る。
  このなかに、啄木の遺稿集「悲しき玩具」より29首を書き
  自分と違う要素のある啄木を「好きな男だった」と書き、深い関心を示す。

大正2年
 「どんたく」(11月刊)に三行詩「宵待草」を収録する。

     宵待草
  まてどくらせどこぬ人を
  宵待草のやるせなさ
  こよひは月もでぬさうな。

投稿: みやもと | 2016年4月28日 (木) 20時09分

私が解釈するにこの曲は明治45年に26歳の若さで亡くなった石川啄木への鎮魂歌だと思っています。自分が発起人になった和歌の同人誌スバルに肺病を患った啄木が別れを告げている。青白き頬 は肺結核だから、我はゆく は我は逝く、いつの日か誰かがこの道を は自分のあとを継いで誰かが現代和歌の世界を切り開いて欲しい、砕け散るさだめの星たちよ はやはり結核や戦争で亡くなった文学の仲間のこと そう考えて詞を読んでゆくとすべてが繋がります。昴はオーケストラを使った大々的な編曲で何か荒野を目指す青年のことを歌っているみたいに聞こえますが、この曲をギターだけの弾き語りで表現すれば私の鎮魂歌論が荒唐無稽だとは感じないはずです。谷村さんは私達にクイズを出したんです。そして意味不明のまま無数の昴がカラオケなどで歌われることによって啄木への鎮魂のお経のように仕立てたのでしょう。昴が同人誌スバルだという説も
谷村さんはヒントを出しています。サライです。サライという雑誌がありますよね。決定てきなのは啄木の悲しき玩具の最初二首と昴の歌詞がそっくりだということですね。
啼き続ける凩は 結核で息をするたびにヒューヒューと鳴る自分の肺の音です

投稿: manaitagenkan | 2018年9月29日 (土) 19時53分

以前よくこのブログで歌を聞かせてもらっていました。しばらくご無沙汰したのですが、最近もどってきてmanaitagenkan
さんの投稿に巡り合いました。「昴」は好きな曲ですが、歌詞がどうもうまく理解できないと思ってきました。manaitagenkanさんの啄木鎮魂歌説は、素晴らしい謎解きで、「昴」の意味が良く理解できます。
 谷村新司さんは「さらば昴よ」に「さらばアリスよ」という気持ちを載せていたのではないかと勝手に想像しています。
 manaitagenkanさん有難うございました。bouyuh

投稿: bohyuh | 2019年5月25日 (土) 23時03分

タケオ | 2015年12月 3日 (木) 21時40分様と同じような感じでこの歌に出会いました。 この歌は都会人の仲間入りの登竜門のような感じで胸が弾みました。

投稿: sstt | 2020年11月 4日 (水) 04時39分

残念なことに谷村新司さん、先日お亡くなりになりました。久しぶりにこの曲をご本人の声で聞き「ああ、もったいない、ご存命のときにファンになっていればよかった」と後悔しています。
この曲の雄大な名曲は昭和の名曲として永久に残ることでしょう。

投稿: jurianprabhujee | 2023年10月21日 (土) 19時59分

 2023年10月4日、谷村新司さんが74歳で亡くなられました。腸の病気だそうですが、あまりにも早いですね。彼は韓国のチョーヨンピルとも友だちで、谷村が韓国へ行ってヨンピルと会い、親し気に語り合っている動画が以前はユーチューブにありましたが、今もあるかは分かりません。彼は中国の大学の特別講師として活動されていたことも有名ですね。とにかく交友関係が広くて教養がある方という印象の方でした。
 彼は作曲もすごいですが、特に作詞が素晴らしく私の印象では彼を一言でいえば「詩人」という印象です。でも、皆さんのコメントを詠むと石川啄木の詩からヒントを得たり、いろいろな先人の遺した作品の中から題材を拾っていることが分かります。それは盗作とかそういうものではなくて、それらを詠んだことが、その人の教養になって彼の人格となり、そこから影響された作品になるのでしょうね。
 彼の「いい日旅立ち」は、むかし日本語ボランティアをしていた時、1年ほどアメリカの女性を教えていましたが、彼女に日本で好きな歌を聞いたら「いい日旅立ち」と答えました。彼女はその後、同じ日本語ボランティア仲間の若い男性と結婚していますから、彼女がこの歌を好きな理由は、この歌と自分を重ね合わせたのではないかと思っています。彼女はとても美人でしたが肌の色が浅黒く、母国では偏見もあったと思います。日本に来て日本男性と恋に落ち、日本で結婚して住むことになるとは、母国や家族とある意味では決別することですから、「ああ、日本のどこかに私を待ってる人がいる…」というフレーズは、彼女の気持ちと共鳴したのだと思います。すみません、「昴」の欄で違う曲のことを長く書いてしまいました。
 先日、谷村新司さんが亡くなったので、一言コメントを書き残しておきたいと思い投稿しました。

投稿: 吟二 | 2023年10月22日 (日) 00時28分

踊りが最大の趣味であり、楽しみだった亡き妻の影響で、考えてもいなかった踊りの世界に足を踏み入れてから12年目の2001年の春、家元から、この秋の踊りの会には「昴」を踊って貰う予定なので、早速今日からお稽古に入りましょう…と、言われて新しい振りに懸命に必死で取り組み始めました。

その前年、私達の家元・日本舞踊「天羽流」初代家元 天羽祥瑞が月刊誌「邦楽と舞踊」に北島三郎の「竹」(新舞踊)の振り付けを発表し、その格調高く二枚扇の妙技をふんだんに取り入れた難しい振り付けで好評を博しましたが、なんとそれを私に舞台で踊れと指名され、三か月間の猛特訓の末、大阪の産経ホール・道頓堀の中座・豊中文化芸術劇場(豊中市民会館)で、踊りを披露しましたが、幸い一度も扇子を落とすことなく無事に踊りきれ、関西の名だたる評論家の先生方から、″さすが彩苑さん(私の妻)の旦那さん!気品に溢れた素晴らしい踊りでしたよ〝と、褒めて頂いたこともあり、この格調高く古典舞踊の基本技をふんだんに取り入れた「昴」を、当時古典・新舞踊併せて300名ほどのお弟子さんを差し置いて私に指名され、「竹」の二番煎じを目論むつもりだったと思われましたが…
稽古を始めて三か月を過ぎた頃から腰の痛みと足首の痺れが酷くなりはじめ正座をするのも苦しくなり、ついに稽古を辞退する羽目となりました。
稽古は、結局最後の
″我は行く さらば昴よ~♫〝
までいくこともなく、残念ながら諦めて腰の治療に専念する事となりました。

詩といい、曲といい いつまでも胸に残る名曲で、今でも口ずさむとその時の悔しさと、家に帰ってからも手取り足取りして細かい技と抑えた感情をどう表現するか等々教えてくれた在りし日の妻の顔が浮かび、「竹」と共に、私の僅か13年間の踊り人生の花と出来なかった悔しさが、今でも残る思いの「昴」です。

″残りて悲しみを抱く身のつらさよ〝
これは、同じ谷村新司の名曲「群青」の中の一句ですが、 昴のように
″あゝ さんざめく 名も無き星たちよ せめて鮮やかに〝 その身を終えたいもの…ですね。

投稿: あこがれ | 2023年10月22日 (日) 13時44分

日本舞踊のことは全くわからない私ですが、あこがれ様の熱意のこもったコメントに驚き、またご夫婦で日本舞踊を極めようとした姿に感動しました。
「竹」という歌は初めて知りましたが、本当に良い歌で、気に入りました。歌詞がゆっくりかみしめるべき内容で、静かな人生の応援歌ですね。

作詞:野村耕三
作曲:原譲二

雪の降る日も 雨の日も
竹は節目で 伸びてゆく
人もまた 己(おの)れが道の一里塚
確かめながら 行けばいい
そこに出逢いも 彩りも
ああ…粛々(しゅくしゅく)と 行けばいい

月の世界に 憧れて
竹に託した 夢もある
人はみな 見果てぬ夢の夢灯り

しっかと抱いて 生きりゃいい
熱い想いを 温(ぬく)もりを
ああ…粛々と 行けばいい

花の咲くのは ただ一度
竹は寿命(いのち)が 尽きるとき
人もまた 上辺(うわべ)の花を飾るより
誠実(まこと)の花を 持てばいい
こころ豊かに しなやかに
ああ…粛々と 行けばいい

この歌を聞きながらラストの「ああ…粛々(しゅくしゅく)と 行けばいい」を毎日口ずさんでいます。日本舞踊踊にぴったり合いますね。ゆっくりと人生を教えられているようです。YOU YUBEで男踊りでこの「竹」を踊っているのを見ましたが、5分近く踊る間、両腕の線、肩の線、腰の線、脚の線などはっきり出ますね。踊り手はそれらに特徴を出すのでしょうが、いやあ難しそう。

「昴」の練習も積んだけれど、腰の痛みなどに耐えられず、出演できなかったとのこと。あこがれ様の頑張り屋の性格が出ています。奥さんを喜ばせるためにも頑張られたのでしょうね。
またこのコメントをかかれたことが、なにか心の整理をつけるためのような気がします。

昴の歌について書かなかったのはあまり好きではないからです、二木先生、お許しください。

投稿: 越村 南 | 2023年10月24日 (火) 23時58分

越村 様
ありがとうございます。
おっしゃる通り、やっと(世間で言うところの三回忌)も終えて、親しい友人や嘗ての踊りの仲間達からの励ましもあり、心の整理を始めた矢先に、谷村新司の訃報に接し、アリスの名曲を聞きながら「昴」のことを思い出しながら、書き連ねたようなわけです。文中:「二番煎じ」は、「柳の下のどじょう」の書き間違いですが… 
先日、東京在住の妻の親友から、初めて私のビデオを見たが、びっくりした!と、メールが来ましたが、今頃になってなにを…と、笑い返してやりましたが、確かに、今思い返しても、あれだけの難しい踊りがよく出来たものだ…と、思います。
駄馬でも、名伯楽につくと信じられないくらいの力が出るものだな~?と、懐かしんだり感心したりしてます。

投稿: あこがれ | 2023年10月26日 (木) 09時34分

【昴】谷村新司様本当に名曲を世に残して下さいました。スケールの大きな未来に繋ぐ素晴らしい歌です。雄大で宇宙一杯に広がる広大な夜空を連想させてくださいました。大好きな曲です。有難うございました。♪天国良いとこ一度はおいで、酒はうまいし(^^♪のおらは死んじまっただみたいに夢が広がりますね。ごめんなさい清澄な曲でした。アリスの堀内孝雄さんもベテランの歌手ですね。お二人様の様な歌手が出てくれると歌がもっともっと楽しいですね。

投稿: kazuyo | 2023年12月22日 (金) 09時42分

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