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2007年8月27日 (月)

秋止符

(C)Arranged by FUTATSUGI Kozo


作詞:谷村新司、作曲:堀内孝雄、唄:アリス

1 左ききのあなたの手紙
  右手でなぞって真似てみる
  いくら書いても埋めつくせない
  白紙の行がそこにある
  友情なんて呼べるほど
  きれいごとで済むような
  男と女じゃないことなど
  うすうす感じていたけれど
  あの夏の日がなかったら
  楽しい日々が続いたのに
  今年の秋はいつもの秋より
  長くなりそうな そんな気がして

2 夢を両手に都会(まち)に出て
  何もつかめず帰るけど
  やさしさの扉を開ける鍵は
  眠れない夜がそっと教えた
  心も体も開きあい
  そこからはじまるものがある
  それを愛とは言わないけれど
  それを愛とは言えないけれど
  あの夏の日がなかったら
  楽しい日々が続いたのに
  今年の秋はいつもの秋より
  長くなりそうな そんな気がして

  春の嵐が来る前に
  暖かい風が吹く前に
  重いコートは脱ぎすてなければ
  歩けないような そんな気がして

《蛇足》 昭和54年(1979)のヒット曲。

 「秋止符」というタイトルは、恋が秋に終わったことをひと言で表現して絶妙。「あの夏の日がなかったら」の1行が痛切ですね。なんとなく消えてゆく恋もあれば、「痛恨の1日」を経て終わる恋もあります。それが夏の日とはかぎりませんが。

(二木紘三)

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コメント

1978年、大学1年のとき、「ジョニーの子守唄」でアリスにはまりました。この「秋止符」を含め、アリスの曲は詩だけ読むと演歌っぽいものが多いなと思っていました。「遠くで汽笛を聞きながら」や「それぞれの秋」等の詩は演歌そのもののように思いました。後に堀内孝雄さんが演歌で大成功されたのが分かるような気がします。

投稿: 本田雅生 | 2008年8月25日 (月) 21時00分

  相変わらず「最近のコメント」欄に同じ人が続けて投稿しており、コメント欄10項目の過半数を占めている時もあり、うんざりする。
 宴会等でカラオケマイクを独り占めして自己満足し、
周囲から失笑をかっていることも分からない愚かな輩と同じである。
 せめて「最近のコメント」欄から自分のコメントが消えるのを待って次のコメントを投稿する位のモラルが欲しいものである。
「休止符」も、時には「終止符」も必要なのがこのサイトであると考える。

投稿: かんこどり | 2008年9月14日 (日) 09時56分

 常識・良識・節度のない連続コメント投稿者へ

 「最近のコメント」欄から各人の感想を読みに行くのだが、同一人物が連続でコメントしている為に、短時間で「最近のコメント」欄から消えてしまい、色々な人の貴重な感想を読みはぐってしまう。
 そのことを「秋止符」欄にコメントしたら、2時間たらずで「最近のコメント」欄から押し出されてしまった。
 連続でコメントを投稿する皆さん!
 おそらく豊かな人生経験と社会訓練をしてきた世代であると思われますので、自分の行動を振り返ってみては如何か。 

投稿: かんこどり | 2008年9月15日 (月) 09時06分

かんこどりさん:

いつもこのサイトを愛読させてもらっている者として、中傷的な書き込みには違和感があります。でも、「泥棒にも三分の理」ということわざもありますから、言われたほうも反省すべき点があるかもしれませんね。

投稿: 繁忙人 | 2008年9月15日 (月) 23時43分

 私も以前、連続コメント者へのご忠告文をお出ししました。私は、かんこどり様のご意見に全面的に賛成です。
 2回にわたる御文は、単なる「中傷的書き込み」ではないと思います。最近の『うた物語』の「荒れたコメントの流れ」からして、どなたかが言わなければならなかったことなのです。かんこどり様の勇気に、心より拍手を送りたいと思います。
 どなたかが述べておられましたが、『うた物語』は今や「国民的ブログ」になりつつあります。もはやある特定の者だけで、コメント欄を独占することが許されるはずがありません。
 でも過ぎたことは、『うた物語』大発展のプロセスで起こった良い教訓として…。該当する方々は、これを機会に猛省していただきたいものです。ご同好の皆様が、厳しい眼で見ていることをどうぞお忘れなく。

投稿: 大場光太郎 | 2008年9月16日 (火) 01時04分

大阪では(全国的に)昨晩2/13天気予報の通り、春の嵐が吹きました。夕方出かける時に「春の嵐が吹く前に・・・重いコートを・・・・・」と自然にアリスの歌を口ずさみながら重いコートから軽めのブルゾンに変えました。でなぜ「秋止符」なのに「春の嵐」かな?と疑問に持ち、「秋止」は何か春を表す季語なのかな?なんて調べていたらこのブログに辿り着いた訳です。中々歴史ありそうでふと時間が空いた時に
、又寄せて頂きます。・:~>> ←春の嵐

投稿: りそお | 2009年2月14日 (土) 09時43分

私はロカビリー、プレスリーの世代なので、のちにビートルズが出てきても、あまり好きになりませんでした。同じように演歌で育ったので、のちにフォークソングやニューミュージックが流行っても、あまり乗れませんでした。

ニューミュージックは、フォークの特徴であった政治性や生活感を排した新しい音楽という解釈を取れば、「秋止符」はフォークでなくてニューミュージックですよね?

私は40年くらいたってから、フォークやニューミュージックが好きになりました。ひとつの脱皮だと思います。これからも海老のように死ぬまで脱皮して行けたらいいなと思っています。「不易流行」ですね、ものすごく遅いけど(笑)。この歌はどこか演歌の匂いがしますよね。堀内孝雄がその後その傾向を強めていきましたが、谷村新司の詩がまた、青春の揺れ動く繊細な心を甘く切なく描いて、とても好きな曲になりました。

投稿: 吟二 | 2016年11月24日 (木) 10時04分

秋止符♪この曲を初めて聴いたのは、TBSテレビ毎週金曜日夜8時放送の番組(小山内美江子原作)金八先生シリーズ1の(4・5・6話)「15才の母」の中での挿入歌として流れてきた時でした!
私は、このドラマを視聴する中で、先ず最初に、中学3年の生徒役・浅井雪乃を演じた女優、杉田かおる(1979年当時15才)の抜群の演技の巧さに圧倒されました。また、同じ組の生徒役・宮沢保を演じた鶴見慎吾との河原でのシーンで、(二人のアフレコ)とともに流れてきた、終止符♪のせつないメロディが耳に残り、その場面に引き込まれていった自分を覚えています。
この番組は、思った以上に原作・内容・脚本がよくできており、私はそのファンとなり、結局は金八先生1シリーズから8シリーズまで、足掛け32年間にわたり、この番組を見る事になりました。そして、ここでこの曲を聴き、改めて何年かぶりに「15才の母」(4・5・6話)を視聴しました。
終止符♪を作曲した堀内孝雄の歌は、遠くで汽笛を聞きながら♪の頃から大好きでした。その後、はぐれ刑事純情派の主題歌、青春追えば♪・恋歌綴り♪など、また白虎隊主題歌、愛しき日々など何度もCDアルバムで、聴いてきましたが、改めて彼の曲作りの才能を感じます。
終止符♪を作詞した、谷村新司の作品の中では、昴♪と山口百恵が歌った、いい日旅立ち♪が心に残っています。

投稿: 芳勝 | 2018年1月24日 (水) 18時16分

この曲へのコメントは、2008年に5件あり、その次が2009年に1件、そのあとは実7年ぶりに1件、そしてその2年後の2018年1月に1件と、とても少ないですね。何故こんないい歌にコメントが少ないのでしょうか。私はちょっと不思議な気がします。最初の頃のコメントでの諍いが影響しているとしたら残念ですね。

最近は知りませんが、谷村新司がこれを作詞した頃の繊細な感覚に私は感嘆します。

投稿: 吟二 | 2018年1月24日 (水) 19時44分

半世紀以上も前の傷心の日々のことを、なぞりながら「秋止符」を聞いています。

明日の昼過ぎの列車で、同窓会場の岐阜市内のホテルまで出かけます。
半世紀以上も前に青春を共に過ごした懐かしい仲間達との久しぶりの再会にわくわくしていますが・・・、あの秋の日に、涙をこらえ背を向けて振り返ることもせずに別れていった日のことが、切なく胸に迫ってきます。
ひょっとして・・・明日、会えるかも?と、淡い期待を抱きながら、いや、それは多分ないだろうと、思ったり、馬鹿みたいに心が揺れています。

あの夏の日が なかったら・・・なんて、今さら思いもしませんが、なぜかあの 傷心の日々を いとしむような、センチな秋の夕暮れです。


投稿: あこがれ | 2018年11月 3日 (土) 15時51分

今年10月5日、私が18年ほど教わっているカラオケ教室の発表会がありました。私は大川栄策の比較的最近の演歌「夜霧の再会橋」を歌いました。でも、選ばれた10人枠でもう一つワンコーラス(1番)だけ歌えるということにあり、私は会長なので歌わせてもらいました。その時の曲がアリスの「秋止符」です。

私は喜寿になり、仲間も同じような年齢の人たちですが、このようなフォークやニューミュージックなどの歌を唄う人はいません。でも、私はこの歌が大好きなのです。アリスの二人(谷村新司と堀内孝雄)の若いころの感性(純真な、繊細な、夢見るような青年の心の高揚)が、私の心を揺さぶります。

でも、この歌を唄うと同じような年齢の仲間も「いい歌だね」と言ってくれます。私だってこの歌をいいなと思って歌い出したのは1年半前くらいからです。37年くらい遅れて好きになったのです。こんなこともあるんですね。逝く日まで海老のように殻を脱ぎ変えて行きたいと思っています。
   「お迎えが来るまで見よう万華鏡」(吟二)

投稿: 吟二 | 2018年11月 3日 (土) 21時22分

「秋止符」昭和54年の10月に始まったTBSテレビドラマ「金八先生シリーズ・1」の中のBGMとして、アリスが歌うこの曲を初めて聴いた時、その切なさの漂うメロディが強く印象に残ったことを憶えています!

この学園ドラマで、中学3年生の未熟さゆえに招いた、思春期の女生徒が妊娠するという過ちと、そして約束を守るという純愛、そしてその二人を取り巻くクラスの生徒たちのその事実を知った反感と動揺・その父兄と学校の先生たちの戸惑い、そして女生徒の家庭の在り方を、実にリアルに、また見事に描いた、サブタイトル「15才の母」4・5・6話で、生徒役の杉田かおる・鶴見慎吾の、河原での回想シーンの映像とともに、本人たちそれぞれの「アフレコ」が入る、そのシーンでのBGMとしてこのメロディが静かに流れてきますが、このアリスの「秋止符」は、予期せぬ事実に戸惑ってしまう、この幼い少年少女の不安で切ない気持ちをより醸し出しており、私はこのメロディが映像とともに強く心に残っています。

このドラマを私が観ていたのが、当時25才の時でまだ若く、余計にこの曲に強烈なインパクトを感じたせいなのか知れませんが、しかし晩秋のこの時期になると、今でも時々このメロディが聴きたくなることがあります。
また、当時VHSで録画していたビデオを取り出しては、このドラマを時々観ることもありますが、やはりこの「秋止符」の切ないメロディは、映像での回想シーンを観ながらBGMとして聴いていると、より心に沁みてくるものがあります。

「秋止符」この曲はドラマが始まる少し前に、新人の女性歌手、横山みゆきもシングル曲としてカバーしていますが、私はそのレコードの方をドラマ終了後に買って持っています。

夢を両手に都会(まち)に出て 何もつかめず帰るけど

やさしさの扉を開ける鍵は 眠れない夜がそっと教えた♪♪♪

昭和54年当時の私は、上記の詩に谷村新司の才能を強く感じていたことがありました。とても懐かしいです。

投稿: 芳勝 | 2019年11月 7日 (木) 23時55分

この歌は今頃の季節にピッタリの曲で特に次の部分が大好きです。 
「あの夏の日がなかったら
  楽しい日々が続いたのに
  今年の秋はいつもの秋より
  長くなりそうな そんな気がして」
見事な詞ですね。

投稿: 海道 | 2019年11月 9日 (土) 16時17分

(文中敬称略)
♪今年の秋はいつもの秋より…♪
昨日プロ野球日本シリーズが開幕したというのに晩秋の肌寒さすら感じず夏日を記録するという異常気象に参ってしまう今日この頃ですが、『秋止符』同様に私がこの時期に聴きたい曲として『秋冬(しゅうとう)』(1980、オリジナル歌唱者:中山丈二(1944~80)、作詞:中山、作曲:堀江童子(生年非公表))を挙げたいと思います。
『秋冬』についてはこちらのサイトに挙がっているため詳しくは書きませんが↓、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E5%86%AC
私がこの曲で思い出すのは同曲が高田みづえ(高田→日高みづえ、1960~)、原大輔(高梨雅樹、1954~)、三ツ木清隆(1953~)らのシングル競作(他にも、やしきたかじん(家鋪隆仁、1949~2014)がカセットテープでリリース。やしきの追悼CD『たかじん、やっぱ好きやねん』(2014)にボーナストラックとして収録)で大ヒットしていた1984年頃、ニッポン放送アナウンサーだった塚越孝(1955~2012)司会の番組に元プロ野球選手(南海ホークス→大洋ホエールズ投手)で当時『ニッポン放送ショウアップナイター』(1966~放送中)解説者だった森中千香良(「ちから」、1939~2008)が出演し、『秋冬』オリジナル歌手の中山について語っていたことです。
森中は中山が常に歌っていた銀座のクラブの常連客で、中山の歌聴きたさにクラブに通いづめだったらしいのですが、1980年6月に中山が倒れた時にもその場に居合わせていたそうで(中山はそのまま不帰の人となった)、のちに森中も中山の遺志を汲んで『秋冬』の復刻に奔走したんだそうで、私はこの番組で森中が「丈二も天国で自分の曲がこれだけ大ヒットして驚いてるんだろうな」と語っていたことが忘れられないです。
不摂生が祟ったのか糖尿病を患っていたという森中は2008年に69歳で他界し、聞き手だった塚越も某IT企業関連の騒動に絡むフジ産経グループの再編に巻き込まれフジテレビに転籍後閑職に左遷された挙げ句2012年にフジテレビ局内で自らの手で57年の人生を終えてしまったのは残念でなりません。
また『秋冬』をリリースした歌手で最大の売上を記録した高田がのちに同郷(鹿児島県出身)の大相撲力士「南海の黒豹」こと若嶋津六夫(日高六男、1957~)と結婚し歌手を引退、日高が興した松ヶ根部屋のおかみになったのは説明不要ですが、今現在おかみではなくなったみづえが2017年の転倒事故により半ば植物人間状態になってしまった夫・六男の介護に明け暮れているというのも痛々しい話です。
日本シリーズに話を戻しますが、今年はかつて森中が在籍していた球団の後身同士である「横浜DeNAベイスターズ×福岡ソフトバンクホークス」であり、DeNAの監督は森中と同郷(奈良県出身)の三浦大輔(1973~)、さらにソフトバンクには姓が『秋冬』と同じ読みの周東右京(「しゅうとう・うきょう」、1995~)がいるということで、中山や森中、塚越(小学生時代「大洋ホエールズ子供会」会員だった)も天国からその戦況を見つめていることでしょう。
【蛇足】
嘉門タツオ(鳥飼達夫、1959~)の「歌が変わるシリーズ」で『秋止符』から『雪の華』(2003、歌唱:中島美嘉(中島→清水→中島美嘉、1983~)、作詞:Satomi(本名・生年・性別非公表)、作曲:松本良喜(1974~))に変わる、というネタがあり、♪今年の秋はいつもの…♪(秋止符)と♪今年最初の雪の…♪(雪の華)の部分がメロディーがほぼ同じで(しかも「今年」の箇所は歌詞まで同じ)、更に季節が変わるようなつくりになっているので、私は5、6年前に見た嘉門のライブで生で聴いて感動してしまいました。

投稿: Black Swan | 2024年10月27日 (日) 11時21分

Black Swanさま

いやぁ、懐かしいですね。このコメント欄で森中千香良氏の名前を目にするとは思いませんでした。私は昭和30年代(1960年代)以来のホークスファンですが(南海ホークス→福岡ダイエーホークス→福岡ソフトバンクホークス)、森中氏は鶴岡監督の下でローテーションピッチャーとして南海ホークスの黄金時代を支えたプレーヤーでした。同時期には三浦清弘、新山彰忠、皆川睦男、杉浦忠、ジョースタンカ諸氏が綺羅星の如く活躍していましたね。鶴岡ホークスは本当に強かった。いま又強いホークスが戻ってきて、ホークスファンとしてはうれしい限りです。

投稿: DH | 2024年10月29日 (火) 14時57分

(文中一部敬称略)
DH様

ご返信ありがとうございます、と同時に私の返信が遅くなってしまって申し訳ございません。
福岡ソフトバンクホークス、日本シリーズで1・2戦連勝も、ベイスターズの下剋上を許してしまい残念でしたね…。
しかし、福岡に移転して杉浦忠と田淵幸一が種を蒔き、根本陸夫が水をやり、王貞治が花を咲かせたと言ってもいいくらいに、私の子供の頃と比較してもホークスは強い球団になったと言っても過言ではありません。
私の南海ホークス時代の最古の記憶は選手兼任監督だった野村克也がホークスを追われ、その野村にストッパー(当時の表現)転向を進言され再生した江夏豊も広島東洋カープに移籍した1977年オフであり、同年現役を引退したばかりの広瀬叔功(恩師の鶴岡一人と同じ広島県出身)が翌1978年即監督に就任するもそこからホークスの低迷が始まるので、DHさんには失礼ながら私にとっては南海ホークスの強い時代を知りません。
それでも山内新一や佐藤道郎、藤原満、門田博光、桜井輝秀、片平晋作、少しあとになりますがドカベン香川伸行など南海にはその当時も個性的な選手が揃っており、私の住む名古屋地区でもたまにNHK総合テレビの日曜午後とか、関西テレビがフジテレビ・東海テレビ系全国ネットで放送していた西宮球場の阪急ブレーブス主催試合、ナゴヤ球場で近鉄バファローズが主催試合をやる時の朝日放送テレビの生中継(名古屋テレビが技術協力及び逆ネット受け)で目にしておりました。
南海の本拠地・なんばの大阪球場は私も南海ホークス最終主催試合の2週間前の1988年10月1日(対日本ハムファイターズ戦)に最初で最後の観戦をしましたが、名物の傾斜のすさまじいネット裏最上段で観戦したので、通いつめていたナゴヤ球場とはまた違う迫力を感じました。
それと当時の大阪は通天閣より高い建造物がほとんど無かったのでレフト方向に見える通天閣が偉容を誇っていたのも懐かしいです。
その南海ホークス最後の年、大阪球場最終戦の6日前に鶴岡、広瀬(さらには大阪球場で10年連続でライブを行った西城秀樹)と同じ広島県で生まれたのが令和のミスターホークス・柳田悠岐ですが、彼は私の贔屓球団(来季でちょうど中日ドラゴンズファン歴半世紀になります)の選手以外で一番好きな選手であり、昨年最多安打のタイトルをとりながら減俸だったにも関わらず「僕の安打が全て勝利に貢献したわけではない。優勝を逃した責任は僕にもある」とカッコいいコメントをしたのを聞いて私は彼を気に入りました。
今季は故障で充分な成績を残せませんでしたが、柳田には来季それをはねのけるような活躍をして連覇に貢献し、日本シリーズで新監督に井上一樹を迎えた我が中日ドラゴンズと対戦したいものです。

投稿: Black Swan | 2024年11月 9日 (土) 17時04分

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